12月3日




先代犬、コーギーの
ルーが虹の橋を渡ったのが
10年前の事になる。

トイプードルの
ウメが来たのはそこから一年半後のことだった。

に服していたというか、
あまりに
しくて、二度とワンコとは暮らせないと思ったというべきか。


ここで
再び飼う方向に舵を切ったのはご想像の通り
我が家の女性陣の方であった。

”ワンコに癒されたい”という
の掛け声を今でも覚えているが
”オマエのどこに癒しを欲する要素があるんじゃい”
という言葉は口に出さないでおいた。

そうこうするうちによっしーの妻が
とある団体の
譲渡会なる物に脚を運んだ。

団体とは動物の保護団体で、レスキューした動物たちを
色々なお家に迎えてもらうためのイベント。それが譲渡会だった。

そこに数多いるワンコの中で
目にとまったのがウメであった。


よっしーの妻の撮ってきた動画も観たのだが、
何が凄いと言って他のワンコたちが広くて騒がしい会場に興奮して
あっちにこっちに右往左往している中、
一人伏せをして
泰然として過ごすトイプー。
こいつはただものじゃない…




まあトイプーなんていうのは競争率が高い犬種なので
抽選にでも当たらなければ家には来ないのだろう、位に思っていたら
お見事。よっしー家が当確したのである。


理由が凄い。
ウメがよっしーの妻だけ、ペロリとめたのだそうだ。

団体の人はそれを見ていて、ウメちゃんはあの人の所へ、と決めたとな。

最後は
ウメがよっしー家を見染めたというべきなのだろう。


そんなこんなでウメが拙宅に
トライアルのため運ばれてきたのが
今から
8年前の11月の事だった。

もう深窓の
令嬢というか、完璧なお嬢様キャラというか
小マダム風というか大変なものだった。

毅然として心を開く感じがない…


まあ無理もない。それまで
ブリーダーの元で窮屈な暮らしをしていのだろうから
いきなり慣れろという方が
無理か。


それでもよっしーの
には一発で慣れて、以降ウメの日々というのは
食事と寝ている時以外は
お母さんを求める生活だったと言える。


コーギーの
ルーが居た時代というのは子供たちが小学生から大学、社会人へと
育っていく頃だった。

ある意味家族というものが
一番家族らしいシーズン。
そこを
ルーは一緒に歩いてくれた。

対して
ウメは子供たちが徐々に巣立つ。そんなタイミングで現れ
社会人になり、それぞれが所帯を持つ。そうした所に寄り添ってくれた存在だった。


保護犬を引き取るということは、すなわち共に暮らせる時間が
短めになることを意味している。

ウメも来た段階で推定
5歳と言われたがもしかしたら6歳だったかもしれないし
もう少し上であっても不思議ではない。

概ね寿命と言えるところまで生きたのかもしれない。

何か病気を抱えることもなく、薬を呑む生活をしていたわけでもない。

それなのに、唐突に。
あまりにも唐突に。
それこそ
ふと蝋燭の火を吹き消すように去っていってしまった。

その現実に、僕らはいまだに追い付けないでいて。
今、なんとか前を向こうと頑張っているところです。

このページをご覧頂いている方達からも
お悔やみのお言葉を
様々な形で頂戴した。

感謝しかない。
本当にありがとうございます。

そして、
ルーが去った10年前とはまたワンコの。
あるいはよっしーの妻の人脈の
拡がりも一段と大きなものとなり、
ご弔問の方々が後を
絶たず
どれだけの慰めと癒しを頂いただろう。

そして息子夫婦。娘夫婦が孫までひっくるめて
員で
妻を案じて脚を運んでくれている。

みんな、
ルーと暮らしていた頃からすると大人になったのである。

よっしーの妻の仕事繋がりの方々も、
そしてその仕事という
使命も、彼女を救ってくれていると思う。

全て人の繋がりなのである。
感謝せずには居られない。


今、拙宅にはウメの一年後に迎えた、
同じ団体
卒業ローズという、これまたトイプードルが居る。

亡くなったウメの事ばかり語っているのは
ローズには悪いのだが今は仕方ない。

妻が二匹目を迎えて多頭飼いとしたのは留守番の時に寂しく無いように、
という目論見があった訳だが、
あるいはルーを失った時の喪失感の大きさから、。
あの
ろしさの再現を嫌ったからかも、と、
これは僕が勝手に想像している。



しかし世の中はそんなに簡単じゃ
ない

ウメとローズは長年
二人で一つのワンユニットみたいな感じだったのだ。

略して
ウメロー

一人が去ったけど一人は残っている、では済まないのである。

これからどうなって行くのか?

さっぱりわからない。

ただ、今は
深い悲しみとウメへの感謝がそこにあるだけだ。

私たちの人生を毎日
ってくれたウメに、改めて感謝を伝えたい。



*男にも泣く時がある。部屋のドアにカギを掛けてね…



12月11日






12月12日

毒喰らわば音量調節まで、ということで
パッシブ登場。

いかにも'80年代風。いや、'90年代風か?

音だがプリより圧倒的に良いとは思わ
ない

独特の世界があるのはわかるが。

ただ、その一言を持ってパッシブを否定したりするのは止めよう。

今の自分には集中力というか胆力が無くなっている。

そうに違いない。



12月13日

アナログを聴こうとなってプリに
した。

ついでに、ということでフォノケーブルをHX-10000から抜いて
SY99差し。

カートリッジは何だったっけ?とアームの先っぽを観たら
X-1だった。



「ひこうき雲」

言わずと知れた荒井由実
ファーストアルバムだ。

これまで幾らでも買う機会はあったのだが今回やっと思い切った。

LPで出ていた音源はほぼ揃った筈である。

このアルバムは
色々なバージョンが存在するみたいで
レアな奴はとんでもない値段と訊く。

そんな物に縁があるはずも無く、
普通の盤だ。ただし見開きジャケット。

盤質には期待せず求めたのだが良好。これは想定外。

カッチリしていてマスターテープとした録音。

まがうことなきアナログ録音。

X-1もきっと合っている。そしてSY99のフォノも、だ。

なによりユーミンの声がさすがに
い。

少女然
としている。



”白い坂道が 空まで続いていた

ゆらゆら陽炎が あの子を包む

誰も気づかず ただ一人 あの子は昇っていく

何も恐れない そして舞い上がる

空に憧れて 空を駆けていく

あの子の命はひこうき雲”



12月15日

心が
くなっているせいだと思いたいのだが
音を出しても
最低の音に聴こえる。

それはその通りだよ、でも良いのだが
れてしまう。



12月22日

やっと耳の
蓋が開いて来た気がする。



12月23日



シンコーが閉店だと訊いたので向かった。



来年の6月いっぱいまでは営業されるそうだ。



手ぶらで帰るのは無粋だ。

(針を出す前に写真を撮れって?)





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