SR-929降臨

11月1日



だいたいの物が上手く鳴るようになった。

…のだが、全部お上手というわけにはいかない。

高橋達也さんの「SECRET LOVE」。
これなんか今ひとつで困ってしまった。

ベースが今ひとつだし、なによりピアノがキンキンしてしまってお恥ずかしい音だ。
ソフトのせい…、と言いたいのだが、これは世評も確立した立派な一枚。
第一それなりに鳴ることも過去にあったのだから始末に悪い。

…なのだが、ここで秘密兵器?登場?

今回のSR-929はすえさんに手配して頂いた物なのだが、プレーヤーに同梱で一枚の白いシートが入っていた。
実に綺麗なシートだし、それにどこかで見たような…と思っていたらlinfof工房さんの純毛フェルトシートだった。



勘が働く時は働くもので、「もしかしてこれ…」と思い純正シートを外してこれを敷いてみた。
そして前述のレコードを掛けてみると…



うーん、これは考え込んでしまう。
シート一枚でここまで変わりますか…

ピアノのアタックのキンキンした感じは解消。ピアノってのはこーゆー音だ、という状態に変身。
これはお見事としか言いようがない。

カルトめいたことをいうつもりはない。
アナログプレーヤーの音が、ターンテーブルシートやカートリッジのシェルで変わるのは当然のことだ。

サンスイSR-929の純正シートは当時から交換すると音質向上すると言われていた物だ。
時代がようやくターンテーブルシートで音が変わる。重要だと言い始めた頃の製品だから仕方ない)

しかし、純正がベストという人もいるだろう。
要するにそれぞれだし、ターンテーブルシートくらいは複数用意して、靴を履き替えるようにチェンジして
活用するということで良いと思う。

なんか上手く鳴らないなぁ〜、とオーディオ迷い道に入り込む前に
シート一つ換えてみるとピタッと収まってしまった。
そーゆーのも痛快ではないか。

それと、今回みたいなことが出来るのもアナログならでは。

やっぱりアナログっていうのは素材(レコード)を料理している感覚だなー、と思った。

「ほうほう、そう来ましたか。では…」と秘伝のソースを壺から出して
かけると、あら不思議…。
そんな感じが面白い。

興味を持った方はlinfofさんの工房を覗いてみよう♪


11月3日

SR-929にお越し頂き約10日。
その間、音は良くなる一方だし、いくつかのハードルも越えてくれた。

あらためて、「これ以上」を望む必要はフツー無いと思う。

最初は力強さばかりが印象に残ったが、大丈夫、十分繊細な部分も描ける。

敢えて、どうしても気になる点も書け、と言われたら、
(全面的に誉めていると却って信憑性に欠けるものでして)
低域の“あきらめ”、がほんのちょっとだけ早いことか。

低音のあきらめとは何のこっちゃ?と思われるかもしれないが、
例えばベース弦の震え。その最後の一振幅か二振幅のところを描ききらない“癖”みたいなものがあるということだ。
あとほんのちょっと頑張ってくれれば良いのだけど、“いや、もうイイっすから”と言って、そこはカットしてしまう
当世若者気質?みたいな感がある。

もっとも、ソースや音の好みによってはその方が良い、ということも十分あり得るので
後は好きずきだろう。

それよりも“面白いな〜”と思うのが、PL-50L2だったら気になって仕方なかった様な
針先に引っ掛かるレコードの汚れから来る音の劣化みたいなのが
SR-929だとあまり気にならないという点。

一切お構いなしにグイグイ引っ張って行く、男性的(最近ではこれを女性的という?)
腕っ節の強さみたいな物を感じる。

これは何なのか?20極ローター、30スロットコアのモーターの威力
あるいはやはりプレーヤー全体のトータルの指向がそういうものなのか?

ではあるが、こんなところにもアナログプレーヤーの面白さがあるということは言える。

そうそう。PL-50L2のオートアップに慣れてしまったあとSR-929を使うとちょっと危険だ(笑)
何しろPL-50L2の場合回しっぱなしで放置しておいても勝手にアームが上がってターンテーブルも停止する。
929は余計な事はしてくれないのだ。
これは登場時期の違いからして仕方ないことでありました。マル。


11月7日



頂上体験だからこのジャケ写というのがスゴイ…


11月8日

SACD SHM仕様ってなんだ?

