10月2日




よっしーはしつこいのである。


10月3日



新聞の切り抜きというのはほとんどしない。ただ多少する。

ちぎる様に切り取って、クリアーファイルに入れて、時が経って読み返して
そこでほとんどの物は改めて捨てられる。

ただ、時にその選別を乗り越えて生き残る物もある。
上のもそうだ。

2012年8月30日木曜日日経の全面広告。
別に僕はENEOSの回し者ではないが、これは良い写真だと思う。

山間。あるいは麓。
そこにあるガソリンスタンド。立ち寄る軽トラ。帽子の庇に手を掛けて駆け寄る店員。

そう書いてしまうとそれだけなのだが、これを見ていると見知らぬ街へとツーリングしたい
欲求に駆られる。

一人で。が良いと思う。やっぱり。

はそんな事をやっていた。
懐かしい。

いつの間にか部屋から出てこないおっさんになってしまった?


知らない街…でなくても良いのだ。家からちょっと離れれば。

山間部、だと尚良い。
とっても若い頃は海派だったが、ある時以降山派に転じた?

緑の中を、ブロロロ…っと…でもなくて良いけど走りたい。

排気音は適度にこだまして心地よく響く。

路面を感じながら、季節の匂いに包まれながら、
風を感じて、というより自ら風になりながら走る。

やっぱり輪ではダメなんだな。

パワーに物を言わせて駆け上がるよりも、ノタノタと走りたい。
そーなるとやっぱり原付だ。

古い原付だといくら整備してもあてにならない部分もあるから
リュックには工具を一式入れて…

日頃意識しないガソリンスタンドだけど
跨っている物が不調になると、途端にダイヤモンドみたいな輝きを放つことがある。

もっともスタンドで救われた、という経験はゼロに近いんだけどね(笑)

奇妙な物にばかり乗ってきたから、フツーのスタンドだと敬遠されるんです。
まあ無理もないことだ。


10月9日

さり気なく日が空いたな、と思ったら
その間で苦しんでいたんだった。
(今も不調)



唐突に赤川次郎先生のお話。

古本屋さんに夜寄る時間さえままならぬ日々だもんで
たまに飛び込めると100均本を手当たり次第に買ってしまう。

で、赤川先生のこの本。「」も買った。

この本を買うのは多分二度目。

一回目が発売当初の事だったから昭和60年初頭くらいだと思う。

28年ぶり位に買って読んだ。

この昭和59年頃から60年頃は、随分たくさんの赤川作品を読んだと思う。
「三毛猫ホームズ」の一作目が文庫になったのもこの頃だったかな。

何しろ天下の赤川次郎先生だ。ザクザク書かれていてしかも外れがない。

で、「」は当時もの凄く愛読したかというとそんな訳でもない。
ただ、何とも懐かしくて手に取った次第。

これは一種のホラー作品。もっとも赤川先生の作品にはホラー的要素が入った物が多い。
ま、これはそのホラー色が大変強い一作。

なにしろ28年ぶりに読めば、昔の記憶はほぼい。

大地震で孤立したとある町の、それも一角。
助けを呼ぶ事もままない。
それだけならまだ良いのだが、正体不明の巨大生物が住民をう。

…と書いてしまうと、まあそれだけの作品なのだが
冒頭からグイグイ引き込まれ、あれよあれよという間に
最後まで読まされて?しまう。

恐るべきストーリーテラーである。

28年前には深く理解出来なかっただろうなー
という部分が色々あった。

登場する人々はほとんど婚。当時の僕は未婚も婚。

50代の男性が登場人物の中にいて、奥さんに先立たれ
自分の人生の行く先に明るいものは何も考えていない。
その心境。24歳くらいではわからんわな。
というか、わかってしまう今の自分が悲しい?

