10月2日

アンプは難しい。

まああんまり難しい難しいと言わない方が良いが…

さて、そんなこんなの後、DS-301のアンプを常用のAVC-2870に戻した。

さぞガッカリするかと思うと、これがこれはこれで実に良い感じで鳴る。

苦笑しつつ理由を捜してみる。

一つはたっぷりした低音。
たわわな低音とでもいうのだろうか。とにかくたっぷり出て来る。

あるいは締まりの不足という見方もあるが、いかにもウーファーが仕事しています
って感じで気持ち良い。

これはよっぽどAVC-2870とDS-301のミートポイントが合っているのだろう。
電源が非力で垂れ流しの低音が出ているという説もあるし、
お茶の間シアターで活躍するAVアンプとして
そういう音作りになっているのでは?という憶測も生まれる。
よっしーは最近小音量再生に徹して?いる。この辺りも関係するのだろう。

だが、要は結果であり、理屈は理屈に過ぎない。

全体的にも心地よい音がする。
音に生気がある感じ
音場も(ソース次第だが)充分広々と展開する。

大変結構なのだが、オーディオマニアの端くれとしては
これで良いのだろうか?と懐疑的にもなろうというものだ。

まあその内ちゃんと検証しよう。


10月5日



片岡義男さんの本というのは一時期非常にたくさんあったのだが、
ほんとんど処分してしまった。
古本屋さんにいけば大抵の物が100円で買い直せるからという理由だった。
(売れたからそうなるわけで、凄いことなのだ)

しかし、気がつけば最近はなかなか古書店でも見あたらない
失敗したなー、と思ってところでこの一冊に出会った。

幸せは白いTシャツ」(角川文庫刊)

これも当然昔持っていたのだが、20年から前のことなので
かなり記憶がいい加減になっていた。

要してしまえば一人の女性がバイクで走る、その間に出会うエピソードが
いっぱい詰まっている物語、ということになる。

これじゃあ身もフタもない説明と言われそうだが、他に言いようがない。
確かにストーリーはある。それは主人公が各地をツーリングしている間に
両親が離婚することを決めるというものだ。
その事が骨格としてある。しかしこの本の主役は全編に散りばめられているエピソード
それ自体だと僕は思う。

そしてこのエピソードを本当に楽しむには、バイクに乗った経験が、どうしても必要だと思う。
偉いとか偉くないといかいう問題ではなく、どうしても経験者で無いと肌感覚でわからないものがある
ということだ。

そして、ロングツーリングの経験があると、尚良い。
人生には経験した方が良い物がたくさんあるが、ロングツーリングはその中の一つで、
しかもかなりポイントが高いものだと勝手に思っている。

男女を問わずやった方が良いと思う。
それはかなり贅沢なことなのだが、よっしーも昔その贅沢をさせて貰った。

今振り返っても夢のようなツーリングというのがある。
それは正に3週間の夢だったのかもしれないが、四半世紀以上が経った今でも
その一日一日を克明に思い浮かべる事が出来るような、そんな旅だった。

もしかすると、もう一度そんなツーリングを出来るのではないかと、正に夢のような事を思うこのごろだ。

ただ、当時と今で一つ大きく違うのが携帯電話の存在だろうか。
日本全国どこにいても、携帯の電源が入っていて電波が届く所であれば捕まってしまうし捕まえられてしまう。

それはそれで大変結構なことなのだが、ロングツーリングにはちょっと邪魔かな?と思っている。

アナクロと言われて構わないが、公衆電話で硬貨が落ちるのを気にしながら電話するくらいでちょうど良い気がする。
相手の連絡先は赤外線通信ではなく、ノートにボールペンで書くのが良い。
手紙も重要。プリントした写真は封書で送るのだ。
バイク用のナビも良いけど、なんか詰まらない。
ここはやっぱり地図を広げて走るのが良い。

なんて馬鹿な事を思ってしまう。これも「幸せは白いTシャツ」の影響だ。

小説に登場するバイク、CB450もその後CB750がデビューして歴史の流れの中に埋没してしまった一台だ。
当時の感覚では、苦労して限定解除して450CCのツインを選ぶなんてのは無しに近い選択肢だった。

今となるとその良さが想像出来るのだが、ロングとなるとミドル以上のツイン、あるいはシングルは振動が辛いかも。
今のよっしーには125CCのOHCツインなんかが良さそうだ。
CB125。あるいはCD125なんかが良いと思うのだが、どこかに落ちていないだろうか?


