12月16



悪魔はふたたび」は初代ウルトラマンの第19話。
1966年11月20日放映。

3億5千年前に人類が封じ込めた
二匹の怪獣。

そのカプセルが偶然掘り返されてしまう。

一つのカプセルには
が落ちる。中からは怪獣が一匹。

もう一つのカプセルは鉱物試験場で
電撃を与えていたところ、これまた中から怪獣が…


実はカプセルには金属板が一緒に入っていて、そこには後世の人類への
警告文
刻まれていたのだが解読された時には既に遅く…


なんと
一度に二匹の怪獣が登場する回である。

細かいことをはさておいて子供だったよっしーは大
び。

二匹の内の
い怪獣は赤色火焔怪獣バニラ

そして
い怪獣は青色発砲怪獣アボラス

特にアボラスが鉱物試験場を破壊して現れるシーンは衝撃であった。、


ストーリーについては詳しいところがいくらでもあるから省略するが
なんといってもタイトルが良い。

悪魔はふたたび

格好良いし恐ろしい。

ここで話はコロッと変わる。

「悪魔はふたたび」、ではない。「
光はふたたび」である。







12月17日

そういえばウルトラマンは
光の国の使者だった。
光繋がりともいえる。

なんと、昭和の光カートリッジ、
二本目である。

貴重なカートリッジを
独り占めとは許せない、という人が居たら(居ないか?)困るので
説明しておく。

まず一本目。これはイコライザーも何も用意が無い段階で手に入れてあった。
いわゆる興味本位という奴か。

では二本目は?

実はこれ、そのイコライザー内蔵レシーバー搭載のコンソールステレオを手に入れた時
一緒に家に来たのだ。


と言ってもまともな姿でではない。

最初から光カートリッジまで一緒についてくるとは思っていなかったのだから良いのだが
プレーヤーの下あたりに
放り込まれていたというか偶然嵌っていたとでもいうか…

なんとも
お気の毒なことになっていた。

はもちろんれていたのだがご丁寧に二本存在していた。

一度は交換して使ったのだろうな。

悪戯に接続してみるが
光は点ない。この段階でアウトである。

ま、いいか、一本はあるのだから…と思っていたのだがここで別の出会いがあった。
それは…





それはなんとこの光カートリッジの
交換針。それも未使用品との出会いだった。

本当かな?と思ったが
型番で検索すると某コンソールステレオにマッチしている。

手に入れてみたらビンゴ。そして本当に未使用だ。

こうなるとジャンク状態の二本目の光を立ち直らせたくなるのが
人情

改めて二本目の光を点検するとランプが光
らないのは球切れでも断線でもなく
単なる
接触不良だった。

それを直したら灯は点る。

これはもう成功したも同然。

いよいよ未使用交換針を取り出す。

よし!音出しだ。

で、
音は出たか?


12月18日

で、音は出たか??


た。それもい音だ。

微妙な
だが一本目よりさらに良いかも?

これは
使用品というのが効いているのだろう。

針圧は1,5gくらいで安定している。

これは儲けものであった。

さて、ところでなぜにこの章の冒頭に「悪魔はふたたび」を折り込んだのか?

