9月2日
CB50JXのエンジンオイルを交換した。
費用1.000円ポッキリ。
これだから原付はやめられない。
オドメーターが9.000Kmを越えた。
もちろんこれが実走かどうかわからない。
30年落ちの原付でそれを気にしても仕方ない。
オイルを換えたので気兼ねなくエンジンを回せる。
12.000rpm楽勝で回る。
ただし、それだけ回しても実際のスピードはたかがしれている。
そこが良いと言えば良いし、笑ってしまうといえば笑ってしまう。
9月8日
「あの頃は良い時代だった」という台詞がある。
何をして“良い時代”とするのかは人それぞれ違う。
ノスタルジーに浸るのも悪いもんじゃない。
ただ、過去にピークがあって、自分の人生そこから上に行けていない
というのだとちょっと寂しい。
そう、だから頑張る。というのもあるし、いや、もう頑張らない、
というのもある。
人生は様々だ。
しかし趣味のものについて語る時は、もちょっと無責任でも良い。
「ああ、あの頃はなんて良かったんだろう」
なんて話しても、道楽に関することなら問題意識なんて
そんなに持たなくて良い。
さて、ご覧の通り、これはPIONEERのPL-50L2。
細かいことは後にするとして、1981年秋登場で価格は95.000円。
カートリッジレスだ。
まず安くはない。
1981年当時の約10万円だから今なら20万円弱の貨幣価値がある。
しかしハイエンドではない。
そして入門機種でもない。
本格派プレーヤーのローエンドというべきか、
出来ればこれくらいの物を買ってオーディオをスタート出来たら
かなりの幸せ者という設定だ。
実際このシリーズには上に70がいて、下に30がいた。
PL-70L2(170.000円)になると、これははっきり歴史に名を残す一品。
更に上に行くなら、例えばP-3でもお求めなさい、ということになる。
PL-30L2は69.800円。
PL-50L2との価格差2万5千円はビミョーなところ。
しかし総予算20万円でコンポを組む、なんてことを考えると
2万5千円の差は大きいものになってくるし、
弊社の本格レコードプレーヤーは、お求め易いものでも
10万円弱からです、というのは営業戦略上好ましくない。
PL-30L2のライバルというとTRIO KP-700か。こちら64.000円。
ダイヤトーンにはLT-5があったが、こちらはリニアトラッキングアーム搭載で趣向が違う。
価格は69.800円。
デンオンはDP-51Fが、やはり69.800円だがフルオート、電子制御アームと
これも世界が異なる。
ではPL50-L2のライバルは?と見るとマイクロBL-71が98.000円である。
ベルトドライブの名器ということで良いライバル関係か。
ただ面白いものでちょうど10万円前後というのは他にあまり無い。
PL-70L2の17万円に至っては孤高の価格帯というか
同じ物が見あたらない。
参考まで、翌年登場のヤマハGT-2000が138.000円で、やっぱり10万円は超えている。
頑張ったのがTRIO、ケンウッドで、KP-1100は10万円台で健闘。
最後に9010は11万円だがこれは仕方ない。
…ということで10万円を切るか切らないかという価格設定のプレーヤーというのは
なかなかビミョーな存在だったかもしれない、と今更思い当たっている。
PIONEERのプレーヤーに話しを戻すが、
PL-50L2も70L2も30L2も、末尾に2が付くことからわかるように
それぞれMK2モデルだ。
元祖は1979年に登場している。
9月9日
PL-50L2の前身、PL-50は1979年登場。当時8万円ジャスト。
初代とmk2は基本的なコンセプトを一にするので、まずは初代について
一くさりしてみよう。
この時代はリニアトラッキング、電子制御アーム、
ジャケットサイズプレーヤーとアナログプレーヤーの世界も賑やかだが
PLシリーズはオーソドックスに徹した設計。
例えばSHローター。
Stabile Hanging Rotorの略称。
従来モーターの底部にあったローターの支点を
ターンテーブル直下に移動させたもの。
これによってローターの支点と重心の位置がほぼ一致することになる。
この頃のパイオニアのお家芸とさえ言える方式。
使われているモーターは回転ムラ0.013%以下。起動トルク1.6kg-cm。
針圧200gの負荷に対しても回転変動を起こさないとされる。
ターンテーブルは直径31a。
次にアームだが、シリコンオイル制御方式が採用されている。
オイルダンプアームの目的のひとつは低域共振の押さえ込み。
