9月3日
ところで音の良いスピーカーを作るのは難しい。
今更当たり前のことをいって申し訳ないが改めてそう思う。
拙宅にもいくつかのスピーカーが存在するし、過去において経験したスピーカーまで数えると
それなりの数だ。
それでも世界に存在するスピーカーの数からすれば大河の一滴という感じなのだが
そこは勘弁して頂いてものを申す。
市販の物はいずれもさすがに良くまとめられているので後は好みの問題という事にしておく。
ただ、今回のみたいなフルレンジで馬鹿でかいキャビネットというものは自作しないとどうにもならない。
そして欠点もあるのだが市販品には無い良さもあって、この辺が面白いところだ。
まず、改めてフルレンジ一発の良さ。
これはもうアンプとスピーカー端子を直結する良さ。これに尽きる。
余計な物は介在させない。そこから来る潔さ。
ここに惹かれるとマルチウエイに戻れない。
逆に弱点は?というと帯域の狭さ。
ここを突かれるとマルチウエイの大勝利ということになってしまう。これはもう仕方ない。
そこで、とフルレンジでありながら広帯域再生を、という夢が出てくる。
バックロードなんかもその一つだし、共鳴管も然り。
バスレフももちろん一つ。
僕も僕なりに色々やって来たと思う。
そして出た一つの結論は、"欲張らない方が良い”ということだ。
それを言っては実もふたも無いのだが、結局はそれに尽きると思う五十路の今日この頃。
恐らくなだらかに低域は落ちていっているくらいが(フルレンジ一発のスピーカーでは)ちょうどよろしい。
それをアンプ側で電気的に補正してちょっぴり持ち上げるくらいの考え方が一番上手く行くのではないか。
いつの頃からかプリメインアンプやプリアンプから、"余計なものは要らん”と
トーンコントロールやラウドネスコントロールが省略される傾向となってしまった。
そんな物がなくてもスピーカーはフラットでありなさい。部屋もチューニングしなさい
と言われている気がする。
確かにスイッチ一つ増えると、音質劣化の要因になる。
これは特に年数が経った時に顕著になる。
そう考えるとアンプ設計側の主張はよくわかる。
だが、やはりちょっと狭量ではないかと言いたくもなる。
アンプにそっぽを向かれた結果、スピーカーはスピーカーで
"じゃあ頑張ってフラットになるよ”と言う事になって
悪く言うと帯に短し襷に長し的な物が生まれるようになってしまったのではないか。
正に対話の無いところに和平は訪れないのだ。
アンプを当てにする事が叶わなくなるから、
やれバックロードだなんだと複雑なことも考えなければならなくなる?
正直音の素直さ。適度に肩の力が抜けた感じという点では
平面バッフルや今回の巨大密閉箱みたいなのに軍配が上がる。
後はアンプの方でちょっとアクセントを付けて上げられればそれで済むのだが
アンプはそれを拒んでいるようだ。
折も折、デノンから久しぶりの高級プリメインがリリースされる。
プリアウトなどを廃したということで、その辺は賛成出来る。あれがあると不要な
配線の引き回しが増えたりもするから。
ただ、トーンコントロール系を省かれたのは…
僕が未だにビクターJA-Sシリーズを手放せない理由の一つが
その利かせ方の抜群に上手いラウドネスコントロールのせいだとは
お釈迦様でもご存知あるめい。
9月4日
ネットは馬鹿と暇人のものという本があったが
たぶんその通りだ。
ただ、やっぱり人智を集めるのにも使える。
大型バスレフ、とか大型密閉箱とか、大型エンクロージャーで検索すると
面白いものがいっぱい出てくる。
やはり大型エンクロージャーに魅せられている人も少なからずいる。
あるいは現代のスピーカーが抱える悩みの数々は、そのサイズ的制約から来るのかもしれない。
小型化とワイドレンジ病、フラット病。それらが問題を大きくする。
面白いのは大型エンクロージャーでフルレンジ一発。ツイーターすらも半ば放棄してしまう人がいること。
一つのあり方だ。
しかし大型エンクロージャーというのも悩ましいもんだ。
拙宅の場合でいうと、やっぱり段ボールではいかがなものか?という気がする。
まあこれは偏に僕の研究が足りないだけで段ボールでももっともっといけるのだろうが…
それとあまりにも汚くてさすがのよっしーも除けたくなるのだ。
では木製で900×600×450の箱を…と思うといささか気が重い。
ああ、しかし我ながら歳を取ったという気もする。
昔だったら速攻で作ってしまっただろう。
腰の重さは加齢の証拠だ?
9月5日
大型箱は一回お休み。
とにかく汚らしいし大きいしで見ていて辛い?
