7月1日
どえらく貧乏臭いオーディオをやっていると我ながら思う。
しかししかし、太古のユニットを引っ張り出して、段ボール箱に納めてみたり、
あるいは廃材を切ったり貼ったりしてスピーカーを作ってみたりすると
オーディオってなんて楽しいんだろう?と再確認する。
まあ僕だっていつかはステレオサウンドに出て来るような機器に囲まれて暮らしてみたいと思うし、
そういう野望も捨ててはいない。
でも、お金を掛けないなら掛けないなりの、恐ろしく面白い世界が一方にあるのも
確かだと、今ならj自信を持って言える。
実に面白い。
そんな風に言えるのは、一つには自分が経験を積んできたからだというのがある。
そしてもう一つは、やはりインターネットにより、色々な楽しみ方をしている人達がいることを
しっかりと確認出来るから、というのがある。
ひたすら小口径フルレンジで様々なキャビネットを作って楽しむ人がいる。
あるいはメーカー製スピーカーをリペアし続けて楽しむ人がいる。
皆さんもう本当に凄い業師だ。
それがあっちからこっちから発信されているんだから堪らない。
つくづく良い時代ではないかと思う。
オーディオの衰退、などという事がまことしやかに言われるが、
衰退したのはあくまでも商業ベースのオーディオであり、
オーディオという趣味そのものは少しも衰退していないのでは無いか?
そして同じ事が、色々な分野で言える。
物が余り人が減れば、昔のままの商売をやろうとしたって、それは上手く行くはずがない。
もう本当にそういう幻想からは逃れた方が良い。
といわれても、それぞれ事情があるからそうは簡単に変えられません、というのもわかるが、
作り手主導で人々を踊らせる時代は終わったのではないか。
「昔はお金が無いから自作をしていたが、最近は自作の方が金がかかる」と苦笑されていた
ベテランマニアの方がいた。
別に自作は貧乏人がやることと決まった訳ではないから、それはそれで良い。
しかしバブルの絶頂期から数えて20年近く経つと、最近の自作は本来の貧乏くささを発揮しているみたいで
実に頼もしい?
そんなに正確に自作ワールドを見つめてきた訳ではないが、
例えば以前だと超強力限定ユニット指向。板厚厚め指向。高級材料指向みたいなのがもっと目立ったのが
(それらはそれらで、もちろん良い)
ここ最近はローコストユニット指向。リペアー指向。廃物再利用指向みたいな物が増えてきている気がする。
それらはそれらで十分良いのである。
いかにせんアンプ類など高価になりすぎたきらいがある。
セパレートアンプのローエンドが、プリ、メイン合わせて100万円に少々欠けるくらい、
などというのは一般常識に照らし合わせて、やはり高すぎるのだと思う。
せめて合わせて50万円くらいで、ハイエンドとは言わないが”いっぱし”の物が手に入った気になれないと
皆さん静かに笑いながらさようなら、みたいなことに、どうしたってなる。
カートリッジなんかも、数が出ないご時世だから、ちょっと良い物は、すぐに20万円30万円となるみたいだが
果たして買い手はそれで嬉しいかというと、そんな事は全くないだろう。
2万円〜5万円くらいで、ハイエンドとはもちろん言わないが、”ちょっとした優越感”に浸れる物が存在しないと
最初から諦めてしまう人だって多くなろうってもんではありません?
…と言われても作り手の側からすると、”勝手な事を言いなさんな”ってことになるのでしょうね。ごめんなさい。
しかし過去に物はたっぷり作ってしまったし、悪い?事にネットオークションなんかを通じて
それらの遺産が流通するのもこれまた簡単なのである。
こうなると益々新しい物が売れない。
実際僕が仕事で関わっている業界も同じ目にあっているのである。
ローコストでオーディオを楽しむには良い時代だ。
反面従来型の商売は難しい。
これは仕方ない事なのだが…
7月2日
ゾンビますます集う。
7月3日
フォステクスのスーパーツイーター、FT-90Hだ。
最初はD-55に載せ、その後ネッシーに載せていた。
説明の必要はないと思うが、超ロングセラーを続けたハイコストパフォーマンス器だ。
下を伸ばすと上も伸ばしたくなる?
そこでこれまた眠っていたツイーターが登場。
一般に高域を伸ばす方が簡単と言われる。
それはそうだ。ツイーター、あるいはスーパーツイーターを載せれば良いのだから。
しかし、極めて個人的な感想をいうと、スーパーウーファー、あるいはサブウーファーの
追加よりも、ツイーターの追加の方が難しいと感じる。
「低域はわかりやすく、高域はわかりにくい」
そう感じる私は変でしょうか?
