3月1日
オーディオの楽しみも人それぞれ。
今更言う事でも無いが。
買って繋いであれこれやる、というのも一つ。
何かとボンネットを開けて、ああでもない、こうでもない、とやるのも一つ。
何かと開けたい人には、30年前、40年前のアンプなんてのは好適過ぎる対象だ。
アンプ自作などする人から見ると僕のやっている事なんてのはちゃんちゃら可笑しい、
のレベルだろうが、そこはご容赦頂きたい。
多少かじってみて良く分かるのは、アンプなどは特に劣化が激しいということ。
接点もそうだし、みんなが大好きな?電解コンデンサーなんてのもその一つ。
俺のは新品だ。俺のは高級機だ、と言ってみたところでその辺の現実からは逃れられない。
これはどんな高級車を新車で手に入れても、絶対にメンテナンスから逃げられないのと同じだ。
対策の一つは車検ごとに買い替えること。ノーメンテで行くなら毎年買い替えた方が良いだろう。
オーディオ機器はそこまでいかないだろうが似たようなものだ。
もちろん考えすぎると疑心暗鬼を生ずで何も楽しめなくなる。
その場合は深く考えない方が良い。
ま、何十年も経ってしまった物は、これはもう覚悟を決めて手を入れた方が良さそうだ。
その時気になるのは、オリジナルのパーツと異なる物を使うと音が変わってしまう、という部分だろう。
もちろん、それはある。
しかし、そもそも本来の音ってなんだ?という考え方もある。
それは30年前、40年前に、とっくに失われてしまっているという風にも考えられる。
現代の部品を使う事で、少し進歩する部分だってあるかもしれない。
更に徹底して考えると、生産時のバラつきを改善することだってできる。
更に腕のある人だとファインチューンも可能。
なかなか楽しい遊びではないか。
3月3日
メンテメンテと煩いが、そんなに影響があるものか?
実際にはノーメンテのとメンテをしたのとを同機種で二台並べて比較しないとわからないかもしれない。
ただ、現実問題としてSY-88をメンテ済みのPRA-2000と入れ替えると、あまりにも音が違うのだ。
これは機種による音の違いと言えなくも無いが、SY-88とPRA-2000は同じ時代を生きたライバル機であり
方向性の違いこそあれどランクとしては同じ所にあると見る。
その両者でこれだけ音が違うと、これはもう手を入れたかどうかの違いとしか理解できないのである。
あるいは今使っているAST-A10やAST-S1との相性の問題というのもあるのかもしれないが
PRA-2000で鳴らすそれらは圧倒的にレンジが広く、見晴らしが良く、音が活きている。
ここで思い出すのがAV FRONT誌での長岡先生のクリニックの一コマ。
スワンをSY-88Λ2+HMA-9500MK2で鳴らす読者宅で
SY-88Λ2の劣化が著しく、持ち込まれたPRA-2000RG(新品)に取り換えたら
音色一変という事例だった。
記事でも書かれているがPRA-2000RGが驚異的に優れたプリという事ではなく
SY-88Λ2が完全に駄目になって(経年劣化)いたということ。
クリニック後リスナーも愛器SY-88Λ2に手を入れて、大分盛り返したようだが
本当の音に戻すには徹底的なメンテナンスが必要だったことだろう。
僕としてもSY-88をこのままにする気は無い。
…という事で、結局大幅に手を入れる事になってしまうのであった。
3月4日
正直音が出るところまでたどり着くと思っていなかった。
3月5日
まあ、二度とやりたくない整備というのがあるが
SY-88のそれなんて、正にそれにあたる。
何からやろうかと考えて、今回は電源部の一番大きい電解コンデンサーを交換してみたい
気持ちになった。
正に気持ちになった、だけであって深い意味はない。
それに一部だけ手を入れても仕方ないと言われるとそれまでである。
百も承知でスタート。
何かと目の敵に?される電解コンデンサーだが
’70年代のそれは特に優秀であり、劣化もし辛く、実際交換してみた物の
数値的には問題を感じなかったという話もよく聞く。
ただ、42年経過したそれらが、初期性能を保っていると考える人は居ないだろう。
まずは電解から、と今回は考えた。それも電源に近い所からやろうと思った。
ここ数年の、数は少ないが経験から来た直感みたいなものと思って頂きたい。
しかし想像した通り難作業。
噂のセンタービームが作業を阻む。
とても解説し切れないが、あちこち緩めて、外すのは叶わないまでも
多少ずらす事に成功。
半田の吸い取りは困難至極。
朝始めて、中断も多数だが、それにしても電解八本取り換えるだけで
深夜になってしまったのだから驚く。
もちろん、プロなら正攻法で、もっと効率よく事を進めるのだろうが
こちとらサンデーメカニックである。
しかし、それでも腕は上がるもんだと思った。
最初の一本を交換するのに要した時間と
最後の一本を交換するのに要した時間は
比べ物にならない。
もっとも、言い方を変えると、チエは後から出て来る、という事でもある。
そんなこんなで玄人が見たら笑う様な仕事っぷりだが音は出て、
結果はどうだったか?
