スピーカーマトリックス

6月1日

片岡義男さんを知らない、という人は少ない。

好きか嫌いかは別にして、だ。

片岡さんに関しては幾度かネタにさせて頂いたことがある。

片岡義男の物語に登場するのは、足のある幽霊だ
みたいな解説を書いた人がいたが言い得て妙だ。

いるような…。しかしこんな人間居ないよな、という独特の感想を、読む者持たされてしまう。

それらを“一種独特の世界”とかたづけてしまうのは簡単だが上手い言い回しではない。

しかし、ではどう表現したら適切なのか?と考えると、これが適当な言葉が出てこない。

これまで片岡さんの作品は数多く読んできた。
多作な人だから全部読破、なんて考えられないので、行き当たりばったり。出逢った物から読む、
というスタンスだ。

で、先日古本屋で写真にあるような一冊と対面した。
申し訳ない。100円である。



撮って、と被写体が囁く

表紙のイメージだと、ちょっと色っぽい感じを想像してしまうが内容はまるで違う。

どう違ってどういう内容なのかは実際に読んでみるしかない。

僕の書く小説は写真だ、と断言していい」―写真と映画フィルムから決定的な影響を受けて小説を書くことになった作家の写真論。
視点の人となった片岡義男の二十年に渡る私的な記録写真を計253点、CD‐ROMに収録し本書巻末に添付した。

と但し書きが付いているのだが内容は片岡義男さんと写真。あるいはカメラとの物語、あるいはエッセイということか。

こんな説明では説明になっていない、と己の表現力の無さに嫌気がさしてしまうが仕方ない。
読んでもらうのが一番早い。

そして、それら全てをさておいて、僕の心に残ったのは次のセンテンスだった。

中学一年生の夏に、僕は瀬戸内から東京に戻ってきた。
下北沢のすぐ近くに住むこととなった。
東京に戻った初日からずっと、東京都世田谷区というような場所に対して、僕には違和感があり続けた。
東京で生きる人のあいだでは、ごく幅の狭い目的が人生の早くからきまっていて、
生きていくのはその目的のたまであると、中学生ですら信じて疑わずにいるというような、
僕の感じ方に起因する違和感だ。
あらゆることがらに関して、東京では振幅の幅がひどく狭いように、僕には思えた。

東京に対して僕が持った違和感とは、いったいなにだったのか。

(中略)

違和感があるということは、東京都世田谷区の一角が、つまりそのときの自分の生活や
ありかた、状況などのすべてが、自分にとって現実になりきってはいなかった、ということではないのか。
どうしてそのようなことになったのか。
自分がその時までは成長していたからだ。
仮りの場所での仮りの出来事という思いは、東京に戻ってきた初日に、いっきに何段も増幅された。

10歳から20歳までを少年の時期と仮定すると、15歳を中心にして、少年期は前半と後半に分かれているような気がする。
東京へ戻ってきた僕は、少年期の前半のなかを、その後半に向かいつつあった。
成長とはなにか。僕について言うならもののとらえかたや考え方などのなかに、僕らしさが少しずつ顕著になっていく、
ということだ。

では、その僕らしさとはなになのか。
現実に対してもうひとつの現実を持つことだ

身辺にある現実だけですべて満ち足りた気持ちでいるなら、もうひとつの現実を頭のなかに想定する必要はどこにもないだろう。
想定したとしても、それはほんの趣味のようなものではないか、と僕は思う。
自分らしさの核とはならないはずだ。

戻って来て住み着いた東京に対して僕が違和感を抱いたとは、これだけが現実のすべてだとするわけにはいかないという
僕の自分らしさが土のなかから芽を出したということだ、と言っていい。
現実を見るとそこになにかかならず足りない部分を見る人、それが僕であるらしい。
足らない部分がもうひとつの現実を作るためのスペースとなる。

(中略)

現実に対する違和感は、もうひとつの現実を仮想するエネルギーとなり、そのエネルギーはやがて文章を書くことと結びついた。


6月4日

そうなのだ。必要があるから“もう一つの現実”を作るのだ。

もし今目の前にある一つの現実だけで満ち足りているのなら
そんなことをする必要は全くない。

“そうはいかない”という思い。
いや、思い程度では済まない、ある種の決断が、例えば物語を編み出す

もちろん片岡さんのように見事なまでに別の現実を書き出すことが出来る人は稀だ。

しかし、“もう一つの現実”を必要とする人は多い
あるいはほんとんど全ての人が“もう一つの現実”を必要としている。

今目の前にある“現実”とやらだけに目を向けていたら気が狂いそうだ
という人も少なくない。

そういう行為を“現実逃避”と名付けるのなら
それは半分その通りであり、半分は全く見当違いだ。

“現実逃避”という言葉の中には、今目の前にある現実こそが
最も重要な現実だ、と肯定して疑わない心構えを感じる。

しかし今目の前にある現実が最も大切だと誰が決めたのだろう?