これは“位相”の問題が大きいからだろう。
よっしーは我ながら位相に敏感なのか鈍感なのか、未だにわからない音ライフを送っている。
昔は悩みすぎて、D-55からFT-90Hを外してしまったことがある。
しかし、時は流れた。あらためてスーパーツイーターとつきあってみようと思う。
理屈はさておき、FE-108S共鳴管+FE-108Σ段ボール+YAMAHA YST-SW45システムは
トータルで低域たっぷり。ローエンドもそれなりに確保。
それに対して上はどうかというと、気のせいか伸びきっていない気がする。
そこでFT-90H降臨。
これをコンデンサー一個で繋ぐ。
コンデンサーはフォステクスのUΣで、値は0.47μF。
かなり高い帯域でのクロスとなるが、とにかくそれで繋ぐ。
で、それだけではおもしろくないので、このあとちょっとした遊びを披露しよう。
7月4日
ちょっとした遊び、といっても大したことはない。
…のだが一応説明する。
FT-90Hだが、能率が高いのでFE-208Sや208Σあたりにはアッテネーター無しで良いが、
FE-108Sに対してはちょっと出過ぎとなる気がする。
ここで通常ならアッテネーターが登場するし、手持ちにしょぼい?アッテネーターならある。
しかしどうも、このしょぼいアッテネーターが音質的ネックになる可能性がある。
第一盛大に絞るとなると、なんかエネルギーロスみたいで嬉しくない。
と、ここでAVアンプであるAVC-2870の背面を見ると、スピーカー端子がたくさん付いているでは
ありませんか。
AVアンプなのだからそりゃ当たり前?
でも、例えばサラウンドスピーカーの端子にFT-90Hを繋げば、アンプ側でそのチャンネルだけ独立して
下げることはもちろん、上げることだって簡単に出来るんじゃないか?と思い当たった。
実際そんな上手い話しがあるかどうか疑問だったが、やってみるとこれは可能。
サラウンドバックスピーカーの端子にFT-90Hを単独で繋いで、アンプ側で音量を上げ下げ出来る。
おお〜、これは快適。
考えてみるとこりゃ一種のマルチアンプだ♪
良いか悪いか?
少なくともしょぼいアッテネーターを介在させるより遙かに良さそうだ。
で、その成果は?
*7.1 STEREO モードにして使う。
これを2chステレオモードにするとツイーターがカットになる。
7月5日
で、その成果は?
まず予想に反してシャリシャリしない?
まるで素人だが、ホーンツイーターを追加した以上、“シャリシャリ”して欲しいではないか。
出過ぎて困った時の事を考えて、絞ることばかり考えていたのだが…
もっともコンデンサーが0.47ということはかなり高い方でのクロスになるのだから露骨には効かないのはわかる。
しかし予想外なのも事実。
そこでアンプ側で上げてみる。
さすがAVアンプ。各チャンネルプラスマイナス10dBの調整が可能。
で、思いっきり上げてみたりもするが釈然としない。
まあ焦っても仕方ない。90Hも起き抜けだ。
しばらくほったらかす事に決定。
やはりスーパーツイーターは難しい?
ツイーター関係で悩んだ時は外してしまうことだ、という気もする。
実際それも立派な選択肢。
しかし話しとしてはおもしろくも何ともない。
そこで以前より一度試してみたかった事を実行に移す。
なにかというと3Dツイーターだ。
7月6日
3Dツイーターってなんだ?
話しをわかりやすくするために長岡先生の文献を引用する。
先生設計のスピーカー。ケムンパスDの記事からだ。
"スワンで問題になったのはハイエンドだ。
ツイーターをつけたいという人が多い。
(中略)
実はそれ以上の問題がある。
左右のツイーター時間差、位相差だ。
左右のスピーカーとリスナーを正三角配置とし、一辺の長さを2bとする。
もしリスナーが左へ3aずれたとすると、左ツイーターから左耳までの距離と、
同右から右耳までの距離も約3aの差が生ずる。
この状態でセンター定位の音を聴くと、当然のことだがL、Rで位相差が出て来る。
位相差は1kHz以下では無視できる。
2.8kHzでは90度のずれなのでちょっと気になる。
5.7kHzでは逆相になるので大問題だ。
歪みが増え、耳ざわりの音になる。
特にセンター定位の信号に対して影響が大きい。
そこでL、Rのツイーターをセンターに集中してしまう。
こうすれば3aどころか10aずれてもツイーターから耳への距離差はゼロに近い。
位相差もゼロとみなせる。
ただ、問題もある。
ステレオ感がなくなってしまうのではないか。
フルレンジよりツイーターの方が耳に近くなるので、中低域と高域での時間差を生じるのではないか。
前者に対しては、ステレオの定位は主として中域に依存しているので低域と高域は
モノーラルでもよいという古典的な学説がある。
これが正しいかどうかは知らないが、デタラメでもないと思う。
現にこの学説によって3Dウーファーシステムが実現している。
とすれば3Dツイーターも可能なはずだ。
後者に対してはツイーターを遠ざけて円弧状配置とするとか、
L、Rのフルレンジの間隔を狭めて、正三角を鋭二等辺三角形とするといった手がある”
…ということで左右のセンターにFT-90Hを持ってくることにした。
センタースピーカーならぬセンターツイーター。
これはいかがなものか?
