4月1日
さて、4月。
先に予告をしておきます。
楠DAC拝聴記続編はこの後登場します。
それから二台のGT-2000Xのお話しも。
…と前振りをした上で今月の日記もスタート。
仕事の上とかでは色々ありますが、それはここではあまり触れないお約束。
よっしーの部屋も間もなく14年目に入る。
だらだらと続く、落ち目の連載漫画の如くだが
そもそもこのページは書き手の息抜きの為に存在しているような物なので
ご勘弁を。
13年間の総括めいた物を…と思ったがさほどの事は書けない。
のだが、つらつら考えるとこの部屋にはいつも二つ以上のスピーカーがある
事に気がつく。
その昔、長岡先生設計のD-55とスーパースワンがあった。
二台あるのが邪魔臭くなってネッシーを作ってそれらは撤去。
でも、そんな暮らしは長く続かない。
2000年4月にロジャースLS-5/9が来て、しばらく二本が同居。
その後ネッシーは町内会館に引っ越したが、ある時気まぐれでダイヤトーン
DS-301を入手。
そんなに長いつき合いにするつもりは無かったのだが
これも居座って5年目か?
他にも細かい物が色々登場しているが書ききれないので割愛。
さて、一部屋にスピーカーシステムは一組が理想、という人が居て
それは実際正しいと思う。
憧れの一組生活。
しかしそれがなかなか出来ない。
要するに気が多いのだ。
最低二組が常に同居。
どっちが本妻なのよ、とスピーカーは言わないから助かる。
二組が一部屋に存在するデメリットは確かにある。
それについてはこのページに訪れる様な方々であれば
よーくご存知だろうから、わざわざ触れない。
でも、二組(以上)あるメリットもある。
僕の場合は二組を常に競わせて来た。
それによって学べる事は非常に多い。
格好良く言うと切磋琢磨というヤツだ。
一組から良い(と思える)音が出たとすると
途端にもう一方が気になり始める。
さあ、お前も頑張れよ、みたいな感じで取り組むのだ。
いやー、実に楽しい…
というのは大嘘で、楽しみは倍増だが、苦しみは四倍増。八倍増。
16倍オーバーサンプリングみたいな感じで増えるのだ、これが。
それでもオーディオは遊びと割り切っているから構わない。
で、これを続けていると、やがて二組のシステムから同じ音が出るはずだが
これもやっぱりそうは成らないから興味深い。
いや、遠目に見るとかなり似通った音なのだが
やっぱり異なる。
で、ロジャースLS5/9とダイヤトーンDS-301でどうなっているかというと…
(続く)
4月2日
例によって程度の低い事を書くからそのつもりで。
ロジャースLS5/9とダイヤトーンDS-301が同居というのは
偶然以前の成り行きで、深い狙いは全くない事を先に言っておく。
第一二台とも自分の意思とは関係ない所で導入が決まった様なものだ。
いや、もっというとよっしーの部屋には自分の意思で選んだ物がほとんどない。
他人任せのオーディオここに極まれり。
しかし、これが成功の秘訣だとよっしーは信じる。
人間自分の事は良くわかっていない。
だから他人に委ねる方が良いのだ。
恋愛結婚より回りが決めたお見合い結婚。そんな感じだ。
…いけない。また脱線している…
話しを戻す。例えばロジャースの板厚は薄い。
キャビネットも謳うタイプのスピーカーだ。
対してダイヤトーンDS-301は堅牢なキャビネット。
典型的な日本のスピーカー。
もっともこれは同機がAR的なエアーサスペンション方式を採用している関係もある。
この方式だとキャビネットは強固な物としたくなる。
次にユニット。
ロジャースにはキャビネットの割に小さいユニットが付いている。
DS-301は4Wayということも手伝ってバッフル面はユニットでいっぱい。
ウーファーも大きい。
ベテランマニアなら以上を読んだだけで続きがわかりそうだが、
そんなこんなで、まず低音が違ってくる。
…低音。
ああ、ホームページを13年もやって、この男は未だに低音が、高音が、と言っている。
時代はとっくに音場の時代なのに…
しかし、よっしーは音場音痴を自認しているし、なにより帯域プロポーションフェチなのだ。
簡単にいうとロジャースは低音不足で悩むことの無いスピーカーだ。