そしてトーンアームの機械インピーダンスのフラット化。
理論的には良いことづくめのオイルダンプアームだが
取り扱いの難しさもあり、ポピュラーな存在とはいいがたい。
しかしパイオニアは普及価格帯に近いPLシリーズにそれを採用。
この辺りの意欲は今更だけど凄いと思う。
オイルダンプアームの理屈については、わかる人にはわかっているし
今ひとつわからないという人に文章だけで伝えるのはなかなか難しい。
で、過去にこの話題は取り上げた気がしていたのだが、していなかったかもしれない。
(10年もやっていると自分でも何を書いて何を書かなかったかわからなくなる)
で、改めてオイルダンプアーム。
これは過去にも書いたと思うが、トーンアーム各種についてキチンと学びたければ
別冊FMfan30号の「トーンアーム徹底研究」が最高。書かれたのは長島達夫先生。
今回もそれを教科書とさせて頂き、つらつらと書いてみる。
まずオイルダンプアームの事始めだが、グレイのオイルダンプ一点支持トーンアーム
あたりまで遡らなくてはならない。
というかオイルダンプはそもそも一点支持という構造と対をなして発展したと言った方が良い。
一点支持トーンアームとはなにかというと、要するにほとんどシンプルなヤジロベエみたいなものだ。
各方向に容易に動くヤジロベエ。これはトーンアームのひとつの理想だ。
ただ、困ったことにトーンアームに軸回りのローリングモーメントが加わった時に
揺れ続けてしまうという宿命を持つ。
これをなんとか制御出来ないか?ということで行き着いたのがオイルダンプ。
一点支持軸受け部にオイルカップを設け、粘度の高いシリコンオイルを満たすことによって
ローリングをダンプしてしまう。
よく言われる例えだが、水飴の中にハシを突っ込みかき回してみるとする。
すると早くかき混ぜようとすると強い抵抗を感じるが、ゆっくりかき混ぜると抵抗はほとんど感じない。
「液体のもつ粘性抵抗は速度に対して非直線的に働く」という性質を持つからだ。
これを(一点支持)トーンアームの動きに当てはめると、アームのローリングの様な早い周期の振動に対しては
ダンプが強く働きくが、レコードの音溝によるアームの動きとかレコードの反り、返信などのような
遅い動きに対してはほとんど抵抗を示さず、一点支持の高感度な性質はそのまま活きるということになる。
9月11日
別冊FMfan30号の「トーンアーム徹底研究 」
担当は長島達夫先生。
よっしーがトーンアームについて、わかったような事を述べていられるのも
この記事があるからに他ならない。
それにしても登場するトーンアーム達の素晴らしいことよ…
今では単売トーンアームは天文学的なお値段になっているようだが
無理もない。
30〜40年前の時点でも単売トーンアームは割高な商品であり
同時に売っても儲からない商品だった(多分)。
しかし、これぞ“芸術”と言いたくなる美しさがそこにあり、
よっしーはトーンアームフェチにならざるを得ないのだ。
ところでこれが昨日も申した一点支持アームの軸回りのローリングモーメントの
概念図。
それを封じ込めるべくオイルダンプが使われる。
写真はAC-3000MCの軸受け部。
主立った構成部品。
これでイメージが湧くと思う。
そしてこちらパイオニアのEA-10。
1981年当時130.000円というから超高級アームだ。
P-3やPLシリーズにも同じコンセプトのアームが載っているわけで
EA-10について調べることは、一連のアームについて調べる事に繋がる。
当然ながらオイルカップの佇まい等はクラフトのオイルダンプアームと
似通ったものになる。
オイルカップに輸送時用のフタが存在するのはパイオニアのアーム達に
共通。
独特のアームベースの凄みが伝わるだろうか。
この辺りの姿勢も共通。
アームって、本当にカッコイイなぁ〜♪
9月12日
エクスクルーシブブランドのEA-10のお話しをもう少し。
EA-10はダイナミックバランス方式を採っているのでPLシリーズ付属のアームとは
その辺は違う。
だが、垂直水平方向共に作用するオイルダンプメカニズムが採用されている点は共通だ。
オイルダンプアームにおいてはアームに適度なダンプを掛けることが可能。これは前述の通り。
そしてもう一つ、オイル層の厚さを変えることによってアームパイプから伝えられる振動をコントロールしながら
ベースに伝えるという役割を持たせることも出来る。
EA-10の場合はそこを狙って設計されているのだ。
ポイントはアーム可動部を軽く作ること。
と、これは時代の要請もある。
この頃カートリッジ系の軽量化、ハイコプライアンス化、軽針圧化は進むばかり。