実験実証はこれからが本番だが、まず視覚的要素が結構ある、ということ。
センタースピーカー不要論というのもあるのだが、僕が5.1chマルチで
一番おもしろいと思ったのが、“センターが実像である”という点。
センター定位は虚像に頼るのがステレオの王道という説は確かにあるが
一方でセンターが虚像だから落ち着かないのだ、という見方も歴然とあるわけだ。
特にフルレンジ+スーパーツイーターなんてのは落ち着かないパターンの最右翼みたいなもの。
この点、まだウーファー+ツイーターの2WAYであるとか、3WAY、4WAYの方が落ち着くから面白い。
そこで鬼門?のスーパーツイーターをセンターに持ってきた。
するとまず、目が正面のツイーターに行くのだ。
これが妙な安心感を醸し出す。
「センター定位はこれで落ち着く」という一種の暗示が働くのである。
この効果は案外馬鹿にならない。
センターツイーター万歳?
*こちらがケムンパスD。
異様という人もいるだろうが、僕にはとってもキュートに見える。
7月7日
センタースピーカーは必要か不要か?
これは議論の分かれるところだ。
よっしーは極めていい加減な人間だから、あるならあれば良い。無いなら無いで良い、と思う。
優柔不断というか無責任な発言である。
しかしそう思っているものは仕方ない。人命にかかわる話しじゃないからどうでもよろしい。
しかし繰り返しになるがセンター定位が実像によるというのは大きなメリットだと思う。
長岡先生というとセンタースピーカー否定の先鋒みたいに思われているかもしれないが
一部ではセンタースピーカー的実験もやっていた。
わかりやすいところではマトリックススピーカーがある。
あれは左右の和信号が真っ正面から来る。
他にもF-16C他隠れた作品がある。
F-16Cは片チャンネルあたりツイーター6本、ウーファー2本を使うという変わり種だが
設計途中でこのスピーカー一本でも十分ステレオ機として実用になるということに気づかれている。
”通常のスピーカー配置では高音も左、右からやってくるが、これは首をわずかに左右に振っただけで
L、Rの位相が逆転、また逆転、たいへん聞き苦しいのである。
高音はモノーラルに近い形で真っ正面からくる方がよいのではないか。
実は、この問題に対してはマトリックススピーカーがひとつの回答になっているのである。
F-16Cを中央にセットしての試聴は、マトリックスと、逆オルソンと、音場スピーカーをミックスしたような
不思議な実験となった”
と書かれている。
なおF-16Cは1986年オーディオアクセサリー誌40号。
ケムンパスDは1987年ステレオ誌6月号が初出である。
アンサンブル型、音場型、マトリックスと非常に興味深い実験が、
初代スワン誕生後の1986年からしばらくの間繰り返されているのは興味深いことだ。
きちんと読み解けば、「なるほど、そういうことか」と頷けることがたくさんある。
7月8日
通り雨があって一気に涼しくなった夕暮れ。
こんな時は扉や窓を開け放って、風の音に耳を傾けるべきだろう。
隣家の団らんの声が聞こえる。
遊びに来ているのであろうお孫さん達の声。
食器の触れ合う音。
オーディオ馬鹿一代、は隙さえあれば音を出そうとする。
が、世の中にはスピーカーから出て来る音以外にも、
聴くべき音がたくさんある。
…などと思う夏の夕暮れ。
つかの間だろうが涼風が吹いている。
さて、スーパーツイーターは効いているのかどうか?
FT-90H。UΣの0.47だけで接続。
スーパーツイーターに耳を付けると、確かに鳴っているのがわかるのだが
リスニングポジションではいかが?
前に書いたようにAVアンプのサラウンドバックスピーカー端子に
FT-90Hは繋がれている。
ということでリモコンを使いAVC-2870のモードを7.1ステレオと2chステレオで切り替えると
それだけでFT-90Hはオン、オフ出来る仕組み。
これで切り替え試聴をするとどうだ!?
…なるほど〜、と思った。
先に言っておくがわずかな違いだ。
しかし、一番変わるのは…
なんと低音である…
スーパーツイーターFT-90Hを効かした時の方が、
なぜか低音がソリッドになるのである。
もちろんわずかに、なのだがこれには驚く。
なぜに超高域で働くスーパーツイーターで低域が引き締まるのか?
