5月1日
鎌倉へ
湘南モノレール。
スリリングな電車だ。
高い所を走るから展望は最高。
そして適度に左右、上下にカーブを切り走る。
ちょっとしたコースター気分。
下を眺めていると、そうなる理由もわかる。
先に人が根付いた街があり、後からそれを縫うようにこのモノレールは
走っている。
街と交通が同時に作られた街では電車も理路整然と走るが
湘南モノレールは違う。そしてそこが情緒を生む?
とにかく楽しい電車だ。
さて、僕が湘南モノレールに乗るとき、行く先にはJBLが待っていてくれる。
Pippinさん宅訪問。通称「鎌倉オフ」の始まりだ♪
この日はみゆきさんも一緒。
要するに休日が多くの方と違う人ばかり(笑)
…と、それは良いがいつものブルーバッフルが今日は少し小さくなっている??
いや、アホな呆けはやめよう。
JBL4341降臨。
そうです、Pippinさんは今回、4343を4341に入れ替えられたのだ。
JBLスタジオモニターの系譜をひもといてみよう。
JBL4341が生まれたのが'74年。
翌'75年に4340が登場。
そして'77年に4343が生まれる。
この4343が日本でベストセラーになったことは有名。
4341、4343共、故瀬川冬樹先生が導入された事で名を馳せたということもある。
4341と4343。
知られる様にユニットは同一。
ただ、とにかくキャビネットのプロポーションが違う。
4341は600W×950H×500D mm 。
4343は635W×1051H×435D mm 。
単純にいうと4341の方が幅、高さ共小さく、その分奥行きが深いという事になる。
僕はPippinさん宅で4343を拝見し続けていた。
同じ場所に4341があるのだから違いは数値以上にリアルに感じる。
奥行きは65oの違い、と書けばその通りなのだが
実際には数値以上に違って感じる。
4341の方が遙かに奥行きが深いという印象。
そして高さは100o違う訳で、これはかなりの雰囲気の違いにつながる。
4343は“そそり立つ”という感じがあるが、
4341は実にどっしりと構える感がある。
…と、細かい事は抜きにして4341と4343は同じユニットでキャビネットの縦横奥行き比が
若干異なるというのが大雑把なまとめ。
さてしかし、音の方はとてもそれだけの違いとは思えないくらいの違いを示す。
4341。これは正に、THEスタジオモニター、だ。
色々なディスクが掛けられるのだが、どれを聴いても
本当にスタジオのモニタールームで聴いているような錯覚に陥るのだ。
目の前にミキシングコンソールがあり、
更にその向こう側にガラス越しに見えるスタジオがある。
そんな感じ。
ラージモニターというと大雑把な感じを持つ人もいるかもしれないが
中高域を再生するユニットが比較的狭い範囲に集中していることも手伝って
“キュン”と引き締まった音が聞ける。
それでいて圧倒的な量感を持った低音に代表される開放感を持った音は、
これは小型スピーカーでは容易に聴くことの出来ない音だ。
超低音まで伸びて、それで居て切れが良く、“ストトン、ストトン”と決まる音は
正に最高♪
ここで軽く検証その1。
4341の高さ950oというのは一般家庭でソファーに腰掛けて聴くに理想的な高さ。
ちょうど良い位置にツイーター達が来る。そして同時にこれ以上高くなると圧迫感が出て来る
ぎりぎりの高さだ。
これが一つ効いていると思う。
そして4341はキャビネット下に最初から袴をはいている。
単純な事なのだが、これが実に理想的な位置にウーファーを持ってくるのに
一役買っているのは間違いなし。
「4343と入れ替えてポン置きでこれだけの音が出てしまうとは…」
と当のPippinさんご自身が呟かれていた。
本当にそれだけの音が出ている訳で、
4341恐るべしとしか言いようがない。
5月2日
ポン置き…とは言っても既にここ何年も掛けてPippinさんは
同じ位置で4343を相手にカットアンドトライをされて来た。
だから本当のポン置きとは意味が違う。
ある意味用意万端整った所に4341が満を侍して到来したとも言える。
この辺りの事情を見逃してはいけない。
しかし、それでも新しい環境に来てこれだけの仕事をしてくれる4341は
やはり名器だ。
思えば4341はそれほど有名ではない。
…というかその型番は皆知っているのだが案外本物を拝んだ事がない。
後継機の4343が馬鹿売れしてしまったため尚更影が薄い存在になっている。
ビックメジャーよりはマイナー掛かった物に肩入れしたくなるのが
よっしーの心情。こうなると4341を褒めちぎりたくなるが、
4343に口がきけたら、「勝手にベストセラーにしたのは君たち日本人だろ」
と言いたくもなるだろう。
何しろ4343は日本でこそ二万セットも売れたらしいが、アメリカでは探すのも
難しいと聞くから、いかに日本人だけが4343贔屓かわかろうというもの。
オーディオ。特にスピーカーというのは誠に面白いもので
ユニット同一でキャビネットの容積もほぼ同じ。
それでいてプロポーションが違うだけ(本当にそれだけとは思えないのだが)
でこれだけ音が違う。
実際に自分で使ったことがないよっしーがとやかく言うのは問題もあるが
どうも4343より4341の方がコントローラブルに思えるが違うかな?
