4月2日
AT-130Ea/Gだと思い込んでいたら
AT-130E/Gだった?
なんていい加減な性格?
しかしaが付く、付かないに関係なく、思いっきり中間機種の130を敢えてチョイスした
あたりに、前オーナーの慧眼を感じる。
いや、冗談抜きに色々取り換えても、この130が万能ぶりという点で魅了してくれる。
テクニカのラインナップの充実ぶりには昔から驚かされるのだが
13とか14、あるいは130とか140の話しには
ネットを捲っていても滅多に行き当らない。
だいたい商品というのは一番お求めやすいのと最高級機種が売れて
真ん中が凹むか、
あるいは真ん中が盛り上がって両端はほぼ出回らないか
どちからのパターンに収束するわけで
この場合は前者の、典型的なパターンというわけだ。
敢えて120よりは微妙に高い。そして140に行かない130を
選ぶとは前オーナー恐るべし。
4月4日
MMの面白みの一つが適当に針を挿せること。
適当と言ってももちろん限度はあるがテクニカATシリーズなんかは
現行機種まで含めて針の互換はありまくりだから?
これはもうやらなきゃ損だ?
という事でAT-100のボディにAT-130Eの針を挿す。
これまでAT-150Eaの針を挿した事はあったが上記組み合わせで音はどうか?
軽い遊びという事なのだが音が出た途端びっくり仰天。
久々に聴く酷い音である。
すわ、なにか間違えたか?と蒼くなる。
実は聴く前にシェルを換えた。ついでにリード線も違っている。
よっぽど組み合わせが悪い?
そんな事は無い筈なのだが元に戻す。
その間にネックの所のスペーサーを金属の物、ゴム、無し、なんて入れ替えもしたが
ある時点からコロッと音が変わった?
なんの確証も無い話なのだが、考え見たらヒートアップゼロからスタートしていたのが
ある時点でアンプその他が温まって改善?
しかし変わり過ぎじゃね?と思わず一人呟く。
ま、そんな事もあるということで…
そんなこんなで同一針のボディ(もちろん中身も)違いで音はどう違う
なんてお題が飛んで行ってしまった。
どちらも良いお点前だ。
これじゃ比較試聴にならない…
4月5日
AT-100ボディ+AT-130Eの針、がなかなか聴かせてくれるので
今度はまたAT-150Eaの針を挿して…と思ったが
面倒だしということでAT-150Eaそのものを聴いてみた。
緻密で繊細。悪い筈がない。
…なのだが下位機種の太さが少し恋しくなる感じ無きにしも非ず。
なんとなく減塩醤油的に感じてしまう。人間勝手なものだ。
それと、自分でセットしておいて驚くのも馬鹿野郎だが、アームに装填していたら
AT-150Ea/Gの方が軽いのだった。
ボディは150系の方が重い筈なのでシェルの違いか。
ま、何でもシェルを重くすればよいなんて単純な話しではないが気になった。
気にし出すとリード線が異なるのとかだって引っ掛かって来る。
ただ、カートリッジ弄りというのは興に乗り過ぎると破壊につながるので
要注意。
どーしたもんだか…
4月6日
4月8日はよっしーの部屋の誕生日ということで毎年なにか
記念になることでも書こうと思うのだがいざとなると
やる気にならない。
どーでも良いという気になってしまうのだ。
ま、本当にどうでもよろしい。
AT-100ボディ+AT-150Ea針は尻上がりに調子が良くなった。
改めて、針の影響って大きい、と思ってしまう。
ただ、なんでも価格的に高い物が良いと決めつけ難いところもあって
それがまた面白い。
確かにAT-100+AT-150Ea針は良い。
だが、純AT-130Eも良いし
AT-100+AT-130E針も捨てがたいのだ。
繰り返しになるがAT-130Eを選ぶとは、前オーナーただ者じゃない。
興に乗ってAT-15Ea/Gを出してみた。
随分昔。オーディオを再開した頃に買い求めた、数少ない新品購入カートリッジだ。
ぱっと聴いて、音がセンターに収束気味なのに軽く驚く。
あるいはこれが正しい拡がりなのか?
