3月2日
SCSIの変換プラグを探してさまよう日々…
というのはちょっと大げさだが、大体がこういう事は多少大げさに
書かないと面白くないもんだ。
それにしてもSCSIの差し込みの規格というのは多すぎる。
セントロニクスがどうとかハーフだとかフルだとか。
pinの数もちょっと見ると50なのか68なのかわかりゃしない。
そして最も良くないのはオスとかメスとかがよくわからないことだ。
ピンが出ている方がオスで受ける穴が開いているのがメスと思うと
どうも違うらしい。
と思うと人によってオス、メスの名付け方が逆だったりする。
こうなるともうどうしようもない。お手上げである。
だから書面だけで物を判断するのは非常に危険。
一番間違いがないのは現物をつきあわせることだ。
ところが、今時SCSI関連品を置いている店がない。
ここ数日の体験だけで言うと最も充実していたのは
PCデ○某店とヨドバシカメラ。
特にヨドバシは閉店間際にSCSI変換プラグなどという
いかにもわけのわからない客に対して実に一生懸命応対してくれた
のが印象的。
逆に期待はずれだったのが大きな亀ら某店と
ソフ○ップだった。
こちらではSCSIなんか全滅。
仕方ないといえば仕方ないがちょっと当てがはずれた感じ。
結論をいうと僕が求める物はもはや店頭には無く、
ネットで探すしかないということ。
なのでAmazon様に頼った。
届いた!
実にご立派な外観。
合う…!
しかし…
(続く)
3月3日
SCSIも色々だが、このでっかいセントロニクス フルピッチ 50Pinくらい
男らしい物もないと思う。
ある時代以降は外付けのSCSI機器でもハーフピッチとか
もっと小さい端子が採用されている。
今回購入したのはそれを変換するための物なのだが
既にメーカーでも生産は完了。
市場にある物で終わりらしい。
無理もない。
刺さればこんな感じだ。
機材の後方に約10センチの余地が必要になる訳で
これはもうお笑い草である。
しかし何でも良い。接続を果たせたというだけで
既にご満悦のよっしーである。
ただ、いかにせんコネクト出来ただけでは話にならない。
パソコンに接続。
…と、ここで今回の要のSCSI→USB変換ケーブルをまず認識させなければ
ならないわけだ。
もちろん、ケーブルにはドライバの入ったCDが付いている。
これを読み込んで…
と思ったらそうはいかない。
だってそのCD-Rを接続する為の作業中なんだもの(爆)
先に書いた様に他のDVDドライブ二つが壊れてしまっているから
どうにもならない。
単なるCDドライブなんてのも昔は持っていたが、とっくに捨てた。
さて、どうするか?
かみさんのノートパソコンを使ってインストールCDの中身をSDカードにコピーして
自分のパソコンに刺してみる。
これでインストールと思ったがどうも上手くいかないみたいだ。
思わず無口になってしまったが、ハッと気が付いた。
Webでダウンロード出来るはずだ。
これでドライバーの問題は解決。
インストールも無事終わり、パソコンからCD-Rチェンジャーを見ることも出来た。
やったやった♪と小躍りしていたのだが、何故か音楽が聴けない…。
取り敢えずメディアプレーヤーで聴こうとするのだが
プチプチプチプチと意味不明の雑音が聞こえるだけで
音楽は聴けないのだ(涙)
念のためと思いGOM Playerも使ってみるが症状は同じ。
なんだ、やっぱりCD-Rチェンジャー自体が壊れちゃっていたのか、
と落胆も激しくなる。
しかし、どうも納得がいかない。
メディアプレーヤーで、アルバムの情報だの
アーティスト情報だのはしっかり読めている。
データも走っているのだが音楽だけが聴けない。
レンズクリーニングディスクを使ってみるが効果無し…
ここでハタと気が付いてパソコンソフトのインストールCDを入れてみた。
おお!しっかり読みとれているではないか。
…ということはどうもサウンド関係のところで上手くいっていないのだ。
しかしデバイスの競合も無いみたいだしわけがわからない。
何がいけないのか?
誰かわかる人が居たら教えて欲しい。
このままでは夜も眠れない?
3月5日
CD-Rチェンジャーだが、どうも音楽ファイルだけ読めないでいるみたいだ。
ソフトのインストールCDなんかはちゃんと読める。
(ただ、これがまたドライブが回っているのか回っていないのかわからないくらい
まったりとした速度なのだが。笑)
結局これは駄目かもしれない。
冬眠している内に壊れてしまったか…
分解して中を探ってみようかとも思ったが
労力を掛けても…、という感じ。
せめて、と思い通電だけはし続けてみようと思う。
3月9日
SCSI問題は解決しない。
だからそちらは一旦お休み。
ディスクトップオーディオ入門。
3月10日
何を今更、のディスクトップオーディオ?
これをやる気になったのもパソコンが新しくなったからだ。
これまでディスクトップパソコンを使ってきたので机の上には
液晶モニターががんばっていた。
UMPCが来たものの、画面は10.2インチしかないのだから
部屋では既存のモニターに繋がないと駄目だろうと、その時は思っていた。
ところが何のことはない、小さくても新しいUMPCの画面の方が遙かに綺麗で
見やすいのである。
これで既存のモニターの除去も決まった。
そう考えると机の上がかなり広くなるのである。
いや、かなり広く…、なんて言っても幅が830o、奥行き600o程度しかないのだが
何しろUMPCが幅260o、奥行き180oくらいしかないから相対的にかなり広くなるのだ。
そして、パソコンのスペックが上がったせいで、深夜ときたまだが
音楽ファイルをPCで再生、などということをやってみる気になったのが大きい。
適当なインナータイプのヘッドフォンでお気楽なリスニング。
ストレス無しで楽しめるので結構なものだ。
更に、何度も書いているがパソコンが実に静かになったのも
大きい。
何しろ僕はこれまでほとんどパソコンにスピーカーを繋いだ事がない。
理由はというとパソコンがうるさくてその気になれない
というのがあったし、配線が一本でも増えるのが嫌だという
横着な気持ちもあった。
あと、まあどういうわけか物を書こうとする時
音が鳴っていると上手く書けないから、というのも
現実問題あった。
しかし、まあ超ニアフィールドで音楽再生をやってみるのも
楽しそうではないか。
過去にやった記憶があるが、考えてみるともう15年も前のことだ。
その時はFE-83一発入りの超ミニ密閉を使っていた。
3月11日
いや〜、オーディオはやっぱり楽しい…♪
悪い癖が出てあれこれ始まった。
そしてもう一つ言うとホームページっていうのはとても楽しい。
SRA-3Sなんかあるともっと楽しいのかも知れないが
取り敢えずは余計な事は考えない。
3月13日
さて、STAX。
よっしーが使っている物はSR-3という太古の機種。
これをSRD-5という専用ドライバを介して使っている。
SR-3についてはこちらの。(厳密にはNewSR-3だが)
SRD-5についてはこちらのサイトが特にわかりやすく、
また詳しいと思う。
取り敢えずで言うとよっしー宅のSTAXは結構緊張を強いられる音だ。
気楽に音楽を楽しもうというノリで無いことだけは確か。
これにはいくつか原因がありそうだが
例えば通電不足というのもあると思う。
万事エージングは必要。
本当は放置PLAYで2〜3日鳴らし放しにして上げる位の事は必要か。
詳しいことはおいおい書いてみたい。
3月16日
STAXだがあっという間に良くなった。
嘘っぽいが本当のお話し。
ひとつにはエージングし易いというのがある。
なにせヘッドフォンだからある程度の音量を出しても
左右のイヤーパッドを合わせた状態で放置しておいて大丈夫♪
スピーカーでこれをやったら近所から総スカン間違いなしだ?