そこで平面バッフルとは安直だがとりあえず。
やっぱりツイーターが欲しいかな、というのが今夜の感想。
9月6日
良く言えば好奇心旺盛だが、悪くいうと計画性が無い。
美的センスゼロ。今時貧乏学生の下宿でも合板剥き出しは見られない。
で、何をやっているのかというとマトリックススピーカーだ。
ユニットはフォステクスのP-650。接続は四本マトリックスのパターン。
二本づつ取り付けられたバッフルを大体45度で適当に置いただけ。
上に本その他が載っているのは安定のための重し。
全く期待せず、なんとなくやったのだが大変面白いことになっている。
一ついえるのは目の前1メートルのところに上記スピーカーがあるのだが
そこから音が出ている気は全く、完全にしないということ。
スピーカー後方1メートル。つまりリスニングポイントから見て2メートル以降のところに
音が広がっている。
何よりそれが楽しい。
続きはまたご報告出来ると思います。多分…
9月7日
暇なヤツだとお思いでしょうが、案外忙しい…
しかし人間忙しいといって時間の制約があるからこそ出来ることがいっぱいある。
というか無かったら何も出来ないだろう、きっと。
お見せするのも申し訳ないようなマトリックスピーカー。
昨日の段階で床から45センチ程度のところ。リスニングポイントから1メーター位の所に設置した。
これを一旦70センチ位の高さで、かつ40センチくらい後退させてみた。
結果だが、あまり面白く無かった。
昨日の、とにかくスピーカーから音が出ている気が全くしない。
果てしなく奥の方に音が広がり漂っているような感じは消えてしまった。
ま、驚くには値しない。過去にもこの種の経験はある。
スピーカーは耳の高さに設置すべし。
それは間違いではないのだが、どうしたことかそれより遥かに低くして
リスナーの視界を遮らない程度の所に置いたほうが
向こうが透けて見えるような音場感が得られることが多々あるのだ。
あるいはそれは視覚的な影響なのかもしれないが、どうもそれだけでは無さそうだ。
人生は短いので詰まらない音に付き合っている暇は無い。
という事で昨日と同じように低く、手前に設置することとした。
うん、こっちの方が断然良い。
スピーカーの遥か奥に音が広がっていて、スピーカーから音が出ている気は全くしない。
左右の拡がりがいま一つな気がするが、これはこれだけいい加減なマトリックススピーカーなのだから
仕方あるまい。
ただ、全く広がらない訳ではない。
そして予想通り、ソースによっては全く広がらない。モノラルか?と言いたくなる物も出てくる。
やはりワンポイントかそれに準ずる物が抜群に良い。
MX-1の0,65倍ということでMX-0.65?
作ってみるか?
9月8日
やっつけ仕事のマトリックススピーカー。
いや、これをスピーカーと呼んで良いのかと疑問にも思うが。
さて、だがしかし、このいい加減なマトリックススピーカーの音がどんどん良くなっているから笑える。
音場は広がり、細かい音が出て、同時にしなやかさも出てきた。
無理も無い。この6.5センチユニット、作るだけ作ってほとんど鳴らしていなかった。
よっしーはエージングには無頓着だが、さすがに初期の変化は大きい。
とは言え極小平面バッフルを90度で適当に組んだだけの代物だから
低音が出るも出ないもあったもんじゃない。
ただ、音の広がりは素晴らしし、スピーカーの存在を意識しようもない鳴り方には
驚くばかりだ。
こうなると、やっぱりちゃんとした物を作るしかないと思う。
MX-1の縮小を…とも考えるが
低音の充実も欲しいとなるとMX-10の縮小版ということに落ち着く。
ダブルバスレフ採用の作例をステレオ誌に求めると
第一空気室が2リットル。第二空気室が4リットルというのがある。
ユニット二本が同一空間に来るので、単純に倍と考えると
4リットルと8リットル。
いずれにしてもミニチュアになる。
目下ラフスケッチを作成中。
しかしいい加減に休み取らないと、ミニチュアだろうがなんだろうが作れない。
いささか疲れてきた今日この頃。
9月10日
ふざけているとしか言いようの無いマトリックスピーカーなのだが
どんどん良くなっていく。
これまで何度かマトリックスピーカーは作ったが
(大した物は作っていないが)
驚くことに今回のが一番成功している?
