オーディオ専用電源

8月1日

…ということでTW-3301AMを載っけてみた。


8月2日

TW-3301AMってなんだ?

ダイヤのツイーターであろうことはお察し頂けよう。

実はこれ、DS-301に採用されているスーパーツイーターなのだ。

哀れDS-301は解体?

そんなことはしない。

以前、もし断線でもしたらと心配になり
予備があると良いかも、とオークションで落札してしまったのだ。

で、当然出番は無い(笑)

無くて良いのだがずっと転がしっぱなしというのも
酷い話しだ。

そこで思い当たってFE-108S共鳴管に載せてみることにした。

音は?

載せた瞬間、しまった!と思った。

実は能率が全く合わないのだ。

FE-108Sみたいな超高能率フルレンジとの組み合わせでは
あるか無いかわからないような鳴り方。

やっちまった!と思ったが、そこはそれ、AVアンプを使っているから
スーパーツイーター単体で、出力を12dB上げるも下げるも自由自在。
(一種のマルチアンプと同じなのでして)

さすがに10dBも上げれば大抵の物が追いついてくる。

めでたしめでたしなのだが
音についての検証は不十分。
時間が短すぎる。

もう少し私に時間をください



話しは変わって7月31日日経新聞夕刊より。

それによると女性ライダーはこの10年間で1.5倍
男性ライダーは三分の二。

なるほど女子は元気で男はそれに逆行ということか。

男がバイクに乗らなくてもなんとも思わない。
それはそれで良い。

女性ライダーの増加は歓迎だ。

別にこれも下心あってのことじゃない。

単純に格好良いと思うからだ。

20年位前だと彼氏がライダーでその後を追い掛ける形で
走るみたいなスタンスが多かった。

今はきっと違うのだろう。

どんどんそうして欲しい。
繰り返しだけど、格好良いぞ♪

排気量はなんでもよい。
ただ、ギア付きに乗って欲しいな。
スクーターは男に任せておこう。

あ、それから30年前の原付で走るおじさんには
優しくして
欲しい。

それだけはお願いします。


8月5日

暑くて知的作業をやる気になれない?

実は水面下では色々あるのだが報告はしばらく後で。



さて、バイクも古いがメットも古い(汗)

このヘルメット、見る人が見ればわかるがアライのSZ
それも初代だ。
ラベルを見たら1988年製となっている。
22年落ち。

もっと酷い状態になっているかと恐る恐る引っ張り出したが
案外まともでビックリ。

内装もほぼ無事。フィールも変わっていない。

…とは言っても20年以上経過したヘルメットでは賞味期限切れだろうな、多分。


8月6日

誰にも原点みたいな物がある。



随分長いこと探していた雑誌に再会できた。

スイングジャーナル 最新オーディオプラン'76

1976年の6月頃に発売になったものだ。
定価1.500円。

この春、オーディオに目覚めたよっしーにとって
この雑誌は眩しいばかりの物だった。

しかし中学二年生にとって1.500円は大金。
どうしても買う事が出来ず、一夏の間毎日毎日書店に通って
立ち読みを続けた。

それでほぼ暗記する位読んだところで(笑)
結局買ったのだ。

その後10年くらいはこの雑誌はよっしーの手元にあったはずで
途中からページがバラバラになってしまったのを覚えている。

(結婚のタイミングで処分してしまったようだ)



長岡先生との出逢いも、ここが初めてだったと思う。

ご存じの通り、スイングジャーナルのこの臨時増刊では
各評論家が様々な価格帯で、いろいろな組み合わせプランを展開する。

この号でも一番高い組み合わせは389万円

現在の貨幣価値で700〜800万円相当くらいだろうか。
唖然としたことを覚えている。

対してローエンドは8万円
それを担当していたのが長岡先生で、思いっきり親しみを覚えたものだ。

その8万円のプランも暗記していたから笑ってしまうが
プレーヤーがビクターJL-A25Mというセミオート機。
アンプが、同JA-S11で298。
スピーカーがふるっていてOTTO SX111Dという週刊誌サイズで8.900円(1本)
というもの。
プレーヤーやアンプはケチっても限界があるが
スピーカーは一本5千円くらいから実用になる。
それにどんな安物のスピーカーを使ってもレコードを痛めることはない、
という長岡氏の主張に、中学生だったよっしーは大変胸を打たれた?