一言でいうと激変である。
メンテナンスしたアンプの音になったのだ。
しっかりと音が弾み、活き活きとしている。
レンジは、低い方が明らかに広がっている。
これほど変わるのは珍しいのかもしれない。
たまたまツボに嵌ったと考えて欲しい。
3月6日
繰り返すが一つの症例だけで多くを語るのは危険である。
そうか、俺のアンプもあそこを換えると…と思うのは勝手だが
成果の出方はそれぞれだと考えたい。
ただ、繰り返しになるが齢40年級のアンプの素子が
今日も新品状態を保っていると考える方がおかしいと言えばおかしい。
さてしかし、数多あるアンプの部品のほんの一部を換えただけで
出荷状態に戻ったと考えて良いのだろうか?と考えると
そんな事は無い。
それは素人でもわかる事だ。
まあ、ぼちぼち楽しみたいと思っている。
この辺がアマチュアの特権である。
仕事だったら一連の流れをてきぱきやらないといけない。
効率を考えても分解は一回。組み立ても一回というのが理に適っている。
都度ばらして組んでというのは酔狂以外の何物でもない。
だが、良いのだ。何故ならこちらは一ユーザーであり
己の物と時間を好きに配分しているだけなのだから。
これかも引き続き、ここをやったらこうなった。とか、
残すはこんな所だけど、そこに手を入れたら更にどんなにか
良い音になるだろうか?なんて勝手に夢想して過ごすのは
大変平和で幸せなものである。
サンデーメカニックという単語を昨日使ったが、
振り返れば僕は長い間サンデーメカニックだった。
最近は対象が家電に変わっただけな気もする。
いずれにしても趣味として楽しいものである。
乗るだけ、聴くだけというのも趣味だが、中を開けてみると
世界はまたグンと広がる。
車だとジャンクを買って来てコツコツ弄るのも大変だが
オーディオはそれに比べると楽なものだ。
また、素材となる個体もオークションなどで入手も容易。
ただ、今の某オークションなどは僕の目から見たらバブルも良いところで
単なる素材レベルの物がトンデモナイ額でやり取りされてしまっている。
正直言って、ほとんどの出物は2〜3万円くらいの価値しかないと思う。
せいぜいそれくらいで手に入れて、自分の手で魂を吹き込む。
それが真っ当と言えば真っ当だ。
3月7日
SY-88を一旦組み上げる。
上の方の写真にあるような状態で使うのは極めて危険。
何かへまやってショートでもさせれば一巻の終わりである。
実に面倒臭いが、仕方ない。
またパーツを買って来てチマチマやる予定だ。
という事でPRA-2000に差し替えて音を出している。
SY-88は待機の姿勢というヤツ。
PRA-2000もやり尽くしたかと言うとそんな事は無い。
まだ手を付けていない所があるから、そこをやったら更にどんなにか
変わるかと考えるとワクワクする。
我ながらまるで子供である。
3月9日
こんな物も剥がれて来る。
貼っておく。
3月11日
柄にもない高級コンデンサー?
