1月3日
謹んで新年のお祝いを申し上げます。
古い物ばかり相手にしていても…と思った訳では全然無いのだが
デノンPMA-390REを引っ張り出してみた。
よっしーの部屋にあるまじき?現行商品。
オープン価格ではなく、ちゃんと52.000円の希望小売価格が付けられているのも
珍しいが、実勢価格は半額近いというのもまた凄い。
世評は高い一台だ。
なるほど、と思う反面、個人的にはいまいちと感じていた。
しかし考えてみるとライン入力ばかり聴いていてフォノは未聴だった。
リアパネルを見てみるとショートピンも刺さった状態で、前オーナーも
絶対にフォノは使っていなかった。
このままだとフォノは使われずじまいになってしまう。
そこで、と試してみる気になった。
いや、ここの所A-200Xのフォノテストばかりやっていて、
それは良いのだが心安らかにレコードを聴いてみたくなったのもある。
ところが、これが良い。
少なくとも僕にはCDを聴くより良いと感じられる。
ちなみにMMのみ対応なのだがカートリッジはAT-30E。
これがMCとしては比較的出力が高いのでMM入力でも使える。
大変ありがたい一本だ。
ちなみに新年という事で針も昨年koyamaさんに見つけてもらった
新品に差し替えた。
その威力もあるのか?とにかく新品の音がする。
またいい加減な事書きやがって、と言われそうだが
年がら年中旧製品ばかり相手にしていると、かえって敏感になるもんです。
ダイレクトメカニカルグラウンドコンストラクションの考え方で不要振動を極力排除。
アドバンスドHCシングルプッシュプル回路採用。
入力のカップリングコンデンサーを排除して、かつパワーアンプの入力段には
デュアルFET(選別品)を使い、ショットキーバリアダイオードを電源部には採用。
この辺は時代であろう。
更にSLDCという考え方でフォノ、プリ、パワーなど
入り乱れる信号を巧みなレイアウトにより極力干渉しないようにしている。
これはフォノの良さに、もしかすると貢献しているのかもしれない。
フォノについてはMMに限定しているのが絶対正解。
とにかく微小信号を扱う部分に要らぬ物を増やしてもろくなことにならない。
MCを使いたければ今どきステップアップするための機材は
案外安価に手に入るのでそれを使えばよい。
ソースダイレクトスイッチはフォノにも効くのだが、ダイレクトにすると
少しゲインが下がり、良い悪いというよりも音が変わる。
ダイレクトにしない音が案外良いというのが僕の感想。
1月4日
「やったぞ。親父。俺はやったぞ」
…久しぶりにこのセリフを使う。
そう、やったのである。
何を?
もちろん大したことで無い事は従来よりこのページを覗いてくださっている方には
スルッとマルっとお見通しのことであろう。
その通りだ。報告するのも馬鹿らしい。
しかし私としては声を大にして報告したい。
そう、A-200Xのフォノ切り替えスイッチの問題を、遂に、遂に解決したのである。
終えてみれば何のこと。
結局あの、パーツ名は不明だが、金属製折り紙の様な、
接点その物を形成するパーツの接触が芳しくなかったのだ。
わかりやすく言うと(わかりやすく言うのは絶対に無理なのだが)
パーツがガバガバだったのである。緩かったのだ。
四つあるパーツの内の二つが、従前よりも規定よりもゆるゆるだった。
これが間違いの元であった。
アルプス電気に文句の一つも言いたいところだ。
これは絶対に製造工程の段階からこうだった。
まあ良い、アルプスに言えばきっと下請けのせいにする。
いや、お客さん、31年前の部品の事は時効で…
と仰るに違いない。
…は、冗談だが、このアンプ、本当に新品の時は大丈夫だったのだろうか?
非常に心配になった。
お陰で僕は、この基板上のスイッチを、少なく見積もっても20回は脱着、
分解、清掃、点検、再装着を繰り返したぞ。
一発で見抜け?
いや、自分のミスでおかしくしたのなら疑うが、
当初からゆるゆるだったのだから、こりゃそういう物だと思っても間違いではない。
更に言うと、この金属製折り紙みたいな部品は、アンプを弄っている時
最も触れたくない部品の一つだ。
腫物を扱うように接するのが当たり前であって、
普通なら絶対手を下さない。
しかし、いよいよとなればやむを得ない。
僕は折り紙君の、そのカーブを、ピンセットで修正したのだ。
言っておくが顕微鏡なんて持っていない。
そして、遂に。遂に問題解決。
MMもMCも正常に出力して、フロントの切り替えスイッチでスムーズに
チェンジも出来るのだ。
私は嬉しい。
クリスマスからこの方の人生を捧げた(嘘)甲斐があった。
おみくじで大吉を引いたよりも遥かにうれしい。
これで今年一年は大丈夫だ、と確信した。
そんな訳で?この二週間、苦労を共にしてくれた道具達をアップ。
半田吸い取り線は丸々一つを使い切った。大変な散財である。
ああ、しかし自分でなんとか出来たアンプから良い音が聴こえて来るこの快感。
こればかりは経験しないとわからない。
1月5日
A-200Xのその後だが、フォノ(及びセレクター)基板上の小出力トランジスター(A970)と幾つかの電解コンデンサーを交換した。
どうもMCでハム音的な物を拾うのが気になった。
パーツ交換で改善されたので由としたい。ただ、まだ完全に終わったわけでは無いが。
音はやはり変わる物で、今までは聞き取りづらかった音が良く聞こえる傾向になる。
もっとも、これはパーツ交換直後で音が固い証拠でもある。しばらくランニングさせてみて又判断したい。
CDの音も良い。
良い、とは随分抽象的な言い方だが、そもそも音とは抽象的なものだ。
やはりPMA-390REには差を付ける。
仕方ない。5万円対8万円で、約3万円の違いはここでは大きい。
398のアンプで頑張っていたが友達の所で798のアンプを聴いてびっくり。
その後アルバイトに精を出すようになった、なんて話が30年前はあったのじゃないか?