対応してアームの側も軽く動きやすく、しかも丈夫に、ということで
軽量のストレートアームがブームにもなった時期だ。
軽い可動部、重厚なアームベース。その組み合わせはEA-10などに顕著だし、
PLシリーズにも片鱗が窺える。
9月13日
もう一つ面白いのが、EA-10もそうだしPLシリーズもMK2になってからがそうなのだが
アームパイプが交換可能になっているところ。
軽量なストレートアームと従来型のS字アームの差し替えが可能になっている。
対応してカウンターウエイトも大、小二つが標準装備だったりするから興味深い。
多くのカートリッジに対して適切な対応をしようという意気込みの現れといえようか。
オイルダンプもダンプ量可変で、カートリッジごとに異なるダンピングファクターに
応じられる仕組みとなっている。
これだけの物を備えたプレーヤーが9万円台で買えた時代って、やっぱり良かったのでは
ありませんか?
さて、PL-50L2。とにかく真面目に作られたプレーヤーだ。
これまで触れなかったがキャビネットも天然木と4層積層のソリッドボード使用。
すき間の少ない高密度キャビネット+低重心インシュレーターでとどめを差している。
音は…?
9月14日
音はどうだろう?
と、考えてみると今よっしーの部屋の主役はAVアンプ。そしてスピーカーは10aフルレンジによる
共鳴管+10aユニットのリアスピーカーだ。
そしてスーパーウーファーはYST-SW45。
果たしてこれでどれだけのことがわかるのだろう?
ちょっと考えたが、現用装置そのままで行ってみることにした。
AVC-2870にはフォノ入力があることだし。
ただ、MCは使えない。MMオンリーだ。
そこでカートリッジはテクニカのAT-15Eaとする。
アナログは久し振りなので、掛け方を忘れた…
ということはないが緊張するものだ。
アーム調整。
難しいことはないが慎重に。
接点クリーニング…は有効で、特にこのプレーヤーは
アーム差し替え可能なので接点がひとつ多い。
最初片チャンネル音が出なくて驚いたが、綿棒とアルコールで解決。
さあ、ディスクをセットして針を落とした瞬間ピッピッと感じるものがあった
…というのは大嘘。
取り敢えず適当に盤を掛け続けることにしている。
装置全体が8月は休眠していたような状態だし、
アナログをやるのなんかいつ以来?という状況だし、
PL-50L2は寝起きだしということで、それで何か言っても
説得力に欠ける。
しばらくテキトーに過ごすつもり。
9月15日
テキトーに過ごすとは酷い言い方だが、ごめんなさい、アナログには
時間が掛かる。
そこがデジタル系とちょっと違うところだと思っている。
(継続的にやってきている場合はこの問題はない。と思う)
何しろアナログは機械的要素が多い。
盤と針が接触している。
針(カートリッジ)はシェルを介してトーンアームに振動を送り…
と、まあ色々ある。
とにかく色々な盤を掛けて上げるしかない。
ホイホイ掛ける。あれこれ掛ける。
…我ながら実にいい加減なつきあい方だ。
ただ、こんなよっしーでも一つだけ気に掛ける事があって、
それは何かというと針先のクリーニングだ。
特にここ数年のよっしーの部屋みたいにアナログを放置していた場合は必須。
レコードを片面掛けたらカートリッジをアームから外して
ルーペで針先を見てクリーニング。
特別な道具は使わない(持っていない)。
針先ブラシはカートリッジに付属していた物。
クリーニング液はテクニカのごくごくフツーの物。
とにかくそれで良いからクリーニングすること。
あったり前のことなのだけど、針先が汚れていて良い音が聴けるということは
無いのですから…
9月16日
外盤A級セレクションから一枚。
ヴァンゲリスの「見えない関係」
これのCDについては過去にネタにさせて頂いた記憶がある。
久々のアナログ、ということでラックから適当に盤を出して
時間の許す限り掛けているのだが、これは一聴してヒット。
何がヒットって、いわゆるサラウンド向けだ。
(よっしーの部屋の装置はスピーカーマトリックスのまま)
正にスピーカーを無視して音が飛び回る感覚。
前後も見事だが高さも出て、思わず天井を見上げてしまう。
2チャンネルで聴いても面白いディスクなのは
もちろんだが、サラウンドにすると楽しさ倍増、四倍増。
…と、ボチボチ楽しんでいるが
筋金入りの超低音は現用装置では出ていないことも確か。
ただ、今はそういう事は言わない約束なので
このままで色々聴くことにする。
9月17日
人間っておもしろいもので、“こんなことしている場合じゃないでしょ?”