いや、これ実はサイズ=リードのピッチの問題でそうなっている。
最近のコンデンサーは性能アップしてサイズはダウン。
それは良いが足の間隔があまりに違うと
基板に挿した時収まりが悪い。
そう考えた時ニチコン・ミューズKZは比較的大きめで
助かるのである。
しかし、まあ本当に半田吸い取りがやりにくい基板なのは確かで
このままやっていると日が暮れて朝が来るを何度も繰り返さないとならない。
3月12日
改めて、なのだがアンプの電解コンデンサーを交換するのは是か非か?
そんなお話しは過去において散々なされているから、ここではどうでも良い。
ただ、勉強しようと思ってネットを徘徊すると
思わず懐かしいやり取りなんかに行き当たってしまう事もあって、
別の意味で楽しい。
10余年前の懐古録さんの掲示板なども出てきて
それこそ懐かしいHGさんのお名前なんかも発見!
お元気でいらっしゃるだろうか?
さてさて、今回はそんな訳でKZなんか柄にもなく買ってきたが
これなんかも賛否両論。
ただ、まあリードのピッチの関係もあるから
一概に評判だけで買う訳にも、実際にはいかないのだよ。
しかし、単体の電解コンデンサーの音を、これはこう、と定義するのは難しい。
あたりまえだがアンプの音は電解コンデンサーだけで決まっているわけでは無い。
その他もろもろの要素との兼ね合いでチョイスされることになろう。
更に音の好みが加わるから是も非もない。
もう一つ。エージングという問題。ランニングアップという問題が絡むから
ややこしい。
新しいパーツに取り換えて暫くは成否を決め付けられない。
特にコンデンサーみたいなものはそうだろう。
次に、電源投入直後で判断も難しい。
そんなこんな考えると、何も出来なくなる。
で、SY-88。
これはもう遅々として進まずというか、遅々としてでも
進んでいるから良いとすべきか?
恐らく後者だろう。
この銅箔というか銅板みたいなパターン。
それも厚いだけでなく幅なんかも広かったりするから
こりゃもう堪らない。
休み休みやれというか、休み休みしか出来ない。
電源の1000μ100V八本に続いて、
その付近。つまり電源の1000μ35V四本の交換まで漕ぎ着けた。
取りあえずそれで音出し。
どうか?と言われると1000μF×8本を取り換えた時ほどの激変は感じない。
それはこちらの気分の問題かもしれない。
そうそうコロコロ変わられても困るのだ。
後はヒートアップの問題。
何しろ電源投入直後である。
しかし、疲れるぞ、この作業…
3月13日
オーディオは難しい。
多分このページを覗かれる方なら先刻ご承知だろう。
もちろん、深く考えすぎない、という解決策はある。
ただ、それを言っちゃあ、この際はお終いであろう。
ややっこしいのは、アンプでもスピーカーでも、それ単体で音を出しているわけでは無い
という点だ。
それぞれがそれぞれの癖を持つ。
更にヒートアップの問題もあればソフトの問題もある。
そんなこんなで永遠に答えは出ないのか。
妙に弱気になっている僕なのだった。
3月14日
やっぱり疲れているとロクな事を書かない。
今日も似たようなもんだから手短にしておく。
SY-88を目の前から追い払い?プリはPRA-2000にして
久々にハイレゾなんか聴いてみるとこれは良い。
別にハイレゾと限らず、ハードディスク経由の音は良いもんだ。
せっかく良いと思える気分になっているのだから
今日はもう何も考えずに終わろう。
3月15日
昨日の日記を書き終えてから、妙に音が良い理由に思い当たった。
久々にT-407やNASを起動して、ネットから時々行方不明に?なるのに
腹が立って回しっぱなしにしていたのだった。
万事この調子だからオーディオは困る。
いや、困る事は無い。楽しいと言い換えるべきだろう。
ただ、それが嬉しいお年頃では無くなってきている。
昔はひと晩電源を落とさずに、翌朝に備えるとか
そんな事もした。
あるいはカメラを止めるな、ならぬ電源を落とすな、が正しいのかもしれない。
機器たちの上にはファンを置いて必要に応じて回して置く。
しかし、普通の人として、そこまではやりたくない気分。
あと、NASの音を再生し続けた後にアナログの音が妙に良くなったり、
アナログを掛け続けた後にNASの音が向上して聴こえたりと言うのもある。
オーディオに無関心な人からしたら超常現象みたいなものだが
どんな信号を加えたかによってスピーカーの音というのは
微妙に、あるいは大胆に変わってしまう。
これもまた困った?問題だ。
さて、SY-88。段々金色になってきた。
繰り返すが別にオーディオ用と呼ばれるコンデンサーを
使ってみたかったわけでは無い。
サイズの問題。
もっとも、別のコンデンサーでも同容量で耐圧が上の物を選べば
サイズもマッチするかも?という見解もある。
しかしそれも面倒くさい。
小さめの10μF100Vが案外被膜が後退気味。
これを換えると又音は変わるか?