この辺の価格帯の違いはわかり易くて良い。
13万、18万、25万、50万、100万となっていくと段々わからなくなってくる。
バイクと同じじゃん、と改めて思う。
原付と400の違いは非常にわかり易い。
400と750も違いはあるが、原付対400ほどの差は無い。
750対リッターバイク…となると更に違いはわかりにくく。
そんな感じじゃないかな?
大排気量車には大排気量車の良さがあって、それは間違いない。
ただ、面白いのは高級車というのが得てして大排気量車なのは何故だ?
ま、500万円の軽自動車を出しても売れないだろうが。
1月8日
しかし寒い。
冬だから寒いのだが、それにしても寒い。
ちょうど成人式のあたり、どうしてだか寒さが厳しくなり、そして晴天ではなくなることが最近多い気がするが
どうだろう?
これだけ寒いとオーディオも本調子は出ない。
アナログだけの問題じゃなく、なんだって適温という物がある。
更に言うとこの馬鹿はストーブをつけたがらない。
ファンヒーターもエアコンも騒音元だ。かろうじて足元で電気ストーブをつけてしのんでいる。
アホだが仕方ない。
更に馬鹿だからアンプを弄っていたりする。
面倒だから床の上に置いて半田を握る。
この床がまた冷たい。
知った事か?はい、いい加減にします。
A-200Xだが乗りかかった舟だからフォノ関係の電解コンデンサーも一通り取り換えておいた。
電解コンデンサーそのものよりも、足元の接着剤が周辺に及ぼす悪さが気になった。
この接着剤も色々で、同じヤマハのAX-700Vに使われていた物は性質が悪かった。
A-200Xのは案外悪くなかった。お陰で剥がすのも割と楽。そして心配された抵抗やジャンパー線の腐食も無かった。
電解コンデンサーを目の敵にする趣味は無いが、経年変化が出やすいパーツだから交換して罰は当たるまい。
で、例によってあれこれ掛けて、ああでもない、こうでもないとやっていたのだが数時間経過してはたと思った。
このアンプ、あるいはぽんせんべいよりもG7の方が合っているのでは?と
予想は的中。ぽんせんべいでも悪くはないが、大勢を見てG7の方が合う。
一言でいうと(一言でいうのは危険なのだが)A-200Xは繊細微妙というよりも大づかみでパワフル。
いう事を訊かせるタイプだ。
そしてG7はぐいぐい引っ張ってやらないといけないタイプ。
よって両者は合うのである。
それにしてもミニコンサイズの、このアンプが良く鳴らす。これはなかなか面白い。
同世代のA-750aの両脇をカットしてしまったようなルックス。
それなのに不細工になる一歩手前でちゃんととどまっているのが、さすがヤマハと言いたい。
半田が、コンデンサーがという実に細かい部分も大切なのだが、やはり何よりアンプとスピーカーが
合うのか合わないのかは大事と痛感。
特定の装置とだけ組み合わせて、これは良いとかイマイチだとか言ってもどうにもならない。
だから人材の流動性を高める努力は本当に大事なのだ。
リッチネススイッチも面白い。
ぽんせんべいだと小音量でもこれを入れると低音が過剰で気持ちが悪くなりそうだが
G7の小音量再生には適度なスパイスとなる。
とにかくオーディオも経済と一緒でマクロ、ミクロ両サイドから攻めないとならない。
…随分まともな事を書いてしまった。ま、新春特別企画ということでお許しを。
1月9日
A-200Xの元の持ち主さんにA-200X蘇生記をお伝えしたら喜んでおられた。
僕ももちろん嬉しい。
やはりアナログは一度もこのアンプでは聴いていなかったようだ。
(端子のサビ具合で大抵想像はついていたが)
なぜあのサイズを選んだのかは不明だそうだ。
無理もない。30年も前の事を覚えていない。
A、B二組スピーカーを繋げるので、二組繋いで鳴らしていたこともあると訊いて一瞬、
”スピーカーマトリックス?”と思ったが多分違う。
で、A-200Xはバランスアンプじゃないんだからマトリックスしてみよう♪
と思い立ちスタート。
うん、案の定良い感じだ。
もっとも、マトリックスをやって効果の出ないアンプというのは無い。
差はあるだろうがあまり深く考えないことだと僕は思う。
1月10日
つくづくインターネットというのは面白いと思う。
人さまの生活を覗き見…ではない。垣間見ることが出来る。
過去に大変な金額を投じて。雑誌の記事を参考に。
好きな評論家のいう事を信じて機器を買って、
でも、なかなかうまくは鳴らなかったなんて話は大変面白い。
馬鹿にして言っているのではない。
うん、うん、と頷けて共感できるのだ。