3月17日
ディスクトップだSTAXだと楽しくて結構だがアンプについて
書くのを忘れていた。
目下活躍中なのは古くからの「よっしーの部屋」に
お立ち寄り頂いている方はご存じのビクターJA-S71という
プリメインアンプだ。
'76年頃の製品だからかれこれ30年物だ。
このアンプを捕獲してきたのが2001年だったか2002年だったかで
自宅で堪能した後長い間教室の方で働いて貰っていた。
僕はこのアンプに永く憧れていたこともあり、つい贔屓にしてしまうが
実際に使ってみるとスペックだけではわからない美点が
幾つも見つかってニヤニヤしてしまう。
美点の一つは発熱がほとんどといって良い位無いこと。
優れた機材は発熱も凄いという説があり
それからするとこのアンプは落第ということになる。
しかし、実際問題生活の場で使う道具となると
熱なんか出さないで居てくれる方がありがたいに決まっている。
とにかくどんなに使っても、真夏であっても温度上昇しない。
壊れているのではないかと思う位だがそうではないようだ。
教室に大げさなオーディオ装置があっても仕方ない事が判明して
引き上げてきてどれくらい経つか?
その後物置行きになっていて、久しぶりに引っ張り出したのが真相。
ごめんね、と優しく声を掛けてスイッチを入れると
案の定ご機嫌斜めだ。
電源ランプは点くがリレーが動く音がしない。
とうとう廃棄処分かと思いながらも通電しておいたら
無事働き出した。
昭和の製品はちょっとやそっとじゃ息を止めないのである。
STAXが快適に鳴るという事はJA-S71もまずまずのコンディションという事になる。
それで久しぶりにコンコルド105を繋いでみることにした。
(実に半月ぶりの休みが取れたのだし)
小さいスピーカーという事で栗スピーカーもあるのだが
現在机の上だ。
だからコンコルド。
太古のアンプとミニスピーカーでどう鳴るか?
馬鹿みたいだがこれが実に上手く鳴るのである。
快適快適。
ついでに言うとプレーヤーはSONYのDVP-S9000ESという機種。
DVDも掛かるのだがポイントはSACDが掛かるということ。
これでSACD、CDと問わずに掛けまくるが心地よく鳴る。
実に結構毛だらけ猫灰だらけである。
ここで止めておけば良いのだが、ついつい調子に乗る。
(だって2週間ぶりの休みだもの♪)
ダイヤトーンDS-301降臨。
古き時代にダイヤトーンが作り上げた4Way密閉スピーカー。
オールアルニコユニット採用という贅沢な一品だ。
思えばこれが到着した位の頃「よっしーの部屋」は開店休業になってしまったのだった。
リベンジの意味も込めて二階に担ぎ上げセット。
セット…と言ってもスタンドはロジャースの底面積に合わせて作られた物だから
極めていい加減な置き方である事は間違いない。
しかしそんな事をとやかく言っている時間はよっしーに無い。
コンコルドをどかしてすぐ音出し。
「…」
自分で顔が曇るのがわかった。
これはいかにせん悪い音だ。
一年以上寝かしていた僕が悪いのだが
あまりにギスギスしていて泣きたくなった。
ここで短気なよっしーは再びコンコルド105に戻してしまった。
ひょっとしてスピーカー以外に何かが起きたかと思いもしたが
コンコルドでは元通り綺麗な音がする。
それはそれは、思わず、「ああ良いなー」と呟いてしまう様な音なのだ。
凄い音、というのとは違う。
「ああ、平和って良いな」「平凡って良いな」と言いたくなるような音だ。
チャーミングというか何というか…
普通の音量で聴いて心地よい。
エキセントリックなオーディオも良いが、やっぱりこうでないと
永くは続かないのではと思ってしまう様な音。
変哲のない音だ。
あるいはラジカセ的かと思われる方もいるかもしれないが
それとは明らかに違う。
バイオリンはバイオリンらしく。ピアノはピアノらしく、
可愛らしく、時に堂々と鳴る。
もっともプレーヤーが20万円。アンプが8万4千円でラジカセと同じだったら
オーディオ趣味は辞めた方が良い?
ここでインスピレーションが沸いて再びダイヤDS-301を繋いでみる。
「…」
嘘の様だが音は改善されている。
馬鹿言えと言われそうだが、オーディオ機器というのは置いておくだけでも
音が変わるものなのだ。
新しい場所に30〜40分でダイヤは馴染んでくれたみたいだ。
同じ様にSACD、CDと掛けるがどれも良い。
きつさ、荒さは見る見る消え、コンコルドに迫りだした。
いや、迫るというより追い越している。
さすがに30p4Wayは12p2Wayより余裕がある。
コンコルドはともかくダイヤにJA-S71では役不足かと思ったが
ひとまずはそんな事も無さそうだ。
(続く)
*どうでも良いが、これで手を付けたらロボットみたい。
(コンコルドがヘッドでDS-301がボディー。SPスタンドが脚)
今にも歩き出しそうだ?