話しには訊いたことがあったが、実際に自分の部屋でそれが起きると
さすがに開いた口が塞がらない。
まあスーパーウーファー、またはサブウーファーの追加で
チェンバロやハープが艶やかになるのだから
その反対があっても不思議ではないのだが…
オーディオは面白い。
というか面白すぎる。
7月9日
スピーカーシステム、という言葉がある。
単にスピーカー、というのと何が違うのか?
多分厳密な定義は無い。
例えばフルレンジ一発のスピーカーを、スピーカーシステムというか?
きっと言わない。
これが3wayとか4wayだと、スピーカーシステムと言っても良い気がする。
何が言いたいのか?
今回よっしーが作ったのは10pフルレンジ一発のスピーカー。
これだけだとスピーカーシステムとは、多分言えない。
しかし、ここにサブウーファーが加わり、スーパーツイーターも加わった。
更にはリアスピーカーまで加わるとなるとこれはやっぱりスピーカーシステムだ。
7ユニットのスピーカーシステム。
というか、七つまとまって初めて一丁前の音になると考えている。
このやり方にはどんな良さがあるのか?
例えばメインスピーカーは、最初から低域ダラ下がりで
アンプによるバスブースト。及びサブウーファーの活躍を期待している。
それを、単体でフラットな特性狙いなどとすると、どういうことが起きるか?
PSTなどネットワークを駆使してフラットバランスを取るという方法が考えられるが
ネットワークが入ることの是非は問われるところだ。
あるいはキャビネットの工夫でフラットを狙うという考え方もある。
しかし低域を十分持ち上げるというのは、これまた厄介なことだ。
量感豊かな低音、というとバスレフやダブルバスレフが考えられる。
それぞれに良さがあると思うが、平面バッフルや後面解放箱。あるいは共鳴管にあるような
背圧にしばられない良さというのは減退するだろう。
当然音は変わる。
そう考えると、今回みたいなやり方も、それはそれで正しいのだ、と思える。
(実際には正しいも間違っているも。良いも悪いもないのだが)
サブウーファーにはフィルターアンプが入るが、これはこれで良い。
あくまでもネットワークを否定して、アコースティックフィルターでやろうと思った途端
サイズは半端で無くなる。
何より、(以前にも書いたが)手軽にカットオフ周波数や、ボリュームを変えられるサブウーファーというのは
アンプのトーンコントロールで調整を施すよりも遙かに使い勝手がよいものだ。
更には、サブウーファーが別体であるが故にメインスピーカーは、そのユニット、キャビネット共に
十分な低域再生という呪縛、及びその弊害から逃れられる。
そう考えると、このやり方のメリットは計り知れないものがある。
ついでに3Dツイーターも始めた。
実際には普通に右、左、と接続されたスーパーツイーターをセンターに集めただけなのだが
この様なお遊びが出来るのも自作ならでは、か。
スーパーツイーターはセンターに置いても良し、左右分けてメインスピーカーのキャビネットに載せても
(普通はそうする)良し。
なかなか面白い。またAVアンプの良さを活用して、一種のマルチアンプ?で鳴らしているから
レベル調整なんかお茶の子さいさい♪
とどめにリアスピーカーが来る。
これは味付けといえば味付けに過ぎないのだが、
(再三書いているように)たくさんの振動板から音が出るが故の厚み、みたいなものは
これまた他に代え難いテイストがあるものだ。
以上、なのだがこういう楽しみ方というのは自作ならでは、という気がしたので書いた。
もちろんメーカーでもこういうコンセプトの物は多数出ている。
わかりやすいところでは3Dシステムがそうだし、5.1のコンプリートシステム(アンプ込み)
なんてのもある。
でも、いわゆる冒険度というのはハンドメイド、オーダーメイドでやる方が遙かに高い。
当たり前だがメーカーは“まとまり”を最終的に重視する。(せざるを得ない)
それに対して個人が自分用に、道楽でやる分には結果が悪くても苦笑して済ますことが出来る。
この差はかなり大きい。
逆からいうと、安全第一。まともで堅気なオーディオをやりたかったらメーカー製品を買った方がお得ということ。
せっかく酔狂にも自作をするのなら、そんな路線を狙ってはいけない?