簡単に判別は出来ない。
そして、後の三桁シリーズと比べると太く安定した鳴り方になる。
これは多分間違いない。
これも大切なカートリッジの一つだし、時々これで無いと出ないと
思わせる音がある。
ただ、慣れのせいかちょっと呆けて聴こえるのも事実。
もっとも、その辺はシェルを換えたりなんだりすると
少々変わってしまうので、安直に断言はできないのだった。
4月8日
今日はよっしーの部屋の誕生日。
せっかくなので特別な事でも書きたいのだが
こんな時に限ってそんな気にならないのは何故だ。
捻くれて映画の話題。
といってもウチにあるDVDは四枚くらいか。
毎年、今年こそ映画を観るぞ観るぞと言ってさっぱり観ない。
俗にいう観る観る詐欺である。
まあどーでも良い。
お陰でネタはいつだって「ショーシャンクの空に」だ。
名作の誉も高いので説明なんかしない。
色々なシーンが。各俳優の演技が好きだが
今日の気分はデュフレーンのこのセリフ。
”ここではみんなが無実だ”だ。
大まかに言ってしまえば冤罪で投獄された主人公が脱獄を計る話しなのだが
その主人公が徐々に囚人仲間と打ち解けて行く、その変化も見どころの一つ。
上のセリフに、その変化が象徴されている。
ま、そんな事を語ってみたい気分なのさ。
4月9日
TP-L1導入以来、どうしても消えない違和感があったのだが
どうも片チャンネルケーブルが半殺しみたいになっていたようだ。
ちょっと前にプリ交換までした、右チャンネル不調は
何のことは無い、プレーヤーの出力ケーブルに問題があったのだ。
もちろん、それまでもチェックはしているのだが
今回みたいな、本当に半殺しモードだと
判定が付かない事がある。
年代物の機器で出力ケーブルが直だしの物。
つまりアナログプレーヤーに多いのだが。
は、気を付ける必要がある。
原因はというと以前使われていた時の折り曲げの癖。
あるいは長期保管時の折り曲げの癖、と思われる。
可もなく不可もなくという感じのケーブルが使われている。
不調は赤いプラグ付近で間違いないと思うのだが
プラグ付近の交換というのは独特のやりにくさを持っている。
迷ったがこの際に出力ケーブルごと交換にしてしまった。
休み休み、他の事もしながらだから結構な時間が掛かってしまったが
交換は無事終了。
ところが今回はこれで結構音が変わってしまった気がする。
良く言えば鮮明。
悪く言えば硬質に変身?
ま、また取り換える事は難しくないから、しばらくはこのままで使いたい。
慌てて結論を出そうとしない方が良い。
それと、もう一つ。
実はTP-L1はここしばらく底板を外して四隅をタオックで支えてリジッドな状態で使っていた。
それを工作の際にノーマル状態に戻した。
いざという時底板も足も無い機器というのは本当に扱いに困るからだ。
もう一つ。一度は外した砲金シートをターンテーブルに載せて使っていたのも
今回止めている。
これらトータルの変化と見るべきで、
ケーブル単体の影響だけやり玉に挙げるのは、この際間違っている。
4月10日
直出しのフォノケーブルを交換して直後の音はなかなかエキセントリックで
思わず目の前が暗くなった。
解像度が上がったと手放しで喜ぶほどこっちも若造ではない。
それまで良い感じで鳴っていた、例えばテクニカのAT達など、どうにもメタリックな
所が耳に付く様になってしまったではないか。
こんなのはちっとも嬉しくない…
ここで、まあ色々足掻くのだったがそれは省略。(話がややっこしくなるから)
で、ふっと気づいた。
前にもちょっと書いたけど、TL-P1ではMCカートリッジ族が今一つな鳴り方だった。
ZYXが精彩を欠き、AT-F3は割と良いかな?みたいなところだった。
しかし、これはもしかして…と思い、まずAT-F3を付けてみるとこれが当たり。
…という事は…と思いZYXを試すと…
以前の事が嘘のよう。水を得た魚とはこのことか。
さて、これは喜ぶべきことなのか、それとも…
今は何とも言えない。
ただ、ここで、つくづくトータルバランスというのを考えてしまう。
TP-L1の出力ケーブルがよっぽどお年を召していたのか。
あるいは時代背景から、基本的にMMで良い感じになる様に振られていたのか、
(そもそもの付属カートリッジはVM型だ)それはなんとも言えない。
真相はわからないが、その時はその時の幸せがあった事は事実。
それを壊してしまったと言えば壊してしまった。
人によっては、それを正しいというのだろう。
ただ、バランスという物を考えた時に果たして正しかったのか?
