6月23日
日本オーディオ考古学の時間?
いや、それを名乗るなら1960年代1950年代にも精通しないとダメだろう。
残念ながらその辺になると急に疎くなるよっしーである。
では、とぎりぎりの1970年ごろのお話し。
昭和でいうと45年くらいとなる。
記憶にあるものというと万博(に、連れて行って貰えなかった恨みつらみ)。
公害。高校野球。
そんな感じだろうか。
ある意味本当に日本が元気だった時代。
元気過ぎて公害などという悲劇も起きた。
(これは繰り返しては絶対にいけない)
交通事故も今思うと多かった。
高度経済成長なんて言葉がぴったり。
オーディオも元気元気。
自作の時代からメーカー製を求める時代に。
各戸に一台づつステレオの頃だ。
今も残るメーカーもあれば消えてしまったメーカーもある。
栄枯盛衰なのだが、その中の一つに横浜工学=コンダクトがある。
コンダクトについてはよっしーの部屋では取り上げることが多いが、
これはカートリッジ、YC-05Eの存在があればこそ。
YC-05Eは長岡先生が「幻の…」呼ばわりしたから一定の人気がある。
ただ、なかなか資料が集まりきらない。
そんな中、今回はTさんから情報をお寄せ頂いている。
画像は1972年1月号のステレオ誌よりの物。
新製品としての紹介で、この号は実際には1971年12月発売だからYC-05Eの発売は
1971年であることがわかる。
スペックを拾うと(過去にも書いているが)針圧は0,3〜2,5gというとんでもない表記。
適正針圧が1,2gとなっているから、それを中心に考えれば良いのだが、0,3gでトレース出来るのか?
更にいうと2,5gまで掛けてしまってカートリッジ自体は大丈夫なのか?突っ込みたくなる。
出力電圧3,3mV以上。針先チップは0,2×0,7mil。重さ6,4g。
それで価格が18,200円なのである。
今なら2万円切るMMカートリッジは普及価格でお財布に優しいローエンド機だが昭和46年では国産MMの最高額機だった。
輸入品のシュアーM75E Type2並みの価格で登場した新興ブランドのカートリッジ。
のっけから挑戦的ではあった。
ただし横浜工学自体はその前にフォノモーターA-111なる物を、少なくとも1966年の段階では出していて
好評を得ていたので(多分OEMでpioneerに提供したMU41の原型)、カートリッジは初めて、という言い方が正しい。
6月24日
さて、YC-05E発売時の評価だが絶賛の嵐ということは無かった。
その個性をどう取るか?で評価が分かれるという感じ。
何より個体差というか製品のバラつきにも問題はあったようだ。
まあカートリッジほどバラつきが出来て不思議で無いコンポーネントも無いからやむを得ないだろう。
それに、ネットで拾える情報だけでも、05Eのボディカラー違いが存在したりと一貫していない。
最終モデルでは「カンチレバーの振動の中心を4個のボールベアリングで押さえるといったすごいことまでやっていたようである」
と長岡先生が触れているが本当なのか?実在したのか甚だ疑問である。
で、そのことが書かれていたのが1972年の9月。横浜光学の倒産について触れられている。
ということは、コンダクトYC-05Eの販売期間は一年足らずだったことになる。悲劇のカートリッジかもしれないし、
「このカートリッジはバラつきがひどく、古今の名器と呼ぶに価するものと、どうしようないガラクタが混じっていることがわかった。
主としてカンチレバーの材質やダンパーのずれなどが原因である。
で、バラつきが解決されたら、あらためて大々的に取り上げようと思っている内につぶれてしまった」と書かれている通り、
博打みたいなカートリッジだったのかもしれない。
よっしーの手元には二本のYC-05EとCE-05Eという謎の品番の併せて三本のコンダクトがあるが、どれも愚作とは思わない。
ただ、このカートリッジが本当にぎょっとする音で鳴ったのはEPA-100+SP-10MK2+PRA-2000+HMA-9500
+ネッシー(FE-208S+FT-90H)の組み合わせで聴いた時であり、それこそ入口から出口までハイスピードの装置でないと
真価は発揮しないのかもしれないといつも思っている。
もしかしたら今後永遠に本当の価値を発することが出来ないでいる。
そんな事があり得るカートリッジかもしれない。
一方で、それは幻想であって、幻の…と言っても別にレコードの音が20%増量になる訳でもあるまい、という気もしている。
どちらかというと考古学の世界かな、という気もするのだが、それはそれで価値があることだろう。
それにしても50歳超えか…
君も頑張ったね。僕もさ…
まさかカートリッジと酒酌み交わすわけにはいかんが…
あ、ちなみに詳細不明のCE-05Eが最も合うな、っていうレコードだってあるんですよ♪