オーディオ日記2010年10月
10月1日
Z-1Eも良いのだが、ここで再びAT-15Eにカートリッジを戻す。
シェル込みなら2万5千円とZ-1Eの2.5倍の価格となる。
音はZ-1Eと比べるとグンと厚くなる。
簡単にいうとベース領域の太さが違う感じで
安定感が増して対応出来るソースが広がる。
いわゆる万能型の感じ。
ただ、Z-1Eにあった圧倒的な清涼感みたいなのは失われるわけで
このあたり痛し痒し。
10月2日
MM続きで来たがここでMC登場。
テクニカ繋がりでAT-33E初代だ。
一世を風靡したというかバカ売れしたベストセラーだから
説明は省略。
AT-15Eが実に実直な堅物だとすると、こちらは派手な振る舞いの
お姉ちゃん。
お姉さん、ではない。
悪くないのだが高樹澪さんの声がやけにハスキーになる。
中域が薄くなるのが難点だが、これはそういうカートリッジなのだ。
で、この派手さがオイルダンプで飼い慣らせるかと思ったが
そう簡単ではないことに気づく。
ダンプしすぎると音が死ぬし、微量だと効果がわかりづらい。
なかなか難しいものだ。
10月3日
ここで再びMMの世界に戻る。
エラックのSTS-455E登場。
これは2004年の暮れに捕獲して(要するに拾って)来た物達の中の一つ。
で、確か昔の日記でも取り上げた…と思って読み返したら
中途半端で終わっていたことに気づく。
大変失礼な事をした。
これも大変なベストセラー機の一つで、説明するのも憚られるが
西独製で古典的な作りのMMである。
サスペンションワイヤー無し。
針は0.2×0.8ミル 楕円針。
ボディの接着は弱いし、針のスリーブも貧弱。
カンチレバーもジュラルミンパイプとは訊くが
実に大らかで思わず笑ってしまうほど。
しかし、音は平凡な中に非凡な物があるというタイプで
なるほど、これは売れるカートリッジだと改めて思った。
繊細だが繊細さを突き詰めない。
つまり神経質にならない。
低音は厚みと暖かみがあって、“音楽を安心して聴かせますよ”、
とカートリッジが語りかけているようだ。
実に素晴らしいカートリッジだが、残念ながら手持ちの物は
状態が今ひとつ。ボディの接着をやり直さないといけないし
(これはそんなに難しくない)、何より針交換が必要な感じだ。
針先摩耗よりダンパー劣化が気になる。
それでもこれだけの音を聴かせてしまうのだから
逆にいうと凄い。
針は今でも手に入るようで、却って悩んでしまった。
高い針では無いが他に優先すべきものもある。
しかし、名のあるものにはそれだけの内容があるものだと
改めて頭が下がってしまった。
10月4日
PL-50L2の話題のはずが、気づけばカートリッジのインプレッション集?
いや、そうではない。
プレーヤーの素性を知ろうとすると、これは避けられない行為。
だが、まあ久し振りのアナログで楽しくて仕方ないのも事実。
ここで満を持してMC-L1000登場。
Z-1Eも良かったし、AT-15Eも良かった。
AT-33Eも良かったし、STS455Eも秀逸だった。
だがL1000が出て来ると、これはちょっとブッチギリの世界になる。
格の違いをまざまざと見せつけられた感じ。
こんなにまで違う物かとあきれた。
文句なしのハイファイ。
ただしソースによっては硬質に感じるかもしれないし
もう少しふっくらとしたふくらみが欲しくなるのかもしれない。
それでも物理的特性の差というのは歴然とある。
…以上ここまでの何週間かを総括していうと
まずPL-50L2というプレーヤーは大変優秀だということ。
なにをしてそう判断するのかといえば
ソースやカートリッジの違いをきちんと出すから、ということになる。
それがどうしたと言われるとそれまでだが
そもそもプレーヤーというのはプレーヤー自体の音は持っていないとも言える。
カートリッジが変わり周辺機器が変われば音は変わってしまう。
また変わった方が良いと思う。
もちろんこの発想が全てのケースであてはまる訳ではない。
例えばEMTのようにカートリッジまで含めて固定して
「これがEMTだ」と宣言してしまう行き方もある。
音に対して責任を持つという観点からすると、それが正しいと言えよう。
しかし、そうでない世の中のたいていのプレーヤーの場合
違いがきちんと反映されるかどうかを見るのが一つのやり方だと言っても
まあ間違いではないと思っている。
素性の確かなプレーヤーでさえあれば、
後はカートリッジ含めた諸々の要素で、後は追い込んで行けば
自分にとっての好い音というのを引っ張り出すことが可能だと思う。
もちろんプレーヤーの格による音の違い。限界の違いみたいなのはあって
それは乗り越える事は出来ないのだろうとは思う。
(悔しい話しだが)
それでも、例えばPL-50L2クラスのプレーヤーを十分使いこなせるだけの
技量を先に積んでおくに越したことはないのではないか。
振り返って、パイオニアはこのPL-70、50、30辺りをもって