対してDS-301は一聴低音不足に聞こえて困るスピーカーだ。
これはロジャースがバスレフでDS-301が密閉だからというのも絡んでいる。
だが、それ以上に”低音”という物に対する考え方のお国柄の違いや
商品開発コンセプトの違いなどが絡んでいる。
まず、”低音”という物に対する捉え方が国により、メーカーにより、
開発者により、そしてユーザーによって違う。
特にお国柄による違いというのはあるはずで、
ロジャースを愛好するイギリス人がDS-301を聴いたら
”ウーファーが存在しない”と言い出すかもしれない。
日本でいうところの低音とヨーロッパでいうところの低音に
かなりの違いがあるのだ。
(ピアノを比べてもよくわかる)
(疲れたから続きはまた)
4月6日
なんかいかにもどうでも良い事を書いている自分に気付いたが
書きかけちゃったからまあ仕方ない。
ロジャースはひとことで言うと低音感のあるスピーカーで
DS-301はそれが希薄なスピーカーということか。
これ、実は今のよっしーの聴取音量の小ささも関係していると思われる。
DS-301も、もっとドッかーんとパワーを入れればウーファーが仕事をしてくれる
と思うのだが、それが果たせない。
悪いのはよっしー、なのだが、DS-301が生まれた40年前ならともかく
昨今騒音に対する世間の目の冷たさはかなりの物があるわけで
あまり非現実的な音量で、バランスが取れると言われてもチト困るのだ。
可愛そうなDS-301。
しかし彼女(男かも知れないが)の名誉の為に言うと
GT-2000XにZYXなりDL-103なりを付けて
HX-10000を経由した信号をSA3→TA-NR1×2へと橋渡しして送り込むと
それはそれはそれはそれは美しい音を聴かせてくれるのだ。
いや、ホントに美しい。歪感ゼロ。日本の美音ここにあり、だ。
これで後一歩下の方に底力が感じられればと思う。
いえ、割と単純な問題で、例えばヤマハのアンプなんかに付いていた
リッチネススイッチなんかをちょっと入れれば、よっしーなんかはご満悦になろうと言うものなのだ。
リッチネスが付いたアンプというとDSP-A1があった。
あれを又引っ張り出してみるか…。
それにしても、リッチネス、なんてスイッチをアンプに付けようと思うほど
ある時期のメイドインジャパンスピーカー達はウーファーが働き難い造りだったのかな?
その辺りを考えると、やはりスピーカーってヤツはキャビネットに対してユニットが
小さければ小さいほど低音が出しやすいという話しにたどり着いてしまう。
そう考えるとロジャースなんか実に巧に作られている気がする。
キャビネットは決して巨大ではないのだがユニットはそれに比して小さめ。
そしてボディーは振動するな、ではなくて一緒に謳いなさい、の造りとなっている。
ああ、姑息な英国魂…。
ところが一方で、それ故というべきかロジャースはセッティングで結構音が変わってしまう。
もちろんDS-301だって変わるのだが、顕著に違うのはロジャースの方で、
それはそれで悩みを深くしてくれるのだ。
…というような事を考えつつ、よっしーの部屋はいつもいつも迷走している。
具が多すぎるからいけないのよ、減らしなさい、という説もあるが
この混沌とした感じが、きっと僕は好きなのだ。
何を書いているのかさっぱりわからなくなってきた…。
この話しはもう終わりにしたい。
4月7日
さて、楠DAC。そしてディスクマン改トランスポート。
引っ張ってしまってごめんなさい。
色々とお試しを申し上げておりました。
まず電源の問題。
問題と言ってはいけないのだが我が家の充電器
(そもそも車、バイクのバッテリー用)では
ニッケル水素電池の充電には不向き…とは言わないが最適でないのは事実だった。
すぐに電圧が落ちてしまうのである。
これは困った。Aさん宅が近くなら足を運ばせて頂くが
そういった距離ではない。
そこで苦肉の策ということでアルカリ電池で駆動。
東急ハンズで工作用に売っている、単三電池を四本納められるケースを購入。
そこからの配線はバラックみたいな状態で、これで良いのか?
と疑問も持ちながら結線。
無事音は出た。
音はどうか??