っていう時に限って、“こんなこと”をしたくなる。
ホームページの更新も、僕にとってはその際たるもの。
お約束どおり(いや、誰とも約束していないが)せっせとアナログを掛けている。
まだ書いていない事や思うことも多々あるのだがそれは後ほど。
実のところ当初は納得いかないところも多くて暗い気持ちになったりもしたが
徐々に“当たり”の方が多くなってきた。
写真のLPは「ザ・ペンタゴン」
EAST WINDというレーベルが'76年に出したダイレクトディスク。
優秀録音を狙って掛けているというのではなく
色々なジャンルの物をランダムに掛けようとしてこのディスクにも行き当たった。
ダイレクトだから良いとか悪いとかはさておいて
安心して聴ける一枚。
PL-50L2含めて装置全体も調子が出て来たみたい。
もちろん注文はあるけど、それはどこに問題があるのか
本人はわかっているので今は問わない。
9月18日
中島みゆきさん、「私の声が聞こえますか」
大御所もさすがファーストアルバムは初々しい。
録音も真面目。
もちろんどのアルバムも真面目に録っていらっしゃるのだろうが
真面目の意味も色々あるというもの。
1976年録音。
実はポピュラー系が上手く掛からなくて落ち込んでいたのだけど
これは良い感じ。
やっぱり録音によるところは大きいのか?
あるいはこちらに問題がある気もする。
解決策は…
考えてあるのだが今はまだそれを実施しない。
(後のお楽しみ?)
9月19日
さてさて、つらつらとディスクを掛けてみたが、
取り敢えず優秀録音盤は良く鳴るが、そーでもない物は今ひとつという
つまらない結論に達してしまった。
それで正解といえば正解だが実におもしろくない話しだ。
同じラインナップでCD類はジャンル問わず自分的には楽しく聴けていたのだから
これはアナログ固有の問題ということになる。
AV-2870はAVアンプ。
10万円というお値段が信じられないくらい優秀な機械だと思う。
しかもMM専用とはいえフォノも搭載。立派である。
だが10万円のAVアンプに搭載されているフォノには自ずと限界もあろう。
今回はそれが如述に出てしまったと感じる。
当然の帰結として、ここでYAMAHA HX-10000登場。
PL-50L2の出力は一旦HX-10000に導かれ、そこからAV-2870のライン入力に入れることとする。
音は?
ここで違いが出なかったら趣味としてのオーディオはやめた方が良い。
単売35万円のフォノイコと、10万円のAVアンプのフォノイコで差がない方がおかしい。
どう違うか?説明するのも馬鹿らしい。
音は俄然躍動感を持ち始める。
今度はこの状態であれこれ聴こう。
9月20日
閑話休題
今年もこの日がやってきた。
敬老会。ボランティアでPA係をする。
アナウンスに、カラオケにと音響装置は大活躍。
ネッシーは今現在ここで活躍している。
世界にも類を見ない、ネッシーが棲む町内会館。
しかし20aフルレンジ二本で20畳を圧倒するというのは
こんなスピーカーでなければ出来まい。
おかげで「聞こえない」という苦情はなくなった。
再び閑話休題。
これについてはまた。
9月21日
長岡鉄男のオーディオクリニック。
説明の必要はないと思う。
別冊FMfan誌連載の人気企画で隔号掲載されていた。
スタートは13号だが単行本にはその一部が収められている。
詳しく書いているとそれだけで一ヶ月はいってしまうからそれはしない。
では、何でこの本を引っ張り出したのかというと
ソフトの重要性について当時から長岡氏が触れていたのがよくわかるからだ。
そんなことは誰だってやっていた、という人もいるかもしれないが
知る限りいない。
いや、もちろん各誌において優秀録音盤の紹介などは
恒常的にされていたのだが、読者宅に行って
「音が悪いのはレコードそのものが悪いからだ」
