5月8日



生まれた時からに出る

男に生まれた俺たちは

の途中ですれちがい

あれから何年たっただろう

飲め飲め
よ まだ夜はあけぬ

友あり 友あり 俺に
あり♪”


5月9日

関西
ツアーの始まりである。

”いつも楽しみにしています”という人も
二人くらい?居る人気企画だ。

さてしかし、今回は
挑戦として恒例のドフツアー+αを盛り込ませていただいた。

新大阪駅で降りたよっしーはいつもと違う方角へとさらに進む。
そこに待っているのは…。そう、ここでは
makoという名前にしておきたい。

。makoとよっしーは、
16歳以来の付き合いなのだ。

47年くらいの付き合いか。なんとも長い。

いだけでなくい付き合いをして来た間柄だ。

makoが関西に引っ越して、気づけば四半世紀。

かつては二人の家の間には
廊下が敷かれているとさえ言われ、絶えず行き来をしていたが
500キロ離れるとそれも簡単ではない。

今回、ずうずうしくもmakoの家に
めてくれと言って向かったのだがそれには理由があった。

理由。それはmakoの
お母さんに会いたい、というシンプルかつ大切なものだ。

makoのご両親にはお世話になった。

何しろこちとら
昭和に高校生をやった訳で、それはそれは迷惑な奴だった。

いや、特にやばいことをやったとかでは無いのだが普通にしていても
心配を掛けるために生きているのが
昭和の高校生なのだ。

悪いこと?にmakoと僕を結び付けたものは
音楽だったのである。

それこそ襖一枚隔てた向こうでmakoのご両親が
就寝しているのにどんちゃん騒ぎをやっているのだから
犯罪レベルの
しょーも無さである。

それでもmakoのお父さんもお母さんも僕に
しかった。
よくわからないのだが息子の友達というのは
大切にしなくちゃいけない、とく思って下さっていたのだと思う。

残念ながらお父さんは既に亡くなられている。お母さんにお目に掛かるのもお父さんのご葬儀の時以来となる。

幸いお母さんはお
元気であり、耳も遠くも成られず、会話はたっぷりとさせて頂けた。

50年に近い時の流れをトータル30分くらいの間に凝縮して話すのだから大変で、そして感動的でさえある。

最後には
を取ってを流しそうになってしまった。


さて、それはさておきmakoと僕が相対したらmakoが
ギターを出してくるのは、もう儀礼的というか必然というか、だ。


5月10日

今も昔も、
makoはギターや歌の名手である。

僕を音楽の
に引きずり込んだのは、あるいはmakoかもしれない。

しかし相変わらず上手いというか
きがかかっている。

やはり、というべきか、
ちゃんとレッスンにも就いている。



夜も更けて、しっかり
酔っぱらって二人の時間は進む。


その内よっしーにギターが手渡されるのだが、予想通りというか
予想以上に
何もできない自分に気づくというか思い知らされる。

makoはさぞ呆れているだろうな…

そんな風に思う。
情けなくて仕方ない。


あの青春の日々から
何十年。俺は一体何をしていたんだろう?

反省の言ばかりが浮かぶ。


思わず、「俺はmakoの友達として
失格だ」と呟いてしまった。
それほどわが身が情けなかった。


だが、この時の
makoの返事こそ秀逸だった。

「何を言っているんだ?お前は俺の一番長い、大切な友達じゃないか。
元気で居てくれる事がなにより重要なんだ」



…思わず
眼がしらが熱くなった。
俯くしか無かった。



ありがとう。でも今度までに
もう少しまともな事が出来るようになっておくよ。
心の中でそう呟いた。

makoと出会わなければ今日の僕は無かった。
当然この日記を書くような人間にもなっていなかっただろう。

色々な意味で、お互いにとって、
重大な出会いだったのだ。



*makoに撮って貰った一枚


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