6月1日
*写真の個体は片側断線しています
VICTOR MC-1。
このカートリッジが登場した時僕は高校生。
一応現役のオーディオマニアではあったが48,000円のカートリッジなんて
買えるわけがなかった。
仮に持っていたとしても掛けるレコード盤自体が片手ほどだった。
そんな時代だったのだ。
長岡先生がリファレンスにしたのはリアルタイムで見ていた。
ターンテーブルこそSP-12だったがアームがEPA-100の6万円。
そしてMC-1は…と計算すると段々長岡先生が遠ざかっていく感じで
(もともと遠い存在なのだが)悲しかったのを覚えている。
ま、どのみち買えないんだからカンケ-なかったけど。
埃避けのカバーは僕が剥いでしまったが
お陰でカンチレバーとプリントコイルの位置関係はわかりやすい。
この時針先チップからプリントコイルまでの距離は1,4mm。
MC-1の時代。当初はtechnicsのEPC-100Cと併用みたいな感じだったが
徐々にリファレンスはMC-1一本化。
この時期はマトリックススピーカーが発表された時期とも重なり、
特に位相差の少ないカートリッジとしてMC-1は不動の立ち位置を確保していくのだった。
そして1981年、MC-1はMC-L10へと進化する。
*こちらも片側断線品
(続く)
6月2日
MC-1からMC-L10へ。
1981年の事だった。
この頃僕は大学生だったか。
音楽には浸かっていたがいわゆるオーディオマニアとは
言い難い立ち位置だった。
興味は別にも行っていたのでお金も掛けられない。
ただ、今思っても面白いなーと思うのだが
どういう訳か完全には手が切れないのである。
だからMC-1がMC-L10へとチェンジした事自体は
リアルタイムで眺めていたのだ。
さて、ダイレクトカップルというのは理論的には
正しいのだが、すなわち高い評価を得られるかというと
それはまたちょっと違う問題になる。
MC-1も高く評価したのは長岡先生だけだったと思うし
L10になってもそれは変わらなかったと記憶する。
で、たまにはステレオ誌から引っ張って来るが
1982年3月号「私のベストワンはこれだ」という特集の中から…
(前略)L10の音質、音場については多くを語りたくない気持ちだ。
MC-1についても、一般的な評価では、繊細だがおとなしい、
やわらかい音、という事になっている。
その理由もよくわかる。トランジェントのよすぎるカートリッジは、
レコード、アーム、アンプ、スピーカー、ケーブルすべてを徹底して
ハイスピード化しない限り真価を発揮しないということ。
ロースピードの装置と組み合わせれば、最悪の場合
スピーカーを真綿で包んで鳴らしているような音になってしまう。
MC-L10の音は他のどんなカートリッジの音ともちがう。
完全に一線を画した異次元のサウンドといってよい。
MC-L10に近いカートリッジはMC-1だけであり、
MC-2もMC-101EもL10には似ていない。
ただ、MC-L10の真価を発揮させるのは難しいし
その音は一般受けするものでは無いと思う。
超マニアのみが評価しうるものであろう。
…いや〜もうこれは痺れてしまう。
少なくとも当時、僕はしびれた。
つまりL10の良さがわからないなんてのは
お前の装置がタコなんじゃい、と言わんばかりのこの勢い。
MC-1の時よりも、後のMC-L1000の時よりも、
このMC-L10のころが一番饒舌だったと思う。
MC-1よりも0,4mm針先チップにコイルが近づいたとされるが
パッと見たらわからない。よく見てもわからない(笑)
ただ、カンチレバーがテーパーになっているのはわかる。
そして1983年、L-1000が登場する。
(続く)
6月3日
そしてMC-L1000へ…
なのだがこの頃僕はオーディオという趣味からは離れてしまっていた。
離れてしまっていた…
なのだが、これが完全には切れていなかったところが我ながら可笑しい。
なんでか?要所要所で?雑誌とか買っていたりするのである。
こちらはステレオ誌1984年1月号より。
つまり刊行は1983年12月ということか。
MC-1がL10になりL1000になった事は認識していたが