アナログプレーヤーの開発をほぼ終わらせてしまったわけで
(註:その後多少出してはいたが)
実に残念至極な話しではある。
もっとも、それはパイオニアに限った話しでは無く、
各メーカー共右へならえだったのではあるが…。
最後の最後のこの時期、例えばヤマハはGTシリーズで
アームまるごと交換可能。豊富なオプションパーツで発展可能
という世界を作り上げた。
パイオニア他幾つかのメーカーはパイプ部分での差し替え可能として
軽量ストレートアーム嗜好に答えようとした。
あるいはトリオはアームは固定(最後期はDSアーム)して
専用シェルの使用を促した。(880シリーズ)
そして最後にはJ字アームに戻して、一番オーソドックスな形で
終焉を迎えた。(1100及び9010)
まあ色々あったが10万円クラスのプレーヤーに非常に優れた物が
たくさん存在したということだ。
あえてこのような事を書くのは、同時期アナログ最後の打ち上げ花火とばかり
超弩級プレーヤーが発売され、ついつい多くの目がそちらに向くからだ。
GT-2000にしてもKP-9010にしても、PL-50L2にしても
今再び作ったら一体幾らになるんだろう?という凄い機械だ。
大切にしなくてはいけない。
…ということでこのPL-50L2もゴミ捨て場から拾ってきたのが
二年くらい前だったのでありました。
単売出来そうなフォノモーター+これまた単売出来そうなアームを
しっかりとしたキャビネットに取り付けでコンパクトにまとめる。
'70年代によく取られた手法といえばそれまでだが
今振り返ると夢のような時代だ。
10月5日
そうだ、このPL-50L2もまた、危うくゴミとして処理されてしまうところだったのだ。
まあ拾われて良かったかどうか?機械には口がきけないのでわからないが。
しかしお陰でよっしーはアナログ三昧になってしまって、
とにかく極端なのだ。
一旦やり始めるとそればかりやっている。
しかし得る物は多かった。
久し振りにカートリッジの差し替えをしまくったが
これはおもしろかった。
改めて、こうまで違うか、という感じだ。
Z-1Eの清涼感は思わぬ拾いものだったし
STS-455Eの魅力も初めてわかった気がする。
テクニカのカートリッジ達。なにより丈夫だし信頼出来る。
MC-L1000は久々の登場で度肝を抜いてくれた。
これには本当に参った。
だが、今現在PL-50L2に装着されているのはコンダクトYC-05Eだ。
MMの隠れた名器。
これも大変なカートリッジだと思う。
L-1000は大変結構なのだがソースやハードは
選ぶ傾向がある。
それに比べるとコンダクトの方が許容範囲が広く、応用が利く。
しかしこう考えるとアナログ時代は十人十色というか百人百色というか
本当にみんなで違う音を聴いていたのだと思う。
カートリッジを取り替えることで百様の音が出る。
もちろんCDプレーヤーも機種ごとに音は違うだろうが
部分的に差し替えて音を変えるなんて芸当は出来ない。
改めて、“だが万能のカートリッジというのは無い”、と今回思った。
今日はこれを聴くからカートリッジはこちら…というのは
やっぱり正しいやり方みたいだ。
で、更に微調整、という時に、あるいはオイルダンプも役に立つかと気がついた。
最初ははっきりした変化を求めすぎてダンプを弄りすぎたのかもしれない。
ちょっとのさじ加減でやってみるとビミョーにマイルドさ、穏やかさが出るみたいだ。
そこまでしなくても、とも思うけれど
なによりソフト側が様々なのだから、対応出来るに越したことはない。
10月6日
これまでかなりの数のカートリッジも拝聴して、ある程度の事はわかったようなつもりでいた。
けど、本当にわかっていたのか?と最近疑問に思うようになってきた。
それぞれのカートリッジが、本当にそれぞれの持ち味を持っている。
優秀なカートリッジはやはり持ちたいのだが、ソフトの方がそれでは不幸になるというケースも多い。
雑多なソフトそれぞれに、上手く鳴らしてくれるカートリッジというのはあるもので、
最近になってようやくそれを探るようになってきた。
すると本当にそれぞれのカートリッジに、それぞれの良さもあればミスマッチの極みとあると痛感する。
アナログは実に楽しい。そしてまた悩ましい。
しかしよく考えてみると現用装置…
ADプレーヤー パイオニアPL-50L2
フォノイコライザー ヤマハHX-10000
…これは良いのだが、アンプはAVアンプで
デンオンAVC-2870
スピーカーは15年落ちのフルレンジ、フォステクスFE-108スーパー。
10a一発、とそれに是非は無いが賞味期限は切れたユニットな気がする。
キャビネットに至っては廃材を手引きでカットして作った共鳴管。
サブウーファーはヤマハYST-SW45で、優秀だがハイエンドではない。
…そんなんでよくこれだけの音が出るな?と感心してしまう。
AVアンプというのもかなりいける物なのか?あるいはこのあとプリ+パワーに換えたら
愕然とするほど違うのか?
