7月2日

早いもので7月だ。

そーいえば33年前の今夜はあそこにいたんだなー(意味不明)



オーディオの方は安泰

というか平和すぎるくらい平和。

充実し過ぎるくらい充実した音、という感じ。

なるほど本当に低い方は不足しているし
高域は明らかに物足りない。

しかし、そんなことはどーでも良い

聞こえている帯域の音達が、実にみっしりと、こってりと詰まっている。

渋み、みたいな物も感じられて、それがなにより好ましい。

これにリアスピーカー・コンコルド105(である必要はないのだが)
を加えてマトリックスとすると、要所要所での拡がりが出て
特にFMなんか聴いていると楽しいということで今も聴いている。



対してこちらは難しい

プラグを見ると悪くないのだが
走りは今ひとつ。

この間のプラグが黒い時の方がトータルではよっぽどマシ

詳しいことは完結してからにしたいが、面白くて、そして苦しいバイクいじりかな。


7月4日






その人を知りたければその人の本棚を見よ、という言葉がある。

そう考えると迂闊に自分の本棚なんか見せられない。

最近はちょっとおさまっているが去年から遡ること3年くらい前まで
一日一冊文庫の古本を買う、みたいな感じになってしまって
年間250冊くらい読んでいた時期がある。

その勢いだと当然本棚なんかすぐ一杯になってしまうので
読み終えては捨てるみたいな事を繰り返していた。

そんな僕だけど、逆に30年以上本棚に鎮座し続ける本なんてのもある。

上の二冊もその一つ(二つ?)

メディアとしてのロックンロール」渋谷陽一さん著。

岩石生活入門」松村雄策さん著。

松村さんの「アビイロードからの裏通り」は過去のオーディオ日記でも触れたっけ。

何年かに一度、これらの本を引っ張り出してみるのだが
やっぱり良い。
自分にはしっくり来る。

刊行されたのが既に30年余前だし、収録されている文は1976年くらいに
書かれている物も多いのだがそんな事は一切関係ない。

そしてこれらの作品に触れるとき、”そうだ、俺はこういう人間だったじゃないか”
と忘れかけていた事を思い出す。

いったいどういう人間だったんだい?と興味を持ったら
上記三冊など読んで頂けると良い。

とにかくこういう物が心の奥で好きな人間というのはまっとうな社会人には成れないな、
と今さらながら思う。

そうなのだ。俺がまともな社会生活なんて送れる訳が無いのだ。

なのに送っている?
不思議だなー。

さて、今となっては僕もロックをガンガン聴くということは無い。

ただ、きっと心の中はロックンロールなのだろう。

まっとうな社会人をしながらバンド活動に勤しむという人もいて
それは素晴らしいな、と思いながら、
でも、やっぱりそれは違うでしょ、とか言いたい自分もいる。

何を言いたいんだろう?と思う方には
やっぱり上記の本達を読んで頂くしかない。

…で、感化されて今ツエッペリンの5枚目。「聖なる館」を久し振りに聴いているが
これはやっぱり良いというか平面バッフルはこーゆーのにマッチするのだ、これが。


7月6日


ここ数ヶ月デジカメがダウンしていた。

名器?F31fd

ついこの間買ったつもりだが、たぶん2005年頃の製品ということで7年目

よっしーの家では最新型に近い感覚なのだが。

ある時突然シャッターが切れなくなった。

仕方なくそのままにしておいたのだがネットでF31fd分解で検索してみると
親切なページが幾つも見つかる。

どうもフラットケーブルの抜き差しだけで治るみたいと知ったら、そりゃやるでしょ、自分で修理。

ネジを6つ外して、幾つかあるフラットケーブルを抜いて挿す。

結論を言うとシャッターに近い側のフラットケーブルを弄って快癒

詳しい事は上記検索ワードを入れればわかるので省略。

ま、修理に出せば1万円以上掛かるので超ラッキー。

この時ばかりは家族のよっしーを見る目が違う。

ま、伊達にいつも修理ばかりしているわけじゃあない(エヘン!)