また、当時よっしーが持っていたのが、JL-F35MJA-S31だったことも
親近感を覚えた理由のひとつ。

OTTOのスピーカーも長岡先生お気に入りの一本
先月末取り上げた1978年のGUT'Sの組み合わせでも使っていた。
その時はプレーヤーがソニーPS-X2。アンプがヤマハCA-Z1だったが
これは二年の流れがあったからで、アンプはJA-S11SA-6600MK2
あればそれでもよい。とか
プレーヤーも音だけならJL-F35Mの方が良いが…としているのが印象的。

実際この時のビクターのアンプ、JA-S××シリーズは名器揃いだったと思うし、
プレーヤーのJL-シリーズも隠れ名器揃いだった。
今でもJL-F35とか45は手に入れてみたい一台だ。

…という話しはさておいて、今僕の心は1976年のあの夏にトリップしている。

夏というのは様々な思い出が生まれる季節だ。
それらは非常に個人的なものではあるが
あるいは共時性みたいな物もあるんじゃないか?と思っている。


8月7日



築40年余の家に住んでいると色々不自由はある。

その際たるものが電気の容量不足。及び回路不足だ。

30A、四回路というのは現代ではいかにも少ない。

お陰でブレーカーがよく落ちる。

これはもう本当に困った問題だ。

例えばエアコンを使いたいと思っても
安心してなんかとても使えない。



苦節何年か忘れたくらいだが、先日ついに電気容量をアップした。

40Aクラスからその上への変更は簡単だが
30Aからの変更だと引き込み線から交換ということで
費用が馬鹿にならない
それがネックで長い間不便に耐えてきたが、
そんな生活と遂におさらばだ。

よっしーの試算では100Aとは言わないまでも80Aくらいまで
アップしないとダメと思われたのだが
結論を言えば50Aで留まっている。
わずか20Aのアップ。
ただし14回路と回路数は大幅アップ。
実はこれが大切で、配電盤も実に立派な物に入れ替わった。

(続く)


8月8日



話しは真っ直ぐ進まない。

初代マイバイク。CB50JXの写真。

訳あって古いアルバムを繰っていたら見つかった。
撮影は昭和54年のお正月らしい。



どうでも良い人には誠にどうでも良いが
まあモデルチェンジ後のCB50JX-1、同JXとは随分な違いだ。

スタイリッシュさという点で遠く及ばない
まあ1974当時としては最先端だったのだろうが。
フロントフォークのラバーブーツが気に入らない。
メッキフェンダーが気に入らない。
メガフォンでないマフラーが気に入らない。
ということで個人的には気に入らないことだらけだったCB50JX。
しかしこのバイクに教えられたことは多い。

