9月2日
うーん、やっぱりぽんせんべいはエエなー。
冬〜春の時はなるべく大きな音で鳴らしたい病に
掛かっていたが、最近はごくごく小さい音で鳴らす
ぽんせんべいの良さに浸っている。
そもそも夏は大音量向きのシーズンではない。
ただでさえ暑苦しいのだからひっそりやりたい?
だから今は物凄く小さい音で聴いて楽しんでいる。
ぽんせんべいは音離れがとっても良いから向いているのじゃ。
さらに、ここで威力を発揮するのがSY-88。
限界ギリギリまで音量絞ってもギャングエラーが無い。
これは凄いというか他のプリを断然引き離す。
何しろぽんせんべいはかなり能率が高いので
それで小さい音というとプリは楽じゃないのだ。
ああしかし、月休四日はもう嫌だ。
(実際にはもう少し休みがあるが)
代休完全消化を目指すもなかなか果たせない。
バイク弄りたいとか、AV用スピーカーを用意したいとか
色々あるのだが進まない。
ま、ぼやいていても始まらない。
ぼちぼちやりますか。
あ、アンパンマンさんのページ(KPの会)更新。
皆さんもご覧ください。
9月4日
良い時代で100均でこんな物がホイホイ買える。
もっとも注射器なんてのは苦手ですが…
(痛いの嫌い)
これでガソリンをちょっとだけプラグ穴からシリンダーに
点滴してエンジンが掛かるか確認…
(耐油仕様じゃないからすぐに駄目になります。使い捨て)
結果を言うと掛からない。
ま、そんな簡単なもんじゃない。
プラグはテストでは火が飛んでいるのを確認しているが
30年以上前の個体だから信用ならない。
そしてやっぱりキャブレター引っこ抜いてばらすのが
本筋だ。
まあおいおい…
とにかくムキにならないこと。
焦り、急ぎ禁物。
さっぱり進まないくらいでちょうど良いと心得ること。
わざと集中しないことにして、お隣にあるCB50の方に手を付ける。
…ってゆーか、数日前から調子が変。
ちょっと走るとガス欠みたいな症状になる。
なんじゃい?と思ってある日燃料ホースを引き抜いてコックをオンにすると
まるで点滴みたいな速度でしかガソリンが出てこない(汗)
こりゃコックの詰まりだ。便秘よりも始末が悪い。
先だってタンクを取り換えているが、程度まずまずと見て
洗浄他一切やっていない。
是非はあるが、まずは使ってみようと思ったのだ。
すると当然ながら微細なゴミが使用に伴い出て来る。
問題は当方のCB50君のガソリンコックにはストレーナーが
付いていないということ(汗汗)
コックは新品だしストレーナーも付いてきた。
ところがコックは合うがストレーナーが合わない。
どう考えてもタンクへと収まらない?
やむを得ずストレーナー無しで使ってきた。
それでも一個目のタンク、二個目のタンクで問題は一度も発生せず。
まあ良いや、という気になっていたが
このような事が起きると見て見ぬふりはやはりいかんと思った。
ま、それはさておきこのままにもしておけない。
FXが動かないのは勝手だがCB50には実働でいて欲しい。
コックを点検するとビミョーに屑が見える。
パーツクリーナーを出口から入り口から噴いて対処。
ちなみにこのコックは分解整備は基本的に出来ないタイプだ。
結果、どばーっと燃料は流れるようになって目出度し目出度し。
…のはずだが今度はキャブの方でオーバーフロー?
ん?そりゃ先だって解決したぞ、と思いながらキャブ分解。
しかし50の単気筒、ワンキャブというのは実に整備性が良いなー。
でも、特に不具合は見当たらない?
うーん…と悩んでキャブ装着。
コックを開くとやはりガソリンが…
が、冷静に見るとオーバーフローではなく、キャブボディをガソリンが伝って??