ここで話しは片岡義男さんから、いきなりひろさちやさんへと行く。

ひろさんは、何が凄いといってほぼ同じネタで本を400冊も出してしまっている
ところが凄い(笑)

あまり簡単にまとめてしまうのはまずいのだが
ひろさんが一貫して説いているのも、一種の“現実逃避の勧め”なのだ。

世逃げのすすめ”とひろさんはいう。

これは世間から逃避する。世間の物差しから逃げ出し
自分の物差しを取り戻そうということだ。

世の中の“常識”とやらは本当に怖い
正確には“常識とやら”を唯一の価値観と信じて疑わないことが怖い。

言っておくが、“オーディオ界にも常識とされることが多いがそれは疑おう”とか
そんな話しではない。
世の中を疑い、時に正気の世界に戻る必要がある”というお話しだ。

実際僕も日中耳を疑うとか、目が点になる、とか
あるいは開いた口が塞がらず涎が垂れっぱなしになる、なんて場面に
出くわす。
…というかどうも出くわしっぱなしなのだ。

若き日のよっしーはもっと正直でまっすぐな奴だったので(笑)
そういう物を許せず、直球には剛直球で投げ返していたが
最近さすがに疲れを感じる。

しかし歳は取ってみるもので、体力が落ちた分知力(姑息さともいう)が
蓄えられてきた。

良いか悪いかわからないが、最近は目が点になり始めるや否や
全自動的に頭の中でスピーカーの設計や、今度の休日にオーディオでやるべきこと
浮かんで来るようになっている。

不謹慎でもなんでもない。そのような回路切り替えでもしないと
本当に頭がショートしてしまいそうなことが多すぎる。

これ以上僕を呆れかえらせないでおくれ」と言っても止まるものではないのだから
こちらから遮断する以外手がない。

おかげで正気を保てるが、最近はこの自動装置があまりに見事に動くものだから
人の話を聞いていない”という状況が多くなり
これはちょっとやばいかな?と思う事すら多くなっている。

行きすぎかな?

しかしそうでもないと、この狂気の世界を生き抜けない。

…ってことだけど一つだけ言っておくと
僕は別にオーディオを現実逃避の手段として取り組む対象にしているわけではない。
これはそもそも中学の頃から延々と続けている趣味なのだから。

まあなんでも良い。
皆さんの周りにある“現実”とやらが、まともであることを願って止まない。

しかしもしそうでないなら、頭がおかしくならない内に
オーディオのことなど自動的に考えられる装置を取り付けることをお勧めする。

ひろさんの本や片岡さんの本にも、もちろんそういう効能がある。


6月5日

いや〜、FMが聴けるって楽しいなー。

しつこいけどスピーカーマトリックスはFMにも最高。

今も聴いているけど、LED ZEPプレゼンスの特集だとさ。

こりゃたまらん。「アキレス最後の戦い」だー。

しかししかし、振り返ると高校生の頃の僕は実に頭でっかちの
とても嫌なタイプ
の音楽野郎だった。

愛読書がROCKIN'ONという辺りがまず良くない。
というかそれだけでどんな奴だったか想像がつくというものだ。



そうなる理由も今ならよくわかる。

そもそも楽器を演奏する才能が全くなかった。
(今なら正直にそういえる)

だいたい音楽なんてのは自分で素晴らしい演奏が出来れば
そっちに走ってしまうから蘊蓄を述べるなんてことはない。

クソうるさい奴に限って音楽的資質には思いっきり欠けていたりする。

音楽がわかりもしないのにわかったような顔をして聴いて語る。
ああ、なんて嫌な奴だ。

しかもオーディオマニアだったりする。

雑誌を読んでアンプの歪率が0.01%低いかどうか気にする癖に
聴いているのがロック
どこか激しく矛盾していないか?

って、まあロックは歪みだらけの装置で聴いてOKとは思わないし
そういう音楽を心地良く鳴らすのはなかなか難しいものだけど…。

とにかく、35年前の僕の部屋で鳴っていたプレゼンスは
今FMで聴いているものより遙かに良くない物だったのは間違いない。

ちゃんと聴けるようになるまでこんなに時間が掛からなくても良いのにね。

*そんな人は読んでいないと思うが、もしも心あるロック少年
上手くロックを飼い慣らせる装置を組みたいと今思っているなら
8pユニットを四発手に入れて適当な箱に入れてスピーカーマトリックスとする。
これに(アンプ内蔵の)スーパーウーファーを加える。
これでOK。

ただ、アンプが問題で、上記全てをスピーカー端子に繋ぐと
インピーダンス低下でアンプが気絶する?
(最近のなら大丈夫か)
出来ればプリメインであってもプリアウトが付いていると
楽が出来るかも、ってこんなことを書いていると全くもっておじさんだな。
まあ若い人は好きにやれば良いのです。時間は僕達よりもたくさんあるはずだから。


