4月1日
早くも四月。年を取るのが早いはずだ。
さて、種々ソフトを取っ替え引っ替え掛けて聴いている。
何がどう聞こえたか簡単に書くが、システムに今後も小変更が
あるだろうから、あくまでも現時点での…、ということでお読みください。
それからソフトは旧態依然であることもお許しを。
「Musica del Paradiso」。
これは以前にもネタにした。長岡先生の推薦盤だ。
2チャンでも充分サラウンド的な効果がある一枚。
広大な音場は「森のコンサート」と双璧かもしれないが、
やはりナチュラルサラウンドという点で「森のコンサート」の方が好み。
それと何より困るのが、トラックが切れていないから適当なポイントを探るのに
極めて不便ということ。
まあ本来このディスクは環境音楽的に流しておく物なのかもしれない。
スピーカーマトリックスで広大サラウンド。
ただ、高さの表現は真剣に鳴らす2チャンの方に分がある感じ。
たぶんこれはスピーカーマトリックスシステムの方がまだ煮詰めている
途中の段階だからだろう。
4月2日
あまりにオーディオチックなディスクばかりだとどうかと思う。
ということでSHINE'Sの「上司は選べない」。
かなり古いCDだ。
いや、これを書いている今日は4月1日で多くの会社で新入社員が入った日だろう
ということでこれに決定。
朝からありがたい講話をお聞きになったことだろう。お疲れ様でした。
“私の彼は商社の男 プライド高いが腰は低い〜♪
アタッシュケースで決めて 中身はムースとブラシだけ
中古のBM乗っているけど習志野ナンバー♪
商社商社商社の男 ゴマをするのが悪い癖です〜♪
ってか?(笑)
サラウンドはどうだ?
これは可もなく不可もなし。
逆に言うとナチュラルサラウンド。
特に派手にもならず変に誇張強調もされない。
それでいてリアを切ってしまうとはっきり寂しい。
これくらいでちょうど良いのかと思うが、もっともっと色々聴いてみないとネ。
しかしこのCDの音作りは古い、というか正に1990年サウンドでした。
4月3日
色々聴くと色々わかる。
「川本真琴」/川本真琴さん、だ。
正直いうとこの人がどんな人かよく知らない。
なぜディスクがあるんだろう??
いわゆるJ-Popというのがどう鳴るか?
これが実にまともな展開だった。
ちゃんとした録音。
もちろんポップスの中での真面目さだが、
少なくともお風呂場みたいにわんわんしちゃったりとか
そんなことは無かった。
逆に言うと位相に関与せず、音量レベル差だけで右左を振っている
という証左なのかもしれないが、結果オーライ。
と、ここでいきなりクラッシック。
「THE ENGLISH LUTE SONG」(DOR-90109)だ。
リュートをバックにソプラノが気軽に歌う。
ところがこのディスクの再生は気軽というわけにはいかない。
実はこれ、長岡先生が取り上げていた一枚で、スピーカーテストに使われていた
ことがある。
いわく、声のダイナミックレンジがもの凄い。
(メーターではわからないのだが電球がリミッターの役割を果たす
自作スピーカーで再生してみたらよくわかったらしい。
通常容易に光らない電球が相当光った事だろう)
ソプラノの伸びは凄まじく、いい加減な装置だとすぐ馬脚を現す。
…と、しかし今回はスピーカーマトリックスでどう聞こえるかが
ポイントだった。
で、これが面白いものでリアの音量がもの凄く大きい。
いや、差信号によりエコー成分が大きいというのではない。
リアからもフロント同様の音が聞こえる?
何だか録音現場のど真ん中に降りたってしまったみたいな感じ。
さすがに落ち着かないのだ。
どういうマイクセッティングなのか?
とにかくこのソフトには悩まされた。
が、差信号用スピーカーの位置がリアからサイドに変わってからだいぶ改善。
そして更に通常のリスニングポイント(サイドスピーカーをほんのわずかに
右斜め前くらいに見る位置)から気持ち後退して聴くと良い感じになることに
気が付いた。
これだと歌い手達を“傍観”出来る感じになる。
よく言われることだが、差信号用スピーカーの配置で一番無難なのはサイド。
リアまで行ってしまうと違和感が激しくてやっていられないケースも多々あるが
リスニングポイント真横よりもわずかに前くらいの位置だと
大抵のソフトに対応出来る感じ。
後の微調整はリスナーが多少前後(頭の位置をずらす)事で可能。
クラッシック系には特に良いし、ポップスでもナチュラルサラウンドになる。
(いかにもサラウンド、という感じは無いが、サイドを切るとあきらかに寂しくなる)
ただ、後ろから音が来る、一種のパフォーマンス効果的なものは減退する。
この辺りは好みで。そしてよく聴くソフトと相談して決めるべき事だろう。
4月4日
再び座学に移る。
「長岡鉄男流 趣味の音場のすすめ」(初出季刊オーディオアクセサリー32号/'84年
再録 不思議の国の長岡鉄男1)
より、「音場を正しく再生するにはペアマイク録音が基本で音源の位置も大切だ」、の項を
ひもとく。
“2チャンネルステレオで、なぜホログラフィー的な音像、音場が再生出来るのか。
よくわからない部分も多いが、ある程度は想像がつく。
たいせつなのは位相特性(群遅延時間特性)が優れていること。
細かい音を正確に再生すること。
超低域を充分に再生すること。
そして正しくセットした左右のスピーカーを底辺とする
二等辺三角形の頂点に正しく座って聴くことだ。
しかし、それだけでは不充分である。
問題は録音法にもある。”
…ということでここまでは聞き手側のポイント。
多くの人が重々承知のこと。
そして案外守られていない?ことの確認だ。
問題はこの後だ。
“基本的にはペアマイク録音だが、
よく計算された2ペア、3ペア録音でもよい。
大切なのは音像や音場を多少誇張した感じの録音をするということだ。
ワンポイント録音やバイノーラル録音ではうまく行かない事が多い。
もっともワンポイントといっても定義ははっきりしていない。
位相差ゼロの本当のワンポイントもあれば
50pくらいの間隔をとったペアマイク録音まで
ワンポイントの仲間に入れてしまう場合もある。
とにかくマイクの間隔は少なくとも20pはとることだ。
マイクの高さも、人間の耳の高さよりは上げた方がよい。
2〜4bくらいか。”
…ということでポイントは、別に純然たるワンポイント録音や
バイノーラル録音がホログラフィー的な音場再生には有利ではないということ。
例えばよっしーはよく「森のコンサート」を取り上げるが
(これも長岡先生の推薦盤だ)
これはバイノーラル録音で成功している少ない例では無いかと思う。
(よく考えたら純バイノーラルではなく他に二本立っていた)
バイノーラル=最高に音場感あふれる録音方法、ではないのだ。
また、ピュアワンポイントなどというといかにも良さそうだが
音場を楽しむ、という観点からはベストとは限らない。
この辺りにおもしろさがあると僕は思う。
