4月2日
余震を心配して床に降ろしてあった機器達を
所定の場所に戻した。
よっしーは極端な人間なので
やらないとなったら全然やらない。やるとなったらとことんやる、
みたいな所があるのだが
それはあまり宜しくないと、自分でも思っている。
何事もいい加減=良い案配を探ることこそ大切だろう。
なんというか、オーディオは自分にとって
トランキライザーみたいな役割を果たしているみたいなことに
今さらだけど気づいた。
取り敢えずCDを掛けてみようと思って掛けたら驚いた。
ぶっ飛びそうな音の出方。
なんじゃこりゃ?と思ってから気づいた。
TASCAM CD-401の出力はバランスアウトの方に変更して
そのままだった。
別にバランスアウトだから良いとかそんな問題ではない。
それに、前にも書いたがこのCDプレーヤーのバランスアウトは
DAC四発使用とかそんな仕様でも無い。
トランスも使っていなくて、ちんけな(失礼)基板でバランスアウトを
作っているだけのものだ。
ではアンバランスアウトと出力の大きさが違うから
音が大きく聞こえて迫力が増しているだけか?
いや、どうも違う気がする。
しばらくバランスアウトで使ってみたいが
ソフトによってはどうにも音量を絞り切れないのも確かなので
いよいよパッシブコントローラーの抵抗値変更の必要も感じる。
4月4日
オーディオとは面白いものだ。
(何を今さら…)
ロジャースは今の位置が、かなり塩梅が良いみたいだ。
ところが問題がいくつかある。
そのひとつが、右側のスピーカーが出入り口に近く、
ともすると身体を当ててしまうことがあることだ。
これはすなわちセッティングが狂ってしまう事を意味する。
これがまた、よっしーが50近くになって初めてスピーカーセッティングに
興味を持ち始めたところだから困る。
うーん、どうしようか…
やっぱりレーザー墨出し器が必要?
4月7日
4月8日が来る。
このサイトの立ち上げが2000年4月8日だから丸11年が経ち12年目に入ったことになる。
実に早いものだ。
本当にあっという間。
だが11年という歳月が一瞬ということはあり得ない。
ちゃんと振り返れば色々なことがあった。
当時小学二年生だった長男は大学に入る。
幼稚園年中だった長女は高校に入る。
よっしーの妻のピアノ教室は当時自宅。というかズバリよっしーの部屋にあった。
それが専用スペースに移って8年。生徒さんはそろそろ100人に迫る。
そういえば犬も8歳だ。
故人となられた方もいる。新しく生まれた命もある。
ITバブルは2000年途中から崩壊。
小泉政権は色々な物をぶっ壊し、2003年頃まで景気低迷。
その後いざなぎ越えと言われる3年があったが2006年から再び低迷。
2008年リーマンショック。そして今年3月11日大震災。
拾っていけば色々あるのだ。
オーディオに限って振り返っても色々あった。
…というか丁寧に拾っているとキリがないので、ここは簡単にいくが
2000年当時よっしーの部屋にあった物というとスピーカーが長岡先生設計のネッシー改。
アンプはPRA-2000、SY-77、P-306RS(以上プリ)、HMA-9500MK2、A-10Type3、M-22、M-506RS、Model170DC(以上パワー)
PM-94(プリメイン)。
プレーヤーはSP-10MK2の自作プレーヤー、GT-2000(以上アナログ)
CD-10、CDP-777ESA(以上CD)
というのがだいたいの所。
2011年現在部屋を見渡すと…
アンプがSA3、PRA-2000(プリ)、HMA-9500初期、HMA-9500後期、HMA-9500MK2(以上パワー)
HX-10000(フォノイコ)、YDP-2006(パライコ)。
AVC-2870、DSP-A1(AVアンプ)。
プレーヤーはSP-10MK2の自作は変わらないがアームは増えている、GT-2000X(預かり物)。
SR-929、PL-50MK2(以上アナログ)
DVP-S9000ES、DV-A10、CD-10、CD-401(以上デジタル)
KT-1000(チューナー)。
スピーカーはLS5/9、DS-301、コンコルド105、栗スピーカー、FE-87使用自作、YST-SW45。
…という感じだが、ここに無くても保管されている物もある。
(というか無くなった物がほぼ無い)
問題は音だが、これは比較が難しい。何しろ音なんてのは出たそばから消えていく。
だが、相当異なっているのは確か。
部屋も装置もそんなに変わっていないのだが音は違う。
ここがオーディオの面白いところだ。
それと、振り返ってみるとわかるが装置はだいたい二系統が並列して存在する。