楽しみではあるが今のところ差し替えの予定無し。
現状でまだ確かめることがある。
10月8日
久し振りに生演奏を聴きに行ってきた。
可愛くない事をいうようだが
よっしーには生信仰みたいなものがない。
生は生。再生は再生。
棲んでる世界が違うものは、やっぱり棲み分けするに限る。
と、これはあくまでも個人的見地。
しかし、生は良いな、と思うのは
聞こえる音に対して悩まなくて良い点。
定位が…、とか高音が低音が、とか考えなくて良い。
だって悩んだって変えられるものじゃないから(笑)
その点で悩むのは演奏家の仕事というものだ。
オーディオ(再生の意味)の場合、そこに参加して弄れてしまう。
そこに楽しさもあれば悩みの元もある。
レコード演奏家という言葉があるが
意識するしないにかかわらず、オーディオ好きな人間は
皆レコード演奏家なのではないかと思う。
演奏者は楽器を相手にする。
僕らはレコード(記録された媒体)を相手にする。
そういう違いかな?と思いながらコンサートを聴いていた。
10月9日
画像は優秀録音盤である。
さすがに美しく鳴る。
それはそれで良い。
しかしS&Gあたりだと、これは正直なんとも上手く鳴らない。
これはやむを得ないのか?
いや、よっしーは今まで上手く鳴らなかったソースを
なんとか鳴らしてみたいと思っている。
色々挑戦中。
しかしこーゆー楽しみって、やっぱりアナログならではですよねー。
時に苦しみでもありますが…
10月10日
何とかの一つ覚えみたいにレコードを掛けている。
(時間の許す限り、だが)
働きものはテクニカのAT-15Eだ。
15年近く寝かされていて、突然叩き起こされて可愛そう。
そこでシェルにテクニカのLT-13二代目を奢って上げる。
元々この15Eは15Eaでシェル付きなのだが、それはマグネシュームタイプ。
ここは一発アルミ削りだしで行ってみようと思った。
同時にレコードクリーニングもせっせとやっている。
もちろん必要がある盤に限ってだが。
色々あっても水洗いがもっとも手っ取り早く効果的なので
それ一本でやっている。
まあこれもほどほどにしないと、ほんのわずかなプチプチまで
気にし出すと果てしない世界になる。
話しは変わり「SECRET LOVE」/高橋達也 なんか掛けてみると
現用組み合わせの限界なんかも見える。
なかなか厳しいディスクではある。
10月12日
ディスク、ディスクと我ながらうるさいので、ここらで別のディスクの話しにしよう。
(誰より自分が飽きた)
ご存じ?HONDA CB50JXのフロントディスクブレーキ。
悪名高い?機械式ディスクブレーキ。
ドラムブレーキより効かないとか色々言われるが
フロントがドラムの初期型CB50は乗ったことがないのでなんともいえない。
ただ、油圧ディスクより効かないのは、これは仕方ない。
仕方ないというか油圧を使ったブレーキの方が効くのは当たり前だ。
そこで一発反論しよう。
機械式ディスクブレーキのメリットだが、分解が極めて気楽に出来る(笑)
これに尽きる。
油圧というのは一旦解放してしまうと、その後エア抜きだなんだと面倒臭いが
機械式ならそんな心配は無用。
男らしく開けて、また閉めればよい。
どうだ、こんなこと油圧で出来るか?