でも、一番の教訓は、どんなにお金が無くても
気に入らない物は買ってはいけないということだったかも。

お陰でその後よっしーの物に対する拘りはもの凄くなり、
気に入る物に出逢うまで絶対妥協しなくなったのでありました。

追伸:古いアルバムを引っ張り出したりしたのは
プチ同窓会があったから。

プリントしていった林間学校の写真と
修学旅行の写真は大いに場を盛り上げたのでありました。


8月9日



夏はやはり過去にも思いを馳せるシーズンなのかもしれない。

プチ同窓会

同窓会というか昔の知り合いに久し振りに逢うなどというのは
思いっきり苦手な方なのだが、小学校卒業以来の担任の先生に会えるという
ことで腰を上げる。

本当にプチ同窓会で、先生以外の生徒衆は奇しくも小学校、中学校、高校と
同じところに進んだメンバーだったので割とリラックス出来た。

上の写真はそれに併せてコピーしていったもの。

箱根日光
あるエリアの小学校5年生および6年生なら
必ずといってよいほどここに行っただろう、という場所。

手間を掛けた甲斐があって、この二枚の写真で盛り上がれた。

今となっては名前も思い出せないメンバーが多いのだが
それは僕がその頃から割と狭いメンバーと深くつきあうという
タイプだったから、というのもある。

それと、女の子については口もきいたかどうか覚えていない
というのがある。
奥手とかそういうのではなく、当時の小学生なんてのは
そんなもんだったと思う。

それにしても、この輝きはどうだ。
全員がキラキラと光を発しているかのようだ。


よっしーの部屋は基本的にオーディオの話題が主体なので
よっしーがその趣味に手を染める中学以前の話題は出てこない。
だからこれまで小学生ネタは無かった。

しかしさすが小学生の笑顔は凄い。
思春期前屈託の無さ

そんな事を思い返す一方、当時出逢った異能の天才のことも想う。

よっしーは当時漫画家志望だったのだが
五年生の時に出逢った彼の作品を見て激しく嫉妬したのを覚えている。
全く勝負にならないと想ったものだ。

その後彼を巻き込んで同人誌を六年生にして発刊した。
そしてそれは10数巻全て、今もよっしーが保管している。

彼も来るのかな?と思い同人誌も引っ張り出して
読み返したが、改めてその凄さにしびれてしまった。

これは小学生の作品ではない。
ぶっ飛びの天才だ。

…以上諸々含めて、今もう一度一同が集まったらどうなのか?
叶わぬ夢と思いながらも想像してしまう。

逢わないのが花という部分も多いだろう。
37年の歳月は人間を変える

だが、逢ってみたいと猛然と思ってしまう。

同じ笑顔を見せてくれるだろう。

ほら、あの時こんな事があってあんな事があって…

あの時のようにわけもなく熱狂しながら話し合えたら
どんなにか素敵だろう。


8月12日



懐かしついでにもう一発いっておこうか。

写真はちょうど26年前のもの。

1984年8月12日、札幌駅前。僕はそこにいた。

前日より駅前で宿泊。
…ようするに雑魚寝していたのだが
に悩まされて眠れず、しかも稚内へと向かう道は曇天でもの凄く寒い。
「やっぱり駅前でなど寝るものじゃない」と後悔したものだ。

さて、この夏のツーリングは延々三週間にも及ぶものだった。
そのほとんどを北海道内で過ごしたのだが
今振り返っても夢のような旅だったとつくづく思う。

もう二度とあのような旅は出来まい。
それは体力とか時間的制約の問題ではなく
自分の内面の問題だ。

だから再現不能なのだ。
人間というのは完全に同じ気持ちに再びなることは
まず出来ない生き物だと思う。
故に思い出というのは下手に弄らない方が良いともいえる。

この一年後にも同じように北の大地を訪れたが、
やはり同じ旅にはならなかった。
それは自分が社会人になるという大きな節目をくぐったからなのだが、
自分で自分に寂しさを覚えたものだった。

追伸だが翌年というのは1985年であり、
1985年8月12日は日航ジャンボの事故があった日だ。

1984年と1985年。わずか一年の違いで北海道を訪れるライダーの数は急増。
青函連絡船に乗ることが出来ず青森で足止めを喰い、
やっと12日夕刻の船で函館に渡ることが出来たのだった。

宿泊先の大沼ユースホステルから自宅に掛けた電話で
僕は事故を知った

「九ちゃん死んじゃったのよ」と電話口に出た母が伝えてくれた。
僕はその時ぶっきらぼーな返事をしたのだと思うが、
旅先にいる息子と、事故に遭われた方の事をラップして想ったのは
今となれば想像に難くない。

