5月1日
おっと、五月だ。ひゃー早い。
さて、ところでこれは何でしょう?
わかる人は一目でわかる。
「忍者ケーブル」だ。
壁に穴を開けたりせずにFMアンテナからのケーブルを室内に引き込める。
詳しく解説はしないが、これぞまさにすき間商品ということで
ある程度売れたはずだ。
そう言えばそんな物を買ってアンテナ線を引き込んでいたっけ。
かれこれ17年位前の話しだ。
ちょうどオーディオを再開して、FMも聴くべえか、と言うことで
買い求めた記憶がある。
何しろここ最近聴くのは「FOUR PLAY」と「GAUCHO」だけ。
いささか飽きても不思議ではない。
ちょっと前もKT-1100にTVのアンテナ線を差し込んで聴いていたが
さすがに専用アンテナは違う…
かどうかシビアに聴かないとわからないが気分的によい。
*註:よっしー宅は山の上に建っているので圧倒的に受信環境は良い
それよりまずKT-1100って格好良いな、と改めて思ってしまう。
各局ともきちんと受信。
プリセットとかないのでチューニングする時は手間が掛かるがそれもまたよし。
なってったって今時はネットラジオで当然なので、
わざわざアンテナ受信してFMを聴くこと自体が変わっているのだからダイヤルくらい
回しても良いのです。
で、これをSA3に繋いで、パワーアンプは何故かPIONEER M-22。
あまりにも久し振りに登場なので壊れていても文句は言えない。
更にこれまたご無沙汰してしまったロジャースLS5/9に繋ぐ。
非常にスリリングな組み合わせとなってしまったが音は大丈夫だった。
詳しくはまたにするがとりあえずは結構結構。
PIONEER M-22というのも良いテイストを持ったアンプだ。
ただ本当に心配になるくらい熱くなる。
純A級アンプだから当然なのだが放熱能力が後一歩欲しい感じ。
故に気軽に使う気にはならないのでこれ以上音を気に入らない方が良いともいえる?
5月2日
GWいかがお過ごしですか?
よっしーは割と仕事が入っている(汗)
それはさておき昨日の続き…↓
FMだけではあれだから、と悪い癖が出て他のソースも聴いてみようということになった。
プレーヤーはSONY DVP-9000ES。
SACDも掛かるがDVDプレーヤーという一面も持っている。
(DVDオーディオやマルチチャンネルには対応していない)
ということは「GAUCHO」も掛かると思って掛けてみた。
ところがこれが15秒くらいで撃沈。
お話しにならない。幾らレイヤーが違うからと言ってここまで違うか?
何か接続でも間違ったか?と思ってしまったほど…
で、CDを掛けてみる。
う…、っと思わず顔が歪む。
んん??
適当にFMを聞き流しているだけの時は気にならなかったが
これはいったいどうしたことか?
どうにも頂けない音だ。
久し振りのオーディオモードに入ってしまう。
入ってしまわざるを得ない。
次々ディスクを入れ替えるがダメ。
最近聴いている段ボールスピーカーの5.1の方が全然まとも。
先日M-506RSとコンコルドで聴いた音にも劣る?
オーディオをやっていて一番辛い瞬間だ。
プレーヤーが変なのか、どうなのかとあたふたするが、ここで勘が働いた。
思い切ってパワーアンプ交換。
といっても出て来るのがこれまた古い、HMA-9500MK2。
こちらも長い間しまわれていた一品。
果たして壊れていないか?と危ぶむが要らぬ心配だった。
とにかく慌てているからスピーカーケーブルの止め方なんかいい加減極まりない。
こんな状態で聴いていいのか?
しかし第一音が出た瞬間からまるで違った。
なんと澄み渡って晴れ晴れとした音…
全域に渡って均質な力強さ。
ああ、やっぱり僕にとってのパワーアンプはこれに極まってしまうのか…?
嬉しいけど、ちょっと考えてしまうよっしーだった。
なんか進歩が無さ過ぎるみたいな…
あ、ひとつだけPIONEER M-22の名誉のために言っておくが
今回の件はウチのM-22が本来の調子でないためにこうなっただけで、
M-22も良いアンプです。
正確には「好きなアンプ」ってとこでしょうか。
手を入れて上げたいな、と思ってしまう一台。
5月3日
上のような状態になるまで結構時間が掛かってしまった。
先月も同じ事を書いたけど、各地に散り散りになってしまっていた
歴戦の勇者達がよっしーの元に戻ってきてくれた感じ。
今現在はDVDオーディオ用の5.1chシステム
*DV-S10A→DSP-A1→FE87段ボールスピーカー(フロント三本)
+栗スピーカー(リア二本)+YST-SW45
と2ch用のシステム
*DVP-9000ES+SA3+HMA-9500MK2その他
の二つのシステムが同居している状況。
面白い話しだが5.1システムが良い音を出してくれているのに
引っ張られて2chの方も健闘してくれている。
何というか説明するのが難しいのだが、
よっしーは今オーディオを始めたばかりの様な新鮮な気持ちに
なれている。
これはとっても嬉しいことだ。
5月4日
オーディオするということはつまり部屋を作ることだ、
と言ったのはやまもとさんだったか。
その通りでオーディオをすると言うことはすなわちオーディオをやる部屋を
構築することだ。
それはわかっているのだが生まれついてのセンスの無さとドけち精神が足を引っ張って
今日まで半端な状態で来ている。
特にいつも不自由しているのが椅子で、これまで納得のいく椅子を手にしたことがない。
このよっしーの部屋にもソファーらしき物が二回来たが、いずれも処分してしまっている。
帯に短したすきに長しという感じだった。
他に椅子というとピアノ用の椅子がある。
これは悪くないのだが、間違ってもリラックスは出来ない。
オーディオにはある意味椅子が必須。
新生よっしーの部屋にはそのピアノの椅子しかなかったが
さすがにもうオーディオ用には使いたくない。
実はお隣が立派な革張りソファーを差し上げますよ、と言ってくれたりして
非常に魅力的だったのだが熟考の末辞退した。
理由はというと立派すぎたからだ。
分不相応の家具はやがて邪魔にされ可愛そうな末路をたどる。
そんなことにしたくなかった。
ソファーのひとつくらい買うか、と思ったが将来邪魔になるのが嫌でためらう。
結局床に座り込む生活をしばらくしてきたがさすがに嫌になった。
そこで!
一念奮起して作ったのが写真のソファー。
もしかすると立派に見えるかもしれないが2×4材のあまりを使って1時間くらいで作ったものだ。
その割良い物が出来たと内心思っているがいかがでしょう?
ポイントはいざとなったら簡単に解体出来るところ。
2×4材の工作は基本的にネジ止めなので組み立ても分解も電動ドライバー一つで出来る。
解体した材料はまた別の物の工作に利用出来るので超経済的ともいえる。
それともうひとつ。
状況が変わってもう少し小さいサイズが…、となったらこれまた簡単にのこぎりで切りつめたり出来る。
つまり変幻自在なのだ。
これが普通のソファーを買ってしまったらそうはいかない。
まあ理屈は良い。
ウルトラローコストでソファー風ベンチが出来上がったという次第。
一応大人二人は楽に腰掛けられる。
…が、よっしーが必ずこのソファー(と呼ばせてくれ)に座っているかというとそうでもない。
何か書く、となるとやっぱり床に座ってしまいたくなる。
目の前に来るテーブルは、これまた酷いというか合板の再利用で600×500サイズのコンパネに
これまた一度は捨てかけた折りたたみ可能な足(ホームセンターにて格安で売っている)
を付けた物。15分もあれば制作出来る。
余談だが座卓やらコーヒーテーブルやらも色々使ってきた。
その末の結論として、完全に置きっぱなしに出来るなら座卓は適度に大きく適度に重い物が良いが
そうでないなら可能な限り小さく、そして軽い方が良いということ。
結局長く使える物というのは、軽く、薄く(奥行きが浅い、という意味もある)、コンパクトな物
なのだ。
今時苦学生でも使わないこのテーブルの高さは31p。これが物書き用の座卓としてはベストな高さだ。
さて、自作ソファーの前にこの自作テーブルを置き、床に座る。
そしてソファーに寄りかかれる様にすると実に快適なのだ。
日本人はやっぱり床に直接座ったり転がったりが一番楽。
(頻繁に立ち上がる場合は別)
応接セットのソファーの前に座りソファーに寄りかかってテレビを観る、というのが昭和的
ジャパニーズスタンダード?