更にハンドル回りがスッキリしている。
マスターシリンダーが存在しないからだ。
…と、やけくそな反論をしたが、まあブレーキというのは効いて困ることはないので
ホント言うと油圧が羨ましい…
だが、JXのJXたるところは機械式ディスクブレーキ。
別名メカニカルディスクであるところに尽きるのも事実。
なるほど油圧となったCB50Sのディスクキャリパーも小粋で美しい。
しかしJXの大きめのキャリパーも負けず劣らず美しい。
いや、実際JX-1以降のCB50のデザインバランスからいうと
あのキャリパーのでかさがベストマッチで、Sの油圧キャリパーは
ちょっと小さすぎる(デザイン的に)と思う。
また、改良故にSになってからはフロントディスク全部が右側に移されているが
これもデザインバランスでいうと右側面にはマフラーがあり
左側面にはディスクがあるというJXの方が美しいのだ。
…と理屈はよいが、その優秀な?機械式ディスクブレーキをこんな風にしてはいけない。
こうなったのはよっしーの不徳の致すところであって、前オーナーのせいではない(と思う)。
メンテナンス中の写真は無いが(撮影不可能)
パーツクリーナーとブラシで徹底洗浄。
その後グリスアップ(マニュアルを20年前に買ってあって大助かり)
でフィーリングは蘇った。
次はリアドラムブレーキメンテナンスですね。はい。
10月13日
何事もやりすぎは良くない。
仕事、遊び、喧嘩、道楽、課外活動、ボランティア、
なんでもそうだ。
…というのは自分に言い聞かせている。
久し振りにアナログやって、おもしろいのは結構だが
ちょっと疲れてきた。
そろそろ遊びはほどほどにしてシステムというか
部屋を整備しないといけない。
そう思いながらついついレコードを水洗いしては掛けて、
「このディスクにはあのカートリッジの方が良いかな?」なんてやっている。
こりゃダメだ。
大いに反省してしばらくは音を出さないようにしよう。
10月14日
しばらく音を出さない…
そんなこと出来るはずがない。
(馬鹿につける薬はないもんだ)
スピーカーを自作共鳴管からダイヤトーンDS-301に差し替えた。
理由…は無い。やってみたかっただけ。
AT-15E、PL-50L2、HX-10000、AVC-2870はそのまま。
音を出してちょっと驚く。
その1。センター定位が驚くほど良い。
その2。歌詞が聴き取りやすい。
2については過去にも幾度か経験がある。
問題は1だ。
フルレンジ10a一発のシステムの方が定位なんかは良さそうな気がする。
DS-301は4Wayマルチなのだ。
?と思うが事実だから仕方ない。
しかし後方への音の拡がりが減退。
これはセッティングのせいだと考えた。
自作共鳴管は自由空間にポンと置かれ、後方の壁との距離もたっぷりだった。
対してDS-301は壁際にセッティングされている。
そこでよっこらしょ、と壁から離して、元々共鳴管の置いてあった
あたりに移動(もちろんスタンド使用)。
これでどうだ!と思って聴くと、サウンドステージに向上はなく、
なんとセンター定位があやふやになった(!)
どうも共鳴管が置いてあった辺りは、スイートスポット…ではなく
魔のスポットみたいだ。
と、音はさておき、とにかく視覚的に邪魔というか耐えられない。
元の壁際にDS-301は後退。
しばらく聴いている内にトータルでも向上。
スピーカーマトリックスでリアに栗スピーカーを配置。
(正確にはほぼサイド)
能率的に後一歩だが、大人しいマトリックスとしては十分。
AVC-2870は依然活躍。
あまり例をみない組み合わせだが、“これで良いのだ!”
10月16日
今年も残り2ヶ月半…
早いもんだ。
しかし今年前半の時点では、SACDとかDVDオーディオのマルチなんかを
やるつもりだったのに。
それできっと一月一枚くらい高価なソフトを涙ながらに買うはずだったのに。
…気づけばアナログ三昧だし、ディスクリートのはずがスピーカーマトリックスだし。
人生どこでどう転ぶかわからないものだ?
レコードラックの中から手当たり次第アナログ盤を出して、めくらめっぽうターンテーブルに載せる。
中には、「こんなレコードあったっけ?」みたいなのがあって楽しい。
随分な事を言っているが、結婚した時にかみさんが持ってきたアナログ盤も紛れているので
そんな現象も起きるのだ。
で、よっしーの部屋は途中二年弱、よっしーの娘に明け渡してあったので
その間はレコードの保管にはよろしくない環境であった。
要するに汚れが酷くなってしまった物が散見する。
で、毎日一枚〜二枚、水洗いをしては針を通して蘇生させているような状況。
これがまた楽しい。
しかし、アナログ盤というのは本当に捨てられない魔力を持っている。
不思議なものだ。
と言っても要らない人には要らないのだろうし、せっせと手放して欲しいと思う。
そーするとこっちは100円とかで買いあされるわけで、大変助かる。
…といっても実は100円でも買っていない。
買いに行く時間が無いし、やたら持ち帰っても置き場所がない。
今は自分のレコードラックを探索している様な状態で、
これが実に楽しいのだから安上がりな話しである。
10月17日
ダイヤトーンDS-301。
考えてみれば大変古い製品だ。
故に初期性能を発揮しているかどうかと訊かれると
それはわかりません、としか言いようがない。
オールドマシーンを使う我が身は、いつだってその種の不安と
背中合わせのランデブーなのだ。
しかし、まああらためて見つめると
DS-301って適度にコンパクト。奥行き浅いし、幅も適切。
高さも良い…が、スタンド選びにはちょっと苦労するかな?