ということはさておいても、実物を目にすると4341の縦横奥行き比は実に素晴らしく、
THE黄金比という気がする。
これは完成されたプロポーションとしか言いようがない。
さてさて、音を作っているのはスピーカーだけではない。
Pippinさんの装置はこれまでも幾たびがご紹介させて頂いているが
アナログプレーヤーがEMT930様。CDプレーヤーがスチューダーD730Mk2様。
プリがレビソンLNP-2L様とマランツ#7様。そしてパワーがマランツ#9様と、
軒並み“様“付けで呼びたくなるような名器の勢揃い。
もちろん名器を揃えればそれで良い音がするほど世の中は甘くない。
Pippinさんもあれやこれやと使いこなしを工夫されている。
が、今回はその部分は省略。
いきなりプリ差し替えで二つの音を楽しむというパラダイスに突入。
プリ二つというが、一つがレビンソンのLNP-2Lで、もう一つはマランツ#7オリジナルだ。
これはもう盆と正月が一緒に来たような、
(我ながらセンスがない比喩だ)
大騒ぎである。
ちなみにそれまで拝聴していたのはLNP-2L様。
これをマランツ#7に換えると、音はどうなる??
うーん、これも良い。
(当たり前?笑)
二大名器でどこがどう違うといっても仕方ないが、
レビンソン様が、あくまでも「俺はここに居る」と
力強く主張されるのに比べると、マランツ様は、やや端正(あくまでも比較の問題で
#7様も支配力は強いのだが)。
一歩引いて全体を見渡すという感じが出るので
4341が、よりモニター然としてくる感じがある。
しかし、まあそれもこのレベルまで来るとどうでも宜しいという気がしてくる。
何しろ気分次第で差し替え自由だもの(笑)
しかし、つくづくJBLは凄いスピーカーを作っていたものだ。
5月5日
ところで今回のオフにはもう一人ご参加の方が…
それはKenrickSound店長さんの細井さん
Pippinさんは4341をKenrickさんから購入されたのでした。
今日は嫁いだ4341の調子をご覧に
(もちろんビジネスとして、検品、アフターケアーという意味もあり)
いらしたのでした。
ごちゃごちゃ理屈を言うより、今回の一品を見て貰う方が早いのだが
とにかくKenrickさんは良い仕事をしていらっしゃる♪
ネジ一本に至るまで、こだわりの仕上げ。
そして何より、細井さんは語り口が静か。
余計な事は語らず、しかし訥々と語る時はその内容が濃い。
大体が良い仕事をしている人というのはそういう傾向にある。
詳しい事は上記サイトで確認すれば良いし、心配なら逢って話せば良い。
43XX系の導入をこれからお考えの方は一度相談してみても
損をすることはあるまい。
それにしても細井さんは、僕なんかから見ても大変お若いわけで、
その様な世代の人がJBLの名器を手掛けてくれるというのは
それだけでとっても心強いしありがたいことだ。
*なお、この日の様子を含めた日記が、Kenrick Soundさんのページに
アップされています。必見でしょう♪
5月6日
ここでレアアイテムをご紹介。
テクニカのシェルであることは一目見ておわかりだと思う。
しかし型番が…??
AT-LSEMTって…??