はやくまもとも形にしたいと思うのだが…
9月11日
あれから3年半。
あれからだと13年。
時の経つのは早いというのは、言わば部外者の言う事で
当事者にしてみれば何年経とうが時計は止まったままだと思う。
柄にも無い事を書いたが僕がやっていることはこの程度のもんだ。
やっと時間が取れたので居ても立ってもいられずマトリックススピーカー作成。
端材をかき集め、裁断は手引きで…となると仕上がりはほとんどゴミである。
未完成とはこの事で、工程70%くらいで音を出してしまうから凄いというか酷いというか。
これでは空母信濃である。
それでもとにかく音を聴きたかった。
はっきり言って六角形のキャビなんて面倒で仕方ない。
ユニットだって四つあれば四つ穴を開けなくてはならないのだから
手間が掛かることこの上ない。
まあぼやいても仕方ない。
さて、音だが、これで今までの平面バッフル90度留めより悪かったら笑える。
だが、往々にしてそういう事があるところがオーディオの面白さ恐ろしさだ。
お金を掛けたら。手間をかけたら。物量を投じたら音が悪くなった。
それがあるからオーディオはやめられない。
というか趣味は面白い。
で、どうだったか?
音の無責任な拡がりという意味では、平面バッフル90度留めの方が良かった。
だが、トータルでは六角形の方がもちろん良い。
センター定位が感じられるし(当たり前)全体のクオリティーが上がっている。
これからしばらく実験を繰り返すが、駄目ならユニットを外して
ベランダに吊るして置こうと思う。
野鳥の巣箱になったら楽しいじゃないか。
*GTの会会員名簿更新しています。
OREGONさんのページ更新。
皆さんでご覧ください。
9月12日
前より劣化したらどうしよう?と思っていたが
さすがにそれは無かった。
とりあえず床から60センチ位の高さに設置。
ひとまず言えるのは、やっぱりソースは選ぶということ。
ワンポイントマイクとかそれに準ずる物との相性が最も良い。
ただ、そのこと自体は当然といえば当然で、面白くもなんともない?
まだまだ実験は始まったばかり。
乞うご期待?
9月13日
毎日酷い写真を見せられる方もたまったもんじゃないが
ご容赦頂くしかない。
実は今回のマトリックススピーカーは裏板無しだった。
今も接着はしていない。
何故か?
もしかしたら後面開放の方が良いのではあるまいか?との想いがあった。
ただ、やはり後ろを塞ぐのが正しい道みたいだ。
養生テープで固定とは恐れ入るやり方だがとりあえずだから許してね。
ただ、和信号ユニットの背面はともかく、差信号用ユニットの背面は
塞ぐのが良いのか?開放しておいた方が良いのか?
これはもう少し検証してみたい。
なぜそんな事をやってみるのかというと、
1、差信号用ユニットは密閉空間に置かない方が良いのではないか?
という疑い。
2、一種の音場型スピーカー的な鳴り方をしてくれるのではないか?
という疑念と期待が入り混じっているからなのだ。
9月15日
音楽のためにスピーカーがあるのではなく
スピーカーのために音楽を選ぶ。
それで良いのだが、マトリックススピーカーをよく鳴らすために…となると
結局こういう物になりがちだ。
おそらくワンポイント録音。
現場生録りみたいなもの。
面白いのは、これは屋外でしょ?というものだと音場も寂しい(この言い方には問題があるが)
ものになること。
反射が無いからそうなるのだ。
そしてそれで正しい。
とにかく今言えるのは、大変奥行きが深いということ。笑ってしまうくらいだ。
ただ、さすがに一定の物ばかり掛けていると変な気持ちになる。
それと、上記のような物は良く鳴ってある意味当たり前。おもしろくない。
それで、と引っ張り出したのだが考えてみると以前にも取り上げている。
ただ、もう5年位前のことだからリバイバルでも良いでしょう。
SUB ROSAというレーベルは長岡先生も一枚か二枚ゲテモノとして取り上げているが
これもゲテモノ。
よーわからん、というのが本当のところだが、とにかく一トラック毎に
モノラルもどきになっては広大な音場になってと入れ替わるのが面白い。
フザケテル、のではなくこういう音楽なのだ。
SUBCD009-32だが、多分探してももう見つからないと思う。
9月16日
ところでマトリックススピーカーの。
そしてスピーカーマトリックス方式の結線の種類は一つではない。
こちらがマトリックススピーカーの始祖MX-1で説明されている結線方法(仮にAとしておく)。
差信号のレベルを高く取れるがトータルんインピーダンスが滅茶苦茶下がるので
アンプの負担を考えると16Ωスピーカーが欲しくなる。