唯一泣き所が端子。
一段掘り下げたところにあるのが痛い。
しかし逆にいうと後部に突起が出来ないので
優れているし手間の掛かったやり方とも言える。
ただ、この端子自体はどうにも小さく、力が入らないものだ。
が、ハタと気づいて10ミリのボックスレンチを使うとこれが正解。
この手を使う限り、今時の端子なんか及びもつかぬ強烈なトルクで締め上げられる。
最初からその狙いだったのかな?
だとしたら三菱恐るべし。
(*くれぐれも馬鹿力で締めないように)
10月18日
14日付けの日経夕刊の“プロムナード”に、朱川湊人さんが
“自転車でプチ放浪”というエッセイを寄せられていた。
朱川さんが自転車に乗れるようになったのは小学4年生の頃らしい。
“友達からお古の自転車をもらい受け、二日ほどの特訓の末に乗れるようになったのだが、
あの時の感動は今でも忘れられない。
それこそ羽の生えた靴を履いたようで、本当に自由な、解放された気持ちになったものだ。”
“それまでどこに行くのにも歩いていた私には革命的な出来事で、行動半径は飛躍的に広がった
(中略)それ以来、私は自転車専門である”
“20代の一時期、オートバイに乗っていたこともあるが、運転中は安全に走ることだけで頭がいっぱいになり、
他のことが一切考えられなくなるのがイヤで、ほんの一年ほどで降りてしまった”
”私は早く遠くへ行きたいのではなく、ノンビリいろんな事を考えながら、好き勝手に移動したいタイプなのだ”
ということで朱川さんは今もママチャリを愛用して
プチ放浪を楽しまれているようだ。
なんとなく、私にはその気持ち、というかフィーリングがわかる。
何故なら僕ものんびり気ままに派だからだ。
ただ、よっしーはやっぱり自転車族にはなれないみたいで、どうしても“原動機付き”に走ってしまうのだが、
まあ家から一歩出ると急勾配が待つという生活環境が大きく影響しているので仕方ない。
その昔、すごい苦労して限定解除をして、一応排気量無制限で乗れる身なのだが
今や乗りたいのはせいぜい250ccまで。出来れば125ccや、あるいは50ccが…ということで
小排気量車愛好家になっているのだから皮肉なもんだ。
原付や原付二種だからいい加減に運転出来るものではないが、それでも気楽なのは否定できない。
“やっぱり自転車は良いなぁ…と思うが、だからといって本格的なツーリング車などに手を出そうと思わないところが、
プチ放浪者のプチたる由縁である。
私には、このくらいのスピードがちょうど良い”
…と、この“本格的なツーリング車などに手を出そうと思わない”ところに、
更にシンパシーを感じるよっしーなのであった。
更に更に、オーディオも然りの様相を最近は示している。
そういいながらも、今の僕の目の前には分不相応な機材達があるのだが、
この先それらと別れたとしたらどんな物を揃えるだろう?と考えると、
そーだなー、3万円くらいのカートリッジに10万円くらいのプレーヤー。
20万円くらいのプリメインアンプ。ペア20万円くらいまでのスピーカー。
…そんなのが良いかも。
…なのだが、それくらいの価格で納得のいく物が買えるか?という問題に突き当たる。
あまりにも浮世離れした物ばかり取り上げられてもねー、とやっぱり思っちゃう。
不況だ不景気だと言うが、10万円、100万円単位の物がほいほい売れる方が異常で、
現状がまともな様な気がするのですが、いかがなものなんでしょうね?
10月19日
「Beat Sound」夏号を買い忘れていることに気づいて注文を出した。
(次のが出るくらいなタイミングなので店先では見つからない)
自分のレコードラック探訪は続く。
出しては洗う、を繰り返すのみ。
ところで写真のディスクは「Wish You were Here」
邦題は、なぜか「炎〜あなたがここにいて欲しい」」、で1975年の作品。
1973年に「The Dark Side of The Moon」(狂気)が出て、ウルトラベストセラーになったPINK FLOYDの、
その次の作品。
「狂気」みたいなのを出してしまうと、その次というのはものすごく大変だと思うが
エンジニアにブライアン・ハンフリーを起用して、そのハードルを、楽々、ではないが、なんとかクリアーしたのが
この作品ではないかと思う。
さて、このLP。学生の頃新品で購入している。
たしか1977年のことだったと思う。
渋谷のディスクユニオンで、わざわざ輸入盤を買った。
なんで輸入盤かというと、「輸入盤の方が音が良い」、「輸入盤の方が格好良い」という風に思いこんでいたからだ。
それは特に間違ってはいなかったと思うが、歌詞カードがないのは痛いな、と子供心に思ったもんだ。
そしてもう一つ。大変笑える話しだが、実はよっしーは「炎」を買うつもりでは無かったのだ。
「狂気」を買いに行って、間違って「炎」を買って来てしまった。
事前知識が半端な上に、輸入盤屋さんだから「炎」とか「狂気」とは書いていないので(笑)
思いっきり間違えた。
家に帰って来て、針を落としたら“心臓の音”がしないので、“?”と思い、初めて自分のミスに気がついた大馬鹿者。
半年に一枚くらいしかLPを買えない身としては、すぐに「狂気」を買えるはずもなく、お目当ての「狂気」を
買ったのは、それから随分経ってからだったと思う。
最初は自分の馬鹿さ加減に唖然として、嫌々聴いていた「炎」なのだが、実はこれが案外(というのも失礼だが)
良いものだと、やがて気がつく。
「狂気」の鬼気迫るところは時に聴き手を疲れさせるが、「炎」は優しさに包まれる、みたいなところがある。
そして、“ほど良い高音質”。
安心して聴ける。
…ということなのだが、プログレッシブロックというのは本当にオーディオファイル向け、みたいなところがある。
エネルギーで押し切る、というわけでなく音を重ね、ちりばめ、時に大いに遊ぶ、ということで
その辺の仕掛けがつぼにはまると楽しいわけだ。
そしてこれはサラウンド向けでもあり、拙宅ではスピーカーマトリックスが大活躍している。
それにしても、このレコードの購入から33年。その間よっしーの聴く音はどれくらい進歩しただろう?