3月18日
オーディオベーシック誌が50号の節目を迎えられた。
おめでとうございます。
別冊FMfanからの流れを汲む雑誌と個人的には位置づけている。
別冊FMfanの50号が出ていたのがスワン発表の年だから
1986年か。あれからもう23年も経つのである。
ベーシック誌とはご縁があり、創刊準備号(正式には関係ない)
を見たとき、「これは懐かしい別冊FMfanの再来!」と感激して葉書を送った。
そのお返しか?後日商品券みたいなのが一枚届いた。
その後あつかましくも13号にはよっしーも登場してしまった。
もう10年経つ。懐かしいお話しだ。
万事時の流れと共に変わるものだが、オーディオベーシックも例外ではない。
今号を見てやはり感動的だったのが写真の綺麗さ、紙面の綺麗さだった。
オーディオ機器を買うとき、人は夢を買う。
素晴らしいオーディオ機器は残念ながらかなり高価な事も多く、
雑誌を見てはため息をつくということもあり
それだけに雑誌の責任は重い?
素晴らしいモデルさん達を綺麗に撮って載せてくれてありがとう、
と言いたい。
内容も優れているが、今号では「音を良くする50のヒント」が印象的。
一昔前のオーディオアドバイス的な物と違い、読んでいても楽しめる。
見れば執筆陣の中にやまもとさんの名前も。
そしてとどめに付属のCDがいつもながらだが優れている。
今回は50号記念ということもあり
「AUDIO BASIC オリジナルオーディオチェックCD」と来た。
監修は小川洋さん。
さすがの内容としか言いようがない。
オーディオチェックCDと言うのは結構好きで(笑)何枚か持っている。
ただ、好きな僕でも疲れてしまうような内容の物が多いのは事実だ。
なんだかオーディオを前にしてトライアスロンをさせられている様な
気になる物も多い。
対して今回のチェックディスクは使って楽しい。
今現在出ている雑誌なのだから詳しくは店頭で、と言いたいが
それも詰まらない話だから少し語る。
例えば重低音チェック。
ご多分にもれずパイプオルガンが登場するのだが
非常にわかり易く、簡単にチェックが出来る。
そして何より音がよい。
パイプオルガンの重低音は好きなのだが、あのキラキラの高音が苦手な
よっしーだ。
パイプオルガンのディスクというと癒されるより聴き疲れさせられる
物の方が多い様な気さえする。
ところがここに収録されているパイプオルガンはちょっと違う。
耳に優しく、迫力がある。
これは録音のセンスというものか。
それから実在音が登場する。
個人的には日光山の除夜の鐘が心に残った。
これも良い音だ。
そして小川さんらしく、奄美の自然音が続くのだが
よっしー宅ではトラック16の「水の流れ」が一番難物だった。
最後のところで滝の音が出て来るのだが
これがどうしてもホワイトノイズ調に聞こえてしまう。
それでは駄目なのである。
ちょうどコンコルドとDS-301が使える状態だったので両方で
チェックを掛けるが滝の音に今ひとつ聞こえない。
これはあるいはアンプの限界かもしれない。
…なんて言っていると場所を取るセパレートを持ち上げて来なくては
ならなくなる(笑)
これ以外のトラックはほぼ満足のいく結果だったのだから
諦めておくか。
それにしても自然界にある音の再生というのは
難しいものがあり、
この種の物を再生すること自体を無粋に思われる人もいるかもしれないが
オーディオチェック用には良いものだと僕は思う。
そして後半はこれまでオーディオベーシック誌に付随していたディスクから
ハイライトを集めた物が登場するのだから超お得。
音が自然だし、音楽としても優れているので普通にリスニング可能。
しばらくリファレンスディスクとして愛用させて頂けそうだ。
3月20日
こんないい加減な積み上げをしてはいけません。
ビクターJA-S71の上にSONY DVP-S9000ESが鎮座している図。
JA-S71が発熱ゼロなのでこんな事も出来る。
S9000ESには色々注文もあるが取り敢えずSACDが掛かるのは
手持ちではこれしかないので良いも悪いも無い。
ところでDVP-S9000ESの上にPanasonicのLP-D100が載っている。
いにしえのDVD-RAMドライブ(借り物)だ。
恐ろしい事にPDも使えるが目的はそれではない。
こちらもSCSI機なので試してみたかった。
すると音楽再生も出来るし映画DVDもちゃんと再生出来る。
ということでどうも僕のNakamichi MBR-7は壊れているみたいだ。
まあこれは仕方ない。
しかしPDドライブなんて初めて見た。
オーディオベーシック誌の付録ディスクについてもう少し。
気持ちの良い重低音が聞ける事は既に書いた。
さすがにダイヤDS-301は過不足なく良い音だし
良い特性なのだろうと思う。
さすが三菱?
ロジャースが導入時大変苦労させてくれたのと大違いで
立派なものだ。
こんなに楽して良いのかしら?という感じ。
鳴らしているのが33年前のなんの変哲もない国産プリメインだから
それも素敵だ。
これでアンプが超弩級だったら「当たり前」と言われるが、それとはちょっと違う。
難物の”滝の音”だがポン置きの状態から数日過ぎたせいか
”まるでホワイトノイズ”という状態よりは良くなり、
水の粒子が感じられるようになった。
もっともこれは聞き手の慣れという部分もあるから
単純に装置の変化とばかりは言えない?
いつまでも滝の音の話ばかりしているのも変だ。
音楽としては後半の部分が美味しいということは既に書いた。
どれも良い演奏。良い録音。
とにかく収録場所の空気がまるごと納められているのが
小川さん録音の特徴だ。
トラック19「ワイアラエ」ではギターは座って。
そしてパーカッションを持った女性が歩き回っている。
歩き回るというと落ち着かない感じだが、まあぶらついている程度だから大丈夫。
それより面白いのはこのパーカッションが聞こえる高さ。
拙宅では非常に高い位置に定位する。
ギターがツイーター、スコーカー達の高さで、パーカーっしょんは
遥かスピーカーの上。
極端に言うと天井近くの高さに定位する部分もある。
実際それくらいの高さの違いがあったのだろうが面白い。
トラック23の「てぃんさぐぬ花」もハーモニカは立って。
ギターは座ってだから当然これも高さの違いが出る。
これは普通に再生して普通にそうなるが響きが美しい。
…と取り上げていくときりがないし
さすがに共同通信社の回し者と思われ兼ねないのでこれでストップ。
ひとつだけ付け加えるとトラック17に入っている遠雷の音を聞いて
室内飼いの犬が血相変えて逃げ出した(笑)
きゃつは雷の音、打ち上げ花火の音が大嫌いなのだ。
かわいそうな事をしたので犬に謝った。
お前って鼻は悪いけど耳は相変わらず良いんだな、って感じ。
なおこの時の再生音量は相当小さいものであった事を付け加えておく。
ボリューム角で9時にすら到達していなかった。
それでも雷は雷に聞こえたということで
さすがダイヤというべきか、あるいはやっぱりコーギーというのは
耳が大変良いというべきか?