7月10日
私、AVアンプの味方です。
昔、私プロレスの味方です、という本があった。
もちろんそこからパクっている。
YAMAHA DSP-A1。DENON AVC-2870と立て続けに楽しみを与えてくれたから
感謝の気持ちとして、これくらいの事を言っても良いと思う。
現在DSP-A1はディスクリート5.1ch用。
AVC-2870はマトリックス用と棲み分けをしている。
なのでマトリックス漬けの今は2870が活躍。
ちょっと前に取り上げた、2870にも採用されているゲイン可変ボリュームだが以下のサイトが
わかりやすい=よっしーでも理解出来る↓
http://www002.upp.so-net.ne.jp/MY-products/MYsubSN.html
まあ世の中は何を持って良しとするか人それぞれだから諸説こもごもになる。
ゲイン可変ボリューム、というかゲイン可変プリアンプもメリットデメリット併せ持っている。
しかし圧倒的小音量再生をめざす、今のよっしーにとってはメリットの方が大きい。
とにかく静かである。
ただ、このボリュームのせいばかりでは無いと思うが、
このアンプはセパレート(メインにHMA-9500MK2を使用)で使ってみても
プリの支配力が大きくて良くも悪くも音が変化しない。
ちょっと気になるところだ。
そしてこの可変ゲインボリュームはデノンもピュアオーディオアンプでは非採用。
やっぱり音に問題が?
でも個人的には応援したい方式の一つだ。
私、AVアンプの味方です♪
7月11日
面白いソフトに出逢ったので紹介。
MY LITTLE LOVERが1998年に出したアルバム、「The Waters」だ。
曲はリミックスバージョン主体で7曲ということになっているが
CDトラックはなぜか28トラックもある?
要するに隠れトラックがたくさんあるということだ。
で、このアルバム、スピーカーマトリックスで聴くと実におもしろい。
というかどう考えてもスピーカーマトリックス、あるいはマトリックススピーカーを意識して
作ったとしか思えない(そんなことはあり得ないが)。
実にプログレッシブロック的仕上がり。
この奇妙さは聴いてみないとわからない。
そういう点を除いて、単純にMY LITTLE LOVERの音楽として聴くと
どうにもボーカルは聴き取りにくく、「どうなのかな?」と思ってしまうが
マトリックスを楽しむという点では最右翼の一枚。
MY LITTLE LOVERのファンの方は、是非スピーカーマトリックスにして聴き直して欲しい。
7月12日
ちょっと前の事だけど、これからはDVDオーディオ、
又はSACDでマルチのディスクを月一枚くらいづつ買って
しみじみとそれを楽しむ生活をしてみよう、と思っていた。
ところがスピーカーマトリックスが楽しい、となると
ディスクはMONOでなければ何でもオーケーだ。
大変結構なのだが、せっかくの意気込みが計画倒れに
なってしまいそうで、ちょっと寂しい。
7月13日
冬にAVをちょっとかじったのは来るべきサラウンド再生への
布石だった。
ところが音声がサラウンドになった途端に
映像はどこかへ飛んで行ってしまった。
思い立ってTV音声を引っ張ってみた。
これが案外地味なサラウンドだ。
FMの方がよっぽど派手?
サブウーファーも鳴っているかどうか怪しい位だ。
…それはさておきどんなにTVが小さくても
センタースピーカーと画面の位置はかぶる。
更に言うと10aのユニットを使ったこのシステムでも
マッチする画面サイズは80インチくらいな気がする。
中途半端にTVをサイズアップしてもどうにもならない。
…と言い訳して、いつまで経ってもTVを買わない私でした。
7月14日
面白楽しく機材を弄っているのは良いが環境整備がおろそかになっている。
環境整備といっても大したことじゃない。
要するに気持ちよく聴ける環境作りということだ。
そこで、というほどの事でもないが、5月に作ったベンチの改良をした。
改良と言っても本当に大したことじゃないのだが
座面を約9a深くした。
馬鹿らしい?
しかしそれだけで座り心地は俄然良くなる。
オーディオ装置は現在このベンチ中央で聴くのがベスト(な筈)となっているので
座り心地はかなり重要なのだ。
気のせいか(気のせいだが)音まで良くなった気がするから面白い。
7月15日
何とかの一つ覚えになりつつあるがスピーカーマトリックスは本当に面白い。
オーディオ小僧のなんとやら、だったか、アナログプレーヤーをガラードに換えたら
どんな盤も良く聞こえて、それまでオリジナル盤に拘ったりしていたのを
漁る必要が無くなってしまったという話しがあった。
意味合いは違うのだが、ソフトを選ばず楽しい気持ち、というのは共通している。
しかしこれじゃあ新しいソフトを買わないわけで、経済に貢献が出来ない?
7月17日
最近のトレンドはTV?
理由がある。
よっしー家ではエアコンをあまりつけない
↓
窓、および各部屋の仕切の扉は開け放っている
↓
リビングでTVがついていたらよっしーの部屋で別の音楽を掛けると
お互いが混ざってうるさい(音量の問題ではない)
↓
そこでよっしーの部屋でも同じ番組をつけると問題が起きない。
…ということでTVなのだが当然マトリックスで再生。
音の方なのだがチューナーの役割を果たすビデオデッキの音声出力の
キャラクターなのか、派手さのないナチュラルサラウンドだ。
もう少しギラギラしても良いかな?