ある意味すごくまっとうな音だった。
ニッケル水素と比べるとエキセントリックさは後退。
しかし万能な感じはある。
重心が下がったかのように聞こえる。
それにしても噂では聞いていたが電池でこんな風に音が変わるというのは
やっぱり驚く。
なんでも電池の内部抵抗の違いなどが音の違いにつながるらしいが、
それにしても…という感じ。
何事も経験してみないとわからないものだ。
4月8日
ということで再びニッケル水素電池に戻してみる。
充電すれば時間は限られるが聴けるのだ。
アルカリ電池の音も良いが、好みはこちらの方だと思った。
アルカリは優等生的でニッケル水素電池はエキセントリック。
そういう対比になる。
ただ、それよりも面白かったのは、段々馴染みがついてきたというか
このDAC(及びトランスポート)の音がすっかりよっしーの部屋に
マッチしてきたから面白い。
当初は(電池はニッケル水素)、なんというかマレットも見えるし音も聞こえるのだが
なぜかそのマレットが叩いている相手が見えない、みたいな違和感があったのだ。
それも今は消えている。
この辺りは趣味としてのオーディオをやっている人でないとピンと来ないと思うのだが
そういう不思議がオーディオにはある。
音を出した瞬間に何かがわかるというのも本当なら、
時間を掛けないとわからないというのも本当。
単なる工業製品のはずなのですが…。ね。
さて、最終コーナーではDACはそのままでトランスポートを換えてみるという
お題が出て来きます。
要するにCD-10ならCD-10のデジタルアウトを使ってみるという事です。
しかし、やっぱり面白いのは、このディスクマントランスポート+楠DACのコンパクトさ。
アナログプレーヤーのGT-2000Xなんか巨大だし重量も凄い。
それを支えるフォノイコライザーのHX-10000なんかも結構大きい。
そこから跳んでくる音は、それはそれで凄いのだが
この小さなディスクマンとDACの出す音もそれに負けていないのだ。
この辺りはデジタル万歳というべきか、凄い物がある。
…そんなこんなで14年目に入った。
4月20日
期のはじめは色々ある物で間があいてしまいました。
さて、楠DAC拝聴の最終章へ。
お題はDACはそのままにトランスポートを差し替えてみるというもの。
純正組み合わせはAさんのディスクマン改(デジタルアウト付き)。
対するは、CD-10の予定が突然TASCAM CD-401。
深い意味は無いがそうなった。
さあ、トランスポーズで違いは出るか?
出るとしてどんな違いが?
最初に純正組み合わせで聴いて、次に401のデジタルアウトを
楠DACに導く。
これはこれで良い音…なのだが何かが違う。
正直言ってそんなに違いが出るとは思わなかったし
あるいは据え置きプレーヤーのデジタルアウトの方が優れているのでは?
という思いがあった。
ところがところが、恐るべし、ディスクマン改!
401が負けてしまうのだ。
いや、まあオーディオに勝ち負けなんてのは変なのだが
やっぱり勝敗という言い方がこの場合は似合う。
いささか言い古された言葉なのだが、分解能で差を付ける。
ただ、分解能といっても超オタク的なそれではなく、
なんというか、あくまでも活き活きした音の表現があって、
その中での分離の違いというべきものと思って頂きたい。
ディスクマン改トラスポーズを使った方が、
より一層ベースラインが謳い、各楽器が溌剌と踊ると言ったら言いすぎだろうか?
とにかく楽しさが増すのだ。
試しに、とCD-401単体の音(つまり401のアナログアウトのアナログアウト)も
比較試聴の仲間に加えると、何というかより一層ぼやけて聞こえる。
CD-401の名誉のために付け加えると、これだけ聴いていたら
大変良い音だ。
それと(CD-401と限らないが)単体プレーヤーには、ある種のまとまりの良さがあるのも事実。
手堅いまとまり、とでも言うのだろうか。それはそれで大事だと思う。
それにしても、これだけの音が、改造版とは言ってもディスクマン。
それに、サイズで言ったら胸に納まる手帳6冊重ねくらいのDACから
繰り出されるというのは困った(困らなくても良いが)ものだ。
一体全体どーなっているのか?