10月8日

調律師さんであり、輸入ピアノ会社の社長さんであり、しかもオーディオマニア、という方とお話しする機会を得た。
(仕事繋がりです)
まあこれが実におもしろかったのだが、到底全部を正確に再現などと言うことは出来ないので、以下かいつまんだお話し。

まず、オーディオの前にだが、ピアノという楽器はスピーカーと大変似た要素を持っているということ。
これは以前より感じていたが、今回改めて痛感した。

ヨーロッパのピアノと日本製のピアノ。
どちらが優れているということは無く、お好みで選ぶものだ。
ただ、両者を見比べると、そこに想像以上の違いがある。

“鳴る”という感覚に対する違い。
これは大変大きい。
概して(本当は概してはいけないのだが)、ヨーロッパのピアノはボディを鳴らすのが大変上手い。
歌うピアノを作るのが上手だ。
この辺り、スピーカーでも通ずるところがあって興味深い。
エンクロージャーをいかに作るか。
寸法比のバリエーションなどたかが知れていると思う。
問題は板厚であったり接着材であったりする。
そしてもちろん、どういう木を使うかという問題もあり、塗装、あるいは仕上げで違ってくる。

ピアノもスピーカーも、思い思いの工夫を凝らしてリリースされてくるのだが
アプローチの前に、個々の考え方がある訳で、そこの違いを考えておかないとならない。
という言い方は正しくなくて、考えておくとより楽しい、ということだ。

響きというものに対する捉え方がヨーロッパと日本では異なる。
これは建築物など見比べてみるとすぐわかるが、日本では(最近は違うのだろうが)
高温多湿対策が優先で、風通しは良く、悪く言うとスカスカだ。
木材の使い方が上手で、壊れたり燃えたりしやすいが立ち直りが早い。

ヨーロッパではこれとになる。

両家?で音を鳴らしてみればわかるが、日本ではデッドになり、ヨーロッパではライブとなる。
日本では余韻に期待が持てない分?、一発目のアタックに耳が行く?
もちろん日本にも余韻はあるのだが、アタックと余韻の関係の違いなどは、例えば鐘の音を比べるとよくわかる。

ついでに低音というものの考え方が違ってくる。

ま、正確にも詳細にも書けないが、以上の違いで音楽も異なれば当然オーディオ装置。特にスピーカーには
違いが出てこざるを得ない。
ピアノも違ってくる。
良い悪いではなく、違ってくる、ということだ。

ま、そんなお話しを含め色々と語り合わせて貰ったのだが、とても楽しい時間だった。

あるいは続く?


10月10日


調律師であり、輸入ピアノ会社の社長さんでもあるオーディオマニアの方とのお話しの続き。

で、お仕事柄ヨーロッパにはしょっちゅう出掛けられるらしい(羨ましいようなお話しだ)。
別に豪遊する訳でもなく、コンサートも安いチケットのものばかり行かれるようだ。

面白いのはホールでのコンサート等より教会で行われる物の方がお好きだという点。
音が天井から降り注いでくる、その感じが好きなのだとおっしゃる。

なるほどなー、と頷いてしまう。
更に言うと日本に帰ってきてからしばらくは、何をしていても心が落ち着かないらしい。
それは”響き”の欠如から来るようだ。
(*日本に響きがゼロだ、ということではなく対比して響きが乏しいというお話し)