今回それを目指し実現した。
で、やっとオーディオの話になるが自作ソファーに座った時耳の高さは113p。
ダイヤトーンDS-301にはまずまず良いが現状のロジャースLS5/9には高すぎる。
ロジャースLS5/9はブックシェルフといって良い大きさで、本体の高さは約42p。
これが今載るスタンドの高さが40p。
計82pだが床からLS5/9のツイーターまでで計ると72p。
これはいかにも低い。
しかし前述の様に床にぺたっと座ってしまうと、これが実にちょうど良い高さとなるから皮肉だ。
個人的な見解だがスピーカーというのは天板が目線よりわずかに下くらいの高さに設置するのが
見た目的には一番落ち着く。
音優先ならツイーターが耳の高さに来るようにするべきだが、そのセオリーを守ると
スピーカーに見下ろされる形になりやすく、あまり良い気分ではなくなる。
どちらを優先すべきか?
実は今、ロジャースは床に座って聴く方が音が良い。
これはやっぱりツイーターが耳の高さちょうどに来るからだろう。音場感は特に違う。
さて、どうするか?
きっとこの先ロジャースはスタンドごと何かに載せて高さを稼ぐ事になるとは思う。
しかしそれまでは今のままで楽しんでみよう。
まあこんな事を考えたり色々やってみたりしている時が一番オーディオが楽しい時である♪
そして何でもそうだが、実際あれこれやってみないと
本当の事は何一つわからないのでありました。マル。
ところで今年のGWは仕事もあるがカルネさんの来訪もある。
カルネさんは旧来の友人だがオーディオマニアでは無い。
したがって音は出さないGWなのでした。
5月6日
ということでカルネさんをまじえてお出かけしてきた。
GW中は極力出掛けないし、車の運転は特に避けている。
危険だからだ。
で、電車。
横須賀線に乗った。
横須賀線に乗るたびに思い出す事がある。
何を思い出すかというと、よっしーが中三か高一の時だったと思うのだが
一家で新宿御苑に出掛けたことなのだ。
以前にも書いたことがあるが、よっしーの父は実に困ったヤツで
本当に誰からも愛されない可愛そうな人物。
それが故によっしー一家が揃って出掛けたなどというのは
実に回数が少なく、逆に言うと記憶に残ることにもなる。
御苑での出来事はあまり覚えていないのだが
とにかく驚いたのが横須賀線のスピードの速さ。
新宿からあっという間に横浜まで着いてしまいビックリした。
あんまりにも驚いたので何十年経った今も覚えているわけだ。
それともう一つ、レコードを買って貰ったのを覚えている。
そのレコードはもちろん今も手元にある。
それが、これ。
LED ZEPPELIN のPHYSICAL GRAFFITIなのだ。
5月7日
どうして父はあんなに素直じゃないんだろう?と今現在でも思う。
しかし、他人と過去は変えられない、の言葉通り、
この先も変わりそうもない。
それは仕方ないことだろう。
それにしても、父があんなでなければ
我が家のあり方というのは全然違ったことだろう。
とにかくまともな会話というものが成立しない家だった。
すべからく頭ごなしに来るのだが中身はまるでない。
うちの父は、良い時代に小学校の先生なんかやってしまったから
止める者はいないのだ。
被害にあった、と少なくとも僕は。
いや、それは完全に手加減した言い方で、弟も思っている。
しかし最大の被害者は母だったと思う。
そのせいかどうか(そのせいだ、と言わないのがせめてもの手加減だ)
母は早死にしてしまった。
そりゃ疲れただろう。
しかし僕も父や母に抵抗、あるいは反抗する中で疲れさせたり
がっかりさせたりしたのだろうから偉そうなことは言えないか。
とにかく会話の無い…ということは最初は無かったのだが
途中から問答無用の世界になってしまったから言葉なんか出て来るわけがない。
そんな中新宿御苑に行こうなんてことになったのは
母が「せめて」と思ったからではないか。
そして普段なら絶対にのらない父がかろうじて乗ったのかな?
レコード(それもあれは二枚組だ)なんか買って貰って
随分おぼっちゃまに思えるかもしれないが
(思えても構わないが)
会話がないということはねだったりリクエストしたり
提案したりが無いのだから、まあ本当に珍しいことだったのだ。
弟もなんか買って貰ったのだが、それが何かは覚えていない。
このレコードも、「せめて」という思いで買ってくれたのかな?と思うと切ない。
それが横須賀線に乗って横浜に向かうたびに思い返される。
ただ、よっしーは親に買って貰った物は大事にした。
だから、数としてはわずかばかりのLPは全部手元に残っている。
…と、ここで最近思うのだ。結局一人の人間が大切に扱える物の数、
例えばレコードの数。
すなわち音楽の数などというのはほんとにわずかなのではあるまいか、と。
もちろん色々な音楽を浴びるのは悪いことではない。
雑多な物と触れることは見識を広める上で必要だ。
しかし、無限に広げることは出来ない。
どこかでまとめに入ることになろう。
…そんなことで、ソフトの整理(これまでもしてきたが)に
手を染めようかと思う今日この頃だ。
馬鹿みたいに数が無くても良い。
もしかしたら100枚。いや、50枚もあれば良いのでは、と考え始めている。
物が多いから豊かになれるものでは断じてない。
例えばPHYSICAL GRAFFITIを買って貰った時、
僕のレコードラックにはたしかLPが7枚か8枚しかなかった。
だから馬鹿みたいに同じレコードを繰り返し聴くのだが
それはそんなに悪いことでは無かったと今にして思う。
振り返ると一枚一枚のレコードに素晴らしい思い出がある。
歳と共に、そして時代と共に音楽は手に入りやすく、また手軽なものとなった。
しかし、手軽で安易なものから何かが生まれる可能性は低い。
PHYSICAL GRAFFITIを手にする度に僕が思うのは
母に対する「すまなかった」気持ちだ。
「あなたの孫にあたる子が、今あの時のよっしーくらいの歳になりましたよ」
LPのジャケットに向かって話しかけても、当然ながらなにも返ってこないのだが。
5月8日
ソフトについてもう少し。
ひとつの音楽をLPで、CDで、そしてSACDでと。
しかもリマスターが出ると買ったりとかするパターンがある。
実はそういうのは結構憧れだ(笑)
ものすごく好きなアルバムとかがあって
それを「今度のはどうかな?」とか言って買い揃えてしまう。
そして、「うーん、やっぱりあっちのかな〜。でもこれも捨てがたい」
なんて言って聴く。
そろそろ僕もそんなことをやってみたいと思う。
そうそう、Hiviを読んでいたら、映像系の人にもそういう人が多いことに気がついた。
LDで買って、DVDで買って、今又ブルーレイで買う。
こういうのは楽しそうだ。
…っていうか、結局一人の人が許容出来る幅っていうのは
やっぱりそんなに広くないってことでしょうか。
5月9日
「Beat Sound」No15。
表紙に惹かれて手にとって、買ってしまった。
プログレッシブロック名盤52選+α、とあったのが決め手。
…というほどプログレに詳しいわけではない。
ただ、懐かしいジャケットがいっぱい。
予定は未定にして決定にあらずだけど、これからボチボチ
この手の物を買いたいな〜と思っている。
今、感動出来るかどうかわからないが、当時買えなかった
というのがある。
ある意味原点に帰っていくとでもいうべきか。
ところで、その昔オーディオマニアのソースはジャズかクラッシックのどちらかと
相場は決まっていた。
それが中学生〜高校生のよっしーには、実は不思議でならなかった。
しかし不思議だろうが何だろうが、基本的には出て来るのはその2種類なのだった。
後年、そんな風潮に風穴を開けてくれた人がいた。
それがオーディオ評論家の傳さんだった。
おおー、ポピュラーミュージックでもオーディオの対象になるんだ〜…
と安心したのをよく覚えている。
しかし、その後よっしーがそれらのソフトをオーディオする対象としたかというと
ちょっと疑問である。
やっぱりオーディオ的快楽を得られるソフトはクラシック等に多いというのがこれまでの結論で
ポピュラー音楽をソフトのメインに据えるということはしてこなかった気がする。
それはそれで良い。
しかしせっかく「よっしーの部屋」も「新生」というのだからソースから変えて行って良いのではないかと
思う今日この頃なのであった。
ポピュラーミュージックを心地よく鳴らす。
果たしてそんなことがよっしーに出来るのだろうか??
