1月1日
あけましておめでとうございます。
赤と白でめでたくお出迎えしたつもりです(^^♪
1月2日
AT-PL300USBの内蔵フォノイコの音で充分と言いながら
同じくPRA-2000のフォノに繋がっているSONY PS-LX525Pと比べてみると
随分な違いである。
慌ててPL-300USBの方もPRA-2000のフォノに繋ぎ変えてみると
LX525P同様の音になってほっと?した。
内蔵フォノがハイCPなのは確かなのだが
別枠で20万円を投じるプリと同一になる訳はない。
安心したような残念なような…
ここでもう一つ、とLX525Pにお皿を移してみると…
どうしたことか、やはり一段と切れが良く良い意味で音の角が
キチンと出る。
バッテリードライブの効用という事にしておこう。
そんなことよりも母ちゃんはいつ帰ってくるんだ?と
そればかり考えているご両名…
1月3日
普通は早くても3日が日記のスタートなのだが
今年は諸般の事情で元旦から書ける状況にあったので書いてみた。
一種の記念?みたいなもんだ。
DCモーターに嵌った一年であり、特にこの一か月は
密かに関与し続けていた気がする。
とは言えよっしーの考察など実に甘く浅い。
世の中にはモーターのバラつきの検証。
製造時期による違いの検証から
分解、ファインチューンまで熱心に突き進まれている方もいる。
僕の場合は、ああ色々なブランドの物があるなーとか、
回路が随分コンパクトになったなーとか
どうしてPL300シリーズは余計な基板が増えているのかな?
という程度のものである。
極めてアナログな切り口で一つだけ触れるとプーリーのことがある。
ことがあると言っても大したことはない。
コストダウンもあるからプーリーは一種の嵌め込みだ。
ネジでサイドから留めるなんて事はしていない。
わずかに接着剤が使われているようでもあり
半田ごてをおおよそ30秒くらい充てることになるが
熱する。
するとプーリーが、ぬるっと下方に動く感触が出る。
その時接着が剥がれ、また熱によって勘合が
甘くなる。
その際にグイと引っ張ればプーリーは抜ける。
(手袋はしましょうね)
…で、どうした?と言われそうだが
こうして抜いたプーリーを納め直すだけでモーターの振動が低減することがある。
要するに微量の偏芯みたいな物が解消されるのだろう。
なお、わかっている人には説明不要だがこの種のモーターを
写真のように美しく収めるにはICの位置変更等が必要となる。
超難関では無いが簡単と言えるレベルでもない。
その意味ではPS-LX525Pなどのように
制御基板は別の所に大きく出ている方が
流用はし易いかもしれなしとか色々いろ言っていると
プレーヤー無限地獄に陥るので要注意(笑)
DC、ACどちらにも良さはあるだろうが
DCモーターの利点の一つは電池でドライブが出来ること。
PL-31E/TSやMU-31D/TSまでいきなりは…という人は
ジャンクでもゴロゴロ転がっている各社のプレーヤーを
電池ドライブしてみて様子を見る所から始めるのも良いかもしれない。
MU31D/TSも落ち着いてきたのでキャビネットをそろそろ作りたい。
1月4日
昔々のオーディオ誌を見ると主だった対策と言えば
アナログプレーヤーのハウリングに関してだった。
レコード全盛の時代、針飛びであるとか特に低音域の
フィードバックの問題は大きかった。
日本家屋の床が今と比べると良い意味でもそうで無い意味でも
柔だったという背景もある。
まずはハウリングマージンが大きい事が良いとされた。
やがて必要以上のハウリング対策は、それはそれで音質に悪いと言われ始めた。
極端に言えばアナログプレーヤーといえども足元はリジッドに固めた方が良いという訳だ。
実はその通りなのだが現実にハウリングが起きるとしたらそれは話しが別。
要はケースバイケースであるということ。
それはさて置きハウリング対策が叫ばれていた頃、プレーヤーを吊ったらどうかという
話しは出ていた。
床からの遮断。これは素晴らしい。
…筈だがスピーカーからの音圧から逃避と言う意味では万全ではないとか、
何よりもプラッターの回転の反作用でキャビネットが反対側に回ろうとするのには
全く無力になるという指摘が大きくて当時としてもやる人は少なかったようだ。
1月5日
さて、ハウリング問題はさて置いて、プレーヤーと言うのは本当にフワフワしてはいけないのか?
ジャイロ効果というのはそこまで忌み嫌われるものなのか?