つくづく申し訳ない事をしたと思うが、孝行したい時親は無し、の典型だ。


8月13日

こんな物見せられても…って感じですが、先日の電気工事の時の写真。

かなりあちこち剥がすのかな?と思っていたら
開けたのは天井に一カ所(点検口になった)と二階の床に二カ所だけだった。
二階の床というのは和室の畳の下だからその後の事も問題なし。

それだけで10箇所以上の新設コンセントが出来てしまうのだから凄い。

LANも引き回され、TVの配線(未だにアナログなもので
近未来?のデジタル対応を引き回して貰った)もなされ、
これで当分大丈夫?

しかし電気屋さん曰く、昔々はコンセントというのは
一部屋に一つ
が基準だった。
それが二つになり三つになりと増加の一途。
我が家もそんなもんだった。
(二度の改築で若干増えていたが)

それだけ我々の生活において電気が重要になってきたということだ。

もし電気がアウトになってしまうと??

実は先々月だったか、何十年ぶりに停電を経験した。

家々の玄関が開き、ぞろぞろと人が出て来る。
わあ、真っ暗になると星が綺麗!」…というほど田舎ではないので
それはなかったが、まあ本当に何にも出来ないという感じ。

セキュリティのある家も停電になってしまうとどうなるのか?

まあオーディオどころじゃない、ってことです。


8月14日



天才(と勝手に僕が決めているが、まあ間違いはない)の家を尋ねた。

…もちろん彼はとっくにそこにいないのはわかっている。
ただ、実家が残っていれば、と思ったのだ。

突然思い立って寄ったものの、正確に何号室か覚えているわけもなく、
それらしい家は発見出来なかった。

ただ、風景はほとんど変わっていなかった。

彼の家から見て夕陽が沈む方角に僕の家がある。
倍率の高い望遠鏡があれば我が家の屋根が見えるはず。

僕の家で遊んだ後、彼をここまで送る。
そうすると彼が今度は僕を送ってしまう。
…要するに振り出しに戻ってしまう…

負けずと再び僕が彼を送る。
しかし彼も負けずに送り返す。

たいてい僕の方が根負けするのだが
二人ともある意味大変な負けず嫌いだった。

何でも良いけど今回こんな奇妙な行動が取れたのも
CB50のお陰だ。

歩いて行くにはいささか遠い。
車で行くのは不似合い。
そんな場所に行くには小さいバイクが最高なのさ。

しかし、二人で本当によく遊んだな〜…



8月15日

8月というのは独特な月だと思っている。
夏だ、暑いぞ、野外だ。スポーツだ。汗をかこう!
というのもあるのだが、一方で妙に精神的な季節だという気がする。

それもその筈で、考えてみると(考えてみなくても)
お盆があるではありませんか。

そして終戦というのもある。

あるいは非常に個人的なことなのだが、8月というのは
よっしー家に過去数回、衝撃的なことが起きた月でもあるから
尚のことなのだ。



そんなわけで(ということは全くないのだが)お墓参りに行ってきた。

別にお墓参りくらい年に数回は行くので珍しいことではないが、
行ってきたものは行ってきたのです。

渋滞を避けて、電車。そしてもの凄く珍しくバスなんか乗り継いで
目的地に向かう。

幸いカンカン照りではなかったこともあり
緑が美しい。

なんというか、比較的近隣に、こんなに素晴らしい場所があるのだと
改めて
思ってしまった。

で、バス、電車も良いのだが、やっぱり最良なのは
バイク
だろうな、と本当に思った。

適切なのは125ccまでのスリムなバイク。
当然単気筒か、せいぜいツインということになる。

それらで走り抜けるのが、この緑の道ではベスト。

高速が使えないのが泣き所だが、急がないようにして、
楽に日帰り出来る距離でもって一泊なんてする方がお洒落だろう。

?オマエはちっとも精神的じゃないな、と言われそうだが
最適な乗り物を見つけて、緑の中を走るというのは
とっても精神的なことだと思う。

そして、やはり目からも耳からも、良いものを入れたい。

それこそが、祖先に対する最大の供養な気がする。

 「お陰様で良いものを観て、読んで、良い音楽聴いています