3月中には全部換えたいところだが。
3月16日
気づいてはいたのだが二本だけオリジナルと異なるコンデンサーが入っていた。
修理履歴あり、というところだろうか。
定数はそのまま、105℃品ですね。
それは良いのだが、ちょうどそのコンデンサーが刺さる部分に
太い電源ラインやらアースラインやらが接着剤で固定されている。
前の修理では接着剤も熱でその部分だけ溶かした様子。
はんだ付けした後でリードをカットしているところから
プロではなく持ち主様がやられたのかもしれない。
ま、全て想像ではあるが。
3月17日
コンデンサーを少し交換しては蓋をして試聴。
こんな物好きな事をする人もそんなに居ない?
徐々に変わっていくのを楽しむのも、それはそれで良いではないか。
それにしても調べるほど色々なマニアがいることがわかって嬉しい。
コンデンサーの外装にもこだわって、あの色が良いとかなんとか。
蓋を開けなければうかがい知れない部分に必死になる。
これぞマニアである。脱帽である。
そこまでの事は僕には出来そうにないが、まあやれるだけやってみよう。
SY-88
…だけと限らないが、77に始まるこのシリーズは正攻法というか
回路技術に頼らずアンプ作りを追いかけて行ったところがある。
やたらVコンが目立つからパーツがぎっしりに見えるが信号の通り道としては
シンプルなものだ。
とにかくしっかりした部品を使う事。それに徹している。
抵抗なんて取り換える気がしないくらい立派な物が付いている。
その、しっかりした部品の最たるものが分厚い銅箔(板)を持つ基板だろう。
ただ、ある意味この基板が88、99の音を決めてしまっている気もする。
パーツの放熱という意味では最高かもしれない。
(基板も放熱器の側面を持っている筈だ)
ただ、それが吉と出るか凶と出るかはわからないものだ。
もう一つ88シリーズを縛った物があるとしたら
77以来のサイズ、プロポーションにこだわったところだろう。
77では一つだった電源トランスが88で二つになった。
それだけで密度が高いのにΛ88ではさらにフィルムコンデンサーのサイズがアップ。
Λ88-2では電源トランスが一つになったというかならざるを得なかったというか。
この時代は日本のオーディオにとって良い時代だったから
MK2、MK3品番も結構出ている。
SY-88は三代続いた。C-2も三代だ。
PRA-2000もZ、ZRと進化してRGまで到達した。
総じて後発の物ほどデッドスペースが減っている。
いずれも各社の看板商品で、簡単に顔を変えられなかった事情もあるのだろう。
僕もプリは薄型が好きなのだが、中を見ると大変さも伝わってくる。
PRA-2000は少し大型で得をしているが、それでも熱は凄い。
事故さえ考えなければ、みんな蓋を開放して使いたいくらいだが
そうもいかないのが現実だ。
3月18日
だいぶ金色が増えて来た。
峠は越したという感じ。
大雑把に言うと電源基板はパターンの巾も広く、熱が逃げる量も半端ない。
それからするとオーディオ基板は割と(割と)楽である。
ただ、底面に生えた?芋虫の様なフィルムコデンサーをどかさないと
電解の足にアプローチ出来ない所なんかが出て来るので
結局楽は出来ない。
三合目までやって音を聴いて、五合目までやって音を聴いて
今は七合目の音だろうか。
音はどうか?というとやっぱり良くなる。
五合目の時は今一つ感動が無かったが七分まで終えると又違う。
なんというかアンプの目覚めを感じる。
よし!聴こう、と思わせる音、とでもいうか。
目に音が見えて来る感じとでも言ったらわかってもらえるか?