続きを読もう。
“(中略)録音テクニックはマイクだけではなく、音源のレイアウトにも大切だ。
やはり誇張した感じのレイアウトである。
例えばコーラスが何列かに並ぶ場合、後列は台の上に乗っているが
その台を実際の演奏会より高くするとか、
各列の前後の間隔を実際以上に広くとるとか、
オケの配列も奥行きを倍くらい深くとるとか。
なぜこのような事をするのかというと、ステレオでの録音再生では
望遠レンズの写真のように(TVの野球中継が良い例)
奥行き(前後の音像の距離)が縮まってみえる傾向が強いからだ。
要するに趣味の音場は多少の誇張を前提とするということだ。
実際の演奏会では、目を閉じた場合音だけで楽器の形がわかったり
アーティストの体格や人相がわかったり、ホールの形がわかったりということは
ないのじゃないかと思う。
ところがオーディオでは、ソースを選び装置を選び、正しく聴けば
音波だけでホログラフィーを感じ取ることが出来る。
ある意味では不自然なのかもしれないが、大変面白いものであるし、
視覚を伴わないオーディオとしては必要なことだともいえる。”
…ということだ。
マイクと人の耳は違うものだし、カメラのレンズと目は違うものだ。
目に心地よい刺激を与えるために、撮影の段階で工夫をこらす。
同様に耳に心地よい刺激を与えるためには録音の段階で工夫をこらす。
これは重要なことだと思う。
この様な工夫をこらさなくても再生時に各種プロセッサーを駆使して
それらしい音場を作り上げるという行き方もあるのだが
(これについても後に取り上げたいが)
結構難しいものであるし、パッケージソフトを作り上げる段階で、
きちんと“仕込み”がなされている方がやっぱりありがたい。
だから録音時の工夫というかセンスは必要だと思う。
有名どころでは初期のテラークが録音現場に工夫を凝らしていた例がある。
これなど、さすがよくおわかりだった一例というべきか。
長岡先生が上記を書かれてから四半世紀くらいたっている。
その間、特にデジタル技術は進化を遂げ、音源の配置を工夫などしなくても
簡単に“良い音場”を作り上げる事も可能になっているのかもしれない。
プロセスはなんでも良い。
問題は音場を感じさせようという意志がソフトの送り手にあるかどうかだ?
そんな物はあまり無いかもしれない。
無理もない。そのような事を基準にソフトを選ぶ人はごくごく少数派だ。
ごくごく少数派の音場マニアは、ごくごく少数のその種のソフトを探すしかないのだろう。
4月5日
閑話休題。
たまには話を変えないと飽きられる。
今日は4月5日。つまりもうすぐ4月8日。
よっしーの部屋も9年経過で足かけの10年目に入ることになる。
だからどうしたというとどうもしない。
だが丸9年というと振り返ると色々な事がある。
ホームページといえばパソコンが必要。
今使っているのは当時から数えて確か4台目。
これでも入れ替えは少ない方だろう。
OSは当初Win98。
悪いけど二度と戻りたくない不安定なOSだった。
WinXPになって以降はOSはずっとそれ。
VistaにはVistaならではの良さがあるのだろうが乗り換えていない。
PCのパワーをアップしないと本領を発揮しないと思うからだ。
散々書いたが、今はチビノート一台。
家の中で持ち運び可能になって、無線LANもOK。
今もこれは居間で書いている。
続いて通信環境。
2000年の立ち上げ時はもちろん?ダイヤルアップ。
今思うと懐かしい。
モデムがあって、使うだけ通信費が掛かった。
「テレホーダイ」なんて今や死語か。
次にISDNに乗り換え。
憧れのISDNだったがADSLが登場して
あっという間に遅い通信の代名詞になってしまったのには
驚いた。
で、ADSLに乗り換えたがISDNにはIナンバーという便利なものがあり
電話番号が二つ使えていたのが駄目になったのは残念至極。
そしてとうとう今日光の工事をやった。
なるほど光は早い。
YouTubeなんか見てみると違いは歴然だ。恐れ入りました。
遂に我が家も光。
それは良いが10年親しんだプロバイダーの引っ越しをしなくては
ならない。
ということはホームページアドレスも変わるわけで
これから乗り換え作業に入る。
乗り換えてもしばらくはトップページにジャンプ設定をするつもりだが
ちょっと寂しい。
ホームページもだらだらと続けていると分量もそれなりのものになる。
自分で読み返すと懐かしいし色々確認も出来て楽しいが
冗長な感じも否めない。
これを機会にまとめたり削除したり…も考えたが難しいから止めておこう。
冗長は冗長でもリアルタイムで書いた良さはある。
赤面するような部分もあるが、正直な記録だ。
ただ、いつか過去のものについては総集編っぽくしてしまうかもしれない。
そうそう。長らく変わらなかったものにホームページ作成ソフトがある。
無料で配布されていたFixUpホームページというのを9年近く使ってきた。
別に無料のソフトなんて今ではいくらでもあるし
ホームページビルダーもインストールされている。
でもFixUpを使ってきたのは、もう慣れ親しんでしまっていたから。
新しい事を覚えるより慣れたものでどんどん書いている方が早い。
だが、気づく人は気づいているが今年の分からいよいよ
ホームページビルダーで書いている。
FixUpも新しいパソコンにインストールしてあるのだが
このソフトとにかくCPUを酷使するのだ。
最新のマシン(我が家としては、だが)でも嫌な顔をするのに
今までの旧態依然としたパソコンはよく頑張ってくれたものだ。
そういえばデジカメも二年前くらいに変わった。
今はFinePixのF31FD。
僕にはこれで充分。
ただ、その前のFinPixの600だかなんだか。
これを7年くらい使ったがさすがにスペックが低く
撮影にはとても苦労していた。
三脚が無いと使い物にならないし、画像がとにかく暗いので
後処理が大変。
今は百倍楽をしている。
(ただ写真の腕自体は上がっていないが)
その間に携帯もカメラ付きになり、教室の風景など撮ってくるのには重宝した。
とりあえず、ということなら由としている。
とにかく9年の間に通信環境とデジタル環境はさすがに変わった。
オーディオの方。
変わったといえば変わったが、変わっていない部分も多い。
ただ、システムがどうこうというより色々な経験をしたりさせて貰ったりしているのは
大きい。
変に自分のシステムをいじくるよりも人様の音を聞かせて貰う方が効果的ではないか。
そう思う。
アクセサリーを色々買い込む前に手みやげを買って人のところへ押しかけよう。
…って、これはオーディオ誌には殴られそうな事を申しました(汗)
4月6日
話を元に戻す。
繰り返すが音場再生のために特にスピーカーマトリックスが必須な訳ではない。
基本的にフロント2チャンネルだけで充分だと思うし、まずはそこを押さえるのが順当なはず。
ではなぜスピーカーマトリックスなのか?サラウンドなのか?