自分で自分に疑問を持ってしまう。
元に戻して(プラグは交換するとして)MMが気持ちよくなるプレーヤーとしての
TP-L1に後戻りしてもらうのも一考だな、と真剣に思う。
*念のためだが交換で使ったケーブルは正価でメーター50円くらいの物で
それを更に大特価で買い込んで来た(拾ってきた?)物である事を付け加えておく。
4月11日
正直フォノケーブルでの音の変化なんてのは日頃気にしない性質だ。
その割には御多分に洩れずいっぱい持ってはいるが(汗)
今回は変化が大きかったということか。
しかしこうして考えるとリアにRCA端子でも付けて、各種ピンケーブルで
差し替え可能なんてしてみたくもなる。
取りあえず一晩経って、耳が慣れたのかMMでも刺激的なところは
少し後退。
ただ、全体にややオフ的な鳴り方になるのと腰高な感じになるみたい。
ただ、そんなに悲観ばかりするもんじゃなくて、
例えば前はイマイチな鳴り方だったMT-23なんかが見事なパフォーマンスを
示してくれる。
4月12日
馬鹿に付ける薬は無いというが、帰宅して音が変だと
一日の疲れが倍増する。
特にMM族の音が変、というか少し前までのあの夢のような日々はどこへ行った?
あれこれ疑って最後はとうとう別のプレーヤーに繋ぎ変えてしまった。
GT-2000+WE-407/23。
これにAT-130E/Gを付ける。
音は悪い筈がないのだが、どうにもオーディオ臭がプンプンする?
今はそういう気分じゃないという事なのだ。
MMはMC以上にケーブルに敏感。
忘れたふりをしたかった現実を突きつけられた感じがする。
*ちなみにこんな風にカートリッジを転がしておくといつか泣きを見る。
ミッドウエイ海戦の時の南雲機動部隊の空母の甲板を連想する。
4月13日
なんとなく起用したGT-2000だが、全くもっていい加減に聴いていても
TP-L1とは随分差が付く。
何が、どう?と詳しく語るのが馬鹿らしい違いがそこにある。
巨大なターンテーブル。それを支える重量級で鳴きの少ないキャビネット。
おまけに今はアームがWE-407/23に換装され、足はYPB-1だ。
WE-407/23一本でTP-L1より高い。これでは公正な勝負とは言えない?
別にGT-2000が最高のプレーヤーではないだろう。
上には上が居るとして、だが、まあそんな事を考えるのは面倒くさい。
ただ、1982年頃以下のようなシーンがあったかもしれない。
T君(TL-P1所有)
G君(GT-2000に買い替えた人)
T「おお、G、これか?ヤマハの新しいプレーヤーってのは?
すげーでっけえなー(内心羨ましいモード)」
G「おお、やたら重くてよー、箱から出すのも苦労したわー(内心自慢モード)」
T「それで、どーじゃー?音は〜?(内心大した事無いと良いなと思っている)」
G「そう急くなー(内心早く音を聴かせたいと思っている)。今掛けるわー」
ここですっとレコードが置かれ針が落とされる。しばし両者沈黙。
G「どーだぁー?(内心すげーだろー、と思っている)」
T「お、おおお〜すげーなー…(内心焦っている)」
G「今までと違ってクリアーっていうか間接音も綺麗に分離して聴こえる気がするんだよなー
(内心明らかにグレードアップになったと自負している)」
T「か、カートリッジは前から変わっていないのかー?(内心プレーヤーの違いと認めたく無い)」
G「おおー、そこまで手が回らなくてなー、プレーヤーだけで有り金叩いちまったー(自慢)」
T「い、いやー、やっぱり違うなー。(明らかに悔しい)」
G「そーかー?お前のとこのOTTOだっていい線いってんじゃん(内心上から目線)」
T「そ、そーだなー…。ま、まあ、音の柔らかさとかは気に入ってんだけどなー」
G「なあ、あれも良い音してるわなー、うん(軽く見下しモード)」
T「お、おおー、でも俺も冬のバイト頑張って買い替えるかなー(既に決心している)」
G「ああ、俺もバイトして今度はMCカートリッジ買うわ」
T「そ、そだなー(内心、こりゃカートリッジも買い替えないと追いつけないかも?と思い始めている)」
…なんて事が日本のどこかで実際にあったかもしれない。
好きか嫌いかは別にして、どうにも投じた物量の違いによる音の差みたいなのは
アナログ時代には歴然とあったようだ。
もちろん今となってはどうでも良い事だし、ムキになるような事でもない。
時は流れ、昔少年や青年だった僕もおじさんになり、根性はますますねじ曲がり?