雑誌や評論家が嘘八百を書いているなんてことは無い。
どこの世界もそんなに甘いもんじゃない。
もちろん、せっせと買って上手く鳴らせなかった人が悪いわけでもない。
なんというか、オーディオってそんなものだと思う。
どんな趣味も年季は必要。
若い頃に大金を注いでもうまく行かないこともあるのだ。
もっとも、ベテランが皆良い音を出している保証はないのだが
これも言い出すとキリがない。
まあそんなことはどうでもよろしいのだが、
頑張ったわりに良い音が出なかった、その原因が、あとから考えてみると
ソフトにあったのではないか?というのは割とよく聞く話。
”良い音がするレコードと、そうではないレコードがあることを知らない人が多い”
という事で長岡先生などは外盤A級セレクションを書かれた。
”数は少なくても良いから本当に良い音がするレコードを持つべきだ”
とされていたが、ごもっとも。
しかし、まあだからと言ってA級外盤みたいなのだけが良い音で鳴るというのも
守備範囲という風に考えるとちょっと極端だ。
僕も昔は、”うちの装置はソフトを選ぶ、フフフ…”なんてアホな事を思っていたが
極端はあまりよろしくないと気付いて路線を変更している。
幸いというか、超マイナーレーベルの物でなくても
ある程度以上の録音の物は見つかる。
それらがうまく鳴れば良いのだ、としているのが現状。
ただ、たまにだが”こ、これは酷い…”という録音の物が棚から出てきて驚くことがある。
実は今日立て続けに二発それを食らってしまったのでこれを書いている。
どのソフト、とは書かないが、それはそのアーティスト自体は嫌いじゃないからだ。
アーティストはオーディオマニアみたいなのばかりを相手に録音していないのだから
当然だ。
それにしてもソフトと装置の問題は大きい。
どのソフトをどう鳴らしたいかがはっきり決まらないで
装置の選びようが無いというのは正論だ。
ある意味アンプとスピーカーの相性問題以上に
このことは問題なのだろう。
この話はまた別の機会にも続きを書きたいが
取りあえずの事を言うと、ある程度のソフトをある程度の音量で
ある程度それらしく鳴らすということで
今宵もA-200X+G7で大変幸せに過ごせているよっしーであった。
1月13日
寒い。あまりに寒い。
北国の人には笑われるかもしれないが、十分寒いのだ。
でも、明日、明後日、天気よ、持ちこたえよう。
受験の日に雪は無しにしよう。雨もなるべく避けよう。
ところでG7がA-200Xで、実によく鳴る。
嘘でしょ?っていうくらいよく鳴るのだ。
ご機嫌のままずっと過ごしていれば良いのだが
そこはマニア(馬鹿)。
こりゃプリメイン祭りだ、とAU-D707Xを持ち出してみたら
これが案外大した事にならない(笑)
707Xが本調子ではないのかとの疑念もあるが
しかし少し前はぽんせべいで圧倒的なパフォーマンスを示してくれた。
やっぱりアンプとスピーカーのお見合いは重要ポイントか。
ちょっとばかり悩むよっしーであった。
1月14日
さて、こうなるとアンプをA-200Xに戻してG7を鳴らすか、
あるいは707Xをそのままでぽんせんべいを出してくるか
ということになる。
今回はアンプを707Xのままにしてぽんせべいにスピーカーを変えることにした。
さすがによく鳴る。ちょっと安心した。
さて、オーディオをやるに当たり大切にするものは人によって違う。
それでよろしい。
ある人はセッティングだという。スピーカーの位置を大きく、
ある時はコンマmm単位で動かすのが大事という。
ある人はルームチューンだという。なるほど。
ある人はケーブルにこだわる。
インターコネクトケーブルも、だし、電源は特に大事ともいう。
ある人は機器の足にこだわる。あるいは上に載せる事にこだわる。
スピーカーは足元が大事。なるほど。
…数えきれず出て来る。
それらは多分全部本当だ。
あまり嘘を言う人がいないのがこの世界の特徴だ。
しかし、みんながみんな真実を述べているからややこしくなるという
側面もあるのだろう。
10日の日記で、あれこれ機器を買い、
使いこなしか、エージングかと悩みに悩むがなかなか思い通りの音が出なかった
事例を取り上げた。
多分どこにもある話だ。
俗にいうオーディオ迷い道だ。
よっしー的感想を繰り返すと、ひとつはやはりアンプとスピーカーの
取り合わせは大きい気がする。
高価な物同士を組み合わせても、鳴らない時は鳴らない。
ここで躓くと長い迷い道が待つ気がするがどうだろう?違うのかな?