以下は私見だが、まずフロント二本のピュアステレオ?比べて大変わかりやすいというのはある。
物理的に四本(と限らないが)のスピーカーから音が出る。
しかも内二本のスピーカーからはアンビエント成分が補充されるかのように
出るというのは実にわかりやすい。
ただ、まああまり露骨にやってしまうと違和感その他強くなるのだが
これは好みだからいくらやっても構わないとも言える。
よっしーが今回久しぶりにスピーカーマトリックス。サラウンドをやってみようと思ったのは
実は小音量再生で威力を発揮するのでは?と考えたからだ。
この読みは当たっていて、小音量再生時、フロント二本では得られない
厚みのある音場に囲まれ、なかなか楽しいのである。
さて、これは余談かもしれないが、最近のオーディオ誌は息を吹き返して来たというか
ここへ来て元気さを取り返してくれた気がして喜んでいる。
で、結構生活空間にオーディオを溶け込ませようとする記事など目にする
気がする。
もちろんそれらのテーマは昔からあったのだが、
「小空間」「生活空間」「小音量」「ヘッドフォンオーディオ」など
積極的に取り上げられているのは、やはり返り咲き組の取り込みなど
意識してなのだろうか。
団塊の世代の方々が定年を迎え、これからは音楽を楽しみたい。
そのために、あまり大げさ過ぎない範囲で、昔一度は手を染めたオーディオというのを
やり直してみたい。そんな思いに応えるべくということかな?
だとしたらそれはそれで凄く良いと思う。
団塊の世代であろうとなかろうと、金があろうが無かろうが、
大して広い場所や遮音の高い部屋に恵まれていない人の方が多いと思う。
(そうでない人とはお友達になれない?笑)
そんな中なのだから現実に合わせた工夫を提言していくのは
とっても良いと思う。
よっしーがディスクトップオーディオをやってみよう、とか思ったのもその流れだ。
ディスクトップ…の方は今後回しになってしまているが、
取り敢えずのこころみとしてのサラウンドはなかなか気持ちよいところまで
来ている。
オーディオは遊びだから、この後もサラウンドがらみで日常的オーディオ
という路線を攻めてみたいと思う。
それはさておき、日常生活の中のオーディオということで
欠かせないアイテムかもしれない物にヘッドフォンがある。
よっしーも30数年の間に色々なヘッドフォンにお世話になった。
最近はSTAXのSR-3オンリー。
…オンリー…というのが実は嘘で、ヘッドフォンがもう一つある。
これが何を隠そう以前買ったシリコンオーディオプレーヤー
(確か2.980円だった)に付属していた物だ。
で、これが音がよい。
超マニア向け高音質というのとは違うのだが
充分。いや、十二分に良いのだ。
これを超ミニノートパソコンに繋いでいるのだが
案配がよい。
あまりに具合がよいので、つい本気でチェックをやってしまった。
ディスクは最近のサラウンドチェック等に使った物達。
まず「森のコンサート」。
…。
う〜ん…、実に素晴らしい。音は広大サラウンド。
高級機を使うともっともっと広がるのだろうが充分納得の音場。
そしてカウボーイジャンキーズの「トリニティセッション」
これも教会でのロックのワンポイント録音(たぶん補助マイクは立っている)で
冒頭から暗騒音がサラウンドしまくる。
しかしこのディスクの最大のポイントは再生困難なパルス性の超低音が
入っている点だ。
長岡先生もしきりにテストに使っていたが、これの正確な再生は難しい。
恐らく教会の板張りの床がバスドラのキック等に連動して揺れて
超低域パーカッションと化してしまったのだろう。
しかし、なんとこのノートパソコン+ミニチュアヘッドフォン、
かなりしっかりとこの超低音を再生するのである。
(ソフトはItuneでCDドライブは借り物の太古の外付けDVDドライブを
SCSI→USB変換をして接続している)
あまりの事に唖然。
もちろん低域ブーストの音作りは感じる。
しかし、それは充分許せる範囲の味付けに過ぎない。
そんな事は差し引いて、こんな吹けば飛ぶような(失礼!)
ミニチュアヘッドフォンから、超低域のパルス(らしきもの)が
聴けたらそれは驚くなという方が無理でしょう。
びっくりつでにエンヤなど聴くが、この人の曲って本当にこうやって聴くのが
マッチするよな、という感じ。レトリックがわかって楽しい。
締めくくりに(しつこくて悪いけど)オーディオベーシック50号付属の
オーディオチェックCDを聴く。
これがまた実に良い感じ。
レンジは充分広いし、実在音のトラックではヘッドフォンの良さが
フルに出て、時に思わず振り返るくらい生々しい。
凄くハッピーなのだが、反面これで良いのかと頭を抱えてしまった。
まあよっしーはヘッドフォンについてはこれまで突き詰めて考えて来ていないので
最近のヘッドフォンが軒並み優秀なのを知らなかっただけかもしれませんね。
4月7日
偶然というのはあるものでかみさんとブラブラしていたらヘッドフォンをたくさん展示してる
売り場に差し掛かった。
何気なくAKGのを耳にあてたが掛かっている音楽があまりにも自分の好みとかけ離れていたので
選択は断念。
ただ、「どれどれ」と近づいて色々を耳にあてたかみさんが言うには
その中では7.000円台のAKGが、値段的には倍くらいする物達よりも良いと言っていた。
AKGが何かを知らない人間が先入観無しでいうことだから
却って信憑性はあるかもね。
誕生日プレゼントにヘッドフォンを買ってくれ、とリクエストしてそのままになっていたので
「これだったら買っても良いよ」とAKGの事を差して言ってくれたが
日頃から苦労ばかり掛けて申し訳ないので辞退しておいた。
…というとよっしーは良い人だが、
「ヘッドフォン買って」
妻「良いよ。…いくら位するの?」
「うん?そうだね、35万円の奴がSONYから出ていたんだけど…」
妻「…」
「いや、SONYから5万円のも出ていたので…」
妻「…」
こんな会話をしょっちゅうやっているのでありました。
MDR-10は無理でもMDR-CD3000くらいは欲しいもんだ?