*しかし相変わらず写真は下手だ。




7月10日

ということで永遠の詩の話しをする筈だったのだが話しは転ぶ。



なんとなく掛けていたカンターテドミノ

本当にBGM的に掛けていただが、やけに感じが良い。

なんというか部屋中に音が充満する感じ。

あ、スピーカーマトリックスにしているからだ
(フロントがP-610平面バッフル、リアがコンコルド)
と思ったのだが、それにしても??

確かにリアスピーカーも効いているのだろうが
よく聴くと音はフロントスピーカーの向こう側に展開している。

うーん、これはやっぱり平面バッフルのダイポール特性の成せる技か?

検証する気もないのだが(疲れているから)
とりあえずこれは面白い。


7月11日



続いてもう一発。

イギリスのリュートソング」ってまんまやんけ。

ドリアンレーベルでかつて長岡先生が優秀録音盤として取り上げた物。

リュートをバックに女性ボーカルが気楽に歌う
という感じなのだが、この声のダイナミックレンジが凄いということ。

確かにこれは凄いもので特にスピーカーの能力を問われる一枚。

で、確かにそこも大事なのだが音場感も素晴らしい。
教会ではなくトロイのホールで収録されているが残響が美しく
これぞホール、と言いたくなる。

これもまたカンターテドミノと同じように部屋中に音が充満する。


まあそんな事は珍しくないといえばその通りなのだが
目の前に割とでっかいバッフルがあるのに、それを無視して
音場が描かれるのはなかなか快感。

このバッフル、背は高くない。
確か70aくらいだし、ユニット取り付け位置は床から60a程度。

もちろん仰角は付けてあるのだが僅かだし、ベンチに座ったよっしーの耳の位置の方がどしても高い。

スピーカーに仰角を付けるという方式は過去に何度か挑戦したが
いずれも失敗に終わっている。

どうしても音が低い位置に集まっている感じがしてならなかった。
これは多分に視覚の影響が大きいと思うのだが
それを言っても始まらない。

スピーカーは最高音域を担うユニット(例えばツイーター)が
耳の高さに来るようにするのが基本。

なのだが視覚的にはそれより低く、スピーカーを軽く見下ろす様に
設置したくなるものだ。

今回の平面バッフルは寸法という意味では気に入っているのだが
どうも音が床方向に引っ張られるようながしていた。

だが、特に優秀録音とされる物を再生すると、そうでもないことがわかった。
たまたまマッチしているのだろうが、個人的には大きな収穫だ。


それとは別に、スピーカーマトリックスが功を奏しているという説もあるのだが…

(続く)


7月12日

いや、ちゃんとその話しは続けますヨ。

でも、ちょっと息抜き

(いつも抜いているだろう、という突っ込みは無しで…)



どーでも良いが、もし未婚の女性がこのページを読んでいたとしたら
分解好きだとか修理好きだとか、古い物が好きだとかいう男性とは
結婚しない方が良いかも知れないという話しをしておく。
(多分読んでいないと思うが)

ハッキリ言って、修理など無益なことだ。

人生を効率良く過ごすなら、新しい物を買って
3年〜5年くらいで手放して入れ替えてしまうようなやり方がベスト。

修理というのは効率が悪いし時間の無駄この上ない。


…しかし修理はしい。
やばい位に楽しい。
こんな事は時間の無駄と知りながら
ちょくちょく手入れが必要な物が大好きだ。

こーゆーのは一種の病気だ。
依存症の一種だ。
しかしなんの依存症にもなっていないというヤツは居ない。
多分居ない。
きっと居ない。

誰もが何かに依存している。

CB50は念のためキャブレーター分解、そして清掃。

ただ、キャブレタークリーナーは使わない。
あれは臭い。

だからフツーの空気のスプレーだけ使う。

あとはエレキギターの1弦を使ってスロージェットの穴を
気休め適度に掃除。


それで良いかどうかわからないが、とりあえずCB50はまともに動いている。
フロートの穴は半田付けして二年くらい経つが
どうやらそれで修復出来ているようだ。安心した。