ああ、それにしても赤川先生の作品に登場する人々は
実に平凡で、でもが通っていて
それでいて大げさ過ぎない人々だ。
久々に味合わせて頂きました。



オーディオも重い腰を上げて音出し再開

ふと思ってYAMAHA NS-100Mをメインの座に置いてみた。
このスピーカーロジャースLS5/9とほぼ同寸なので
置き換えが容易。

で、アンプはC-2X+TA-NR1

機器は使わないと傷む。
何ヶ月かぶりにを入れた。

どうやら無事だ。(無事でないと困るが)

取り敢えずの音だが、BGMには立派すぎる。

いかにもアンバランスな組み合わせだが
アンプはおごり過ぎて悪いという事はない。


10月11日

53年前の10月10日、一組の男女が結婚式を挙げた。

そして翌年僕が生まれている。

父が、母がいなかったら、僕はこの世に生を受けていない。

その意味でありがとう。

しかし、母さん、もう少し一緒に家族をやりたかったね。ちょっと早すぎた。

で、考えてみたら僕ら夫婦もご成婚25年だ。
銀婚式ってヤツだろうけど、さすが偉大なるウチの令夫人は
結婚記念日なんか完全に忘れている。
素晴らしい!そんな事でガタガタ言ってはならないのだ。


そしてもう一度話しはわる。

深まり行く秋のA級アンプ、と思ってTA-NR1に火を入れたが
バッチリ気温は30度級ではないか。
こうなるといささか筐体が熱くなる。

で、気付いたのだがTA-NR1とNS-100Mは割と相性が良いようだ。

これがロジャースだと、どうしても音がボヨンボヨンになってしまうのだ。

相性ってやっぱりあると思う。


10月15日

森進一さんのLPを買ったのは、考えてみると38年ぶりなのかな?森進一

僕が最初に買ってもらったLPが森進一さんのベスト盤だという話しはこれまでに
何度か書いている。

それが1975年の事だったはずだ。

で、上記の盤を買ったのは、某blogで優秀録音盤として紹介されていたから。

最近は中古レコード屋さん巡りもなかなか出来ず、これもたまたま飛び込めた
某店で巡り会った物。
別にこれを求めて入った訳ではないのだが
ふとMの覧を捲っていたらあったので買った次第。

このLPも1974年、または1975年の物だと思うが
大阪フェスティバルホールでのライブ録音だ。

二枚組で、ベスト盤的要素も持っている。
望郷、女のためいき、命かれても、花と蝶、
盛り場ブルース、夜の走り雨、一人酒場で、年上の女
港町ブルース、雪が降る、サントゥワマミー、
夜のメロディー
冬の旅、夏子ひとり、爪、くちなしの花、山谷ブルース、
朝日のあたる家、妹よ、おふくろさん、
さらば友よ、襟裳岬

ナレーションで芥川隆行さんが登場している所もポイント?
また客席から沸き上がるのがいわゆる黄色い声というのも驚く。
ファンも若かったのだろう。

さて、優秀録音盤かどうか?