ま、この話はまた。
取りあえず寒い。
かといって電気ストーブ以外の暖房は騒音源ということで使いたがらないから酷い。
オーディオも本調子が出にくい。
アナログだけの問題じゃなくて、ディスクプレーヤーもアンプも
ひとまずの音が出るまで時間が掛かる。
加熱しなくて良いのだろうが…
1月15日
寒いが天気は良い。
受験生には幸いだったと思う。
それにしても成人式が15日でないと、どうもピンと来ないのは私だけ?
さて、プリメイン祭りは延期にしてセパレートアンプに。
メインアンプはHMA-9500のままなのだがプリにSA3を起用。
プリメインのA-200XがG7を元気に鳴らしてくれたので
それを上回る路線で、と思ったのが一つ。
もう一つは保守の意味合い。
寝かせすぎるとよろしくない。
それにしても壊れることも無く良く働いている。
実はこの、センターのLEDが緑にならない(スイッチオン時は赤。温まると緑になる)
という症状が出ていた時期があった。
使用には問題なかったのだが嫌な気分。
それがある時自然治癒してしまった?
意味不明だが正常になっているので、文句はない。
さて、ちょっと前から計画していたことを実行。
なにかというとSA3のREC OUTから自作ボリュームボックスを経由してパワーアンプへ、という流れ。
耳にタコだろうがSA3はゲインが高い。
それが売りのアンプだから良いのだが、深夜ひっそり、という時など困ってしまう。
これに対処するには球の交換とかボリュームの交換とか色々あるのだが
あまりやりたくないのでプリ→メイン間に減衰器を入れたりして頑張ったこともあった。
今回は自作ボリュームを使ってみようということで、やってみた。
結論を言うと、これは正解。
自作ボリュームは、音はどうか知らないが細かく設定が出来て
扱い易い。
SA3のボリュームを、ハラハラしながら触るのとはエライ違いだ。
ただ、やっておいて何だが、このやり方も好きかというとそうではない。
プリはプリで使いたいものだ。
そうなると使い勝手からボリューム交換をすることになろうか。
もうひとつ。丈夫なSA3ではあるが各種接点のクリーンナップは必要と感じた。
やれやれ、またお手入れかいな、と呟く。
トータルでの音は、さすがにA-200Xに差を付けるが
気楽に楽しむならA-200Xで十分行けるともいえる。
1月16日
そうか…
しかしそう考えると、今僕が鎮座?しているこの土地の昔って
どんな感じのどんなところだったんだろう?
僕が知っているのはたかだか50年くらいの事だものなー。
たまにはそんな研究でもしてみるかね。
タイムスリップ的なもの、結構好きなのだと気付いた僕。
1月17日
阪神淡路の日。
その数年前我が家に激震の何回目かが走った日。
時間と共に癒えるものと、そうでないものがある。
出だしだけは高尚に振ったが、性懲りもなくある日のよっしーの部屋の風景。
プリが、という前にどうも左右で音の出方が揃わない事に気付いた。
プリを換え、メインも換え、プレーヤーまで換えたが???という感じ。
プリを廃してCDプレーヤー→ボリュームボックス→メインアンプ
という結線にしてみたが、今一つ。
ケーブルも取り換えて踊り子さん総入れ替え。
それでも変だったがやけになってボリュームを上げたら改善?
念のためだがパワーアンプのリレーとか、そういう問題じゃない。
G7はやっぱりご高齢だから何か問題を抱えているのか?
よくわからない。ただ、一応の解決は見ている。
さて…
1月19日
そりゃ楽しいといえば楽しいけれど、面倒といえば面倒でして…
いや、どうしても右と左で音が違う。
G7のネットワークか、ユニットそのものかと悩んだが
ちこちこ弄っている内にHMA-9500MK2の入力端子にほんの軽微な接触不良らしきものを見つけた。
まあ仕方ないというか、齢40年に近い。そりゃあちこち手入れもいるだろう。
9500MK1もリレー清掃した方がよさそうな気が…
何しろ古い物たちと生活していると
疑念でいっぱいになってくる。
それが嫌だという人には本当に古いオーディオなんてお勧めしかねる。
1月20日
右と左が変だという問題。
(考えてみるとスッゲー低レベルな話題だな)
これで解決と思ったらまだ何か…
で、また精査してみると、ピンケーブルの接触が…?
おいおい、そりゃねーだろう、って感じで、HMA-9500MK2の入力基板を
ご丁寧に半田しなおしたりした俺の苦労はどうなる?
しかし凄い確率だと思う。
これだけ複数のプリだのボリュームボックスだの、複数のメインアンプだとか
組み合わせて、途中でケーブルもご丁寧に取り換えて
こういう目に遭うとは…
今年は宝くじを買った方が良い。
いや、ロトか。
すごい当たり年に間違いない。
お陰で他にもメンテが進んだ機器が出てきて、これは副産物?
