4月1日

新年度
入り。

昔は気にしたことも無かった。

いや、まあ大学入学とかそんな時の記憶はある。

しかし、今日から
社会人。あるいは昨日をもってお勤め完了とか
人生色々なのだな、これが。

世の中の多くの人がそうした感慨に耽る中、ここでは相変わらず
道楽の話だし、なによりちょっと前に述べた通り今年は昭和換算で101年。
僕が趣味のオーディオを始めたのが
昭和51年ということで
見事に
50周年の年なのだ。

一体この50年、何をしていたのかというのもあるが
50年前。僕はどんな事を思っていたのか?
振り返ってみたいというか、振り返らなくても昔の事は日々思い返しているから
記憶も鮮明ではある。

なお、これまでも自分の昔を振り返った物も書いているから
重複するところが今回は特に多くなることだけは
予め
ご容赦頂きたい。




4月2日

全国に
五人くらい存在すると思われる、よっしーの部屋マニア、の方は
(いるんか?そんな人?(;^ω^))
”え〜、また。
焼き直しじゃん”とかれるかもしれないが
本当の事言うとそんな人一人もいないと思うのでぬけぬけとやります
重複ネタ。

いや、というか
50年前の今頃、と思うとこの話題から逃げることが出来ない。

再び三度登場のこの記事はFMレコパル
1976年12号(5/31〜6/13)号掲載の物。

特集は”新作増幅器便覧”で、つまり新作アンプ達のずらり。

この時点での僕は、アナログプレーヤーよりも、あるいはスピーカーよりも

アンプという存在に惹かれていたのがわかるというか思い出される。

とにかく飽きもせず、この記事なども繰り返し繰り返し読んだことが思い出される。




不思議なもので自分のアンプ、
JA-S31よりも更にローコストのアンプになんかも
しっかり心惹かれたのだ。

パイオニア
SA-6600U(29,800円)

ある意味シスコン時代の幕開けを飾った
SA-63000。その後継機的存在のだが
面白いもので6600のMK1という型番は、そもそも存在
しないのだ。

その”3万円アンプ”の仲間なのだが33,000円と、しれっと一割高のプライスで迫るのが
ヤマハ
CA-V1

このアンプはとにかく
ルックスに惹かれる。

ヤマハブラックというか、色がまず良くて、メーターがついていてキャリングハンドルまで
装備されているのだからズルい?




AUREXのSB-320

ファンの方には申し訳ないがこのアンプはなんとも
ぶさいくに思えて、
これっぽっちも惹かれるところが無かった。

不気味にボリュームつまみがデカく思えた。いや、今でもその印象は変わっていない。

…なのだがその後
まさか自分のリファレンスに、そのAUREXのプリが納まったり、
あるいは部屋に三台も
がっているなんて事になるとは
思いもよらなかったのでありました。

*AUREXの一号機(プリメイン)もしっかりあります。


左に控えしは、もう何度もその型番を語っているから
皆さんとしては食傷気味かもしれないマランツ
#1250.

当時の
スーパープリメイン。

とにかく
シンメトリーのルックス。シャンパンがかったゴールド的カラー。
美しいウッドケースに悩殺されたと言って過言ではない。

絶対これは良いアンプなんだと、もちろん音など聴くことも無く
勝手に決めていた。

マランツといえばその後例えば
PM94などもうちに来て、
その意味ではそれで充分なのだが、
気になり続けるという意味では
1250は筆頭。
ただし手に入れるとは不思議に思えない。

なんでだろうね?


4月3日



いやん、こんな事やっているとしくて仕方ない。

素直な気持ちになれてしまうボクチン(笑)

DENONのPMAも、ごめん正直ピンと来
ない部類だった。

PMAが全部駄目だった、とかいうんじゃなくて
この時、この形だけが駄目だったんだろう。

その後
まさか同社のプリを愛好する事があろうとは
神ならぬ我が身、この時知るよしも無し。

そしてビクター
JA-S11

僕のは
31なんでこちらは一つ下の機種という事になるのだが
取り上げられているのが11だと、”もしかして31より11の方が優れているのか?”
と心配で夜も眠れなく…

は、ならず良く寝ていたと思う。

その後
7141だと手に入れたが11は手にした事が無い。

いや、その前に、どうせなら31に手を出せという
天の声が聞こえてくる。



最後にセパレートなのだが
ダイヤの前後
連結型はいまだにピンと来ない。
(ゴメン)

かっこよいね、と思うのはヤマハ
C-2、B-2ペアなのだが
中学生の感覚だと高すぎて非現実的。

だから、という訳ではないのだがパイオニアの
C21M22のペアはシンパシーを感じる存在だった。

僕のM22
は既に幾度も語っているから、そこは繰り返さない。

(実は終段をMOS FETに
改造してみたら、とか思っている事は内緒です)

あとはC21だ。

当時
6万円。

その為かたくさん売れたのだろう。ドフでも沢山流れている。

いつでも買えるし買っても使わないし、ということで
ずるずると手に入れずにここまで来たが今年はいよいよ
これだけは入手する事に決めている。

理由は簡単で発売
50周年の記念すべき年だからだ。


4月4日

そして最初にインパクトを受けた
プレーヤーというとこれであった。



高城先生の糸ドライブ。

77極モーターってなんだ?
なんだか分からないが凄そうに思えた。
(画像で黄色く囲んだのがそのモーター)

アンプだとかホーンスピーカーの部分は、自分には馴染まなかった。

あれから
50年の間にプラッターの重さだけなら
YGT-1もあるので高城先生と同じになった。

いや、もう一つ同じになったものがある。

それは何か?