そして最近我が家の犬が新しいれ場所を見つけたようだ。
(時々逃避するのだが、家族には場所が特定出来ている。
今回は新しい場所なのでかみさんは一瞬パニックになった)



あんまり可笑しくて思わず手ぶれしたじゃないか、ルーさん。

ホントは平面バッフルの角度が変わるから嫌なのだが
愛犬家としては怒るわけにはいかない。


7月14日



ルー「お父さん、あなた又無駄遣いしたでしょ」

よっしー「あははは、どーだ、LP5枚。大人買いってヤツさ」

ルー「…で、幾ら?」

よっしー「525円税込み!」

ルー「あなたはやっぱり大物にはなれないわん」

よっしー「大きなお世話じゃい!」

…ということでLP5枚。内1枚は二枚組。

定価で買えと言われたら買えんわなー、そりゃ…


「VULTURE CULTURE」 THE ALAN PARSONS PROJECT

「THE PLANETS」 富田勲

「EARTH RUN」 LEE RITENOUR

「TULIP GARDEN」 TULIP

「断絶」井上陽水

ざっと聴いただけなので偉そうな事は言えないが
いずれも良くできた作品達。というか名盤か。

プレーヤーはPX-2(DL-103SL)+C-2X+HMA-9500
そしてP-610平面バッフルという最近の組み合わせそのままで聴く。

いささかしつこいのでこれで終いにしようと思うが
P-610平面バッフルは音が良い。

疾風怒濤の、とかそういう事ではないのだが
実にバランスが良くて味わいのある音がする。

俄に信じがたいが、そんな事は多くの先輩マニア達は
とっくに知っているのですね。きっと。

人の声は特に良くて、そしてオールラウンドな感じ。

*各LPについては明日以降


7月15日

井上陽水「断絶

初期の井上陽水を知るに好適な一枚。

…なんて言葉でかたづけてはいけない。
やはり傑作というべき。

しかしジャケットを開いてみてビックリ。
その後の陽水さんはもうちょっと垢抜けるが
この時の画像は凄い。
このまま近所の公園でゴロゴロされていたら
通報されても文句は言えない?(失礼!)

自身の手によるライナーノーツも面白いというか、
要するに自分は医学部三浪の状態で
このままだと10年計画で臨まなければいけない。
その間これ(唄作り、歌唱)で食いつながなくては云々と書かれているが
結構本気だったのだと思う。

だが、まあもし陽水さんが無事歯科医にでもなられていたら
それはそれで良かったのだろうが、我々は数々の傑作を
耳にする機会を失ったのかもしれないわけで
人生なにがどこでどうなるかわからないものだ。

あこがれ/断絶/もしも明日が晴れなら
感謝知らずの女/小さな手/人生が二度あれば
愛は君/ハトが泣いている
白い船/限りない欲望/家へお帰り
傘がない

ということで聴き所満載。

人生が二度あれば」なんて突っ込み所一杯。
まず65の父と64の母だが、40年くらい時が経った今65位だと
元気バリバリという感じで悲壮感は薄まった?

父の湯飲み茶碗は欠けているみたいだが
今日日100均でも湯飲みは買えるからオーケーかな?
漬け物も漬けた物を買うから良いよ。

…と憎まれ口を書いたが、やっぱり“老い”というものを
とても端的に描いた傑作なのだと思う。

中学生の時聴いても“老い”に対する恐怖を感じさせてくれたが
51も目前の今聴くとさらに怖い。

あえて突っ込めば子供を育て家族のために年老いたお母さんは
実は幸せだと思うし(人生そんなもんだもの)
こたつで二人が若い頃の事を話しているのも羨むべきことだ。
よっしーは片方に早々に死なれてしまった父を見ているから
それだけは言えるのだ。

限りない欲望」も中学の時聴いて固まった曲だ。

人間とはかくも飽きやすく、欲張りなものかと。

後に思うとオーディオマニア必聴の曲で
“もういい加減にしておきなさい”と諭されているような気がする。


7月18日

「傘がない」

のは構わないが

キックが無い

のは困る。



でしょ?