なんとかTL-P1でGT-2000クラスには一泡吹かせたいとわけのわからない趣味に走るのである。
しかしGT-2000+WE407/23+YPB-1はTL-P1に随分な差を付けてくれる。
AT-130E/Gも水を得たかの如く鳴るのであった。
それで素直に喜ばない自分はかなり変態である。
4月14日
どのプレーヤーが良いのだ、などという糞みたいな?話はさておいて、
この一か月しみじみと思っていたのがトータルバランスという事。
正攻法も正論も大切だが、一方で現実と付き合わないとならない。
例えばシェルとカートリッジの関係。
所謂超本格派のカートリッジであれば剛性の、しっかりしたシェルに、ガッチリと取り付けるのが
良いのだろう。
しかし、世の中そんなカートリッジばかりではない。
そう考えると樹脂製も含めて色々なシェルに存在価値があるのだとわかる。
アームも考えるとシェルとカートリッジで20g位までで抑えたくなる。
何気ないカートリッジ。何気ないシェルを使う分にはアームの負担もそれほどではない。
ところが、良いとされるカートリッジは結構重いし、しっかりしたシェルは重くもなるから
どうしても困った事が起きる。
更にハイコンプライアンスだなんだと、重さの問題以外にも要求するところが増えるからアームもやっていられない。
逆に言うと、だから普通の市販プレーヤーで能力を発揮させたかったら、それに沿うシェル+カートリッジの組み合わせを
選べという事になる。
そこにソフトの問題も絡む。
確かにトレースの難しい盤なんて言うのはある。
そんなのを紹介記事片手に買って、再生してみるとさあ大変。
なるほど上手く再生出来ないところがある。
”そうか、おれのプレーヤーはやっぱり…”
という事で哀れ現用機はドナドナされて、新しく高額商品が本妻の座に…
なんて事になるのだが、さて、果たしてそんな小難しい箇所のトレース能力だけで妻を選んで良かったのか?
得る物もあれば失う物もあるのが人生だ。
細かい所では丸針と楕円針の問題なんてのがそれに当て嵌まるかもしれない。
アルミがボロンやベリリウムよりいつも不幸とは限らない。
何というか、物事には落としどころみたいな物が存在する。
その辺を変に間違えるとあんまり幸せにはならないみたいだ。
…という事をしみじみ感じるというかわかるようになるのには時間が掛かる。
そして、こんな事を書いている自分も、未だに解脱はしていないのである。
4月16日
気まぐれにCDを掛けてみた。
単純だからアナログを掛け始めるとそればかりに傾倒してしまう。
半田付けを始めるとそればかり。
テープを弄り始めると一辺倒。
久々に聴くCDは快適そのもの。何もしなくても良いのだから。
あれこれやる中ではCDに関するものが一番醒めている?
何しろプレーヤーにもそんなには拘らない人だから仕方ない。
別にアナログ派とかいうものじゃない。
というか、物心ついた時から派閥とかグループとかいうものが
苦手なのだ。
さてしかし、CD時代が来てから、ケーブルだとかセッティングだとかの
ネタばかりになった(進化した)のも改めて頷ける。
何しろ何もすることが無い。手を出すのも躊躇われる。
これが平和というものなのだろう。
それにしてもSB-7000というのも立派なスピーカー。
スピーカーが鳴っている感が希薄である。
もちろんこれには置き方の問題も関与するから一概には言えないのだが
何でも壁から離して置けば良いというものではない。
しかし、拙宅でこの置き方が出来るスピーカーとしてはSB-7000がマックスだろう。
仮にG7をここへ持って来たら邪魔に感じて仕方あるまい。
そして、この置き方、部屋の使い方という観点では、SB-7000であっても
邪魔で仕方ない(笑)
そろそろ何か考えないとならない。
4月17日
一体何年振り?という感じだが手に取ったので掛けてみた。
昔散々聴いたっけ…と針を落とすと…
これってこんな音だったっけ?と驚き。
これだからオーディオは怖いというか、例えば来客に
この音を聴かせたら、こいつ日頃こんな音聴いて喜んでいるんか?