SHMとはSuper High Material
の略称。

透明性の高い液晶パネル用ポリカーボネート素材を採用することで、
レーザーが反射膜までの距離をより正確に往復できるとともに、
正確なピットを形成するために必要な流動性にも優れている
”と
AV Watchさんに書いてあった。

要するにディスクの素材が違うということ。

既にCDのSHM仕様というのが出ていたわけだが
それをSACDに持ってきたのだから嫌が上にも期待は高まる。

マスターもそれぞれに最良と思われる物を起用しているということで
ズルイくらい贅沢な作り。

これをユニバーサルさんは6月から隔月でリリースしている。
そして画像の「頂上体験」はそのサンプラー的存在。

1.500円で二枚組!
一枚がSHM仕様。もう一枚が通常のSACD/CDのハイブリッド盤。

各11曲づつ、同じ物が入っている。
ジャンルも、ポピュラー、ロック、ジャズにクラシックと豪華絢爛。

これはお買い得だ、ということで珍しく新品ディスクを購入した次第。


…こう来ると、早速SHM盤と通常盤の聞き比べ、となるのだが
(そのつもりで買った)
一聴してその音の美しさに驚いて、(もちろんSHM仕様)
面倒なことをやる気が無くなってしまった。

これはたまりません。


11月10日

SHM盤と通常ハイブリッド盤。

一口でいうとSHM盤の方が雑味が無い。
ピュアなのだ。

手間暇とサムマネーがあれば、より良い物を作ることが出来るんだなー
というのが実感。

もちろん、SACDハイブリッドや通常CDの中にも良い物は山のようにあると
言われるとそれまでなのだが、要はポテンシャルの問題なので
今後SHM SACDで色々な物をリリースし直したら
それはそれは面白いと思う。

敢えて言えば5,1マルチの信号が無いのが不満になるのだろう。
ピュアに行くと、どうしても2chに限定される?

、ここでひねくれた事をいう
スピーカーマトリックスで、そのあたりはかなり補える

具体的にいうと、この「頂上体験」では
I'm not in Loveなんかサラウンドで聴かなかったら絶対損だ。
そして他にもサラウンドがはまるソースがいっぱい。

SHM SACDクオリティーで、なおかつサラウンドをするには
スピーカーマトリックスしかない?

ちなみによっしーの部屋では今、フロントDS-301、リア栗スピーカーで
スピーカーマトリックスをやっている。
アンプも変わらずAVC-2870です。


11月11日



こーゆー物を読んでいると、欲しいディスクがいっぱいになる。


11月12日



しかし世の中には音楽をこよなく愛している人がいっぱいいるのだな、
と思う。

たとえば上にあるレコード・コレクターズではDEEP PURPLE
くまなく紹介されている。

あなたたち好きなのね〜」と微笑まずにはいられない。

レコード・コレクターズは“その種の”本ではないから
触れてくれないのだが、BEAT SOUNDだとここにオーディオ的要素
入ってくるからなお楽しい。

よし!久し振りにLive in Japanを聴くか!


11月13日



…ということで本当に引っ張り出してみた。

我が家に来て、ざっと35年くらい経つのか。

盤面を見てビックリ。異常なくらい綺麗だ。
それほど聴かないでおかれたのか?
いや、当時せっせと聴いたと思う。

ディスクの内容については説明不要。
1972年、ディープパープルの日本公演を収録したもので
歴史的名盤である。

何しろライブ演奏と思えないくらい出来が良い。
一種の奇跡か神懸かり。
もっとも、後生発表された“完全版”を聴くとわかるが
他の日のテイクは今ひとつの物も多く、
いかにここに収まっている物(主に大阪でのテイクとされる)の
出来が良いか、だ。


音だが、今の拙宅では音が綺麗過ぎるという感じ。

これはディスクの問題ではなく、こちらの再生環境の問題だと思う。

ハードロックなのだからもう少しガッツが欲しい?


ここまで書いたところで、最近の再生環境についてあらためて注釈。

機材だが、アナログがプレーヤーにサンスイSR-929
フォノイコライザーがヤマハHX-10000
アンプがAVアンプでデノンAVC-2870
スピーカーがダイヤトーンDS-301
これにマトリックス接続でリアにlinfof栗スピーカーが繋がる。

そして問題は再生音量

2010年よっしーの部屋の目指すところは、
とっても楽しい、小音量再生”。

だから今回のパープルも小さい音で聴いている。

“小さい音でも楽しめる”ようにシステムをチューンする
(というほどのこともないのだが)
のは我ながら結構だが、
さすがにハードロックを極小音量で再生するのはいかがなものか?
と思ってしまう。

それでも、ここでドカンと音量を上げるのも憚られる。

だから、この程度の音量でも迫力があるように…と思うのだが
出来るだろうか?

ま、取り敢えずアナログの場合、カートリッジ交換とかいう
技が使えるからそれを試すか?