調律にしても一家言あり(当然だ)、ご自身が調律されたピアノで録音されたCDも幾つかお聴かせ頂く。
なるほど、という感じで、聴けばその方がどんな音を愛されているかわかる。
私家版のCDだったがヤマハをその方が調律された物をお聴かせ頂いたら、思い切りヨーロピアンな音色で驚いた。
(このあたり到底文章では伝達不可能です)

まあ次から次へと面白いお話しが出て来るのだが、ここでオーディオ装置の話し。
当日お聴かせ頂いたのはタンノイのスピーカーに球のアンプという組み合わせだったのだが
他にもスピーカーもいっぱい、アンプもいっぱいで随分たくさんの物を経験されていた。

経験値の高い方とのお話しはやっぱり楽しい。
オーディオはお金じゃあないですねー、というあたりは見解が一致するのだが
ドケチのよっしーがそれを言うと単なるやっかみにしか見えず、その方が言うと真実味があるのが悔しい。

一例だがアナログプレーヤーのP-3に装着されているカートリッジはシュアーのM44なのだ。
M44が悪いとは思わないが、プレーヤーに対して、あるいはシステムトータルの金額に対して
あまりにアンバランスに思い、「どうして44なんですか?」と訊いたら
「あ、他にお勧めのとかありますか?」なんて純粋に質問されてしまい、よっしーの慌てふためく事と言ったら無かった(汗)
「い、いや、そーではなくてですね。なんというか全体に対して価格的に…」と率直に質問し直したら、
「ジャズをアナログで聴くのに、これが一番マッチするみたいで」との回答を頂いた。

実はP-3にM44という組み合わせを見たときに、“この方はきっと本当のマニアに違いない”と思っていたのだが
このお答えを得て確信に変わった。
自分の耳と感性でチョイスされているのである。

(たぶん続く)


10月11日

さて、そのP-3+M44でお聴かせ頂くジャズだが、なるほどこれは良い物だった。
ここでのスピーカーはタンノイ。音量もほどほどで鼓膜を圧迫するような鳴らし方とは正反対。

かといってオーナーは角の落ちた音が好きなのかというとそれは違うようだ。
”詰まった音”という表現を何度かされていたが、それはどうも“鼻が詰まったような”という意味らしく、
そのような音は好みに合わないという。

その観点で選ぶとのアンプを選んでしまう確率が高くなるとおっしゃる。
(別途石のアンプもたくさんお持ちで、スピーカー次第で使い分けされているご様子)

CDプレーヤーはフィリップスのLHHで型番見るの忘れたが、猛烈な拘りは無いご様子。
“CDプレーヤーはかなりお安い物でもそんなに悪くない気がするんですよ…”ということで
これもその方の個人的な、正直な感想なのだろう。

一方でアナログプレーヤーはP-3に、どうしても落ち着いてしまうようで
自宅用も(このお話しでお聴かせ頂いているのは職場のシステム)P-3なのだそうだ。
“弄る楽しみは少ないんですけど…”ということだ。

スピーカー談義にも花が咲くが、今自宅ではオートグラフミニに嵌っているご様子。
“あれ聴きました?これが凄く良いんですよー”と言うときの笑顔が良い。
これは本当に自分にとって良いものと出会えた時のマニアの顔だ。

自宅システムにはパラゴンもあるが(さり気なく言わないで〜。笑)、
そのパラゴンで楽しまれるのがツェンバロと聞いて、これは鋭いなーと唸らずを得ない。
なるほど〜という感じ。

…ということで話しは尽きないが時間切れとなる。

この日強く思ったことは、やっぱり“耳がよい”ということは大事なことだ、ということ。
ピアノを選ぶのもオーディオをチョイスするのも、結局頼みの綱は自分の耳だ。

よく言われる、この“耳が良い”、だが別に聴力検査で判定するものではない。

言い換えると“感性がある”ということで、こればっかりは“一年必死に勉強した”からと言って
身に付くものではない。

感性とは、その人のそれまでの人生を映す鏡みたいなもんで、
要するにクオリティオブライフだ。

だからオーディオというのは、五味先生風に言えば、“その人の人生が鳴る”のだ。

その事に思い至ると、下手に人様に自分の音など聴かせられないかもしれない。

いや、それも実は不遜な考え方か。
“まあ、自分はこんな感じなんですよー”と晒すくらいの気持ちでいれば良いのだろう。

(たぶん、あと一回続く)