一応両方という事にしておいて頂けると嬉しい(笑)
3月21日
ダイヤトーンDS-301。
'70年当時62.000円/1本
4Wayアコースティックエアーサスペンション方式
(超完全密閉型)
30pウーファー、5pドーム型スコーカー、
3pドーム型ツイーター、3p超高域用ツイーター。
インピーダンス8Ω
音圧レベル96dB
クロスオーバーはそれぞれ1.5KHz、6KHz、10KHz
ネットワークは12dB/oct(スーパーツイーターのみ6dB/oct)
360W×585H×286D。
重量23Kg/1本
取り敢えず良い感じで鳴っている。
鳴らしにくいなどという事はない。たぶん誰でも割と容易に鳴らせる、
そんなスピーカーだと思う。
色々な意味で後年の598スピーカー群の先駆けとなった
始祖的スピーカーではないか。
バランスは極めて良い感じ。
あまりにも陳腐な表現だがゆったりとした低音をベースに
繊細な中高音が載るという感じで優美ですらある。
一部でダイヤというと鳴らしにくいという説もあるわけだが、
全てのダイヤがそうではないみたいだ。
今回DS-301に対して、よっしーは何の工夫もしていない。
ダイヤの3Wayで悩んでいる方に対しては申し訳ない位だが
元来ダイヤは2Way、4Wayの方が扱い易いという説もあるのでお許しを。
今のよっしーはDS-301に対して特に追い込みはしていない。
それはセッティング一つ見て頂いてもおわかりの通りだ。
もしかすると久しぶりに自宅で鳴る30pウーファーに嬉々としているだけかもしれない。
大変結構なお手前である。
久しぶりも久しぶりで、その昔シスコンのスピーカーが
31pウーファーを擁していたが、以降20pを越えるユニットとは
とんと縁が無かったのだ。
大きいウーファーはやっぱりそれだけで良いところがあるというのが
素直な感想。
ハイスピードな低音という言葉があるが
低音というのは元々まったり、ゆったりしていて
高音より遅れてやってくるというのがよっしー的印象だ。
楽器の場合特にその感が強い。
だから多少もっさりしていて普通では無いかと思われる。
20歳若かったら、「それではいかん」という事で重しを載せたり
ネットワークの改良、果てはマルチアンプまで走ったかもしれないが
それは金銭的にも大変な訳だ。
それに対して、「こーゆーものだ」と割り切るのにはお金が一切掛からない。
これぞ究極のローコストだ(笑)
いや、まあそう思える迄の色々な経験体験にお金が掛かってる訳だから
一概にお金が掛かっていないといも言えないのだが…
あ、それから音量なのだが、よっしーは最近スピーカーを
絶叫させるような事をしていない。
元々大音量派とはいえないが、年と共に低音量派になってきた?
これについてはまた書きたいし書くと思うが、
オーディオの面白みは好きな音量で聞ける点だと思う。
家でも生と同じ音量で聞けるというのも良いことだろうが
音量を圧縮しても楽しめるという事も同じくらい良い事だろう。
まったりと出来る音量でニコニコ出来る様な音を出す。
それが目指すところというか
必然的にそうなっている。
DS-301もコンコルド105も、そんな目的には叶っている気がする。
3月22日
取り敢えずありのままの写真なので多少お見苦しいのは
お許しを。
左右のスピーカーの間隔はもう少し開きたいところだが
現状では仕方ない。
頼りなさ気な足下にも見えるが
ガタ、ぐらつきは無い。
DS-301の重量が効いてか、スタンドも上手く安定。
鳴きも上手く納まっている感じ(完璧かどうかは知らない)。
たびたび登場のビクターJA-S71。
無骨とも言えるデザインだがこれはこれで良いと思う。
でっかいボリュームノブ。中身はアルプス製の実にゴージャスな物。
機能は豊富でインプットはフォノが二系統(カートリッジロード切り替え付き)
TUNERがあってAUXが二系統ある。
TAPEは三系統で内一系統がフロントに出ているのは
この頃のビクターのお家芸。
トーンコントロールはもちろんあるがターンオーバー切り替えはない
(上級のJA-S91にはある)。
トーンディフィートがあってラウドネスはもちろんある。
ハイフィルターもあればサブソニックフィルターもある。
スピーカーは二系統でA+Bも出来ればOFFにも出来る。
MODEスイッチで、ノーマルなSTEREOから、リバース(左右逆)
L+RのMONO。LのみのMONO。RのみのMONOと切り替え自在だ。
プリメインアンプというのはこうでなくてはいけないと思う。
更にリアにはプリアウトもあって、切り替えスイッチまで付いている
親切設計。
各種スイッチは大きくてつかみやすく分かり易い。
こういうアンプもいつしか消えた。
DS-301みたいなのもいつの間にか消えた。
これは仕方ないことなのだ。
僕らは残った物を楽しめば良い。
そしてこれらの物達の価値を知る人はそう多くないからお得とも言える。
拍子抜けするくらいあっさりと、DS-301もコンコルド105も
望むような音を出してくれてしまったので
つい悪戯をしたくなりコンコルドと栗スピーカーでスピーカーマトリックスを
始めてしまった。
いったい何年ぶりのマトリックス?