現状でロジャースはピュア2チャンネル用として活躍。駆動しているのはセパレートアンプ群。
DS-301は栗スピーカーと組んでスピーカーマトリックス方式。駆動しているのはAVアンプ。
他に(今一時的に外してしまっているが)自作スピーカー達+YSA-SW45によるディスクリートマルチというのがある。
装置は一部屋に一組が理想とされるが生来の欲張りでそれが出来ない。
それぞれに良さがあり、使っていての楽しさが勝ってしまうのだから仕方ない。
さて、色々振り返って一番進歩が無いのが部屋主自身と気がついた。
こりゃ仕方ない。
今日本は語るに語れないような状況だ。
何が出来るか、出来ないか。
ひとつ思うのは自粛の方向を間違うと復興は遅れるということ。
電気は節約する必要があるが、お金は使わないといけない。
景気を低迷させたらとんでもない事になる。
よっしーも少し考えないといけない。
ただ、可処分所得があまり無い(ほとんど学費で消える)のが悩みの種だ。
4月8日
月刊オートバイ1978年6月号。
昔持っていた。これは最近あらためて入手した個体。
ゼロハンの特集号なのだ。
ゼロハン10台で筑波を走る。
もちろんレース。
登場するのはCB50JX-1、RD50、RG50
TS50、MR50、OR50、GR50、OM50、GT50、XE50。
ロードスポーツあり、オフロードあり、ミニあり、アメリカンあり
というところ。
サーキットラン。上位三位は当然ながらロードスポーツ三種。
YAMAHA RDは18インチタイヤと油圧フロントブレーキを装着した
タイプに変わったばかり。
HONDA CB50JX-1はカラーリング変更をしたタイミングで
要するによっしーの現有機と同じタイプ。
ま、ざっと35年くらい経っているのね…
SUZUKI RGも元気。
全体にCBを模した感はあるが、実に格好良いスタイル。
車体も軽いので、理論的には最速ということになる。
GR50も改めてみると実に良い。
ミニスポーツとは正にこういうのを言う。
二型でカラーリング変更するが、当然本当に格好良いのは
この黄色に黒白のストライプの物。
(一文字ハンなのだからバックステップは欲しい)
OR50はマメタンカスタムと呼ばれたタイプで
これはこの年のゼロハン人気ナンバーワンとなる。
サーキットランをするのなら、ハンドルはコンチに変えたい。
マメタンはコンチハンドルも似合うのだ。
XE、OMとちょっとコンパクトなオフロードも可愛い。
XEはサーキットではビリになってしまったが
トータルでは最もゴージャスなゼロハンだと思う。
OMすなわちミニタンも実にスタイルが良い。
GT50というとピンと来ないが、ミニトレと言えばすぐわかる。
こちらもサーキットでこそ順位が上がらないが
町中をビンビン走る分にはCBあたりより遙かに活発にいける。
TSはハスラーで、このタイプはロータリーディスクバルブでは
無くなっている。
ライバルはMRだがMRはとにかく早い。
これがそのMRだが、活発さはかなりのもので
ロードスポーツ三車に序で四位の座につく。
ロードスポーツがオフロードに入ればカメになってしまうことを考えると
トータルパフォーマンスではナンバーワンかもしれない。
…以上なのだが、まあ本当に1978のゼロハンは
全てカッコウ良く、出来るものなら全部所有してみたいと思うほどだ。
それは叶わない夢だが、もし一台CBに追加するならGRかな?
ミニだし2ストだし…
1978年当時、本当にゼロハンは元気だった。
いや、乗り手も元気だったのかな?
'80年代に入り各社パワーアップしたゼロハンを開発。
単に馬力が上がっただけでなく、トータルで大変な進歩を遂げた。
例えば同じヤマハでいうとRD50とRZ50では子供と大人ほどの
差があった。これは仕方ない。
'70年代のゼロハンは(ゼロハンだけではないが)
なにかとやんちゃで子供っぽいとも言える。
だが、そこが良い。
腕白でも良い。逞しく育って欲しい。
そんな感じだ。
そしてこれは時代の反映だと思う。
4月12日
柄にもなくCB50で桜の下に。
出会いがあって別れがある。
色々出会い、そして別れる。
今、この瞬間、皆それぞれの空の下か。
逢いたい人もいる。
旅に出てみたいと、最近とみに思う。
4月16日
何もかも面倒になった時、CDプレーヤーにヘッドフォンを挿して聴くというのは
ありだと思う。
ただ、最近そういうことをしていなかった。
理由はというと、只単に身近にヘッドフォン端子付きの
CDプレーヤーが無かったからなのだ。
CD-401にヘッドフォンを挿して、さて何を聴こうか?と思って
引っ張り出したのがCDシングル達。
最近は8pCDなんて無いのかな?