最初はそこを見極めるために聴くつもりだったのだが
途中からグイグイ引き込まれ、それどころではなくなった。

やはり森進一さんというのは稀代の名歌手だ。
歌唱の凄さに圧倒されて、全てはどうでも良くなった。

とどめに襟裳岬でほとんど泣きである。

作詞、岡本おさみ、作曲、吉田拓郎
歌謡大賞とレコード大賞をもぎ取った名曲だ。

詞が良くて曲が良くて…なのだが
やっぱり森進一の歌唱が加わって完結している。

曲を渡した拓郎が、出来上がって来たテープを聴いて思わずのけぞった
というのは有名な話しだ。
それほど当初のアレンジと違う物が出来てきたということ。

だが、まあこれが大正解。三拍子揃って文句なしの名曲の出来上がりとなった。

…そんな訳でオーディオ的要素は全てぶっ飛んで行ってしまったが
その内改めて検証はしてみたい。

そして一夜明けると大雨。台風か。

人様とは違う日に休みなので、今日は日がな一日部屋の掃除などして楽しむ。

懸案だったCDラックの製作を終え(仕上げはまだか)
この際にソフトもかなり整理した。

次にLP…なのだがCDはホイホイ捨てられるくせにビニール盤となると
途端に躊躇してしまう。
これは生まれ育った時代のせいだろう。



今大量にLPを引っ張り出して選別中。
テクニクスのリニア機が大活躍だ。


10月16日



オーディオはだ。

確かにそうなのだが音がオーディオの全てではない。

どんな趣味にも多用な切り口がある。鉄道なんかその最たるもんだろう。

例えばレコードのクリーニングなんかも楽しいと個人的には感じる。

なんとか綺麗にしたレコードの上を針がっていくのを見るのが楽しい。

適度な圧を掛けられた針がビニールの溝の上を辿っていく。
それだけで嬉しい。

アンプにをともすのが楽しい。
パワースイッチを入れるとカチッとリレーの音がしたり
インジケーターランプが灯るのを見たり感じたりするのが好きだ。

音楽を聴くという行為に、そんなに手間暇を掛けてどうするんだ?
と言われてもおかしくない時代だが
手間が掛からないくらい詰まらない事もないと僕個人は考える。

儀礼廃止で色々な物がスムーズに運ぶのも良いのだろうが
本当に白いものはて手間が掛かるものなのだ。

そのびを知らない人に、わざわざそれを教えて上げようなどという
親切心は持ち合わせて居ない。


10月18日

それにしても、昔LPを買うのは一大事だった。
35年前のレコードは一枚2.800円。
貨幣価値が違うから、今で言うと5千円には相当する筈だ。

だからもう買う方は真剣。
欲しい物はたくさんあるのだが、選べるのは一枚だけ。大いに悩む訳だ。

で、この事は過去に書いた事があるかないか忘れたが
中学二年生、あるいは三年生の時にFMレコパルで“LP一枚700円”のセール広告を見て
吉祥寺まで出掛けたことがある。

なにしろ通常一枚しか買えない予算で四枚くらい買えそうなのだからビックリした。

ちなみに僕は本当にお出かけ下手で、それは遠い昔からそうだったので
キチジョージ、なんて物には縁もなく、今思うと良く行けたなーと不思議な位だ。

それを実現出来たのは、やっぱりイチマイナナヒャクエン、の衝撃の成せる技というところだろう。

会場に着いてみると、そこにあるレコードは、中学生の僕などは良く知らない輸入盤ばかりで
”ありゃ?”と思ったが後の祭り。
今の自分の感覚で言うと新幹線に乗って大阪まで来てしまった様な大事だったから
おめおめと帰る訳にも行かない。

しかし欲しいレコードがないどころか、そこにあるレコードのほとんどが未知の物ではどうにもならない。

それでも延々6時間くらいはその会場に居たのではないか。
帰宅したのが7時とか8時だったかと思うのだが、家では父母は大騒ぎをしていた様だ。
(様だ、というのは、その話しを訊いたのが随分年月が経ってからだからだ)

何しろ携帯なんて無い時代だから出掛けてしまえば音信不通だ。
なかなか帰ってこないし、第一あの子はキチジョージなんて行ったこともない。
いや、それ以前に自分たちだって行った事がない。
そんな銀河系の外れみたいな所に行って帰ってこないとなれば騒ぎはでかくなる?

しかし、時代が違うとは言っても随分な話しである。
電車に乗ってちょっと遠くへ行ったら大騒ぎ。いかに箱入り息子だったか良くわかる。

外食という概念もないから、飲まず食わず。当時はそんなもんだったはず。
真っ暗な車窓を見ながらの帰路のことはなんとなく覚えている。

さて、しかし手ぶらではさすがに帰れない。
二枚買って帰った。
その二枚とは、ボブディランで「欲望」と「激しい雨」。
かろうじて理解出来るレコードだったから、という理由だ。

だが、この二枚はとっくに手元にない。
多分大学に入ってからだと思うがディスクユニオンで売却してしまったのだ。

悪いレコードではないのだが当時の僕には理解出来なかった。
それと、やっぱり歌詞カードが欲しかったなと思う。
ボブディランなどの場合特にその辺は大きい。

何が言いたいか。何も言いたくないのだが、当時レコードは貴重だったというお話し。

今はもうそんな時代ではない。パッケージメディアの時代は徐々に、しかし確実に終わりに向かいつつある。

だがしかし、面白いものでホイホイと音楽が手に入る様になって幸せかというとそうでもない。

やっぱり稀少な物であった方が面白い。
悩みに悩んで買ってみたもののイマイチだったという事も多々あった。
だが、大変な投資をしたのだからと、なんとか良い物と思えるようにと一生懸命聞き入った。
そんな体験は貴重だと思う。
本でも映画でも同じだ。