(註;いずれも生産完了です)
ところで世の中にはやってみないとわからない事が沢山ある。
リアスピーカーをFE-87一発のまま、フロントをコンコルドからDS-301に換えてみた。
さぞバランスが取れまい。その場合はFE-87を並列4Ω接続にして能率を稼ぐか、
あるいはリア用にP- 610を持ってきて…なんて考えて取り敢えず繋いでみたら…
見事にバランスする…
どぎつさの無いナチュラルサラウンド。
そう、まさにナチュラルサラウンド。
一聴リア(正確にはサイド)スピーカーの存在を感じさせないのだが
切ってみると明らかに寂しい。
これは上手く行った。思わぬ余録。あるいはボロもうけだ。
コンコルドも素晴らしいスピーカーだがDS-301と同じ土俵に載せてはかわいそう。
フロントが一段しっかりしてきたのでサラウンドにおいても生々しさがまるで違う。
音場まるごと丸録り、みたいなソースだと不気味にすら感じる。
同じ実験をし続ける関係でメインソースはどうしても固定されるが
オーディオベーシック誌50号のテストディスクは大活躍。
それからサラウンド絡みで「森のコンサート」は欠かせない。
フロントDS-301+リアFE-87一発の平面バッフルの組み合わせで聴いて
「森のコンサート」は奥行きの深さに驚く。
ただ、高さは控えめだし目の前に鳥が来たときの羽ばたきの強さ
みたいなものは今ひとつ。
文句を言っているのではなく、これから更に詰める楽しみがあって
大変結構という思いです。
4月8日
足かけ9年目に突入。
さて、そんな事はどうでも宜しい。
さて、スピーカーマトリックスと言えば長岡先生。
しかし、氏は母屋時代のメインシステムではスピーカーマトリックスを
やっていなかった事は既に述べた。
(実はちょっとだけやっていた形跡はあるが)
二階の書斎ではスピーカーマトリックスの海に溺れていたようだが
メインシステムには組み込まなかった。
これはやっぱり賢明であった。
ちゃんとやろうとすると結構やっかいなのがスピーカーマトリックスで、
氏がメインシステムでそれを実現したのは方舟という48畳の専用ルームを持ってからだ。
しかし氏は別のアプローチでマトリックス再生に挑んでいた。
そう、マトリックススピーカーです。
4月9日
スピーカーマトリックスとマトリックススピーカーは時に混同されることがある。
スピーカーマトリックスは結線により差信号を取り出し、それをリア、あるいはサイドに
設置したスピーカーから放出するやり方だ。
対してマトリックススピーカーは一台でステレオ再生、あるいはサラウンド再生まで
可能にするスピーカーの事を指す。
ワンボックスでステレオ再生ということだけなら所謂アンサンブルタイプの
スピーカーもそれに中る。
しかしマトリックススピーカーは、単なるアンサンブルタイプのスピーカーではない。
上の画のMX-10の場合中央のユニットは右、及び左チャンネルの和信号を再生している。
これは空間合成されるので和信号はリスナーの正面から進んでくる。
そして角度を付けて左右に取り付けられたユニットは差信号用で、それぞれが
R-L、とL-Rを再生する。
これにより装置及びソースがマッチすれば広大な音場が出現するというもの。
マトリックススピーカーの発想そのものはかなり昔からあったらしいが
実用になる形として登場したのは長岡先生のMX-1(マトリックススピーカーの一号機)だ。
「音の魔術師」の異名を取ったこのスピーカーは割と手軽に作れる事から
当時大変な人気を博したと言われる。
MX-1が大変な成功だったので、このタイプは実に数多くのバリエーションが作られた。
MX-1唯一の弱点が低音不足。
元々10p四発のスピーカーで、しかも和信号を出しているのはその内二本。
更に差信号スピーカーが同一キャビネットに取り付けられているのだから
豊かな低音を望む方が無理な相談だ。
そこでウーファーを追加したり色々な工夫がされたがいずれもMX-1の音場感を
上回る事がない。
しかしMX-9に至ってダブルバスレフとの組み合わせが成功。
それを更に改良したMX-10(上の写真の物)でとうとう究極に達した。
さて、今日の日記の冒頭にスピーカーマトリックスとマトリックススピーカーは
別物と書いたが広義では同一視出来る。
サラウンドの世界では、よく2-0-2などと言われる。
これは何を意味するかというと、
フロントスピーカー2、サイドスピーカー無し、リアスピーカー2という配置を表している。
マトリックススピーカーの場合は、これが4-0-0になった形と言える。
(ユニット三発の場合は3-0-0と言い換えれば良い)
更にフロント4で更にリアに二発サラウンドスピーカーを置いても良いわけで
(インピーダンスの問題さえクリア出来れば何本繋いでも自由だ)
4-0-2などというパターンも出て来る。
まあそれはそれはそれとして基本的にはマトリックススピーカーをフロントに一台だけ置く
のはスペースファクターとしては最高だ。
リアやサイドスピーカー設置の悩みから解放される。
それで、という理由だけでは無いだろうが、長岡先生は母屋のオーディオルームでは
スピーカーマトリックスを行わない代わりにマトリックススピーカーは愛用されていたのだ。
更にいうなら、このマトリックススピーカーがアンプ等により
相当音場が違うという事が手伝い、'80年代始め頃は
アンプその他のテストに対してD-7系のBHに併せて、MX-1等が使われるという
ケースが多くなっている。
これは後年の方舟で機器のテストにはネッシー+リアカノン+サブウーファーの
メインシステムだけでなくスワンが使われたのと似ている。
とにかくマトリックススピーカーというのは奇抜で、それでいて有用なスピーカーだといえる。
4月11日
理屈は良い、ということでマトリックススピーカーを一つ作ってみた。
おやおや、と思われた方も多いだろう。
そうです、段ボールで作ってしまいました。
段ボールキャビネットが是か非か知らないが手っ取り早く超ローコストで
作れる所は有利。
失敗したらやり直しも容易だし廃棄も簡単。
で、今回作ったのはユニット三本のタイプ。
MX-1からMX-10まではユニット四本で作られていた。
これはいわば純マトリックスタイプ。
和信号はセンターの二つのユニットからのみ、
差信号は左右のユニットからのみと綺麗に分かれている。
デメリットは低音不足になりがちなこと。
そして低インピーダンスに弱いアンプでは使いづらいこと。
故にMX-10まではFE-103の16Ωユニットが推奨されていた。
しかしやがて16Ωユニットは消えていく。
そこでMX-10以降のマトリックススピーカーは主にユニット三本で
設計されていく。
(こちら三本ユニットタイプ)
(こちらは四本ユニットタイプ)
三本ユニットタイプでは和信号も左右のユニットから放出されるので
四本タイプと比べると音場感今ひとつという方もいるが
反面ソースを四本タイプほどは選ばないので由とする人もいる。
メリットの一つが豊かな低音が得やすいこと。
三本のユニットから和信号が出ているから、というのもあるし
単純なバスレフ構造でも作りやすいから、というのもある。
とにかく四本タイプの場合、キャビネットに工夫をしないと
差信号用ユニットから低音はどんどん逃げてしまうのだ。
まあそれは良い。問題は音だ…
4月13日
一応サイズくらい紹介しよう。
380W×160H×200D。
梱包用段ボール箱規格品をそのまま使ったからそうなった。
音はどうだ?
まず低音は多くを望めない。
サイズが適当な上に密閉だからこれは仕方ない。
大切な音場感は?
これはソースによるところが大きいのだが
上下は良く出ていると思う。
奥行きもまずまず。
ただ、左右が今ひとつ。
これは三つのユニットを幅38pという狭い中に閉じこめたからか?