6月8日

しかしFMは面白い。

ドキュメントものが、特に面白い。

野外で、それこそマイク二本で録ったとしか思えない物に出くわすと
これはもう現場丸かじりという感じでたまらない。

がかけずり回り、は高く飛ぶ。
会話は前と後ろの掛け合い

ノンサッチも真っ青である。

もちろんスピーカーマトリックスで聴いてのお話しだ。

いよいよマトリックスとは縁が切れなくなりそうだ。

あ、もちろんディスクリートも続けますよ♪



…以上は夜中に書いたものだが、日中聴いていても、これがまた心地よい。

あるいはこういう番組は車の中で聴くのが良いという人もいるだろうが
よっしーは運転中だと落ち着かないタイプなので、やっぱり家で聴きたい。

もう少し前は使える休みの日にFMを聴こうとは思わなかった

なぜって時間が勿体ないから。
その時間があったらせっせとオーディオせねば、みたいな感じだった。

今はそうではない。

理由1、子供達が成長して、構わないでもよくなったから使える時間は
昔と比べると増えて
いる。

理由2極小音量再生に走っているから相対的に使える時間が増えた。
ゆえにガツガツしないで済む。

簡単に書いたけど、精神安定上は凄くよい。

逆に言うと、以前は本当にストレスと闘いながらオーディオをやっていたということか。
もう一度やれと言われても、出来ないな、きっと。



…っていうか、君のおやつ、誰もとらないからさ…


6月9日

超高能率ユニットとは何だ?

超とか高とかいう漢字が付くと、それだけで素晴らしい物に思える。

高能率に超が付く。
これは素晴らしそうだ。

さて、超高能率ユニット。
一般に能率が高いスピーカーユニットを指す。
…って、あまりにそのまんまではないか。

分かり易く言うと100dBなんて表示があると超高能率ユニットだ。
アンプから送られてくる信号を、効率よく振動エネルギーに換えてくれる。

よく言われるが100dBのスピーカーユニットに10Wのパワーというのと
90dBのスピーカーユニットに100Wのパワーが等価、という計算になる。
80dBに対しては1000Wということだから、これだけみると超効率バンザイということになる。実に得した気分ではないか。

同じ賃金で10倍100倍働いてくれるなんて
経営者が泣いて喜びそうだ。




冗談はさておいて高能率ユニットは一般に音離れがよく、微少信号に強くと
オーディオの世界でもその存在意義は認められている。

…が、物事全て一長一短とすると、当然この高能率ユニットにもネガティブな要素はあるはずだ。

それは何だ?

例えば能率が高いということは、アンプの残留ノイズなんかも拡大して聴かせてしまうというのはある。
まあ昨今残留ノイズが気になるアンプというのもあまり無いからそれは良いか?
逆にいうと敏捷ということで、美点と言っても良いかもしれない。

他には?

まあ最もいただけないのが低音不足だろう。

え?超高能率ユニットって、音域によって能率が違うの?なんてお約束のボケをありがとうございます(笑)

例えば100dBの高能率、なんていってもそれは例えば1kHzのスポットでの測定値だったりする。
それよりグンと低い帯域ではガクンと能率は落ちる
これはやむを得ないともいえるが困ると言えば困る。

高能率の良さを認めつつも、この欠点?を補わないことには使い物にならない。

そこでこの低域を持ち上げようと様々なアプローチがなされる。

(この項続く)


6月10日

そこでこの低域をもちあげよと様々なアプローチがなされる。

といっても対策は主に三つ

ひとつはスピーカーエンクロージャーの工夫。
次にネットワークでの工夫。
そしてアンプ側での低音増強。

この三つに大別される。

第一エンクロージャー

実は低音補強にはどの形式が一番良いか、簡単に決定は出来ない。

しかし超高能率。超オーバーダンピングユニットの低域補強ということだと
やはり登場するのはバックロードホーンだったり共鳴管システムだったりする。

第二ネットワークだが、これはPST方式などが挙げられる。
要するにLC抵抗を入れて中高域を落とすという発想。相対的に低域が上がるに等しくなり
(理論上は、だが)フラットな特性が得られる。

第三はわかりやすいところではトーンコントロールラウドネスがある。
更にいくとグライコもある。

以上のどれかひとつだけ、と限らず二つ、あるいは三つの手法を併せて使っても良いのは言うまでもない。


6月11日

各項目をもう一度詳しく見てみよう。

第一要素のスピーカーエンクロージャー
超オーバーダンピングユニットの場合、密閉やバスレフでは簡単にいかない。
そこで登場するのがバックロード
ユニット背面の音をホーンによって効率よくレベルアップして使う。

設計は悩むしかないが長岡先生が色々な作品を残しているからそれを参考にするのが宜しいかと。

バックロードの場合超低域の再生が難しい、という問題がある。
もちろんホーンの長さを長くしていけば論理上は遙か下まで再生可能だが
3bものホーンとなると抑制が効かずダンピングの悪い低音になりそうで怖い。
またエンクロージャーも当然巨大な物になる。
実用性を考えると30Hzまで行けば良いとして、それ以下が欲しければ別途スーパーウーファー
用意することになる。
もっともこのスーパーウーファーが巨大な物になるしバックロードの高能率に追いつかなければならない
という事で実際には困難至極なのはご存じの通り。

もう一つ、共鳴管

管の共振を積極的に利用する方式。
再生する低域の限界は単純に管の長さで決まる。
3b級のパイプで30Hz付近まで再生出来る。

共鳴管は(長岡先生流に言うと)矛盾に満ちた方式だ。
何故かというとユニットが非力だと共振をコントロールしきれず、ボーボーっと垂れ流しになりかねない。
一方でオーバーダンピングとなれば低音は出にくくなる。