こちらの方式(仮にBとしておく)だと差信号の音圧は先の方式より少し低下。
ただ、トータルインピーダンスを考えると8Ωユニット×4の場合
AよりBの方が好ましい。
ビクターJA-S41は40年近く前の方式だがAの結線でも保護回路が働かず動作している。
これは立派なもんだ。(大音量だとどうかわからないが)
しかし無理をしていることは確か。
そこでBの結線としてみる。
こころなしか、Bの結線の方が音が綺麗な感じ。
そして音場が少し萎縮した感じに聴こえる。
これは気のせいもあるかもしれない。
次に後面を開放するか塞ぐかという問題。
これは、きちんと後ろを塞いだ方が音質という観点では良い。
ただ、音場という点では結線がAなのかBなのかと言った以上の差が出る。
これは悩ましい問題だ。
ここで、鋭い人は、"結線がAかBかというのは確かにマトリックスの中の問題だが
後面を開放するかどうかというのはマトリックスとは別の問題でしょ?”と
突っ込まれることだろう。
実はその通りなのである。
これはマトリックス結線の話しと音場型スピーカーの話がごっちゃになっている
ともいう。
音場再生と音場創生がまぜこぜになっていると言い換えることも出来る。
しかし、その認識さえあれば、混ぜこぜになっていて一向に構わないともいえる。
実もふたも無い言い方をしてしまえば、音が拡がってくれればそれが楽しいと言う事だからだ。
ピュアマトリックスはマルチモノだと拡がらない。
それは本当だがマルチモノでも拡がりが出るならその方が僕は楽しい。
9月17日
マトリックススピーカーだがユニット四本の物と三本の物があるのはご承知の通り。
更に六本の物もあるのだが、とりあえず有名なのは上記二種類。
長岡先生の作例でいうとユニット四本の物はMX-1ではじまりMX-10で終わっている。
以降三本ユニットに移行。
これは16Ωのユニットが入手困難になったことも手伝ってそうなった。
当然配線も違うし信号の配分も違う。
俗に四本ユニットの物をピュアマトリックスというので、それからすると三本マトリックスは
ちょっと落ちるのかと思われてしまう。
実はよっしー自身もそう思っていた。
しかし、本当にそうなのか?
そこで配線をやり直し(何しろ各ユニットからダイレクトにケーブルが出ている状態だから簡単)
三本マトリックス状態を作ってみた。
ユニットが一本遊んでしまうことになるし、ほんのお試しのつもりでやったのだが
これが予想を裏切って?結果良好で笑ってしまう。
良く知られていることだから今更書くのも憚られるが三本マトリックスの良いところは
ソースに対して割と寛容であるということ。
信号の配分が、センターはL+R。これを一本で再生。
左右は、右が2R-L。左が2L-R。
念のために書くと、四本マトリックスだと、センターというか和信号はLとRが普通に再生。
左右は右がR-L。左がL-Rだ。
この違いが音にも出て、四本マトリックスは位相情報が入ってない。少ないソフトだと
あまり拡がらない。
対して三本マトリックスでは対応出来るソフトが多い。
反面、音像が大きくなる、不明瞭になるなどの傾向にあるが、それが悪いとは一概に言えない。
こうして両方と同時にかかわってみると、どうも三本マトリックスの方が自分には合うようで
四本マトリックスを作ったばかりの身としてはいささか悲しい気持ちにもなろうってもんだ。
しかし仕方ないのだ。何事もやってみないと。理屈だけではわからないことがたくさんある。
だから楽しいのだ。
やってみないとわからない、でもう一つ。
マトリックススピーカー自体、作ってみたけど効果をあまり感じなかったというコメントをよく見かける。
これは大変正直で、そして良くわかるメッセージだ。
よっしー自身マトリックススピーカーに関しては過去15年位の間に色々やって、同じような印象を持っていた。
マトリックススピーカーは難しい。ひとくちで言うとそういうことだ。
ソースを選ぶ問題は三本マトリックスなら少ない。
他に問題があるとすると、上流の機器。これは高価な物を必要とするという意味ではなく、選ぶ。
それとセッティング。
それらが複雑に絡み合って、マトリックススピーカーは作ったけれど…
となるのだろう。
一つメッセージじみた物を発するとしたら、一度やって駄目だったからといって終わらせないで
いつか再び三度試してみる価値はあるということ。
オーディオには何よりしつこさが必要なのだ。
9月19日
しかし我ながらアホである。
マトリックススピーカーを良く鳴らすソフトを探してラックからCDを引っ張り出している。
それに何の意味があるのか?