何しろ左右のユニットの距離は15p強しかない。
(ユニットセンター→ユニットセンター間)
いくら何でも狭すぎるかもしれない。
(…ってはじめからわかっていたけど)
それでもキャビネットが六角体で左右のユニットが
45°くらいの角度を持って外側を向いているとか言うなら良いのだが
今回は平面バッフルの中に正面を向いて装着されている。
これはやっぱり問題かもしれない。
要研究。
4月14日
そもそもマトリックスピーカーは六角形でスタートしている。
MX-1からしてそうだったし、その後ユニット三本になっても六角形というスタイルは
変わらなかった。
MX-14、MX-15…いずれも六角形。
これは左右のユニットの音に45°の角度を付けて放射させるための工夫だった。
それが初めて破られたのがTV置き台兼用マトリックススピーカー
「凱旋門」。
三本のユニットが初めてフラットバッフルに取り付けられたのだ。
それで充分マトリックス効果が得られる事が判明して
その後作られた物にはフラットバッフル型が多くなる。
これは工作の簡便さという点で大変助かる話だった。
しかしフラットバッフルを採用する場合は基本的には三本のユニット、
特に左右ユニットの距離を取りたいもの。
今回の様にバッフルの幅が40pに満たないというのはいかがなものか?
結果は「もう少し幅が欲しい」というものだった。
(実はそうでも無かったかもしれない、という事は後からわかる)
さて、こんな事もあろうかと段ボールは余分に買ってある。
よっしーはリッチなのである(爆)
それでこんな事をしてみた。
写真だけだとわかりにくいかもしれない。
なんと左右のユニットは横のバッフルに取り付けられている。
前から見るとセンターユニットだけがこちらを向いている。
…なんだか間が抜けて見えるし異様でもある。
要するに左右のユニットに、徹底的にそっぽを向いてもらったのだ。
ステレオの左右スピーカーが右と左にそっぽを向いて取り付けられているのは
無いこともない。
長岡先生の初期の作品でも岡持型などというのがある。
軸上正面どころか90°の方向から聴くことになるが
一種の音場型スピーカーと思えばよい。
これに更に蝶番で可動式の反射板?を付ける工夫もあり、
これはBOSEに先立つ事云年というアイディアだった?
まあそんな事はどうでもよろしい。
音はどうか?
「…」
これはやっぱり不自然だった(笑)
なんとも不自然な音場だ。
音場創生型スピーカーと解釈すればそれも又有りだが
どうも馴染めない。
却って一号機の良さを確認する事になってしまった。
同一平面に、正面を向いて付いている方がなんぼか宜しい。
ということでいよいよ本腰を入れる。
(やっぱりこれは駄目でした…)
4月15日
…どこが本腰なのだろう??
でも、よっしー的には生まれて初の六角形スピーカーだ♪
まあ良いではありませんか。段ボールも良い素材だ。
何しろ六角形キャビネットを作ろうと思い立って40分くらいで出来てしまう。
木材ではこうはいくまい。
切った張ったで出来上がったマトリックススピーカー三号機。
サイズは一号機、二号機とさして変わらない。
左右のユニットは、”ほぼ”45°の角度を付けて外を向いている。
割と上手く行ったと思う。
とにかく音を出そう。
どうだ…??
音は俄然まともになる。
やっぱりこうでなくてはいけません。
もっか一生懸命ヒアリング中だが現時点でいくつか気づいた事があるから記しておきたい。
まず肝心な音場感について。
これはやはりソースによるところが大きいし、簡単に断ずることは出来ない。
しかしひとつ思ったのが左右のユニットが取り付けられているバッフルの角度。
これは結構シビアなものではあるまいかと思った。
どうもちょっとした加減で音場感が変わってくるみたいなのだ。
実はこれについては長岡先生もMX-1一号機の頃には随分気にしていた。
45°では駄目で42〜43°、みたいな事まで言っていた時期があったと思う。
その後この点については寛容になり?最後にはフラットバッフルでも由となってしまった。
だが、シビアに見るならこの角度は要研究だと思う。
それより何よりもう一つ。
この段ボール張りぼてスピーカー、結構音が良い(笑)
思わず音場がどうこうなどという事を忘れてしまったくらいだ。
実に立派。
先に作った一号機二号機とはえらい違いだ。
理由はいくつか考えられるが、まず段ボールの質が良い。
やはりある程度厚みは必要とみた。
そしてこの六角形というのはスピーカー内部の定在波防止という点で優れている気がする。
とにかく“綺麗”な音なのだ。
人の声などうっとり出来る。
これにはFE-87というユニットの素性の良さも一役買っていると思う。
フォステクスのユニットと言っても機種によって様々で
この87は83にこそ多少負けるけど美しい音がすると感じている。
あえて難癖をつければ綺麗は穏やかにも繋がる訳で、
もう少し音の角が出た方が、音場の描写という点では有利なのかな?
などと思ってしまう。
これはこの先同じ物を木材で作れば解決されるだろう。
(失う物もあるかもしれないが)
以上が現状だが、ソースがマッチした時のマトリックススピーカーの
良さはたいしたもの。
今も「森のコンサート」を聴きながらこれを書いているが
高さ、低さ(鳥によっては耳の位置より下=地面付近でさえずっている)が良く出るし
左右は当然。
奥行きも良く出る。奥はスピーカーの位置の遥か後ろ。
そして手前に良く音が飛んでくる。
トータルで凄い奥行きということになる。
この辺りはアンプその他を差し替えると、更にまた違いで出て楽しいはずだ。
それから音像の位置も明確なことを付け加える。
処分してしまおうかと思っていたユニットと、
拾ってきた段ボールでこれだけの音が出たら
文句なんかひとことも言えない。
4月16日
しつこく続くマトリックスピーカーのお話し。
よっしーはしつこしのである。
さて、マトリックススピーカーのポテンシャルは改めて確認出来た。
これは絶品である。
(いや、マトリックススピーカーを作ったのはこれが初めてでは無いのだが)
ただし、ソースは選ぶ。
リスナーも選ぶと言われているが、まずソースだ。
一にソース、二にマトリックススピーカー自体の設計及び周辺機器。
三番目にリスナーだと思う。
問題はそのソースで、せっかくのマトリックススピーカーを120%活かしきるソースというのが
あまり無い。
手持ちのCDを片っ端から掛けるのだが、どうもいただけない。
これなら…と思える物もたまにあるが、「森のコンサート」を120点とすると
せいぜい70〜80点止まりである。
あれこれ悩んで(こんな事で悩むな!笑)
思いついたのがビジュアル系ソース。
早い話が映画のDVDだ。
ナチュラル録音という訳ではなく、効果音等位相を積極的にいじった物が
多いのが映画DVDのはず。
ということでDVDを…と思ったら、これが手元に無い(爆)
そりゃそうだ。買った記憶が無い。
これは困ったと思っていたら、ある物に気が付いた。
それは…
(続く)
…と、引っ張ろうと思ったが続けちゃおう(笑)
そう、とあるソフトを思い出した。
以前にもご紹介した事があるビデオ、「THE 単車」だ。
ビデオと書いたが正にビデオ。VHSテープだ。
これをなぜかそこにある、三菱S11に入れる。出力はJA-S71のフロントにある
TAPE3端子へ。
(フロント端子は便利だな〜)
さあ、音はどうだ?