何事もほどほどが肝心だが、超オーバーダンピングユニットを使った共鳴管は管の長ささえ十分なら
低域の再生限界は伸ばせる反面100Hz以下の帯域において“しゃくれ”が生じ
て量的に不足する傾向がある。
これをいかに解決するかが課題。
サブウーファーでカバーする方法があるが、これも相当強力なタイプでないと
メインに追いつかないということがしばしば起きる。
やっかいだ。

第二の方式。PST
これも興味深いのだが、それをやるくらいだったら最初から超高能率ユニットを使うな
言われるとそれまで。
あまりにも矛盾するのでとりあえずパスして考えたい。

第三アンプでの低域ブースト。
これはツボに嵌れば有効。
緻密で自在なコントロールという点ではグライコがベストだがややっこしい。
基本はラウドネストーンコントロール

ただ、“ガツン”と効かすならスピーカーのキャビネットはある程度以上強靱な方が良さそうだ。


6月12日

ただ、“ガツン”と効かすならスピーカーのキャビネットはある程度以上強靱な方が良さそうだ。

以上、蘊蓄を述べた上でFOSTEXのFE-108S登場。
どこから出て来た?
実はその昔スーパースワンに使っていたのだ。
あれから幾年。ゾンビ大集合の新よっしーの部屋に帰ってきた。

一応説明すると初登場は'92年。当時レギュラーとして存在したFE-108Σをベースに
とんでもないマグネットを背負わせた強力タイプ。
何しろマグネットがデカイから、ユニット取り付け穴もギリギリ。
一歩間違うとスピーカーコードが通らないという馬鹿げたユニットだ。

蘇った超オーバーダンピングユニット。
これを相手にしばらく遊んでみようと思うのでありました。



*こちらは昔々作ったスーパースワンの画像。

残っていた写真がたまたま出て来たので公開。


6月14日

蘇る超オーバーダンピングユニット
それは良いがキャビネットをどうする?

少し前に段ボールで共鳴管を作って見事に失敗。
…というかあれはさすがにいい加減過ぎた(反省)

とりあえずで作ろう。

で、形式はどうする?

あえてバスレフという選択肢もあったが、経験不足。
バックロードを造りたいなどという欲望が湧いてくる。

長岡式で考えるとD-100系。あるいはD-10バッキーなどが手軽で良い。
考えるだけは自由なので色々と妄想は進む。

、第一に材料が足りない(←おい!)

よっしーは今どケチに徹している。
新規に板を買うのは無し。
手元に残っている余り板(過去の諸々の工作で出た端材)を使うことにする。

そうなると実に乏しい材料となる。
しかも各端材は、実に思い思い。勝手なサイズだ。

計測するとD-10バッキーだって作れるか怪しい。

そこで!

(続く)


6月15日

そこで!



…という訳では無いが結果的には共鳴管を作ることに決する。

そうなると手本になるのは長岡先生の作品だが、
10pユニット用の共鳴管というとF-61がある。
(ステレオ誌'93年7月号で発表。当時はF-105と言った。通称U2
実に単純明快なプロポーション。



それに似たものとしてF-47がある(単行本「こんなスピーカー見たことない」に収録)
サイズがF-61は180W×1050H×290D
F-47が200W×900H×320D



まあ似たようなものだ。

で、結論を言うと今回自作の物は169W×900H×250Dという物になった。
深い理由はない。単に板取りの関係だ。
で、実はこのプロポーション。炭山アキラさん作のminiネッシーの共鳴パイプを省略したような
形なのだ。



まあとにかくそんなに外した形では無いということ。

バックロードでなくて共鳴管を選んだ理由は他にもあって、
それは例えばスリムなトールボーイとしたかったことも一因。

バックロードも良いが、幅はともかく奥行きを300o以下に収めるのはなかなか難しい
それから設計の自由度が共鳴管の方があって楽。バックロードの方が、やっぱりシビア。
更に工作も共鳴管の方が楽。

…と、実にいい加減な理由が並ぶが、真面目な理由もひとつある。
それはユニットの背圧の問題だ。

ユニットを伸び伸び鳴らすには平面バッフルが一番。
これはあまり異論の無いところ。
(ただし平面バッフルの使いこなしは難しい)
次に後面解放箱。

いずれにしてもユニットに背圧が掛からないのがミソ。

しかし超オーバーダンピングユニットを平面バッフルや後面解放箱で鳴らしても
上手く鳴らないのはわかり切っている。

その次あたりに背圧が掛かりにくいのが共鳴管だ。
バックロードもユニット背面は抜けているといえば抜けているのだが
ロードを掛けるため、共鳴管のようにはいかない。

背圧にどうしてそんなに関心を持つのかというと
新よっしーの部屋では、相変わらず超小音量再生がひとつのテーマだからだ。
超小音量でのリニアリティの良さ。それを超高能率ユニットに期待してみたい。
となるとバックロードより共鳴管、という選択になる。