それにしても画面がAVアンプの上とはいい加減極まりない。
しかし色々やったがこの位置がベストなので仕方ないかな。
ただしセンターツイーターだと画面がブロックしてしまうので
上手くない。
そのためツイーターは左右のキャビの上に移動。
やっぱり背エンタースピーカーはAVにむかない?
むくのはSACDやDVDオーディオの5.1ch再生のみだ?
「どうでも良いからエアコンつけろよ」とヤツの背中が語っている…
7月21日
写真はともかくCB50は格好良いだろう。
せっかくバイクを手に入れたのに、年が明けた途端
オーディオに狂って放置してしまった。
ごめんなさい。
しかしナンバーも付き、自賠責にも入った。
ということで公道を走ったのだ!
そもそもこの個体は程度が良かった。
良いに違いないと写真だけでわかったから落札したのだ。
今振り返ると、難しいこと言わなければガソリン入れてそのまま
走れた。
ただ、そーもいかない。
やったことを思い返してみよう。
1、タンクの錆び落とし
↓
はなさか爺で対処
2、燃料コックのガソリン洩れ
↓
非分解のコックを分解してパーツ交換
3、バッテリーが無かった
↓
バッテリーを買った
4、テールのWフィラメント球の内ストップじゃあない方が切れていた
↓
電球交換
…とこうかくと実にあっさりしたものだ。
でも、まあ書くのとやるのはエライ違いなのだが…
レストアが延び延びになったのは、結局オーディオン走ったからだ(汗)
よっしーはどうもほどほどと言うことを知らんのか、
バイクといったらバイク。オーディオといったらオーディオと
極端に走ってしまう。
まあ良い、完璧にはほど遠いコンディションなのだが
取り敢えず走ったのである。
…たってアナタ、何が起こるかわからないから
走ったって言ったって家の周囲をグルグルしただけなんだけどね(笑)
でも、かなり感動した。
これはホント。
キックをする。
ブロロロロー、とエンジンが掛かる。
クラッチを切って、ガチョン、とギアをローに入れる。
アクセルを開けてクラッチを繋ぐとバイクは前へ進むのだ。
当たり前?
そう当たり前。
でもねー、この一瞬景色は走り始めるのだよー。
四輪でも同じこと?
いやー、この違いたるや凄い違い。
お話しにならない。
スクーターではダメ。
クラッチが必要なのです。
自転車と似ている?
いやー、あれは全然違う。
やっぱりエンジン付きを操る快感はバイクでないと…
ブロロロロー、と走るのはCB50が4ストだから。
これがやっぱり良い。
タコメーターで見て4〜5千回転くらいのところで
トコトコ走るのがたまらなく良い。
2ストの小気味よさも理解しつつ、
やっぱり僕にとってのバイクは4ストなのだと思った。
常にけしかけられる様な気ぜわしさは
きっと愛せないのだ。
ちょっと心配したが真っ直ぐ走れる。
当たり前に思われるかもしれないが
これだけの年代物だとスポークのバランスが大幅に狂っていて
こりゃエライこっちゃ、なんてことだって十分ある。
エンジンの方は調整がこれからというところだが
ちゃんと回るのだからそれで良いのだ。
ブレーキ…は効かない(爆)
何しろ歴史に残る珍発明ともいえる
メカニカルディスク搭載のフロントだ。
更にリアドラムブレーキも、フィール最悪のカックンブレーキ状態だ。
これらは近日分解整備する予定。
それにしても制動の半分はエンジンブレーキ頼みという
CB50独特のフィーリングを久し振りに味わったなー。
タンク左ヘッドライト寄り下部に穴があった。
半田で塞いだつもりだが、ここが一番自信が持てないところ。
しばらく様子を見るが、基本的にこのタンクのやれ方が気に入っているので
板金はしても交換はしないつもり。
かなり悩まされた燃料コック。
過程を楽しむことを趣味という。
ということで本来非分解のコックを分解して
なかのゴムパーツを他車から流用して修復。
色々あったが洩れは止まった。
前オーナーは大変頭の良い方だったとお見受けする。
バイク全体のヤレ方が均質なのだ。
修理した後もそこかしこに散見するのだが
艶もあり、とっても愛せる状態。
素晴らしい。
そしてCB50は、やっぱりこの白+赤、紺のラインのバージョンに限る。
僕がどうしてもCB50JXに拘る理由はここにある。
これがCB50JX-1だと(僕は)ダメなんだよねー…
(線の太さとHONDAの文字の大きさが違う)
今回あらためて思ったのだがこのハンドル幅が絶品。
本当にしっくり来る。
次回の課題、要分解整備のメカニカルディスク。
取り敢えずCB50Sの油圧ディスクに交換する予定は無い♪
ということでした。
今日ももの凄い暑さだったのだが