と呆れられそうだ。
しかしあまりに変なので取りあえずただ今クリーニング中。
音は変わるかな?
4月18日
僕は雑食で、アナログもデジタルもくそも無いというタイプだ。
ただ、いつも思うのは、どうしてCDというのは
ああも音圧高目に感じるのだろうか?ということ。
それが心地よい時もあるのだが、どうも疲れてしまう時がある。
ソフトの問題なのかプレーヤーの仕様の問題なのか
わからない。
…なんて事を考えていたせいか、再びアナログを掛けたら
どうにもふぬけな感じになってしまい焦っている。
なんとも音が彼方で鳴っているような感じになってしまった。
昨日のディスクがたまたまそうだったのか?
思わずカートリッジを取り換えたり、アンプを疑ったりもしたが
これはどうも聞き手=自分の問題のようだ。
あるいは、すっかり脱力した音に魅入られていたのか?
良く分からない。
4月19日
性分という言葉がある。
いや、僕の場合、人間のスケールと置き換えて正直に語った方が良いかもしれない。
丁寧な応対に慣れていない。すぐ恐縮してしまう。
高額商品にも当然慣れてない。
勿体ないから使えない、なんて事を言う。
我が家にある高級品の一つにヤマハのフォノイコHX-10000がある。
説明不要だがヤマハ創業100周年を記念してリリースされた1万番台シリーズの中の一つ。
当時で35万円である。
恐れ多くて使えない?
…って訳でも無いのだがプリにフォノが付いているのにそれを飛ばしてフォノイコと言うのが
貧乏性のよっしーにはなんとも罪深い所業に思えてならないのだ。
真にこのあたりに人間のスケールの小ささが現れている。お恥ずかしい限りだ。
随分お休みさせてしまったから(目の端にはいつも映っているのだが)、どうかな?
なんて思って繋いでみた。
エージングもランニングもありゃしない状態でTP-L1を繋いで針を降ろす。
…のだが、こりゃびっくり。さすがコーキューヒンはいきなりスゴイ音を出す。
ひぇっ、と思いながらしばらくしてカートリッジはなんだったっけ?と見ると
(最近頻繁に弄っているから本当に訳がわからなくなっている)
AT-100ボディにAT-130Eの針だ。
一言でいうと、凄い美音。
もちろんだが、何かをネグってしまってアラを隠す美音ではなくて、さらけ出しながら
優しく是正してしまうような美しさだ。
それだけか?と言うとそれだけではないのだが、あんまり書くと高い物自慢みたいになってしまうので
やっぱり遠慮してしまう。
コタツ布団が大好きなウメさん。
夏になったらどうするのかな?
とにかくあっちこっち連れまわされていて
何となくお疲れのお顔が面白い一枚。
はしゃいでいるのは人間だけで、ウメの方は
どーでも良さそうな事この上ないのが笑える。
4月20日
ところで一体レコードは何を聴いて色々ほざいているのか?
実は適当に、その時手に当たったもの、なのだ。
一応最近のヘビーローテーションを挙げると…
こんな感じ。
一番奥のはかなりマイナーだと思うが古楽器を
ショップスのマイク+ナグラのレコーダーで収録したシンプル録音盤。
STEPSのPARADOXは自分で買った覚えが無いのでかみさんのだろう。
で、一番手前がシェフィールドのLET IT GO/CLAIR MARLO。
live to Two-Trackということでやっぱりオーディオマニア向け?