これについては又。
3月23日
スピーカーマトリックスといえば長岡鉄男。
あるいはこの人が居なかったらスピーカーマトリックスなんて言葉自体、
とっくの昔に消え失せていたかもしれない。
スピーカーマトリックスとは何か?というような事は
今更ここに書くのも憚られる。ネットの時代だ、検索を掛ければ答えは出て来る。
長岡氏がスピーカーマトリックスについて語り始めたのが
'80年頃。
例えば季刊オーディオアクセサリー21号に「スピーカーマトリックス
4チャンネルシステム研究〜その素晴らしい世界を徹底検証する〜」
なんて記事があって、これは'81年のこと。
(不思議の国の長岡鉄男1、に再録されている)
4本(とは限らないが)のスピーカーに囲まれてサラウンド再生をするのが
マトリックス。
本当はそうまとめてはいけないのだが、面倒だから便宜的にはそういう事にしておく。
長岡氏がマトリックスについて大いに語り始めたのは'80年頃だが
さかのぼること10年の'70年代初頭に
4チャンネルブームというのはあった。
これは各社入り乱れて、その方式も統一どころか争いあって、
結局実を結ぶどころか花を咲かせることもなく終わってしまい、
以降4チャンネルは禁句になったとさえ言われている。
4チャンネル。今で言うとマルチチャンネル。
魅力はたっぷりなのだが21世紀も10年近く経つ今日に至っても
定着した試しがない。
最大の問題はフロント二本以外のスピーカーの置き場と長いスピーカーケーブルの処理。
だいたいがこれで行き詰まる事になっている。
フロント二本だけでも邪魔なスピーカー。
これを更に二本も三本も増やすというのは
一般家庭において、神をも恐れぬ行為だ。
リアスピーカーにはそんな大きい物は必要ないから理屈の上では超ミニでも大丈夫だ。
ところが大きかろうが小さかろうが、設置の難しさという意味では大差ないのである。
これは「隠れサラウンド派」のよっしーが30年の経験を持って言うのだから
嘘ではない。
例えばAV-1というTV置き台兼のバックロードを使っていた時期。
AV-1はフロントにFE-83を使っているのでリア用にもFE-83を使った超小型密閉を用意した。
ところが100W×150H×120D程度のミニであっても、そう簡単に設置出来る場所は
家庭の中に無いのである。
適当な棚がちょうど良い場所にあり、そこに納まるなどというケースを除けば
たちどころに困ってしまう。
次善の策としてブラケットを介して壁、あるいは天井吊りとすることになる。
しかしそのやり方がベストかというとネックがある。
それはそう簡単にリアスピーカーにとって理想の設置場所というのを
特定出来ないという問題点が残るからだ。
見当を付けて壁にブラケットを付けてスピーカーを設置。
後はブラケットの角度調整でスピーカーに理想の方向を向かせる。
言うは易し、でこれが難しいものなのだ。
「これは」と言える位置を探るのが難しいし、
それを探し当てるまで無数の穴を壁に開け続ける訳にはいかない。
だからどうしても適当な仕事になる。
最高なのはリアには細身のトールボーイを用意して
理想の位置に置くことだ。
さすが長岡先生はスピーカーマトリックスの覇者だけあって?
VA専用ルーム「方舟」を作られてからは一貫してこの理想型を
採用されていた。
逆にいうと母屋時代はメインシステムではスピーカーマトリックスは
されていなかった。(リアスピーカーの理想的設置が困難だったから)
原稿書きをする二階の書斎のサブシステムでサラウンドを楽しまれていた。
実に賢明、というか理にかなった展開だったわけだ。
さて、ここで「何故サラウンドなのか?」という事について触れる。
何故サラウンドなのか?→答えはない。
ふざけている様だがこれが答えだ。
まず音場という観点がある。
4つ(あるいはそれ以上)のスピーカーに囲まれる事で
厚く豊かな音場再生が可能。
これは本当なのだが、ではスピーカー二本では出来ない事なのか?
というとそうではない。
フロント二本だけで立派に豊かな音場は形成される。
これは本当の事だし、そうでなければいけないという説もある。
更には、「適当なスピーカーを四本も買う金があったら
その金で二本の良いスピーカーを買う方が良い」という話もあり、
それも正しい。
「優秀なフロントスピーカーにリアだけいい加減なスピーカーを
繋ぐと却ってトータルのクオリティーが落ちる」という説も正しいだろう。
全て正しくて反論の余地がない。
それでもやってみるというのは何か?というと
「面白そうだから」としか言いようがない。
「面白そうだからやってみたい」
よっしーの場合過去30年間、いつもそんな程度の動機でサラウンドをやり、
常に頓挫してきた(笑)
今回もそうなる可能性90%だが、まあやってみようという感じだ。
よっしーのサラウンド歴を軽く振り返ってみると
最初が大学生の頃だったか、あるいはもう社会人になっていたか
記憶が定かで無い。
実現出来たのは拾い物か何かで適当なリア用スピーカーが
手に入ったからという下らない動機による。
今まで本で読むしか無かったサラウンドをやってみる事が出来るという事で
嬉々としてやった。
この時の効果はどうだったか、実はあまり鮮明な記憶がない。
ただ、喜んで持ち帰ったリアスピーカーの設置場所に困り
タンスの上に適当に置いた事は覚えている。
後で改めて書くが、やっぱりリアスピーカーのセッティングは大切だ。
そしてソースの問題もある。(これについても詳しくは後ほど)
その後結婚してリアスピーカーどころかフロントスピーカーまで捨てる羽目になった。
で、趣味のオーディオが復活したのが今から約15年前。
この時並行して、お手軽なVAも始めた。
29インチモニターが割と本格的な物で(結婚祝いに頂いた)
スピーカー端子も付いていたのでここに四本のスピーカーを繋いだ。
全てカーオーディオ用のスピーカーで、リアは床置きといういい加減さだったが
この時のサラウンドは大成功で最高だった。
もちろん単純なスピーカーマトリックスなのだが
効果は絶大でサラウンドを楽しむためにTVドラマを観るという
不思議な日々だった。
ここでちょっとだけ。
マトリックスだとかサラウンドだとか言うと画像付きのVA(一般にはAVで良いのだが
どうもアダルト…と誤解されるのでVA=ビジュアルオーディオで通す)用と思われる
面もある。
これは誤解と言えば誤解だ。
ただ、VAとサラウンドが密接な関係にある事自体は否定しない。
テレビ、あるいは映画ソフトはサラウンドで楽しむ方が遙かに素敵だ。
理由は?というと元々の音が、かなりサラウンドを意識した作りをされているからだ。
映画はもちろんなのだが、テレビのドラマなどでも音作りは凝った物が多い。
例えば夏の公園の電話ボックスで主人公が電話を掛けているシーン。
電話相手は室内にいる。
すると室内で話している人の声は画面位置に固定してまず定位。
切り替わって公園の電話ボックスで話す側のカットになると
話し声はフロント方向に定位しつつもリアスピーカーからは
盛大に蝉の合唱が聞こえるなどという具合で
両カットにおいて音場はまるで違い、これが実に楽しいし
観ているドラマも盛り上がるのである。
だから映画やドラマは出来ればサラウンドで観るのが理想だ。
ただ、結局話は元に戻るがリアスピーカーの設置や配線。
それらをクリアーしたところで操作の容易さというものが伴わないと
まず長続きせず、サラウンド一式は宝の持ち腐れとなる運命なのだ。
よっしー宅のいい加減なVAは長く続いた方だが
それは前述の通り29インチモニターが、正にモニターであり
外部スピーカー端子を持ち、テレビを付ければ自然と四本のスピーカーが
鳴っていたからだ。
これが別途プリメインアンプを立ち上げて…なんてしていたら
まず駄目だ(経験あり)
AVアンプだと更に絶望的になる。
一般人にとって、テレビはあくまでおテレビでしかないのだ。
それとVとAのバランスは大事だという事もこの時確かめた。
長岡先生は29インチTVにベストなのは8pユニットと仰っていたが
その通りである。
実際駄目を承知でD-55という巨大バックロードを29インチモニターと組み合わせて
みたことがある。
これはもう音場だけが巨大で画面と超アンバランスで即刻没。
後に10p一発のスーパースワンを組み合わせてみた。
これはD-55よりは遙かにウエルバランスだったが、やはり音声のクオリティだけが
異常に上がって違和感が酷く、没。
別室で25インチTVに8pユニットを使ったAV-1という置き台BHを使ってみたが
バランスはこれくらいがベストだった。
サイズの問題とは別に、フロントスピーカーは画面に密接していて
左右があまり開いていない方が良い事もこの時実感した。
よく言われるが、画面の中の音はモノラルで画面位置に定位するのが
好ましいのだ。
例えば人物が台詞を喋っている。この音は画面の中、
画面の幅の中に収まるのが正しい、というかそうでないと落ち着かない。
では、何のためのステレオ。あるいは何のためのサラウンド?