「…」
予想的中。これは良い♪
「THE 単車」と言っても単にバイクが走り回り聞こえるのは名車達の排気音ばかり…
という様なことはなく、センスの良いBGMが上手く入り映像を盛り立てる。
このBGMが実に良く広がる。
「THE サラウンド」?
ある音は空高く天井付近から聞こえる。
これはそういう仕掛けが施されているのだ。
とにかく大変結構なお点前で、これは良いチョイスだったと一日ニコニコ。
いや〜サラウンドって本当に楽しい物ですね♪
余談を一つ。
よっしーはビデオを再生しつつ、映像は再生していない。
日頃テレビにはビデオもDVDも繋いでいないのだ。(観ないから)
確かめたいのは音だけだったから黄色いプラグは遊んだまま。
ビデオを再生しながら映像は観ない。
これぞ“通”ではないか?
例えれば天ぷらそばの天ぷら抜きを頼んだ様な心境。
よっしーも一人前になったものだとつくづく思った。
4月17日
しかしこれは良いお手前だ。
そうだ、GWにはカルネさんが来てくれるだろうから、
その時は一緒にDVDなんか見ようではありませんか。
そうだそうだ(と勝手に決めている)
このマトリックススピーカーなら映画を引き立ててくれるに違いない♪
ところでここで一旦座学に移ろう。
引用元は、前と変わらず、長岡鉄男流「趣味の音場」のすすめ、
で元ネタはオーディオアクセサリー誌32号。再録は不思議の国の長岡鉄男1。
「音場」というとすぐビジュアルに結びつけるがそれは間違い、というキャッチで始まる。
“音場というとすぐVとのドッキングを考える人が多い。
しかし、これが間違いの元である。
視覚像と聴覚像では視覚像の方が強い。
しかしブラウン管の面積はステレオの音場にくらべるとはるかに小さいので
トータルでは視覚像と聴覚像は拮抗する。
細かくいうと、ブラウン管の中の像については視覚優先、
Aは無定位がよく、モノラルでもよいが、ステレオだと違和感を生じやすい。
ブラウン管からはみ出した部分については当然Aが優先する。
例えば相撲、野球、プロレスの客席はAに任せるのがよく、
ブラウン管に映っている部分についてはモノラルか無定位で、ということ。
AとVの分業である。
音楽番組でも同じことであって、ボーカルにしろインストルメントにしろ、
ソロは必ずモノラルで録っているので、定位はVだけに任せるべきで
AとVで張り合ったりするとめちゃくちゃになる。
客席とかコーラスだけをステレオ再生するとよい。
ただ、いずれにしても趣味のオーディオとしては面白みは少ない。
音声だけで、ブラウン管を上回る巨大で奥行きのある音場、
手でさわれるような音像を造り出そうというのが狙いなので
小さく平面的なVに頼る必要はない。”
…と、以上が引用である。
そして以下はよっしーの戯言。
ここで長岡氏が言いたいのはAとVをドッキングさせてはいけない
などという事では、もちろん無い。
何しろ長岡先生くらいAとVのドッキングをいち早く始め、
最後には超本格的にやってしまった人は他にいない。
方舟以前から、TVの音声を引っ張り出してオーディオに繋ぐということを
率先垂範していた人だ。
ここで言っているのは、音場(あるいはサラウンド)すなわちビジュアルとのドッキング。
つまりAVと考えるのは短絡的に過ぎるよ、ということだ。
Vが無くても、Aだけで音場という物は成立する。
そうでなければ趣味の音場なんてとても言えない。
むしろバランスや使い方を考えないでVとAをドッキングさせると
奇妙きてれつな物が出来上がる可能性が大きいという事を指摘している。
しかし皮肉な事に映像付きの音の中にマトリックスと相性が良い物が少なくない。
マトリックススピーカーというのは大変面白い物だがとにかくソースを選ぶのである。
普通のオーディオCDを次々掛けたが、案外「これだ!」というものに出くわさない。
そこで今回はVHSビデオに白羽の矢を立てたのだ。
そしてこれは正解だった。
しかも映像ビデオの映像抜き再生。これぞ通?
冗談は抜きにしてマトリックススピーカー(特にユニット三本タイプ)は
映像ソフトと相性が良い。
この点をもう少し検証していきたい。
4月18日
ビデオだ、DVDだと言わずに、そもそもTV放送自体がマトリックス再生と相性が良い。
例えばステレオ収録のスポーツ中継。
正にライブである。
しかも下手な加工はされていない。
そんなところに回す気も無ければ費用もない。
これが却って良いのだ。
そしてドラマ類は映画顔負けの音作りをしている例も多い。
こちらはシンプルな収録というのとは違い、積極的な音場作りの例となる。
もっとわかりやすいのがCFの類だ。
位相を積極的にいじって立体感を出している物が多い。
故に非常に面白いのだ。
よっしーがTVのサラウンドをやっていたのが大体15年位前だ。
既に書いたがビクターの29インチモニターに四つのスピーカー(カーオーディオ用)を
接続してスピーカーマトリックスとしていた。
この時は大変楽しかった。
というかTVを見るためというよりサラウンドを楽しむ為に画面に向かっていた様な気がする。
唯一困ってしまうのが映画放送とかだ。
なぜならTV放送の映画というのはほとんど二カ国語で音声多重なのだ。
つまりステレオ放送ではない。
更にその昔はTV音声をプリメインアンプに引き込むだけで喜んでいた。
もっとも、時代が違うからTVは基本的に一家に一台だった。
大学生三年生くらいの時だろうか、学校の払い下げ品のモノクロテレビが家に来た。
これを自室に引きずり込んでいた。
何しろ学校の払い下げ廃棄品だからテレビに扉が付いていた(笑)
これのイヤフォン端子からプリメインに音声を引っ張っていた。
当然モノラル。
この時はサラウンドも何もない。
勤めが始まってもテレビを買う金はない。
しかし、とあるピアノの先生が譲ってくれた。
チャンネルがダイヤル式という時代物だったがカラーテレビだ。
ただ、これもモノラルだからサラウンドは無い。
やがて弟が新しいビデオを買って、それまで使っていたナショナルさん家のマックロード
か何かが部屋に来た。
壊れたので買い換えという事だった。
確かに初めは壊れていたのだが、中を開けてみると埃が充満している。
これを徹底的に掃除したら、なんと無事作動したのだ。
これはしばらく使った。
リモコンと言ってもワイヤードという代物だったが、音声は確かまだモノラルだった。
と、僕がこんな風にテレビ音声をステレオ装置に引っ張り込む様になったのは
長岡先生の影響だ。
週刊FMで、自身のテレビ遍歴を書いた号があった(今は手元に無い。どこかにあったら読みたいな)
先生のテレビ好きは有名だが、テレビ音声を引っ張り出すというのは
遥か大昔からやっておられた。
某テレビのイヤフォン端子にコーラル(だったと思う)のツイーターを繋いで
(イヤフォン端子が二つ付いていて、一つはイヤフォンを差し込んでもSP音声が消えない設定になっていた)
高域を増強していたり、色々されていた。
圧巻は日立のセパレートテレビで、これは画面を遠くに置きながら
チューナー部は手元で操作出来るという、なかなか格好良い製品だった。
プロフィール一号機が入るまで、これは活躍していたと記憶する。
アンプ、スピーカーはC-2+M-22にNS-1000Mなんて贅沢な装置が使われていたのも