ここからしばらくは工作の話しになるのでご容赦を。


6月17日

ここからしばらくは工作の話しになるのでご容赦を。

家にある余り物を徹底的に使い倒す。
これは冷蔵庫の残り物でなんとか料理を作る、みたいな感覚で非常に面白い。

ただし制約は大きい。
設計に併せて板を用意するのではなく、今そこにある板に合わせて設計をするのだから。

更にカットは手引きでやらないといけない。
ホームセンターでは、買ったあとの板のカットまでは面倒を見てくれない。

ここで電動ノコという事も考えるのだが、どうも日曜大工に電ノコというのは
あまりに大げさで使いたくない。

更にいうと、事故、怪我も心配だ。
よっしーは基本的に電動ツールが好きでないのだ。

しかし、ではそんなに器用か?というと、これは断言出来るが不器用だ。

手引きのノコでまっすぐ切れたためしがない
垂直にならない。断面は直角にならない。

しかし、やるしかない、のだ。


結論を言おう。人間追いつめられればなんとかするものだ。

もちろん精神論だけではどうにもならないが、まずはやる気だ。

で、ネットを徘徊していたら、あるサイトで、「のこぎりは取り敢えず木を切る物、と心得よ」と
書かれていた。

当たり前?

そうではない。ここで言われているのは、「まっすぐに、とか直角に、とか思わずに
とりあえず切れれば良い、と考える事が素人の日曜大工レベルでは肝心」ということだ。

これには「目から鱗」というか、随分勇気づけられた。

しかしスピーカー工作というのはかなり精度を求められるもの。
そんなんで良いのか?

もちろん良くない。
では現実にどうするのかというと、「だいたい真っ直ぐに切れた物を、カンナを使ってまっすぐにする
ということだ。

でも、よっしーは本当に不器用。カンナなんてのは中学の技術家庭の時間に挫折して、
以来まともに使った事がない。
そんなんで大丈夫か?

まあ今回は精密な工作、というよりも工作自体を楽しむ、というか遊ぶつもりでやることで決定。
やってみました、オール手引き。オールカンナ

出来上がりは75点というところか。
作業中は一切写真等撮らなかったのだが、余裕が無かったのである。

板自体に反りもあったのでボンドはたっぷり。ところにより釘も打ち、ハタ金は勿論使う。
今回特殊な物というとこのハタ金くらいか。
ユニットの穴空けも手動ドリルと廻し引きで対応。
とにかくとにかく、材料も工具も、その他小物も、全部手元にある物のみ使用。
超ケチケチ。(子供が高三と中三じゃあそうせざるを得ないではないか)

しかし出来上がった物を見ると、今時中学生の自作でも遙かにまともなフィニッシュとなるのでは
と思える出来映えだ。凄すぎる…



まあ工作の詳細は後回しにしよう。

とにかく音を出すことだ。


6月18日

まあ工作の詳細は後回しにしよう。

とにかく音を出すことだ。

音を出す。

音を出す。

音を出すが…


果たせるかな、これは酷い音だ…(笑)


笑いごとではないのだが思わず笑ってしまった。



どう酷い。なぜ酷いと考える余裕が、しばらく経って出来た。


とにかくカンカンしている。
そうとしか言いようがない。

あたしゃ銀座のカーンカン娘〜♪と思わず心の中で歌ってしまったが
そういう問題じゃあない。


まず考えたのがローブースト
低音が出ていないに違いない。


久し振りに登場したのがヤマハのパライコYDP-2060

これをSA3に繋いで調整してみるが上手くいかない。


イコライザーは多種多様な調整が可能だが、反面手が掛かる
じっくり追い込むなら良いが、今はそういう段階ではない。


そこで…!


6月19日

そこで…!

というか実は最初から想定していたのだが、ビクターJA-S71登場。

ラウドネスがあってトーンコントロールがあってサブソニックフィルターがあって
ハイカットフィルター(これは多分使わないが)がある。
更にスピーカーはA、B二系統独立していてスピーカーマトリックスのON、OFFにも好都合。
おまけにプリアウトが二つメインインが一つ付いている。
こういうアンプは今無い。
古き良き時代の名器だ。

で、実際には途中に更に色々な試行錯誤があるのだがそれはくどいから省略。

ラウドネスON更にトーンコントロールでLOWを+6〜+8くらいまで上げると
やっと低音が出て来た。



ここでユニットの状態について触れておくが、このFE-108Sは既に17年くらい前の物だ。
保管状態も悪いから初期性能が出ていない事は保証する。

それでとやかく言われてもユニットもたまらない。

しかし、再度キャビネットに取り付けてどこまで蘇るか、というのも今回の実験の
目的の一つだったりする。

ここで一つ言うと、よっしーはあまりエージング効果というのを信用していない

…いや、もちろんエージングが大事なのはわかっている。
しかしあまり手間暇掛かる装置は敬遠したいというのが今の心境。
長きに渡るエージングについてもそうだし、スイッチオンしてからまともな音になるまでの時間についても
待っていたくないという横着な気持ちになっている。

