7月13日
いかん、あっという間に7月半ばだ。
オーディオ再開の日も近いということで機器の点検を…
なんて気にはなかなかなれない。
もうちょっと待とう。
で、1993年オーディオ再開の時の話しをしていたが
どうも'93年〜'94年辺りの記憶が曖昧なのだ。
'95年あたりから記憶がしっかりしてくるのだが…
そして思い出したのだが、'93年'94年の頃というのは
まだ未練がましく車やバイクにも手を出していたのだった。
だからオーディオの分量が少なかったのだ。
バイクはともかく問題は車。
そもそも故障が多い車なんて家人に喜ばれる筈がない。
結局泣く泣く手放したのだが断腸の思いとはこの事だった。
いや、今振り返ればそんなものにしがみついていてもしかたないのだから
それで良いのだが、趣味人が納得も行かないまま趣味を打ち切りにされる位
辛いものはない。
わかったよ、車もバイクも止めましょう。
その代わり…覚えていろよ…
という最後の呟きは口にしなかったものの
始めたら凄かったわけだ。
しかし、まあ何が幸いするかわからない。
あのまま車やっていたらお金も今以上に掛かったろうし
何かと障害が多かっただろう。
室内でやれる趣味ということでオーディオの方が家人にしてもマシだったのだ。
ところで僕が乗っていた車だがワーゲンビートルだ。
もちろん空冷のヤツで、通称カブトムシ。
今もう一度同じ車を所有して乗り回すかというと
ちょっと勘弁というのが本音。
だがネットで徘徊していると色々楽しそうな人たちを見つけて
ほほえましく思う。
こちらなんかはショップの人のブログだが
大変まっとう。
こういうまっとうな発言が、時に受け入れられないとしたら
やっぱりそれは問題だろう。
7月18日
とかなんとか言いながらせっせとネットを徘徊すると
実に楽しそうなのをいっぱい見かける。
ホントに羨ましい♪
僕が乗っていたのは既に書いた通り世界の大衆車
VWビートルだった。
この車実に長い歴史を持つが、愛車だったのは
'78年式のドイツ製最終車(限定のグローリービートルではない)
少しでも年式が新しいのを、と思って買うあたりが
今思うと微笑ましく、ガキだった。
ビートルも'76年式からはインジェクション。
インジェクションだから壊れやすいとかそんな事はない
(だいたいそんな事を言っているのは乗ったことがない人だ)
のだがキャブより複雑なのは確か。
完成度は高いのだが、ブラックボックスの部分が少ないという
安心感を求めるならキャブ仕様の'75年までがよろしい。
'67年以前のビンテージならもっと良いというのはあって
やっぱり素敵だ。
しかし今(2009年)となると'70Sの高年式(どこが高年式だ?40年も前のだ)
もそれはそれなりの魅力を持つ。
両方持つのが良いだろう。
しかし大衆車だろうが何だろうが古い外車なんて持つもんじゃない。
フツーの国産車を基準にすると信じられない位壊れる。
ホントに一年中工具を握っていた。
今考えると、なんて素敵な日々だったのだろう。
お陰でとても詳しくなるが、好きで詳しくなっていないってば(笑)
色々なサイトを見ると、苦しくも楽しく。楽しくも苦しかったあの日々を思い出す。
今乗っている皆さん、頑張って欲しい。
なんの日記だかわからなくなったが、一応電気繋がりで言うと
特に古い車と付き合う場合、出来れば配線をやり換えるとよろしい。
可能な限りで太くて立派な物に換える。
接点には要注意。
メンテナンスを考えるとコネクターの使用はやむを得ないが
これがまたトラブルの元にもなるので
半田付けなんかしてしまう方が良い部分もある。
香港の大金持ちがフェラーリの配線を全部6Nだか7Nだか8Nだかの
線に換えたらエンジンの吹き上がりが実に綺麗になったという
話しを読んだことがある。
眉唾と思う反面本当かも、と思うのがオーディオマニアの悲しいところだ。
(もちろん長岡教徒であればキャプタイヤ、あるいは単線Fケーブルを使わなくてはならない。
Fケーブルが実用になるかどうか、は当方は知らないが)
冗談はさておき配線を自分で引き直すというのは
愛車に対して大変自信がつく行為なので
ホントのオールドカーをお持ちの方は是非チャレンジを?