11月14日

ここで面白い文献(ではないが)を取り上げよう。

雑誌rockin'on 1978年6月号からだ。



タイトルは「ツェッペリンを聞くと耳から血が出ませんか?」となっている。
サブタイトルには“トレブルの効いたギターは突き刺さるはず”とある。

当時のrockin'onは読者からの投稿で成り立っていて
これもその一つだろうか。

“気に入った新曲が聞こえてくると、大きな音で聞きたくなる訳だ。
そう、ロックは大きな音で聞くものだ。
これは当然。しかしこの当然のことが出来ないのが日本の泣き所。”

(中略)

“ライナーノーツで一番頭に来る言葉は、
「フルボリュームで聞いていただきたい」等という奴だ。
そんなことは誰だって百も承知である。
日本でいつまでもディープパープルに人気集中なのは、
皆がレコードを大きな音で聞かないからだ

あのグループは小さな音で聞いていても、曲の構成と言い
録音といい、「小さな音で聞く日本人」を満足させてしまう
のだ。
僕は自転車人間でもあるからパープル族の家の前を良く通る。
しかし一度だってそいつの家からレコードの音が聞こえた事がない。”

“以前友人の家に遊びに行って、レコードを聞いたことがある。
皆小さな音で聞いていた。
ヴォリュームを1/4以上大きくしようとしなかった。”

(中略)

“僕の家のステレオはもう古くなったが、それでも
ロックを聞く時は、絶対ヴォリュームは半分より上だ。
特に好きなレコードは3/4以上。”

(中略)

“この二つのアルバムは、先に書いた3/4以上に入るのだ。
フランプトン(註:フランプトン・カムズ・アライブのこと)の方は
飛んでるギターといい、とにかくラストナンバーを
許される限りの(本当は許されない)音で聞き終わった時
思わず平伏したくなった。

でも、慣れれば落ち着く。
(中略)
問題はゼップの方(註:永遠の詩、を差す)
とにかくA面を聞くと耳が死ぬのだ。
あのトレブルの効いたギターは前者と反対で、
今では聞く前から恐がっている”

“数十万もするステレオを四畳半に置いて小さな音で
ロックを聞いている人にとって、ヴォリュームのツマミは
もはや飾り物でしかない。
あなたが買って損をしたと思っているレコードは、
大きな音で聞けば生き返るかも


日本は経済だけが発展した国だ。
風俗が追いついてないじゃないか。
特にロックは非難の的。
今さら日本人に生まれた事を悔いても仕方ない。
ロックレコードは大きな音で!
小手先の面白い音にごまかされるな!
もっと音を…”

…ということなのだが、この一文、今回の日記を書くために
引っ張り出してきたというわけでなく
実に延々30年以上もよっしーにインパクトを与え続けている
個人的には非常に重要な文章だ。

さあ、ここには幾つかの論点があるが、
話しの流れからいってディープパープルと再生音量の関係から
切ってみよう。

(続く)

*念のためですがロックは大きな音で聞かないといけない、
と断定するのがオチではございません。ハイ。


11月15日

さて、12日に取り上げさせて頂いた「レコードコレクターズ2004年4号」に立川芳雄さん
“明快で疾走感のあるハードロックを確立した
第二期以降のサウンド」という文章を書かれている。

そこから一部引用申し上げるのだが…

“個人的な話しで恐縮だが、初めてロックを聴き始めた頃
私の家にはステレオがなく、私は小さなラジカセでロックを聴いていた

そのときにディープパープルが魅力的に感じられたというのは、
偶然ではないだろう。

後にステレオを買ってもらい、はじめてフリーやレッドゼッペリンを
聴いた
ときにわたしは感動したが、
それはラジカセでは聴き取れなかった細部などに
独特の味わいがあることを発見した驚きでもあった。

ラジカセでゼッペリンを聴いていたときには
その魅力がいまひとつピンとこなかったのである。

ところがディープパープルの場合、モノラルで小さな音量で聴いていても
その魅力はしっかり伝わってくる。
とにかく第二期パープルの音はわかりやすい。
だからこそ彼らは多くのファンを獲得できたのだ。”


と、なっている。
2004年に発刊されたこの号をよっしーが手にしたのはつい先日、
古本屋さんでのことだったので読んだのはつい最近だ。

で、僕が驚いたのはここまでの話しの流れからして想像頂けよう。
1978年に読んだ物のことがまざまざと思い出され、
思わず著者は同一人物ではなかろうか?とさえ思った。

さあ、だからパープルは子供っぽくて
ツェッペリンやフランプトンやフーが大人向けなのだとか
そんな事をいうつもりは毛頭無い

それに、ジョンロードやリッチーブラックモアが、
いや、ロジャーグローバーがそのような事まで狙って音作りをしたとも思えない。
いや、むしろある意味パープルのサウンドの方が大音量再生向きと言えなくもない。

“当たり前のことだが、極端な大音量で楽器を演奏しようとすると
演奏上の微妙なニュアンスといったものは
必然的に切り捨てられてしまう。
大音量ロックでは、まず正確でスクエアなプレイが求められるのだ。
第二期パープルのメンバー達の演奏は、微妙な味わいよりも
明快さを重視したと言う点で、まさに大音量のロックにふさわしいものだった。”
立川氏も書かれているが、その通りだろう。