10月12日


しかし、その人の人生が鳴るとは凄いし困ったことだ。よっしーなんか馬鹿が筒抜けになる可能性がある。

オーディオのクオリティを上げたければ自分のクオリティを上げなければなりませぬか。

自分のクオリティを上げるのに有効な方策の一つに経験値を増やすというのがある。

五味先生が、”名曲を、諸君、聴こう”とおっしゃったのもその意味だ。
機械を弄くる前に、良い音楽をたくさんお聴きなさいということだ。

それは正しい、と踏まえた上で敢えて突っ込みを入れるとしたら、
幾らたくさんの音楽を持っていても、それだけではどうにもならない事もあるということだろう。

生演奏をたくさん聴いているかどうかというのもあるが、これについても過度の期待は禁物と思う。
生を知っているからと言って、それがどうした?という気もする。
生音といえば生活音だって生音だ。つまり人間というのは等しく生音を聴く機会を持っている。
問題は、それをどう聞いているかで、生演奏に対してだって同じ事が言える。

たくさんの機械を経験したとしても、すなわち良い結果が出るとは限らない。

じゃあどうすれば良いんだよ?と言われたら、やっぱり一つは姿勢ではないかと思う。

どういう姿勢で臨むか?そこに一つヒントがある。

オーディオに直結する経験と言えば人の音を聴く、というのがある。
これは良い事だし、どんどんやるのが良い。

ここで大切なのは“異質を楽しむ姿勢”ではなかろうかと思う。

極端に言えば一人一人音は全然違い、その意味で異質なのだ。

それを徒に何かと対比して良いとか良くないとか言うのではなく、
この人はどう感じて何をしたいと思っているのだろう?”という姿勢で臨めると
どこへ行っても何を拝聴しても楽しい。
そして世界が広がる。

人様に来て貰っても同じだ。
“なるほど、そんな捉え方があるのか”と思えば良いことだ。
自分では全く気づかなかった事を指摘される事もしばしばだ。

…と、以上の様なことを踏まえつつ、この日社長さんとよっしーの会話の最後に出て来たのは
結局オーディオはとっても個人的な趣味だ”ということ。

色々あっても最後はそこにたどり着く。

最後はいつも取り留めもなくなるのだが、“長い話しは取り留めもなくただ長いだけ”と
泉谷さんも歌っているからそれで良いことにしよう。

明日からまた別のお話です。


10月13日



TA-NR1が化けた


…いや、怪談ではない。もちろん。

しかし、やったことと言えばしかるべき場所に鎮座して頂き時々通電申し上げていただけなのだが、
この辺がオーディオの奇っ怪な?ところで、ある時一皮むけたみたいだ。

なのだが、この化けた後の音は凄い

プリはC-2Xで、こちらも同じ方からの預かり物。
今のところCD主体で聴いているのだがプレーヤーはNEC CD-10。考えみればTA-NR1と同い年だ。

さて、極めて陳腐な事を言うが、まず低音が凄い。
正に、THE雄大、という感じ。
やっぱり音楽は低音が決まらないとどうにもならないと痛感する。
とにかく預金通帳に残高1億円という感じの、頼れる低音だ。
さり気なく、そこにある感じの低音。

そして、音場感がたまらない。
スピーカーが99%消えている(100%と言わないところが謙虚だ)。
ソースにより、トラックにより千差万別の音場が展開する。
部屋に音が充満して、人によったらエフェクトスピーカーを捜すかもしれない。

