9月3日
性懲りも無くマトリックススピーカーというのは
よっぽどネタに困ったか?
オマエは時々思い出した様にこのネタを振るな、と
記憶力のある方は思うかもしれない。
だが、スミマセン。ネタに詰った訳でもなんでもない。
ただマトリックススピーカーに関しては
やり残している事が幾つかあるのだ。
今回のは長岡先生のMX-15のデッドコピー。
オリジナルはFE-87×3でテレビ用マトリックススピーカーだ。
さて、どうしてマトリックススピーカー?
これは簡単に言うとフロントスピーカーだけでのサラウンドを
どうにか果たしたいから。
これまで幾度となく挑戦して、常に後一歩満足がいかなかった。
昨年は念願の四本マトリックスを実現。
過去にも四本はやったが、六角形のダブルバスレフは
初だった。
その時思った事が幾つかあったのだが
その一つは四本マトリックス三本マトリックスそれぞれに
良さがあるという当たり前のこと。
それまで三本マトリックスは四本に比べて落ちると
勝手に決めていたが、三本には三本の良さがあることを
四本を実現して良く理解した。
例えばややっこしい事を言わないでも豊かな低音を得られるという
点も三本マトリックスの利点だ。
そんなこんなで次にまた作るとしたら三本と決めていたので三本マトリックス。
ユニットは秋月で買った8pフルレンジ。一本250円。
で、理屈は良いから音はどうだった?というと
これがどうにも効果今一つ。
ユニットが、キャビネットが、というのはあるが、
それ以前の所に問題を感じた。
マトリックスというのは突っ込みどころが多いスピーカーで
ユニットの向き不向きもあるしアンプが、ソースが
はたまたリスナーの習熟度がと、飲み屋のするめいかの如く、
あるいは疑念の総合商社の如くである。
だからいつまでも解決がつかないのだが、
僕としてはそろそろ終止符を打ちたいところ。
どんなユニットでも、キャビネットでも、アンプでも
ソースでもリスナーでも、ある程度広がりを感じられるスピーカーで
あってほしい。そんな物を実現したい。
そんなこんなで今回の工作。
だが…
9月4日
取りあえずややこしい事はこの際抜きにしてサラウンドして欲しいのだ。
ドルサラの音声なら文句あるまいと考えてDVDをソースに使うが
やっぱりイマイチ。
もうそれは想定内。
打つ手は考えてある。
フロント三本のマトリックス。
更に後方に向けて差信号をばらまくスピーカーを増設。
最初からそうするつもりだったのだ。
前は三本マトリックスの結線で
リア拡散用はいわゆるスピーカーマトリックスのリアスピーカーの結線。
一種の音場スピーカー的要素を持たせてみた。
実はこの発想、昨年四本マトリックスを作った時からあった。
あの時の四本マトリックスは、初め平面バッフルを90度で繋ぎ合わせた様な
ふざけた仕様だったが、これが案外音場という点では悪く無かった。
それを真面目なキャビネットに入れたら、その面白みは減退。
この時、和信号用ユニットはきちんとしたキャビネットに入れるにしても
差信号用ユニットの背面は開けて置いた方が良いのかも?
と考えた。
ただ、その後そちらの実験はやらず仕舞い。
そこで今回は後方解放はしない代わりに
リアに差信号をばらまくユニットを取りつけてみたのだ。
これで音はどうだ?
さすがに良く広がる。映画を見ていても問題ないし、
普通の音楽CDでも効果は出る。
…ということで実験は終わり、このスピーカー既に解体済みである。
モッタイナイ?
いや、幾らなんでもこんだけ不細工な物が室内にあるのは
耐えがたい。
それと、残念ながら音量を上げるとアンプ、デノンPMA-390REの保護回路が
働いてしまう。
アンプによるだろうが、この結線だとトータルインピーダンスは相当下がる。
ちょっと頂けない傾向だ。
この次の案としては三本マトリックスの結線でユニットを倍の六本にして
音を拡散しつつトータルインピーダンスを上げるというのがある。
ただ、それは次回のお楽しみとしておく。
同一ユニットがちょっと足りない。
…ということでワンボディでサラウンドという夢はまだ続く。
なんだか結局今回も打ち止めの決定版とはならなかった。
9月14日
NASだよ、NAS。ルーさん、ほら起きなよ。
…うーん、うるさいわね。それはどーせ食べられないんでしょ?むにゃむにゃ…
…と、ルーさんには思いっきり無視されてしまったがNASである。DLNAである。
つまりネットワークオーディオであり、ハイレゾなのである。
9月15日
ハイレゾとは?ネットワークオーディオとは?DLNAとは?