だから、第二期のパープル大音量再生向きのロックをやっていた。
ただ、その明快さ。
それは例えばわかりやすいメロディーラインであったり
キャッチーなリフであったり、というものを差すのだが。
が、図らずも“小音量で聴いても納得のいく音楽”を同時に形成していたのでは
ないかと思う。

さてさて、オーディオにおいても当然再生音量というのは重要なファクターとなる。

ある程度の音量で再生しないのはミュージシャンに対して失礼だ、
とも言える。
あるいは音のデカイは七難隠すで大変結構だが
その場合ニュアンスもクソも無くなっている、という説もある。
究極は、“何をどんな音量で再生しようが、それは受け手の自由で
どういわれても大きなお世話だ”というのがある。
そう言われるとその通りだ。

ひとつだけ言いたいのは、一つの音楽を色々な条件で再生してみると
面白いのでは
なかろーか、ということ。

よっしーは今、相変わらずというか自分のレコードラック探訪をやっている。
アナログレコードを引っ張り出しては聞いているわけだ。

中には所有30年以上通算再生回数=計測不能などというのもあるのだが
今あらためて、2010年の時点での再生環境で聴いてみると
“そうだったのか、そういうことだったのか”と驚かされることが少なからずあるのだ。

それは主に、昔わからなかったニュアンスであるとか
音の仕掛けだとか、声の色っぽさの発見だったり、楽器のエフェクトの掛け方
再確認だったりするのだが、日々新鮮な気持ちのオンパレードという感じだ。

(たぶん続く)


11月16日

昔わからなかったことがわかる、というのは
これはやっぱり年を重ねたということである。
単にオーディオ装置の問題ではない。

そういったことを抜きにして、昔より音が良くなったと言っても
こりゃ仕方ない。

よっしーの部屋は今どうなっているのか?というと
昔のシスコン時代に毛が生えた様な状態なのかもしれない、
と昨日思った。

平和な音楽を平和な音量で掛けて喜ぶ。
これはこれでひとつの行き方だ。

まあ音のデカイのも七難隠すが、小さいのも色々な物を隠すとも言えるので
ボリュームを上げたら途端に破綻する恐れはあるが
そこにはボリュームを上げないという解決策があり(笑)
これはお金も掛からないし、良い方法だ。

アンプのボリュームとバイクのアクセル角度は似たようなところがあり
アクセル全開にしてみて初めて垣間見る世界もあれば
恐ろしい位の低回転でトコトコ走ってみて、
初めて見える風景もある。

どっちが重要だと、一概に言えないが、
何事もほどよい落としどころというのはあるはずだ。

よっしーは今、気軽さというのも大事にしているようで
(まるで他人事だが成り行き任せだからこういう言い方になる)
アンプにAVアンプを宛っているのもその一つかもしれない。

リモコン付きだから理想的位置に置いても
ボリュームコントロールで困ることはない。
また、ゲイン可変式のボリュームだから小音量時のSN比は大変高い。
(AVC-2870)

トーンコントロールが効くのもありがたい。
発熱が多いのが玉に瑕だが、冬場は全く気にならない。

カートリッジは結局AT-15Eaに落ち着いている。
更に元気にロック向け?みたいなのもここ数日で試したが
耳にいたくて15Eaに戻して落着。
大変バランスが良いカートリッジだ。

またMM型はいざというとき針交換可能というところが
(以前からなのだが)最近とみに気に入っている。
針先というのはタイヤみたいなものなので、すり減った時換えがない、
換えられないというのはとっても困る。

スピーカーはスピーカーマトリックス方式が功を奏している。
前がDS-301でリアがlinfof栗スピーカー
DS-301は仮にも4Way中型スピーカー。
栗スピーカーは8aフルレンジ。
バランスが取れるのか?というと、これがかなりマッチしている。

ただ、リア強調型のサラウンドとは違う。
本人が時々マトリックスであることを忘れるほどの
ナチュラルサラウンド

サラウンドは小音量時に効果てきめんとも言える。

live in Japanのリッチーのギター。
これなかも左手前の空間。しかも左側に向けて拡がりを持って定位する。

こんな聴き方も楽しいものです。


11月18日



パープルを取り上げたのだからツエッペリンを取り上げないわけには
いかない。
…なんてことはまったく無い。たまたま手に取ったのがZEPの3rdだったというだけの
お話し。

しかしこれも実に久し振りに聴くな、と思いながら針を落とす。

おー、移民の歌ではないか。
あーああーあー♪

ロバートプラントがやるから格好良いのであって
並の人がやると出来損ないのターザンになってしまう。

…ということもさておいて、ホントにこの3rdはアコースティックのかほりがプンプンする。

ツエッペリンを始める前、ジミーペイジはエレクトリック路線でいくか
あるいはアコースティック路線でいくか考えたそうだから
最初からどっちも出来たのだろう。
1st,、2ndと成功させ、地位を固めた上でアコースティックを
フューチャーしたのかな?