今は文章も音楽も映像も、それほどの物じゃないぞ、とさらけ出された感のある時代だ。

過剰にありがたがる必要は無いのだが、そんな風にされてしまって幸せかというと疑問が沸く。

これを書きながらもLPを聴いている。
30分足らずで一度腰を上げて盤を返さないとならないのだが、それくらいで良い気がする。
聴き手の集中力みたいな物もそれくらいで一度途切れる。
エンドレスで何百曲再生可能と言われても困ってしまう。

テクノロジーの進歩は素晴らしいと心から思うが、すなわち人の心を豊かにするのに
どれだけ役立っているのかという懐疑的になる。

ま、全ては付き合い方の問題なのですが。




10月20日

GRFの無い部屋…



念のために申し上げるがGRFのある部屋は大きなブログであり
よっしーは愛読させて頂いている。
そういう方はきっと多いだろう。

当該ブログを拝読していると、マランツCD-34が欲しくなって困るのだが(笑)
もう一つ、スピーカーを部屋の中央へ引っ張り出してみたくなるから困る。

よっしーもスピーカーを壁際から離す良さは認識しつつ
なかなか継続する事が出来ない。
音以前に邪魔に感じて止めてしまうのだ。

で、時々性懲りもなくやりたくなる。

本家ではT4などという何やら高そうなスピーカーが活躍するのだが
そのような物はよっしーの部屋に無いので、コンコルド105でやっている。

で、音はどうかというと、拙宅の場合は床から多少上げた方が良いみたいだ。
ただ、今は床置きに挑戦中。

そこにホールが再現…はウチ今のところしないのだが
形だけ真似をして喜ばせて頂いている。
もちろん真面目にやらないと何事も成果には繋がらないので
本当はやるならきちんとやらないといけない。


10月21日



さすがに床置きだと僕の部屋の場合は上手く行かないみたいなので
テキトーな箱に載せて高さを稼ぐ。

と言ってもこれだと床からスピーカーユニット(ツイーター)までが45センチくらい。

ツイーターを耳の高さに合わせるという教科書的使い方からは大きく外れる。

だがしかし、これで再生すると、写真で表現するとスピーカー後方SL-QL1の辺りに音場が展開する
ことになる。
いわゆる後方定位だ。

これはこれで面白い。スピーカーは半ばえている。

更に_単位。あるいはコンマo単位の位置合わせという話しになるらしいのだが
このいい加減なよっしーにそんなのは無理な芸当だ。

さて、写真には写っていないが、この後更にスピーカーにスペーサーを噛ませて
仰角を付けてユニットが耳の高さに向く様にすると音は当然ながら瞭になり
音場も更にく展開する事になる。

まあこの様な実験というか遊びに何の意味があるの?
と言うことになるが、何より重要なのはスピーカーをどこにどのように置くかであり
やたらとアクセサリーに走るのはその後の後で良いという説には同意したい。

よっしーなんか立派な物でアクセサリーの類はほとんど持っていない。

もちろんケチでお金を使わないからであって
正確に言うと使わないのではなくて使えないのである。エヘン!


10月22日



自慢じゃないが日頃は”このレコードは誰が何という曲を弾いているか?”
なんて気にしない。
良いとか悪いとかではなく、よっしーの聴き方というのは
そんな感じなのだ。
ただ音を聴く。
それが誰の演奏だろうが知らない。

ただ、ここの所レコードの選別なんかしている関係もあって
これは誰の何というレコードで…なんて柄にもなくジャケットを眺めて
更に演奏者の事をネットで調べて、なんて事をやっていた。

そこへたまたま夕刊にケンプの事が載っていたので
驚いた。

いや、ケンプ、などと呼び捨てにしてはいけない。
ケンプさんはヴィルヘルム・ケンプさん
1805年の生まれで惜しくも1991年に亡くなられている。

さてさて、写真に見るケンプさんのレコードは
エリーゼのためにーケンプ、ベートーベンアンコール」と題された物。
6つのバガデル、エコセーズ、ロンド・ア・カプリチオ、エリーゼのために
など親しみ易い曲が並ぶ。
それを奏でるケンプさんの音は実に端的でしかもしい。
”いいかい?ピアノっていうのはこういう風に弾くんだよ”と
先生が生徒に聴かせるのにも好適な一枚と断言したくなる。