結果を言うと燃料ホース劣化だ。
ホースの端をカッターで切り落として挿し直して解決。
もちろんこりゃ交換だ。多分新車の時からホース変わっていない(汗)
…ってことでCB50では1`くらい試走。
取りあえずオーケー。
こんな感じ。
で、オーディオ。
AT-30Eの交換針。
実はこの個体、GWにドフ巡りした時に見つけてあったけど
その時は安くなかったのでパスした物。
遂に値下げしたという事でkoyamaさんがゲットして
わざわざ送ってくださった。
ありがたい。
もったいなくてまだ装着していない。
他にも宿題多数。
実はちょっとずつ進展しているのだが内緒(笑)
9月12日
やりたい事はたくさんあるのだが、なかなか進展しませんねん。
で、以下は戯言(ざれごと)
メンテナンスという言葉がある。
維持する、という事だ。
この、維持する、という事の大変さは誰もがわかるというか
ある程度の年齢になると経験済みというか痛感しているのでは
あるまいか?
分かりやすいのが体型だ。
若いころは痩せていた。今は…
他人事ではありません(汗)
…なのである。
維持するためには大変な手間暇がかかるのだ。
努力が必要、と言い換えても良い。
人体もそうだが、機械も同じ。
なんでもそうだがメンテをしないと徐々に劣化する。
新築の住まいが美しいのは当たり前。だが一年、三年、五年
十年と経過すると段々劣化が目につく。
十年を経過するあたりから加速度的に酷くなる。
メンテは大変。だからメンテナンスフリーを、世の中は目指してきた。
お手入れ不要、は受けが良い。商売になるからお金も掛けられる。
なんでもそうだ。
しかし本当に本当にメンテナンスフリーなんて物があるのか?
多分無いだろう。
ただ、維持が楽であるというのはある。
お手入れのインターバルが大変長い。これがメンテナンスフリーの本当の意味だ。
やがては壊れるのだが、まあこれだけ持てば十分でしょう、という所まで決定的な故障をしない。
そんな物の考え方が世の中に定着した。
社会の高効率化には大変プラスとなったのでめでたしめでたし。
そして同時にメンテナンスは特殊能力となった。
自分の事は他人がやる。他人の事は自分がやる、だ。
メンテナンスなんて非効率的な事を自分でやってはいけない。
しかし趣味としてのメンテナンスは生き続ける。
いや、もはや趣味としてしか存続しない。
酔狂なお話しということだ。
バイクでいえば古いバイクなんか乗っていないで新車を買った方が良い。
これは本当だ。
取りあえず最初の内は快適に乗れる。
それで二年くらいで買い替えるのが賢い。
これは皮肉ではない。
逆に言うと二年もすると劣化が目についてくるということでもある。
今、しみじみ思うのが、乗り物の場合劣化はかなり早いということ。
ただ気づかないのである。
昔は一丁前にユーザー車検なんてのにも手を染めていた。
車屋さんに出せばブレーキの分解をしてシールやらオイルやらを交換される。
しかしそんなもん必要だろうか?みたいな感じでやっていた。
今の自分にはよくわかるのだが、車検と関係なく、そんな事はせっせとやった方が良い。
ある程度の腕は必要だが、ブレーキフィールに違和感を感じたら
すぐにパッドを外してピストンを適度に動かしたり、パッドの面取りをした
方が良い。
アクセルワイヤーやクラッチワイヤーも二年ごとに交換してしまった方が良い。
プラグも然りだ。
チェーンのメンテなんてのは歯磨きと同等レベルでやった方が良い。
ステムやスイングアームピボットもせっせと手を入れた方が良い。
知らぬ内にどんどん変化してしまっているのだから。
しかし若い頃はそんな事はわからない。わかっても手間とお金をそこに注がない。
注ぎたがらない。
どちらかというとアクセサリーであるとかチューニングパーツなんかの装着に
目が行くもんである。
実際僕もそうだった。
今なら言えるのは、そんな時間と金があったらメンテをしろという事だ。
実はこれ、オーディオにも当てはまる。
色々なアクセサリーに手を出すのは構わないが、その前にアンプのリレーはいつ磨いた?
優先順位を間違えていませんか?
しかし、大抵正攻法というのは忘れ去られる。
それで良いともいえる。その方がある種のマーケットは広がる。
それで業界に活気が出るというのも大事な流れではある。
だがしかし本筋は?
おっと、偉そうなことを書いてしまった。
そうだ、そろそろスピーカーユニットのネジの増し締めでもしよう。
そうだ、そうしよう。
9月14日
昔から比べると気が長くなった?