多分無いのだが仕方ない。性分というヤツだからだ。
ところで少し前に「オーディオマニアはどうして音場にこだわるのか」
みたいな内容のブログを拝読して頷いていた。
要するに一般的に音楽を聴く人は音場になんか拘っていないということだ。
却って音楽を楽しめない、というお話しで、ホントにそうかもしれないと思う。
好きな音楽はモノラルだって楽しめるし、ステレオだって、せいぜい
右からギター、左にピアノだなー、で十分だ。
訳のわからない事を言ったりやったりして、音楽の本質から離れてしまっているのが
オーディオマニアなのかもしれない。
だが、音を楽しむ、という観点からすれば、それも立派な趣味だとは思うのだが。
まあオーディオマニアも大別すると音場派とそうではない派に別れるような気がする。
ブログでもホームページでも読んでみれば、その人がどちらに属しているのかは
わかって来る。
平和にやりたかったら"低音”と”音場”には触れないようにしておくと良い。
大抵はそこで意見が分かれるのだから。
9月20日
9月21日
HCA-4500。1977年発売。当時25.000円。
HMA-4500。1977年発売。当時42.800円。
プリの方が割り切った値付けなのに対してメインの方は細かく刻んでいる。
理由は?
わかりません。
そしてこのアンプ達は謎が多い。
というか資料が不足している。
それでも何とかわかったのは、当時HCA-7500(60.000円)、HMA-7500(95.000円)と
同時発売であるということ。
MOS-FET搭載アンプ一号機HMA-9500に遅れること僅かの発売で
それからするとHMA-4500は公称二号機、あるいは三号機ということになる。
メインの方はその後HMA-3700が出て、4500は価格的にみて下から二番目となるが
プリのHCA-4500はこれより安いのは出なかった。まあ無理も無い。25.000円というのは
当時のプリとしても破格の安さで、これより安くするのは困難と思われる。
時代背景を紐解くと、この1977年頃はやたらめったらローコストセパレートがリリースされた経緯がある
。
理由はない。ブームとはそういうものだ。
そしてシステムコンポ花盛りでもあり、シスコンにこの種のセパレートが納まっていた。
おそらくHCA-4500/HMA-4500もその口であり、故に資料もほぼ見つからないのだと思われる。
例えばHCA-4500にはマイク入力があり、HMA-4500にはヘッドフォン端子が付いているがボリュームは無い。
この辺り、セットで使ってもらう前提であることがわかるし、想定された購入層もわかる。
とどめに別売で19インチラック対応キャリングハンドルまで出ていたところが楽しい。
さて、このクラスにセパレートは必要か?
要不要でものを考えたら要らないことになる。
プリメインの限界をみたらセパレートに移行。それが正しい道だ。
しかし趣味の世界に善悪を持ち込んでも仕方ないし、世の中理屈で図れるものばかりではない。
友達が遊びに来たときに、俺のステレオはセパレートアンプ搭載でね、(言わないけど)
プリメインしか納まっていないキミのとは違うんだよ、と密かにニヤニヤする効果はあったのだろう。
それにしても25.000円のプリ。42.800円のパワーアンプの中はどうなっているのだろう?
非常に好奇心を掻き立てられる。
まずプリの中を見るとこれは想像以上にスッカスカだ。
しかし一概に悪い事とは言えない。空気もパーツの内だ。
だが、見事にコストを切り詰めたというか、電源トランスなどみるとほほ笑ましい。
もっとも、例えばJA-S41の前段用トランスもこんな大きさだ。多分足りているのだ。
フロントパネルのデザインは、と見ると、やや無骨で大陸的。
各パーツをもう少し小さくしてパネルに対して余白を作ると良いと思うが
生産コストの関係(多機種とのパーツ共有など)を考えると無理だったのだろう。
面白いのはアウトプットでピンケーブルが直接引き出されている。
これはもうやはりシスコンを意識してのことだろう。間違い防止の意味もある。
続いてメインアンプ。
こちらも簡素。光っているのはパワーMOS FETだ。シングルプッシュである。
ヒートシンクはただの鉄板みたいなもんでいささか心配。というかこのアンプやたら熱くなる。
基板に目を向けると電解コンデンサーなども必要最低限というノリで思わず目を疑いたくなる。
ただ、電源トランスは上下を鉄板でサンドイッチという形で、これは見事。
リアパネルを見るとスピーカーは二系統繋げるが、端子は最もシンプルでベーシックなタイプ。
しかも二系統並列は出来ない。
インプットはDCダイレクトとコンデンサーインプットの切り替えスイッチ付きで9500等と同じ。
*DIN端子が見えているが、これは前オーナー様の手によるものである。
さあ、それは良いが音はどうだ?
9月22日
さあ、それは良いが音はどうだ?
