SR-929

12月1日

先日の日経新聞朝刊にこんな記事があった。
「領空侵犯」で、タイトルは“団塊世代は食い逃げするな”。
サブタイトルは“若者の社会変革、寄付で助けよ”となっている。
コメントされているのは北海道大学教授で山口二郎氏



若い頃は学園紛争の主役となり、社会改革に燃えていたのが
団塊世代です。しかも終身雇用に守られながら退職年齢に達しました。
日本の高度成長の恩恵を十分に享受出来た最後の世代でしょう。
その人達が今、退職して私生活に埋没してしまっては、若い世代から
突き上げられます。妙に大人しくなったなどと批判されるのも面白くないでしょう。
だから余計なお節介かもしれませんが、お金の寄付を訴えたんです」

(中略)

団塊世代の食い逃げは許さないということですか。

「世の中が危機的な状況にあるからです。
若い世代は人生の予測ができないでいる。
学校を出て就職し、結婚して子育てするなど、
かつての普通のライフスタイルが共有できない社会になっています。
非正規雇用の比率が高まり低賃金労働です。
その結果、未婚者は増え、少子化も止まらない状態です。
これは若い世代による社会への一種の復讐ですね。
ただし、いずれは自分に跳ね返ってくる自己破壊的な反逆です」

「このままでは、さらに大きな規模の貧困が拡がり、社会保障システムでは救えない
という話しになりかねない。だから団塊世代には座視しないでほしいと思うんです。
余生』なんて言葉は使ってほしくないですね」

…ということで賛否両論あるだろうが久し振りにスクラップしたくなったコラムだった。

以前“若い世代がお金を使わない、使おうとしないのは
大人への一種の復讐だ”と書いた覚えがある。

“ワーキングプア、大いに結構。
わかりました。でも僕達お金は使わないで暮らしますからネ”

…となるとどうなるかというと、おじさん達の作る物を買う人がいなくなるのだ。

“いやー、スミマセン。いや、買わないじゃないですよ、買えないんです。悪しからず”
と断られれば返す言葉がない。

しかし、この状況、どちらにとってもあまり好ましいものではないのは確か。

お金はある程度回らないといけない。
そうでないと動脈硬化をきたしてしまう。

それで良いのか?あまり良くない。

山口先生は別に団塊世代だけを責めている訳じゃあない
ただ、“活躍”して欲しい。世の中を活性化するために一役買って欲しい”
と言っているだけだ。

“余生”などといって逃げ込むな、と言っている。

寄付する金などない。ということも多いだろう。

しかし出すのは金ばかりと限らない。
仕事の創生、という考え方でよし、後方支援だって出来る。

よっしーも深く考えさせられた。
雇用を作るなどと立派な事は言えないかもしれない。
ただ、疲れたり逃げ込んだりしてはいけない。

“ついてくる世代に恥じないような生き方出来ていますか?”

自問したら元気になった。

さてと、つまらない事から始めましょうか。


12月2日

レコードラックの探索も途中だというのに
新しいソフトをゲットしてしまった。



といっても街角のリサイクル屋さんの軒先で100円の物を三枚、なんですけど…
(全然需要喚起になっていないな…)

何を買ったかというとご覧の通り。

まあ特にスティーリーダンボズスギャグスは汚れが酷かった(笑)
しかしいつものぬるま湯洗いで復活。
ありがたいことだ。

さてさて、一番気になるのが「ガウチョ」なのは仕方ない。
何しろDVDオーディオ盤が手元にあるのだから
聞き比べとかしたくなるではないか。

さて、まずはサラウンド対決?だ。

よっしーの部屋のDVDオーディオ再生装置
Pioneer DV-S10A→YAMAHA DSP-A1と繋がって
スピーカーは8aフルレンジ×5本+サブウーファーYAMAHA YST-SW45

上記装置で先にDVDオーディオ5.1chを聴いたが、
サラウンド(この言葉が適切とも思えないが)という点で、やはり優秀
このところ耳慣れたマトリックスとはひと味違う。

しかしこれは当たり前といえば当たり前で、六つのチャンネルに
最初から「こう聞こえるように」と信号を割り振っているのだから
これでスピーカーマトリックスより落ちたら失格だ。

それより感心するのは、サラウンドがどうこういう前に
このシステムで十分良い音がするところだろう。

何しろメイン5本のスピーカーは8aフルレンジだ。
しかもフロント三本はキャビネットが段ボール
それで良い音がするのはDVDオーディオの規格勝ちという気もする。

今年のオーディオ日記のまとめめいてくるが
ここで5,1chマルチについて改めて。

5,1は小型スピーカーで構築すべき、というのが個人的見解。

…などと書くと偉そうだが
実際問題そうでないと一般的な部屋ではシステムを構築出来ない。

30a4Wayをフロントに三発。リアに二発。
置けたとしても個人的には気持ち悪くて居られない。
音楽鑑賞というより、オーディオ機器に拷問に遭わせられている
気分になりかねない。

更に、30センチウーファー×5本に見合うサブウーファーを用意するとなると
一体どれだけの物を用意するのか?
80a二発だろうか?
とてもついていけない。

しかも、5,1で聴くソフトは全体の何分の一。あるいは何十分の一となると
その他の時はスピーカー三本とサブウーファーは置いてあるだけ、となる。
バチがあたりそうで出来ない。
(金も場所も、元から無いからバチもあたらないが)

以上を考えると、必然的に小さいスピーカーで、となる。

よっしーの部屋は変形7.5畳というところだが
ここには8aフルレンジ×5本+20aサブウーファーで
綺麗にマッチしている。


12月3日

さて、ここで初めてDV-S10AのDVDオーディオ2ch出力をアンプに送り込む。

2chを受け持つのはAVC-2870+DS-301(フロント)と栗スピーカー(リア)がマトリックス接続されている
最近のリファレンス。

、だが…これは実におもしろい。

何ともクリアーで、それでいて漂うような空間表現もある。

さすがDVDオーディオ…って今さら誉めても手遅れだ?