それ以上細かい事は今言っても仕方ないと思う。
というのも最低一週間くらい通電しっぱなしにしないと
電解コンデンサーなんかは初期性能の段階にすらたどり着かないから。
それにしても、こうやって弄り続けていくと、そのアンプ本来の音でなくなる懸念というのも出て来る。
だが、それはそれで良いとも言える。
まず、アンプ(と限らないが)の音なんて
一年目、二年目と違って来ているはずだ。
固定された音というのは無いと言える。
次に、同じプリであっても、どんな装置に繋がれるかで音は変わる。
ピンケーブルで、電源タップで変わってしまう。
そう考えたら、そもそも完全に固定の音なんか無いのだ。
3月19日
素晴らしく珍しい事だが一杯やってこれを書いている。
訳あって仕事がらみで実に中途半端に呑んだ。
オーディオにお酒は禁物。
一番怖いのが機器の破壊だ。
だから普段は絶対に呑んだらスイッチを入れない。
今日の場合は例外である。
取りあえず96k/24bitと44k/16bitの違いはわかる程度のアルコール残量なので
正気の範疇だろう。
あるいは、ちょっと一杯やって聴くというのが
最良の音質改善策かもしれないがそれではお話しにならない。
オーディオマニアは概して真面目である。
たかがオーディオ。適当に呑んで楽しんだって良いと言えば良い。
そんな訳で今日書く事なんてあてにならないが
NASの音もSACDの音もSY-88は良く鳴らしている。
1977年当時は影も形も無かったフォーマットを相手に出来て
アンプも幸せである。
…かどうかはわからないが。
考えてみたら往時のアンプ達の音質評価は主にレコードでなされていた。
その後DAD対応なんて言葉が生まれた訳だが
本当の意味でDAD対応。CD対応。あるいはデジタルソース対応と言える
プリは作られたのか?
その辺で弱腰だったからプリ不要論なんてのが生まれたのかもしれない。
おお、まともな事が書けている。
やっぱり飲みが全く足りていない。
呑むならちゃんと呑むべきだ。
反省。
3月20日
そうそう毎日半田ごてばかり握っていられない。
(山の神が怖い?)
音楽鑑賞でもしようではないか。
という事でアナログを聴いてみる。
そうなのだ。SY-88は正にアナログ時代のプリアンプ。
フォノを使わないと嘘である。
実はこの個体はフォノに異常ありということで格安だったのだ。
音は出るし決定的に壊れているというわけでは無かったが
セレクターをフォノに持って行った状態でバランスコントロールボリュームに
刺激?を与えると、ボンっというノイズが出る辺り完調とは言い難い。
実はフォノの電解の交換はこれからなのだが、(電解が全てではないのは承知しているが)
取りあえず聴いてみる。
するとさすがに優秀である。
今後さらに向上すると信じている。
3月22日
私は気づいてしまった。
SY-88だが、セレクターの接触に怪しい所がある事に。
全部ばらしてなんてのは面倒だから、出来たら基板に取り付けたまま
パーツクリーナー噴霧や歯間ブラシでごしごしで済むことを祈る。
そして私は気づいてしまった。
まだまだ休みにならない事に。
はあ…(溜息)
3月24日
疲れたならこんなもん書いていないでとっとと寝ろ。
その通りである。
そこが馬鹿の馬鹿たるゆえんで、何かをしないではいられない。
ツイーターを耳の高さに。
この原則が守られないとお嘆きだったのは長岡先生だ。
しかし我が家でも結構低めにスピーカーを構えることが多い。
これは視覚的問題で、比較的近い位置にスピーカーを置いて
尚且つ高さを教科書通りにすると結構圧迫感が凄いからだ。
今、AST-S1もちょっと低目に設置されている。
それはそれで気に入っているのだが悪戯心で迎角を付けてみた。
といっても適当に。
レコードスタビライザーを挟んで手前を持ち上げた。
大抵の場合、これをやると随分スピーカーが不安定になる。