大いに疑問だがやってみたいと思うのであった。
で、さっそくやってみた、というか聴いてみた。
そうは言っても手持ちのソフトではこれしかない。
ピンクフロイドの「狂気」だ。
さすが世界で最も売れたロックアルバム。しかも優秀録音とされることも多い、
ということでドけちのよっしーですらCDとアナログと両方持っている。
ではまず、CDを聴こう。
…
う、うーん??
こ、これが果たして高音質なのだろうか??
全体にほこりっぽくてウニャウニャした音。
さすがに悩んでしまった。
救いを求めてアナログ盤に針を落とす。
…
確かにCDを上回っているかとは思うが、涙を流して喜ぶほどの物かというと…
なかなか難しいものである。
別に「狂気」にケチをつけるつもりはない。
ただ、その音楽を上手く鳴らしたいならその音楽を上手く鳴らしたいなりに
注意を払わなくてはいけない。
これまでそういうことはして来なかったのだから、こりゃ仕方ない。
もう一つは、「新生よっしーの部屋」とかなんとか言いながら
音の詰めは何もされていないということ。
詳しくは書かないが(恥ずかしいから)、2chの方はやっと音が出るようになった
というところなのだ。
5,1段ボールがあまりにご機嫌だったので、そっちがお留守になってしまっている。
遊んだり喜んだりばかりしていないで、ボチボチ頑張らないといけませんね。
お陰で腰が上がりました♪
5月10日
整備ってのは地味な作業だ。
昨夜はスピーカーケーブルの端末を剥き直したり
ピンケーブルの半田を追加盛りしたりと、僕には不似合いな仕事をした。
そして再び「狂気」を一発。
ドックン、ドックン…、アー!、アー!!、アー…!!!
…てことでちょっと大きめの音で鳴らしたら凄い迫力。
ロジャースって本当にこういうのも似合うんだよねー、と思うより早く
ボリュームを絞っていた。
やっぱりロックは大音量…と思うけどうるさいわね、やっぱり。
ここで「初志」を思い返した。
よっしーが今目指す物のひとつは「圧倒的小音量再生」だったではないか。
一日中聴いていられるような、疲れない音量で、しかも面白い音。
それを目標にしているんだった。忘れちゃいけない。
簡単に書くが、これは結構難しいテーマだ。
時速300キロで突っ走るのも難しい行為だが、
1リットルのガソリンでどこまで走れるか競うのも、それはそれで難しい。
後者をエコランレースというが、よっしーがやろうとしているのは
今、そちらの方だ。
色の白いは七難隠すというが、音がデカイのも割と色々なことを隠してくれる。
「声のデカイ奴には敵わない」的な世界だ。
男たるものある程度の声量はあった方が良い。
しかし男が全員森田健作風であるのも考え物だ。
蚊の泣くような音の中に味わいを出せるようにする。
これぞクレバーなオーディオではないか。もちろん達成出来たら…、だけど…。
さてや、ロックを小音量で、楽しめるように鳴らす。
そんなことが出来るのでしょうか?
実はよっしーもDVDオーディオの5.1マルチをやるまではそんなことは無理だと思っていた。
しかし、おもしろ半分でやった5.1chマルチが、よっしーの目を開かせてくれた。
例えば「FOUR PLAY」
そもそもはある程度の音量でこそ映える曲達だろう。
それこそオーディオ的快楽の要素をたくさん持っているアルバムだ。
なのだが、一方でDVDオーディオの5.1chマルチで鳴らすと小さい音でも十分面白い。
しかもスピーカーは段ボールキャビネット(ユニットは8p)だったりする…
これは一体なんとした事で、どうしてそんな事が起きるのか?
前にも書いたがこれはマルチのひとつの効能ではないか?
陳腐な言い方だがたくさんのスピーカーから音が出る事で音場は厚く豊かになる。
それがひとつ。
そしてこれこそディスクリートならではだが、低域信号をサブウーファーが受け持つ事による
他のスピーカーの負担低減(*ソフトによってはそんな事は考えていない物も多いが)。
それらが相まって今回の様な現象が起きていると想像した。
しかしディスクリートのマルチは、当然ながらソフトが限定される。
限定された物だけを追求するのもひとつだが、いかにせん対象が少ない。
そこで結局マトリックスサラウンドという考え方が出て来る。
ディスクリートとマトリックスは別物という見方はあるが、やってみるのは個々人の勝手だ。
実はフロントロジャース、リアに栗スピーカーなどという実験を既にやっていた。
両者のバランスは悪いものではない。
しかし、極、極小音量再生となると面白みに欠ける。
注釈だが、よっしーの言うところの極小音量とは、例えばプリのSA3のボリュームが
ワンクリックから大きくてもワンクリック半までしか上がらない状態の事をいう。
どうしてそこまで絞るの?というかもしれないがこのくらいの音量で楽しめるとなると
オーディオをやれる時間が大幅に増大するからだ。
理屈はよい。今ひとつ面白くないなら面白くしてやろうじゃないか。
そこでスピーカー交換。
コンコルド105をフロントに据える。リアは栗スピーカー。
小音量だから小さいスピーカーなどと安直に考えてはいけない。
絞った音量でも楽しめるようにと、わざわざ巨大スピーカーに買い換える人がいるくらいだ。
また、小音量ならアンプもチープで良いかというとそうも言えない。
下手をすると小音量の方がアンプのアラが出たりするからやっかいだ。
今回のケースでは小音量を通り越して、極小音量でのチャレンジだからまたちょっと違う。
小さいスピーカーに乗り換えてみる。
とりあえず「狂気」
悪くない。コンコルド105はやっぱり良い味を持ったスピーカーだ。
そして音源が小さくなった効果があってミニチュアで、且つ広い音場が展開。
しかしこれだけ音量を絞るとちょっと辛い。
そこでプラン2。
栗スピーカーをフロントに持ってくる。
そしてまた「狂気」
コンコルド105より、更にすっきりする。
フロントは栗スピーカーに決定。
念のためだが極、の付かない小音量再生の場合、栗スピーカーよりも
あるいはコンコルド105の方が向いているかもしれない。
これは栗スピーカーがフルレンジ一発。コンコルドが2Wayという違いがあるからだ。
ベテランマニアならおわかりの通り、コンパクトスピーカーでバランスを狙うと
2Wayの方が絶対有利だ。
実際今回の実験でもそのままならバランスはコンコルドの方が無難に取れている。
だが、ここでYST-SW45接続。
このサブスピーカーはパワードだからSA3のプリアウトを分岐させてピンケーブルで繋げる。
これで栗スピーカーの低域を増強しようという狙い。
よくある作戦だがこれが成功。
もちろんDVDオーディオの5.1マルチの時とはSW45の設定は変える。
そしてリアはコンコルド。
これも正解。
前後のバランスも良い。
これでいくつかのソフトを聴くが蚊の鳴く様な音量でも楽しめる世界が出来たようだ。
もちろん出来上がりにはほど遠いが土台くらいは作れたかな?というところ。
この先きちんとしたセッティング。そしてインターコネクトや電源の整理と進む予定。
果たしてここまで音量を絞った状態でそれらが意味を持つか?