そもそもエージングなどしなくても、ポンと置いてある程度の音がしないのは困ると思っているのがよっしーだ。

それでも日、一日と音は改善されていく。

いくのだが…




6月20日

それでも日、一日と音は改善されていく。

行くのだが…


陳腐な言い方をすると低音は相当出て来た。
もちろんラウドネスON。トーンコントロールでバスブーストのままなのだが、
少なくともそれで“低音”が出て来たのだ。

共鳴管が共鳴管として働きだした感じ。
キャビネットからボンドの湿気が飛び(密閉やバスレフと比べると遙かに乾きやすい構造だ)、
ユニットも多少蘇生してきたのだろう。

しかしカンカンする。

どうもこれは低音不足だけが問題では無かったな、と気がついてトーンコントロールのハイも思いっきりブーストしてみる。

するとこれが正解

今までカサカサカサカサしていたのが嘘の様に艶が出て来た。
ユニットが相当くたびれている証拠だ。

やっと一息つけるまで5日くらい掛かってしまった。
面白いものでハイが出て来たら低音も豊かに、より綺麗にスムーズに聞こえ始めた。

オーディオとは誠に面白いものだが、ツイーターが良くなってベースが出て来たり、
低音の質が上がってバイオリンが綺麗に鳴ったりする。
これはオーディオ体験の無い人には受け入れがたい話しだが事実だから仕方ない。

とにかくハイもブーストしたまま鳴らす事に決定。
少しでもユニットが立ち直るきっかけになれば、との思いもある。


6月21日

ところで超高能率ユニットというのは単体で使うというのなら良い
サラウンドだサブウーファーだ、というといきなり問題が出て来る。

理由は簡単で、メインが超高能率だったらリアもサブウーファーも揃って高能率でないと
バランスが取れないからだ。

リアはともかくとしてサブウーファーと繋がるかどうか?

YAMAHA YST-SW45は良いサブウーファーだ。
しかしそもそもエキセントリックなシステム向けの物ではない。
メインに追いつかない可能性がある。

それでもやってみよう。

しかし、しつこいけれどJA-S71にはプリアウトが二つあって素晴らしい。
プリアウト1にSW-45を繋ぎ、プリアウト2はJA-S71本体のメインインに繋ぐ。
これで実にシンプルダイレクトなシステムが出来上がり♪

さて、結果は?

まず音量的な問題だが、さすがアンプ内蔵サブウーファー。
いかにメインが超高能率でもボリュームを上げれば補える。

しかし音質的繋がりはあと一つ。
油断すると、“いかにもサブウーファーが鳴っています
的な鳴り方になる…

これを少しでも避けるためにはサブウーファーを使う帯域を出来るだけ低い方に
持っていくことだ。

…とかなんとかやっている内に別のことに気がつく。

それはサブウーファーが不要だ、ということだ。(おい!)

よくよく聴くとメインのFE-108S共鳴管スピーカー単体で十分低い方が出ていた?

もちろん強烈にローブーストしての話しなのだが、よく言われる様に
“レベルが低くても出ている物はブースト出来るが、
そもそも出ていない物は幾らブーストしても出てこない。ゼロに何を幾ら掛けようと
ゼロ×100=ゼロ。ゼロ×1000=ゼロなのだ

ということ。
これに尽きる。


ということで実験としては目標の65%くらいを達成したと思っていたら
不測の事態が起きる。

なんと…

(続く)


6月22日

不測の事態が起きる。

何か変?と思ったらビクターJA-S71がおかしい

時々リレーが切れるではないか。

あれこれ結線ミスなど探るが結論をいうとアンプがおかしい。
いよいよ引退

…そうなってもおかしくない。
なんといっても齢35歳だ。

悔しいし直したいとも思うが、あまりクヨクヨしている時間も無い。

しかし困ったというか、手元にラウドネスだとかトーンコントロールとかが
ついたプリメイン、あるいはプリが見あたらない


いくらなんでも品切れ?


ここで、ハッと思い当たったのがデノンのAVアンプ、AVC-2870の存在。

このAVアンプならトーンコントロールはついている。

そこで急遽登板

AVアンプにスピーカー二本しか繋がないというのは別の意味で間違っている気もするが
仕方ない。

これで低音を+10までブースト。

NECのCD-10を繋いでCD再生。

音は?

6月23日

音は?



…これはもう面白いというか何というか、実にマイルド

アンプのキャラクターがもろに出て来たのだと思うが、とにかくこのスピーカーが最初に組上がって、
その時に別のアンプやプレーヤーで再生した音とはまるで違う。違いすぎるくらい違う

そしてこの音は、なかなか良いのである。

(まあご覧のようないい加減なセッティングで良いも悪いも無さそうだが、
基本的な良さ、酷さというのはどうしたってある程度わかる)

JA-S71を使った時の、鬼気迫るような、ガッツのある鳴り方とは全く違う音だが、
こちらはこちらで良い。

何とも穏やかで脱力系のサウンド。

超高能率。超オーバーダンピングユニットが肩すかしをくらっているような、
なんともいえない面白さ?がある。

スピーカーという楽器は、アンプという演奏者次第と言われるが、
それにしてもここまで対照的だと言葉も無い。面白すぎる。


6月24日

デノンのAVアンプ、AVC-2870が鳴らすFE-108S共鳴管の音には面食らってしまった。

それはそれで良いのだが、本当にそれで良いのか?というと素直に受け入れるだけでは
話しが詰まらない事に気づく。

そこで2870(しかし長い型番だ!)をプリにしてHMA-9500MK2に繋いでみる事にした。

そうするとやはり力が出て来るし、色々なファクターで優れるのは確か。

ただ、その後は2870単体に戻して聴いている。

深い理由は無いのだがトータルの色調というのが、主に2870のプリ部分で決まってしまっている
気がしたからだ。やはりプリの支配力はすごい。
&そこにHMA-9500MK2を繋ぐのはやっぱりもったいない。