だが、以前紹介したこたつの天板のズレ止めが優秀なのでスリップの心配が少ない。
デメリットもあるのだろうが、さすがに音場感は向上する。
そして圧迫感もない。
ま、いいや、そんな事。
もう寝ます。
3月25日
SY-88の電解コンデンサー交換もいよいよ佳境に入った感じ。
電源基板の大物から交換して来たのだが
最後は上流付近。フォノイコライザーなども含む部分だ。
ここは側板が邪魔になる。だからちょっとずらす。
すっかり慣れたが基板裏に取り付けられているフィルムコンデンサーや
電解コンデンサーをどかさないとならない。
結構面倒である。
これで保護回路(と思われる)部分の電解以外は交換終了。
妙な期待を持って電源を入れる。
音だが三度目の激変という感じ。
ますます冴え渡って来た。
なにより、これまで感じていた左右の音の密度の違いみたいなのが
是正された。
また、フォノをセレクトしてバランスコントロールに刺激を与えた時だけ
発生する不快なノイズも消えた。
目出度し目出度しなのだが、聴く耳が段々シビアになって来るものだから
更に追い込める気がして来た。
全体にちゃんとしているが、齢42歳の半田は全部補正した方が良いだろう。
セレクターもパーツクリーナーを噴いての簡易クリーニングで取りあえずは良いが
ベストなのは分解しての清掃なのは言うまでもない。
いつになったら終わるのか?とも思うが
ユーザーの遊びには締め切りが無いのだからこれで良いのだ。
3月28日
SY-88だPRA-2000だと言っていると笑われそうなきもする。
まあホーク2とGS400を同時に手に入れて弄って喜んでいると思って貰えればそれで良い。
その辺が僕には分相応という気がしてならないのだ。
というか、正確にはそれでも身分不相応な気もする。
昔々のFMレコパル誌などひも解くと、いかにみんながオーディオ装置に一生懸命だったか良く分かる。
なにしろ自慢のコンポ、みたいなコーナーがあるのだが、総額で言うと20万〜30万くらいの物を揃えるのが
精いっぱいの感じ。
当たり前である。今の貨幣価値で言えば50万くらいのお買い物か。
やっとの思いで揃えてうれしくて仕方ないというのが文面から伝わってくる。
なかには月賦(ローンとかクレジットという言葉が一般的では無かった!)が続くと
嘆いている方もいる。
僕はそこまでしてオーディオと限らず物を買った試がない。恐るべし貧乏性である。
世の中上を見ても下を見てもキリが無い。
もう一つ言うと感動あるや無しや。これが大事。
初めてモノラルではなくステレオを聴いた時の感激。
ラジカセではなくアンテナ建ててチューナーでFM聴いた時の感激。
そんな物があった時代や時期の方が、多分趣味としてのオーディオは楽しかった筈だ。
もちろん、そんな時代は二度と来ない。
わかっていて懐かしんでいるだけだ。
平成も終わるそうで、昭和はますます遠くなる。
3月29日
前にも書いたと思うが、それだけブームだった1970年代半ばにおいて、
ではオーディオ装置が家にあった中学生高校生がどれだけいたかというと
疑問である。
知る限り、そこまでは普及していなかった。
一つにはまだまだ高嶺の花だったというのがある。
いわゆるお金持ちの家にはステレオがあったが、それはもう少し古いタイプで
4チャンネルステレオ対応、みたいなのが多かった。
先行して買われているので、そこから数年でシステムコンポとはおいそれと行かなかったのだろう。
後の大型テレビやビデオデッキの普及と比べると勢いはまだ弱く、経済発展の段階の差を感じる。
でも、みんな音楽は聴いていた。
それはラジカセで、であったしある時期以降はウオークマンで、だったかもしれない。
僕の友達なんかアンプを壊してしまって、カセットデッキの音をギターアンプに導いて音を出していた。
そうなるとオーディオもくそも無いが彼なんかも耳が良くて、それでちゃんと耳コピしてギターを弾いたり