そうです。これはEMTプレーヤー用にテクニカが作ったシェルなのです。
実にレアー度が高い。
なんと言っても試しにテクニカに問い合わせたら
当のテクニカの社員でさえ現物は見たことが無かったというくらいだから(笑)
このシェルが沢山あれば、EMTプレーヤーで色々なカートリッジを
楽しみやすいのですが…。
そしていつもの様に僕らはN先生宅へ向かう…
N先生宅には4343が待っていてくれる。
いや、これはやはり4343改と呼ぶのが正しいのだろう。
マホガニー無垢材からギター職人が削りだしたという
ZYGOMA製ウッドホーン(ドライバーは2450J改)が天板に載るし
金色のツイーターは2405改だし…と詳しく説明するのが難しいくらいだ。
ネットワークも外付けとなっている。
本体の左横に見えるのが外付けネットワーク。持ち上げようとすると
ずっしり重い。
そして4343改とスピーカーベースの間にはこれまたZYGOMA製の
フローティングサスペンションが入っている。
今回この部分を初めてアップで撮影させて頂いた。
何でもピアノ線をスパイラル状に巻いたサスペンションらしいが
とにかくこの4343改は、ある意味フラフラなのだ。
手で揺すれば簡単に揺れる。
古来よりオーディオ機器。特にスピーカーはリジッドに固定すべし、
という黄金律みたいなものがあるが、そのような考えには真っ向から反対するような
セッティングだ。
しかし、これが音が良いのである。
特にウーファー領域が上手い具合に弾んで切れるのはこのセッティングによる所も大きいのでは?
と、どうしても思ってしまう。
Kenrickの細井さんは、ある意味僕など比較にならないくらい
多くのJBL43XX系の音を聴いていらっしゃるのだが
その細井さんをして、「これは…」と唸らせるものをこの4343改は持っているようだ。
吹き抜けるような中高音はウッドホーンが効いているのだろうと
感心しきりだったご様子。
さもありなん、という気がする。
もちろん、音はスピーカーだけで出るものではない。
これら駆動系装置の功績も大きい。
CDプレーヤーはスチューダーD730。
プリはレビンソンのLNP2。
アキュフェーズのデバイダ、F20を介して
パワーアンプはマッキンのMC-1000が四発。
正に威風堂々。
N先生サウンドは今日も健在、
しかし…
しかし、たいへん残念な事に、N先生は昨年他界されている。
僕らが前回お邪魔したのがちょうど一年位前。
その後急に体調を悪くされ、まさかと思われたのだが
帰らぬ人となってしまった。
それから数ヶ月。本格的に音を出すのはいつ以来?、ということで
音も変わってしまったかと危惧されたが
なんとN先生の音はそのまま保たれていた。
いや、音だけではない。部屋の空気さえもあの時のまま、という感じ。
そのせいもあって、どうしてもN先生が居ない事が現実のものとして
受け入れられない僕らが、そこにいた。
今にも「いや、失礼失礼。遅くなったね」と言って先生が
防音ドアーを開けて入って来られる様な気がしてならなかった。
「亡くなったなんて嘘だよ」、と誰かに言って欲しい。
遠い空の上から、今日のオフの様子も眺めていらっしゃったのだろうか。
だとしたら嬉しい。
鎌倉オフではこれからもN先生の音を鳴らし続ける事になると思う。
そう、その音を保ち続けるために…
あらためてN先生のご冥福をお祈りします。
*Kenrickの細井さんのブログにもこの時の様子がアップされています。
5月14日
さて、よそ様にお邪魔して4341だ4343だと騒いでいるが
今自宅で鳴っているのは、例の段ボール(!)マトリックススピーカーだ。
我ながら落差に愕然とするが仕方ない。
不思議なもので、これでも充分音楽は聴ける。
…というか美点も多いのだが詳しくは書かない。
たぶんわかる人には書かなくてもわかる♪
ただ、マトリックスの効果については納得していない。
で、また性懲りもなく真っ正面から立ち向かってみた。
すると、どうも左右で広がり感が違う気がした。
?
結線ミスはしつこいくらい確かめた。
結論をいうと、どうもユニットによって音が違うようだ?