凄い世の中になったものだ。
…ということで楠DAC拝聴期はこれにて一幕の終わり。
貴重な機会をお与え頂いたAさんに改めて感謝を申し上げます♪
4月21日
4月22日
昨日付の画像を見て、一瞬でもNS-1000M。センモニターかと思った人が居たら、
それは良い人です。
残念?ながら1000Mではない。9割引でNS-100Mである。
よくある話しだが三兄弟の真ん中というのは肩身が狭い。
優秀な兄=1000Mと人気者の弟=NS-10Mの間に挟まれた100M。
(CB750とCB400Foureに挟まれたCB500みたいなもんだ)
しかもリリースは三台の中で最も遅い。
要するに後から次男が居たのがわかった、みたいな登場の仕方。
今さらなんだよー、と1000Mと10Mに虐められたとか虐められなかったとか…
そんな100Mは資料も1000や10に比べると実に少なく見つけにくかった。
それでもステレオ誌1979年10月号の「オーディオ新製品ジャーナル」で記事発見。
つまり発売は1979年10月1日。
3Way密閉ブックシェルフ。
ウーファー20aコーン
スコーカー5.5aソフトドーム
ツイーター3aソフトドーム。
276W×251D×496Hで12s。
価格は一本43.000円。
サイズ的にはロジャースLS5/9とあまり変わらない。
そこに20a3Wayが収まっているのだが、デザインがNS-1000Mを踏襲したものである
ところがおかしい。
遠目に見るとウーファーのネットが外された1000M風なのだが、そのウーファーが
NS-451以来の白いコーン。白いコーンは10Mにも通ずるので、やっぱり兄弟。それも次男なのである。
現実問題、上を目指す人は1000Mを選んだだろうし、もっと安く、と願った若者は10Mを買っただろう。
実際僕の身の回りにも1000Mを大事に持っている人や10Mを使っていた友達と言うのはいても
100Mユーザーは居なかった。
現物を見るのも今回が初めて。
と言うことで、いかにも半端物風に思えるかも知れないがそれは違う。
まず美しい。
さすがヤマハである。キャビネット外面の質感は1000Mに引けを取らない。
スコーカー、ツイーターもルックス抜群。
1000Mのまがい物、みたいな目でみるからいけないのであって、これ単独で見たら絶賛される
見事な造形。
1000Mのミニチュア風に見えるが当然材質その他違う訳で、手間暇掛けているのに1000に
そっくりで比較の生贄になっているところが哀れ。
ウーファーの白も効いている。これが黒かったらやっぱり面白くないデザインになるだろう。
やっぱりヤマハGKは凄い。
上に1000があろうが下に10があろうが関係ない。
100は100で設計して音作りをしなくてはいけないのだ。開発陣の苦労が記事からもうかがい知れるが
キャビネットの勘合・接着。吸音材の、ユニット作成の手間暇苦労は凄いものがある。
アッテネーターなんかも1000には及ばなくても立派なものが付いているようだ。
それにしてもこの”なんでも情報が手に入る”はずのネット時代に、ググっても100Mの情報は
ほとんど見あたらない。
1000や10のネタは腐るほどあるというのに、だ。
やっぱり100は商業的には成功しなかったのか。
しかし、逆に100の事を取り上げている人は、100を贔屓にしている。曰く1000Mより100が好き。
バランスは100Mの方が良い、などなど…だ。
よっしーとしても手元に無い1000や10を誉められるよりも100Mを誉められる方が嬉しい。
そーだ、その通りだ、と言いたいのだが、さて、実際のところ音はどうなのか…??
4月24日
実際のところ音はどうなのか??