結局それは画面に映っていない物を音だけで現す為のものなのだ。
例えば主人公が画面の中で喋っている。
すると画面には映っていない玄関方向でドアがガチャっと開く音がして
思わず主人公がそちらを振り向く、みたいなのが正しいサラウンドだ。
その意味でも画面に対してスピーカーが巨大過ぎるのはアウトということになる。
ただ、'80年代後半、バブルと共に中途半端にVAが加速した時期は
これらの事は認識されていなかったし
認識されても、こなすだけのノウハウが無かったりで
出来上がったオーディオシステムの間に29インチのテレビが割って入るというような
極めてバランスの悪いものが散見された。
その人たちが今もサラウンドをやっている可能性は極めて低い。
バランスを欠いた物はどうしても長続きしないからだ。
どこまでも脱線していくが、書けるものは書ける時、思い立った時に書いておかないと
消えていってしまうのでご勘弁を。
そんな訳で(どんな訳?笑)今回久しぶりにサラウンドに挑む、というか
サラウンドで遊ぶ。
第一歩はリアスピーカー選び。
フロントは巨大フロアータイプでリアは簡単な物でも一応オーケーというのが
サラウンド。
ただ、バランスという問題はある。
今回はフロントにコンコルド105を使う。
そこでリアは栗スピーカーに担って貰う事にした。
優秀な栗スピーカーをリアに持っていくのには抵抗もあったが
他に妥当な物が無い。
取り敢えず…ということだ。
ただ、この選択肢、まず第一の意味において間違っていなかった。
第一の意味とはなんぞや?というと能率の問題だ。
専用AVアンプ、あるいはサラウンドプロセッサーを使う場合
各スピーカーの能率がバラバラでもアンプ側で個別に音量調整をする事で
対応は割と容易だ(元から揃っているに越したことはないが)。
しかし単純な結線に頼るスピーカーマトリックス方式の場合、
この能率というのは影響が大変大きい。
一言で言ってしまうとリアの能率はフロントと同等。あるいはそれ以上。
出来ればフロントよりリアの方が高い位が好ましいというのがよっしー的結論。
これは何故か?
まずリアスピーカーの方が能率が高い場合は簡単な抵抗を入れる事により
減衰は可能だ。
そこまでしなくても設置場所、角度等で抑える事は容易。
しかし、これが逆に低すぎる場合は困ってしまう。
唯一の解決策がリアスピーカーをリスナーの近くに持ってくる事になる。
確かにそれは一つの解決方法だがベストではない。
出来ればサラウンドスピーカーにはちょっと遠目に居て頂いて、
そこから広い範囲に差信号をばらまいて欲しいのだ。
「遠目の強火」が好ましいのは料理だけでなくリアスピーカーも同じなのだ。
今回の場合だと栗スピーカーの方がコンコルド105より少しだけ能率が高い。
これは大変有利になる。
最初の関門突破。
しかし設置はやっぱり難しい。
右リア用には、ちょうど良い位置に本棚があり栗スピーカーも
すっぽり納まる。
しかし左リア用の置き場が無い。
そこで、出来れば使いたく無かったのだがリスニングポイントから見て真後ろにあたる
作りつけの棚の中に栗スピーカーを設置する事にした。
これでチェックスタート。
結果、前後のバランスはまずまず。
ただ、やはり気持ちリアが弱い。
元々の能率は栗スピーカーの方が高いのだが
設置場所がいかにせん部屋の後端で天井に近いというあたりに無理があったか。
そこで!
急遽リア用スピーカーを作る事にした。
…といっても大したことはない。
手元に余っていたFE-87(昔TV用のマトリックススピーカーを作っていた)
四発と適当な端材で小さな平面バッフルを作成。壁掛けとして使用することにした。
FE-87は片側に二本使用。
実は二本使う必要はないのだが一発より二発の方がサービスエリアは
広くする事が出来る。
それと結線次第で二発のFEを並列4Ω、直列16Ωと切り替えて
音量の加減をすることが出来る。
なんの事はない、方舟のリアスピーカー、
リアカノンの発想のパクリである。
結果はどうだったか?
まずは二発のFE-87を並列4Ω接続で試す。
…。
う〜ん、いかにせんリアの音量が高い。
サウンドステージがリアスピーカーの付近まで後退してきてしまっている。
これはいけない。
どうでも良いが天井付近に設置したスピーカーは万度いじるのは結構疲れる。
マトリックス遊びはやっぱり若者向けだ?
オーディオをいじっている時の僕は極めて気が短いので
何度も椅子から落ちそうになる。
降ろしたスピーカーを見てハッとした。
これはひょっとしてFE-87一発で良いのではありませんか?
そこで片側のFEにのみ接続して再度設置。
どうだ!?
