12月24日



MM
カートリッジあるあるだが、ボディがあって針が無い、とか
針はあるけどボディが無いとか言ったことが起きる。

たしか家に
針無しの27Lがあったな、と思って針を買って帰ったらビンゴだった。

この27L、どうやって手に入れたのか?

たしか一台目の
TP-L3に針折れ状態で付いてきたのだったはず。

MG27系もかなり数が
出回った部類と思う。

エクセルのOEMだとか色々言われる。

ちゃんと聴くのは
十年ぶりくらいか。

つまりどんな音だったのか忘れているから新鮮。

おめでたい話しではあるが、さて…




12月26日

さて、は良いが相変わらず
さっぱり音が耳に入ってこない。

は、言い過ぎだが”ああ、いいじゃん、これでいいじゃん”って感じ。

これはある意味耳の状態が
しい証拠だ。

というのも大抵のカートリッジは良い音がするのである。

ごく普通の
ソースをごく普通に聴く限りにおいて
大きく的を外すカートリッジなんて存在しない。
(と思う)

MGシリーズなども数が出回ったカートリッジであり
王道を行く音がしなくては困るのだ。

そしてこれらが凝った
シェルを与えられたり
リード線に工夫を凝らされた事例をほぼ見ない。

目の前にある27もOTTPの極普通のシェルとリード線に装着されている。

弄ってみるか。いや、
面倒かな…



12月27日





カートリッジケース(お針箱と呼ぶ人も居る)をひっくり返していた時
MG27と一緒にこれ
見つけていた。

OTTO
MG50

これも数が出回ったカートリッジの筈だ。

MMで出力電圧2.8mV。針圧
1.8〜2.5gと、これだけわかれば充分かな。



だが
い。あったらとっくに鳴らしていただろう。

まあ何かの針は刺さると決まっている?

試行錯誤の末世界の松下の
270が収まりが良いことが判明。
(ボディとの間に盛大に隙間は出来るのだが)

ただ今これで音を聴いている。

ソース次第だが、低い方に
ドスンっという音が入っていると
気持ちよく鳴る。

もっとも、ただ今
SY99のイコライザー直結で聴いているから
その癖みたいなものもあるかもしれない。

こんな状態で何か言われてもカートリッジも困るかもしれないが
充分に良い音だ。

オーディオってこんな感じで行けるところも楽しい。



12月28日



CD34


理屈の上では好ましくない置き方なのだが音はこちらの方が良いかもしれない?

単なる
錯覚だとは思うのだが…



そしてこちら。

とってもとってもとっても
い音で鳴っている。

…なんなんだ、これは…






12月29日


音というのは誠に
不思議なものだが、特に思い当たる事が無くても
向上することもあればその逆もある。

少なくとも年の瀬をイマイチな気分で迎えるよりもその逆の方が良い訳で
これは一種の
ラッキーかも。

あるいは
ウメが親父のあまりの落ち込みに同情して空の国から手を貸したのか。

その可能性もゼロとは言えない。

ただ、それにしても
MG50+EPC270針は変である。変というのは好いという意味でだ。


なにがどう好いのか、は今書きたくない。それはとっても
個人的な嗜好の問題としておく。
(明日になると語り始める可能性はある)





12月30日



待てよ、MG27ではどうなんだ?と気になって聴いてみた。

うん、こっちもいける。

何が良いのかとか語りたくない。

客人が来た時聴かせて説明したいとも思わない。

第一、他に一応名のあるカートリッジ達があるのだから
そっちを装着するのが筋だ。

例えば、なのだがかみさんがお昼に、と焼きそばを作った。

これが
滅法美味かった。

思わず、”今日の晩もこれで良いんじゃない?”と言ってしまったが
そうはいかない。

何故ならこれから人が来るからだ。

その場合やはりお客さんを迎える也のメニューが必要だ。


そういう事なのだと思う。


OTTOのカートリッジ達は、僕にとって充分な音を聴かせてくれている。

それは嘘ではない。


45年以上前に買って、腐るほど聴いてきたレコードを聴いていて
”ああ、そうだったのか。そうだったんだよな”と思わせてくれる。


それはとっても素敵なことだ。僕にとって。

あるいは、”そうか、これで良かったのか”と気づくために遍歴を繰り返すのかもしれない。





12月31日


カートリッジのナンバーワンはどれだろう?と考えることくらい
無意味なことは無い。

人によって全部
う。

〇〇を手に入れると憧れていたあの音が手に入るかもしれない。

そうした
憧憬を持つことは構わないというか当然のことだ。

世界の名器を揃えるのも決して間違いではない。

ただ、色々
経験していくと、”敢えてこれで無くても良いのではないか?”
という風に
視界が開ける時が来るのも必然。

経験があってこそたどり着く境地というのがある筈だ。

見渡すと、ああこの人のこの
チョイスはそうした気持ちの現れかな、とか
思い当たる物が散見する。

なにかと荒れる部分ばかりにスポットが当たる
ネットでのやり取りだが
色々な人の
人生を垣間見ることが出来るという点で
実に興味深いし楽しい。

僕自身はあっちへふらふらこっちへふらふらで
軸が定まる感じは無いのだが、それも一つのオーディオか。


まあ、そろそろカートリッジ遍歴は
わりにして…



あら?

…皆さん
良いお年をお迎えください…



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