まあいいや。こんな話しもしているとキリがない。

だが、これはまあこーゆー物かな?と思う。
素晴らしい録音だ、ということは全く感じない。
こういってはなんだがこれはそういう事を狙って作っていない。
(と思う)

それよりも不思議な録音だな、と思わせてくれて面白い。
貴女を愛し続けて」なんか首をひねってしまった。
ペイジのギターもプラントのボーカルも
ボンゾのドラムに包囲されて、太鼓の波の中で曲が進んでいる

これはこんなバランスの録音だったんだー。
高校生の頃、全く気づかなかった。

もっとも、今はスピーカーマトリックスで再生していて、
故にその辺がより一層わかるのかもしれないのだが
それにしても昔はわからなかったなー。

でも30年くらい掛けて進歩したのはその位か、と思うと
嫌になる。

3rdのジャケットはかなり凝った物だ。(当然LP)
これは国内盤を買ったのだった。
何年生の事だったかよく思い出せないが
買ったのは横浜の地下街のレコード屋さんだったかな。

だったと思う。寒い自室でストーブをつけて
聴いた記憶がある。
そのせいか、このジャケットを見ると思い出すのは冬のことばかりだ。


11月20日

何をどう伝えたら良いものやら、悩むところではある。

“今よっしーの部屋で鳴っている音はシスコンに毛が生えたようなもの”
という表現は、ある意味的確。そしてやっぱりちょっと違う。

なんというか、“ああ、昔はこんな風な音楽をこんな風に。
そしてこんな音量で聴いていたなー
”という感想を抱かせるものであることは
間違いない。



では、クオリティーは同じなのかというと、それはやっぱり違う。

昔腐るほど聴いたLPを改めて聴いているのだが、
このLPはこんな音。このジャンルの音楽の録音はこんな程度”と
思っていた物が次々覆されているのがここ最近。

まあ、だいたいだ。“このジャンルの録音はこんなもの”という
考え方自体が既に不遜である。

“オマエ、ちゃんと取り組んだこと無かったろう?”
と、もう一人のよっしーが醒めた目で語りかけてくる。

“スミマセン。その通りです”と頭を垂れる、よっしー…。

それでいて、どこかシスコン臭さ、などというのは
やっぱりそれらの音楽の再生に一番活躍してくれていたのは
当時のシスコンだったからか。

そこを起点にして、うんと進歩したようにも思えるし、
同時に、実はそれなりの音は出ていたのに
本人が気づいていなかったという可能性を今ひとつ
ぬぐい去ることが出来ないからあやふやな感想とせざるを得ないのだろう。

なんとかここまでは来られた、ということで勘弁していただきたい。


11月21日

ダイヤトーンDS-301というのは良いスピーカーなのではないかと思う。

今さら何を言ってるの?と言われそうだが、
このスピーカーって、ちゃんとかまわれたのは最近

なんというかナチュラル。
ジャンルを問わない。
4Way4ユニットだが定位がどうのとかいうことは無い。

それから、陳腐な言い方だがいざという時の低音の頑張りはやっぱり素晴らしい。
なんというか、ドッドッドッ、という感じで迫ってくる。

このあたり、“ウーファー”という感じがして嬉しくなる。

それからしつこいけど(笑)スピーカーマトリックス

これも考えてみれば長い間常設は出来ずにいたものだから
やりたい放題が嬉しくて仕方ない。
それではしゃいでいるんだ、と思って貰う方が気が楽なのだが
立体音響はやっぱり楽しいものだ。

一応、だが、スピーカーマトリックスというのは
リアスピーカーから残響が聞こえるような物だと思うのだけは
間違いだからはっきり書いておく。
レコードの中には隠れ4チャンネルみたいなものが山ほどある。
“これ5.1だよ”と嘘をついて聴かせたら信じられそうなものもある。
それでいて投資額は比較にならない位低いのだから貧乏性の私には適している。

ところで日本のロックも聴いてみよう、ということで掛けてみた。



甲斐バンドの方はベストなのかどうかよく知らないが
Kai Band Story」となっているし
HERO、きんぼうげ、ガラスの動物園のテーマ、らせん階段、
ポップコーンをほおばって、ダニーボーイに耳をふさいで、
裏切りの街角、かりそめのスウィング、メモリーグラス、
氷のくちびる、テレフォンノイローゼという選曲だからベストだろう。

甲斐バンドというのは妙な腐れ縁があってよく聴いたのだが
レコードは持っていなかった。
(ようするに貸しレコード屋さんで借りてテープに落としていたのだな)
写真のは100円で買った代物。
歌に文句はないが、録音は“まあこんなものかしら”(笑)という感じ。
それよりジャケットが良い。
あか抜け無さがサイコーに素敵だ。



おまけに甲斐バンドワンポイントシール、なんてのも入っている。
家庭用アイロンで布地にプリントができます。
と書いているが前の持ち主は一枚もプリントしなかったみたいだ。
多分僕もするこはないと思う。