実はそれもまた興味津々なのである。
課題もいくつかあるが、それも楽しみ。
まあ結果が良いと苦労しても疲れも吹っ飛ぶ。
そうでないと実に暗い気分になるもんだが…
好事家というのは誠に単純なものである。
(今FMを掛けながら書いているが、これもまた良い味わいだ)
5月11日
ね、眠い…
夜中に犬に起こされた…
よって以下は昨夜3時頃眠れなくなった時に書いたもの。
もう寝たいので10日の内にアップします。
ZZZ…
ばかみたいにはしゃいでオーディオをやっているが、ここ何年かの鬱積したものが
噴出していると思って勘弁してください。
特に「極小音量オーディオ」なんて道を歩んだものだから音を出していられる時間が
ぐんと延びているのも関係している。
ただし、何事もやりすぎは危険。
特に時間には限りがあるのでオーディオばかりやっていてはいけません。
…といいつつオーディオの話し。
しかし一室にスピーカー12本は面白すぎる。
ロジャースLS5/9がペア二本。ダイヤトーンDS-301がペア二本。
FE87使用段ボールスピーカーが三本。栗スピーカーがペア二本。
コンコルド105がペア二本。ヤマハYST-SW45が一本。これで12本。間違いない。
この内ロジャースとダイヤはどちらかワンペアあれば良いから一組除外出来るとして
5.1chマルチで6本(サブウーファー含む)が必要。
マトリックスサラウンドで4本必要となるとやっぱり最低10本は必須となるわけだ。
実際問題、今リアは5.1とマトリックスでその都度配線を取り替えている。
また、サブウーファーも配線を差し替えて対処しているので足りないといえば足りない。
サブウーファーに関してはとりあえず差し替えで使うのが現状ベストというか現実的。
(将来的には未定)
しかしリアをその都度配線入れ替えるのは避けたい。
そうなると二本足りないという事になる。
実はスピーカーはまだあるので(おい!)足りるは足りるのだがポイントは設置だ。
とりあえずリアスピーカーの置き場を探るところから始めるか。
しかし、今はお遊びと言っても良い状況だから良いが、もし今後、今やっている事を詰めるとなると
何かと問題はある。
それは、シビアに考えれば5.1chマルチのスピーカー群も、スピーカーマトリックスのスピーカー群も
同じ、あるいは同じ様な場所に落ち着きたいだろう、という点だ。
そう考えるとスピーカーは(ロジャースやダイヤは抜きにして)6本にして
結線を替える事で対処するのが本当ということになる。
結線を替えるというのは面倒くさそうに思うかもしれないが
スピーカーの袂にまでケーブルが来てしまっていればそんなにやっかいではない?
いや、厄介か…
すると実はちょっとした秘策もあるのだが…
それはやってやれない事もないのだが、あまりやっている人を見たことがない作戦だ。
まあそれについてはもう少し後でオープンにしたい。
5月12日
まずはすぐ出来ることから、ということでリアのコンコルドをリスニングポイント背面にある
棚に入れてみた。
なんか申し訳ない置き方だが実験だから許してコンコルド。
引き続きスピーカーマトリックスで聴いてみる。
ノラジョーンズのファーストを選んでみるが
これが快適。
ノラ嬢が小さく、キュッとしまって前に立つ。
このあたりミニスピーカー(フロントは栗スピーカー)ならではだと思う。
サラウンド効果だが、ディスクリートのマルチみたいで笑ってしまう。
一種の隠れ4chかしら?
そしてサブウーファーの存在は偉大。
これを切ると音は途端に寂しくなる。
今更いうのもなんだが、極小音量で楽しい再生を目指すなら
サブウーファーは僕らの強い味方。
ただしシビアに聴くとコンコルドの位置は高すぎるし近すぎる。
この辺り詰めてみるとする。
5月13日
閑話休題。ここで軽く座学としよう。
(参考文献は「長岡鉄男の日本オーディオ史1950〜82」です)
サラウンドというかマルチというか、の歴史は長い(らしい)
うんと昔まで振り返るとわからなくなるので40年程度にしておこう。
(十分昔だが)
1970年頃、いわゆる4チャンネルの波が押し寄せた。
エポックメーキングだった機械としてサンスイQS-1が挙げられる。
クオードフォニックシンセサイザーという名称。
2chで録音された物を4ch再生する、という考えで、要はマトリックスだ。
L、Rの2ch信号からL+0.4R R+0.4L L-0.4R R-0.4Lという信号を作り
更に各chに90度の位相差をつけるというもの。
これが好評を博したところから各社4ch戦争に突入。
QS-1形式のマトリックスの他に録音を4chでおこないエンコーダーを通して
2chにまとめる。
それを再生時デコーダーで4chに戻して再生するという物も登場。
一方でディスクリート方式も登場。
有名なところでCD-4。
レコードの音溝の片側の音域を50kHzまで拡大。
通常2chの他にプラス2chを記録するというもの。
…と、簡単に言ってしまうとそれだけだが実際にはそれぞれの規格の中に
メーカーごとのバリエーションが山ほどありユーザーは混乱。
それが大きな原因で昭和の4chブームは失敗した。
いや、失敗したというのは失礼な言い方かもしれない。
副産物として色々な物を残したのも確か。
例えばCD-4規格などの登場でカートリッジの高域特性は大幅に向上したとも言える。
それと、とりあえず「サラウンド」という概念を残せたことは大きかったのではないか?
とよっしーは考える。
その後は'80年代末にドルビーサラウンド、ということでサラウンドは再登場する。
こちらは主にAVの世界で、ピュアオーディオとは別物と
考えて貰えたのが幸いして?今も生き残っている。
そう考えるとDVD-AやSACDの5.1chマルチは第三のサラウンドブームと言えなくもなかった。
が、これもSACDやDVD-A自体に火がつかないということで普及はしなかった。
いや、史上一番盛り上がらなかったサラウンドかもしれない。
こうしてみるとフロント2ch以外の形式が盛り上がった試しがない?
理由は色々あるがリアスピーカーの置き場所ひとつ取ってもそう簡単ではないのが現実。
更にプレーヤーもアンプも対応品が必要となるとおいそれと手を出せない。
もっというとピュアオーディオ派はサラウンドというとAV系の人の物という感覚を持っている。
フロント2chだけで音場も再生出来るのが本筋でしょ、となると仲間を呼ぶ時はリアスピーカーは
かたづけなくてはならない?