それは光カートリッジ先端のランプ
カバーの色による。



これまでの一号機は
だったのだが二号機は

なんで色違いなのかわからないがオプトニカの
び心か。

これを見たと時瞬殺で
バニラアボラスを思いだしたあたりが
よっしーはやっぱりウルトラおたくでもあった。





12月19日

さあ、
カートリッジイコライザーをケースに納めないとならない。

現状でも音は出ているがとにかく見た
が悪い。


ということで
一旦また光電式カートリッジかられることになる。

なのでここまでのまとめ的なことを書いておく。

まず、トータルで非常に優秀なカートリッジだということ。

非常に
繊細で色々な音を拾上げるが、それを強調することはなく、
なんだか当たり前のように提示してくる。
歪感ゼロに近い。

いわゆる
人間味のあるハイファイという感じで、「これがハイファイだ。お前も付き合え」
的なところは
全然ない

では淡々としているのかというとそうでは
ない所が興味深い。

そして、これ、
1971年頃のカートリッジでありイコライザーなのである。

古いから悪い訳では無いが
同時代比で考えると相当アドバンテージがあったはずだ。
なぜって、ほぼ
50年後の今日、充分一線で活躍できるだけの力があるからである。

この先は、というと案外ベーシックな部分の追い込みになると思われる。

例えばなのだが
シェルアームきの問題。

光電子だと影響ないかと思いきや、
案外そうでもない。

シェルの
指掛けなんか、思わず糸を巻いて接着剤で固めて…、なんて昭和チューンを
してみたくなる。

いや、それ以前にシェル
ごと交換してみたいものだ。

それからアーム。
WE-506/30が悪いというのでは無く、えてみたら今度はどんな音がするか?
興味津々である。

そんなこんなで色々だが、
何よりも、「こりゃさすがに持っている人あんまりいないよな」
というカートリッジを持っているという喜びはかなりのものだ。

嫌らしいかもしれないが、
やっぱりこれは大きい。

2023年の幸せな出来事の内トップ5に入りそうだ。


12月20日

そんなわけで
光電子カートリッジから
普通の?カートリッジへ。

なんにしようかと考えて
SATIN M7-8Cにした。

深い意味はない。

早速音を出して
ぎょっとする。

なんというか
歪感にまみれている。

いや、
雑味と言った方が良いか。
塩が効いて苦みもあって小骨も刺さる。

なんだ、俺は普段こういう音を聴いて喜んでいたのか、と
軽く呆れる。

人間は
一旦光電子カートリッジに慣れると
もう元へは
れないのか?

それは
面倒な話だ。何しろ我が家に光電子カートリッジは二本しか無いが
その他は
80本くらいある。無駄になるのは困る。



…と思ったが
一晩経ったらなんと気にならなくなった。

一つには人間の感覚なんてのは
そんなもんだ、ということ。

もう一つは、従来型の。というかたくさん普及しているカートリッジ達も
当たり前だが
充分魅力的だということ。

長岡先生の
受け売りみたいな事を、繰り返し僕は言うのだが
右の耳を引っ張られたら右に行き、左の耳を引っ張られたら左に行く
ような事をしていたらいつまで経ってもどこにも
たどり着けないのだということ。

カートリッジなんてのもその一つで、
自分は
V-15Typ3だ、と思ったらひたすらそれにまい進して
めるのが良い。

DL-103一筋で生涯に何本も使い潰すなんてのも良い。

…そう言いながら
よっしーは購入可能範囲にあるアナログカートリッジであれば
かたっぱしから手に入れたくなるという、
これはもう
中毒というか病気。不治のなのでどうにもならない。

しかしそれ故責任を持って言えるのだが
カートリッジは
2〜3本あればよい。
多くても
10本くらいだ。

それ以上はやめておこう。
僕みたいな人間になってはいけない。

念のために言うが光電子カートリッジに興味を持つなという話しではない


12月21日

それにしてもオーディオに限定したとしても
やりたい事は山積している。

はたから見たら、もう充分やってんじゃないの?ということかもしれないが
僕の馬鹿さ加減には
キリがないので
ちょっとやそっとじゃ収まらないのである。

ただ、集中力の
低下は自分でもよくわかる。

昔だったら寝ないでやったであろうが
今は睡眠欲の方が勝ってしまうのだ。
悲しいもんだ。


効率化を図るなら
分業は絶対だ。

それを物の
仕入れ(早い話がお買い物)、
お手入れ(修理ともいう)、
そして
聴くという事を一人でやっているのは大変効率がい。

しかし個人の趣味なわけだからそれで当たり前なのだ。

要するに欲が
深すぎるわけだ。


いよいよ年末。
2023年を
振り返って、なんてのもやろうかな?とか思って
オーディオ日記を見てみたら”これ
しかやっていないのか?”と
唖然とした。

唖然とする方がおかしいわけで
よっしーの
馬鹿に付ける薬はやっぱり無いのだな…


12月22日

ちょっと面白いのは
googleアプリとか使っていると
それぞれのページの
関連ページなんてのが表示される。

それで、普段はまあ当然のようにオーディオ関連のいろんなページが
挙がってくるのだが今回のこのページに関しては
出てくるのがみんな「
悪魔はふたたび」系でバニラとアボラスの話しばかりだ(笑)