…。
う〜ん、これでもリアが強い。
スピーカーの方を動かすのは簡単じゃないから
リスナーの方が一生懸命前後に動く。
しかし解決しない。
思いっきりフロントのコンコルドに近寄っても、音が後ろに引っ張られる感じだし、
逆にリアスピーカー(正しくはサイドスピーカー)のサービスエリアより
後方に抜け出てみても、音場がリアスピーカー主体で展開している。
ここで一旦犬の散歩に出て頭を冷やす。
まあ例えは悪いが昔みたいにTVドラマ相手に適当なサラウンドを楽しむ場合、
現状みたいなのも有りだよなーとか呟いてみる。
その頃はフロントに8Ωのスピーカーを繋ぎリアには4Ωを繋いで、「サラウンド過多」を
楽しんでいた。
しかし、「今回はこれで良い訳がない」(と犬に呟いたら知らん顔をされた)
目指すのは音楽ソフト再生主体のナチュラルサラウンドだ。
「ああ、FE-87ってそんな能率高かったっけ?」
「いや、さすがに末弟とは言ってもFEだよなー。
しゃっきりし過ぎてコンコルドとは合わないんだよー」
と犬にボールを投げながら考える。
そして帰宅。
意を決して挑戦再開。
またしてもスピーカーを引きずり降ろして
二本のFE-87の結線を直列16Ωにする。
「これで駄目なら全部撤去だな」と心の中で呟く。
どうだ!?
…!
おお!これは良いバランスではありませんか!
きちんとフロント主体で鳴っている。
それでいてリアを切ってみるとはっきり寂しくなる。
これでこそ本物だ。いかにもリアが鳴っているとわかる様では
ピュアオーディオ用サラウンドとしては困るのだ。
ソフトによりまだ注文はあるが、ここから先はスピーカーの角度その他で
クリアーするしかない。
3月24日
ソフトについて少し触れる。
まずスピーカーマトリックスが効かないソフトというのは無い。
(モノラルは除く)
だから何にでも有効なのだ。
ただし効果に差はある。
まず一枚、もうおなじみの感があるが「森のコンサート」(WERGO SM9001-50)だ。
ダミーヘッドを使った録音。
国立公園だかの森の中に機材をセットして放置。
鳥たちが、正体不明の動物たちがそこかしこと飛び回りさえずり、吠える。
この種のソフトをゲテモノ扱いする人もいるだろうが
この臨場感は凄いというか、これ以上臨場感のある物は知らないくらいだ。
通常の2チャンネル再生で充分。
それだけ録音が優秀なのだ。
そして機器によって生々しさが変化するから面白い。
2チャンでも十分なサラウンドソフトをスピーカーマトリックスで鳴らすとどうなる?
まず音場の広がる方向が変わる。
座る位置次第でもあるが後方にも広がるし
何よりフロントスピーカーとリアスピーカーの間の密度が違ってくる。
鳥の鳴き声がホールトーン真っ青に伸びて消えていく様などお見事。
ただし、僕はこのソフトを散々聴いているからわかるのだが
フロント二本だけで充分な展開をするので
スピーカーマトリックスにしてもそんなに感激しない。
このソフトで一番感激的なのはフロントの二本のみで
広大なサラウンドを体験する瞬間だ。
その意味で却ってマトリックスにした時の感動が薄く損をしている?
…なぁ〜んて言ったがトータルではこれが一番広大サラウンドだ。
まあ当たり前過ぎて詰まらないと言えば詰まらないが。
次に普通のオケ。
といってもREFERENCE RECORDINGSのだから切れ味は抜群。
「GEORGE WHITEFIELD CHADWICK」(RR−64CD)だ。
これは綺麗に広がる。
ただ、ちょっとリスニングポイントをサラウンドスピーカーよりも
更に後方に持っていきたくなった。
そうしてみるとこれは正解で、やや遠方からオケを眺める形になる。
逆にそうしないとなんだかオケの中に入ってしまったみたいで
(これは極端な言い方なのだが)
どうも落ち着かない。
まあこの辺はお好みもあるのでリスニングポイントを前後に調整するのは
お好みということで…
ただ、今よっしーが使っている部屋は長手方向に
非常に余地があるから良いが、そうでないケースだと
苦労もするかもしれない。
そしてゲテモノを一発。
SUB ROSAの「THE MYTHS COLLECTION PART TWO」(SUBCD-009-32)だ。
これはもう現代音楽なんだかとにかくよくわからない一枚。
元来ゲテモノだな、と思っていたが今回スピーカーマトリックスで再生してみると
尚更その感が強くなる。
なんともトラックによってはリアスピーカーが全く鳴らない。
そして別のトラックではまるでサラウンドを意識したかの様な鳴り方になる。
面白いものだ。
「森のコンサート」やこのCDはリアスピーカーを正にリアにして
ちょっとフロントににじり寄る位のポジションでベストとなった。
とにかくもっとたくさんのソフトを聴いてみないといけないが
聴き慣れたソフトも新鮮に扱える訳で、
その意味でこれはなかなか楽しいものだ。
3月25日
何でもそうだが弄れるところが多くなると悩みも増える。
スピーカーが二本から四本になると悩みは俄然増す。
いや、”悩み”と取れる人はサラウンドなんぞ手をだしてはいけない。
これはマルチアンプなんかと同じ事だ。
”面白い”と思える人だけがやればよい。
というかそう思えない人はやるべきではない。
なぁ〜んて言いながら早くも後悔しているよっしー。
毎朝軽く悩んでから会社に行くはめになる。
考えてみるとピュアオーディオ用に真面目にサラウンドするのは
生まれて初めてなのだ。
TV用の時はただ楽しいだけだった(15年位前)
サラウンドなどというのはただ楽しい、と思ってやるのが
本当は一番なのかな?などとも思う今日この頃。
しかし広義での遊びの一種だし、楽しんでみたいと思う。
取り敢えずお金も掛かっていない。
休眠していたユニット。ケーブル。転がっていた端材。
新たな投資はゼロだ。
考えてみたらこんなに恵まれた話はない。
3月26日
遊び、と言いながら色々なソフトを取っ替え引っ替え聴いている現状。
数をこなさないと、とにかくわからない。
基準の作りようがない。
取り敢えずリアスピーカーの結線の一部はこんな風に左右を寄り合わせているだけ。
だから簡単に接続を解いてフロント2チャンだけに戻す事が出来る。
これはテスト段階では大変便利なやり方で、
リスニングポイントに座ったままサラウンド効果を確かめる事が出来る。
さて、改めてだがサラウンドをやる意味はどこにある?