いや、人の本質というのはそう変わらないとは思うが。
…ま、多少進歩して、イライラ、ギリギリが減ったかもしれない。
これも老成の一種かも。
プロジェクト、AVは密かに進む。
かといって上の画像を見ても、何がどう進んでいるのか絶対にわからないが。
これはさらに絶対にわからない写真。
ま、行けそうな事はわかったので
これについてはおいおい説明。
多分最後に一気に説明、となるはず。
で、こんな物を買って…
こうなった。
これもこれでは意味不明?
一応解説しておくと、ヒートガンはドライヤーの強力版みたいな器具だ。
これを使って何をするかというとキャブレター周りのゴム部品の炙りである。
並列四気筒の四連キャブなんてのは、抜きづらい物の代名詞だ。
特に古いバイクではキャブに繋がるゴム、樹脂の部品が
弾力を失ってカチコチになっているのでそのままだと絶望的。
それをヒートガンで炙ることで柔らかくするのである。
先月の日記で書いたかどうか忘れたが、車体関係の金属部品同士の固着に対しては
トーチというかバーナーというか、要するにガスの炎を使用した。
しかし樹脂にはそれは強烈過ぎる。だからヒートガンである。
この後のキャブのオーバーホールでも活躍するはずなので
大枚2千円を投入した。破産である。
なんだか某オクに出て来そうな写真だが
37年目にして初めて車体から抜かれたのである。
”まだ働かされるのか…”と嘆いているのが聞こえてくる。
そう、馬鹿のところに嫁ぐと一生退役出来ないのである。
お気の毒としか言いようがない。
ところで気が長くなったという事についてのお話しだが…
(続く?)
9月15日
人間短気が良いのか?あるいはのんびりが良いのか?
これはもうケースバイケースで何とも言えない。
鳴かぬなら鳴かせてみせよう、もあれば
鳴くまで待とうもある。
人生全般をここで語る気は無いので、あくまでも矮小な世界の中での
事と思ってほしい。
取りあえず修理では短気は損気だ。
成し遂げたかったら、こいつは馬鹿か?と思われるぐらいの
超スロースピードが良い。
特に今回始まったような、古ーいバイクのレストアなんてのはそうだ。
もちろん100万円なりを信頼できるメカニックに渡して
1年以内になんとかして貰えれば、というのならそれも良い。
だが、ショップにしてみれば絶対にやりたくない作業、
それが旧車のレストアだ。
はっきり言って儲からない。
まじめにやったら赤字必至である。
だから悪くて頼めないというのがある。
いや、可処分所得にも問題はあるのだが、本当に頼むなら
200万円くらい渡さないと悪いな、と思ってしまう。
そしてもうひとつ。こんな楽しい事をお金払って人にやらせるなんて
馬鹿だろう、というのがある。
普通の人にとっては酔狂極まりない世界だが
コテンパンに疲れてしまったヤツにもう一度命を吹き込む
というのはもの好きにとってはこの上ない快楽なのである。
で、実はかかりっきりになれるなら寝食を忘れてやっていたい。
しかしそれは出来ない相談なのもわかっている。
仕事がどうこうというのもあるが、何より家人との折り合いがある。
何を隠そう昔はそれで大喧嘩とは言わないが
かなり険悪な雰囲気になったことがある。
頭に来て乗り物をやめた。
その代わりオーディオを始めた。
だからオーディオについては、あまり口を挟まれない。
挟むとどうなるか、双方不利益を理解しているからだ。
では、バイク弄りには口を挟む?
それは無い。
ただ、あまり傾倒するのはまずいと言うのもわかっている。
だからボチボチなのである。
それが一つ。
そしてもう一つは、やはり急いては事を仕損じる、からだ。
こっちの方が問題だ。
とにかく整備だとかレストアだとかで一番大事なのは
壊さない事なのだ。
これは繰り返し書く。
今ついている部品を壊さず外すこと。
それが出来ればレストアの成功は保証される。
これがネジをなめただなんだとやっていると
絶望的遠回りになってしまう。
絶対に部品を壊さない。
これが大事なのだ。
整備や修理は、ラインで物を生産するよりも遥かに難しい。
これは常識だ。
作るだけならどんどん部品を足して行けばよい。
しかもラインなら手順も道具もきっちり出来上がっている。
しかしこれが直すとなると、まず外すという作業が来る。
そしてそれを最後に戻すのだから
最低でも倍の手間である。
メーカーが整備や修理を本当はやりたくないと考えても
無理からぬことだ。同情する。
で、最低でも倍の手間と書いたが、
実際には、すんなり外れない、なんてことが起きる。
外す過程でさらに壊れるなんてことが起きると
もはや手間は10倍20倍の世界である。
だから絶対壊してはいけない。
すると物凄い手間暇が掛かる。
どうしたら外れるか?何を使うのか?治具はどうする?
