10月1日
割と辛抱強い方だと思うのだが
それでも我慢ならないと感じる時もある。
これは仕方ない。
いや、真面目な人生論ではない。オーディオの話しだ。
オンキヨーOM-OF101にドフで買ってきた立派な
(少なくとも僕が作った物より50倍は立派だゾ)
エンクロージャーを使って数日。
いや、一概にこれは悪いとは言わない。
アンプによるブーストを必要としないところなど
立派なものである。
しかし…
どうも聴いていてストレスが貯まる…
早い話が音が楽しくないのである。
それが何故なのかはわからない。
もしかすると自分の耳がおかしくなったのか?とさえ
思ったが、案ずるより産むが…ということで
元のトンデモ自作エンクロージャーに戻してみた。
すると…
やっぱり音が弾むのだ。
実に活き活きしている。
これは一体何なんだ、と思うが要は結果なのである。
エンクロージャーサイズ(容積)が倍くらい違うというのはある。
ただ、ドフで拾ってきた物も想定外に小さいというわけじゃあ無かったと思う。
あとは板厚。
予てより馬鹿のひとつ覚えのように言っている
「板厚は必ずしも厚いのが良いとは限らない」、という言葉が甦る。
もちろんそんな事は古来より先人も仰っている。
特に新しい説でも何でもない。
しかし、なんでもそうだが理屈として知っているのと
体感するのとでは少々違う。
ま、何がどうしてこの結果なのか、本当の事は
そう簡単に分からない。
ただ、今回は久しぶりにショックを受けた。
それは確かだ。
10月2日
しかし歳はとるもので、ショックは受けても愕然とはしない。
*どこが違うんだ?という突っ込みは無しにしておこう。
これはもう、そうしたものなのだ。
優劣とかそうした事でなく、違う、ということ。
しかしこれが20〜30代だったりすると
その、目を開かせてくれた物こそ善であり
信仰の対象になり、
逆の物は下手すると悪扱いになってしまう。
そこが年季というか単に歳を取っただけというか?
なめんなよ、高齢者(いや、誰も舐めてないし)というところで
「こうしたことが世の中にはあるのだ」という風に収める事が可能になるのだな、これが。
たかがオーディオ。激変くらいで驚いちゃいけない。
いや、驚くべきは床の散らかり(ケーブル)具合か。
なにせ慌てて実験しているのでご勘弁頂きたい。
なお、自作機、仮称SHINANOの天板にフォスのG-707が載っているのは
天板が未だに接着されていないので抑えの為である。
10月3日
可愛いは正義、という言葉が有るらしいが
オーディオ界では「低音が出るは正義」、になるのかもしれない。
まあ2021年の今日に低音が出るとかでないとかいう話をしているだけで
オーディオマニア失格かもしれないが。
もっとも、1970年代はどちらかというと低音がだぶつく問題の解決に励んでいた気がするのだが
1980年代に入って、なんだか低音は不足するものみたいになっていた。
そうなった理由もいくつか思いつくが、そこは省略したい。
書いていると結構な量になってしまうからだ。
ただひとつだけ。いつも書いているが、どうしてアンプとスピーカーは助け合ってはいけない
のか?ということ。
低音が出づらいスピーカーがあったらアンプの方で軽く補正して上げれば済む事では無いか?
いつから両者はそんなに仲悪くなったのか?
理解に苦しむ話しである。
ここでまたDSLの話しを始めると…
さすがにそれは認知症を疑われる可能性があるので止めておく。
…以上は戯れにメモ帳に書いてあったものだが、その後のとある日
最近恒例の、ドフまでサイクリング=今回は無謀にも往復30キロコースに
挑戦したらさすがに疲れた、をやった時に、まあ手ぶらで帰るのも
なんだからと110円CDを二枚買って帰って来て驚いた。
すごい!低音が巧みに切られている?
いや、まあ切れているのはいわゆる不要ともされる超低音域で、それはそれで良いのだが
もう少し上の帯域も、低音感、はあるけど低音は大変薄いという面白い録音になっている。
これは時代の要請的なものがあるので深く考えない。
ところでオンキヨーOM-OF101を使ったSHINANOなのだが早く馬脚を露さないかと
待っているのだが逆に尻上がり絶好調?
唯一難点は人さまにお見せする気持ちに、どうしてもなれない所だろうか。
10月4日
得体の知れない中古盤を真っ先に載せるのが
このプレーヤーなのだが、場合によってはそのまま
クリーニングに突入できる良さがある。
そして、これをS-A60に繋ぎ、自作SHINANOで聴くと
案外悪くないのだ。
アナログを掛けるからという意味では無く
OM-OF101の、当初気になっていた高い方の詰まった感じも
いつのまにか解消している。
スピーカーは魔物。
いや、音は魔物である?
10月5日
あんまり一つ事ばかり繰り返し書くと、ネタに詰まったかと思われてしまうかもしれないが
自作(というのにはあまりに粗雑)スピーカーSHINANOの音が自分には大変好くて困っている。
細かく見て(聴いて)行くと色々突っ込み所が出て来るのだろうが
そういうことをしようという気にならないというかさせないというか、
不思議な魅力を持っている。
もう少し具体的に、と言われたら、音楽が楽しく鳴るところ、とでも応える事になるのだろうか。
僕も含めオーディオマニアというのは細かい事や難しい事をいうのが好きなところがある。
それはそれで良いのだ。本当に拘りが無いという事になってしまったら
それは興味の対象では無いという事になってしまうので趣味として成立し難くなる。
ただ、程度問題というのもある。
ああでもない、こうでもないと理屈ばかりを振り回すようになるとちょっと危ない?
僕のオーディオの指針?は、まず音が出ていること、だ。
出来たら左右から違う音が出ているのが良く分かってステレオ臭いともっと嬉しい。
そんな感じだ。
今回の作例なども、オーディオのディティールに気を配っている人から見たら
許し難いような物である。
しかし僕にはそれで(それが)良いのである。
嘘偽りの無い感想だから仕方ない。
もう一つ。
オーディオと限らないのだろうが歳と共に見栄えの良い物を追求する方向と、
年々金額的にはチープな方向に邁進してしまう場合とがあるように思える。
僕はもしかすると後者のタイプなのかもしれない。