もう一枚。



甲斐バンドと比べるとぐっとマイナーになる。小山卓治さんだ。

この人とも奇妙な縁がある。
ただ、このLPも20年以上前に中古で買ったものだ。

THE FOOL」で、この中のBlind Love最終電車は好きな曲だ。

小山卓治さんは、“知る人ぞ知る”という存在かもしれないが
その世界、よっしーは好きだ。
ジャケットも歌詞カードもB級(失礼!)のにおいがプンプンする。
実に素敵である。



11月22日

邦楽続きだがロックではない。

長渕剛さんで「風は南から」だ。



これはよっしーのではない。かみさんが持ち込んだ物だ。

長渕さんがまだ堅気だった?頃の一枚。

長渕さんともがあり、デビューはリアルタイムで見ていた。
で、しばらく疎遠にしていたら極○になられていてビックリ。

という話しはさておいて、このレコードもテープで持っていた。
つまり貸しレコードで借りた、というパターンだ。

だから中身は熟知している。

俺らの家まで、僕の猫、いつものより道もどり道、訣別、カントリーワルツ、
待ち合わせの交差点、不快指数100%ノ部屋、今宵最後のブルース、
君は雨の日に、巡恋歌、長いのぼり坂。

個人的には「待ち合わせの交差点」「君は雨の日に」あたりが好きだ。

…が、この度きちんとレコードを再生してみて驚いた。
(最近驚いてばかりいる)

さんざんテープで聴いた。
しかしそれでは聴いたことになっていなかった事に気づかされた。

なんと真面目でまともな録音。

…などという発言自体が間違っている。

が。では当時高校生、大学生の内何人が、それをわかって聴いていたか?
実に怪しいものである。

まあ30年以上も経って気づかれても困りますと言われそうだが…

しつこくマトリックス効果について語るが、
このアルバムで言えば「僕の猫」が面白い。
四方から長渕ちゃんの声がするところがある
これは狙って処理している。

ただ、それこそそれを知っているリスナーが何人いるか?
スピーカーマトリックスでやってみて初めてわかる部分ではある。

もう一つ。言うのも憚られるような事をいうが
音楽再生には“低音”というファクターは大変重要だ、ということ。

30Hzが、20Hzが、などという話しではなく、
ごく当たり前の帯域の低音が素直に再生されることの大切さ、というお話し。

なぜそんなマニア失格みたいな事を口走るかというと
30年前、そんなことは出来ていなかったなーとしみじみ思ったからだ。

まあ低音の意味するところも様々だが、
例えばアコースティックギターの六つの弦の内低い方の二本の唸り、及び胴鳴りの音(らしき物)
が太さ、ふくよかさを持って鳴るような感じでないと
実に寂しい音になる、と。まあそんな事を今は感じている。
改めて、だけど…。


11月23日

ギターの再生のことなんか書いたのは何故だろう?と自問自答してみた。

うーん、なんというか、例えば昔々、レンタルレコードをテープに落として聴いていた時分、
「風は南から」を聴いたって、ギターの音を良い感じで再生は出来ていなかったなー
と今さらながらに思ったからかな?

アコースティックギターの音って、シャカシャカな感じで再生するのは簡単なんだけど
ふくよかさと言うか、まろやかさを伴って再生するのは結構難しい。

低い方の“鳴り”をちゃんと再生出来ないと、途端に嘘っぽくなるというか安っぽくなる。

30数年前のシスコン時代と、今そこにある2010年装置での音を比べてみると
その辺りの表現が雲泥の差と感じる。
(30年前の事を正確に覚えている筈もないから頭の中での比較になるけど)

やっぱりファンダメンタルの部分が描けるかどうかの違いって大きいのね…。

まあもう一ついうと、では3bくらいの距離で聴く、生のギターの音と、
今、オーディオで鳴っている生ギターの音とが同じか?あるいはどちらがビューティフルか?
というと録音された物と感じる。

やっぱりプロは上手いな〜と思う。
上手く録れているのだ。
美味しく録れている、と言い換えても良い。

せっかくの贈り物なのだから、やっぱり美味しく再生しないと悪い
しかしそれは簡単なようで簡単ではないのでは、と思う。
やっとそこそこの所まで来たかな、というのがここ最近なのであります。

さて、日本のロックをまた聴こう。



PANTAなのだが過去にもちょっとだけネタとしては取り上げている。
しかし当然レスは無い。
マイナーではないがメジャーではない。
好き嫌いも思いっきり別れるところだろうし、よっしーの部屋の来訪者が
これを聴くとは思えない。
で、尚更取り上げたくなる(笑)

PANTAとの出会いは1980年頃だと思う。
僕はかなり好きで、アルバムも大分買った。
だから何枚もあるが、マイナーな中の有名どことということで
マラッカ」を引っ張り出した。
PANTA&HALの1st。と言ってもHALは二枚組ライブを含めても三枚しか
レコードを残していないのだが。