何かと超絶技巧が流行った時代にはケンプさんの人気が陰る翳る事もあったみたいだが
なんだかんだ言ってこのピアニストさんは日本人にされた一人だという。

なるほど、確かにこのレコードなど拝聴するとその理由が知れる。

実にしみじみとして、幾ら聴いてもれないし飽きない。

ピアノ(と限らないが)と格闘するかの様な曲や演奏も多いのだが
僕個人としてはあんまりこれ見よがしなのは敬遠したいところなのだ。

録音も平凡といえば平凡だが虚飾を排した感じで良い。
これで良いのである。

…なんて柄にもなく音楽を語ってしまった。

似合わないからこれくらいで止めてレコードに集中させて頂きます。


10月25日



よっしーは結構感化されやすい。
並行方とか45度配置とか読んだりすると無性にやってみたくなる。

そこでDS-301を、45度かどうかは怪しいが思い切り内振りにしてみた。

左右のスピーカーの交差軸がリスニングポイントの遥か手前に来る形だ。
これで左右の軸上で聴くのも古典的だがステレオの基本ではある。

今回はリスニングポイントは換えていないので、単なる極端な内振りと言っても良い。

考えてみると昔々ネッシーをこんな感じで使っていた。
まあコーナーにスピーカーを配置した場合は自ずとこんな置き方になるもんだ。

は?

まずまずというのが第一印象。

まずまずとは曖昧な言い方だが、このセッティングだとリスニングポイントを前後させた時の変化が
結構大きいので検証にはやや時間が必要ということ。

ただ、あまり部屋の中央までせり出して聴きたくはない気もする。


10月27日

コーヒーの消費量は多い家庭だ。

よっしーはグルメじゃないのだが、やっぱり美味しいコーヒーというのが
存在するのはわかる。

我が家でも時々ギョッとするくらい美味しいコーヒーを呑める事がある。

ところがそれは長続きしなくて、すぐに元の、フツーのに戻ってしまう。

どうなってんの?とよっしーの妻に訊くと、
やっぱり美味しい時というのは豆が違うのだ。
もちろん豆そのものだけじゃなくて挽き方みたいなのも違うのだろう。

某所の蘊蓄の多い専門店のオヤジの所はやっぱり美味い。
ただ、それもその筈値段が普段のと全然違う

ここで一つ言えるのは、世の中お金を払わないと得られない物もあるということ。

オーディオも同じ?

そう思うのだが一概にそうとも言い切れないから面白いし
逆に不安なところでもある。
いっそカネを払えば良い想いが出来ると決まっている方が気が楽かもしれないのだ。



10月28日



ある日帰宅するとよっしーの部屋にこんな物が投げ込まれて?いた。

数日前からよっしーの妻がリビングの模様替えをしていて、その途中でお客人が来る事になり
要らなくなった物を一時的に?よっしーの部屋に放り込んだみたいだ。



おいおい…(ちなみにこれはロータイプのソファというか西洋風座椅子というか)



と言いながら、よっしーの目はキラリ
以前から確かめたかった事をするチャンスかと…

早速を出してみると、これがやっぱり好みの方向に変化している。

いや、複雑な話しではなくて、床に吸音性のある物が置かれたからというお話し。

何しろ床と天井は部屋六面の中で最も面積が大きい。

もちろん壁四面も大きいのだが、壁というのは剥き出しになる事が少ない。壁の前には大抵何かが置かれる。

で、床なのだが、ここもカーペットなど敷かれる事もある。

ただ、よっしーの部屋ではここ最近それを排除してしまっている。

理由は、邪魔だから。

年中機器を引きずり、ああでもないこうでもないとやるのには床は剥き出しの方が良いのだ。
それと掃除も楽。

それで床は剥き出しのままにして天井で吸音処理…と思っていてもなかなかやらない。

まあ天井というのはなかなか手を出しにくい場所なのだ。人間てのは自分の背の届かない所は苦手である。
当然だけど。


念のためだけど、別にいつだって吸音をすれば良いなどという話しではない。ケースバイケースだ。
大昔は、とにかく吸音、ということで吸音過多になって低音だけが盛り上がるなんて事になってしまう人も多かった。
中高音はカーテンやカーペットで簡単に吸えてしまうが低音はそうはいかない。
それが認識されていない時代には良くあった話しである。これは仕方ない。