調べて試して、また試しての繰り返しとなる。
だから途方もない時間が掛かる。
だが、良い時代である。
なにって、インターネットでガンガン調べられる。
昔だったら孤立無援である。
それが写真入り、動画入りで勉強できる。
これを良い事と言わずして何を良い事と言うのだろう?
ただ、ひとつ言えるのは楽しすぎて時間がどんどん過ぎてしまう。
これは良いのか悪いのか?
ちょっと悩むところだ。
話は違うが原付ツーリング。楽しそう〜
…もっともまだ暑いので、テレビで見て楽しんでいる方が良い。
しかしこの画面、デカいな、確かに。
そしてそれに見合うスピーカーの計画中。
はっきり言って、今日日板を切るより市販品を買う方が
早いし労力考えると安い!
しかしフツーでは気が済まないのがよっしーのアホなところ。
かくして着々とAVシステムのプランは進む…
9月18日
三連休?
どこの国のお話しでっか?
お陰でやりたい事がさっぱり進みません円。
やっぱりそう簡単ではないのだなー(ブツブツ)
9月19日
今度生まれて来る時は、カレンダー通りに休みの仕事にしよう。
そうしよう。
…寸暇を惜しんでバイクも弄る。
乗り物に興味のない人には極めてどうでも良い話だが、
キャブレター弄り。
バイク弄りというと、作業場で工具を振り回して
(振り回すわけでは無いが)…というイメージもあると思う。
確かにそういうシーンもある。
だが、実は案外チマチマした作業が多いのだ。
歯ブラシ、歯間ブラシ、綿棒、爪楊枝が活躍することもある。
本当だ。
キャブレターなんてのはその際たるもので、ある意味ミクロの世界になる。
乗り物に搭載されているパーツの中でも
これ程精密な物も無いと言える箇所だ。
さてそのキャブレターの中でも上の図にあるピン。
フロートピンというのだが、を抜くのはハイライトシーンその1みたいな感じ。
いや、まともな状態のキャブレターならあっさり抜けるピンなのだが
(両方のブリッジみたいな所に穴があって刺さっているだけ。
場合によっては圧入もされているが)
今回みたいなのだとそんな上手く行くはずがない。
これがうまく抜けないとキャブレターの整備には入れない。
最初の関門だ。
たかがピン。抜けばよいだろうと思うのはやったことのない人。
力技に持ち込むと、ピンが刺さっているブリッジみたいな部分が
折れてしまう事がある。
そうなるとそのキャブレターは廃棄である。
余談だがプロに任せてオーバーホールを受けたはずの
キャブレターを開けてみたら、ここが見事にへし折られて
いかさま工作でくっつけてあったなんてのが割とあるから困る。
超慎重さを必要とする作業。それが固着したフロートピン抜きである。
固着したピンの外し方だが、一つにはピン抜きで打ち抜くというのがある。
しかし個人的には恐ろしくてやりたくない手法だった。
プロでも壊す、というのは、この時のやり方を間違うからなのだ。
他にはちょっとだけ首を出しているピンを何かで挟んで摘まんで引き抜くというのがある。
衝撃を加えないという点でこの方法の方を選びたい。
しかしフツーにラジオペンチあたりで摘まんで抜けるくらいなら苦労は無い。
潤滑剤をたっぷり吹き付けて…と言っても駄目である。
ではどうするかというと、ここでも大切なのは”加熱”である。
異なる金属同士が固着している。
それを炙ると、金属によって熱の伝わり易さが異なるので
片方が膨張してくれる可能性がある。
すると、がっちり食いついたところに隙間が生じる。
隙間、と言っても極端に言うとミクロンオーダーのお話し。
加熱して隙間が生まれた所に潤滑浸透剤を噴霧する。
これで初めて潤滑剤は仕事をすることが出来るのだ。
どんな隙間にも浸透するなんてうまい話は無い。
ということで炙るのだが、問題が一つ。
それは近くにフロートがあり、これが樹脂製だということ。
もちろん、そんなに柔なものでは無いのだが、金属同様のレベルで熱が行ったら
どうなるかはお分かりだろう。
そこで気休めと思いつつ鉛シートをカットしてフロートカバーを作った。
そして炙るのは先日のヒートガンを避けてフツーのドライヤーを使ってみた。
まず、弱い方から使う。どうしてもダメだったら強力な物にする。