浜田省吾さんで「風を感じて/ラストダンス」。
「風を感じて」'90年の駒沢大学メモリアルホールでの。
「ラストダンス」が'82年の日本武道館での、それぞれライブ収録だ。
「風を感じて」は、ハマショーの、ある意味出世作だから
細かい説明も必要無いだろう。
ポイントは「ラストダンス」の方で、これは往年の(初期の)浜田省吾のライブでの
エンディング定番曲。
元々はセカンドアルバムの「ラブ・トレイン」に収められているのだが
'82年1月の日本武道館のテイクということは
二枚組ライブアルバム「ON THE ROAD」と同日の物ということだ。
そこには収める事を出来なかった物が、長い年月を経てCDになり届けられたのだから
熱心なファンにとっては、特に感無量というところだろう。
歴史には。そして個々人の人生にも、”もし”は無いのだが
僕がバイクやギターや音楽という物に出会わなかったら
今頃全然違う人生を送っているはずだ。
…はず、なのだが、ではもう一度30〜40年前に時間を巻き戻したら
どうだろう?
何だか同じ事を。それも更にスケールアップした形でやってしまう気がする。
一つには、それだけ甘美な時だったというのがある。
そしてもうひとつ。人間の本質というのは
変わらないのでは?というのがある。
きっとそうなのだと思う。
“キャンドル 揺れる横顔
グラスに落とす かすかな ため息
二人で 靴がすり減るほど 歩いたこの都会(まち)
今夜は 寂しそう
もう一度 踊っておくれ このままで
もう一度 くちづけおくれ このままで
もう一度 やり直せたら…
馬鹿だぜそんな話しはもう 止めよう
僕が 僕である限り
何度やっても 同じ事の 繰り返し”
そう。きっとそうだ。
僕が僕である限り、何度やったって同じことの繰り返しに違いない。
いや、そんなことはない、と反論する自分もいるが、
変わらない自分を微笑ましく、暖かく見守る自分もそこにいる。
4月18日
この駅で降りたのは一体何年ぶりのことなのだろう?
あまりの様変わりに、一瞬駅を間違えたのかと思ってしまった。
電気の街だ。
僕はそもそも超出不精な人間で、秋葉原に足を踏み入れたのは
30数歳になってからだと思う。
その頃既にオーディオは衰退していたし
街の変革は始まっていた。
それでも2000年代初頭は、なんとか頑張って存続、みたいな感じもあったが
21世紀も最初の10年が過ぎてしまうと
さすがに変わってしまうものだと実感した。
アニメ、フィギュア、同人誌という分野には人だかりが出来ている。
パソコン関係については言うまでも無い。
それは時代の流れというもので、良いも悪いも無い。
そういうものだ。
でも、かつて大きなスペースを取っていたお店が
いつの間にか手狭なスペースに追い込まれているのを見るのは
心情的にちょっと辛い。
疲れていたし、途中から急激に寒くなって来たので
ほどほどのところで切り上げたのだが、抵抗を数本だけ買った。
そしてもう一つ。
古本というか古雑誌を一冊。
金300円也では経済貢献にはほど遠いが
まあご勘弁。
画像を見ておわかりの通り、YAMAHAのDSP-A1が登場した時の
HiViの増刊号だ。1998年5月号。
今となってはいにしえの…という感じだが、
DSP-A1ユーザー(2009年末に只で頂戴した物だけど)
としては見逃せない?
変化の激しいAVの世界では13年前のAVアンプなんか
無意味という説もある。
しかし'90年代以降AVアンプでは5.1chへの対応が始まっており
DSP-A1でもアナログ5.1の入出力端子がついている。
ここがポイントだ。
SACDやDVD-Aの5.1マルチ信号を受けて再生することが可能。
これが無いと、さすがに手元に置きたくない。
そういう意味でDSP-A1は、かろうじて(自分的に)合格なAVアンプなのだ。
SACDやDVD-Aの5.1信号を受けてしまうと
せっかくのCINEMA DSPも宝の持ち腐れとなるが仕方ない。
以上のようなことはさておいて、この雑誌個人的には大変楽しかった。
改めてだが、AVファンは明るくて前向きだということ。
CINEMA DSPという新しい物に対して積極的である。
対してピュアオーディオ派というのはどうも辛気くさい?