そんなこんなだ。
が、よっしー個人はこれまで散々書いてきた様に割とサラウンドとなじみが深い。
スピーカーマトリックス。マトリックススピーカー。とやってきて今回はディスクリートにも手を染めた。
ただしどれひとつ極めたことがないので今回は少し真面目に、と思っている次第。
ここ数日はDVDオーディオの5.1chマルチの方をお休みしてスピーカーマトリックスを堪能している。
5.1マルチも優れものだがスピーカーマトリックスも良いものだ。
スピーカーマトリックス方式はなんといっても結線だけでOKな訳でソースも装置も選ばない。
(*パワーアンプ、あるいはプリメインアンプがバランス出力の場合は出来ない)
ソースについては色々なのだが、アナログレコードの昔から、「隠れ4ch」なんて言葉があったくらいで
実は4chで聴くことを前提に作ったのではあるまいか?という物がいっぱいある。
そういうのに当たるととっても面白い。
これはやってみた人にしかわからない面白さだ。
5月14日
マトリックスで聴いて面白かったソフトの一例。
永井真理子さんの1st「上機嫌」
なんとも古いアルバムだが昔からエンディングの「夕闇にまぎれて」
が好きで持っている。
さて、このアルバムなんかマトリックスで聴かないと損だ、という感じ。
明らかに仕掛けがしてあり音が前に後ろに掛け合いをしたりと賑やか。
いかにもある時代を代表するようなサウンド作りだが、
良い意味で懐かしく面白い。
それを基準にすると、このマドンナの「TRUE BLUE」なんか大人しい部類だ。
ただし、これはもっと大音量で聴くことを想定していると思う。
そう考えると小音量ではマトリックス効果も薄いのかもしれない。
逆いうと永井さんのなんかは大きな音で再生すると
サラウンド過多と感じる可能性もある。
この辺りは良し悪しの問題ではない。
そういうものだ、というお話し。
変わり種?でFUNKY FOXの「MISSION CONPLETE」。
エレクトーンプレーヤー二人のユニットのアルバム。
ほどよくサラウンドする。
ただ、このアルバムを持っている人の内何人がそれを知っているかというと
多分誰も知らない。
(購入する層がまるで違うから)
以上はほんの一例だが一旦サラウンドの海に浸ってしまうと
元には戻れない感じだ。
5月15日
現在リアを司るコンコルドの位置は床から163p。
これは高すぎる、と超短気のよっしーは早くも修正したくなる。
しかし「焦りは禁物」、とそのままあれこれディスクを聴いてみることにした。
結果、この位置もまんざら悪くないと思えている。
コンコルドは現在リスニングポイントのほぼ頭上にある。
リア、といいながら前後関係で見るとよっしーの耳の位置とほぼ同じところにあるわけだ。
これで高さが1b程度だったとしたら、リアの音量がだいぶ大きいことになると思う。
スピーカーマトリックスのリア(あるいはサイド)スピーカーは
フロントスピーカーより高いところに位置させるのが無難、というのは
ひとつのセオリーだ。
何故か?
一般にフロントスピーカーよりもリアスピーカーの方がリスナーに近くなる。
フロントスピーカーを一方の壁寄りに置いたとする。
この時部屋の真ん中に椅子を持っていって聴くという人は居ない。
当然ながら椅子はフロントスピーカーに対向する壁近くに置かれる。
そうでないと実に落ち着かず、とても実用にならない。
となるとリアスピーカーといいながらもうリスナーの背後に置く場所はない。
置けば必ずフロントスピーカーよりもリスナーに近くなる。
これはスピーカーマトリックスだろうが5.1chマルチだろうが同じことだ。
リアスピーカーの能率がよほど低ければ話しは別だが
通常はこれではリアの音量が上がりすぎる。
解決策は?というとリアスピーカーを高いところへ持っていって
見かけ上の距離を稼ぐしか手はないのだ。
ゆえにリアスピーカーはフロントよりも高目にあった方が良いのだ。
もう一つ。
非常に陳腐だがその方が
「高さ」の表現も多少なりともし易い。
ということで現状のままもうしばらく聴いてみようと思う。
5月16日
リアの音量が上がりすぎるとどうなるか?
わかりやすくいうと「実体がおぼろげになる」
サラウンド、といっても通常はフロントが主役だ。
「前から来る音が主役」
これは当然のこと。
リアが上がりすぎると、主役が誰かわからなくなる。
例えばボーカルがフロントセンターにある…
はずなのがおぼろげになってしまう。
これは極端だがとにかく落ち着かなくなってしまう。
まあこれはとにかく工夫でなんとかするしかない。
ボリュームコントロールという手もあるが
基本的にはその種のことをしなくてもある程度の範疇に落ち着くように
セッティングで押さえ込んでおくに越したことはない。
目下のところ上手く行っているみたいで、色々なソフトが楽しく聴けている。
色々ありすぎて紹介していくのもどうかな?と思うのでポツポツと。
今回のこれは懐かしのTVドラマ、「LONG VACATION」のサウンドトラック。
これなんかトラックによってはリア過多みたいなのがある。
それだけ聴くとギョッとするが、これはわざと、なのである。
TVをサラウンドで観て(聴いて?)いるとわかるが
TVドラマの音声や音楽なんかは結構音を楽しく弄っている。
フロントで台詞。リアに音楽(これは極端な書き方だが)、みたいな
シーンがあったりする。
それを台詞抜きのサントラで聴くと、自ずとリア過多になるのだ。
その他にもわざとらしく音を弄っているのも多くて楽しい。
リアで音が右に左に駆け回っていたり、前と後ろで明らかに役割を分けていたりとか…
実に面白い、というか、もうサラウンドで聴かないのは損だ、としか
言いようがない。
5月17日
段々どのソフトがどうだとか書いているのが面倒になってきた。
とにかくおもしろおかしく過ごさせてもらっている。
ただし、あくまでも超小音量での話しなので
いわゆる本格路線とは違う話しかもしれないが。
それでも長い間の悲願だった?
ポピュラー系のソフトを楽しく鳴らす、というのは
個人レベルでは達成出来ている感じ。
うまく行っている(あるいは行っていると錯覚している)理由を考えてみると…
1、小音量で楽しむ、という方針に徹している。
→残念ながら音量を上げたら破綻する可能性はある。
2、スピーカーマトリックスが功を奏している。
→これは決定的だと思う。
3、ミニスピーカー(四発)+サブウーファーの組み合わせがマッチしている。
→今更ながら音楽再生における「低音」の重要性を痛感している。
サブウーファーによる低音補強などというと
マニアにはそっぽを向かれる可能性大だが
サテライトのミニが低音再生から解放される利点は見逃せない。
4、3とも繋がるがミニスピーカーが活きている。
ミニチュアだけど楽しい世界。
ミニチュアならではのジオラマ的風景を楽しむには
やっぱりミニスピーカーは好適。
しかも現状ではフロントの栗スピーカーは背面の壁から90p以上離れ、
左右の壁からも1b近く離れている。
置き場がロジャースの上というのはふざけているが
ユニットの高さはベンチに座った耳の高さにドンピシャだ。
これは音場感アップに間違いなく繋がっている。
音像は小さく、定位はわかりやすく、
両スピーカーの奥にとステージが容易に展開する。
そこにリアのマトリックスが追い打ちを掛けるので
トータルでの音場の深さは心理的に大変深いものになる。
今更だけどこの世界はとっても面白いものがあると痛感している毎日だ。
5月18日
割とうまく鳴ってしまったので、珍しく弄り回さずにソフトを聴いている。
とりあえずスピーカーマトリックス三昧。
片っ端から聴いてみているのでいちいち一枚一枚の感想を書いてもいられない。
そこで良いな、と思った物と「ギョっ」とした物とを一枚づつ取り上げる。
気持ちよかった物の一例が「Rr-Cool Reflections」
寺尾聰さんの「Reflections」のリニューアル物でSACDだ。
以前にも日記に取り上げているが改めて聴くとこれがなかなか良い。
いわゆる「オーディオマニアが涙を流して喜ぶ」録音とは違うが
この音の美しさはSACDならではか?
今のよっしーの気分には良くマッチする。
そしてサラウンドも心地よい。
このディスクはSACD/CDのハイブリッドではあるが5.1は入っていない。
だがスピーカーマトリックスでこれだけ行けたら5.1は無くても大丈夫。
上手い音作りだ。
さて、逆にこけてしまったのが「Get Along Together」山根康広さんだ。
一聴して「風呂場」である。
リアから大量のエコー成分が襲いかかる。
これを一発目で聴いてしまったら、ほとんどの人はマトリックスなんかやらなくなる。
もちろん山根さんが悪いわけでもエンジニアが悪いわけでもない。
これはそういう録音なのである。
まして通常の2ch再生ではそこまでのことはわからない。
マトリックスにしたら露骨にわかるというだけのこと。
付け加えると、この「Get Along Together」は定評ある名曲だが
個人的にはカップリングの「Good-bye-Love Road」の方が好き。
と、スピーカーマトリックスの可能性について。
またSACDのポテンシャルについて改めて感心していたら次が来た。
5月19日
KING CRIMSONの「RED」。DVDオーディオも入った特別版だ。
MLP Lossless Stereo(24/96)
PCM Stereo 2.0(24/96)
MLP Lossless 5.1 Surround
DTS 5.1 Digital Suround
と入ったDVD盤と
更にCD盤までついているからお買い得。
もちろん、まずはDVDオーディオから聴く。
一聴して驚くのは音が綺麗なこと。
いや、綺麗といってもそこはロックだ。ギターにはディストーションが
掛かっている。
…のだが美しいとしか言いようがない。
これがDVDオーディオの成せる技、と簡単に言ってはいけなくて元々の録音、
そしてマスタリングとか色々な要素が絡んでのことだ。
…なのだが、やっぱりDVDオーディオならではなのか?と正直思う。
あるいは段ボールスピーカーはハイファイソースと相性が良いのか?