三本中、特に異質な音を出している一本をセンターに持ってきて
比較的同質な音がする二本を左右に配置。
これでバランスは改善された。
10年も経ったユニットで色々言っても仕方ないが、
そもそもスピーカーユニットというのは一本一本音が違う。
それに経年変化が加わると事態は深刻になる。
四本のFE-87の内一本はコーンに盛大なシミが出ている。
写真の物は外観は一番綺麗なのだが皮肉な事に
エッジの剥離が起きている様でビリビリと雑音が出る。
(もちろん使用はしていない)
やれやれ、やっぱり正式には一斉にメンテナンスに出さないと駄目だろうか。
(まだ対応してくれるかどうか知らないが)
老朽化したユニットでとやかく言われても長岡先生も困るというものさ。
「あんたそんな事より、この痛んだ床を何とかしなさいよ、お父さん」
…と犬が言って…、いないな、たぶん(笑)
5月19日
先日新聞を読んでいたら、「リア充」という言葉を目にした。
?と思い記事を読んでみたら、
リアル充実を略してリア充というそうな。
つまり、「すみません、最近リア充で更新出来ませんでした」
みたいに使うらしい。
するってーとせっせとホームページを更新などしているヤツは
現実の生活が充実していないということになる?
思わず笑ってしまった。
そうとは限らないと思うのだが、それすらどうでもよろしい。
歳を取ると言うことはこういうことか。
全く違う意見、考えに出会ってもヘロヘロ笑ってしまう。
まあそれも可愛くないといえば可愛くない態度だが(笑)
さて、明らかにビリつきが出ているFE-87一本のエッジをめくって
補修してみた。
なんていうと格好良さそうだが、要は木工用ボンドで貼り付けただけ。
上手く行ったのかな?確認している時間が無いのだが…
しつこくマトリックススピーカーの検証はしたい。
出来れば四本のFE-87のリコーンくらいはしてみたい。
フォステクスは受け付けてくれるのか?
出来たとして四本だと6〜7千円くらいは掛かるか。
NEW 8pシリーズにも心惹かれるが四本買うとなると1万円を越す。
それもやりすぎか?
いじいじと悩んでいるが、取り敢えずこの8pユニットは本当に可愛らしい。
5月20日
「自転車通勤で行こう」疋田智さん著/WAVE出版
行動範囲の中に良い感じの古本屋さんがある。
おかげで年間購読量は200冊を越えたと思う。
これは良いことか悪いことか?
週に何回かは必ず立ち寄るわけだから
すっかり顔なじみになっている。
お得意さん!
…と言いたいところだが、買うのは大抵一冊100円の物だから
お客さん面は出来ない。
(する気もない)
で、上記の一冊もそこで100円で買った。
1999年刊。第一版第一刷。
で、この本は面白い。
失礼ながら疋田さんの事は存じ上げなかったのですが
今ネットで見てびっくり。
この本が皮切りになって、凄い著作量だ。
これはあやかりたい。
本の中身については実際に読んで頂くのがよろしいのだが
著者はあることがきっかけで、忘れかけていた自転車にもう一度乗り始める。
するとその日から世界観が変わり始めるのだ。
通勤に。あるいはどこへ行くのにも自転車を使い始め
やがて愛着のあったマイカーも手放してしまう…。
あまりに陳腐な表現だが、ざっと紹介すると以上のようになる。
詳しくはこちら、をご覧下さい。
読み始めた途端、よっしーも自転車に乗りたくなった。
これは凄い支配力を持った本だ。
よっしーも昔はライダー(エンジン付きの方)だった。
(昔は、というところが情けない)
当時は「人間には二通りの人間しかいない。
ひとつはバイクに乗る人間。そしてもう一つはバイクに乗らない人間だ」
なんてほざいてしまうくらいの二輪きちがいだった。
我ながら随分格好良い事をほざいたもんだと思うが、
実は今でもそう思っているふしがある。
しかし、そんな事を言ったって今は乗っていないんだろう?
といわれるとそれまでだ。
せいぜい四輪に乗るくらいだ。
しかし、それで良いのだろうか?という疑問は絶えずあったわけで
今回「自転車通勤で行こう」を読んだら改めて自らの内面を
のぞき込む結果になってしまった。
と、そこで自転車購入…というには至っていないのだが
取り敢えず読みながら思い出したのが、今現在のマイブーム、
8pユニットだ。
(自転車の話もまたしてみたいが、取り敢えずオーディオ)
5月21日
先に断りしておくが僕はシンプルなことが一番素晴らしいのだ、
などとシンプル礼賛を日頃からしているわけではない。
念のため。
さて、だがしかし、巨大化したもの、肥大化した物、
複雑怪奇な物に不安感を持つところが昔からあるのも事実。
例えばその昔から、旅先で自転車の方々に遭うと
「良いですね、故障しても自力ですぐ直せるから」と話しかけていた。
モーターバイクというのは四輪車に比べれば遥かにシンプルだが
自転車と比べたら複雑怪奇だし出先の場合不調になると手に負えない
一面は持っている。
それに比べたら自転車は明快だ。
なにより、本当にどうにもならなくなったら畳んで他人様の車に便乗させてもらう
という手さえ使える。これは究極だ。
自転車は、なんというか「ミニマム」なのである。
人が使う道具として必要にして最小限の仕掛けしか持っていない。
だから人力でケリが付けられる。
これが、バイク、四輪、電車、飛行機と大がかりになると
ひとたび事が起きれば、もう人智ではどうにもならない事にさえなる。
「あると便利は無くても大丈夫と同じ意味である」と本に書いた人がいる。
…いや、何を隠そうワタシである。
今の世の中、あると便利が横行している。
というか、もう物自体は行き渡ってしまったので、
あとはいかにして更にその上を提言するか?という話に
ならざるを得ないのだろう。
オーディオなんかもその最たる物だ。
「音を良くするアクセサリー」だけでこれだけ飯が食える業界も
ちょっと無い?