詳しくはまた。
話しは変わり久々のステレオ誌。
友達の活躍を見るのは本当にうれしい。
そして個人的にはDL-103歴代モデル聞き比べが気になった。
103は僕も随分拝聴した。
その時の記憶と照らし合わせながら読むと面白さも一層なのだ。
1月21日
低レベルなお話し…
であってもメンテのきっかけになるのは本当だ。
お陰でボリュームボックスの接点も掃除したし(しかしでっかくて頼もしい接点だ)
かねて懸案だったSY-88のボリュームの清掃も出来た。
(テスト中の画像なので積み重ねご容赦)
SY-88のボリュームは深刻な事態だったら嫌だな、と思って手を出さなかったのだが
最近のマイブームである、無水エタノールを注射器で点滴で、なんと解決。
存在すると俄かには思えない隙間から浸透させるだけ。
超正攻法はボリューム分解清掃なのだが、危険も伴う。
点滴だけだと、SYなんか10分と掛からない。
断然こちらの方が有利だ。
しつこくて申し訳ないが、たまたまの流れだからごめんなさい。
とにかく接点の問題は大きい。
世界の名器だろうがなんだろうが、接点の問題はある。
もちろん、真の高級機であれば接点にも金は掛かっている。
スイッチ然り、リレー然り。半田も一つの接点と考えると同様だ。
ピンプラグの端子なんかも本当に高価な物は接触も優れている。
ただ、こうした部分は当然ながら評価されにくい。
今みたいに、数多くのユーザーが分解したりして、さらに経験を重ねて
色々見えて来るものがあるのだ。
すなわち音が良いかどうかは知らない。それは又ちょっと違う問題だ。
しかし、接点がちゃんとしていてマイナスな事は無いと考えるのが当たり前。
取りあえず目の前に見えるPRA-2000、SY-88、HMA-9500などは
当時の価格なんか考えたら非常にまじめに作られていて
素晴らしいの一言だ。
ただ、当然コストの壁はあるし、今となると経年変化(老い)の問題も抱える。
半田は問題を感じればやり直せば良い(SYの銅箔を相手にしたくはないが)。
リレーは交換、もしくは清掃で凌ぐ。
ややこしいのがスイッチ類なのだが、あるいはユーザーの責任において
自身がお世話になる事のほぼ無い機構については飛ばしてしまう手もある。
理屈で考えても、すっ飛ばしてしまう方が音にも良い面もあるだろう。
プロの修理でも本当にスイッチ類がやばい状態の物については
その部分を諦めて(ユーザーの了解を得たうえで)、上記のようなことをするケースもある。
これは実に賢明な申し出なので、ユーザーも純血主義に陥らず
受け入れることをお勧めする。
劣化していると想像出来ても、元から付いているトランジスターや
コンデンサーに拘るというのは趣味としてあり得るが
劣化した接点を後生大事にしても、どうにもならない。
アライグマになる必要はないが、やはり接点には相当注意を払う方が良い。
床よりも、インシュレーターよりも、電源よりも、接点の見直しが大事かも?
オーバーにいうとそんな事にもなると思える今日この頃だ。
ケーブルも接点にかかわる。
上の写真の赤白ケーブルは今回テスト用に、最終的に使ったもの。
これがベスト、リファレンスだとする人もいる。
その辺は個々人の自由裁量の問題だ。
音と別に、僕が本当に好きなケーブルはこういうタイプだ。
ケーブル自体が弱弱しく、機器の接点に負担を掛ける心配が少ない。
プラグの部分もモールドで密閉されていて、ちゃんとしているか
あるいは断線状態かがわかり易い。
それと比べると高級プラグに半田付けなんてのは、案外不確定要素が残る。
付属ケーブルの信頼性は高いわけで、そうでなければメーカーが機器に添付しない。
しかし、今回のケースでは(上の写真のケーブルではないが)
そんなケーブルでも半殺しみたいな接触不良状態になっていた物もあったので
過信してはいけないのだ。
というか思い知らされたのだった。
接点は本当に悩ましい。
そして凡人は悩まないと進歩しない。
1月22日
シリーズ、ためにならないお話し。
このページを見るような人は大丈夫だと(わかっていると)思うが
ブラウン管には手を出してはいけない。
何万ボルトが掛かっていて、直接手を触れなくてもそれが飛んでくる危険性がある。
さて、ブラウン管ディスプレイ。
電源を入れてみたら映らない。
電源は入るが眩し光が横一条にディスプレイ中央に光るという状態。
これを通称横一というらしい。
調べてみると、基板のある部分を再半田してみると直ることが多いとか。
それでやってみた。
(万一に備えて火入れの時は屋外で、そばに水の入ったバケツを置いて)
結果はご覧の通り。
直った。
しつこいが皆さんはこんなバカなことをやってはいけない。
(言われなくてもやらない?)