更に、何と言っても凄いのは以上が極めて小音量でも実現してしまっているところだ。
音離れが良く、浸透力が凄いのでボリュームを上げる必要を感じない。

お陰で、ある日は一日音楽掛けっぱなしで、パソコン抱えて部屋に引きこもりになってしまった。
夕方さすがにグッタリして、これはいかにも不健康と反省した。

しかし、やっぱり驚く。
スピーカーはDS-301という、40年位前のスピーカーなのですよ…。
それからこんな音が出るなんて…。

なんて事でしょう…。


10月16日

随分長いこと趣味のオーディオをやってきた気がする。

その間色々なことが。色々な変化があった。

そんな中、2年ほど前からなのだが、一番大きな変化=再生音量の極小化というのが始まった。

これはもう、怠惰とか高年齢化の成せる技と思って頂きたいのだが、音量を上げるのがとにかく鬱陶しくなってきた。

実際の演奏音量と同じくらいで再生するのが、演奏者に対しての礼儀というのは本当だと思う。
ただ、(これについては過去にも書いているが)オーディオとは本来音量を絞れるところに、存在意義があるとも
同時に思える。(もちろん、反対に上げることができるところにも意義がある)

その辺りに、再生の優位性がある。実在の演奏者に対して、“もうちょっと小さい音で弾いてください”というのは不可能だ。
(電子楽器なら可能だが)

ここで小音量再生のメリット
一つ。お金が掛からない。防音設備を用意するとなると100万円単位のお金が掛かる。
一つ。時間を問わずに楽しめる。深夜大音量再生を都会でやったらどうなるか、考えるまでもない。
一つ。延々と楽しめる。周囲が許しても、聴いている本人がエブリデイ大音量再生では疲れてしまう。

しかし、小音量で楽しいオーディオというのは大音量再生とは別の困難がつきまとう。

解決策として、この二年間で一番効果的に思えたのがスピーカーマトリックスによるサラウンド再生。
スピーカーの数が増える事で音は厚く、豊かになる。

また、これと別の方向で、小型スピーカー+サブウーファーという3D方式も有効であることも実感した。
実際には3Dというより、5.1chマルチをやっていたのだが、これがなかなか楽しい。

ということで個人的満足度は高かったのだがC-2X+TA-NR1の組み合わせで拝聴する世界は、また違った凄さを持つ。

ギミック無しで、音を絞りきった深夜の再生であっても音楽が楽しめるのだ。こりゃ凄いの一言。
逆に言うともの凄く贅沢な事でもある訳で、分不相応とも思うがこの凄さからは当分抜け出せない気がする。


10月17日

音でも文字でも向かいすぎるのは宜しくない。
(わかっちゃいるけど止められない?)

いや、本当に外に出ることも大事だと痛感する。

足と言えばCB50で、まあそれはそれでよろしい。

しかし、このバイクというヤツも毎日乗ったらそれでハッピーかというと
やっぱりほど良いインターバルが大事。

シンプルにいうと、あまり乗りすぎると飽きるのも早くなる。

僕がバイクに跨るのは、大した数ではない。
それで良いのだ。

ここに原付及び原付二種の良さがある。
高い維持費を払っているんだからせっせと乗らないと、と思うと義務になるが
あくまでも下駄としてたまに履けば良いと思っていると気が楽だ。

そして、たまに跨るCB50は、それはそれは素敵で、嬉しくなってしまう。

ただ、バッテリーが弱ってきたかな?と思う。



現在CB50に載っているバッテリーは写真のようなもので
メンテナンスフリータイプ。

いわゆるバイク用純正品とは違うのだが、評判も良いし、何しろ価格が安いので
去年の夏に購入した。

とりあえず一年は何の問題も無し。

が、さすがに最近放電気味となっている。

バッテリーチャージャーは持っているので充電したのだが、実に長時間掛けないと
6Vにならない。
それでも一応チャージ出来たのでOKとしていたが、ここ最近またダウン

CB50の場合セルを回す訳でも無いのでその点気が楽だが
ヘッドライトを点けてブレーキランプを踏んだ時ウインカーがあるや無しやの状態になってしまうのは
いかにもマズイ