あながち冗談では無いのだが、さすがに時折ボンつきを感じる。
キャビネットの限界だろう。
とにかく「RED」の5.1chマスタリングは成功していると思う。
DVDオーディオのマルチチャンネル再生は素晴らしい。
といってももちろん極めた訳ではない。
それでも素晴らしさがわかるところが素晴らしい。
その理由はどこにある?
フォーマットの素晴らしさというのはあると思うがそれだけではないだろう。
マルチチャンネル=マルチスピーカー。実はマルチアンプというのが効いているのか。
5月20日
時折思うことがある。
「ああ、俺は実は何もわかっていなかったのだ…」と。
例えば今回のKING CRIMSONなど中学、高校の頃聴いていた筈。
しかし何もわかっていなかったのだと思う。
彼らがなにをやっていたのかわかっていなかった。
(KING CRIMSON はただ者じゃない…!)
そして、音についてもわかっていなかったと思う。
この、“音についてわかっていなかった”のは多分僕だけではない。
当時それほどの真剣さを持ってロックを再生していた人はあまりいなかったはず。
最近でこそロックにおいても初期のアナログ盤の良さが語られたり(マスターテープの鮮度の違いがある)
リマスター云々が喧伝されるが、その時代ロックを音質で語る人など皆無だった。
別に揶揄するつもりでこんなことを書いているのではない。
純粋に“佳い時代”が来たと思っている。
しかし、当時ほんとうにわかっていなかった、と、それを思う。
ちょっと前にも書いたが、'70年代中盤まで、オーディオといえばクラシックかジャズだった。
他のソースはダメなのか?と思わず言いたくなるくらい偏っていた。
そこに風穴を開けたのは、まず傳さんだった。
オーディオするソフトにポピュラーを平気な顔で持ち込んでくれたのは傳さんで、
その頃どんなに勇気づけられたかと思う。
それではポピュラー音楽を、その頃の僕(あるいは僕ら)が上手く再生出来ていたかというと
これまた大いに疑問だ。
ポピュラー音楽が、やっとまともに再生され始めたのはここ20年くらいの事だと感じる。
そして、ようやく、'70年代の音源達に、これだけの物があったのだと認識されたのだと思う。
リマスター(リマスタリングすれば良いってもんじゃないが)、高音質盤の登場も一助になったかもしれない。
DVDオーディオやSACDも本当は大いに貢献していると思う。
そう思うからDVDオーディオやSACDでは敢えてクラシックやジャズの名盤とやらには手を出さず、
ポピュラー系の物ばかり攻めるようにしている。
以下、そんな事はなかなか起きないと思うが、'70年代〜'80年代当時、システムコンポで
せっせとそれらの音楽を聴いていた人達がSACDなどを通じて
今一度“音楽再生”というものの面白さに浸ってくれたら、と夢想してしまう。
なんというか、この歳にならないとわからない事もたくさんあって、
みんなで改めてそんな事を確認しあえたらと思ってしまうのだ。
5月21日
ひとやすみ。
「た、た、た、助けて〜…!」
5月22日
圧倒的小音量再生、などと馬鹿な事を言っているが
小さい音で楽しめるというのはひとつの理想。
(理想にはほど遠いけどね)
家人の居ぬ間にはもう少し…と思う時もあるが
お犬様はしっかりまとわりつく。
犬に遠慮というのも変だが、やっぱり疎外したくない。
ということでますます小音量再生派に…
「なんだかな〜」と思うが、それも性分。
しかたないっす。
5月23日
「…」
いや、いかにせん、もう少し真面目にやらないといけない。
激しく反省…
5月24日
いい加減はよっしーの信条。
しかしいい加減にもほどがある。
FE-87を使った段ボールスピーカーがあまりに良い結果だったから
次の物を作りたくて仕方なかった。
それで作ったのが画像の物。
一応共鳴管になっている。
ユニットはFE-108S。
昔々スーパースワンに使っていた。
今回の音だが、これは酷かった。
理由は色々ある。
1、段ボール云々を言う前にキャビネットはちゃんと作らないといけない。
FE-87と比べるとFE-108Sは俄然重量級。ふざけた作り方ではアウト。
また、構造も既存のFE-87が単純な密閉に対して今回のは共鳴管。
真面目さが必要だった。
サイズ的にも10pユニットには小さすぎ、8pユニットで適当、という物だった。
2、ユニットのFE-108Sは永年放置されていた物。
本来の性能は発揮していない上に起き抜け。
これでは酷くて当たり前。
ということで恥さらしな一品が出来たのだが、やってみて確認出来たことも多々あり
個人的には全くの無意味というわけではなかった。
例えば…
1、サブウーファーYST-SW45との繋がりを考えると、サテライトは8pで能率90dB未満が適当。
FE-108Sは超高能率であり、また音色的にもSW45とはマッチしそうもない。
2、超高能率ユニットは、今現在よっしーが研究している圧倒的小音量再生にも
向くか?と思ったが難しそうだ、ということ。
分解能は確かに上がるが、疲れてしまう。
また、中高域はユニットから。低域はキャビネットから、という感じになってしまい、
特に音量を絞った時は難しい。更に1で書いた様にサブウーファーも既存の物では
マッチしずらいから難しさが増す。
…ということを感じた。
念のためだがFE-108Sが悪いと言っているのではない。
ただ、エキセントリックなユニットを活かすには、装置全体に気合いが必要だし
一筋縄ではいかない、ということ。
そして今のよっしーはそのようなエキセントリックな物に対峙しようという気持ちが無いこと。
この二つが障害となり上手く行きそうもない。
以上だがもう一つ感じたことがある。
それは、時には常用とはかけ離れた異質な物を相手にするのもやはり大事だ、ということ。
人は特に日頃接している物とあまりにかけ離れた物を目の前にすると
「これは酷い!」と顔をしかめるか、あるいは己とのあまりの落差に(相手を凄いと感じたとき)
愕然としてしまうかだが、どちらの反応も本当は好ましいものではない。
落ち着いて対処することが大事。
エキセントリックな物にはその中に良さもあるし、
その逆に愕然として帰って耳を傾ける自分の音の中にもやはり良さはある。
偉そうに書いたがそのように思える様になったのも、自室で、あるいは人様の音を聴いて
自身の許容量が大きくなったから言えるのです。
考えるとよっしーはいつも自宅でも複数以上の装置を相手にしている。
単に気が多いからなのだが、同時に「俺はこれ」と決めつけてしまうことの怖さを知っているからとも
言える。
リファレンス、という言葉にはカッコイイ響きがあるが、
同時にちょっと危なさも感じる。
そんなことを、今回の経験は考えさせてくれた。
5月25日
わかったような事を書いてアップしたが
元の状態(現在2ch音源は栗スピーカーとコンコルド105のスピーカーマトリックスで聴いている)
にしたら「フツーの音」が帰ってきて凄く安心している(笑)
生活パターンが乱れていて、真夜中にNHK-FMを聴いているが
これがもの凄く良い。
やっぱりFMはNHKだ。
雨の音がまた良いBGMになっている。
超小音量といっても深夜だからあまりに静かだと近隣に気兼ねする。
しかし雨音がマスキングしてくれているだろう、と思うと
小心者のよっしーとしては助かるのだ。
とにかく深夜FMを楽しめるなんて、随分贅沢な話しだ。
ここでちょっと夢想した。
もしもよっしーの父があんな偏屈でなかったら。
そしてよっしーの母が今生きていたら。
深夜あちこちの扉を開放したこの家で(僕は閉め切りが好きでない)
FM放送を掛けたまま、素敵な語らいの日々があったかもしれない。
話しの中身なんかどうでもよい。
大切なのは語らいがあるかどうかだ。
まあ百回生まれ変わってもそれはあり得ないだろう。
残念。
だが幸い今のよっしー一家はまともなフィーリングの持ち主だ。
結局よっしーの父が最高の反面教師となったからなのだが…
5月26日
これは何でしょう?