と言ってのけたのは長岡御大だけだ。
これはなかなか出来そうで出来ないことだっただろう。
先にその人の聴きたい音楽があり、
それに合わせて話しをするというのが普通であり
それを「ソースが悪い」と言われた日には目も当てられない。
しかしそれを平然とやってのけたのが長岡氏の凄いところだ。
…とはいっても長岡先生も行く先々で「オマエの持っているレコードは最低だ」
と言って回ったわけではない。
ただ、「シスコン向けのレコードで高望みをしてもダメだ」と言っている。
これは暴言ではなく、かなり親切な発言だと僕は思う。
音の悪いレコードから良い音を出そうと四苦八苦している人があまりに多いから
この発言に繋がったのだろう。
そしてその結果「外盤A級ジャーナル」という連載も持たれ
後に「外盤A級セレクション」という単行本に結実していったのは
多くの人の知るところだ。
確かにソースの威力は大きい。
逆の言い方をすると、ソースがかなり優秀だと
装置の陳腐さをカバーしてくれると言うことになる。
今回それを改めて痛感する瞬間があった。
それでこの単行本をネタとして取り上げた次第。
さて、だがしかし音質優先、録音優先でソースを選ぶというのには
限界もある。
俺の装置はソースを選ぶ、というと格好良いが
守備範囲があまりに狭いのも考え物だ。
と、それは良いのだが、最近気づいたのは
優秀録音盤から最良の音を引っ張り出すのにはお金も手間も掛かるのだが、
一方でフツーレベルの録音から良い音を引っ張り出すのにも
結局それなりに金と手間が掛かるということ。
あるいは優秀録音盤を相手にするよりも更に掛かるかもしれない。
9月23日
なにしろ気の向くままに書く雑文なので、あっちにこっちに
行きつ戻りつするのはご了承頂きたい。
PL-50L2では時間の許す限りアナログを掛けているし
色々検証しているしそれについてつらつら語りたいのは山々だが
資料を繰っていると色々楽しい物に出逢うもので
どうしても話しはダッチロールする。
別冊FMfan29号。
1981年春号。
正にPL-50達が活躍していた時期の物。
その中にこんな記事があった。
「音の入り口はカートリッジではなくレコードではないだろうか」
要するにソフトの話しなのだが、登場する人々が楽しい。
傅伸幸さん、藤岡誠さん、渋谷陽一さん、大塚晋二さん、
行方陽一さん、黒田恭一さん、増田一郎さん、
山中敬三さん、宇野功芳さん、長岡鉄男さん。
それぞれの人がレコードソフトについて語り、
愛聴盤を紹介している。そしてハードの方も垣間見る事が出来る。
これが実に興味深い記事なのだが全部詳しく紹介していると
それだけで一週間はいく。
なのでかいつまんで取り上げる。
まずは傅さんに行ってみよう。
一見してわかる通り若い!
元々オーディオ評論家としては異例の?若手だったが
この時30歳。
長岡先生あたりと比べると20歳の開きがある。
傅さん最大の功績はポピュラー音楽をオーディオ用のソフトとして
認知させたところにあると思うが
ここでも取り上げられているのはその種のソフトばかり。
ストリートライフ/ウエザーレポート
ロマンティック/エアプレイ
ストレンジャー/ビリージョエル
サラヴァ/高橋ユキヒロ
例外として一枚だけクラシックでストラヴィンスキーの春祭が入っている。
部屋の様子が、正に初期の傅さんという感じで
まだマーティンローガンは入っていない。
プレーヤーはビクターのTTシリーズターンテーブルに、
キャビネットは多分同社のCL-P1。
アームはクラフトのS字。
もう一台はマイクロのDDX-1000系でアームは
クラフトでストレートアーム仕様とSAECかな、たぶん。
次は渋谷陽一さんを取り上げたい。
が、これがまた若い!
渋谷さんも今では立派なオジサンだが(失礼!)