馬鹿なことをやってみた理由は三つあるがそのうちの二つは…
1、半田の練習。
何事も読むのとやるのは大変な違い。
無鉛半田とは。共晶半田とは。
素人はどちらを選ぶべきか。
ペーストとは。酸化被膜とは。
鏝の温度とは…。
やってみないと本当の事は実感できない。
直すというより半田の勉強としてやった。
2、ブラウン管ディスプレイの修理を一度はやってみたかった。
子供のころから何台かテレビは我が家に来た。
昔々の家電は今よりは壊れた。
映らないテレビを前に顔を曇らせる母親の様子を今でも鮮明に覚えている。
”男としてこういう事を解決できないのは嫌だな”と未就学児の頃だったか、思った。
その後もいくつかのテレビを看取って?来たが、適当な電気屋さんはすぐに
”ブラウン管が駄目です”で終わらせてしまう((笑)
今はネットでどんどんわかってしまうのだが、ブラウン管自体が駄目になるなんて事は
なかなか無い。
当時にタイムスリップ出来れば、半田ごてで何とかしてあげられるのに、という思いだ。
だから今回やってみた。
昔々よっしー家のテレビが置かれていた場所は、ちょうど今G7の左スピーカーが
置かれている所の左側だ。
SYやPRAが鎮座するあたりで、母が顔を曇らせていたのだった。
ほら、直ったよ♪
こう言って上げられたら良かったな。
そんな気持ちで、晴れた空を見上げたら、雲のあたりで母とルーがこちらを見ている気がした。
もちろん、こう語り合っている。
”馬鹿は死ななきゃ治らないわね…”
”ワン!(同意)”
1月23日
80インチ、100インチを日常的に相手にしている人にはどうってことは無いが
52インチは十分でかい。
このテレビ、二階の寝室的和室に置かれている。
あまりの寒さに暖を求めてその部屋へ。
この季節はそんなパターンが多いが、昨年までは19インチのテレビが置いてあるだけだった。
今はやっぱり楽しさが違う。
用事があって階下に降りて42インチをちらっと観ると非常に小さく感じる。
人間なんて勝手なものだ。
しかし昔だと下手に大きい画面は解像度の点で問題があって
特にテレビは20インチモニターで見るのがベストみたいに言われたのが嘘のようだ。
テレビドラマであっても、しっかり作りこまれた画は、その良さが伝わってくる。
やはり画面は大きい方が良いのか。
ま、正論だ。
一方で小画面の面白さもあるのだが、それについては映像の方の専門家に任せよう。
1月24日
寒い。しかし空気は澄み、本当に美しい空を見ることが出来るのも
この季節ならでは、なのだ。
ただ、本当に寒いというのもある。
ある時はテレビに逃げるのだが、今日はヘッドフォンに逃げてみた。
いや、イヤーウオーマーみたいな効果を狙ってなのだが…
ところがこれが音が変。
またかよ、と自分でも突っ込みたくなる。
呆れたことにアダプターSDR−5の電源を抜いても音が出ている。
というか電源を挿しても音が変わらない。
こりゃアカン。アダプターが機能していない。
そもそも100Vが来ているか?とテスターを当ててみると
見事に来ていない。
おいおい…
振り返ってみると大分前に、この基板中途半端に手を入れた。
その時芋半田をやってそのままにしていたに違いない。
やり直したら無事100Vが基板に来た。
音だが当初はやっぱり酷かった。
これは無理もないのだが、そこはヘッドフォン。
ガンガン信号ぶち込んで転がしておいたら大分改善。
ただ、これが本調子なのか不明。
イヤースピーカー本体を弄るというのは無理なので
アダプターだけでもメンテしよう。
一部電解コンデンサーのみ交換しているので
この際全部やろう。抵抗も新品に。
やっても数はたかがしれている。
そしてもう少し改善を…
なにやってんだかねー。
1月25日
ヘッドフォンには昔ずいぶんお世話になった。
大学の頃、ヘッドフォンの無い生活は考えられなかった。
極端な話し、うっかり忘れて外出してしまうと禁断症状みたいな物が出る感じだった。
これは今も若い人たちが同じようなもんじゃないかと思う。
今とは違い、出先で、では百均で…という手も使えないので死活問題だった。
断線しかけたヘッドフォンを直したのが、僕の半田初体験だったことも覚えている。
今思うと、よくあれで繋がったな、と思うのだが、為せば成る、何事も、であろう。
時は流れ、さっぱりヘッドフォンを使わない人間になってしまった。
…のだが、一昨年の入院以来、寝しなにYOUTUBEをスマホで観ながら(聴きながら?)
寝るという習慣がついてしまった。
この時耳には当然イヤフォンである。
話しは飛ぶが、そのせいかどうか、近年、奇妙な夢を見るようになってしまった。
これはきっと上の行為と関係があるに違いない。
しかし、それ以外では使わない。
別に否定しているわけでは無く、単に使わないのだ。
お陰で高級なヘッドフォン、あるいはイヤフォンを買おうという気にならないので
財布には良い。
ただ、周期的にヘッドフォン欲が出るのも確か。
しかし改めて買ってくるほどの熱は無い。
そうなると性懲りもなくSTAXのSR-3+SRD-5の話になってしまう。
年数が経っているから仕方ないのだが、自分のSTAXからは納得いく音を
まだ聴いた覚えがない。
何しろ嵌ったらスピーカーに戻れないという位のヘッドフォンだ。
これはSTAXのせいではなく、自分のせいだと心から思っている。
ただ、なにせ50年くらい前の製品だ。疑念も沸く。
SR-3本体を疑っても仕方ないし、下手に弄るのは危険。
そこでどうしてもSRD-5に矛先は向く。
本日一気に素子交換…と思ったがやめておいた。
深い理由はないのだが様子を見るのが先と思った。
幾つかの電解コンデンサーは以前交換してある。
まず、慣らし運転、ということで適当にソフトを再生しておく。
ずっと付き合っている必要はもちろん無い。
で、やっている内に、例によって音がわからなくなった。
良い音ってなんですか?特にヘッドフォン再生において?