それより驚いたのがサラウンド効果だ。

書くのが憚られるのだが5.1と比べて遜色ない世界が広がる。

もちろん、計算されつくした、という意味でディスクリートマルチはスゴイのだが
スピーカーマトリックスも十分凄いのだ。

あるいは自然な繋がりを得やすいという点ではスピーカーマトリックスの方が上を行っている。
5.1はしっかり計算されているが故に再生側もシビアにやらないといけないようだが
スピーカーマトリックスはもう少しルーズでも大丈夫。庶民的とも言える。

なにより、スピーカーマトリックスであれば投資額は桁違いに低い
現用2chに追加すべきはリアスピーカー一組だけだ。

しかもフロント2chに手を入れる必要は一切無い。

改めて5本のスピーカーとサブウーファーを用意して、最低三組のステレオパワーアンプを用意して、
6チャンネルに対応したプリを用意して…というのと比べたら、というより比べるのが馬鹿らしい。

実はこの一年、よっしーは「せめてDV-610AVは用意して、なんとかSACDでも5.1を…」と考えていたのだが
この分ではやりそうにない。


ところでアナログ「ガウチョ」はどうなった?


12月4日

ところでアナログ「ガウチョ」はどうなった?

ここで登場。

DVDオーディオからバトンタッチだ。

結果、サラウンド時の分離、清々とした感じでDVDオーディオがちょっとだけ優れ、
アナログは厚みで勝るという感じ。

ただ、この比較にどれだけ意味があるか?と考えると疑問だ。

DVDオーディオの方はプレーヤーが変わると結果が変わるだろう。
アナログもプレーヤー、カートリッジ、フォノイコが変わると結果が変わる。
ディスク自体が変わると更に音が変わる可能性がある。

そう考えると比較に意味はない。

と、ここで以上、三種の「ガウチョ」(DVDオーディオ5.1chマルチ。同2chをスピーカーマトリックス。
そしてアナログ2chをスピーカーマトリックス)を聴いてみてのまとめ

昨日まで言っていたことと一見まるで違う事を言うようだが
DVDオーディオの5.1マルチはスゴイ、ということ。

スゴイから8a×5本+サブスピーカーの装置であれだけの音が出てしまう。

なるほど、トータルパフォーマンスでは本格的スピーカーを使ったスピーカーマトリックスに負ける。
しかし“楽しさ”、“躍動感”にスポットを当てた時、5.1はなんとも伸び伸びしているのだ。

これは何故か?理由は一つではないだろうが、1chあたり一つのパワーアンプ→一つのスピーカー
という構成が効いているのでは?
と想像する。

ディスクリートマルチに対して否定的とも思えることも書いたが、“わざと”だ。

この点まとめると…

1、お金を掛ける事を厭わず、新たにプレーヤー、6chプリ、5ch分のアンプ、パワードサブスピーカーを
揃え、理想的配置と出来たら5.1は最高のパフォーマンスを見せてくれる可能性がある。

2、そこまでしたくないけどサラウンドに興味はある、という場合現用装置にリアスピーカーだけ追加して
スピーカーマトリックスにしても相当楽しめる。1の方法と比べて一長一短と思える。

3、まあそう言わずに折衷案、という場合5.1はコンパクトシステムで構築する。
元の2chシステムはそのまま。両者は独立系統とする。スケベ心満載の考え方。

…ってことでよっしーが取っているのは3のやり方。

この他にセンターチャンネルの信号とサブウーファーの信号をフロント2chにダウンミックスする方法があるが
試していない。


12月5日

5.1だろうがマトリックスだろうが要はサラウンドだ。

サラウンドというのはピュアオーディオでは邪道なのかもしれない。

サラウンド=AVという捉え方が定着している?

しかし今年のよっしーの部屋はずっとサラウンドだ。

フロント二本のスピーカーだけで十分サラウンドするし
またそうでなければいけない、というのは正論だ。

実際二本でサラウンドする。
ただしソースは選ぶしリスナーも選ぶ。

たくさんのスピーカーに囲まれるサラウンドは、
いわばわかり易いサラウンドだ。

ピュアオーディオでサラウンドをやってみても良いな、
と思ったのは今年初め、かないまるさんのページを覗いてからだ。

人を陽動する文体というのがあるが(笑)
かないまるさんのもその一つかもしれない。
読んでいるとSACDマルチをやりたくなるというか、
やらねばならぬ、と思えるから堪らない。

残念ながらよっしーの部屋にはSACDマルチの環境がない。
SONY DVP-S9000ESはSACD機だがマルチ出力が無いのだ。

しかしPioneer DV-S10Aがあった。
それでDVDオーディオ5.1が出来た。

ということで始動

やってみたら滅茶苦茶面白い

そして小音量再生に効果的とわかった。

それでスピーカーマトリックスにも挑戦。

実に楽しいことがはっきりして常設となった。

…と、ひとつだけ。

リアスピーカーと一般に言うが、
本当にリアに置くのが良いかどうかはケースバイケース。

よっしーの部屋ではリスニングポイントの真横にスピーカーはあって、
ほぼ正面を向いている


要するにリスナーはフロントスピーカーとリアスピーカーが
作る音のサークルの外にいる形。

いつもそれが良いとは限らないが、今はそれで良い感じになっていることを
ご参考まで報告です。


12月6日

サラウンドだマトリックスだというのは興味がない人には
実にどうでも良い話しだ。
だからこれくらいで止す。
まあ今年のまとめという意味があるのでお許しください。

リアスピーカーというよりサイドスピーカー。
リスニングポイントほぼ真横にあって、そのスピーカーのユニットは内振り角40°くらいか。


さて、僕自身の好みを言うと、リスニングポイントの背後に壁がないのは落ち着かない
(今の自室では、ということ)
だからITYの推奨配置(5.1chにおける各スピーカーの理想的配置)なんて、
とんでもないの一言だ。