ちょうど目の前にあったのが自作マトリックススピーカーだったという理由でそれを繋ぐ。
初仕事がこんな汚いスピーカーですか?とアンプが嫌がっているが拒否権は無い。可愛そうに。
しかし出た音を聴いてびっくり。仕事はキッチリのタイプであった。
非常に面白かったのがJA-S41だと高域もトーンコントロールで持ち上げて上げないとならない感じだったのが
4500ペアではその必要を感じないところ。
ツイーター要らずのMOSアンプの片鱗を感じさせる鳴り方だ。
この時点ではHCA-4500のフォノは試していないが、それは省略してもよろしい気がする。
僕はシンプルイズベストを盲信しないが、非現実的な大音量を必要としない限りシングルプッシュというのは
大変良い構成な気がする。
この構成のまま、各部を強化していったら…
例えばブロックコンデンサーを新品で容量1.5倍位にしたら…
ヒートシンクをもう少し強靭なものにしたら…
とか考えるのは大変楽しい。
それにしても、このアンプ達のファーストオーナーは今どこで何をしているのやら。
高校生か大学生の頃にこのアンプを含んだコンポが家に来たのだろう。
それでアナログレコードを聴き、FMを聴きカセットに色々録音して…
やがて家を出てステレオは家にそのままになり…
今はスマホにイヤホンで音楽を聴く毎日なのだろうか。
昔のステレオは大きかったんだぜ、なんて昔話に、大抵の場合なってしまっているのだろう。
仕方ないけどちょっと寂しい。
9月23日
秋のHMA祭り開催♪
気づけばHMAと名がつくアンプが揃っている。
幻のHMA。HMA-2000はお借りしている物であり、そろそろオーナー様の元へお戻ししなくてはいけない。
(長々拝借してしまってスミマセン。汗)
そこで!
味覚の秋ならぬ聴覚の秋!ということでHMA祭りをやって、2000をお送りだししたいと思った次第。
居並んだHMAの図。なかなか壮観である。
スピーカーはLS5/9。プリはとりあえずPRA-2000に固定してメインを差し替えて行くという贅沢企画。
尚、送り出しはCDに絞ってDVP-S9000ESを使う。
トップをHMA-2000に飾って貰う事にする。
一応ディスクを解説すると(誰も聞きたくないかも知れないが?)
1、「アイリッシュハープデュオ ケルトの調べ シルバームーン/ひろこ&ひろみ」
2、「天国の調べ/ダヴィデ・モスコーニ」
3、「Thomas Duis Live on KLAVINS Mod.370」
1はかわいらしいアイリッシュハープの二重奏。一部別の楽器も登場。シンプル録音で自然な音場がポイント。
2はゲテモノ。広大サラウンドと鮮烈サウンドの再現がポイント。
3は曲はノーマルだがピアノがお化け。クラフィンスピアノである。特にアホのような低音弦の伸び、量感、破壊力がポイント。
音は遠めで自然な録音。
あれもこれもと引っ張り出すと訳がわからなくなるので三枚に限定してみた。
が、まず少し久しぶりにHMA-2000の音を聴いてぶったまげた。
アイリッシュハープの美しさ、繊細さも印象的だが、クラフィンスピアノの圧力と量感も凄い。
あるいは腰の据わり方では9500より上ではなかろうか?と思ってしまった。
唸りを上げてぶっ飛んで来る低音を久しぶりに聴いた。
基本的に1973年頃のアンプな訳で、これはもう脱帽を通り越して脱毛しそうな凄さだ。
面白いもので、いつの間にかPRA-2000でも上手く鳴るようになってしまっていた。なのでC-2Xを今回は引っ張り出さず。
ロジャースLS5/9との相性は特に良いとみた。つまりよっしーの部屋との相性抜群?
MOSになってからのHMAの頂点は9500系かもしれないが、それ以外ならHMA-2000を探す方が良い。
見つかれば…だけど…
9月25日
いや、本当に感動して、次を何にしようかと思ったがHMA-4500を選ぶ。
特に順番に深い意味は無い。
もしかするとHMA-2000の半分しかない大きさの4500。超軽量。ロジャースやPRA-2000と組むのは初めてだが音はどうか?
…なるほど。このアンプだけ聴いていたら悪くはない。
だが、今回は直前にHMA-2000を聴いていたのが特によくなかった?
やはり差が出る。差が出て当然なのだがこれは不利だった。
価格差5倍以上で同じだったら高いアンプの意味が無い。
あらゆる要素で差が出る。
逆に言えばあらゆる要素で良く健闘してくれている。
じっと聴いている内に、軽自動車を思い浮かべた。
HMA-2000が、2000cc級のグランツーリスモだとしたら
HMA-4500は軽自動車。それも1992年発売のHONDAのビートだ。
2リッターには2リッターの良さが。
660スポーツには660スポーツの良さがあって
それは同列に並べて比較できるもんじゃない。
奇しくも先月だったか、システムの一部だけを差し替えて
その変化を聞くのはひとつの近道だがそれが全てではない
みたいな事を書いた。
手っ取り早く違いを見つけるという目的を果たすには
それは良い方法だが、それが最善の取り組み方ではない。
Aという機器にベストな組み合わせを。
Bという機器にベストな組み合わせをと模索するのが本来のあり方だ。
HMA-4500をより良く活かす組み合わせや使い方の探求はこれからになる。
一つ妄想するのはこの居ずまいやコンセプトはそのままに
電源強化を図ったり、定数はそのままに、ちょと高いパーツに差し替えたりしたらどうなるか?
