5月2日
SONY MDR CD900ST。
言わずと知れたとはこのことで、現生に疎いよっしーですらその存在は知っている。
知ってから四半世紀くらい経つのに、一向に手に入れようとしないあたりが
いつものことではあるが流石である。
いや、まあ吝嗇がすべての原因なのだが、今回とうとう目の前にジャンク品が出てきたので
すかさず拾った次第。
もちろんその前振りとしてのHP-1があったわけで、一旦火が付くとこうなる性格だから危険なのだ。
さておいてMDR CD900ST。
現在の日本でこれほど名の知れたヘッドフォンもあるまい。
発売は1989年。前年にリリースされた(市販はされていない)MDR CD900CBSを市販化したもの。
900CBSというあたりが実ににくい。要するに信濃町スタジオから生まれたというわけだ。
耳元で鳴るスタジオモニターという位置づけか。
いや、マスタリングの時だけでなくミュージシャンが演奏する段階から装着しているのだから
その存在感たるやスゴイものである。
…なんて話はあちこちに書かれているので今更ここで熱く語っても仕方ない。
それに、ずっと気にしていた割には、よっしーは900STに対して冷淡である。
いや、要するに例によって天邪鬼なのである。この男は。
そんなに多くの人が良いと言って使っているのなら、わざわざ僕なんかが手を出して
余計なことを言ったって仕方ない、という気がしている。
今回は結論から言ってしまおう。
その音だが…
5月3日
その音だが、まず能率の高さに驚く。
これは直前までハイインピーダンスのHP-1を聴いていたから尚更だ。
そして、一聴して喧しい。
HP-1あたりとは隔たりがあるから仕方ない。
しばらく呆れた感じで聴いていた。
だが、人間勝手なものでしばらくそのまま聴いていると慣れてくるのである。
困ったことにその内その魅力もわかって来てしまう。
もう、これはこういうヘッドフォンなのである。
だからそもそも市販品では無かったものを市販化させたのは
誰あろう一般大衆であってメーカー側ではない。
嫌だったら他の物を使うしかない。
というのは、間違っても900STがマイナーチェンジしてユーザー寄りに歩み寄るなんてことは無いからだ。
900STはもはや定規みたいな存在で、定規というのは途中で規格を変えるわけにはいかないのだ。
900STを手に取ったら900ST任せ。余計なことを考えてはいけない。
そうそう、色々な機器のヘッドフォン端子に挿して回っても不思議と音が一定なのも900STの特色のひとつ。
自分色に染めてしまうとでも言ったら良いのか。
そして、不思議とこの900STというのは手に取りたくなるヘッドフォンだ。
それは重量であり、片手で持った時のバランスの良さである。
実に自然と頭に乗っけることが出来る。この辺にもスタジオ育ちの良い面が出ている。
とにかくこのヘッドフォンを持つということは世界中の900STユーザーと同じ音を共有することに
繋がる。何分にもヘッドフォンには部屋の違いという要素が入り込む余地がないから明確だ。
そこが実に痛快。
今回僕もやっとみんなの仲間に入れたのである。
いや、本当に嬉しい。
妙な幸せ感を持たせてくれるところも900STの魅力だ。
5月7日
ところで今回のMDR-CD900STはジャンク扱いだった。
だから安くて、だから手に入れたのだが果たして自宅でチェックすると
本当に片側音が出なかった。
あるいはジャックのところの断線だったら簡単で良いな、と思ったが
世の中そこまで甘くない。
結論をいうとドライバーユニットの断線だった。
普通であればそこでお手上げかそれに使いことになるのだが
そこがさすが900ST。各パーツは抱負に供給されているのだ。
新品のドライバーユニットはマッハのスピードで届き、
あっという間に900STは現役復帰となった。
こうしたことが出来るのも、ロングセラーベストセラー機だからだし、
半ばプロ機ということですぐに直せないなんて事は
立場上許されないからだろう。
この辺が900STの強味のひとつである。