当時はビクターのシスコンで聴いていた。
きっと世の中にはもっともっと良い音があるんだ、と思いながら聴いていたのだが
30年余経って、自分のところの音はどうだ?
なるほど、確かに贔屓目無しにその時の音よりは今の音の方が良い。
当時使っていた物が、カートリッジ、プレーヤー、アンプ、スピーカーで14万円くらい。
対して現用品は40万円くらい(*定価換算なので買値とはまるで違う)。
製品の開発時期はまちまちだが、差はついて当然。
しかし驚愕するほどの差かというと、それは違うだろう。
いや、なんというかそもそもオーディオというのはおおまかに見ると、そんな大きな違いが出るものじゃないのだ。
違いといっても些末なもんだ。
そして、そのわずかな違いに一喜一憂するのがマニアなのである。
趣味というのはすべからくそういう物だからそれで良いのだが、
祭りの後の寂しさは、祭りの始まる前の静けさを上回るものだと
いう法則からは逃げられない。
オーディオにしてもバイクにしても、大変なブームにはなったが、
その後の落ち込みは酷いものだ。
“別にそんな物要らなかったじゃん”と言われたら、ハイそれまでよ。
それが嗜好品の世界なのだから買い手の変貌を恨んじゃあいけない。
さらに、本当のマニアにとってはブームなんか全く関係ない。
流行ろうが流行るまいが、ただやるだけだ。
その意味でマニアは強い。
困っちゃうのは売り手の側…、なのだが、実は売り手もマニアであれば一向に困らない。
“販売マニア”、“接客マニア”、“クレーム対応マニア”、“出勤マニア”となれば恐い物はない。
給与や利益や規模拡大は目的ですらない、となれば天下無敵である。
半分は冗談だが、半分は真面目な話しだ。
不況は続くよ、どこまでも。
サラリーマンや、性根の座っていない経営者は生き残れない?
生き残れるのは、“その仕事マニア”、だけかもしれない。
アンタ、そこはかくれんぼする場所じゃない…(汗)
10月23日
季節は秋だがよっしーの部屋は春かもしれない。
盆と正月が一緒に来た?