7月22日
やっと休日。で、今日は皆既日食の日。
しかしながら雨に祟られた。日本各地で悲しい思いをした人が多いことでしょう。
実はよっしーはその昔(ほんの一時期だが)天文少年だった。
小学校3〜4年生の頃のこと。天体望遠鏡を買ってもらい
夜な夜な星空を見上げていた。
で、当然のこと日食なるものの存在を知ることになる。
月食というのは平均すると年に一回は見られるが日食はそうはいかない。
さて、一体次に日食が起こるのは…?と調べてみると
1978年(部分食)とか恐ろしい事が書いてある。
1970年から見ると8年も後である。
少年にとって8年はあまりにも先の事だ。
更に皆既日食は?と調べると、2009年とか訳のわからない事が(笑)書いてある。
2009年って一体いつだ?と固まった。
もうこうなると検討がつかないとしか言えません。
その前はいつだったの?と見ると1963年だったので、自分は二歳。
(北海道東部で夜明けに観測出来た)
これももうお話しにならない。
絶望的な気持ちでうつむいたのを覚えている。
しかし、それから40年弱が過ぎたのだ。
とうとう2009年7月22日がやってきた。
内心一人で種子島辺りに行こうかという想いは、2009年という年を迎える時
あった。
ただ日々に流されあっという間に当日を迎えた次第。
結論を言うと行かなくて正解(行った人にはごめんなさい)
だったかな。
確実に見るには船、あるいは飛行機を使うしかないかもしれない。
取り敢えず2009年の日食は終わった。
次に日本で観測されるまで生きていられる保証は無いから
どうしてもとなると海外ツアーだ。
その方が良いかな。
それにしても首都圏は厚い雲に覆われ日食の片鱗すら感じる事が出来なかった。
かえすがえす残念だ。
さて、40年前。あなたはどこで何をしていましたか?
そしてその時思ったことはどれくらい叶いましたか?
全然叶っていない?
そうかもしれません。
それが人生ってヤツではないでしょうか。
人間の姑息な願望と別に、天体は永遠(ではないのでしょうが)の動きをしている。
その事に感動。
しかし同時にそんな自然の営みを、ちゃんと計測出来る人類にも感動。
(日食が次にいつどこで起きるかわかるなんて凄いじゃないか)
人間は確かにちっぽけだが、それはそれでやっぱり偉大なる存在だ。
そんなに卑下するもんじゃない。
追伸:オーディオ再開まであと僅か。
7月27日
何年かに一度、免許の更新というヤツが来る。
最寄りの警察署でも更新出来るのは知っているが
僕の場合は昔散々通った試験コースを見たくて
運転免許試験場まで行ってしまうのだ。
自分の青春の一部はここにもあった、と懐かしく振り返る場所だ。
あれから一体何年が過ぎたのだろう?と感傷的になってしまう。
というか感傷的になるためにここへ来るのだ。
そこまでは良いが、ではあれから幾年、一体自分は何をなしえたのだろう?
何者になったのだろう?と考えると暗澹たる気持ちになってしまう。
これは感傷的ではなくて懐疑的というヤツだ。
いや、それはそれは本当に暗澹たる気持ちになってしまう。
もちろん思った通りの事を出来ていないのは自身の責任だし
それ以上でもそれ以下でもないのだが、
人生ってヤツは「では、こうあれ!」と願っていきなりそうなるものではないから
困ってしまう。
まあ「困っている暇があったら実行しろ」と言われるとそれまでなので、
はい、ごめんなさい、としか言いようがない。
そしてもう一つ。僕が運転免許試験場を好きなのは
「ここでは万人が等しい扱いを受ける」というところにある。
まあ今日だけでももの凄い数の人が更新に来ている訳で
現場の、特に女性陣は活躍していた。
余談だが「偉いよ」と思ってしまう。
割に合う仕事では無いのだろうが、僕は女性の本当に美しい姿は
仕事をしている時にこそあると信じる派だ。
逆に一階の総合受付にいた女性。多分婦警さんは
最低の応対をしていた。
一日僕の下で働くと良い。…いや、半日も保たないか(笑)
話しが逸れた。
万人が平等。
何しろ所定の事を済まさないと免許が更新されない。
肩書き、経歴、偉い、偉くない、若い、高齢者、
男、女、一切関係ない。
人間なんて基本的にはホント大した違いは無いのだと思う瞬間だ。
「俺に事故は関係ない」と言わんばかりの若者(何故か免許の更新まで
お友達とつるんでやってくるのだな、これが)
途中で寝入ってしまって起こされるおじさん。
人妻らしき人もいれば、初めての更新、みたいな女性もいる。
お行儀の悪いおっさんというのはどこにでも居て、迷惑なものだと思ったりもする。
…色々だが人の数だけ人生はあるというのは確か。
一歩出ればバラバラに帰路につく。
みな色々あるのだろうな、と思う。
色々ある。そしてみな思い思いに生きる。
次に更新する時は僕も50代か。
正直言って年を取るのは素晴らしい事だと思えないのだが
嘆くほど生きられるということはそれだけでも幸せの証という説もあり…
とりとめも無くなったが、色々あるのですよ。色々。
ぼやいている場合ではない。
やるならやらねば、である。うん。