これも大切なところだ。
で、炙る。
この時熱の行く先に自らの指も差し出して温度の加減を測る。
こんなんだから、バイク弄りと言ってもそんなに男らしい作業ばかりじゃ
無いよ、と言っておきたいのだ。
温めてみて、CRCを噴いて。また温めて、噴いて
ピンの端を摘まんで、回転運動を狙ったり、ある時は直線運動で
引き抜きに掛かる。
とにかく無理は禁物。
駄目だと思ったらすぐ手を休める。
先に、プロも壊す、みたいな事を書いたが
悪口ではない。
こうして馬鹿みたいに手間暇時間を掛ければ無事抜けるが
仕事の効率も考えると、それだけで云万円貰わないと
割に合わない。
対してユーザーは時間掛け放題、手間掛け放題である。
ここに違いがある。
最後にピンを抜くための工具。
フツーのプライヤーでは役不足。
ところがバイスプライヤーでもうまく行かない。
結論を言うとフツーのニッパー。
これが正解。
ピンを軽く噛む位でちょうど良い力加減なのだ。
もっとも、ピンなんどどうなってもなんとかなる。
極端に言えばフロートぶった切ったって良い。
何がなんてもキャブボディーだけは守らなくてはいけない。
そうして無事四つともフロートピンは抜けたのだった。
9月20日
なんか音が変だなーと漠然と思っていた。
右が薄い?
いや、まあ原因はなんとなく特定は出来ていたのだが…
スピーカーに向かいながら、適当な自作テーブルにノートパソコンを置いて
あれこれしながら音楽鑑賞。
…は、良いが、このノートパソコンが音を悪くする原因だった。
テーブルが真正面にあると邪魔なのでやや右にオフセットして置く。
そこでノートパソコンの画面が音を遮るのだ。
やれやれ仕方ない、と膝に置いて正面を向くと
気になっていた症状はさっぱりと無くなった。
当たり前と言えば当たり前なのだが音というのは時に
大変デリケートな所があるから困ってしまう。
基本的にはあまり神経質なお話は苦手なのである。
さて、雨。
工作に影響が、やっぱり出る。
AVスピーカープロジェクト?が進まないではないか。
もっとも、大変な水害にあっている方達に言わせたら
ふざけるな、というお話だ。
そう考えると申し訳ない。
9月22日
どうもいけない。
存じ上げる方達の訃報が続く。
早すぎるお別れもあった。
母の墓前に行って、そちらの方でよろしくね、
と伝えた。
取りあえず僕は今生きている。
だから何かをする。
それは実にくだらない事ばかりなのだが
皆が皆歴史に残る偉業をする訳じゃないと開き直っているのだ。
雨その他でさっぱり工作が出来ないのに加え
やっぱりさすがに気持ちが落ち込んで
実に大したことで無いというか、無さすぎることをする。
少し前にお手入れが大事だなんて書いた責任もあって
スピーカーケーブルを少し切り落として末端剥き直しの図。
これをして、パワーアンプもラックから出して気合を入れて結線し直し。
でもねー、これで本当に音が良くなったから困りますね。
もちろん、たまたまの事なのでアライグマになるつもりは
今後とも無い。
末端がクリーンになったのもあるが、多分アンプの端子への
気合を入れた結線が良かったのだと思う。
それがひとつ。
もうひとつ説明すると、ケーブルはキャプタイヤ。
3.5スケだったと思う。
一か月くらい前に気まぐれで使った。
最初はなんか音が荒れるところがあって
これはこんなもんだったかなーと悲しい気持ちになったのだが
(昔は愛用していたので)
しばらく経って奇妙に音場感が良い事に気が付いた。
え?こんな持ち味があったわけ?みたいに驚いた。
で、そのまま何となく使っていたら、荒れていた部分も消え去った。
そんなものなんである。はい。
*GTの会会員名簿にたけちゃんさん登録。
皆さんでご覧ください。
9月23日
遅々として計画が進まない。
が、嘆いていても仕方ないので学習に充てることにした。
しかしこの世界は今更ながらわかるようなわからないような
単語やら規格が多い。
文句を言っても始まらないが、普及には絶対マイナスだ。
9月26日
一応大人だから、そうそう思い通りに時間を使えないのだ。
特にここ最近、その傾向が強い。
疲労もひどいからとっとと寝るに限る?