と言って感謝するのが一番良いのではあるまいか。


8月17日



大枚はたいて(よっしーにとっては、だ)電気工事をして
ブレーカーは落ちなくなったし、エアコンも二基増えて快適快適。

…というかよくぞ今までエアコン抜きで過ごしたもんだ(45年間も)。

家族も大満足

しかし、好事魔多し。
(言葉使いが間違っている…)
一番古いエアコンがダウンしている。

16年落ちのエアコンでは修理も難しいし、トータルで考えたら
絶対入れ替えが良い。

でも、もう財布は空なのだ。

そこで自分で弄ってみることにする。

もちろん本当はこういうことはやらない方が良い。

ただ、好奇心を抑えきれない。

ザッとネットで知識を仕込んで、室外機の基板を外す。

この基板に問題があるかどうかわからない。
でも、これ以外だったらアウトなのでここしか手を出せない。

更にいうとやれるのは半田の手直しくらい。

ところが見るからに劣化している半田というのは見つけられない

それでも多少基板にストレスを加えて見てみると一カ所もろいところがあった。

そこを手直し。

…いや、ホントに手直し出来たのか、更に劣化させたのか
わからないが、その状態で基板を元に戻す。

スイッチオン!

…結論をいうと解決には至っていない

しかし妙なことに数日前はまったく機能しなかったのが
だましだましなら使える状態にまでは戻った??

なんだか訳がわからない??


改めて症状だが、スイッチオンして始動すると
しばらくしてリレーが作動して室外機が停止
当然冷房とはならず、室内機からは温風だけが吹いているというもの。

室外機基板のl
LEDが発するエラーコードを読みとると
過電流 コンプロック

過電流というのは何かが異常で過大な電気が流れてしまい
それで安全回路が働いて作動停止。

…という説明は当たっている様でいて正確さには欠ける。

電圧低下。その状態で機械に通常通りだけの仕事をさせようとすると
その分電流過多になってしまう。
許容範囲なら良いがそれを越えるといけないのは申すまでもない。
そこで過電流を検知すると保護回路(みたいなもの)が働く。

では具体的な原因は何??

それが一発でわかれば苦労はいらない。

まあしばらくにらめっこすることとする。


8月18日



家のエアコンだが、もちろん完調にはならない。

ただ、だましだましなら動いている。

この夏だけ乗り越えてくれれば十分だ。

しかしエアコン不調というとよっしーはを思い出す。

某車のクーラー
これが実に悩ませてくれた。

直った!と思ったらまた不調になったりと目まぐるしかった。
ガスという目に見えない物を相手にする難しさを思い知らされたものだ。

それに比べれば今回のは可愛い。

人間色々な経験をしておくものだと思う。

それにしても呆れた暑さで、オーディオをやる気には到底なれない。


8月23日



気持ち涼しくなったが、どーにもオーディオやる気にはなれない。

夜、CB50JXで初めて軽いツーリング。
と言っても距離は往復10キロ少々。

バイク仲間のI氏と某所で落ち合いお茶をするという
プチツーリング。

わかる人にはわかるが、I氏の愛車はスズキOR50
通称マメタンだ。

このカットだけ見ると、まるで1978年〜79年であり
到底2010年の物とは思えまい。


8月27日



ウチの長男はオタクである。
誰に似たのか“お家が大好き
学校に行っても寄り道もせず、「もう帰ってきたの?」と言いたくなるような
スピードで帰宅する。

誰に似たの…って、そりゃ誰かさんに決まっているな、こりゃ。

その長男が、数日前の夜、突然リュックを背負って出掛けた。
「ちょっと旅に出る」と言って出掛けたが、要するにちょっと外出するだけだと
思っていた。

…が、帰宅しないので家人がメールしてみると本当に遠くまで出掛けたのであった。

そんなの別にネタにもならん、と言われそうだが我が家にしてみれば
一大事件だ。
いや、もちろん心配はしなかったし勝手にすれば良いという気持ち。
ただ、あの“お家大好き”が家を空けたということが信じがたかった。