いや、実はリスニングポイントを前へ持っていくのは試したのだがスグ辞めた。
落ち着かないことこの上ない。

あれこれ試行錯誤はしたが、結局人間の方を先に快適な環境に置いて
それからリア(サイド)スピーカーの位置が決まった感じだ。
それで良いのである。

ただ、ソースによってはサイドというよりリアスピーカー方式で、あからさまに背後から音が出る方が
ちょっぴり楽しいものもある。

そんな時どうするかというと、ソファーの背もたれに寄りかかるのを止めにして
頭をホンの20〜30a前に出してやるのだ。
そうするとビミョーに音場が変わって面白いことになる。

とは言ってもやりすぎ厳禁
選択肢が多すぎるということは不幸に直結する。
だいたい常設のポジションでおおむね良い感じの音がする、っていうくらいでよろしい。

そろそろ締めくくり
サラウンドでこれでは当たり前過ぎるので永らく取り上げなかったがYMOだ。



あからさまにサラウンド向け。
5.1だよ、と言って皆んなだませる。

今となってはロークテクノ・サウンドだが、面白いことは確か。


12月8日



僕個人はビートルズともジョンレノンとも縁の薄い人間だ。

ただ、思春期(恥ずかしい言葉だな)に松村雄策さんの書く物に
接することが出来たのは幸せなことだったのかもしれない。
(あるいは身を持ち崩すきっかけになったとも言える)

1981年11月10日 初版

内容についてはとても紹介しきれない。
今でも手に入るようだから興味がある方はご一読を。

で、今気づいたのだけど、松村さんも来年で還暦ではないか。

僕も歳をとるはずだ…


12月9日

今から32年前ということになるのか。
1978年12月10日僕は初めてライダーになった。



その時のバイクが以前にも画像を掲載したHONDA CB50JX(初期型)なのだが
これは上野のバイク街で買った。

買ったのは良いが乗り方を知らない(免許は持っていましたよ)。
バイク屋さんでお金を払いながら、「乗るのは初めて」と告げた。

そういう奴もいるのだろうか。バイク屋さんは裏の道でギアチェンジの仕方とか
練習に多少付き合ってくれた。

しかし無謀な話しだ。
上野から、目指すは横浜。

その距離約40`

しかも道は知らない(笑)地図も無い。

一体どうやって帰るつもりだったのか?
今となると笑い話だが、渋谷まで出て、後は東横線の線路に沿って走れば良いのだと
思っていた。
馬鹿か、オマエは…

上野を出発するとき既に夕刻だった。

一体どこをどう走ったのか、当時もわからなかったが
今となっても依然不明だ。

とにかく交差点で発進するたびにエンストする。
ギアーをニュートラルに戻して、ローから発進しなくてはいけないという
理屈がのみ込めていなかった。
それで公道をいきなり走ってしまうのだから凄いとしか言えない。

本当にどこをどう走ったのか?

本当にわからないのだが渋谷方面には向かわなかったのは確か。

季節は真冬。あたりは直ぐに真っ暗になる。
しかも服装はといえば高校の制服のブレザーだ。
(禁止では無かったので放課後取りに行った)
メットは購入して被っていたが、気休めにもならない。

四時間くらい走っただろうか。
気がつくと横浜は桜木町のあたりに出ていた。
「あ、ここは知っている!」と胸の中で喝采した。

「行きすぎているじゃないか!」とUターン。
やっと知っている道を走れるということでラストスパート。

自宅にたどり着いた途端、両足がつったのを覚えている。
そしてあきれ顔というか憮然としか感じの両親の出迎え。

青春とは無謀なものだ。


以上が僕のバイクデビュー。乗り物デビューだ。

あれから30年余。
方向音痴は昔のまま。

しかし、まさかその後同一車種(正確には同一ではないのだが)
に二回も乗るとは、それだけは想像がつかなかった。

1987年頃、二回目のCB50JX。

そして2009年三回目のCB50JX。

一体自分の中でどこか進歩したのかと思う。

まあそれでも2010年は、その三台目CB50JXで公道を走れるようになった
記念すべき年ではあった。




(この写真はCleoさん撮影)


12月10日



それから35年後の12月10日
都内某所の18:00頃のショット。

暗いなー。
そしてやっぱり寒いし。
こんな中を生まれて初めて乗る原付で上野から帰ったのかと
改めて思ってあきれた。

ところでもう一ヶ月ほど経つが、ゼロハンパラダイス、略称ゼロパラの企画
第一弾ということで都内某所にCB50で出掛けた。

参加は他にマメタン50CB50JX改

…それは良いが、申し訳ない。よっしーのCB50JXが不調
皆さんには迷惑を掛けてしまった。

コンビニまで行って来る分にはオーケーでも、
ちょっと長い距離を乗るといい加減な整備が露見してしまう。

具体的にどうだったのか?というとキャブレターオーバーフローだ。

オーバーフローは前からだったのだが放置してオフ会に参加した私がアホなのです。

深く反省して取り敢えず整備に掛かる。

ところで何故オーバーフロー?
キャブを分解してみるとフロートからチャポチャポ音がする。
なんとフロートに穴が開いてガソリンが入っていた。
こりゃダメだ。



しかし真鍮製のフロートが傷むとは。
30年も経ったバイクでは仕方ないが、やっぱり呆れる。

パーツは手に入るので交換してしまうのが一番だが
興味本位で半田漬けに挑戦。
小さい穴だから半田付けで大丈夫だろう。



半田漬け中の写真はない。撮っていられない。

とにかく小さい穴だった。
穴、と言えないような。針の先で差した程度の損傷があったのだ。

問題は半田漬け後のチェックだ。
50℃以上のお湯に浸して気泡チェック。

一回やってダメ。二回やってダメ。
なかなか手強い。
三回目でオーケーとなった。



本当に大丈夫かは実際にしばらく走ってみないとダメだが
10日ほど経っても再発していないから良いのだろう。

お陰でこれまでの濃い混合気から正常値に戻ったようで
走りも全般に快適になった。

しかし、やっぱりプリミティブな機械って良いな、と思ってしまう。



しつこいけどCB50JXは格好良い。

30年以上の間に色々なバイクを見たが
これを凌ぐものには出会ってない。


12月12日

それにしても、今時の青少年はバイクなんて乗りたがらない?