ただの汚い物、と言われるとその通り。
これ、元は多分椅子だった。
木製。限りなく手作りに近い物。
よっしーの父は小学校の先生だった(とっくに退職)。
で、学校で廃棄になる物を貰ってきたのだと思う。
よっしーが高校生の時だったかな?
とにかくこれが二つ来て、よっしーは大喜びでこれをスピーカー台にしたの
だった。
載っかったスピーカーはビクターのシスコンの物で、
31p3way。ダンプドバスレフという
今考えると風変わりなスピーカーだった。
ブックシェルフというには遙かに大きく、フロアー型といっても良かったが
床に直置きすると明らかに低音過多になった。
これは当時非常によく見られた風景で、
'70年代中期というのはスピーカースタンドの重要性について
ちゃんと語られたなどと言うことは無かったのだ。
良く登場したのが、みなさんご存じのコンクリートブロックだったが、
実はその前に登場したのが「椅子」だった。
FMレコパルでは毎号読者訪問記事が掲載されていたが、
とにかく床置きで低音過多の症例があまりに多いことに業を煮やした?及川先生が
思いあまって「椅子」をスピーカースタンド替わりにしてしまうというケースが
見られたのが'70年代中盤。
更にスピーカーを天地逆に置くという技も披露されていた。
要するにウーファーを床から遠ざける、ということだ。
人のことはどうでもよい。よっしー自身はどうだったか?
確か中学の時に拾ってきたコンクリートブロックにスピーカーを載せたのが
始まりだったと思う。
実際これは効果抜群で、低音はグンっと引き締まり音質向上。
いやー、オーディオって素晴らしい!と素直に感激したことを覚えている。
しかしいかにもコンクリートブロックは汚らしい。
加えて拾ってきた物だから更に汚い。
そのうち部屋の模様替えだなんだとやっている内にコンクリートブロックが嫌いになる。
そんな時忽然と現れたのがこの椅子(台)で、あっさりコンクリートブロックを捨てて乗り換えた。
若者は移り気なのだ。
で、この白を塗ったのはよっしーの筈だ。
何故白なのか?というと多分余っていたペンキがそれしかなかったのだ。
更に足の下にキャスターを付けたものだった。
音質よりも利便性、みたいな気持ちだったと思う。
このキャスターが左右で八つは必要になるのだが、当時の自分にとって
相当な出費だったと記憶している。
あれから30年余。
日本は豊かになったもんだ。
今なら苦学生でもこんな台は使うまい。
(っていうかステレオになんか見向きもしなくなった?)
インターネットを通じて垣間見られるオーディオ装置はどれも立派だ。
(正確には立派に見える。写真というのはそう言う効果を持っている)
大変結構。
しかし、しかし、根が貧乏性のよっしーは時々素直になれなくなる。
立派なのは良い。
でも、そもそも僕達はそんな立派なもんなのだろうか?
年収低下が話題となるが、実力相応の収入になっているという見方もある。
故、長岡鉄男先生は、生前よく、「貧乏暮らしをしてオーディオだけは立派なのがある」
と揶揄していたが、よっしーにはその気持ちがわかるのだ。
(そう言っているよっしーのオーディオも十分分不相応だが)
日々の暮らしの中で
ふっと息を吸い込むと
人間は果てしない欲張りで
足りないものがある
そこが我慢出来なくて
何もかも手に入れたいと思ってる
僕が子供だった頃
日本は貧しくひ弱で
お金もなく肩寄せあって生きていた
物が足りないのは
みんな一緒だし普通だし
何よりも平和が大切でありました
僕はフキが大好きです
毎日でも食べたくなる
フキは茎だけでなく
葉っぱもとてもおいしくて
僕は竹の子も好きです
毎日飽きることはなく
柔らかいところだけでなく
かたい根っこのあたりも
大好きです
短い旬の味は
その季節まで待てばいい
人の世は常に満たされなくていい
何かが足りないからと
それが今ここになくても
大丈夫 心が貧しくならなけりゃ
僕はフキが大好きです
毎日でも食べたくなる
フキは茎だけでなく
葉っぱもとてもおいしくて
僕は竹の子も好きです
毎日飽きることはなく
柔らかいところだけでなく
かたい根っこのあたりも
大好きです
人が生きる道もまた
おいしい事ばかりじゃない
足りなくて満たされぬ日が多くある
何かが足りない時も
その事を受け止めたい
何もかも求め過ぎずおだやかに
「フキの唄」 吉田拓郎
かつて小学校で活躍した「椅子」はその後スピーカー台となり活躍。
その後移り気な持ち主のせいでベランダに放り出されるも
今なお洗濯かごの一時置き場として生きている。
雨にさらされ、大量の紫外線を浴びて、あの時塗ったペンキもボロボロになっているけど
今なお文句も言わず職分を全うしている…
「君の方がよっしーより偉いよ」
5月27日
1、極小音量で楽しめるシステムとする
2、ポピュラー音楽も楽しく聴ける物にする
…以上2点を(いつの間にか)目指して「よっしーの部屋」は
新たなる船出をした(こう書くとカッコイイが何となくそうなっていた)。
そしてそれは僕個人の判断ではかなり上手く行ってしまった。
狙ったわけではなくたまたまツボに嵌ったので、“行ってしまった…”なのだ。“行った”のではない。
整理の意味で重複することも書くがお許しを。今月のまとめみたいなもんだ。
さて、今回功を奏したのがサラウンド再生だ。
最初はDVDオーディオの5.1chマルチをやってみて、「小音量はサラウンドだ」との確証を持った。
(註:これについては一年前くらいから言っているが、今回のことで決定的となった)
で、“これはディスクリートだから良いのか?”と思ってスピーカーマトリックスに人生何回目かの挑戦。
結局これもディスクリートとなんら変わることが無いくらい良かったので大喜び。
ディスクリートとだろうがマトリックスだろうがサラウンドは小音量再生に好適との結論に達する。
もっとも、改めて1981年の季刊オーディオアクセサリー誌21号掲載(不思議の国の長岡鉄男vol1に再録されている)
の長岡氏の記事、「スピーカーマトリックス 4チャンネルシステム研究」を読み返すと
マトリックスサラウンドを体験した読者が、“ひとつ気がついたのは、かなり音量を絞っても効果があるという点だ。
十分に音量を上げることができない、われわれアパート住まいの下宿人にとっては、最良のシステムといえるかもしれない”
という感想を寄せられていた。
遙か昔から、体感する人はそのことを体感していたのですね。
もっと大胆に言ってしまうと、サラウンドでなくても2本より4本のスピーカーが鳴る。
つまりより多くの振動板を鳴らす再生方法の方が小音量でも痩せない音を目指す際は効果がある。
普通の正相接続で二組のスピーカーシステムを鳴らすのだって有効だ。
要するに振動板は多いほど良い?つまりトータルで振動している物の面積の和が大きいほどよい?
…と言って良いと思うが、では個々の振動板の面積は8pより10p。10pより20p。
それより30p3WAYと大きくなるほど更に良いかというと、これがそうでもないから面白い。
僕の部屋では8pが最も好ましく、大きくなってもせいぜい12pくらいまでが好結果っぽい。
これは何故か?