それは書かない。
幾らでも解説が閲覧できるし、よっしーが何か言っても恥をかくだけだ。
取りあえず自分の事を軽く振り返ってみる。
PCオーディオと呼ばれる物のマネごとは過去に少しやった。
パソコンにUSB DACを繋いでアナログ出力をアンプに導いて…
という形だ。
面白いのだが長続きしなかった。
理由はというと面倒だったのだ。
ノートパソコンにDACがぶら下がっているのが邪魔だったし
それ専用のパソコンを用意したりもしたが、今度はそれ自体が邪魔くさい。
また、その操作が煩わしい。
ま、これは完全に個人的な問題であってPCオーディオそのものの責任では
ない。
時は流れ2015年。オンキョーT-4070がやって来た。
これはネットワークチューナーという名称だが
要するにネットワークプレーヤーだ。
ネットワーク内に音源があればそれを再生出来る。
しかし腰の重いよっしーの事だから、ネットに繋いでもネットラジオを
聴いたり、AirPlayをちょっとやっては終わっていてその先に進まない。
業を煮やした元オーナーが、とうとう遠方より駆けつけてくれた。
部材の手配からセッティングまで鮮やかに行なって頂き
あっという間にNASが出来て快適にネットワークオーディオが
出来るようになった。
これによって192kHzの音源にも対応できるようになった。
正真正銘のハイレゾ対応である。
今度は長続きしそうである。
理由は簡単でパソコンとNAS+T-407(つまりDAC)は音楽再生をする際
切り離されているからだ。
念のため言っておくが別にパソコンを弄って音楽をコントロールするのが
好きな人は人でそうすれば良いのだ。
僕の場合はそれが合わないということ。
T-4070のコントロールは主にiPhoneのアプリで行う事になるが
なかなか便利である。
深く考えなければT-4070のリモコンで十分。
で、音だ。
192kHzに対応可能という事でそれらしい音源から聴いてみたくなるのが
人情。
MADONNAのTrue Blueをダウンロード。
これで聴いてみる。
その音だが…
…これは文句なしのハイファイだ。
ここで変な意味づけや憶測は止めよう。
良い物は良いと言う事でいかがだろう?
昔々から書いているが、器は大きくて困ることはない。
CDよりもSACD、DVDオーディオにハイレゾ音源と、使える部屋の広さは大きい方が有利だ。
ただ、イコール音が良いか、好みの音がするかはそれと別の問題。
それでも元になる器は大きくて悪い事はないと思っている。
目の覚めるような音がするのは、今回の場合確かだった。
さあ、いよいよハイレゾの時代?
いや、まあしかしテラバイトのハードディスクをハイレゾで満たすためには
(満たさなくて良いが)幾らお金があっても足りない。
そこで(という訳ではないが)手持ちのCDをリッピングしてみる。
それらを再生してみると、これも大変結構なお手前だ。
何しろ手元に元のディスクがあるのだから意地悪して音の比較もしてしまうと差がつく。
ハードディスクに一旦取り込むことの優位性。あるいはT-4070のDACの健闘もあってか、
トータルでの結果なので、常に皿回しが不利とは思わないのだがCPという意味では
相当なものなのじゃないか?
…以上、なのだが先駆者にとっては、何を今更、の事ばかりだろう。お口汚し失礼。
しかし冷静になって考え見ると目の前で鳴っているスピーカーは35年位前のSS-G7なのである。
このスピーカーからこういう音が出ると言う事を、開発者は想像しただろうか?
なにしろCDすらない時代のスピーカーなのだ。
相乗効果みたいなものもある様で、
NASを抱えてG7はここへ来て一皮剥けたか。
憑物が落ちたような…というと変だが
音がスピーカーにまとわりつかなくなった
感が強い。
ハイレゾだから良い、という話しではなく
アナログを聴いても良いという風で
全てに良い影響が出ている。
これは思わぬ誤算。もちろん嬉しい誤算だ。
しかしスピーカーは生きているを痛感する一瞬だ。
9月16日
考えてみるとNASというのは止めない限り延々と働いてしまう。
ほとんどジュークボックス状態だ。
それでは、という事で掛け続ける。
もちろん大抵は小音量で、だ。
しかし小音量でもその良さはわかるし
極小音量再生においてCD再生よりもやや有利と感じる。
これは何なのか?検証が必要だろう。
敢えて、ということで以前取りあげたHIROのCCCDもNASに入れて
聴いてみる。
ハイレゾとの差は歴然…ということはなくて
これはそもそもの録音が良いからだろう。
もちろん、本気の本気の再生で比較すると差は出るが
それは意味のないことだ。
それよりも、これのハイレゾがあったら是非手に入れて
聴いたみたいと感じさせる。
9月17日
ああ、いいなーと思える音が出た翌日というのも緊張する。
なぜって、その音が消えてしまっていたらどうしよう?
と思うからだ。
どうやら安定しているみたいで良かった。
今もNASからの音を聴いている。
話しはちょっと変わるが、お気に入りの音というか
音楽というかがはっきりしている事は素晴らしい。
その音楽について熱く語れる人は大抵良い人だ。
自分の大切な音楽を、オーディオ装置をもって
自分にとって良い様に再生したいというのは
実にまっとうな事じゃないか。そう思う。
そんな事を言う僕には、もしかしたらそういう対象が無いのではあるまいか?
と不安になる。