この時はまだ20代かもしれない。
告白するがよっしーの書く物に多大な影響を与えた人が二人いて
一人は長岡鉄男さんであり、もう一人はこの渋谷さんなのだ。
両者に共通して言えることは、歯に衣着せぬ点。
そしてどこか醒めた視線。
好きな人は好きだろうが、敵も多いタイプだ。
こんな二人に刺激されて物を言ったり書いたりするから
中学、高校の頃のよっしーというのは
本当に鼻持ちならぬヤツだったと思う。
“音楽評論家をやっているとテスト盤といって、日本で発売される
ほとんどのレコードがただでもらえる。
一般に音楽評論家の顔がいやしいのは、そうしたもらいグセがついているからだ”
と辛辣な文章が、ここでも読める。
“僕の立場は、オーディオもレコード製作パフォーマンスの
一要素であって、それだけピックアップしてうんぬんしても始まらない
というものなので、ここでは最近よく聴いているレコードをあげた。
サンディニスタ/クラッシュ
トラスト/エルビスコステロ
スティール/パリス2
メタルボックス/PIL
ビート・ファースト”
と、当然ロックのレコードオンパレードだが
この続きがおもしろい。
“一度オーディオメーカーの社内誌に書いたことがあるが、
ロックというのは一番オーディオ的な音楽ジャンルではないかと。
なぜなら、ロックという音楽はクラシックや他の音楽と違い
いわゆる原音というものがない。
原音そのものが電気処理されていて、原音再生幻想にしがみつこうにも
しがみつけないのである。
(中略)
音を徹底的に歪め、バランスを崩し、全く解体してしまう、
というような事はロックにおいては日常的に行われ、
それが一つの有効な音作りの方法論として確立してしまっている。
そうしたレコードに向かって、音のバランスが悪いとか、分離が良くないとか言っても
そうやって作ったんだと言われてしまえば身もフタもないのである。
(中略)
僕はロックという電気楽器主体の音楽が登場したことによって
オーディオそのものに対するイデオロギーが全く新しくなってしまったと
考えている。
単なる原音再生という、限りなく近似値を求める不毛な努力から
無縁のところにロックは立っている。
オーディオ評論家の皆さん、もっとロックを聴いて下さい”
…以上だが、痛快無比というかなんというか
実に身もフタも無い発言で嬉しくなる♪
ここで渋谷氏のシステムだが、プレーヤーはL-07D。
アンプはパイオニアのセパレート。
スピーカーはボーズというところ。
ラックはスティールの細身の物で、大丈夫かな?と思いたくなるが
その発想自体がすでに間違っていると怒られ?そうだ。
9月24日
いやはや実に楽しい特集で、取り上げ出したら止まらないし
取り上げる価値がありありなのだが、キリがないからやめておこう。
とにかく各氏各様?皆さん立派な一家言を持つ。
しっかりしたポリシーを持っているわけだ。
それを大事にしたい。
最近すっかり出不精になってしまっているが
よっしーが人様のお宅にお邪魔する時、「この人は何をどのようにされたいのかな?」
というところに最も関心を持つ。
もちろん、そんなポリシーなんか無い、という人がいたって構わない。
実際よっしー自身が大したポリシーを持たない。
しかし、やっぱり魅力的な世界を広げている人というのは
概して「こーゆーものをこー聴きたい」というのを確立させている場合が多い。
良き訪問者というのは、そこをすかさず察して
「なるほど…」と同和出来る人だと思う。
その人の音には、その人の人生を感じさせる何かがある。
そう思っているのでありました。
9月25日
さて、PL-50L2。
実は音が変だと悩んでいた。
アナログの音がおかしい。
とにかく痩せてカンカンする。
PL-50L2のせいだとは思えない。
カートリッジを多少差し替えてみるがダメ。
何がおかしいのか?
考えてみてもわからない。
あるいはフォノイコとアンプを繋ぐピンケーブルが
よほどのミスマッチなのか?