この頃だ。
もちろん、そんな使い方は良いはずが無く、
アンプ、スピーカー共どんどんダウンサイジング。
しまいにはTV内蔵アンプで色々賄うところまで行ってしまった。
20〜30インチ程度の画面には8pフルレンジが最もマッチするという
結論が出るまで、長い年月を掛けているのである。
僕自身もTV音声を色々なアンプに引き込み、巨大スピーカーを含む
色々な物で鳴らして、確かにミスマッチであることを確認している。
故に晩年?はモニター内蔵のアンプで、スピーカーはカーオーディオ用なんて事にしたのである。
4月19日
気が付いたら脱線していた。
反省。
さて、TVはサラウンドと相性がよいというお話し。
更にいうとマトリックススピーカーとも相性が良い。
これについては当初から言われていたのだが
マトリックススピーカーを置きたい場所にはTVが頑張っているということで
両者のドッキングは長い間実現しなかった。
それが実現し始めたのはMX-15から。
ユニット三本タイプのマトリックススピーカーの一号機がMX-14で
これはユニットがFE-103で10p×三発。
続いてMX-15が登場。
これは8pユニットを想定してFE-83、あるいは87どちらでも良いが
防磁タイプの87を宛ってTVに繋げたら大成功ということで
マトリックススピーカーとTVのドッキングが始まった。
更にこれをAV対応専用と銘打ったのがMX-16AV。
TVの上に置きやすい形に変身。
更にウーファーを搭載して低域増強を果たしたのがMX-17AV。
ここまで来たところでTVの上というのは面積が少ないし不安定ということで
TVの下。置き台の上。つまり両者で挟み込む様な形にしたのが
MX-20AV。
これが大成功を納めたので置き台一体型としたのがMX-200AV。
ここまでは差信号用ユニットは45°の角度を持って付けられていた
(上から見ると6角形となる)がAVフロント誌で作ったMX-127AV(凱旋門)で
初めてフラットバッフルを採用。
これが成功を収めたのでFE-87三本仕様も作成。
MX-210AVだ。
TV対応のマトリックススピーカーはこれで終局となった。
さてさて、またしてもクドクド書いてしまったが許してください。
とにかくマトリックススピーカーとTVは相性が良い。
1、音源がマトリックス再生に向いている物が多い。
2、逆の面から見るとマトリクススピーカーは小口径ユニットこそ好適。
長岡先生は20p×4発まで制作されて、その結果8p〜10pが最適という結論に至っている。
3、既に言った様に20〜30インチのTVには8p程度のユニットが、VとAのバランスを
考えた時ベスト。
1、2、3を併せて考えるとTVには8pユニットを使ったマトリックススピーカーが
最高ということになる。
サラウンド、ということだけにポイントを置けばスピーカーマトリックスをやれば
済むことなのだが、散々書いたようにリアスピーカーの設置というのは
案外容易でない。
その点で正面にあるエンクロージャー一発で済むマトリックススピーカーは
大変使い勝手が良いという点をおわかり頂きたい。
今も多くのスピーカーを配置するサラウンドの需要はある。
しかし人気があるのは案外一体型のフロント一発風サラウンドシステムだ。
ヤマハのそれは、この不況下に品切れ状態だとも訊く。
リビングにおけるサラウンドシステムは常に使い勝手が優先される。
この事を忘れてはいけないと思う。
4月20日
しかしたった一本のビデオを観ただけではわからない事も多い。
そこでDVDを一枚観てみた。
「猫の恩返し」。ジブリ作品だ。
娘の部屋から借りてきた。
実にいい加減なセッティングで申し訳ないが
こんなもんでサラウンド効果が落ちる様では落第だ。
で、どうだったか?
残念ながら期待するほどのサラウンド効果は得られない。
しばらく付き合ったが駄目は駄目だ。
よっしーは気が短いので、さっさと次の手を打つ。
フロントのマトリックススピーカーはそのままに、
リアにコンコルド105をマトリックス接続した。
これは効果抜群!
正にサラウンドだ。
実に素晴らしい。
リアのコンコルドのポジションにさえ気を配れば
前後のバランスも良好。
残念ながら劇映画のサラウンドについて言えば
僕にはこの方が良い。
言い換えるとフロントのマトリックススピーカーだけのサラウンドでは不十分。
申し訳ないが結果はそうなる。
このパターン、10数年前から打ち崩せない。今回も駄目だった。
個人的結論を言うと以下の通り。
1、オーディオ主体のナチュラルサラウンドであればフロント一発の
マトリックススピーカーも悪くない。
ビデオ、「THE単車」にもナチュラルサラウンドはマッチした。
2、だが劇映画に対応するわかり易いサラウンドには不十分。
劇映画にマッチするのはリア(あるいはサイド)にもスピーカーを設置する
スピーカーマトリックス方式だ。
ここで多少補足する。
一つはフロントのマトリックススピーカー一本でも
視聴音量をもっと上げると効果が出るのかもしれないという未練は残る。
ただ、今僕が求めているのは小音量でも効果が感じられる
「わかり易いサラウンド」なのだ。
リビングでテレビを観るのに、圧倒的大音量再生を目指す人はいない。
テレビはあくまでもテレビ。
室内にいる人と普通の会話が成立するくらいの音量で楽しめないとならない。
そのような場合だと、やはり複数のスピーカーを配置するマトリックスの方が
効果が出るのだ。
これは十数年前から変わらない。今回も覆せなかった。
仕方ない。
補足のもう一つはリアスピーカーにおける低音再生の問題。
リアにコンコルド105を設置してみて良くわかったが
特に劇映画ではリアにも低音信号が入っている。
単に差信号を引き出すだけなら、リア(サイド)スピーカーは
中高音だけが再生出来れば良いが、この現実を目の当たりにすると
リアにも低域は必要なのかな?と思ってしまう。
長岡先生はリア(サイド)に細身のトールボーイ共鳴管(リアカノン2)を使っていた。
共鳴管は低音ダラ下がりで良く伸びている。
量感は不足しがちだが、リア(サイド)スピーカーの低音は
量感がありすぎるのも考え物なのでそれで良いのだ。
本当にあの方はよくおわかりだったと思うのでありました。マル。
4月22日
マトリックススピーカー一発のサラウンドという点では
躓いて、ちょっと落ち込んでいるよっしーです。
振り返ると、音場に明け暮れた感のある4月…
さて、ちょっと前にも書いたが、この「音場」という言葉、あるいは概念を
オーディオの世界に定着させたのは、長岡先生だと僕は考えている。
もちろん、音場という言葉は以前よりあったと思うし、
概念もあったとは思う。
しかし、’70年代のオーディオ誌のどこをどうひっくり返しても
「音場」という言葉が大々的に書かれた物は見つからない。
当時はもっぱら「定位」とういう言葉が使われていたが
せいぜいそこまでである。
今でこそサウンドステージなんて言葉が当たり前の様に使われているが
昔のオーディオの概念にそんな物は無かった。
「空間表現」なんて単語は、今でこそ当たり前のものだが
当時は誰もそんな事には触れなかったのだ。
さて、それでは具体的に、いつ、音場という概念が復活したのか?