確かにとてつもない重量で攻めた名器も多くある。
しかし一方で特に重くも無く、フローティングでフワフワの名器もある。
よっしーの部屋では特にハウリングに困るという事も無い。
そもそもそんなバカでかい音で聴いていないという事情もある。
だがしかし、一度くらいプレーヤーをフラフラにしてみても良いではないか。
そこで遂にプレーヤー吊るしプロジェクト始動である。
いや、プロジェクトもクソも無い。
ご覧の様に板に乗っけてそれを吊るすだけである。
吊るす支点をどうするか迷ったがちょうどマイクスタンドがあったのでそれを使用。
プレーヤーは軽く小さくないとやりにくいのでAT-PL-300USBをチョイス。
実に適当な工作で30分もかかっていない。いや、本気で時間掛ける気が無い。
思ったより大変だったのがこんな軽いプレーヤーでも反対側にそれなりの重りが無いと
支持不可能ということ。鉛アームボードに出てきて貰った。
理屈はさておいて音はどうか?
1月6日
理屈はさておいて音はどうか?
何しろ初体験の世界だから少々慎重にもなる。
ただ、取りあえず第一印象を言えば眠い音、である。
AT-PL300がこんなに眠いヤツな訳がないので困惑する。
内蔵フォノ。PRA-2000のフォノ。両方試したりケーブルを弄ったり
テーブルシートを替えたりと色々やるがどれも今一つ。
これは大いなる失敗実験であったかと肩を落とすがふと思ってSONY PS-LX525P
バッテリードライブを使ってみる事にした。
ハッキリ言って期待して、ではなく物のついでみたいな気持ちだった。
PL300USとLX525Pでそんな驚愕の差は無い筈なのだ。
ところがこれがエライ違いでこっちが驚いた。
音だが呆けた音どころか大変明瞭。しかもヘンテコな輪郭強調など無く
実にナチュラル。
腰が弱いなんて事も無い。
ちょっと誤解を招きそうで書くのが憚られるのだが、ただでさえ高音質の
SONY PS-LX525Pバッテリードライブが遂に中級機を追い上げに掛かった?
これは素晴らしいが実用を考えるとこのまま置いておくわけにはいかない。
もう少しマシな吊り方を考えないとならない。
他にも磁気浮遊とか念力浮遊とか?色々あるが金の掛かることはしたくない。
今回の実験でも荷造り紐約3メートル。養生テープ数センチの損失があり
今月はどうして暮らして行こうかと途方に暮れているところなのだ。
人は分相応の暮らしをしなければならない。
1月7日
さておいて、冗談で始めたこのやり方なのだが音は大変良い。
どう良いのかというと一つには音が活きている。
あまりにも鳴り方が楽しいのである。
そして高分解能である。
高分解能…なのだが大変音楽的に高分解能なのだ。
混ぜ合おうとする音を無理やり寸断して聴かせてしまう高分解能ではなく
しっかり融け合いながら各パート。各音の役割やら仕掛けやらはわかってしまうような高分解能だ。
それ故か、幾ら聴いても飽きないし疲れない。
これは完全に中毒性がある。
さて…
1月8日
昨年後半気づけは5台ほど
この種のプレーヤーを買ってしまった。
全部が高評価という訳ではなかったのだがAT-PL300(USB)と
PS-LX525Pが当たりだったと言えば成功率60%みたいなもんだから
これは立派なものだ。
問題?は、僕がもう本当にこれらで、かなり満足してしまっているところだろう。
果たしてマニアとしてそれで良いのか?
しかし良いものは良い。…これじゃあスネークマンショーだ。
AT-3600の魔力なのか?
短くほぼピュアストレートとでも言えそうなトーンアームの威力か?
重心がほぼ盤面と面一で短く細く極めて抵抗が少ないスピンドルの力か。
プラッターが軽く超楽々回転しているせいか。
シンプルなDCモーターの力か。
筐体の作りの妙味か。
…と理由はいくらでも見つけられるのだが、どれも本当かもしれないし
本当のような嘘かもしれない。
要は結果であるから仕方ない。
この、某オフに行けば必ず一台は見つかるであろうプレーヤーを電池駆動して
奇妙奇天烈な吊り下げセッティングで聴く音は更に良いものだ。
1月9日
改善
…と言えるかどうか??