いよいよもって悩む。
で、ふと思ってAVアンプをチェック。
どうもいつの間にかトーンディフィートが入っていたようだ(汗)
つまりトーンコントロールがオフになっていた。
現状メインで使っている共鳴管(FE-108S使用)は
基本的にロー不足であり、アンプ側での補正を前提としているので
トーンフラットでは音にならない。
トーンを効かせて、数日ぶりにまともな音が帰ってきてホッと一安心。
しかしAVアンプはやっぱり操作が若干難しい。
CDを掛けてみれば容易に発見出来たはずのミスなのだが、
一旦アナログを構いだすとそっちは全くのけ者にしてしまうから
わからなかったのだ。
改めて音だが、これぞ日本の標準機というかんじで
安心して聴ける。
操作性は極めてよく、佇まいが実に美しい。
…ということなのだが本当のことはもう少し付き合ってみないとわからない。
いや、アンプの操作ミスさえなければとっくにもう少し詳しい事が
わかっている頃なのだが、回り道をしてしまいました。
これからもっとたくさんディスクを掛けて、
カートリッジも多少差し替えないと何とも言えないのだが
とりあえず久し振りのアナログを味わって過ごしたい、
秋の夜長かな。
9月26日
9月27日
プレーヤーの素性を知る。
コンスタントにオーディオをやっている場合は
そんなに難しいことではないかもしれない。
ただ、よっしーは特にアナログに関して休眠期間を作ってしまったので
慎重になる。
しかも、以前と装置は総入れ替えみたいなのだから尚更だ。
ところでプレーヤーの音といっても、本来PL-50L2なんか
カートリッジレスだから自分の音は持っていないことになる。
で、カートリッジを取り付けるわけだが
最初に付けたのはテクニカのAT-15E。
MMだ。
その音については後にまた書くとして、
今日は違うカートリッジのお話し。
違うカートリッジとは?
ビクターのMM。Z-1だ。
といっても知らない人も多いだろう。
そこで簡単に説明。
このZ-1というカートリッジは1976年頃からしばらくの間生産されていたもので
当時1万円ちょうどだった。これの正式名称をZ-1Eという。
兄弟関係のX-1あたりと比べるとずっと安い。
もちろんこれより安かった物も存在するが
いわゆるコンポ向けカートリッジとしては
せめて最低限これくらいは…という意味で当時のローエンドだったわけだ。
で、これの針を楕円針から丸針に換えたバリエーションモデル
Z-1Sというのが更に存在した。
これが実は当時のビクターのローエンドプレーヤーには標準装備されていた。
幾度か書いているがよっしーの最初のアナログプレーヤーは
ビクターのJL-F35Mというベルトドライブ・フルオート機で
これにも上記Z-1Sが装着されていた。
学生時代というのは今を基準にすると1万倍くらい暇があったわけで
このZ-1Sは年間走行距離何万bという感じで
レコード盤の上を実によく走った。
(しかも同じレコードの上を、だ)
まあ後生大事にしまわれて運動不足にさせられるカートリッジと比べて
どちらが幸せかというとZ-1Sは道具としての宿命を全うしたわけで
却って幸せだったかもしれない。
しかし、若さと書いて馬鹿さと読むの例えどおり?
幼いよっしーは無茶をした。
ある時オーディオ誌で、”カートリッジの取り付けネジはキッチリ締めること”
と書いてあるのを読んでぐんぐんネジを締めた。
この時のシェルは、ネジ穴が切ってあるタイプではなく
穴が貫通してボルトとネジで固定するタイプだったから堪らない。
果てなく締めたものだから気づいたらZ-1Sのボディーは
哀れ、湾曲してしまっていた…
ひどい話しである。
そんな目に遭いながらも、このカートリッジ約10年は働いてくれたのだった。
で、二回目か三回目の針交換を、と言うときに
針交換だけでも4千円。まるごとZ-1Eに買い換えても1万円
ということに気がついて、ボディーごと交換した。
確か1985年のお話しだったと思う。
ところが皮肉なものでその頃就職して忙しいし、
興味はバイクや車の方に行ってしまったので
このZ-1E、大して活躍しないことになってしまう。
人生そんなもんだ?
時は流れ1990年だったか、気まぐれにGT-2000を購入。
それでしばらくはZ-1Eを取り付けて聴いていたのだが
”これじゃあプレーヤーとカートリッジがあまりにアンバランスだ”と
思いこんでAT-15EやAT-33Eを買ってしまった。
これでまたしてもZ-1Eは隠匿されてしまった…
で、2001年だったか、ちょっとした理由でこのZ-1Eは
新品の針を付けて貰えた。
(しかし実に長い間針を売ってくれていたものだ)
そしてそのまま又休眠。
だってこの頃になると結構な種類のカートリッジが手元にあったのだもの…
…と、すさまじく長い前置きになったが
(何しろ通算35年に及ぶ物語だから仕方ない)
ウルトラ久し振りにZ-1E登場。
正直言って期待はまるでしないで音を出したのだが
聴いてビックリ!実にナイスなサウンドではないか。
1万円にしては…という但し書きつき、と言いたいのだが
どうもそういう言い方もしたくない心境だ。
ただ、ひとつだけ。
ジャンルは選ぶ。
はまると最高、という感じ。
(続く?)