ということだ。
小出力高品位なアンプ。
それは例えれば300万円の軽自動車みたいな世界だ。
商業ベースとしては非現実的だが
一個人が模索するならそれは自由というもんだろう。
頑張れHMA-4500。
知らずに拳を握り締めている僕はやっぱりオーディオ馬鹿であった。
9月26日
秋のHMA祭り。いよいよというか早くもというか終盤に差し掛かる。
HMA-9500MK2。
MK1もあるのでそっちが良いかな?と思うが目の前にあったのがMK2だったからという
それだけの理由でチョイス。
繋ぎかえるのにちょっと勇気が要った。
なにせHMA-2000が良く鳴り過ぎるくらい抜群に良かったからだ。
ひょっとすると9500も撃沈?
本当に恐る恐るだったが、さすがに善戦してくれてほっとした。
繊細に。ある時は底力も見せ付ける鳴り方。
ただ、低い方の厚みでは、あるいは2000の方が少し勝るかもしれない。
繊細さ、拡散する感じでわずかに9500がリードか?
このあたりに、いわゆるMOSらしさがあるとも言えて、実は4500でも同傾向は感じられる。
とにかく古くからの腐れ縁を持つオーナーとしてはホッとした次第。
さてさて、HMAと名がつくアンプ。多いような少ないような。
冷静に数えるとさほど無い。
これは日立が実質1980年頃のHMA-9500MK2で本格的なアンプ作りに
幕を下ろしてしまったからで、考えてみると残念な話である。
今更そんな事を言っても始まらないが、あれから30年40年。
切り捨てられたというか切り捨てざるを得なかったものがいっぱいあった。
ガレージメーカーではないから、好きだから続けますとはいかないのですね。
大手が競い合ったあの時期こそが幻だったのだろう。
その時代を体験できた事だけで由とすべしか。
縁起でもない話だが、僕らがこの世をされば、今ある機器たちも
文化遺産ではなく、過去の遺物として廃棄されていく運命だろう。
なれば生あるうちにそれらを精一杯鳴らすしかない。
いや、別に最新鋭機を否定している訳でもないし
むしろ歓迎したい位なのだが、
よっしーが幾ら歓迎と思っても機器の方が
カネノネーヤツの所にはイキマセンと仰っているので
そればかりはどーにも仕方ないのでありました。まる。
9月28日
598スピーカーとはなんだったのか?
1980年代中盤に59.800円(1本)の価格帯が激戦区になった。
それについては有名な話だし、今更触れるのもと思うのだが改めて振り返ってみたいと思った。
一応その始まりは1985年のオンキョーD-77とされている。
このハイCPスピーカーがヒットして、各社一斉にこの価格帯に注力したというのだ。
本当だろうか?
例えば1984年の段階でもケンウッドLS-990A。ダイヤトーンDS-73DU。パイオニアS-180D。
ヤマハNS-500Mなどがあった。
1985年にはソニーAPM-66ESもある。
いずれも重量は20s越で貫禄は十分。
そう考えるとオンキョーD-77から598戦争が始まったと断言するのは難しい。
だが、ここは一応俗説に従っておこう。
おそらく、正確にはオンキョーD-77が598戦争に火をつけたのだ。
598スピーカーに共通するものといえば30センチ級のウーファーを持った3WAYであること。
そしてキャビネットが強靭無比で重量が20キロ級。どちらかというと30キロ寄りということ。
プロポーションとしては高さが70センチ弱。幅が40センチ弱。奥行きが35センチくらいということで似通っている。
ユニットも凝りに凝っていてカーボン、ボロン、チタンと、今だとゴルフクラブと間違えられそうな単語が飛び交う。
技術の粋を集めて開発というかんじで、電子立国、技術立国日本の面目躍如である。
本来だったら10万円以上でもおかしくない物を598で売るということで壮絶な戦争が繰り広げられるが
当然勝者なんて居るはずが無い。なにかで圧倒的な差をつけて他社を全部けり落とすというのならハイCP競争も良いが
全社一斉に威信を掛けてとなればそんな事が出来るものか。
ということでこの戦争は1988年頃を最後に収束に向かったといわれる。
結果残ったものはというと…
1、どのスピーカーも顔からプロポーションまで見分けが付かない状態で日本製品の没個性、横並びここに極まれりという風評。
2、本来25センチ級ウーファー用のキャビネットに30センチクラスを押し込めたので相対的に低音不足ハイ上がりの突っ張りサウンドになったという風評。
…なのだが果たして本当だろうか?