マラッカ、つれなのふりや、ブリキのガチョウ、裸にされた街、
ココヘッド、ネフードの風、北回帰線、極楽鳥

全8曲お聞きのがしなく、というところ。

作詞作曲はPANTAだがディレクターは鈴木慶一。ここがミソか。

個人的にはやっぱり「裸にされた街」と「ネフードの風」を愛する。

“何事もなかったみたいだ、街を行く人の顔は
あれほど深かった傷跡も消して、季節のよろめきに身を任す。

闇の中を子供の群れが、松明を片手に進む
100、200、300と死に場所を求めて
誰一人声も立てずに。

裸にされた街に、乾ききった風が砂埃舞い立て
愛しすぎてた街に色とりどりの朝がまた来る。

祈りを忘れたシスター、言葉を無くした詩人
笑いを拒んだ子供達、叫びを捨てたロックンローラー

浮気な時間はいつだって、勝手に流れを変えちまう
ことわりもなしに突然に、追い掛けても無駄なことだよ

裸にされた街に、乾ききった風が砂埃舞い立て
愛しすぎてた街に色とりどりの朝がまた来る。”

…って、まああんまり個人的な思い出に浸ってばかりいると回りが白ける。

このアルバムの良さ、凄さというのはその道では言い尽くされている感があるので
今さら言うまでもないが改めて今聴いて気づくのは
やはりその音楽作り、音作り、録音の真面目さだろう。
PANTAも偉大だが鈴木慶一もやはり偉大なのだ。
“ここにこんな素敵な音が入っていたか”と目を見張る思いがする。
いや、もう脱毛…ではない、脱帽だ。

あの頃さんざんこのアルバムを共に聴いたヤツらを集めて
“ほら、本当のクオリティーはこんなだったんだぜ”って言いながら
一緒に聴けたら楽しいかな。

いや、“オマエもオヤジ臭くなったな”と冷ややかな目で見られるのがオチか。

しかし、逢いたい奴に限って、なかなか逢えないもんだ。


11月25日

ギターギターとわかったような事を書いたので
ギターのLPでも掛けてみようと思った。

そこで、これ。



「エグベルト・ギスモンティ ソロ」

独ECM 1136

これはA級外盤にも選ばれている一枚。
だから悪い筈がない、と言われるとそれまでなのだが

過去にもこーゆーのは繰り返し聴いているはずなのだが
今回は(自分的に)異次元に音が良い?

何かと細身になりがちなアコースティックギターの音が
繊細さはそのままに厚みをもって迫ってくる?

いや、本当の事を言おう。
このディスクが、ギターが、ではなく、ここ最近気づくと
全てのLPの音が分厚いのである。

なんというか…何も言えないのだが、
こう考えると過去に一体何をやっていたのか?
自問自答したくなる。

一番の?はアンプが定価10万円のAVアンプだということ。

AVアンプだから音が悪いなどと決めつけるつもりはないが
さりとて、ではもっと高級なアンプに差し替えたら、と
試してみる気にもならない。
今の音が消えちゃったら嫌だもの。

しかし、なぜ?

いや、待てよ、と疑念が湧いた。
「あるいはハウリングでも起こしていないか?」と。
ハウっている音を聴いて、音が厚くなったと喜んでいたら
それこそ末代までの笑いものだ?

しかしテストの結果ハウリングマージンはフツーに取れていることがわかった。

それに、最近のよっしーは超小音量派なのだから
ハウリングが起きるはず無いじゃないか。冷静に考えれば。

では何なのか?
DS-301本領を発揮し始めたということか。
AT-15EaSR-929及びHX-10000との相性の良さみたいなものがあるのか。

よくわからないが、わかる必要もない。

とにかく今はこの音のままで居たいと、それだけを思う。


11月27日

一人で良い良いとはしゃいでいて馬鹿な奴、と思ってもらう方が
気が楽だ。
「本当にそんなに良いのかな?」なんて思われる方が困る。

いや、まあ良いと思っているのだがかなり限定された条件下での話しなので
一般性が薄い気がするのだ。

ひとつには音量が大変小さい
だから上げたら破綻するのじゃなかろうか?という懸念があるのでした。

じゃあ一発大きな音で聞いてみればいいじゃん?と言われると
それはだ(笑)

あっという間に幻想が崩れ去る可能性大だし
なにより今よっしーは平和な音量にこだわりたいのだ。

ポリシーなどという立派なものではない。
ひねくれているのである。

圧倒的大音量再生は結構だが、そんな音量で聴ける時間は大して無い。

時速40`〜60`で楽しめる世界を作ってみたい。
そんな思いがある。

だからといってニアフィールドは今やらない。

そこまで小さな音にしなくて良いと思うし、
近距離でスピーカーと対峙するのではリラックス出来ない。
スピーカーは遠くにありて想うもの?