DS-301と比べたら10歳近く若いのだが、それでも34年くらい経つスピーカーだ。
どうなっているかわかったもんじゃない、と思ったがザッと見てユニットは無事。ゴムエッジ万歳。
外装も酷い傷は無い。これも素晴らしい。あまり移動等されなかった証拠だ。
アッテネーターだけは接触が怪しい。というか最初はちょっと回したら音が消えたりしていた。
右に左にグリグリ回していたらそれもほぼ解消。
正しくはウーファーを外して中に手を入れて巻き線の洗浄を…、なのだがそれは後のお楽しみ。
っていうか、とっとと音を聴きたい。
だから、まずは音出し。
…。
うーん…〜!これは面白い。
いや、決して個性溢れる音ではない。オーソドックスで真面目な音だ。
ハメを外して面白おかしく作った製品ではない。大メーカーが真摯に取り組んで作られた一品。
それを感じさせる。一本43.000円はバーゲン価格だろう。
まず注目の?スコーカーとツイーターだが、良い仕事をしている。
オーソドックスな中にも清涼感を加えるという感じでスカッと爽やか、コカコーラさんごめんなさい的な鳴り方。
ちょっと人工的だという人もいるだろうが、弦の音などに美麗な感じを加えてくれて個人的には好きな音だ。
白いウーファーも負けていない。
っていうか上手い鳴り方をしてくれる。パワーもそこそこ入るのだ。
ただ、全体に全ての項目で5段階評価の3.5という感じがあるのも確か。
なんというか突出した部分も、とんでもない欠点も無いのだ。
これを没個性と呼ぶのは簡単だが、別の味方をするととんでもない出来映えという風にも言える。
なぜってどの教科も突出させず、また低下もさせずというのは、それはそれで至難の業だからだ。
4月26日
次はこれ。
プリメインアンプ。ヤマハA-5。(そしてチューナーT-5もあって、これについては後で)
これも1979年の発売。
価格は45.000円。この値付けはなかなか巧み。
さて、理屈は抜きにしてこのアンプのルックスは素晴らしい。
同時期の同シリーズにA-1。A-3とあるしその後も続くのはご承知の通り。
A-1のルックスは現代でも通用する物とされるが、本当にその通り。
さすがヤマハはデザインが上手い。
特にこのシリーズは自照式のプッシュスイッチが好評だったが実際に灯った様子を見ると
実に綺麗。思わず部屋の灯りを落としたくなる。
他のスイッチも猛烈にお金が掛かったという事ではないのだが、可憐で見ていて楽しい。
そのAシリーズの中でもこのA-5が実は一番美しいという説があり、今回僕もそれを体感した。
非常に理想的な配置。バランスとなっている。
思わずこの外観のまま中身を最近のデジタルアンプに取り替えてしまったら面白いだろうなー、と考えてしまった。
435W×112H×338Dと標準的な寸法で重量は7.8s。
マニアにとっては軽量級だが、今時のオーディオ製品しかしらない人からすると十分重い。
パワーは40W+40W。
フォノはMCにも対応している。これはイコライザーのゲインとインピーダンスを変えて使い分ける方式。
イコライザーのNF量を20dB減らすことでゲインを20dB上げるという理屈だ。
メリットもあるが最高の方式かというとそれは違う。
ただ、このプリメインアンプの価格が45.000円であることを忘れちゃいけない。
チューナー入力があるのは当然として、面白いのはTVと書かれた入力があること。
折りもおり、音声多重(死語!)の時代到来で、テレビ音声をアンプに導く用途が発生するから故の対処だろう。時代を感じて面白い。
それから前述の自照式スイッチはパワー、フォノと主要なスイッチにのみ使われているのだが
チューナーもフォノと同等の扱いで同スイッチが採用されている。
この辺りも時代と、このアンプを求められる層がどんなオーディオライフを送るかを気遣った造りで
ついつい微笑んでしまう。とても素敵だ。
4月27日
中を見ると各種スイッチは延長シャフトやレリーズを使って理想的な位置で切り替えさせているのがわかる。
実に真面目な設計だ。
スピーカー端子はワンタッチ式で可もなく不可もなくという感じ。
一組しか繋げないが、個人的にはこの方が好き。それにこのアンプでA、B二組のスピーカーを繋ぐという想定はしなくて当たり前。
脚は他愛もないゴム脚だが、この時代はこんなもんです。
音だが実にシスコンチック。
これは悪口を言っているのではない。
よっしーが1979年頃使っていたのが1976年製のプリメインアンプ。
なんともそれを思わせる音を2013年の今聴かせて貰って懐かしさに涙が出そうになった。
こーゆー音、好きです♪