結局ヘッドフォンであっても、自分は大音量再生を必要としないことが判明。
これは体力気力の低下があるのだろう。
ただ、難聴の事を考えると正解だ。
音場…はどうなるのか?
ヘッドフォン再生においての音場ってどうなる?
考え出すとキリがない。
せっかくヘッドフォンで聴くのだから、独自の世界を感じたい気もする。
すると何だ?
結局、高分解能であり、尚且つ繊細さ抜群で
更にワイドレンジであること。
…実にオーディオマニアらしい欲張りプランだ。
自分で書いていて呆れた。
しかし、そうあって欲しいではないか。
何故って、スピーカーが目の前にあるのに
敢えて不自由な姿勢に耐えて?ヘッドフォンで聴くのだから。
結局高望みをしたくなるのだ、ヘッドフォンに対しては。
で、SR-3+SRD-5や如何に?
鳴らしこみで音は向上。これは当たり前。しばらく寝ていたのだから。
ある程度納得したところで、SRD-5を開腹して、半田を全部やり直し。
それから酸化しているスピーカー端子への接続ケーブルの端をカットして
剥き直し。
以上も効果はあって、最終的には昨夜よりも大分音質向上だ。
だが、これで最善なのかはわからない。
特にSR-3+SRD-5という構成で使う場合
アンプも問題になるのではないか?
SRD-5はイヤースピーカー用のアンプではなく
スピーカー端子に接続してコンデンサースピーカーを使えるようにする
アダプターなのだ。
そうするとアンプのクオリティも大事?
当たり前だがプレーヤーも大事。
うーん、どこまでやれば納得の音になる?
当初はDCD-755RE+PMA-390REでスタートして、
これでは不足、と感じてDV-S10A+A-200Xまで到達。
差は出るようだが、これを更にグレードアップするとSR-3の音も良くなる?
本当だろうか?試してみないと…
しかし、なにやってんだか…
1月26日
とかなんとか言いながら、DV-S10AってことはDVDオーディオ掛かるな、
なんて思って、つい同一ソフトDVD-AとCD聞き比べなんて
あざとい事を考えてしまった僕。
結果、おお、両者の違いを、STAXはちゃんと描写してくれるじゃありませんか。
当たり前?そう言わないで。
単に違うというだけでなく、なるほど、CDの方はこんな風に味付けというか
一工夫して味付けしているかのような音になるのね。
DVD-Aはナチュラルというか、何も考えなくても大丈夫な金持ちみたいな
立ち位置でのお仕事だわ(←なぜかお姉言葉)、なんて事がわかるように
聴かせてくれるなんて、にくいじゃないですか。
ここで、待てよ、と思いピンケーブル交換。
DV-S10A→A-200Xを繋ぐケーブルを赤白の付属品から
僕的にはちょっと高い物にチェンジ。
すると予想以上に音が変わるのでびっくり。
とってもわかりやすい言い方をしてしまうと、一気に美音系になり
音が高級になる。
ここで二つの事を思う。
一つは、とはいう物のDVD-Aなどと比べると
CDの音は、やや頭がつぶれる傾向にあるのだな、ということ。
今更なに言ってんだと思うかもしれないが、オーディオに対してはよっしーは善人なので
日頃からわざわざそのフォーマットが行き届かない部分にフォーカスしようとは思わないわけだ。
そういう気持ちで接していると、良くも悪くもCDとハイレゾの違いなんて
わかりにくくなる。
それで良いと思っている人の装置からは、それで良い、と思っている音が出るのだ。
ところがSTAX君が本領を発揮すると、そうもいっていられないみたいだ。
もう一つは、装置の相関関係。
CDの音がつぶれるとすると(本当はこのようなわかり易す過ぎる言い方は危険。
ただ、このページを見てくれる人なら真意をわかってくれると思うのでこう書く)
それを、そうではないように再生する装置が必要ということ。
その辺は主にスピーカーであるとか、ケーブルとかが受け持つ範囲だと想像する。
しかしSTAX恐るべし。
どうやらこれまで良い音で鳴らないなどと思っていたのは
単に取り組みが中途半端だったからみたいだ。
しかも育て方を間違えると、驚異の検聴装置になってしまうご様子。
ま、スピーカーは人にやさしく、STAXは厳しく、という事にしても良いが。
何でも良いが、初日に全部だめだしをしたソフトが、すべて良い感じで鳴っている。
喜ぶべき…
なんでしょうね?