譜面を起こしたりしていた。
ある意味そういう聴き方。
この演奏って、どうやっているだろう?みたいな聴き方をしていた時が一番健全だった気がしてならない。
あらゆる音を分解して聴きたいと思っていた。それはいわゆるオーディオマニア的な分解能とは別の世界のお話しだ。
そういう時、グライコは有るとありがたい物だったし(誰も持っていなかったが)、ヘッドフォンも必須だった。
時は変わって平成から新元号へ行こうとしている今日。別の意味でヘッドフォンは大活躍。
当世はスマホ、あるいはシリコンプレーヤーにヘッドフォンで聴くもの。それが音楽、と相成っている。
3月30日
と、軽く引っ張ったところでSTAXのイヤースピーカ-用アンプ、SRA-10Sだ。
STAXのイヤースピーカーは通常のヘッドフォンとは違い専用のアダプターあるいは
アンプが無いと音が聴けない。
イヤースピーカーと呼ぶ辺りに既に拘りがありありだが、なんともオーディオマニアの心をくすぐる逸品である。
STAXの、このアンプに対する僕の憧れは実に根深いものがある。
物凄く昔迄遡るとFMレコパルの自慢のコンポコーナーで、STAXではなくナポレックスの物だと思ったが
専用アンプがプリアンプにもなるので、それをプリとして使って…、みたいな投稿があった。
既に45年以上前の事なのによく覚えているな、と我ながら思う。
それから幾年。STAXのSR-3が手に入ったのが20年ちょっと前。
アダプターのSRD-5は同時に手に入ったが、いつかはSTAXの専用アンプで…との思いは
強くなる一方だった。
だったらとっとと買えば良いのだが、そうはしないのがよっしー流である?
この度某OFFで発見。
「音が出ません」ということで相場よりも勿論安かった。
まあとにかく持ち帰って眺めてみる。
しかし、これが期待を裏切らない格好の良さである。
縦横比が素晴らしいし、奥行きも良い。
質感も時代を感じさせる良いものだし、良い意味でアマチュアの自作的な趣きが良い。
電源も入れない内に天板を外してみる。
中を見ると思ったよりも綺麗だ。
基板はプラグイン式でメンテナンスしてください、と言わんばかり。
それにしても美しいし機能的だ。アキュが似たような事をやったのは随分後の事だったはず。
半田面も美しい。STAXらしいというか弄るのを拒む美しさがある。
この辺で電源ON。リレーが繋がるのが見えるし、パイロットランプも付く。
では、という事で接続するが…
3月31日
では、という事で接続するが…
接続したが音が出ない。
いや、出ないと書いては有ったが、どうせ使い方がわからなくて書いているだけだろうと踏んでいた。
ちゃんと出ない?某OFF恐るべし。見くびってはいけない。
しかしこれでは困るということで翌日今度は底板をあけてみる。
すると…
音が出ない筈だ。なんとイヤースピーカーへの接続線がご丁寧に五本とも切断されている。
これはいったい何がしたかったのか?
わざと切っても査定が下がるだけであるからそれ以前に何らかの事情でカットされたのだろう。
何とも解せないが悩んでいても始まらない。カットされていた線を全部繋ぎなおしてみる。
煙でもでたら嫌だな、と思ったがそんな事にはならなかった。
接続してみると音は出た(!)
何だか理由はわからないが、お陰様で相場より遥かに安く買えたのだから感謝すべきだろう。
さてしかし、SRA-10S。使い方が良く分からない(笑)
非常にシンプルな反面、どうも良く分からない部分が多い。
ハラハラしながら、しかし気が短いのでCDの音を出してみる。
なお、ここが肝心だがイヤースピーカーより何よりプリとして使ってみたいとの思いが先行。
故にSAR-10S→AST-A10→AST-S1という流れで試聴。
危惧されたボリュームやバランスのガリなど皆無。これも凄い。なにせ1974年か’75年頃の製品なのだから。
で、音は?