ということで単体に戻った更に2870でスピーカーマトリックスにも挑戦。
AVアンプでマトリックスというのも無駄な感じがするが仕方ない。

リアにはFE-108Σを持ってくるのだが、どういうわけか自分的には効果今ひとつ。

SとΣでは確かに能率も少しだけ違うが、基本的には兄弟ユニットのはず。

現状では栗スピーカーとコンコルド105の組み合わせに及ばないという印象。
栗とコンコルドの組み合わせが、奇跡的に相性が良いのか?

これももう少し検証が必要。
あるいはリアの108Σ用にきちんとしたキャビネットを用意しないといけないかな?


6月25日

蘇った(かどうかわからないが)超高能率フルレンジによるサウンド。

懐かしいというか一種の感慨に襲われる。
15年くらい前にこういう音聴いてたなー、と昔の記憶も蘇る。

で、良い思い出だけ思い出すと良いのだが、「ああ、そーいえばその頃からこういう傾向はあったなー」
という、困った思い出もまた蘇ってくる。

代表的なのは何か?というと、これが案外センター定位が決まらなかった
音場感がそれほどでも無いんじゃないの?という漠然たる想いだ。

どうもセンター定位なんか左に、右に寄る?バシッと決まらない。
奥行きなどという表現も不得手。

15年前に散々悩んだ事なのだが忘れていた。のに今回見事に思い出した。

さてさて、いかがしたものか?10p一発のシステム。それもスリムなトールボーイで
音場感が悪いとなると、自分の耳の方を疑いたくもなるってもんだ。

昔は本当に暗澹たる気持ちにすらなったものだが、人間歳は取るもので、今回はだいぶ冷静。

基本の基本だが、スピーカー左右の間隔をいじる。
簡単にいうと左右を離す。

しかしこれだけではあまり変化が無い。

この状態で頭を1bくらいの範囲で前後させてみると、これで大分違うことに気づく。

「!」

…という感じでピントが合う位置があってそこに頭が来るとちょうどよろしい。
しかし、きちんと納まらないと納得感が無いし、シビアにすぎる気がして依然引っ掛かる。

やっぱり10pより8pの方がピンポイントになるのか?
それを言ってしまうと身も蓋もないのだが。


6月26日

JA-S71が不調になってしまったのは悲しいが、2870の登板で新しい世界を見ることが出来たのも確か。

音色云々もあるが、ボリュームがリモコンで動かせるのは結構嬉しい。
DSP-A1の登場以来、すっかり無精になってしまったのです。
歳も取ったというべきか。

ただし電動ボリュームといっても様々だ。
DSP-A1とAVC-2870でも違う。

2870のボリュームは慣れないとイライラする面もあった。

何しろステップが0,5dB刻みで動くのでスムーズに上げ下げしようとすると上手く行かない。

だが、勝手なもので慣れればこれが良い。
リモコンのボタンをポンポン、とやって小刻みな調整が可能。
夜間は大変ありがたい。
「あ、やばい、ちょっとデカイ」と思えばその場で修正可能。

大変結構。
人間なんて勝手なものだな〜♪


6月27日

結構結構。自己満足の日々。
しかし、マトリックスの方は今ひとつ
これはもうリアスピーカーを然るべきキャビネットに収める以外手はない。


そこで…!





またしても段ボールキャビネットである。



このサイズで良いかどうかわからない。
手に入った段ボールの中で妥当と思われる物で作っただけ。

しかも実は後面解放なのだ。



スピーカーユニットに背圧が掛からないという点で
平面バッフルに次いで有利な形式。
実は段ボールが足りなくて背面を塞げなかった)

このキャビネットにFE-108Σを取り付けてリアスピーカーとするとどうよ??



おお〜、見事にバランスするではないか!

これでなくてはいけない。

やっぱりマトリックスのリアスピーカーといえどもキャビネットは大切(反省)


6月28日

つべこべ書いているが、実は書いているのは起きたことの80%くらい。
もっともっと色々あるがそれは割愛。

現状だがフロントFE-108S共鳴管、リア108Σ段ボールを鳴らすアンプは
デノンのAVアンプAVC-2870。サブウーファーはヤマハYST-SW45

特にアンプ2870はこれがベストと思って使っているわけではない。

しかし、良い意味でトータルを安全にまとめているという点では素晴らしい。
FE同志のマトリックスにYST-SW45だと音的に繋がりがまずい筈なのだが
2870が仲裁役?となって仲良くやっている?
これは大誤算



リモコンボリュームも凄く便利だし細かい刻みが出来るのも実はありがたい。

…って書いてて気づいたのだけど、このアンプにしてから残留ノイズが皆無

おわかりの方にはおわかりの通り、FEの高能率ユニットを使った場合
どうしても無音時に“シャーッ”っていうノイズが聞こえがち。

今回なんか最初の内は音が出たらゴソゴソだし、出なければ“シャーッ”だし
暗澹たる気持ちになったものだが、いつの間にか全然別世界が開けている?