いや、正直いって自分の子供にバイクなんて乗って欲しくない。
楽しさも知っているが、危険もよく知っているからだ。

しかし、(一ヶ月前の件)「今日はツーリングで都内の某所まで行くんだ」と
告げたとき、
気をつけてね。(何かあったら)洒落にならん
と息子に言われたのには呆れた。

これじゃだろうが…

(心配されてちょっぴり嬉しかったが)


12月13日

自慢じゃないがファッション音痴だ。
自他共に認める、ということで世間公認のアンチ着道楽。

だから自主的に服を買ったことなんかここ20年、ほぼ無い。
不況の折りローコストファッションが流行っているようだが、筋金入りのよっしーから見たら
皆さんまだまだ服装にお金を使い過ぎだ(笑)

そんな僕だが超珍しく買ってみたい服がある。

何?

いやいや、昔ながらのダウンジャケットだ。

オマエはそんな物すらもっていないのか?と言われそうだがさすがに持っている。
ただ、色がいけない。黒と茶色のリバーシブル。
今欲しいのはとかオレンジとか派手な色の物。
それも30年くらい前に流行ったような形の物なのだ。

何故その路線?と言われると、それが30年くらい前の学生の定番だったから。

30年前のバイクには30年前の格好で乗るという作戦ここにあり。

その昔、“POPEYE風ライダー”という言葉があった。

上がダウンジャケット。それにGパン。足下にウエスタンブーツ、みたいな感じ。
グラブもスキー用の流用。背中にDパック。

まあなんとなく軟派なライダーと揶揄するような意味合いもあったわけだ。
ひねくれ者のよっしーがそういう格好を選ぶはずもなかったが
今となるとやってみたい。

ファッション音痴なくせにPOPEYEは愛読していた。
POPEYEは単なるお洋服雑誌とは違ったから面白かったのだ。

“23インチのワークブーツ”とか“六輪(四輪一台+二輪一台)時代”とかいう提言は当時から面白かったし
2010年の今も色褪せない発想だと思う。

お金があればXL-250に跨ってみたいが、ちょっと無理だ。
そこでCB50でPOPEYEライダー再現。

面白いものでよっしーが求めている形のダウンジャケットが今店先に並んでいる。
ファッションというのは繰り返すものなのだな、とつくづく思う。
そう言えばエイプもそこそこ売れている。
これもCB50の系譜であり、CB50とR&Pを足して二で割ったようなバイクだ。
先祖返りは色々な世界であるようです。


12月15日


CB50が引き金になったのか?あるいは当時入手したLPを聞き返したりしているのが効いたのか?
やたらと'70s。あるいは'80S初期のネタが多くなっている今日この頃だ。

人間前向きが一番。
それは嘘じゃない。

しかし過ぎた日々を思い返して幸せなら、それはそれで結構なことだ。
思い返すのも嫌だ、っていうことだってあるはずだから、振り返って甘美に思えるなら
幸せなことこの上ない。

さあ、高校や大学の時のよっしーはそんなに幸せだったのか?

多分幸せだったのだろう。…と曖昧な言い方になる。

幸せでした、と断言するのも馬鹿みたいだし、では不幸でした、というのかと言えばそんなことはない。

いずれにせよ幸せとやらを実感したり噛みしめたりする高校生、あるいは大学生男子というのも
あまり居ない気もする
のだが、どうだろう?

それはさておき、こうして振り返ってみると、昔から本当に雑誌が好きだったという事に思い当たる。
ベッドに転がって、雑誌を見ては夢を描く、みたいなところは確かにあった。
それも人より強くその傾向があったと思える。

“へー、良いな〜”と雑誌を見て思っている分には平和なものだ。
コストも掛からなければ努力も要らない?

それで良いのかというと良くないのだろう、多分。
しかし、そういう性癖?があるというのは仕方ないものだ。

まあこれを言っては身もフタもないかもしれないが、やっぱりあの頃は良かった、というのはある。

運転手「まったくねー。若いっていうのは素晴らしいですよ。若いっていうことだけでOKな感じがありますね。
お客さん。私もガキの頃は早く大人になりたいなんて思ってたんだけれど
大人になってみたらちっとも良いことありゃしないですよ」

「ホントですねー。昔親のすねを囓ってた頃が一番良かったかな。
僕も60を過ぎましたが、何だか年を取るってことはあまり楽しくはないみたいですね」
真夜中のタクシー/吉田拓郎・より)

身もフタもないかもしれないけど、これこそ正直な会話ってもんじゃないかなー。

まあ元よりよっしーは“大人になりたい”なんてただの一度も思ったこと無かったけどね。


12月17日



そうそう、ジョン・デンバーのLPも買ったんだった。

なんて、サラっと言うけど結構一生懸命聴いていたりして。

ジョン・デンバーもまた思い出深いアーティストだ。

とっいっても申し訳ない。アルバム手にしたのはこれが初めて。

では何故思い出深いのか?

ジョン・デンバーは僕がオーディオに興味を持ち、
FMレコパルを買い始めた頃に人気絶頂のアーティストだったのだ。

当時FMでもよく掛かっていた。
なんというか”時代の音”だったと思う。
ポールモリアもその一種か?)