さすがにマイクスタンドからつるした図は見苦しいというかみっともないというか
邪魔くさいというか…
そこで今度は磁気浮遊…と考えて試したのが、そう簡単ではない。
当たり前だ。そんなに簡単だったらみんなやっている。
で、取りあえずということで又吊るのであるが今度はラックの中で吊った。
多少考えたが、結局荷造りロープと養生テープでさっくり仕上げる。
適当と言えば適当なのだが、このやり方だととにかく調整が容易である。
もちろん、これもプレーヤーが軽量コンパクトだから成せる技で、
しかもフルオートだからこそ出来る所業なのだ。
1月10日
それにしてもプレーヤーを吊るとどうして音が好くなるのか??
もちろん世の中にはフローティング構造のプレーヤーもあるのだから
不思議ではないと言えばその通りなのだが…
そもそもフローティングは何ゆえフローティングをするのか?
これをハウリング対策とばかり見ると間違いの元と昔から思っていた。
うまく言えないが、プラッターが。アームが、カートリッジが、
いかに一緒に動くか?が大事なのではないか?と言うのが漠然とした思い。
別に普通に台の上に置いていたって、それはそうなっているという気もするが、
果たして本当か?
非常に微小なレベルで見るとひずみやゆがみ(同じことか?)があるのではないか?
そこでプラッターとアームを同一ボードに固定してそれをプレーヤー全体の中で
フローティングするという形のプレーヤーが生まれたのだと思う。
それらもきっと良い物なのだろうが聴くところによると調整が難しいとかなんとか。
それに対してプレーヤー全体をブランコ状態にしてしまうという今回のやり方は大変わかり易いもので
がさつなよっしー向きでもある。
しつこいようだが(しつこい?)非常に深く鳴るのだ。
土台がふら付いて良い音が聴けるわけがない、と思って当然なのだが
レコード盤から見たら土台というのはプレーヤーの事であってラックや床のことではないのだ。
盤とプレーヤーが仲良くするのを土台は阻害していなかったか?
どうもその辺にこの事象を解明するカギがあるような気がする。
1月11日
これは…??
これはとあるベテランマニアの方が、あるターンテーブル用に
作られたキャビネットである。
本当ならとっくに組み上げていなければならないのだが
例によって寄り道ばかりのよっしーは
それが出来ていない。
で、このキャビネットはご覧の通りスプリングが立っていて
(取り外しも出来る)フローティングも可能になっている…
これを活かさない手はない!ということで
スプリングの上にPS-LX525Pを載せてみた、の図。
念のためだが本当にベテランの方が作られた物なので
スプリングにはちゃんとスポンジ(ウレタン)が挟み込まれ
ダンプも適度にしている。
しかし、まあ本来525Pが載る設計では無い訳で
バネレートがどうとかいう細かい話は無しである。
それでどうかというと、おお、525Pが
リンやトーレンスになったかのようにフラフラしてるではないか!
…当たり前か…
これで音もLP-12並に…と言いたいが
残念、自室でLP-12を聴いたことがない事に気づいた(笑)
(続く)
1月12日
セッティングを少し変えてスプリングのフローティングと
棚板ごと宙づりとを簡単に切り替えられるようにした。
たまにはオーマニらしく、とそれっぽいディスクも出してみた(笑)
ちゃんとイイ仕事をしてくれるので驚くと言いたいが
もう驚かない。
もちろん1812の大砲だとかビーチボーイズの一部はトレースミスするが
そんな事は問題ない。
どっちにしても良い音だ。
お陰で比較試聴なんてやる気がしなくなった。
まあ使い勝手は当然ながら上に何も無い方に軍配が上がる。
1月13日
この事は以前にも書いていると思うので
途中で、「ああ」と気づいた人は読み進まなくて良い。
それは僕が中学三年生のこと。
吉祥寺というところまでえっちらおっちら出かけて行った。
それがどうしたと言われると言葉が無いが
この男当時から出不精だったので、それが電車に乗って1時間以上も
掛かる所に出掛けたというのは一大事だったのだ。
目的はというとレコードのバーゲン。
広告にLPレコード一枚300円から、とあったからさあ大変。
その頃LPはだいたい2,500円。
中学生なんかがおいそれと買える代物ではなかったのだ。
そ、それが300円…!