このアンプでNS-100Mを鳴らすと、ある部分に得も言われぬ清涼感が出て
それはそれで素晴らしい。
ただ、下っ腹に力が入らないと言うのも確か。
二日間ご飯を食べていない高校生みたいな印象。
ウーファーを押すのだが力不足で相手にされない、みたいなところがある。
そこでラウドネススイッチをオン。
これがまたハッキリと効くタイプ。僕好み。
寂しかった音が途端にふくよかになる。
ただ、見かけ上量感が増えるに過ぎないので、今度は制動不足でウーファーは放し飼いになる。
念のためにサンスイAU-707Xと差し替えるとNS-100Mがまるで別物の様に鳴る。
これは仕方ない。価格で約三倍。45.000円のアンプでは太刀打ち出来ない。
しかしこのアンプを憎むなんて事はまるで出来ない。
なんだか若い頃。それも高校生くらいの自分に出会ったみたいな気がして、
つい、”頑張れよ”なんて声を掛けたくなる。
“お前はお前のままで良い。そのままで良いからな”、って言って上げたい気持ちにさせる。
30数年前の自分と対峙させてくれるアンプだ。
4月28日
次に行く。
ヤマハT-5。
おわかりの通りA-5と対を成すチューナーだ。
価格は32.000円。
A-5と併せて77.000円。
当時の高校生の自室に似合う価格帯。いや、これだって買って貰えたら幸せな方だ。
これもまたウルトラシンプルなチューナー。
FM/AM対応。
同調が効くと赤い指針の両脇がグリーンに光る。メーターのセンターを探る、なんてのと比べると
遥かに分かり易い。
またLEDのレベルメーターも好ましい。これも針が右に振れるのを確認なんてのよりずっと理解しやすい。
ちょっと困ったのが75Ωのアンテナ線を差し込む口が特殊な物になっていて、アンテナ線側に
付属のアダプターを取り付けるタイプになっていること。
それはなかなか接続が確実なタイプで良さそうだが、無ければ途端に困った事になる。
今回は別の方法で解決。
さて、それで音はどうか?というとさすがにKT-1100辺りとは格段の差が付く。
まあ付かないと困るのだが、ここまで付くとは思わなかった。
これもまた、自分が高校大学時代に聴いていたFMの音に近いから困ってしまう。
困ることはないのだが、不覚にも涙が出そうになるのだ。
ただ、面白いものでFM独特の音の拡がり(位相を上手く使って時々凄い拡がりを見せる)が
とても素直に出るところがある。
これが何故なのかわからない。こーゆー部分にはウルトラシンプルが物を言うのか?
A-5にT-5を重ねる見ると(当たり前だが)抜群にマッチする。
自照式スイッチがこの時三つ点灯しているのだが、あまりに優しい光につい癒されてしまう。
敢えて難癖を付けると、A-5のボリュームとT-5のチューニングノブが位置も大きさも同一なので
慣れないとボリュームを弄ったつもりでチューニングを変えてしまっていた、なんて事があった。
横並びに置けばもちろんあっさり解決する問題なのだが、見た目的には上下に重ねて置く方が素敵なので困ってしまう。
4月29日
1979年というのは個人的にも想い出の多い年で、その年に生まれたアンプ、チューナー、スピーカーが
今回拙宅に来たというのはとっても興味深いことだ。
また三品増えて、オーディオ博物館を本当にそろそろオープンしないといけない。
だれかスポンサーになる人はいませんか?(笑)
ところで今回のヤマハ三品はどこから来たのか?
実は築50年オーバー60年弱のお家を、いよいよ建て替える人がいる。
GWにはお家の取り壊しが始まると言うことで家財の整理に大わらわ。
もうおわかりだと思うが、A-5、T-5、NS-100Mはそこに放置されていた物達なのだ。
放置とは言葉が悪いが、今はそこに住んでいない息子さんが実家に置き去りにしてそのまま、というオーディオ達。
いかにもよくある話しではある。
ちょっと陽当たりの悪い(失礼!)お部屋の壁際に置かれたコンポ達。
聴けば息子さんはよっしーとほぼ同じ歳。
1979年のあの頃、これらコンポーネントはその部屋に新品で招かれたのだろう。
NS-100Mがあるということは秋〜冬の設置か。
CDの登場前の話しだからメインソースはレコード、FM、そしてカセット。
実はアナログプレーヤーYP-D5もあったのだがこちらは辞退して来た。
部屋の隅には取り残されたLP達が何枚かあって、ついでに段ボールから当時のアイドルの写真集かなんか見つかって…
あるいはこの部屋はある時以降時の流れを止めてしまったのかもしれない。
だからそこにある匂いは、どことなく1979年のまま…