さあ、当時FMレコパルでは毎号アーティストごとに
漫画が掲載されていた。

で、ジョン・デンバーも取り上げられたのだが
執筆は松本零士さんが担当。

さすがに当該雑誌は残っていないが
何しろ繰り返し読んだから内容は良く覚えている。

ジョン・デンバーは気が向くと自然の中へと旅に出てしまう。
奥さんも置いて何ヶ月も…、というくだりがあって
“ホンマかいな?”と中学生ながらに思ってしまったものだ。

それと松本零士さんといえば“男おいどん”であって、
どうにもジョン・デンバーは“男おいどん”の主人公、
大山のぼったに似ているように思えてならなかった。

…ということで、当時既にジョン・デンバーはたくさんのLPをリリースしていて
大人になったら片っ端から買ってやるぜ”と思ったものの
結局何一つ買わなかったんだな、これが。

35年経ってやっと買った(100円)ジョン・デンバー。
音は?というとこれが実に真面目
当時は本当に録音が素直だったんだなーと
改めて思ったのでありました。


12月18日

今年のオーディオ的収穫の話し、その2。
(1はサラウンド再生)

よっしーの部屋にはアンプがゴロゴロしているのだが
今一番活躍しているのはDENONのAVアンプAVC-2870

他にアンプも色々あるのにAVアンプを使っているとなると
かなりのひねくれ者と思われそうだが、奇をてらったりしてこうなっている訳ではない。

たまたまツボに嵌ったから。純粋にそれだけ。

まず使い勝手

AVアンプがピュアオーディオ用アンプより使いやすいなんてことは無いはず…
なのだがリモコンが使えるのは大きい。
リモコン付きのピュアオーディオ用アンプというのは少ないが
AVアンプでリモコンが無いなんてのはまず見掛けない。

ボリュームがヒョンヒョンって感じでコントロール出来るのは実に美味しい。

というのも、よっしーは今「生活の中のオーディオ馬鹿」を目指している。

音量を小さく、というのもその一つ。

一部屋オーディオで占拠している代わりに、その部屋はいつだって開放状態
扉類は可能な限り開け放っている。

だから何かあれば、直ぐにボリュームを下げる事にしている。
音で家族を遮断するのは望むところではないのだ。

となるとボリュームは手元で一発管理出来るに超したことはない。
だからAVアンプ。



…というだけでは無い。
日記に書いたが、このAVC-2870は小音量再生時に非常にSN比が高い
AVアンプはノイズだらけ、なんてのはでしょ?と言ってあげたくなる。

この静けさは何だ?と思って調べてみるとゲイン可変ボリュームが積まれていることがわかった。

どんなものでも一長一短だからゲイン可変ボリュームが絶対に優れているわけではない。
ただ、今のよっしーみたいに小さい音で聞くことを大切にしていると、非常に良いものに思えるのは確か。

まあ色々あるがとにかく2010年時点での僕には大変好ましい一台。
DS-301との組み合わせでは、ソフトにもよるが実に分厚い低音を聞かせてもくれる。
理屈ではない。良いと思えば使う。



ということでAVアンプにお世話になった一年だった。
とかくピュアオーディオの世界ではAVアンプなんてと馬鹿にされるが
ひねくれ者としてはますます擁護したくなる。

パワーアンプを沢山搭載しているということもあって
簡単にマルチアンプに挑戦出来るのも面白いと思った。
スーパーツイーターのみ別ドライブというのをやったが、レベル合わせが容易なのは助かった。
下手なアッテネーターで弄る方がややっこしいのでは?と思った。

AVアンプはどんどん進化していってしまい、少し前の物はオークションでも入札すらない。
しかし、今よっしーがやっているようにプレーヤーとAVアンプのやり取りがアナログ入出力オンリーだと
10年くらい前の物でもなんら問題はない。DSP-A1なんかご存知の通り12〜13年前のアンプだ。

特に映像関係に関係なく。更に内蔵DSP類に関係なく使う場合は古くてもますます大丈夫
ということになる。
古いAVアンプ万歳?&AVアンプはアナログ・インで。しかもDSP等使わずスピーカーマトリックスで使うのが最高?

…まあ一年後には違うことを言っているかもしれませんが。


12月19日

元々懐古趣味を楽しむところはあるが
それにしても最近はその傾向が強すぎる?

なんでだろう?と考えてみた。

まず部屋が寒い
これは学生時代を彷彿させる。
みんながいる部屋は暖かいのだが
(特にこの夏の電気容量アップで、
電気製品が使いたい放題になったのが大きい)
よっしーの部屋は石油ファンヒーター頼み

そしてTVはあるのだが滅多につけない。
学生時代は自室にTVなんか無かったので自ずとレコードか
テープかラジオが友達になる。
その環境に似ている。
加えて出て来るソースが昔の物ばかり
(音楽も本も雑誌も)だから軽いタイムトリップ状態になる。

とどめにバイク
寒空の下CB50に乗ってコンビニまで
さすがに往復1`くらいしか走らないのだが
それしか移動手段が無かった、あの頃を思い出させる。
凍えて帰ってきてストーブをつけてステレオ装置に灯をともす。

こんなことやってりゃ嫌でも昔を思い出す。

冷たい路面。夜は今より暗い。
いや、今も昔も夜は暗いのだが、ご存知の通り
昔の原付(バッテリーは6V)のライトは暗い。
そしてバイクっていうのは視野が狭いから尚更夜は暗く感じる。
そんな状態で走っていると簡単にタイムスリップできる。

暗い道をどこまでも突き進んで走ったあの頃
友達の家と往復するだけでも20〜30`は走っていたのだから
今考えると立派なものだ。

それしか無ければ真冬でも原付で走るものだ。
TVが無ければステレオをつける。

考えてみると一室一台の勢いでTVが増えたことも
オーディオの衰退に一役
買っていたか。

たいていの人間は楽で便利なものの方が好きなのだ。

こりゃ仕方ない。


12月20日

“小生を音キチと呼ぶ人がある。
こういう呼び方をするのは、オーディオがどういうものかを知らぬ
縁なき衆生だとおもっている。
小生はただ、少しでも音楽をいい音で聴きたいと願っているにすぎない。

オーディオを、その時々に優秀だとされている器機を揃える趣味だと割り切ってしまうなら
話しは簡単だろう。
今の段階では、アンプはマランツ(もしくはマッキントッシュまたはアコースティック)、
スピーカーエンクロージャーはジム・ランシング、カートリッジはシュアーV15、と揃えてくれば、
ふつうの家庭で使う再生装置としては一応、最高の音質をたのしめる。
金のある人なら、すぐそれを所有することはできる。
しかしオーディオの真髄は、そんなものではあるまいと思う。