なんと、
年齢である。

この時(50年前)高城先生
64歳。

よっしーも同じになった。

時は流れたのだな…

ただし、漂う
風格は雲泥の差の気がするが…(;^ω^)



この記事の終盤にこんなのがあった。

「家に来る高校生が私の装置を羨ましがるんですよ。
そういう時私は言うんです。
君、ボクの年までにあと何十年あるの?
40年、それだけあれば何でもできるよ、と」

さて、みなさん、40年50年掛けて何が出来ましたか?

…人間には振り返ら
ない方が良い事もあったりする…


4月5日

ところでレコパルが
4月くらいの号だった。

高城先生云々は別冊FMfanの11号で、その年の
号なのだ。

その
に存在したのがSJ誌の臨時増刊。最新オーディオプラン'76だった。

この雑誌は当時で
1,500円もしてくれたから(レコパルが200円の時代だ)、
なかなか買う決断が出来なくて、延々と本屋さんで立ち読みをさせてもらった。

目玉は評論家8氏による
組み合わせ特集。

何しろ最高金額が
389万円というのだから200円のレコパルを買うのがやっとの中学生には
想像もつかないというよりは呆れて物も言えない世界だった。



カートリッジMC-20、アームFR-64S、モーターSP-10MK2、プリアンプ テドラ。
チャンデバ アキュフェーズF-5、パワーアンプ アキュフェーズM-60を二台。
パイオニアM4を一台。スピーカーは4350。

オールスター
夢の饗宴であろう。

マルチアンプなんてのも初めて知った。
そうか、ネットワークというのはそんなに良くない物なのか…

なんて、分かったつもりになっていた。

さてしかし、その中で一人一際
異彩を放つ人がいた。

そう、長
岡先生である。




最低価格、
8万円の組み合わせご担当。(もちろん他の価格でも登場)
プレーヤーがビクター
JL-A25M、アンプが同JA-S11。スピーカーがOTTO SX-111Dという組み合わせ。

何しろ自分が使っていたのが
JL-F35MでありJA-S31だっただから親近感湧きまくり。

スピーカーの111Dは
アルニコユニット採用のウオールナット突板仕上げでペア18,000円を切っているのだからスゴイ。
もっとも、近年は人気が出過ぎて往時より高くなってしまっているから困る。

他の組み合わせでも3万円のアンプを大抜擢。トータル費用をアンプで押さえて将来のグレードアップの際
アンプを高級な物に…という訳だ。実に
実践的

ビクター
JA-S41も登場している。

…と、考えてみたら長岡イズムに出会ってから
50年でもあるわけか。早いものだ。


4月6日



またしても別冊FMfan12号の話しになるのだが
なにしろ
昭和51年の出来事限定で書いているからお許しを。

思えば
数冊しかない雑誌を飽きもせず繰り返し繰り返し読んでいたのだな。

で、まあ長岡先生だが、とにかくこの人は自分の立ち位置を作ってしまう
才能があったというか、その程度の事は才能とすら思わなかったというか、
例えば、JBLか〜。マルチアンプか。そんなもん買えねえぞ、こんちくしょう!
と、思ったであろう数多くの
大衆に、それこそ夢と希望を与えてくれたところが
偉かった?

このおじさんのいう事訊いている分にはお金あんまり掛から
ない、と
すぐに
損得勘定というか貧しい金銭感覚だけは磨かれていたというか…

とにかく
写真と文章から音を引き出す才能に恵まれていた少年。
それがその頃のよっしーだったかもしれない。

出不精だからお店に聴きに行くとか、そんなこともしない。
オーマニなんて身の周りに、
欠片も存在していなかった。

不思議だが本当にそんなだったのだ。


4月7日

50年
と一口にいうが、オーディオから遠ざかっていた時期もある。

そう…

1980年くらいからの
10年間は遠かった気がする。

その間バイクや車にお熱だったからだろう。

ただ、面白いもので完全には切れ
ないのだ。

1980年から1984年くらいはステレオプレスマンが活躍したり、
マルチトラックレコーダーを相手にしたりした。

ある意味大変
アクティブな時代だったとも言える。

1985年からしばらくの間が一番遠かったかもしれない。

結婚するタイミングでは、それまで使って来た
スピーカーを処分して
、カーステレオのスピーカーを
室内でも使ったりしていたくらいだ。

1990年を通り過ぎてしばらくして
子供が生まれた。

普通は子供が生まれて、趣味のオーディオを
めるものだが
僕の場合は
だった。

その辺のあれこれはオーディオ日記の前史みたいな所にも書いてあるから
ここでは割愛。

ただ、
冷静に考えればスペースも無かったのだから
テレビ中心のAV装置にでも力を入れた方が平和だったであろう。

今思うのは長岡式で言ったら
D-127AVなんかを作った方が良かったなということ。
(防磁型ウーファーを使ったスリムなバックロード)

これにリアを
マトリックス接続でもしたら良かった。

ま、今更仕方ない。

さて、明日でよっしーの部屋も
新年度入りである。

引き続きよろしくお願いいたします。


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