そもそも買える、買う対象になっていなかった。
ちらっとGT-2000が見えるが、これを買ったのが1990年頃のお話しだったので
この雑誌から6年位後のこと。
それでもオーディオ再開という気は無かった。
なにせ結婚を機にスピーカーも捨ててしまい、
カーステレオ用のスピーカーを使っていたくらいだったからだ。
それがある時流れが変わった。
アンプがスピーカーが、となって、やがてL1000へと流れついていくのであった。
(続く)
6月4日
この日記なんか読んで頂いているとわかると思うが
僕は絶えずなにか弄っていないと気が済まない人間だ。
冗談抜きに禁断症状が出ると手が震えだしかねない。
しかし子供なんか持つと、こっちが子供をやっているのも
難しくなる。
当たり前だ。
バイクや車は庭に出て行ってしまうので不評。
では室内で出来るなにか、という事で忘れ掛けていたオーディオに回帰してきた。
それが1993年頃のことだ。
プレーヤーはアナログプレーヤーを買うラストチャンスと思って
GT-2000を買ってあった。
ただ、本当に買ってあっただけだった。
青春の忘れ物。バックロードホーンを製作。
アンプは中学以来のJA-S31のままだったのだが
会社の同僚が、壊れているから直して使うならやる、
と言ってマランツPM-94を置き去りにしていった。
そんな中CDプレーヤーはかみさんの嫁入り道具で
ヤマハCDX-3だったしカートリッジはビクターZ-1Eのままだった。
これはアンバランスではないか、という事で
AT-33ML/occ辺りを買うはずが値引きの大きさで
AT-33EとAT-15Ea二本を買ってくる辺りがまるで素人だ?
その先、段々と個人売買に嵌るようになる。
ヤフオク以前の時代だから雑誌の売りたし、が命だ。
DL-103SLが僕の通算四本目のカートリッジだったが
これも個人売買で入手。
同時に雑誌類も買い込む。
別冊FMfan。AV FRNT…
共通して言えるのは長岡先生のクリニックが載っていることなのだが
この時伝家の宝刀と言わんばかりに出て来るのがMC-L1000なのだった(笑)
まるで黄門さまの印籠である。
これはもうゲットするしかないな…と呟いて「買いたし」を打ったら
勢い余って二本買う事になった。
この内の一本目をお譲り頂いたKさんとは今も交流がある。
人の縁とは凄いものだ。
しかし素人然とした人間がよくL-1000なんかに手を出した。
その頃真価を発揮させていたかは怪しいものだが
L-1000対103SL対AT-33Eなんて一人でやって悦に入っていた。
僕にとって1990年代後半というのは、あるいはL1000と共に過ごした季節、
と置き換えても良いのかもしれない。
(続く)
6月5日
さてさて、ところでユーはこの数日間で何を言いたい?
いや、特にこれと言った意味は無いのだが
敢えて言えば僕とL1000の物語というところか。
'77年のMC-1への憧憬から始まってL1000の入手。そして蜜月時代…
ただ、カートリッジというのは消耗品。
いつかは何かが起きるという不安は常に抱えていた。
だからいつも代打というか代役というか
とって替われるものを探してもいた。
失礼ながらZYXなんかもその中で活躍してくれていた。
L1000が無くても何とかなる。
L1000だけがカートリッジではない。
…と、自分をだますのだが自分でも心を偽っているのがわかるから始末におえない。
家に幾らカートリッジが増えても、どうも真ん中に穴が空いている感じ。
連合艦隊のプラモデルを集めて作り続けるのだが
輪形陣の中心に大和は居ない、みたいな感じ。
怪獣は山ほど出て来るがウルトラマンがどうしても出てこない
「ウルトラマン」みたいな…
そして今のぼくの心境はというと、
「最後の事件」でモリアティと共に滝に落ちて死んだと思っていた
ホームズがベーカー街のアパートに帰って来て気を失った
ワトソンみたいなものか。
大いなる物語の前編は終わった。
これから「空き家の冒険」以降の後半が幕を開けるのだ。
もちろんワトソンもホームズ不在の間を無為に過ごしていた訳ではないことも
これから立証しなくてはいけない。
…という事を書いて置きたかった。
この項、これで終了。