プログラムソースとしてのディスクが、そもそもマランツやジムランやシュアーで鳴らせば、
常によくきこえるレコードばかりとは限らない。
甚だしい場合は、5、6万円程度で売られている安物の器機で鳴らすほうが、
音のまとまりのよいものがある。
優秀な装置で鳴らせば鳴らすほど、演奏の欠陥を露呈してしまうレコードだってあるだろう。
われわれは、常に音楽をたのしむためにいい音を求めているのに、かんじんの音が
(または演奏が)よごれてきこえるのでは何のための高級装置かわかるまい。

だいたい、レコードというものに、つね実は最良の音が録音されているとは限らない。
むろん最終的に考えられているのはナマの音だが、冷静に判断すればすぐわかることだ。
百人もの人間が楽器を鳴らす交響曲を、それがナマそのままにレコーディングされたと仮定して、
どんな大きなスピーカーだって、そのまま再現できるわけはない。

あのほそい針先で、そのフォルテを拾おうというのもどだい無理な話である。
また、より高忠実度の再生音を念願するにせよ、音の発言体となるのがせいぜい15インチ程度の
スピーカであってみれば、これまた多くを望むほうが無理だろう。

結局、どこかで処理された、あるいは取捨選択された音を、生らしく聴くことで我々は我慢しなければならない。
しかも、ナマそのままに刻まれたレコードなどあるわけがないとなれば、つづまるところ、耳にこころよい程度の臨場感をともなた、
いあKにもナマを彷彿させる音をもってよしとするしかないだろう。
言ってみれば、かつて感激して聴いた音、現実には求められないかもしれないが記憶の中で浄化された素晴らしい音、
そういう音の理想像に我が家の音を近づけようと悪戦苦闘するーここにオーディオマニアの業のようなものがあると私は思っている。

(中略)

作者の私としては、あくまで自殺をあつかったので、小説の結末の場面を
“西風を見たもの”をきいていて、思いついたのである。
念のために言っておくと、この時のスピーカーはグッドマンの12インチ、6L6の真空管をつかったアンプに、
カートリッジはGEのものだ。
カサドジュの演奏だった。

つまり今おもうと、大した音で鳴っていたわけではない。
それでも当時の私には、じつにこまやかな、ピアノのペダルを踏む残響のすみずみまでが聴きとれる素晴らしい音におもえた。
わたしはこの音から獲た感動で小説の起承転結をつかんだのである。

これはどういうことだろうか。
みずからの当時をかえりみて、私は読者諸賢にいいたい。
音楽をきくとは(レコードやテープをプログラムソースとするその鑑賞は)しょせんは自己のうちにある美意識や生活意欲に
一つの動機を与えることだろう。その動機を呈示するのは、何サイクルまでフラットなどという周波数レンジや
再生装置の機能とは、何の関係もない。あくまで音楽だ。
当時にくらべ、数段まさる装置で今の私は聴いている。しかしいい小説が書けるわけではない。
あなたの装置がどうであろうと、あなたが生きている上で、充分すぎる意欲を音楽はーあなたの再生装置はーおしえてくれるはずだ。

先ず音楽をきくことだ。
一枚でも多く、いいレコードをきくことだ。装置をいじり出すのは、充分レコードを聴き込んでからでもけっして遅くはない。
むしろ、その後に装置を改良したほうが、曲の良否がわかり一そう味わいが深まるだろう。”




12月22日

五味先生の文章は、やはり格調高いと思う。
と言っても持っているのは「オーディオ遍歴」一冊のみで
しかも7年位前に古本で求めたものだ。

引用させて頂いたのは「オーディオと人生」という文章から。
よっしーは人生について語るほどの人間ではないので五味先生の文章を
そのまま掲載させて頂いた。


さて、しかし、よっしーも、あるいは40代も終わろうというこの歳になって、
やっと“本音のオーディオ”が始まったのかも?と思っている。
“本音のオーディオ”は、“自分のオーディオ”と言い換えてもよい。

オーディオマニアって真面目だから、“ねばならぬ”、とか。“こうであってはならない”みたいな
暗黙の縛りに結構影響を受ける。
自分で自分を束縛してしまう、みたいなところがあるのだ。


僕自身、結構真面目にオーディオをやって来た気がする。


ただ、段々面倒になってきた。
だらしなくなって来た、ともいう。

“歳を取るということはだらしなくなる事なんだな”と今は亡きN先生が仰られた事を覚えている。

全くそうだ、と思う。

それは良くない、という見方もあるが、それくらい無いと歳を取ることが楽しくなくなると思う。
まあ要はバランスなのだが…


で、よっしーのオーディオも年相応にだらしなくなってきた。

セッティングもいい加減。
ケーブルは無頓着。電源も同じく。
装置も手持ちの中で(価格的に)高い物を使おうという気が失せてきた。

何より、ソースが適当になってきた。いわゆるオーディオ的快楽を求めるためのソースから離れた。

結果どうなったか?というと皮肉な事に対自分用の音としては今が一番気持ちよい?

人間たまには裸になってみることも大切だ?


12月23日

なんだか最近叙情的というか意味不明的というか
我ながら辻褄が合いそうで合わない話しが続く。
きっとのせいですね。お許しを。

大人と子供の違いは何か?
コンビニで年齢認証を受けるのが子供で、
受けたいのにスルーされて、あっさり酒でも煙草でも買えてしまうのが大人?