10月24日
ルー 「お父さん、テレビ買ったの?ついに我が家もAQUOS?」
よっしー 「ん?や、いやー、そーゆーわけでは…(汗)」
ルー 「早く開けて…ってなんかAQUOSじゃ無さそうね…」
よっしー 「や、なんちゅーか。そーじゃないというか…」
ルー 「ん?おとーさん、これ、TVじゃないんじゃない?」
よっしー 「ん?だ、だから誰もテレビだとは…」
ルー 「お、お父さん、あ、あなたまさか又…」
よっしー 「い、いや、ほら薄型テレビはこれからいつでも買えるから…」
ルー 「まあ最初から期待していないから大丈夫だけどね。ハハ」
よっしー 「ん?そ、そーか?」
ということでサンスイSR-929降臨。
10月25日
サンスイSR-929。
発売は1976年か。
アンプでは確固たる地位を確保したもののプレーヤーでは今ひとつヒットが無かった
サンスイから生まれた突然変異的プレーヤー。
価格は74.800円。
同時代同価格ではマイクロDD-7がある。
目方で男が計れるわけでは無いがDD-7の11.5sに対して
SR-929は16.5sと5sも重い。
当時10万円以下のプレーヤーでこれに比肩する物といえば
デンオンDP-1800くらいか。同じく16.5sで65.000円。
ある意味目方対価格比ではDP-1800がダントツ。
これはキャビネットに天然大理石を採用したことで知られるモデルだ。
対してSR-929はレジンコンクリートを採用。
これにパーチクルボードを貼り合わせて共振分散を計る。
更にモーターもアルミダイキャストのパネルに仕込まれていて贅沢な構成。
重くなるはずだ。
そしてそのキャビネットの仕上げがこのプレーヤーを魅力あるものにしている。
ピアノと同じ手法で、黒色特殊ポリエステル塗装5重塗りで鏡面仕上げ。
これは塗装としては最も手の込んだもの。
と、文章でもなんとなく凄さは伝わるかもしれないが、やっぱり現物を目の当たりにすると感動も大きい。
いや、実物を見ないと絶対わからないとも言える。
ピアノブラックのボディーが490W× 365D× 65H
(インシュレーター含まず)というサイズ。
ここにWとDはほぼ同寸で高さが80Hというスモーク調のダストカバーが載るのだが、
このダストカバーの縦寸が絶妙。
元々よっしーはダストカバー愛好家?だが、このプレーヤーのダストカバーは絶対外す気がしない。
ダストカバーを閉めた時に最高の見栄えとなるようにデザインされている。
幾多のプレーヤーを見たが、知る限りではプロポーション最高。見惚れてしまう。
モーターパネルにはQuart-Servoと33rpm(あるいは45rpm)の表示が赤く浮かぶのだが、
これがまたスモークのダストカバー越しに見たとき涙が出るくらい美しい。
ストロボも自照式の物が備わっていて、こちらは一段(二段?)弱い照度となっている。
心配りが憎い。
10月26日
このトーンアームもSR-929のセールスポイントの一つだ。
なんとナイフエッジなのだ。
市販プレーヤー組み込みのアームでナイフエッジは少数派。
このナイフエッジは縦方向のサポート担当。
水平方向は頂部にサファイアの軸受け。
ベース側はラジアルベアリングという構成。
ナイフエッジは間隔も大きく、ローリング(傾き)にも強い感じ。
アームフェチのよっしーがアームについて語り始めると長くなるが(笑)、
このアーム、まず構成部品を付けない状態
(つまりカウンターウエイトやらラテラルバランスやらヘッドシェル及びカートリッジを付けない状態のこと)だと
かなりガタガタする。
ところがちゃんと組み付けて稼働状態にするとしっくり納まってくるからおもしろい。
もちろんそれでも力を加えるとガタを感じることになるが、これはシングルナイフなら当然のこと。
全体のフィールは(当然だが)SAECではなくSMEの方に近いものになる。
カタログデータでは初動感度10mgとなっているが、触った感じはもっと高感度に思える。
ゼロバランスがなかなか取れないアームというのはアームフェチとしては嬉しい限りだ。
何しろ水平方向にしてもワンポイントみたいなものだから上に下に、右に左に暴れまくる。
それが嫌だという人はこのプレーヤーは使わない方がよい。
10月27日
毎度同じ様な事を書くが(アーム馬鹿だから許してね)、
トーンアームの感度と支点の確かさは諸刃の刃。
早い話が感度を上げるとガタも出やすくなればふらつきのような物も感じやすくなる。
では、とガッチリ押さえすぎるとそれも音に出て来るということで、
実にやっかい、というかそもそも矛盾の固まりがトーンアームだ。
シングルナイフは高感度を得やすい反面ガタを感じやすい様式の最右翼。
そこで、とこれを上からと下からの二つのナイフで挟んで強固な物としたのが
SAECのダブルナイフ。
いかにも生真面目な日本人的発想というか、
手先の器用さがあって初めて商品化出来た傑作だと思う。
しかし同時に一見ガタガタ。しかし動作させてみるとちゃんと良い仕事をするという
SME的発想も実におもしろいものだ。
結局唯一無二の正解は無いのがこの世界で、それぞれの良さを味わえば良いのだが
簡単にいうと高感度を目指すならシングルナイフが有利で、
支点の確かさを出すにはダブルナイフが有利ということか。
後年トリオ(ケンウッド)はKP-880で(同1100でも)横置きのナイフを支点に当てて
高感度かつカートリッジがレコードの回転に引っ張られた状態での支点の確かさを確保するという、
DS(ダイナミックスタビリティー)アームを開発するが、これも傑作の一つ。
とにかく皆さん、まあ良く考えたと思う。
10月28日
…などということより眺めて見ると本当に楽しい。
インサイドフォースキャンセラーも華奢な感じで素敵だし、高さ調整のノブ…
というにはあまりに小さいノブ?も可愛らしい。
適度にメカニカルなのだが、自己主張しすぎない奥ゆかしさがそこにはある。
使ってみるとカートリッジ取り付け部のチャックも優秀。
カチッと収まってぐらつきゼロ。単売高級アーム並のフィーリングだ。
この辺が曖昧なアームというのも実際にあるのだが、
いくら軸受け等が立派でもここがふらついたら話しにならない。
以上でだいたいの構成品を見たことになるが裏面に回ると出力端子が普通のRCAで出ている(もちろんアースもある)。
これも市販プレーヤーとしては珍しい方。
直に生えているのが大多数だし、単売アームとなると例の特殊な5PINの物となる。
だが、世の中に一番出回っているのはフツーのRCA規格のPINケーブルなのだから、
それが使えるのが一番親切だといつも思っている。
それがここでは実現しているわけで、本当に素敵の極みだ。
(SL-1200系でもその様になっているタイプがある)
ということだが音はどうだ?