9月28日
1万円のローコストカートリッジで大はしゃぎしている
ようではいけないのかもしれないが
実際つぼにはまると堪らないのだから仕方ない。
では、何がはまらないかというのを先にはっきりしておきたい。
クラシック全般。
ちょっと苦手である。
そしてジャズもあまり上手く鳴らない。
??それでどーなるの?と思われそうだが
これはよっしーの腕に問題があるかもしれないので
今後に期待しよう。
では何がはまるのかというと、いわゆるポピュラーだ。
実にクリアーで爽やかなサウンド。
エレキギターのカッティングなんかたまらないのひとこと。
爽やかすぎて弦楽四重奏がはまらないという説はあるが
この際それはどーでもよろしい。
あえて目下の悩みどころを吐露すると
後一歩低域が薄いこと。
質は悪くないのだが、厚みが後ちょっとだけ欲しい。
どうしたものか思案中だが、これはソフト側にも
問題があるのかも?と思っている。
あるいはハードの他の部分の問題か。
いずれにしても対策は講じたいのだが
目下のところは合うソフトを発掘することの方に忙しい。
マッチしたソフトの一枚。
高樹澪さんの「不失花(うせざるはな)」だ。
なんでこのレコードがあるのか?記憶が定かではないが
なんとなく買ったのだと思う。恐らく100円。
小椋佳さんの作品が目を惹くし、サウンドプロデュースが
チト河内さんというのもおもしろい。
(チトやん作詞作曲の物も二曲ある)
大人な一枚。
しかもアルバムのCD化はされていない。
LPを聴く価値が、尚更ある。
9月29日
カートリッジに合わせてソースを選ぶというのも変な話しだが
こちらもZ-1Eがマッチした。
杏里で「サマーフェアウェルズ」
レンタル落ちを20年位前に買ったと思う。
しかし我ながら経済に貢献していない。
ごめんなさい。
9月30日
うーん、なんともいけない日だ。
自分のせい、と冷静に判断するとわかるのだが
凡ミスというか、間の抜けたことをしている己に気づき落ち込む…
外部要因のせいにしてはいけないのだが
ひとつ言えるのは人間やっぱり休養も必要ということか。
頭が腐っているとろくなことにならない。
結果周囲にも迷惑を掛けてしまって、どうしようもない。
ブルーな気分で(ブルーな気分だから救いを求めて)
占いを見ると“絶好調な一日”と出るから余計落ち込む。
おいおい…
もしかしたら一日ずれていないですか?
そうだ。一日ずれた事にしてみよう。
明日は良い日ということになるから。
それはさておき、オーディオだ。
カートリッジはビクターZ-1Eに固定しておく。
ここではじめてPL-50L2ならではのオイルダンプを掛けてみる。
そーです。今まで掛けないでおいた。
何故かというと、まずダンプ無しの音をしっかり聴く必要があると思ったから。
まずダンプの目盛りを1まで進める。
これはあまり変化が認められない。
もちろん、もの凄く集中するとそれなりの差は感じるのだが。
そこで目盛りを2まで回す。
ここでちょっとエネルギーバランスに変化が現れる。
トーンが落ち着くというか、そんな感じ。
おもしろいのは音像の確かさみたいなのがやや向上するところ。
更に差を求めて3まで回す。
するとだいぶ音調が変わってくる。
…のだが、これはどうか。
Z-1Eの持つ爽快さは後退。
割とありふれた音になる。
そこでゼロまで戻す。
つまりダンプ無しだ。
これで聴き直す…といっても最低1分は待たないと解除にならない。
で、聴くとやっぱりこれが一番良い。
と言ってもダンプするのが悪いと決めつける事は出来ない。
判断をするなら、もっと色々なソフトを多彩なカートリッジで聴かないといけない。
今回も3は行きすぎだが1〜2の間の音は良い点だけみると
掛けてみる価値はある。
ただ、その程度なら無くても良いかな?と思ってしまう
不精者のよっしーなのだ。