思わず感傷にひたってしまった。
そしてその装置達を持ち帰って、汚れを落として、こうして音を出している。
その音がまた懐かしい。
これは紛れもなく1979年頃の音だ。
なにがどう紛れもないのか言葉で説明するのは大変難しいのだが、当時の高校生や大学生の部屋で
鳴っていた音達。それがここで再現されている。
悪い音、という意味では無い。
ただ、ハイクオリティかと言われるとそれはちょっと違う。
やっぱり5万円に届かないアンプ、4万円未満のチューナー。そしてペア10万円は行かないスピーカーの音だ。
当時僕らはこういう装置で、夢中になって音楽を聴いていた。
FMは貴重な音源だった。T-5で聴けるFMの音は、どこか人工甘味料的なフレーバーもして、
これがまた当時を彷彿させる。
送り出し側の問題ではなく、受け手側の問題だったのだろうと改めて思う。
でも、それを一生懸命エアチェックして、カセットに納めて、それを更にウオークマンやカーステレオに放り込んで
すっげー良い音、とは思わなかったけど、それなりを楽しんでいたあの頃。
いや、もっと言うとこんなコンポを持っていたらリッチな方だった。
ステレオラジカセしかない、というケースももちろんあった。
でも、男の子の部屋にも女の子の部屋にも、何らかのオーディオ装置があった。
テレビが自室にあるなんて時代じゃなかったし、携帯も無いから友人からの電話も全て家電で親が取り次いでいた。
メールもネットも無いから、深夜ラジオのDJの読む葉書に耳を澄ませた。
全室にエアコンなんてことは無かったから夏は猛烈に暑く、冬は今より寒かった時代。
ひっそりと。そしてある時は近所の迷惑顧みずボリュームを上げて音楽を鳴らしていた時代。
ちょっとしたタイムスリップ感覚を、今僕は味わっている。
1979年。あなたは何をしていましたか?
4月30日
それにしても今回A-5やT-5やNS-100Mが鳴らす音は、僕がその頃ビクターJA-S31やJT-V31で鳴らしていた音に似ている。
当時の音をそんなに正確に覚えているわけがなくて、正しくは今回その音をヤマハ三兄弟が再生してくれているというところか。
ただ、これには、酷使されてちょっとくたびれた、エントリー装置達の音、という意味合いもある。
僕のJA-S31は1976年に手元に来て、1979年頃には既にガリやら何やらあって、相当こき使われた感があった。
その音が今再現されている、ということは、これらの装置。特にA-5辺りはちょっとお疲れなのだと想像が付いた。
いや、想像どころか時々片チャンネルの音が消えたり、ある時は全部の音が消えたりする。
これはもう明らかにプロテクションリレーの接点不良だろう。
画に描いた様な不具合パターンだ。
電源オン、オフを繰り返しで改善(セルフクリーニング)されればと甘い期待も持ったがそんな訳にはいかない。
さて、どうするか?
迷いはあったがリレーをクリーニングする事とした。
方策は幾つかあるが、正攻法で行く事にして、リレーを基板から外す。
基板裏へのアクセスが、この機種の場合実に簡単だったのでやる気になった。
半田を吸い取って、それとスイッチを押すための延長ロッドを一つずらす必要があるが、それだけでリレーは抜くことが出来る。
カバーはこじ開けるようにして取って(余談だがこのリレーはDEC製でマランツ#170DCに搭載されていた物とそっくり)
接点を見る。
症状からしてさぞ凄い事になっているのだろうと思って覗いてびっくり!
なんと接点の綺麗なこと…
(これで磨く前)
逆に焦る。
もしリレーに問題ないとなれば他の不具合を捜して解決しなくてはならないからだ。
で、よーく接点を見るのだが本当に綺麗。
ただ、接点8箇所(片側4接点×2)の内一カ所だけ、なにか汚れらしき物が付いている。
(ここだけちょっと黒い物が…)
まあ良い。ここまでばらしたらクリーニングするしかない。
後のことは戻してから考える。
ピアノコンパウンド(ヤマハ純正)微量を綿棒の先に、またある時は綿棒の芯につけて磨く。
接点は更に美しく光る。
大切なのはふき取り。しつこくからぶきして、最後にリレークリーナーで洗浄。
戻すのは外しの逆だから簡単。
拡大鏡で半田ブリッジの確認だけは必要。
これでどうか??
なんと、音が途切れる不具合は完璧に無くなってしまった。
あんなに綺麗に見えた接点だったが、やっぱり接触がおかしかったのか…
これは一つの教訓になった。
で、しばらく聴いているのだが、これが実に良い音で困っている。
こうなると手持ちのアンプ達のリレーは全部クリーニングすべきという気持ちになる。
これは冗談ではない。