10月29日
前説が長いのがよっしーの部屋の特徴だが(笑)これは単に話しを引っ張っているのではない。
稼働させたての機器がいきなり真価を発揮するほどオーディオの世界は甘くない。
話しを引っ張りながら音を出して確認している様な次第。
それまでPIONEER PL-50L2が鎮座していた位置にSR-929を設置。
カートリッジはそのままテクニカのAT-15Eを使う。
フォノイコはHX-10000。アンプはAVアンプでAVC-2870。スピーカーはDS-301。
つまりプレーヤー以外は全てそのまま。
そーしないと何がなんだかわからなくなる恐れがある。
もちろんソフトも最近よく聴いていた物、…なのだが針を落として愕然とする。
プレーヤーのみでここまで音が違うか…
あらためて驚いてしまう。
(註:以下は本当のファーストインプレッションで後に印象は変わります)
まず、とにかくエネルギッシュ。音が積極的に前に飛び出してくる感じがある。
オーディオ機器にも性別があるとしたら、これは間違いなく“男”だ。
そして最もわかりやすいのが“低音の量”。
…今さら“低音の量”なんて、思いっきり素人っぽい。しかも1970年代的単語を使いたく無かったのだが
これ以上適切な言い方がない。
明らかに量感が増す。実はPL-50L2の時はスピーカーがDS-301になった後もBASSを+6dBくらいまで
(味付けとして)煽っていたのだが、思わずフラットに戻してしまった。
それくらい、この点は違った。
まあ景気の良いことこの上ない。マッシブと思わず呟いてしまう。
なんというか針圧を間違って重めに掛けてしまったのか?と思うような鳴り方だ。
針先のチップが巨大になったような感じさえ受ける。
ただし気になる点も多々ある。
漂うような雰囲気。繊細感はPL-50L2の時の方があった。
幾重にか音が前後に折り重なるようなところでのバランスの良さのようなものは
50L2の方に優れた物を感じた。
929だと主張する音が主張しすぎて、陰にある物が必要以上に隠れてしまうようなところがある。
また、細かい音は拾えているものの、粒子が粗い?
パーティーで初対面の人二人と同時に知り合ったとすると、
手前に出て来てしきりに喋るのがSR-929。
本当は喋りたいくせに、その陰に隠れてもじもじしているのがPL-50L2。
そんな感じか。
しかし、本当の事はそう簡単にわからないのだヨ…
(続く)
10月30日
しかし面白い。
PIONEER PL-50L2のシルキーな感じ。SANSUI SR-929のダンディーな感じ。
価格はちょっと違うが、発売時期のずれを考えると両者は同ランクのプレーヤーといってよい。
両機共、各々のメーカーが丹精込めた作った物だろう。
片やオイルダンプアーム。片やナイフエッジアーム。
梨地と木目を基調とするPIONEER。
男らしさ爆発のブラックSANSUI。
本当に素敵だ。
音楽を聴くための道具として、このような物がちゃんと用意されていた時代って、やっぱり良かった。
シリコンオーディオの時代が来て、クオーツロックもオイルダンプもナイフエッジも要らなくなった。
時代の流れだからそれで良いのだが、ちょっと寂しい。
*野沢那智さんが亡くなった。
中学生の時、金曜パックはよく聞いた。
他の放送局の他のパーソナリティーとはひと味違う
大人の味付け。それがナッチャコ・パックだったと思う。
確か最終回は録音してある。
72歳。まだまだ若い。
最近は自分が学生の頃活躍されていた方達の訃報が多い。
お悔やみを申し上げると共に、我が人生の事を考えてしまう。
10月31日
カートリッジはAT-15Eaに固定して聞き続けている。
深い理由は無いのだが、このカートリッジ、何しろ安心して使える。
まさに中級の標準機という感じ。
っていうか、これ、実は凄い名品(名器、とはちょっと違う意味合い)ではないかと
最近になって思っている。
これについては別の機会にあらためて書きたいが、とんでもないお買い得品では?
と思う今日この頃だ。