それはそれで一つの趣味なのだから良いのだが
アクセサリーというのは主たる物がある程度ちゃんとしていないと
手を出せないというのがよっしー的概念なものでいつまで経っても
手が出せないでいる。
のだが、このアクセサリーという言葉がくせ者で、いったいどこからどこまでが
アクセサリーなのか?考え出すとややこしいものだ。
オーディオでアクセサリーというと思い浮かぶのがケーブルだが
これは無いと音が出ないのだから本来アクセサリー(=装飾品)
扱いは出来ないはずだ。
洋服関係でいうとネクタイとかはアクセサリーなのだろうか。
ブランド物のバックはどうなのだろう?やはりあれはアクセサリーだろう。
若い娘はアクセサリーばかり欲しがってどうしようもない?
いえいえ、おじさん達の名詞を飾る肩書き。これもアクセサリーだろう。
もっとも、それで給料が変わるとなると笑ってはいられない?
しかし、そう考えると給料自体がアクセサリー的要素を持っているともいえる。
給料のアクセサリー的部分が豊富になるほど人生のアクセサリーも
いっぱい買える?
これはなかなか結構な仕組みである。
これなくして資本主義は成り立たない。
長岡先生はレコード漫談で(日本の自衛隊を取り上げた時のこと)
マイホームの塀も国家にとっての軍隊もアクセサリーだと書かれた。
氏曰く、「塀も軍隊も実用というよりはアクセサリーであり、見得なのだ」
ということ。
まあその通りだろう。
だがしかし、これらアクセサリー類。一個人レベルの話となると
女が男を引きつけるためにも必要だし、男が女を引きつける際にも必要ではある。
例えば女性の立場に立って、友達の前で「これがワタシのフィアンセなの」と
紹介する際は、おベンツ様で登場してくれる方が、同じ人間でも自転車で
登場してくれるよりは威張りが効く。
これは道理だろう。
それでも、これが結婚して、その後も同様の余裕が有り続ければ結構だし、
その後もなお発展でベンツがベントレーに変わったという
ストーリーなら良いが、子供が生まれてベンツは売る羽目になったとか
事業に失敗して車どころか家まで売ったとか、
リストラされて車は売却とかいうストーリーもあるわけだ。
そんな時、本質でつながった二人ならそこから再起していくことも
想定出来るが、アクセサリー繋がりだとこれは難しい?
ベンツもマンションも消えて残ったのは借金だけ。
「私はこんな生活がしたくて貴方と一緒になったわけではありません」と
去っていく
…ような相手とはそもそも一緒にならない方が良かったのだが
そこまで見抜くのは若いときには難しい。
「人生登り調子の時ばかりではない」なんて呟いたら
「あなた演歌歌手だったの?」とか訊かれそうだ。
どんどん脱線してきた?