…というボケはさておいて、自分の時間を他者のために
使えるのが大人。使えないのが子供
、というのはある。

その意味でよっしーは本当に永らく子供だったと言える。
いや、今もってその傾向はある。

趣味人というのは多かれ少なかれその傾向があるのだが
とにかく自分の使える限りの時間は道楽のために充てたいと思ってしまうのだ。

それが50も間近になって、ここ最近やっと緩和された気がする。

家人のため、そして犬のために時間を割きたいと思えてきた。

それと、もう少し違う趣味というか違うものに興味を持とうか
という気もしてきた。

これは一つに体力、気力の低下があると思う。
オーディオ馬鹿で居られなくなってきた。
これは良いことかも知れない。

それからスタンスが落ち着いてきた。
実はバイクに対してがそうだ。
昔だと毎朝洗車していた(爆)
それが今は一年に一度だ。

良い意味で醒めたつきあい方が出来るようになったということ。

オーディオに対しても然り。

これは聴ける時間が増大したことも効いている。

以前は本当に限られた時間に一生懸命やっていた。
それが今年からやっと専用の場所になり、
小音量であっても割と長い時間音を出せるようになった。
それ故ガツガツしないで済むようになったのだ。

これは大変良いことだと、個人的には思っている。


12月25日

クリスマスが恋人同士にとって重要な日、というトレンドは
1983年に作られたらしい。

なるほど…と頷けた。
それ以前はそんなに騒いでいなかったと思う。

しかし実に迷惑なトレンドで、「するってーと何かい?あっしらにはクリスマスを
楽しむ資格が無いのかい?」と訊きたくなる。

なぜにこんなにクリスマスが特別なものなのかわからないが
明日になると祭りの後の寂しさが訪れ、しかし休む間もなく
新年で盛り上がる。

まあおめでたいのは結構なことだが
個人的には12月26日〜30日の間の静けさを愛す。



ただ、ラジオで流れ続けるクリスマスソングや特集を聴くのは嫌ではない。
ここ数日久し振りにFMチューナーが復活したりしていた。

たびたび書くがマトリックスはFMにも有効で、実に楽しい。

さて、クリスマスの企画物というのがよっしー宅にも数枚ある。
これらはクリスマス過ぎてしまうと聴いてもなんだか間抜けみたいな
感じがあるから一応一枚掛けてみた。

CLUB SNOW BOUND」 浜田省吾さんのクリスマスアルバム。
曲数からするとミニアルバムといっても良い。

この中の「MIDNIGHT FLIGHT」は好きだし
センチメンタルクリスマス」がカバーされているのも嬉しい。

…が、録音は…(笑)

もうちょっとフツーに録れないものだろうか?

一瞬装置がおかしくなったのかと思い、慌ててFMに切り替えたら
そんなことはないとわかって一安心。

なんか情けない話しだ…


12月26日

せっかく五味先生の名文を引用していながら
話しが脱線しっぱなしだ。

五味先生は「オーディオと人生」の中で何を言いたかったのか?

短絡的に読むと“オーディオ装置なんかどうでも良い。
大切なのは音楽だ”ということになる。

しかしこれはあまりにショートサーキットなまとめ方だ。

本当にオーディオ装置がどうでも良ければ五味先生だって
あそこまで遍歴を重ねない。

…が、遍歴を重ねた果てに見えてくるものがある。


例えば車やバイクでもそうだが、もの凄い数の物に接してみると
車種なんか実はどうでも良いという結論に達することがある。

実はどの車もバイクも、それぞれ楽しいのだ。

純粋なレーサーだったら、“これでないと勝てない”
みたいなことはあるだろう。

しかし、そうでなければ実は車種なんかどうでも良い。

どうしてもセルシオでなければ、ということもあるだろう。

でも、実際にはカローラはカローラで実に楽しいのだ。

ひょっとして良い車に乗れば女の子にもてるのでは?
と思うかもしれないが、
実際にはもてるもてないに車種は関係ない

確かに高級車は高級車でしか見えない世界を描いてくれる。
しかしそれでないと車は楽しめないのかというと
そうではない。

要はアナタがそれを通じて、一体何を感じるか。何を見るかだ、
というようなことを五味先生は言いたかったのだろう。

よっしーも今、CB50という原付バイクを堪能しているが
これも遍歴を重ねたから楽しめるのだ。
実際、人生三回目のCB50だからわかるのだが
一回目、二回目と今では同じ物を相手にしても
味わい方が違う。

17歳の時、あるいは26歳の時、今と同じ心境に達せることが出来たか?
というときっと無理だろう。

17の時は、いつかは400cc、みたいな志?の中、
ステップアップの過程にCB50を捉えていた。
26の時は750ccのサブバイク、みたいな位置づけだった。

今は純粋にCB50が良い、のである。
ドカティやハーレーをくれる、という話しがあっても
断るだろう。
CB50でなけりゃ嫌なのだ。

このあたり、やっぱり遍歴があってこそという気がする。
オーディオも然り。

なんだ、これで(これが)良かったんじゃないか、
と気づくために延々回り道をする。
それも道楽なのである。
いや、それこそが道楽の王道なのかもしれない。

言うまでもないのだが、その回り道は決して無駄などでは無いのである。



画像はCleoさん撮影による物です


12月28日



FMfan最終号

はっと気づけば丸9年が経っていた。
来年になれば2011年だから10年ということになる。
(最終号は2001年12月刊行)

時間の経過が恐ろしく早い。信じられないくらいだ。

「音楽はいつもFMラジオとともにあった」とある。

ラジオは多くの人のそばにあった。そして今もある

FMを聴き始めると、FMばかり聴いている。
人の声が恋しくなるとFMを聴くのかもしれない。

FMはラジオではない、という説もある。
音の良いラジオに成り下がったところからFMの衰退が始まったという見方もある。

昔々FM局は二局しかなかった。
それをもの凄い情熱を傾けて、皆聴いていた。

早くアメリカみたいに多局化して欲しい。そう願ったものだが
いざ局数が増えてみたら、中身が変化してしまった。
いや、ラジオとしてはそれで良いのだが、“FM”としては
それではまずい?

…なんであれラジオの主役は肉声だと思う。
いかに昔のFMが音楽を掛けっぱなしだったとしても
ラジオである以上必ず人の声があった。

肉声こそラジオの命。
インターネットは双方向ではあるが
肉声は聞こえない。
(ネットラジオはもちろんあるが)
声にはやはり人のぬくもりがある。

テレビもある、といえばあるのだが
面白いもので“自分に語りかけてくれている”感じは無い。

ラジオが“あなた”に話しかける物なのに対し、
テレビは“皆さん”に話し掛けるもの。
そんな違いかな?