やはりたくさんの振動板が一斉に鳴ることから来る“混濁”という問題はありそうだ。
ひとつひとつのスピーカーは点音源に近い物が好ましい?
これはどうやら間違いでは無さそう。
更に言うなら追従性という点では大は小を兼ねない。
小音量ならまだしも、極小音量で楽しむとなると大口径より小口径の方が有利なのだろう。
超渋滞の道路を時速30キロ程度で走り抜けて行くにはナナハンより原付の方がマッチするのと
似たような理屈だ。
ついでにもう一つ書いてしまうと、何本同時に鳴らしても、ミニはミニなのでどうしても低域が寂しくなる。
なのだがサブウーファーを使うという身も蓋もない解決策に頼ればその問題はあっさり解決してしまう。
たびたび書いているように、今、僕が頼りにしているのはYAMAHAのYST-SW45。
このタイプのサブウーファーは正価でも2万円くらいで買えるのだからありがたいとしか言いようがない。
あまりにも当たり前のことばかり書くが、低域をサブウーファーに一存してしまえば
サテライトは低域再生という厄介ごとから解放される。
このありがたさといったら無い。
付け加えると、ポップスの一部には何故かとんでもないローブースト音源があるのだが
それもサブウーファーのボリュームを弄ることで簡単に調整できてしまう。
当たり前、と思われるかもしれないが、例えば3WAYスピーカーを使って、その低音を
アンプのトーンコントロールやら別体のイコライザーとかで調整するのは、これよりもはるかに難しいものだ。
それを考えると3D方式というのは特にポピュラー音源には有効な手だてと思ってしまう。
最後の最後に(これで最後としたい)ひとつ。
ディスクリートはまだしも、スピーカーマトリックスの場合装置は選ぶ傾向があると思う。
思う、と婉曲的なのは、この部分だけまだ今回立証していないからなのだが、多分間違っていない。
今現在よっしーが使っている装置はスピーカー類こそ比較的廉価な物達(栗スピーカー、コンコルド105、
FE-87段ボール、YST-SW45)だが、プレーヤーはSONY DVP-S9000ES、PIONEER DV-S10Aと高級では無いが
そこそこの値段の物。
アンプに至ってはカウンターポイントSA3とLo-D HMA9500MK2と分不相応の製品だ。
これらをもっと安価なプリメインに替えたらどうなるか?
試してみないと本当のことはわからないが、かなり差が付くと思っている。
先にも引用した長岡先生の同記事にも、“組み合わせる装置の方だが、できるだけ良い物を使いたい。
位相特性がよく、情報量の多いカートリッジ(註:この頃はアナログ全盛期)、アンプ。
実際にローコストのプリメインアンプを使った場合と、高級セパレートアンプを使った場合とでは、
音場の三次元的拡がりにかなりの差がつく”
とある。
マトリックスだから…というより、小さい音で聴けば聴くほど、この辺りのクオリティーは要求されるな、
と体感する今日この頃だ。
5月28日
よいよいと喜んではいるが、どんな程度よ?と言われると
自己満足の世界を出ていないと思う。
ふざけていないでもう少し詰めよう。
一番気になるのはリアスピーカーの設置。
リスニングポジション背面の本棚の中も悪くなかったが
ベストかどうかは探ってみないとわからない。
ということでスタンドを造ってみた。
作った…、内にはいるかどうか?
余っていた端材。合板を切り取り、2×4材にネジ止めしただけ。
高さはだいたい90p。
もっと高さを稼ぎたい気もしたが、見た目の安定は今くらいがほどよい。
これ以上となるといかにも落ち着かない。
まあ良い。高さはいかようにでも高く出来る。
それよりも左右(拡がり)。そして前後の位置関係だ。
ここが良い、という位置を探してみよう。
*余談だが、今よっしーは徹底して“余り物”の活用に励んでいる。
買いたい物もあるがこらえている。
だから端材を使う。
手引きで切って、慣れないカンナを掛ける。
ケーブルも買いたいのをこらえて端切れをよって繋いで使ったりしている。
マニア失格のやり方だが今は我慢。
望めばキリがないのだから…
5月29日
これも古いアルバムだ。
MY LITTLE LOVER の「evergreen」
サラウンド感バッチリ。
トラックによりダボダボの低音だが前述の様にサブウーファーの
ボリュームを弄れば済むことなので簡単簡単。
さてさて、サラウンドの海に溺れる。
それはそれだけで楽しいことだからあまり深く考えない方が良いかもしれない。
しかしそうとばかり言っていられないのが好き者の困ったところ。
リアスピーカーをあれこれ動かしてみる。
ついでに自分も動く。
どうやらよっしー自身がもう少し前進した方が良いみたいだ。
(ここでフロントスピーカーの位置まで要素に入れてしまうと訳がわからなくなるから除外しておく)
この辺りがやっぱりサラウンドの難しいところだ。
まあ仕方ない。
5月30日
もう10年ということなのか。
早いものだ。
しかし未だに亡くなったという実感がない。
長岡先生が残された物は実に膨大で、それを読み返し続けているからなのか。
僕の中では“現役”だ。
サラウンドサラウンドと騒いでいるよっしーだが、結局長岡先生のやられたことを
今になって検証実証しているだけな気がする。
点音源。音場感。それらの物はとっくに長岡先生が語られたことではないか。
…頭の中にはもっともっと言いたいことがあるのだが上手く出てこない。
あっちの世界でもスピーカーの設計をされているのかな?
5月31日
長岡先生が亡くなる少し前、SACDやDVDオーディオが登場している。
先生はそれらを十分検証されない内に旅立たれてしまった。
当時はハードも少なかったが、なによりソフトが少なかった。
ゆえにまともな評論は不可能な段階だったといえる。
長岡先生がご在銘だったら今頃どのように言っているのかな?
聴けないのが残念。
それともう一つ。5.1についてもそのさわりだけを見て、その後はご覧になっていない。
DVDオーディオやSACDの5.1。長岡先生だったらどう対処されたか?
クオリティの高さはきっと認める。
しかしセンタースピーカーをどうされただろう?
センタースピーカーに対して終始否定的だった先生のことだ。
デュアルセンターで対応したか?
あるいはアナログダウンミックスをして4.1で聴かれたか?
なんて書いたが、きっとスピーカーマトリックスで通したと思う(笑)
うん。多分そうだ。
…などと言い切ってしまうのには理由がある。
SACDの「狂気」到着。
しかしよっしーの部屋にはSACDマルチ出力を持つSACDプレーヤーが無い。
(*SONY DVP-S9000ESはSACD対応だが2ch出力のみ)
それなのに5.1で評価がとりわけ高いこのディスクを買ったのは何故か?
理由は簡単で、「万一廃盤になったら困るから」だ。
迷ったが発注してしまった。貧乏性のよっしーには珍しい。
で、満を持して掛けてみたのだが音が出て数分したらこれを書き始めてしまった。
これは素晴らしい。
多分もうCDの方を掛けることは無いだろう。
音のクリアーさは比類がない。
(このジャンルとしては、という注釈が一応付くが)
と、それより何より凄いのがサラウンド再生だ。
SACD5.1の環境がないということはスピーカーマトリックスで聴くしかないのだが
思わず、「あれ?5.1だっけ?」と錯覚するくらい見事。
間違っても、リアに残響だけが分離して響くだけのサラウンドではない。
こりゃまるでディスクリートの世界だ。
考えてみるとCDの「狂気」もスピーカーマトリックスで聴いたことがあるわけだが
こんな風には決してならない。
理屈の上ではどちらも2chのソースをスピーカーマトリックス再生しているだけなのだから
結果は似たり寄ったりになるはず?しかし…??
よっしーは何か錯覚しているのだろうか?
結局はSACDマルチ対応プレーヤーを手に入れてこの音と比較してみるしかないのだが
正直今日のところは購入意欲が激減してしまっている。
ってな訳で、長岡先生が在銘でいらしたらスピーカーマトリックスで十分、とおっしゃっただろうな、
と思った次第です。はい。