ある日のことCB50のエンジンを掛けようとキックしたら
凄い音がしたので足元を見たらキックペダルが落ちていた(汗)

「き、キックペダルが折れた〜!」と青くなる。

いやー人間長生きはするもんだ。
色々な目に遇える??



が、冷静になって考えると折れた訳じゃない。

すっぽ抜けて脱落したようだ
(結果は似たような似たようなもんだが)

実際にキックペダルがついたバイクがお手元に無いとわかりにくいだろうが
赤丸で囲んだ部分に、抜け落ち防止の為のC型ワッシャーみたいなもんがあるのがホント。
(正式名称をキックスターターアームクリップという)

これが無くなるとキックアームがすっぽ抜ける。

何しろエンジンの圧縮に逆らって脚力を持って蹴り降ろすパーツだから
力の掛かり方は半端じゃない。

だから、まあこんな事が起きても不思議ではないが
通常はあり得ない。
さすが35年落ちのバイクはやることが違う。違いすぎる。

今年に入ってから、ウッドラフキー、スパークプラグ、そして今回のクリップと
次々に壊れている。さすがである?



しかしクリップが外れたのだとしたらその辺に落ちている筈だ。

捜すが見つからない。

代わりに見つかったのが、なにやら針金を寄り合わせたような物。



なるほど、このキックアーム。とっくの昔に本来のクリップは無くなって、
代わりに針金をよじってクリップ代わりとしていたのだな。

いつか経年劣化で外れるだろうが、今回ボアアップで圧縮が猛烈にまって
余命を一気に縮めたようだ。無理もない。

ということでとりあえずあり合わせの針金で補修。

こんな事が再現したらたまらないのでその内ちゃんとクリップを付けようと思うが
ホント古いバイクは楽しい。
楽しすぎて時に疲れる。

まあ山奥で壊れたんじゃなくて良かったヨ。

何しろ最近圧縮高すぎて押し掛けも難しくなっているんだからね。


7月21日

LPも良いけど、なぜか夏はFMが楽しい。

何故でしょう?

今度アンテナをスカイツリーに向けてみようかな。



平面バッフルだが、あまりに貧相なのでお化粧くらいして上げたい
気持ちでいっぱいだ。

塗装は面倒なので、なにか気の利いたでも貼ろうか。

それから、たまたまニアフィールド的な位置で聴いたら
あまり良くなかった。

といってもたかだか80aくらいこちらが前進して
ユニットの高さに耳を合わせただけなんだけど…

どうも僕はスピーカーが近いのが不得手で
部屋全体が鳴る感じが好きみたいだ。

今さら言うことでも無いだろうが。


7月23日



昔はドピーカンが好きだったが
いつの頃からか薄曇りが好きになった。
歳とったかな?

でも緑とかはこれくらいの方が綺麗。


(ホンの一部です)

ネタはキリが無いからやらないように心がけている。

でも、というと読書。
これはご幼少の頃、夏休みに一冊は読書感想文を書かないといけなかった
影響だと思う。

別に迫られなくても幾らでも読んだが、
小一だか小二の時にズラリと本が並ぶ図書室に連れて行かれて
一冊を選ぶというのがあって、
これ、と思って持っていった本を、”これは5〜6年生向きだよ、めておきな”
却下された事を今も覚えている。
内心”オマエは俺をなめているのか?”と思ったが
付き合いの良い私は大人の顔を立てて「福沢諭吉」の伝記に取り替えておいた。