1月27日
よせば良いのに〜、と自分でも思うのだがついついムキになってしまう。
何故って、やっとSTAXがうまく鳴ったんだもの♪
このあとSACD対CDとかハイレゾ対決とか考えているのだが
(どうも怪獣物で育った世代なもので、つい対決物に走ってしまう)
機材の移動やらセッティングやら厄介なので、今はせいぜいDVD-A対CDにしておこうと思う。
それよりももっと素直に音楽を楽しもうじゃないか、と、
そう思ってディスクを掛けまくる。
こうして自分の好きな音楽とやらをひたすら聴いていると
なんとなく若い頃に戻ったような気持になる。
しかしそれはもちろん錯覚で、一旦歳を取ったら人間は元に戻らないのだ。
年寄りの冷や水とはよく言ったもので、高齢者は高齢者らしく過ごさないといけない。
若者の美しさは、もうないのである。
ああ、しかしヘッドフォンというのは制作側の意図などが
よくわかるところがあって、今も昔もそれは変わらず楽しいものだ。
SR-3は大分寛容なところもあるがソフトは選ぶ。
ある意味スピーカー以上に選ぶが、まあその辺は掛ける側のさじ加減で
多少はなんとかなる。
どうにもならないのは、やはり壮絶録音のソフト達だが、それはあきらめた方が良い。
無駄な努力は止めよ。君たちは完全に包囲されている。
今宵はアンプはそのままA-200Xで、プレーヤーだけ
DCD-755REに換えてみた。
凄く差が付いたら嫌だな、と思ったがそれは無かった。
一安心である。
1月28日
ヘッドフォンオーディオというのも魔物が棲んでいるというかなんというか。
何しろ夜中でもなんでも試聴を続けることが出来るので
ある意味エンドレスの世界だ。
だから使用時間には気を付けている。
音量も控えめ。
難聴にでもなると大変困るのだ。これは年齢に関係ない話だが
若い頃でもやばいのだから今となると尚更だ。
さてしかし、SACDとCDの違いなんてのをちゃんと描くのか?
DVD-Aとの差は出たがSACDではいかが?
ここでSONY SCD-XA1200ES登板。
ところが初日、音が冴えない。
なんとも耳障りで安っぽい音がする。
実はこれは僕に責任がある。
設置から電源の取り方までいい加減の極み。
…といってもDV-A10Aなんかは同じ境遇でもあまり影響を受ける気配がない。
ところがSCD-XA1200ESは顕著なのだ。
実はこの傾向は以前から感じていて、1200はお姫さまみたいな感じか。
このプレーヤー。中身はともかく、それをカバーする部分がいかにも
お金が回っていない。
そんなこんなの為か知らんが、取り扱い要注意の貼り紙をしたくなる。
今日は真面目に設置。
といっても諸般の都合で床にタオックのボードを敷いてその上に載せたのだが。
そして電源もまじめに引く。
これで音はエライ変わりようだ。
実にマニア向けの一台?
さて…
1月29日
SCD-XA1200ES。中を見てみたくなった。
こ、これは…という位スカスカだ。
ちょっと驚く。
何でもパーツがぎっしり。目方でドンが良いとは思わないが
これはちょっと感動的な内臓だ。
逆に言うと、これで音は出るのだ。当たり前だが。
さて、どれくらい料理出来るか?
あるいは討ち死にか?
1月30日
早いもので1月も終わりそうだ。
一か月振り返ると、例によって支離滅裂というか
行き当たりばったり。適当の極みという感じ。
さてしかしオーディオという沼は深い。
いや、しかし大したこと無い気もする。
昔々、オーディオは買い替えるものだった。
グレードアップである。
より良い機械に買い替える。それがオーディオだ。
そんな時代があった。
それが1970年代後半になると、使いこなしという言葉が市民権を持つ。
買い替える前に色々やることがあるでしょう、という
ありがたい?ご進言だ。
それは良いが、これが沼を深くする。
置き方、角度、ケーブル、電源、セッティング。
どこかで仕入れた知識で、
”そうか、俺の装置が今一つなのは、スピーカーの置き方にガタがあるからなのかも…”
なんて思ってガタをとり始める。
間違いじゃないが、例えばブックシェルフをスタンドに載せてなんてのは
端(はな)っからガタガタグラグラになる要素てんこ盛りなのだ。
これだけだって根が深い。
”そうか、俺に装置が今一つなのは、ピンケーブルが合っていないからなのか…”
なんて思って色々買って試してがっかりしたり喜んだり。
一般にオーディオマニアは真面目で大人しい。
”てめえ馬鹿野郎、音が悪いじゃないか。どうしてくれる!?”
と販売店にねじ込む人はあまり居ない(いる?)。
”悪いのは機材じゃない。自分が悪いんだ…”と自己批判から入ってしまう。
ある意味大変扱い易い人種で、金を毟ろうと思えば幾らでも払いそうだ。
お金だけでなく労力という点でも惜しみ無く出してくれる。それがマニアだ。
よいカモである。しかも誰もカモにしようとしていなかったりする。
セルフ・カモだ。
…なんて久々に自虐ネタ。
疲れている証拠と思っていただきたい。
ああ、しかし疲れた…