とにかくラジオにはテレビともネットとも異なるところがあり、
つまりは存在意義があるということになる。

故に僕も時々ラジオ、というかFMを聴く。
まあ録音もなにもしないのだから
ラジオを聴くと言って良いのだろう。

クリスマスだとか年末年始とかいう節目の時は
特にラジオが面白い。

FM誌達は消えてしまったがFMは無くならない…
こともないと思うが少なくとも今はある。

スピーカーマトリックスで聴くFMはとっても面白い。
それで良いのだ。


12月30日



CB50の画像だが、現用車のではない。
1986年頃入手した歴代二台目のだ。
(撮影は多分1989年頃)

菓子折ひとつと交換で譲ってもらい、
外装などは全交換していた。
今思うと良い時代だ。



マフラーも新品と交換したのだった。
これは新旧マフラーを並べてみたもの。



ってことだが当時デジカメは無いので
アナログ画像をスキャンしてアップしている。
この頃よっしーの妻はEOSを使って、かなりカメラに凝っていた。
上の画像は鏡に向かってシャッターを切ったのだな。

しかし元の写真とスキャンを単純にしたものでは随分違ってくる。
元の写真の方が遙かに見栄えは良い。
撮影者の名誉のために言っておく。
質が落ちるのはよっしーの責任である。

…ということでようやく仕事も終わり
平穏無事な、そして平凡な年の瀬を迎えている。
今日もFMを流しっぱなし。
渋滞情報など聴くと、ああ、年末、という気がしてくる。

移動中の皆さんは気をつけて
…って、さすがに移動中にこのページ見ている人はいないか…


12月31日

大晦日だ。

昔々、子供が深夜まで起きていて良かったのは
大晦日だけだった。
だから異常に興奮していた気がする。

レコード大賞紅白歌合戦も輝いていた。
年賀状にも気合いが入っていた。

ただ、子供の頃からオタクだったので、家から離れて過ごすのは苦痛だった。
(よっしーの母の実家で年越しする習わしだった)
お節にもすぐ飽きるし、お正月の遊びは苦手だった。
コマなんか回せたためしがないし、タコは上がる前に引きずってダメにした。

今は昔の物語である。

高校2年のお正月にはCB50JX一号車があったから
元旦から走りに行った覚えがある。

といっても近所を走っただけだが妙に記憶に残っている。

グラブが無くて軍手だった。
革ジャンだけは何故かあった。
が、とにかく寒かった。

それと道は空いていた。
お正月というのはこんなに道路が空くものかと、変に感心した。

コンビニも珍しい時代だったから
お店はとにかく空いていない。
やることも無くて、ただ走って帰ってきた。
でも、良い時代だったと思う。

さて、2010年も終わる

よっしーの部屋復活…は良かったが
まさかAVアンプが主役に収まるとは思っていなかった。さすがに。

AVアンプだからどうこうという事は本当はない。
マッチする物ならなんでも良いのだが
たまたま今回は手元にあったAVアンプがマッチしたのだろう。

要するに気持ち良い音が出ているということ。

2008年に今のミニ・ノートPC(ネットブック)
に乗り換えた時、何気にインナーイヤーのヘッドフォンを挿してみて
驚いた覚えがある。

実に好みの音がしたのだ。
どうしてこういう音がオーディオから出ないのだろう?
と疑問に思った。
その音が、今出てとしいる。
その意味では大変良い年だったと言える。

スピーカーマトリックスは続けることになるだろう。
これだって常駐は長い間実現しなかったことだ。

SACDマルチだけ対応出来ていないので
これも何とかしたい。
プレーヤーさえ買えば良いのだ。

それと別に、夏に電気工事をしたのが大きい。
オーディオ専用電源は良い…などと言わない。
厳密に聞き比べをしていない。

そんなことより我が家のブレーカーが落ちなくなったのがありがたい。

アンペアでいうと50Aだから20Aのアップでしかない。
しかし電気屋さんと徹底して打ち合わせしたので回路は16系統

これは効果的で、エアコンつけながら電子レンジを回し
ホットカーペットをつけていても何をしていても
とにかくブレーカーは落ちない。
この安心感は凄いもので、ストレスから解放された。
苦節何十年。耐えた日々があったから今のありがたみも
ひとしおになる。

ホームページの方もちまちま更新したものだと思う。
一番面白いのは、ホームページの内容と
掲示板の話題が(あまり)リンクしていないところだ。
そしてこれは非常に良いことだと思っている。

なんというか、家主の話と全然関係ないところで来客が盛り上がっている
宴会みたいな感じがある。

それでこそ良いのだ。

これが例えばブログだったら、書き手の書いた記事に
無関係なコメントは書きづらい。
昔ながらのホームページ+掲示板という形だからこそ
成り立つ世界という気がして、密かに喜んでいる。

さて、一年の終わりということでくどくど書いてしまった。
お許しあれ。

あ、先日忘年会で逢った友人が、バイクの大型免許を取って
ハーレーを買ったと言っていた。
昔Z400LTDに乗っていたから頷ける。

「この軟弱者め!男は原付だ!」と言っておいたが
彼の嬉しそうな顔を見て、僕も本当に楽しい気持ちになった。

でも、今のよっしーは“心からCB50を愛している”状態だから
彼がハーレーを買っても全然関係ないのである。

今日もお使いでコンビ往復をした。
ほい、とエンジン掛けてブロローと走る軽快さは
どうしたって中型以上のバイクでは味わえない。

バイクもオーディオも、己の好みを把握してしまえば
無意味な羨望は持たなくなる


50を前に、それくらいの境地にはなれたということだろう。
ま、ここに至る前に、長い長い遍歴があったのだけど。



では、みなさん、良いお年を!


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