よっしー少年はもう頭の中がパラダイスになってしまった。
まあ行ってみれば300円で買えるLPなんてのは
一体どこの誰のどんな音楽なんじゃい?みたいな物ばかりで
夢は早々に打ち砕かれたものだった。
しかしこちとらアメリカ大陸横断くらいの勢いで出かけて来たので
おいそれとは帰れない。
何が買える訳でも無いのにその売り場には延々と滞在を続け
帰宅は結構遅くになってしまい
それまでロクにお出かけなどしたことのない愚息が
さっぱり帰って来ないもんだから
両親は大層気をもんでいたのだった。
で、その時にその売り場で延々と掛かっていたのが
この「14番目の月」
その秋発売されたばかりだったのだろう。
ま、本当にエンドレスで掛けられていた気がする。
…なのだが、その時賑わう売り場に居た、
大学生なのか社会人なのか今となってはわかるはずもないのだが、
一人のお兄さんが、
「こんなとこ居てもミーハーな曲しか掛からないんだから
どこどこのジャズ喫茶へ早く行こうぜ」
みたいな事を仲間に向かって言っていたのを
強烈に覚えているのだ、なぜか。
残念ながら今も昔も僕はユーミンなるものに強烈な思い込み
という物は無いから、「馬鹿にするな」とは思わなかった。
むしろ、「へえ、大人の人っていうのはこういう物は馬鹿にするんだな」
くらいにしか感じなかった。
でも、なんか好きになれない物言いだな、と感じたのは確かで、
だから45年も経った今なお、その発言を覚えているのだろうな。
まあ、いかにもそういう事を言いそうな人っている。
邦楽よりも洋楽の方が偉くて、ジャズやクラシックはうんとエライと
思っている感じの人達だ。
何でも良いがそれから40年以上が経って
この度初めて「14番目の月」が家に来た。
幾らなんでも買おうと思えばいつだって買えたけど、
そうはせずに出会いを待つのがよっしー流だ。
「可哀想にな〜お前、難癖付けられていたなー、あの時…」
と、このジャケットを見ると紅顔の美少年だった?往時を思い出すのだ。
改めて聴けば、もちろん文句ない内容であるし
なによりも1976年という時代を感じさせてくれるサウンドが
個人的には嬉しい。
音というのは凄い。人の意識をその時へと一発で飛ばしてくれる。
1月14日
もうこうなると迷信めいて来るが、やっぱり吊った方が良いみたいだ。
バネによるフローティングと、そんなに違うのか?と言われると
実のところさしたる違いではない気もして来る。
同時に次元が違うようにも思えるから困る。
ところで年間を振り返ると女性ボーカルの露出度が高かった気がするのだが
カウンターパンチも必要ということで男、というより野郎くさいものも
取りあげる。
FOR LIFEレコード第一弾。
これだってその当時買おうったって買えるもんじゃなかったのですよ。
1月15日
やっぱり成人の日は1月15日でないとピンと来ないな…
…という話はさておいて、最近地味にレコードが増える。
中には無償で来るものもある。
いや、盗んだわけじゃない。どうも建て替えでもするのか?
色々な物をコツコツと、「自由にお持ちください」と
出されているお家があって、僕はそこを
ほぼ毎日通るのだ。
で、ある時アナログレコードが何枚か出されていた。これはその内のひとつ。
他の物も併せて考えると1976年位から暫くの間に求められたんだろうな、
みたいなコレクション?であった。
ハイエナよろしく頂戴してきたが、でも、まあ僕が拾わなかったら
あるいはゴミに出されていたかもしれないので
その意味では適材適所の所に来たような…
45年前、どんな風にそれらに向き合っていただろう?
ひとつには、コピーとかである。
これはどうやって弾いているだろう?
みたいな感じで聞き取りにくい楽器の音に一生懸命耳を傾ける。
自ずとレコードが痛んだり、テープが伸びたりもするのだが
それはそれだ。
音をよく聞き取りたいがためのオーディオ。
ある意味なんと健全なのかと思ってしまう。
それから比べると今の僕を含めてのオーディオマニアというのは
やっぱり異常…が言い過ぎなら不健全極まりない。
もちろん、何をどうしようと個々人の自由である。
ただ、僕個人は僕自身に問いたい。
君はあの頃の自分よりも格好悪い人間になっていないだろうね?と。
1月16日
男の歌が続く。
さすがに録音時期に12年の隔たりを感じる?
村下さんの方にはハッとさせられる物があるが
陽水のは、なんというか実に誠に陽水なのであって…
ただ、村下さんという方は脱力する瞬間が
ほぼ無い世界みたいで僕みたいな人間は
辛くなってしまう事がある。
…なんて話をしているが主役のプレーヤーはジャケットの陰に
隠れてしまっていてごめんなさい。
1月18日