空間は描きたい。だからマトリックスを活用する。

場合によってはサブウーファー、ということも今年はやった。
ただ、DS-301が活躍し始めてからは休眠だ。

さすがにYST-SW45とDS-301ではマッチしないし
第一今現在全く必要がない。

そのDS-301の置き方もひねくれている。
結局壁際べったりの置き方だし、
第一レコードラックの上に置いてある。

オーディオ誌の特集で、良くないとされる置き方の典型みたいなものだ。

しかし安定感(本当の意味での安定とは違うのだろうが)
という観点からは最高だし、見ていて非常に落ち着く。

壁際に置いているのも、よっしーの部屋程度の大きさだと
こりゃどうしてもそうなる、という気がする。

アンプにAVアンプというのもひねくれているが
今のところ大変塩梅が良いから仕方ない。

そのうち何か弄るかもしれないが
当面は何一つ変えたくない
そんな気持ちだ。


11月27日

この季節、空が綺麗だ。そして高い。



ユーミンで「流線型80

荒井由美名義、松任谷由実名義、併せて何枚かのLPとCDがある。
そのほとんどがかみさんの持ち込みであり、
よっしーが新品で買ったのはこれともう二枚くらいかな?

これは確か1983年の今頃だったかに、今は亡き母がお金を出して買ってくれたのだったと思う。

いや、お金の出所が母だったかどうか、記憶は曖昧だ。

その時よっしーは大学3年生

大学三年生の時点で母親にLPを買ってもらった、などというと
なんだか気持ち悪い母子関係みたいだが
これが実にレアケースだから覚えている。

第一、なぜその時母親と二人でなんか出かけたのかわからない。
ただ、何かの事情があって、出掛けたことは間違いない。
本当に本当に珍しいことだった。

そして今気がついたのだが、もしかするとそれが生涯最後の経験だったかもしれない。

ちなみによっしーの母は男らしくて?実に尊敬に値する人物だった。
だから母親自体を嫌う理由は何もないのだが、
とにかく父親の方がわけがわからん奴だったので
我が家はコミュニュケーションという点で断絶していたのだと思う。
というかそれで間違いない。

当時LPは2.800円もしたわけで、ひょっこり一枚買ってもらえると
大学生だろうがなんだろうがラッキーなことに違いない。

さあ、しかし時は流れた
ふと気づけば、今のよっしーはその時の母の年齢を追い越している(!)

もっというと、だんだん母が亡くなった年齢に近づいて来ている

このレコードを買ってくれた頃、母は何を考えていたのかなー、と
「流線型80」を見ると思うのだ。

当時も(あるいは今もだが)よっしーには親の気持ちを察しよう
などという心の余裕は無かった。

よっしーの母はその後よっしーの就職、結婚というところまでは見届けた。
あかちゃんが出来たよ、というところまでは知ることが出来たが
顔を見ることは出来なかった。

バッサリと、ある日余命数ヶ月宣言をされ
家族、親戚一同の必死の戦いも虚しく旅だってしまった。

それから18年
よっしーの息子や娘が、あの頃のよっしーと似た年齢になり、
自分は母の年齢に近づいた。

幸いなるかな、よっしーの妻はまともな?家庭で育ったので
子供とのコミュニュケーションも上手い。
更によっしー自身もよっしーの父を最高の反面教師としたので
今のところ親子の断絶というのは無い。

よっしーの母がこの風景を見たら何というか?
「仲良しで結構ね。
アンタ、それくらいの気遣いをアタシには出来なかったのかしら…?」
と言うかな?

そう言われたら「ゴメンナサイ」とか言いようがない。


亡くなった人と話しをすることは出来ない。
今となっては自問自答するだけだ。

このLPを見るたび、僕はあの日の高く晴れ渡った空を思い出すのだ。



11月29日

うっかり買い損ねていたBeatSoundの夏号をゲットした。

ジャパニーズ・ロック&ポップス厳選ディスク・ベスト50+α
ということで邦楽が目白押し。

ただし、ここ数日よっしーが取り上げていた様な物は当然?出てこない。

いや、実に正直な集計結果というべきか、
はっぴいえんど、大瀧詠一、山下達郎、
細野晴臣、矢野顕子というところが巻頭を飾る。
1960-1989の間のベストを識者が選ぶとこうなるに違いない。

っていうか反発をおそれず、素直に集計結果を表したところは立派だと思う。

敬意を表して?達郎さんを何枚か取り出す。
といっても、これもよっしーの妻の所蔵品。

面白いのはいずれも盤質が異常に良いこと。
これは間違いなくレコードでは聴かずにテープに落として聴いていたナ。

それはさておき、さすがというべきか
文句の付けようがない緻密に構築されたサウンドというか
レコーディングだ。
恐れ入りましたとまとめるしかない。


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