これは危険でもあるので今再チャージしている。

ただ、これで改善されなければ買い直してしまおうと思う。
何しろ1.000円くらいで買えてしまう。
一年持てば十二分というものだ。

しかし、このバッテリーというヤツには時々泣かされるのが乗り物好きというものだろう。

ある日突然セルがウンともスンとも言わなくなると本当に悲しくなる。

また、出費も大きい。
原付で2.500円くらい。大きいバイクだと1万円超え。車で2万円程度は掛かっていた。

この内原付はどうしてもバッテリーもケチってしまう。
上がっていてもキックでエンジンは掛かるからだ。

しかし、これは本当に危険。
坂道の信号待ちなんかだとエンジンふかさないとウインカーが点かないし
完全に上げると電球が全部切れてしまう(涙)

まあ、それを考えたら1.000円のバッテリーで済むなんて、なんて素敵なこと。

やっぱり原付は良いな〜♪


10月24日

沈黙しているようであれこれやっている。

パワーアンプTA-NR1が活躍中。

となるとここでプリアンプ狂詩曲を始めたいところだ。

ところが、色々やっている内に妙なことに気づいた。

なんとプリがどうの、ということよりも
CD-10とプリを繋ぐピンケーブルの方が音を大きく変えている?

おいおい、これはよっしーの部屋にはにつかわしくない話題だぞ。

やれやれ、これは厄介だ…

まあ楽しいんだけど…


10月25日



あれこれ、という程ケーブルがある訳じゃないのだが
写真に写っているのはISODAのケーブル。
昔々譲って頂いた物。

今回はこれがあんばいが良いみたいだ。
常用のMITも今回はISODAに席を譲った。

ケーブルを差し替えても何ら変わらないように思える時もあれば
今回みたいに随分変わってしまう時もある。

良いも悪いも無い。
そーゆーものだ、ということだ。



…という話しはさておいて、いよいよ寒くなってしまう前に一走り
ということでCB50を引っ張り出した。

この日はアイドリングが1.500回転でバッチリ決まり、
やっぱり真夏よりも調子がよろしい、と喜んでいた。



行った先は義母のお墓。
自分の母親だけでは片手落ちなので今月は義母の方。

場所は都内某所なので前回よりも遙かに楽。

無事お墓参りを終えて上の写真をパチリ。

で、帰路につこうとしたらエンジンから異音

??という間もなくエンジンストール。

二度とエンジンは目覚める事がなかった。

あれこれやるがダメで、結局よっしーの妻に車で出動してもらった。
原付だと一時間だが、車だと30分足らずの場所だったのが不幸中の幸い。

お陰で無事人間もバイクも帰宅出来たが
どこが悪いのかな?

というお話しはまた今度。


10月28日



プリアンプ大会が日夜行われていた。

しばらくCDに限定して聴いていたが…



久し振りにアナログ登場。


10月30日

さて、アナログ。
最初はカートリッジにコンダクトYC-05E
アームにEPA-100という組み合わせで聴く。
プリはC-2X

ところが音が今ひとつ冴えない。

精緻で真面目という点では素晴らしいのだが
どうも音が踊らない。

しばらくそのままにしておいたが、粘るだけ時間が勿体ないと感じた。

そこでカートリッジ交換

同じくMMでAT-15a登場。
それに伴いアームもダイナベクターDV-507に交換。
EPA-100だと重くて使えないからだ。

しかし、相変わらず音は弾まない。

そこで、C-2Xのリアパネルに手を伸ばしゲインを切り替える。

今までゲインの低い状態で聴いていたが、今度は10dBアップ。
2.5mVから7.9mVに変わったわけだ。

これでどうか?

、という感じで躍動感が出て来た♪

もちろん、いつもゲインが高い状態で聴くのが良い訳ではない。
現状。特に小音量再生という条件下では特に有効だったと言うことだろう。

それとYC-05EとAT-15Eaではキャラクターも相当違う。
どちらが良いと言うことではなく、マッチングの問題。

更にいうとここ一年、何かとAT-15Eaを聴いてきたので
すっかり毒されているとも言えるのだ。

取り敢えずあれこれレコードを掛けてみたいと言う気分になってきた。



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