外に出てバイクを弄っている方が遙かに(体感的に)
涼しいことに気がつく。
もちろん滅茶苦茶暑いのだが、時折頭から水を被ればOK。
&バイクに乗って走り始めれば爽やか。
夏はやっぱりインドアでは無いな…、うん。
7月22日
大変暑い夏だが、振り返ると夏は暑いものだったのだ。
もうとんとご無沙汰だが、昔々は遠くに出掛ける機会も多かった。
というか何かに取り憑かれたかのように遠出をしていた時期があった。
長期に渡るとさすがに家が恋しくなる。
首都圏が近づくと、もうダメだ。
最後の最後にこの角を曲がると我が家に帰り着ける。
思わずガッツポーズを取りたくなるポイントがここ。
だからワンショット撮った。
僕以外の人にはまるで意味のない写真なのだが。
7月23日
片岡義男さんの「湾岸道路」だったと思うが、
マルチシリンダーのツーリストを見た主人公が
「日本の夏には400の単気筒の方が似合うと思うけどなー」と
つぶやくシーンがあった。
片岡さんは実によくバイクをわかっていると、一人で喜んだ記憶がある。
まあつべこべ言いながら、その頃のよっしーのメインマシーンは
実に国産車の代表的な4サイクル4シリンダーだったのだが(笑)
しかし日本の夏には単気筒の方が合う。
譲っても2気筒までだ。
更に言わせて貰うと、ツーリングではなくちょい乗りだったら
125cc以下の小排気量車につきる。
体格や体力にもよるが、重いマシーンのサイドスタンドを払って、
ギアをローに入れた途端に、なんとも重苦しい気持ちになるものだ。
やはりこの酷暑の日本で、路地を走り始めるには、チャリンコ並の取り回しと
軽い操舵感が必要だ。
例えばアメリカあたりで夏の午後だったら400cc以上でも良いなと思う。
取り回しもクソもない。道も広くて交通量も無い。
目的のドラッグストアまで片道4キロ。
こんなんだったら中排気量車以上でないと逆に困る。
だが、日本の夏の昼下がり。幅員4b以下の路地からやおら走り出すには
125cc以下が最適となる。行く先は1キロ圏内のコンビニとなれば尚更だ。
7月26日
以前バイクの排気量をスピーカーユニットの口径に例えた覚えがある。
8aが50ccで10aが125cc。16aが250ccで20aが400cc。それ以上となると750クラスと
分類したかな?(良く覚えていない)
トータルでベストが250ccとするとスピーカーはロクハン=16aがベスト。
まあ間違ってはいないと思う。
しかし16aと20aは実は大差無い。20aの置ける部屋では16aだって置ける。
同様に250ccと400ccは似たり寄ったりのところがある。
実は振動板面積比で考えると10aの上は14aであるべきなのだが14aユニットというのは
ほとんどない。
12aは14aよりは数があるが、10a16aと比べると少数派。
バイクに例えると中間排気量車というところ。
中間排気量車というと135ccとか175ccとかがある。そういえば185ccや200ccなんてのもあった。
また350ccも中間排気量車と言えるし370cc、380ccなんて変わり種もある。
昔はそれらをひねくれた排気量と思っていたが(350ccは除く)
今考えると実に興味深いもの達であることに気づく。
スピーカーで14aというのは175〜200ccかな。
12aは135ccあたりか。
免許制度や税制の関係でそれらの排気量車がベストセラーになることはあり得ないのだが
今となると結構欲しい車達だ。
250でも大きすぎると思う人はいるはずだ。
車格的に125が好き。ただ、それだと高速に乗れない。そこで135cc?
あり得ない、と昔は考えていたが今ならあり得るかもしれない。
大人になったのかな?
いや、これは確実に大人になったのだと思う。
昔々は、やっぱり排気量が大きいのに乗りたかった。
あるいはスペックの高いものに乗りたかった。
目立つバイクに乗りたかった。
誰もがそんな感じだった。
それはそれで良いのだ。なんてったって、ああ、それが青春、なのだから。
でも、30年も経つと肩の力も抜ける。
それで新たな展開があるわけだ。
きっとオーディオも同じだと思う。
例えば小型スピーカーというのは
この30年の間に徐々に徐々にその地位を上げてきている。
しかし、残念ながら未だにどこか大型スピーカーこそ
本流で、あくまでも、「小型も」良いね、というノリが残る。
この種の呪縛がある限り、やっぱりオーディオは一部の人のものに留まり続けるだろう。
もちろん趣味のものなのだから一般大衆にこびることはない。
でも、例えば離島にマニアだけ隔離されてワイワイ騒いでいて
本当に楽しいのだろうか?というと考え込んでしまう。
何事も脱力が大事?