いかにもSEO的に拾いそうな
TITLEのところとかは”光電子カートリッジ”
とかになっているのにgoogleもどこを見て関連付けさせていたるのか?

非常に気になった。



*このアームも拾って早4か月
なんとかしなくちゃね…

それにしても、
オーディオがあって幸せでした
なんて子供みたいなことを言いたくないのだが今回それを
痛感している。

身内くなった、なんて時もひっそりと関わっていられるし
それを止めろという人もいない。

ところが
30年が亡くなった時はかった。

当時僕がやることと言えば
バイクなもので、
なかなかこれはこっそり、という風にならない。

だからやっていると実に実に
邪魔が入るのだった。

ちょうど子供が生まれたこともあって、あれもこれも出来なくなった。

この時の
ストレスの凄さは半端ではない。

バカだから仕方ないのだが僕は
生来の趣味人で、
何かしらをやっていないと
手が震えてくるタイプなのだ。

そこで、ということで
再開したのが趣味のオーディオ

「そうだ、俺にはオーディオがあったじゃないか」ということで邁進。

普通は子供が生まれたらオーディオどころではない、となるのだが
僕の場合は子供が生まれたことで火が付いたという
なパターンである。

それから30年余が経った今、オーディオは特に誰にも咎められず、
僕の
心を落ち着かせてくれている。

オーディオ
万歳、と言いたい。


12月31日

気づいたら
一週間更新していない?

そんなこともあるんだ?

やはり普通ではないのだな自分。
というか自分を取り巻く時間の流れが通常と
なる、というべきか。



オーディオ以外のことを書こう。

Sの
RD50だが、もう走れる状態になって久しい。

しかし走ったら走ったで色々見つかるのが
旧車の常識。

細かいことを言い出すとキリもないのだが
個体が手元にあると
ついつい手を入れてしまうもの。

そういえばこのバイクで有料
老人ホームの見学に行こうとしたら
パンクしていて急遽チャリンコで行ったりしたのがひと月前の事だった。

色々なことが
無駄に終わったのだと思うと悔しい。

だが、そんなことばかり言っていてもどうにもならない。

こちらではご報告が遅れたが父の逝去から半月ほどで
二人目の孫が生まれた。



哀しんでばかりいる場合じゃないのだ。



毎年同じことを言う。
僕は
12月30日が一番きだ。

行く年に思いをはせて過ごす。
これが
大晦日になるとあわただしさの方がってしまう。

写真は、その30日の
の風景である。

朝陽も夕日も、いつだって美しい。
初日の出だけを
特別視する意味がわからないけど
それはそれなのだろう。

生きているのは今だから、過ぎたことを悔やんでも
将来にばかり希望をつないでも仕方ない。

だが、人間だから
かしみもするし
明日に
期待もするし思い煩いもする。

その量を
らせるようになるのが、あるいは歳を取るということなのかもしれない。

父のこともそうだが、多くの優れた
ミュージシャンを。
そしてオーディオ
愛好家の先達を失った一年であった。

ひとしきりそんな事を思ったら、さて来年に向けて
新たな
をかこう。

欲は
正義であり活力のだ。

あ、この後締めでもう一回更新するかもしれませんが
取りあえず良いお年を。


(追伸)



年の瀬までこんな事をやっているお馬鹿さん…

でも、なんとかギリギリで
結果が出せたみたいだから良かったのかな…

では、今度こそ
良いお年を!



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