お陰様で無事帰宅

で、ぶったまげたのが家人一人一人に対しおみやげがあったこと。

アタシ初めて彼からおみやげもらいました。

ということでそれだけなのだが、感激したので思わずアップ。

考えてみるとよっしーも同じ頃友達とどこかへと出かけた事があった。

また、この8月27日という日は、先日ちょっとアップしたが
26年前に行った初の北海道ツーリングから帰って来る途中の日だった事を思い出した。

26日に函館を出て、青函連絡船で青森に渡った。
本州の土を踏んだらもうダメだ。一刻も早く家に帰りたい!

青森から太平洋岸をひた走るが八戸でストップ。
誰もいないキャンプ場に一人で泊まって、翌27日の朝5時に走り始める。

しかしさすがに関東は遠い。
仙台で夕方。
福島県に入った辺りで日は暮れる。

夜通し走って帰るつもりだったが、真っ暗なあぜ道みたいなところを
走っているとヘッドライト目がけて虫の大群が飛んで来るのに辟易してしまった。

今更宿なんか見つからないし、キャンプ場も無い。
野宿は嫌だな〜と思いながら取り敢えず入った食堂で、
おお、それならウチに泊まって行けや。もう店も閉めるし」と
言われて感激。

ただ、さすがに見知らぬ人の家に泊まるのは気が引けて固辞していたら
軽のワンボックスカーを貸してくれた。
その中で寝袋にくるまって寝た。

翌朝お礼の手紙を置いて、4時くらいにスタート。

さすがに今度は家までたどり着く。

三週間ぶりに戻った自分の部屋は、思いっきり新鮮だった。

まあ青春はそんなことを繰り返すのだ。

それで良いのだし、そんな気持ちを忘れてはいけない。

八月は色々あって然るべき季節。
その八月も間もなく終わる。

ただ、この暑さは当分終わりそうもない。

どーにもオーディオが再開出来ない。
仕方ないかもね。



8月29日

ひさびさにオーディオネタ。



よっしーの手元に、珍しく新品CDがある。

月夜琴」。
リラ・コスモスの演奏。

実に寄寓なのだが、演奏者のお一人と知り合いなのです。

で、こちらがファーストCDなのだが、録音がなんと小川洋さん

「よっしーさん小川さんとお知り合いなんですって?」
と訊かれて驚いたのだが、
逆にいうと、「なぜアナタが小川さんをご存じ?」ということで
よくよく聞いたらCDの作成をして貰ったというので二度ビックリ。

*註:小川洋さんには11年前にオーディオベーシック誌の読者訪問で
拙宅にお越し頂き
、その後よっしーが小川さん宅にお邪魔したりしています。

それはさておき、このCD、ゲルトナーライアーという珍しい楽器の
演奏が収められている。

2009年10月13日、14日。
横浜市旭区民文化センター・サンハートで録音。
無指向性ワンポイントマイクで録音ということで
臨場感最高。
演奏ノイズまで含めて自然体で取り込んでいる。

わざわざ、”エコーはかけていません”と但し書きがあるのだが
そう書きたくなるくらいナチュラルエコーが綺麗に掛かっているのだ。
実に小川さんらしい録音。


また、以上を別としても、このライアーという楽器の音色は癒し効果抜群。
(実は以前生で聞かせて頂いたことがある)
変な意味でなく眠くなる。

ショップのBGMなどにも最適だと思えるので
ご興味ある方はこちらからどうぞ


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