まあベンツにはベンツの良さがあるし
高級車に納まって移動していく時得られる喜びは
何物にも代え難いということもあるだろう。
しかし、同時にチャリンコも楽しめると人生は更に面白くなりそうだ。
僕らは幸い自由主義の国に生きているので、
ベンツに乗ったら自転車は乗ってはいけないとか
自転車に乗るのだったらベンツは無しね、とか言われることはない。
ただ、人生をやたら足し算でばかり設計すると
ベンツから自転車に乗り換える事が難しくなるだろうな、というのはある。
「堕ちちゃったよ」と思わず嘆く。
わかる。
しかし、それがどうした?という説もある。
「生きていればなんとかなるわよ」という台詞を最近テレビ等で良く訊くような気がする。
恐らく不況だからだろう。
「そんなことで死んじゃあいけない」というメッセージだ。
それでも頑張れない、と思える時だってある。
それもわかる。
そんな時が、生きているとある。
生きる死ぬまでいかなくても、子供に習い事を辞めさせなくてはならない
なんて事になった時、親としてはやっぱり落ち込む。
しかしそれだって仕方ないでありませんか。
「いつも良い思いばかりはさせて上げられない」。
このことを学ばせたと思う方が良い。きっと。
子供の塾通いなどというのもアクセサリーの一種かな?と
僕なんかは思ってしまう。
要するに人生なんてその時その時で状況が変わる。
その時その時に合った生き方をするしかないということ。
…なんだかPHPみたいになってきた(笑)
オーディオ日記に戻ろう。
自転車の本を読み、8pユニット三発の段ボールスピーカーに向かうとき。
僕は両者に何故か同じにおいを嗅いだ。
嘘ではなく、この8pユニットの世界は素晴らしい物をもっている。
段ボールキャビネットも然りだ。
もっとも先輩諸兄は先刻そんな事はご存じだろうが。
拾い物のプレーヤーやアンプと、破棄しようかなと思っていたユニットで
オーディオは楽しめる。
電気さえ止められなければ大丈夫だ。きっと。
5月25日
世の中には色々な趣味の人がいる。
21日付け日経新聞朝刊の文化欄には紙類収集を趣味とする人たちが紹介されている。
半世紀をかけチラシを集め続け家の床が抜けた人。
午年に生まれたというだけの理由で馬に関する紙グッズを生涯集める人。
駅弁の包み紙の収集家。
ポチ袋のコレクター。
家での保管が不可能となり倉庫としてアパートの一室を過いる。
電車の一番乗車券を手に入れるなど序の口で、開通前に住民に配る
試乗券を追い掛ける。
実に立派である。
しかしそんなサークルも'70年代半ば以降会員が減り続けているという。
この20年間の入会者はわずか20人ほどでお年寄りばかり。
若い人の参入は、どうも無いらしい。
と、ここまでは笑い話でもあるが問題はその先だ。
原文を引用。
「社会の寛容なくなった」
“更に、高度成長を支えた私たちは忙しいと言いながらも、
時には仕事を放り出して趣味に没頭する余裕があった。
社会全体にもそれを許す寛容さがあった。
今の若い世代は極限まで追い込まれて毎日仕事をしているようだ。
私たちは、何が豊かになったのかと、つい愚痴を言いたくなる。
(中略)
会員の平均年齢はついに60代後半に。
会員が次々とよみの国に旅立ち、総数は半減した。
どうも紙の収集の世界も、オーディオの世界も
状況は同じらしい。
酷似していると言って過言ではない。
マニアが残す紙くずや鉄くずはどうなるのか?
遺族にとっては何の価値もないだろうし
これは本当に困った物だ…
というのは本音ではなくて、不用の物をどんどん残せば良いと思っている。
どうせ死んでしまえば後は関係ない。
知ったことか、の精神で良いだろう。
問題は、どんどん社会が逼迫していって、若い世代には
この様な優美な趣味を持てる人がいなくなりつつある、というところだ。
「何が豊かになったのか?」という問いは極めて重要だと思う。
…といいつつ、よっしーは薄情なので若い世代には若い世代で考えて貰えば良い
と考える。
ただ、もう一つ問題は、若い世代に精神的、金銭的余裕が無ければ
おじさんおばさんがやっている商売にもお金は回ってこなくなるということ。
言葉は悪いが、あれこれ売りつけようったってそうは行かない。
なぜなら時間もお金も無いからです。
ついでに言うとこれまで色々たっぷり作って売り込んで来たから
それらが中古市場なんかを形成すると尚難しい。
オーディオなんてその最たる物で、「僕もこれからオーディオやりたい」
なんて若い人がいたら超ラッキーだ。
人気機種や伝説の名器さえ避けておけば、大抵の物は只同然でも手に入る。
因果は巡る糸車、ということで、「若いもんは若いもんだけで考えてくれ」
と言ったって、現実にはそうもいかないのである。
豊かすぎた'70年代'80年代の幻想を断ち切る事が
急務なのかもしれません。
(なんかごそごそやっているですけどその話はまた。
やってる途中の写真なんで散らかっていたスンマソン)