スピーカーの数が増えることもケーブルの数が増える事にも良い顔をしない。
なにかと2ch信仰で、部屋中にスピーカーを置いて
しかもプロセッサーを使って“響き”を付加するなど言語道断というのが
ピュアオーディオ教だ。
いや、まあよっしー自身がそういうところがあり
装置が複雑なのはごめん被りたいというのが本音なのだが
反面AVファンの方達の自由奔放な行き方を見ていると
羨ましくも思えてしまうのだ。
この一冊、当時DSP-A1を実際に購入した人。
購入しようと意気込んでいた人にはありがたい一冊だったろうな、
と思う。
何が良いって、付属の取説より遙かに親切でわかりやすい(笑)
そして夢がある。
DSP-A1を5.1のプリとしてハイエンドパワーアンプや
スピーカーを組み合わせるという豪華プランも試されているが
なかなかの結果が出たようだ。
そしてもう一つ。
この'98年頃というのはちょうどDVDの黎明期でもあり
LDが終焉を迎えようかという時期でもある。
故に送り出し側のソースも多彩で、それも興味深い。
ま、全ては過去のこと、と言ってしまえばそれまでだが、
それこそ昔のアキバでは、豪華なLDボックスセットが
金持ち?的象徴として輝いていた。
世の中は移り変わっていくものだが、
それは仕方ないものであろう。
4月21日
我ながら凄い配線…
まあ17年位前の作品だから許してね。
こちらパッシブコントローラーの中身。
パッシブコントローラーPC-5。
気に入って使っているのだが(省エネだ)
問題が一つ。
僕が必要とするような小さい音が得られないのだ。
原設計のまま作ったのだから仕方ない。
どうしたら良いのかというと抵抗値を変えれば良いのだ。
色々考えたが、R1の抵抗を大きくすることにした。
実に単純な方法だが、音量は間違いなく下がる。
ということで秋葉原で抵抗を求めてきた。
原設計のR1は5.6KΩと10KΩ。
これをスッチで切り替えて最小5.6KΩ。最大15.6KΩに出来る。
それでも音が大きすぎるのだからこの数値を大きくするしかない。
で、更に安直な方法で、5.6KΩの抵抗に直列に20KΩを。
10KΩの抵抗に直列に25KΩを繋いだ。
ま、実験だから…
結果!
音量はちょうど良く下がった♪
最高に絞った状態では深夜のリスニングにも使えるレベルになる。
反面音量不足になるということはない。
しかし、このやり方がベストなのか?
残念ながら電気知識に乏しいよっしーにはわかりません(汗)
4月24日
田中好子さんが亡くなられた。
キャンディーズに夢中…にはならなかった。
別に女の子が嫌いだったわけではない。
ただ、中学生当時、ラン、スー、ミキでどれが好きだ、
なんて話題を振られると思わずガキめ、と思うタイプの
要するに嫌な奴だったのだ、僕は。
しかし、長い間患われていたと知って、
“本当に大変だったのですね”、と声を掛けたくなった。
そうそう、小学六年生の時、横浜三越が出来て、
その時キャンディーズの三人が来てくれた筈だ。
友達が、「昨日エレベーターでキャンディーズと一緒になったんだ」
と熱く語っていた事を覚えている。
あるいはキャンディーズについて、それが僕の一番の思い出かもしれない。
…ということで手元にキャンディーズは一枚もないので
代わりにこの中から「アン・ドゥ・トロワ」を聴こう。
“優しい言葉聞いた気がする
それが淋しさの季節の終わり
今日からはあなたと二人
誰も知らない出発(たびだち)だから
夢の中から駆けてきた
愛というなのお酒に酔って
アン・ドゥ・トロワ 踊りましょうか
アン・ドゥ・トロワ 流れるように
人は誰でも一度だけ 全てを燃やす夜が来る
アン・ドゥ・トロワ 今がその時 もう戻れない
アン・ドゥ・トロワ 今がその時 もう戻れない
さよならキャンディーズ”
「アン・ドゥ・トロワ(ばいばいキャンディーズ)」
作詞・喜多条忠/作曲・吉田拓郎