その後伝記好きになったので、悪い事ではなかったが
“大人が喜ぶ感想文”の書き方なんかあっという間に習得してしまったので(笑)
あほくさいと言えばあほくさかった。

それは良いが、一番るのが人前でそれを読まされること。

馬鹿野郎、書いた物は黙って読め、と言えずに読むのだが
限りなく苦痛であったこともよく覚えている。

…そんな憎まれ口はこれくらいにして、
30年ほどよっしーの本棚の一角を占拠している本を一部紹介。

鮎川哲也先生の作品達だ。

推理小説。いや、探偵小説という方がよいか、は純文学と比して
一段二段下げて見られるのは実に腹立たしい。

でも、わざわざそう言う人達を説得しようなどという努力はしない。
読まない人が損をするだけだ。

一般に謎解きものなんて繰り返し読めないと思われているが
そんなことはない。
だったら鮎川先生の作品なんか30年も保有しない。

何度繰り返し読んでも感動する。
それは趣があるからだ。

犯人もトリックも全部わかっているのに永遠に読める推理小説。
これって凄い。


…と、ここまで書いて後悔した。
例えばその作品や著者がどんなに素晴らしいのかを綴っていたら
それだけで一ヶ月は有に費やす事になる。
それで誰か喜ぶかというとそんな事はない。

それにそんな事はそれぞれの著者のファンの方達がとっくにやっている。
だから鮎川先生に興味を持っていただけたとしたら
鮎川哲也、で検索して頂ければそれで済む。

なんだ、結局よっしーが取り上げたのは無意味だった?

そーです、無意味です(後悔

ただ、まあ単なる謎解き本などと思わず読まれたら良いと思う。

それと鮎川先生はクラッシック音楽にお詳しい。
作品によっては音楽のお話しがいっぱい出て来るし
オーディオ装置自体がトリックに関わる物もある。

オーディオマニアも読んで楽しいと思う。

寡作の人と思われた鮎川先生も、振り返るとかなりの数の作品を残されている。
また、それらが2012年の今日でも復刊されたりなんだりで
書店の棚から鮎川先生の名前が消える事はないというのも凄い。

第二の鮎川出でよ!と言いたいが、
作家というのはその時代が生むという側面があると思うので
もう同じ様な人は出ないと思う。

昭和という時代の空気を嗅ぐのにも、鮎川先生の本は良いと感じる。

そしてもう一つ。
これはもちろん作品にもよるが犯人を、あるいは犯罪の痕跡を捜して
刑事達が全国各地へ飛ぶこともある。
その土地の描写が秀逸。
かといって全国の観光地を意識して書かれたようなものとは違う。


この夏、お出かけの友に一冊いかがでしょう?



7月24日

そうか、33年前の今頃はあそこに居たんだ…

あの時君は若かった。

そして今は随分堕落していないか?
気をつけたまえ。



話しは全然繋がらない(笑)

ろ足に着目。

わかりにくいと思うが、平泳ぎでもしているかの如く
足が開いている。

我が家ではこれをカエル足と呼んでいる。

こうするとお腹のあたりが床にペッタリとついて涼しいのだと思う。
ただ、写真のように絨毯の上だと効果はどうですかね?ルーさん。



なんて心配していたら、ちゃっかりと最近のお気に入りプレイスに移動していた。

よっしーの部屋には絨毯が無いし、何よりP-610平面バッフルのが落ち着くみたいだ。

それは良いけど、あんたのせいでスピーカーがずれた…

と思ったら、なんかその方が音がい?

失礼しました。ルーさんさすが伊達に耳が大きい訳じゃないのですね(汗)


7月26日

33年前のあの日はあの場所に…

と、意味不明な話しはいい加減にしましょう。



クソしくて色々なことが進みません(涙)

腹を見せるのは犬ばかりじゃない。
バイクのタンクもヘソを天に向ける。

…わけじゃなくて、補修を待つ、タンク1号(元からついていたヤツ)。

現用のタンクはガソリン洩れがなくて快適だが
皮肉な事に外観は元からついていた、このタンク1号の方が良い。

だから補修、というわけじゃない。たんに板金ハンダを習得したいだけ。

以前適当にやったらやっぱり上手くいかなかった。

今度は本気でやろう、と意気込みは立派だが時間が無い…


7月29日



しかし参ることの連べ打ちみたいな日々だ。

しかし、友あり。俺に友あり。

ありがとう。


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