ひねくれ者としては、そういわれると首を傾げたくなる。
だから敢て風評という単語を使ってみた。
そんなに悪いものなのだろうか?
ちょうど試す機会を得ることが出来たので、ここによっしー流598スピーカー検証記を始めてみたいと思う次第。
9月29日
"大型のオーディオ販売店の、スピーカーが展示された一角で、奇妙なことが起こっている。
壁一面に山積みされたスピーカーが全部同じなのだ”
これは別冊FMfan51号(1986年秋号)における傳先生の一文だ。
要するにみんな同じで没個性、という事を言っているわけだが"壁一面に…”なんてとこに時代を感じる。
今やそんなコーナーは探しても見つからない。
しかし、まあなるほど、と言いたくなるくらい当時のスピーカー達は顔つきが似ている。
パッと見て、これはヤマハ。これはオンキョーと言い当てられたら博士呼ばわりされそうである。
どうしてか一つ方向に走ってしまうというのは企業に良くある話で、それだけ多くのメーカーがオーディオに参入していた証といえる。
特に日本では横並びを美とする傾向があるので、そうなり易いというのはあるのだろう。
598と限らず皆似た感じ。
でも、まあスピーカーなんて個性を出しにくい物だろうといいたくなる。
まず、形は四角になる。これは生産性を考えたらそうなる。奇抜な形のスピーカーというのは実際問題扱いにくい。
何より作りにくい。
30センチウーファーをベースにするのも昔からの話で、1980年代に急にそうなったわけではない。
'70年代当時から、ユーザーは20センチよりは25センチ。25センチよりは30センチと"大きいことは良い事だ”路線だったのだ。
さすがに35センチ38センチとなると難しくなるから30センチ路線は妥当と言えよう。
問題はキャビネットサイズで、なるほどもう少し大きい方が良いだろうと思ってしまう。
この辺りは確かに70年代の物の方がユニットに見合ったボディサイズだったと思う。
なぜ違いが出たかというと、'70年代物だとその辺の物はフロアー型と呼ばれる、床に直置きをして使うタイプだったのが
'80年代はブックシェルフ型オンパレードとなったからといえる。
400弱W×700H×400弱Dでは既にブックシェルフとは言えないのだが各社そうなった。
現実問題本棚には入らないし、床に直置きは出来ない(高さが合わない)のでスタンドに載せることになるので
その分縦長キャビネットにしてフロアー型にすればよかったじゃないかと言いたいが、
とにかく一旦流れが出来てしまうとどうにもならないのだろう。
あるいはヤマハNS-1000M。いわゆる1000モニターがブックシェルフ型で、その後登場したライバル達が
どうしてもその牙城を崩すことが出来なかったのが遠因なのかもしれない。
そう考えると1000M恐るべしである。
9月30日
次にオーディオジャーナリズムと598スピーカーの関わり方について。
関わり方も何も新製品が出てきたら取り上げて相手にするのが仕事だというのがまず前提。
ただ、例えば598スピーカーについて、"果たしてこれで良いのか?”という想いは各誌あるいは各氏あったのも確か。
だから"関わり方”に目が行く。
この時に愛想を付かしたという人もいるが、それはさておき最もわかりやすく"違う路線もあるよ”と提示し続けたのが
前出の傳先生。
別冊FMfan誌の読者訪問では積極的に小型スピーカーを持ち込んだし、パジェットハイファイと銘打って
小粋で音が良いシステムを構築してみせるコーナーも展開した。
このパジェットハイファイの企画は別冊Fan誌がAV FRONTに切り替わっても継続された。
別の観点から行くと長岡先生の長岡節などはこの頃の風潮にはベストマッチ。
分解してはマグネットサイズやらネットワークの素材からキャビネットの構成までを解説するというやり方は
昔からなのだが、物量投入花盛りのこの頃は、本当にその論調が時代にマッチしていたと思わざるを得ない。
逆に言うと、長岡先生の論調にメーカーも負けずと合わせて来た感もあって、そう考えると凄いもんだ。
現実には物量投入=良い音。良い音楽を奏でる装置ではない訳だが、氏はある時以降一貫して
"材料を選び、手間隙掛けて丁寧に作られた製品は使いこなしできっと良い音がしてくれるはずだ”
という事で主観的な音の表現の伝達以上に、そのコンストラクションの紹介などにページを割いてきた訳で
これは製品というものに対する配慮、あるいは愛情であるので、そこは間違って解釈してはいけない。
いずれにしても'88年頃をもって598スピーカーの戦争も、798アンプの戦争も終焉を迎える。
いつまでも続くわけが無いのだ。