それにしても、”この人未だにこんなレベルの事やっているのね?”と思って貰えたら嬉しい。
そーです、アタシはこの程度の人間なんです。


こーゆーのって結構楽しいのだ。
ただ、こんな物をずっと床に転がしておく訳にはいかないから(その内躓く)、何か別の方策を考えなくてはならない。

しかし音は確かに好みの方向に変化しているから悩ましい。


10月29日

とか何とか書いているが、実はこんなもん一つ置いただけでそうなったのか知らない。

数日前にきを換えたDS-301がようやく落ち着いたのかもしれないし、本当の事はわからない。

で、良い事が起きたときはじっとしているのが良いのだが、そうはいかないのがよっしーの(さが)。

ちょっと前からやろうと思っていたのがチューナーの入れ替え。



いつからか忘れたがヤマハT-5を使ってきた。これをトリオ(ケンウッドではない)KT-1100に戻した。
するってーと、これがまた音が良い。

T-5ももちろん悪くないが価格差はくらいあるわけで、同じにはならないのが良くわかった。
思わずれ直してしまった。

よっしー的にはFMは未だに大切なソースなので、装置からチューナーを外すと言うことは考えられないのだ。
ネットのラジオも良いのだが、慣れているのがチューナーで選局、なので仕方ない。

ダイヤル回してチューニング、なんて面倒くさいナーと思う時もあったが、最近はまた、それが良いのだと思い始めている。


10月30日

FMは音が良い、などというと、何を今さら、と言われそうだ。

いや、僕だって知っている。

そもそもFMは音源が良い。

アナウンス。これが生々しいのが多い。

音楽もCDを掛けている分には、そりゃそのCDをCDプレーヤーで掛けて真剣に聴く方が有利だろうが
それ以外の物。例えば生収録に近い物なんかを掛けたら、それはそれでそちらに分があるに決まっている。

しかし、久々に、”こんなに良かったっけ?”と思っている。
これは多分、たまたま偶然色々な物が良い方向に嵌っただけだろう。きっとそうだろう。
そういう事にしておこう。面倒だから。


で、FMの良いところ、その2。自分が知らない曲が掛かること。

昔はこうやって音楽を捜したり、出逢ったりしていた。
FENがよいという人もいたがぼくは断然FM派だった。

ああ、それにしてもこのFMの音は良い。

絶対にまぐれに違いない。


10月31日

ううーん、やっぱりい。FMが良い音で鳴るのでSPECを見るのはやめてFMを聴くことにした。

これはもうゾワっとする音がする。

…なーんて、一人で喜んでいても仕方ないか。

KT-1100で聴くFMが良いのか?あるいはDS-301のいい加減なセッティングが功を奏したのか?
それはFM以外の音源を聴けばわかるのだが、今はFMを楽しんでいたい。

しかし、なるほど、コーナーに追い込んで思いっきり内振りにしたセッティングは悪くないみたいだ。

DS-301は40年前のスピーカーとは思えないくらいしい音を聴かせてくれるスピーカーだと思うが
難点の一つが、やはり量感があって活き活きとした音を導き出す事だろう。

それがコーナー寄りに置かれる事で適度に改善されている感がある。
音量で良い案配なので、大音量再生をすると過多になるかもしれないが
別に大音量で鳴らす予定はないので良いことにしている。

音場に関してもまずまず。これはセッティングをもう少しめる必要があるかもしれない。

あるいはもう少しスピーカーの高さを稼いだ方が良い気もする。
現状のDS-301は逆立ちで置かれているのだが、逆立ちは止めても良いのかも?
ただ、そうすると今度は耳に対してツイーターの位置が上がりすぎるので
逆立ちのまま、やっぱり高さを上げるか?
悩む所だが試すのに金は掛からないのでそれは救いだ。



それはさておき、チューナーってやっぱり良いな〜、って思い
今より更に一段上を目指すとなると何が…って考えると
L-02Tという単語が聞こえてくる。

永遠のアイドルみたいなものかもしれない。

現実味を持って考えるとビクターJV-T45なんかも面白そうだ。
あれだとJA-S41とペアを組める。

いや、組めたからどうした?というとどうもしないのだが…。


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