8月3日



大変い日が続いているわけで
こんな時は暑苦しくない装置を使いたい。

という訳で
AT-PL300USB+S-A60+LS-5V

これは真に大正解なのでありました。


8月7日



リタ・クーリッジ「
ラブ・ミー・アゲイン」。

これもちょっとした想い出に繋がるアルバムだ。

初出は
1978年?当然アナログ盤だが当時そんな物を買う金は無い。

うんとこ時間が経ってから買ったのはCDの方だったが
CD初出が1987年頃なのだから相当古い。

GTOさんと知り合ってから、ソフト漁りをしている時に
「あ、これは
持っているヤツだ。じゃあ買わなきゃ」、と妙な事を思うようになってしまった(笑)

その日も他に買おうかな、というレコードはあったのだが
「ラブ・ミー・アゲイン」を見た途端、こっちをレジに運んでいた。

US盤ということで音にもちょっと期待が。

で、持ち帰って針を降ろすとなかなかの音が…

やったね!と思いながらふと考えて
CDも聴いてみたら
これがまた
充分良い音(笑)

ま、そんなもんだ。

以上と別に今回の買い物には別の意味合いもあった。

外盤LPには当然解説は無い。
今回の物には歌詞カードも無い。あるいは最初からないのかも。

CDの方には当時の国内盤LPの解説を焼き直したような
お粗末な。しかし有益な解説やら歌詞やら対訳やらが付いている。

ということで
CDの解説を読みながらLPを聴いて楽しめている。

HELLO LOVE GOODBYE…♪


8月8日

例えば「
旅の終わり」、なんて検索するとYOUTUBEで
当時の
北海道の風景なんかのスライドをバックに
その曲を聴くことが出来たりする。

自転車を漕ぐ若者達。

思い切り日焼けして。

その人たちはその後どうしたのだろう?
今、どうしているのだろう?

旅に狂ったとかユースに嵌ったという人も多いだろう。

しかし、
それとて永遠に続くものではない。

普通は、だ。

仕事に就く。結婚する。子供が生まれる。
子育てに追われる。仕事に追われる。

そんな内に気ままな旅なんてのは遥か彼方遠い過去の思い出に
すらならなくなってしまう事だろう。

それで良いのである。そうでなければ
立派な企業戦士になれないし、
一人前のお母さんにもなれないのだから。


ただ、いつの時代にも調子っぱずれみたいな奴がいる。

ケジメの付かないヤツとでもいうのだろうか?

実はこの僕がその一人なのだ。

そんな人がこの度
定年だとかなんだとかを迎えたのである。


よくぞここまで来たもんだ。

妻子というのも存在するのだが、これも考えてみると不思議なものだ。

一旦なにがどうしてこうなった?


なんらかの
運命に呑み込まれたのだろう。

そういう事にしておこう。


”6時のターミナルで 振り向いた君は
板についた紺色のスーツ

今でも気まぐれに 街を行く僕は 変わらないよ Ahh
あの頃のままさ

去り行く若い時間を 一人留めているようで
羨ましいヤツだよと初めて笑ってくれた…”


8月9日

結局
何を言いたいんだろう?

人によるのだが、もしかすると
30年40年というターンを終えて
再び色々な意味で自由を手にすることもあるのでは?

そうだとして、今一度、例えば北海道をチャリンコで走ると。
あるいは周遊券を(今もあるんかい?)手に電車を乗り継いでユースを拠点に
散策をしたとして、僕ら、あるいは彼女らは
あの頃と同じ気持ちになれるのか?


…まあ成れない事はわかって書いている。

分かっているけど、形だけでも再現してみたいと、それは強く思う。
コロナで無ければ今年がそれをやる年だったのだ…


体力の低下。これは仕方ない。
だが、やっぱり、なにがどうしても、あの時の気持ちでは旅を出来ないんだろうな、と
それが悲しい。

何が
うのか?

そう、それは
果てしない自由とか、限りない解放感とか、そんなところで違うのだろう。

無限に生きる人間は居ないので、その意味では20代だろうが60代だろうが一緒なのだが
現実的に残っているであろう時間の量が違う。


これから如何様にでも変化出来ると言うには60歳という年齢は
ちょっと
行き過
ぎている。

それを悲しい、とはさすがに言わない。そんな事嘆いても仕方ない。

でも、
ちょっぴり寂しいかな、本当は。やっぱり。

”もう一度あんな気持ち”には成れそうもない。
そんな自分自身が哀しいのである。




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