ここで音友のムック、「長岡鉄男アンソロジー」を開いている。
するとその中に週刊FMに連載されていた、長岡鉄男のオーディオコーナー
が幾つが納められている。
お手元にあれば観て欲しいのはP148から始まるヤツだ。
タイトルは「ステレオ復活への悲願」
週刊FM'79年3月19日号が初出である。
4月27日
「ステレオ復活への悲願」
“スピーカーの彼方にアーティストの顔、体つきが
見えてくる再生装置について”
本当のステレオ録音とは一つの音でも二本のマイクで録るもの。
このキャッチは当時の僕にとって衝撃的だった。
“ステレオ録音とは、ひとつの音源に対しても二本のマイクにより
音量差、位相差、時間差、その他もろもろの差をつけて
(人工的につけるのではなく、自然についてしまう)録音することである。”
恥ずかしい話だが、その頃僕はそんな事は全く知らなかったのである。
続いて長岡先生は、「筆者はステレオのポイントは音が見えてくることだと
考えている。
顔形、身長、向き(正面を向いているか、横を向いているか)
が見えないようなステレオは本物ではない。
楽器やドキュメンタリーについても同様である」と書かれている。
以降独テレフンケンのダス アルテ ヴェルクシリーズの
SAWT9455A「カルミナブラーナ(第一集)」のB面三曲目。
無伴奏二重唱を具体例として話は続く。
“筆者のメインシステムで聞くと、中央に大人の男性が立っていて
その少し手前、少し(20〜30pぐらい)左に子供が立っているように見える。
左右、前後、上下がわかるのである。
(中略)
実はこのレコードは1964年の録音なのである。
特にこの曲は無伴奏二重唱というシンプルな編成なので(中略)
ドルビーもdbxもミキシングコンソールもなにもなしのダイレクト録音
だろうと思う。
つまり本物のステレオなのだ”
更に続きが面白い。
“このレコードを色々なメーカー製のスピーカーで聞いてみたが
音が見えたのは筆者のメインシステム以外ではフルレンジ一発の
システムだけだった。
考えてみれば筆者のメインシステムも、4Wayとはいえ
基本的にはフルレンジのハイエンド、ローエンドを強化しただけのものである。
メーカー製の2Way、3Way、4Wayではどのように聞こえたかというと
あるスピーカーではテナーとボーイソプラノの身長が逆転、
肩車でもしているようになった。
しかも口だけしか見えない。
これはボーイソプラノはツイーター、スコーカーから、
テナーはスコーカー、ウーファーからと
音域によって上下の位置が決まったわけであり、
スピーカーの位相がめちゃくちゃで、細かい音をネグってしまう
性格を持っていると考えられる。
あるスピーカーでは巨大な男の口の中に子供の口が浮かんでいた。
あるスピーカーでは縦長の巨大な口が二つ並んだ。
あるスピーカーでは黄金バットがよたよたと床をはい回り、
その上を子供のヒトダマがとんでいた。
これらは音源が分散していること。
各音域のキャラクター(立ち上がり、歪率)が異なり
つながりが悪いこと、位相がめちゃくちゃになっていること、
微少信号に対する応答が鈍く、細かい音をネグってしまっていること。
余分な音が出て音像をぼかしていること、
等々が原因と考えられる。”
…ということでもう少し続きますが
しかし黄金バットが床をはい回り、その上に子供のヒトダマが飛ぶとは
凄い表現だ。
当時爆笑してしまった事を覚えている(笑)
(続く)
4月29日
このお話しは二号連続になっていた。
(週刊FMは隔週発売)
同年4月2日号に「ステレオ復活への悲願2」が掲載されている。
サブタイトルは“ワンポイント録音か?マルチマイク録音か?
そのメリット、デメリット” だ。
まあ今ではマルチマイク録音の仕組みは知らない人の方が多いだろうから
詳しい引用はやめておく。
とにかく肝心なのは、ここでいうマルチマイク録音とは
マルチモノラル録音だということ。
「ステレオとは一つの音源に対して必ず二つのマイクで録音すること」
ということからすると、これはもう論外ということになる。
しかし現実にはよほどの小編成でも無い限り
ワンペアのステレオマイクだけで満足のいく録音をするのは難しい。
クラシックならまだしもポピュラーの録音では
マルチマイク、ダビングは当たり前。
イコライジングして、各種エフェクトを掛けてなんぼの世界だ。
だから本物のステレオ録音のレコードを探すのは至難の業。
“筆者としては、マルチマイク、マルチトラック録音は
ステレオではなく疑似ステレオだと考えている。
もちろん疑似ステレオだからといって否定するわけではなく、
必然性も必要性も大いに認めてはいるのだが、
現状のようにマルチマイク一辺倒ではなく、10枚に一枚くらいは
本当のステレオである、ワンポイント録音も出して欲しいと思うのである”
と長岡先生も締めくくられている。
以上の文章が書かれたのは'79年のこと。
それ以降、純粋なステレオ録音が増えたとは思えない。
特に音場フェチのためにレコードを作ろうなどという奇特な人はいないのである。
しかし、ピュアステレオ録音、あるいはそれに準ずる物を耳にする機会は
増えたと思う。
一つには海外マイナーレーベルが作るディスクを聞く機会が増えたというのがある。
超マイナーレーベルの場合は、ピュアステレオ録音を目指すとういうより
予算その他の関係でその種の物しか録れないという事情もある。
結果的に鮮度が高く、自然な録音のものとなるのだが
これがアナログ末期。もっというとCDの台頭により
'79年当時よりも容易に手に入るようになった。
そう考えると良い時代になったものだ。
それと前にも書いたがデジタル技術の進化もあり
位相管理とかその辺は進歩しているということもある。
マイクの本数が多いから駄目と単純には言えない時代が来ているのかもしれない。
ま、それはどうでもよろしい。
とにかく'79年のこの頃まで、音場をオーディオの評価基準にするなんて事は無かったと思う。
“リアルな音場”なんて誰も言わなかった。
'80年代になるとサウンドステージなんて言葉も使われ始める。
音場元年は1979年だったと、僕は勝手に思っている。