…と、非常に個人的なことを思い出した。
31年前、当時17歳だった僕は大変暑い島にいた。
今だったら死んじゃうかもしれない。
暑い夏だった。
そしてよっしーも元気だった。
ああ、それが青春、だったのである。
さて、今日も暑くなりそうだ…
7月27日
暑い日が続く。
こんな日は下手に室内にいない方が良い。
CB50だがテールランプが点かないという問題が残っていた。
ブレーキランプは点くのだがこのままでは夜間走行が出来ない。
ご覧の通り、雨水が浸入して、サビサビ。
電球のソケットもサビサビだからアースが落ちないようだ。
時間を見つけて磨く磨く…
が、どうしてもテールランプが点かない。
で、よーく見るとWフィランメントの内片方が切れている…
そりゃ点かないだろう。
しかしこの球、新品を買ってきたのだ。
さてはレギュレーターがパンク?
それにしては他の球が切れないのはおかしい。
新しい球を買ってきても良いが、また瞬時に断線したのでは
たまらない。
そこで!
思い立ってポジションランプをソケットごと引き抜いて結線。
…ちゃんと点灯する。
取り敢えず夜間走行可能になった。
そして配線その他はシロと判明。
だが、こりゃそのうちテール周り一式で落札しないとダメかもね?
そしてもう一つ。
アンプ?
いや、これエアコンの室外機の基盤です。
三機あるエアコンの内最も古い1994年製が不調。
直すより買い換えた方が良いのだが、滅多に使わないだけに
余計しゃくに触る。
半田クラックくらいだったら修理出来るかと見てみるが
そう簡単では無さそう。
赤のLEDはエラーコードを示すが
それによると過電流。コンプカットということ。
要するに何らかの電流異常があってコンプレッサーへの信号が
カットされるということか。
そりゃ冷えないわな。
起動直後は熱変換しているのだがすぐリレーの音がして
室外機は回らなくなる。
こっちは諦めよう、と思ったのだが、ハッと思い当たって
(我ながら良くひらめくヤツだ)
10A運転にしてみる。
するとちゃんと動き続けるではないか?
ちなみに10A運転とはセーブ運転みたいなもの。
しかしなぜに10A運転だと落ちない?
釈然としないが、全く動かないよりは遙かにマシなので
これはこれで良いことにする。
ただ、理由を知りたい気はするが…
7月28日
ある意味止まっているのだと思う時がある。
どの辺で止まったのかというと1979年説が一番強い。
もちろん前後多少の幅はある。
1976年〜1983年あたりの7年間。そこで止まっている気がする。
何が止まったのか?
よっしーの進歩。
…とした方が話しとしては面白いのだが、さすがにそれでは
まるで馬鹿ではないか。
ただ、まあ進歩が止まったと言っても良いのかもしれない。
趣味趣向。ものの考え方。
そう言ったもの達がその頃決まった気がする。
そのせいか、オーディオ装置もその頃の物が多い。
バイクも然りだ。
Z400FX、CB750F共に1979年のデビューで最終型が1982年頃出ている。
(限定車は除く)
CB50JXも1978年から1980年に売られていた。
前身のCB50-JX1が1976年デビュー。形は同じでカラーリングのみ異なる。
FM放送を聴いて育ったせいか、その後映像系には強い興味が持てないでいた。
と、自分のことを書いたが、きっと誰でも、そー言えばあの頃が俺の原点、
みたいな時期があると思う。
1970年代終盤というのはどんな時期だったのか。
とっても熱かった1970年代がソフトになり始めたのが1975年頃ではなかったかと思う。
1980年代へ向けて助走。そして1980年代が来る。
1980年代というのも自分にとって面白い時代ではあったと思うのだが、
やはりピンと来ないところが多い。
何か新しい衝撃を受けたのかというと、それは薄い。
7月31日
1978年という切り口で本棚を検索。
オーディオ誌もバイク誌もいささか飽きたのでこれをピックアップ。
gut's 1978年6月号。
よっしーは高校二年生だった。
表紙だがいきなり世良公則さん。若い!
もちろん「あんたのバラード」の楽譜も掲載されている。
他には原田真二さんで「黙示録」
八神純子さんで「思い出は美しすぎて」
アリスで「涙の誓い」
狩人「青春物語」
甲斐バンドで「吟遊詩人の唄」
どーです?懐かしくない?
(ないかな?)
1978年はこんな音楽が流れる年だった。
この年の夏。僕は酒屋さんのアルバイトをして
貯めたお金でCB50JX(1974年発売の旧モデル)と
ギターを買ったのだった。
片方しか買わなければバイクの方はCB50-JX1を買えたと思うのだが
青春は欲張りで、しかもうまいことバランスを取るもんなのだ。
しかし、バイクとギターというあたりがその後のよっしーの運命を決定している
気がする…