…なのだが、三枚の中では一番人工臭がするのが、これ。
物凄く良いわけでも悪い訳でも無いのだが
一歩間違うと鋭さが際立って耳に痛い。
そうなる一歩手前での再生が出来るか?が個人的ポイント。
ただ、そう言った物は極めて個人的な遊びであり、
世の中にはちょっとでも厳しめな音がすると
途端に耳を閉じてしまう人だっているので
客人に聴かせるのは危険な盤な気がする。
4月23日
深い意味は全くなく、中学生の時に買ってもらったレコードを掛けてみた。
本当に深い意味は無くて、敢えて言えばご無沙汰なので盤質確認、みたいな気持ちだった。
ところが再生してみてびっくり。
なんとも酷い音だ。
しかし冷静に聴いているとある種の懐かしさがこみあげて来た。
なぜって、中学生〜高校生の頃自室で聴いていた音って、確かにこんな感じだった。
時空を超えて昔の音を再現出来た?実に。実にシスコン臭い音がするのである。
ある意味凄いことかもしれない。
ただ、観点を換えるとこれは困る。
なにって、40年進歩無しという事になるからだ。
まあ確かに、このレコードの音自体がそんな感じと言っても良いのだが
しかし、しかし…
ちなみにプレーヤーはTL-P1でAT-100ボディ+AT-130E針。
悪いとは思わないのだが、あまりに納得いかなかったのでGT-2000+WE407/23+Z1Eを
持ち出してみた。
すると、これは随分グレードが上がる。
良かった、40年無駄にしていなくて…という感じ。
でも、納得がいかないのはTL-P1の方であそこまでクオリティダウンすること。
理由がわからない。
気にしない事にしようかと思ったが癪に障るので一応カートリッジ交換。
M44という手もあったがMCはどうかと思ってAT-F3。
良いは良いが大人しい感じ。
ええい!という事でAT-33E。
なるほど、このカートリッジがベストセラーになった訳がちょっとわかった。
まあ、今日の所はこの辺で勘弁してやろう。
4月24日
我ながら短気なのか気が長いのか、よくわからない。
CDの音圧は何故あんなに高目なんだ、なんて事を書いたのが
数日前だったと思う。
だがしかし、その後、突然音がふぬけになった?
どうした?SB-7000?
しばらく我慢したが辛抱タマラン。
いくつか手はあるが、たまにはガラッと変えるべし、と思い
NR-365を出してみた。となるとお相手はDV-800AVしかない?
しかし、これも肩透かしを食らわされている。
まあ暫く通電代わりに鳴らそうではないか。
ディスクは適当に入れ替えて…とやっていたら
何故かTULIPのベストに?
素晴らしい才能を感じさせてくれる。
音質なんてどーでもよくなる。
4月25日
足掛け三日位、NR-365+DV-800AVと向き合ったがどうにも我慢ならず
元の状態に戻した。
この場合は圧倒的な違いとなっている。
誤解の無いよう言っておくがNR-365+DV-800AVでG7なんかは見事に鳴る。
ほぼ同時代を生きたSB-7000とG7だが、アンプに求めるものは全然異なるということだ。
そんな事は当たり前だ。
どっちも簡単ではないスピーカーだがSB-7000の方が難易度が高いかもしれない。
とか何とか書いているが、本当はどちらかに全力投球するのが筋だろう。
オーディオとはスピーカーを鳴らすこと。
もっと真摯な姿勢で臨まないといけない?
どうも、そういう真剣さに欠けている僕なのであった。
4月26日
CD一気買い!
…って一枚30円なら、そりゃ買うわな…
4月27日
よく、スピーカーを再生タイプと楽器タイプなんて
分けて言う事があるが、僕の感覚では
スピーカーというのはどれも楽器的だ。
スピーカーという楽器を、どう鳴らすか?
ここにアンプという物が深くかかわって来る。
厄介なのは、スピーカーと言うのが、これまた変化する物であるということ。
永遠に…とは言わないがある程度の期間は変化し続ける。
その辺がややっこしい。
…という能書きはさて置いて、アンプ交換。
SB-7000も、約半年でちょっとづつ変わってきているというのと
この際変わるならもっと変わって見せて欲しいという思いでチェンジ。
まず、プリをSA3に。
血気盛んな、このプリの力を借りようと思った。
寝起きの音で多くを語ってはいけないが
ちょっとチャラチャラする。
なので併せてメインアンプも交換。
何か月かぶりにM-22。
これで調和がとれるかと…
取りあえずの狙いは当たって、大分活性化した。
ただし、荒い感じはある。
これを弄って納得のいくところにたどり着けるか?
正直難しい気もするが色々なアンプで鳴らす事は
スピーカーにプラスになると信じているので様子を見よう。
4月28日
たまには球の差し替えなんてしてみたりして…
しかしSA3なんてのも実に悩ましいアンプで
色々弄ると音も更に変わりそうだ。
ただ、さすがに手を入れる気にならない。
壊れてもいないのに…と思うのだ。