で、あらためて調べてみたら、デノンのこの種のアンプには“可変ゲインボリウム
というのが使われていた。
うたい文句をそのまま引用すると…

“全チャンネルに、可変ゲインボリウムを採用しています。
出力レベルに応じてプリアンプのゲインを可変することにより、
実使用領域でのS/Nを大幅に改善しました。
可変幅も-80dB〜+18dBの範囲で0.5dBステップになり、より細かな調整が可能です。”

…ということで仰せの通りSN比は素晴らしいし、O.5dB刻みのボリュームは本当に使いやすい。
(dB表示がデジタルでフロントパネルに出るのも心強い)

デノンえらい!AVアンプえらい!

…ですが正直言って僕にはこの可変ゲインボリュームを上手く説明出来ない(汗)

一応関連しそうな文献というと

http://www.ekouhou.net/disp-fterm-5J100BC07.html

かな?

直接関連しないけど、アキュフェーズのこれも興味深いものだ。

http://www.accuphase.co.jp/aava.html



ということで超高能率ユニット組の可能性は十分確認。
これからどうする?




ということで開腹してみた。



でっかいトランス



ヒートシンクに素子がペッタリ。
ちなみにこのアンプ温度上昇はそれなりにある。



ヒートシンクは取り付けが巧なのだろう。
叩いても鳴かない。これはお見事。



こんなパーツを見ると現代的、と感じてしまう。



指さしているところがボリューム

普通だとここに、いかにもボリューム、という出っ張りがあるはずだが
それが無い。



かろうじて円盤状の物が見える。これは一種のスイッチ。右に左に際限なく回る。
エアバスの操縦桿を操るのって、こんな感覚なのかな?
実体は無いけど表面上やっていることは従来型と同じ。

取り敢えず永遠にガリは出そうもない(笑)


6月29日

しかし本当に一人でおもしろがっているのだけど、実におもしろい。

日本語になっていないなぁ〜(笑)

17年前、オーディオを復活させた。
すぐにD-55を作り、その二年後。今から15年前スーパースワンを作った。

今回廃材で共鳴管を作ったが、そのユニットFE-108Sは、スーパースワンに使っていた物だ。

今よっしーの部屋で楽しく鳴っているディスクは、きっと当時だったら楽しめなかったであろう物達だ。

その頃は、やっぱりエキセントリックな音作りだったのだと思う。
まあ音作りではなくて、出て来た音をそのまま聴いていたというのが本当だが。

以上を読んで、“長岡スピーカーってやっぱりフツーじゃないんだな”なんて短絡的に思わないで
欲しい。(思っても良いが人生の楽しみが一つ減るだけかな)

フォステクスのユニットを使ってバックロードや共鳴管を作るとこんな音がする、
と決めてしまっている人もいるのだが、これがどうして人によって出ている音は千差万別

あるところでは“海外高級スピーカー?”みたいな音で鳴っていたし、
またあるところでは、ごくフツーのソースが、ごく当たり前に聴ける物に仕上がっていた。

要するにオーディオ装置というのは鳴らす人次第なのだ。
使う人の取り組み方が変わると、同じ装置、同じ部屋でも出て来る音が違う。

オーディオ装置といえども単なる家電製品だからそんなことはあり得ない、
と思っている人にいくら説明しても通じる話しではないが、これが真実だ。

そして、今、僕は自分自身の、この10数年間の変化を確認し、そしてその事実を味わい
楽しんでいる。
これは大変個人的な楽しみであり、他の誰にも、本当の意味での理解は不可能な楽しみだと思う


6月30日

マトリックスで聴いて効果の無いソフトなんて無いと思うので
いちいちこれは良かったと紹介するのも憚られる。

でも、まあマトリックスで聴いて楽しいのと、さほどでもないのがあるのは確か。




例えばこの「HOLD ME、THRILL ME、KISS ME」/グロリアステファンなんかは
楽しい一枚。

何でこのCDがあるのか?よくわからないが、改めて、良い感じだったと思う。
AMAZONでの評価は今ひとつ、というか熱心なファンには物足りないのかもしれないが
幸い僕は傍観者に近いので、あっさり「良いんじゃない?」と言えてしまう(ズルイ?)

まあ面白いなぁ〜と思える物は得てしてポピュラーに多い。
というか最近クラシックの名盤とか聴いていないので
そちらを聴いたら落ち着かないのかもしれない。

でも、新生よっしーの部屋が目指しているのは
昔だったら楽しく聴けなかったであろう物達の快適再生だから
仕方ないのだ。




マドンナの「エロティカ」なんかも面白かった。
というかこれはスピーカーマトリックスで聴かなければ一生の損だ。

実に楽しい一枚。上手く鳴ってくれると、オーディオってなんて楽しいんだろう?と思ってしまう。

一方で、上手くことが進まないと落ち込んでしまう。
単純といえば単純なもんだ。


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