しかし、何かしてから眠りにつきたい。
実に他愛ないのだがCDケースの掃除。
ピンぼけになってしまったがケース上面の埃の凄さよ。
深く考えないでケースをばらして水洗い。
爪用ブラシで溝に沿ってブラッシング。
ああ、すっきり♪
考えてみると写真のCDなんか30年弱前の物だ。
そりゃ汚れも溜まる。
扉付き収納に収めておくと、もう少しマシなのはわかるのだが
およそ短気なよっしー向きではないのでそれはお断り。
たまに。そう10年に一度くらいは水洗いしてあげた方が良い。
ああ、しかし疲れた…
9月27日
誰が何と言おうと休む、と言い張って休養。
やっと生き返った(安堵)
で、やっとAVのお話し、始まり始まり。
AVというと一般にはアダルトヴィデオだが、こちらの世界ではオーディオヴィジュアルだ。
今更言うまでもない。
AVという用語が一般的になったのはいつ頃だったか?
記憶は確かでないが'80年代。それも中盤以降だったと思う。
ヴィデオデッキが一般的な物となり、LDプレーヤーも普及した。
何よりテレビの大型化。29インチテレビが当たり前になった。
たびたび取り上げる雑誌に「AV FRONT」というのがある。
1988年にスタートして1992年末刊行の48冊目が最終号。
正にバブルと共に生き、そして終わった雑誌だった。
広告もいっぱい入ったのだろう。今読んでも見ごたえがある。
ブームとしてのAVもこんな感じで隆盛を誇り、そして沈静化したのかな?と思うがどうだろう?
取りあえずこの頃のAVというのは既に出来上がったオーディオの中に画面を割り込ませた感が強い。
完成されたAの中に中途半端にVを割り込ませれば害ばかりとなるのは後から考えるとわかる。
AとVの同居というのは考えるほど簡単じゃないのである。
長岡先生はVAという言葉を使った。
先にまずちゃんとした画を作り、それにAを追い付かせるという様な発想だ。
先生は大のテレビ大人?で遥か昔からAVらしきことはやっていたが、メインのオーディオ装置に
テレビをくっつけるような事はしなかった。
本当にVをやったのは夢のホームシアター方舟が出来てから。というかそのために、まず建物を作っちゃった(汗)
そこにプロジェクターとスクリーンを用意して画を作った。
それにマッチするAという事でネッシーとリアカノンによるマトリックスサラウンドを用意した。
正に完璧というか王道というか正論の世界である。
オソレイリマシタ。
9月29日
時は流れ2016年。
プロジェクターは死なず、ただ、さすがに三管は消えたか?
何より変わったのはテレビで、液晶、プラズマがはびこりブラウン管は駆逐された。
32、46、52…といった大きな画面が手に入りやすくなった。
それと奥行きが浅い。
(奥行きが浅いというのは何にもまして大きい事だと思う)
VAはともかくAVをやるには随分やり易い時代に、知らぬ内になっていた。
しかし、ではAVはブームかと言うとそんな噂も聞かない。
大きい小さいでなく、テレビは基本的にテレビなのである。
つまり家電だ、ということ。
冷蔵庫や洗濯機と同一で扱われる。それがテレビ本来の姿なのだ。
何を言いたいかというとテレビはリモコン一つでポンと点くことが大事。
大画面も本当はそんなに必要ない。奥様達の本音は32インチもあれば十分という所ではないか。
画質なんかどうでも良い。ましてや音なぞどーでもヨロシイのだ。
オーディオマニアの親父が頼みもしないのにテレビ相手にちょっかいを出して
いつもの様にリモコンをピッとやったら点かなかった。
こんなのは最悪なのである。
*やっぱり良いなー、原付ツーリング♪
凄い昔に同じ道を走ったことがあったか…
無かったか…?
もうわからないのでありました(汗)