フロント二本のスピーカーだけでも
左右はもちろん、上下、前後も表現出来るのはここを読まれる方達なら
おわかりだろう。
それなのに何故スピーカーの数を増やす必要がある?
一つには非常にわかり易いサラウンドが可能だ、というのがある。
フロント二本だけのスピーカーでもサラウンドは可能。
嘘ではないがソースが優秀で聞き手にキャリアが必要という制限がつく。
ところが物理的に四本(とは限らないが)以上のスピーカーに囲まれる
サラウンドではほとんどのソースで、オーディオに関心のない人でも
サラウンド効果を体感出来る。
これは大きな違いとなる。
その意味で、フロント二本だけでのサラウンド、あるいはサウンドステージ構築が
超玄人向けだとすると四本以上のスピーカーを使うサラウンドは
大衆向けと見ることも出来る。
(一概にそうも言えない部分もあるが、それについてはまた)
3月27日
サラウンド。特にマトリックスサラウンドの逆相成分を体質的に受け付けない
という人もいる。
それを抜きにしても落ち着かないという人がいる。
これはもう仕方ない。
お酒を受け付けない体質の人にいくらお酒を勧めても迷惑なだけだ。
と思ったらステレオですら落ち着かないという人もいる。
ステレオは位相の芸術という言葉がある。
芸術は芸術で素晴らしい。しかし受け付けられない人もいる。
それらの人たちはモノラルこそ最高ということになる。
それも左右二本のスピーカーを使ってのモノラルではなく
スピーカー一本の純?モノラルが良いのだという人もいる。
よっしー自身は極めていい加減な人間なのでどれでも良い。
しかし、モノラルが落ち着くというのはわかる。
実際雑文であっても書くときにステレオスピーカーの左右の真ん中にいると
(そんな事は滅多にないが)落ち着かない。
こんな時は昔々初めて買って貰った、ラジカセ(もちろんモノラル)が
懐かしくなる。
馬鹿にして言っているのではない。心からそう思う。
まあどうでも良いと言えばどうでも良いのだが
サラウンドを考える事で気が付く事がたくさんあるということ。
サラウンドをやってみたら今度はスピーカー一本のモノラルもやってみたくなった。
センターど真ん中に一本というのも良いが、適当なコーナーに一本、
なんてのが最高な気がしてきた。
考えてみればステレオというのも二本目のスピーカーを売るための
策略だった気もする。
遥か昔はモノラル全盛。当然スピーカーは一本。
これがステレオ時代となり倍の二本必要になった。
当時の方達は大変苦労したのではないかと思う。
日本もまだまだ貧しかった時代。
左右同じスピーカーを置くことなどままならず、
右には従来からある大きなスピーカー、
そして左には適当な小型スピーカーというのがステレオのスタートだった
なんて人が多かったらしい。
フロントは立派なスピーカーなのにリアには適当なスピーカーなんておかしい
という説もあるが、上記の例に比べればそれこそ可愛いもんかもしれない。
とかなんとか、能書きと実践が並行して進む。
取り敢えず数を聴かないといけない。
出て来るのは古いディスクばかりだが上はユーミンの「ALARM a la mode」
1986年物。
トラックによって違うから一概に言えないがエコーなどかなり派手に掛かっているのが
マトリックスだとよくわかる。
それでも総じて真面目な録音だ。
次に中島美嘉さんで「LOVE」。2003年物。
地味という意味ではこちらの方が地味。
もっと賑々しく音が飛び交うかと思ったら、そんなことは無かった。
という感じだがボーカル物はサラウンドチェックには厳しいというか良いというか。
好みの問題だがあまりにも派手にボーカルエコーが付加されていると
どこに歌い手が居るかわからなくなる?
まあ数枚聴いただけでは確かな事は言えないが。
3月28日
サラウンド=音場ではない。
ステレオで充分音場は体験出来る。
実はモノラルでも体験出来るという説もある。
まずそこを踏まえておく必要がある。
ところでこの音場という言葉をオーディオ界に広めた人は誰だろう?
やはり長岡鉄男ではないかと思う。
一応よっしーは雑誌オタクでもあり、古いオーディオ雑誌はそれなりに持っている。
それを漠然と読み返す時間が、あるいは僕にとって最高の癒しの時間なのだが
眺めてみると音場という言葉はある時期までさっぱり出てこない。
音場という、古くて新しい言葉を引っ張り出したのは
知る限り長岡先生で、時期的には'70年代の終わりの頃だったと思う。
その頃の記事については後に取り上げるとして
まずは'84年の季刊オーディオアクセサリー誌32号の
長岡鉄男流「趣味の音場」のすすめ(不思議の国の長岡鉄男1に再録)
に目を通してみる。
サブタイトルは”音場再生を趣味にしてみよう”であり
あなたも音のホログラフィー「音場再生」を楽しんでみないか?
となっている。
(続く)
3月30日
「今、音場とは何かを体験的にわかっている人は1000人にひとりもいない」
という項から話は始まる。
まず、メーカーに音場というものを正しく認識出来ている人間がいないという嘆きから話は始まる。
いや、当時はメーカーどころか評論家側でも音場という感覚を持った人が
少なかった。
(嘘だと思ったら当時の雑誌を読み返してみると良い=よっしー註)
続いて、「独断的音楽の三要素として、音、人間、そして舞台装置を挙げたい」となる。
“音楽というのは何なのか。独断的な三要素として
音、人間、舞台装置の三つを挙げたい。
この三つは対等である必要はなく、音だけの音楽もあれば
人間だけの音楽(アイドル信仰)もあり、
舞台装置だけの音楽(武道館のコンサートやテレビのベストテン番組、
紅白は耳の不自由な人でも楽しめる)もある。
(中略)
現在、音楽の主流は歌謡曲とロックだろう。
このジャンルでは“音”の占める比重は小さいので(中略)音像や音場はあまり意味を持たない。
大体がポピュラー系では音像という考えは成立しないのである。
(中略)
ポピュラーの再生でソリッドな音像が三次元的に定位したとしたら
再生装置か耳かどちらかが狂っていると断言出来る。
(中略)
さて、音場だが、これはステレオの中でも少数派、
オーディオの中ではケシつぶのような存在。
音楽とは無縁といっていいだろう。
その辺をしっかり見極めた上での音場再生論である。
音楽は独立した存在。オーディオも独立した存在。
それぞれに別個の趣味なのである。
音楽ともオーディオとも無関係のものとして音場を認知した上で
改めて音楽とオーディオと音場の三位一体となった総合芸術を考えてみたいと思っている。
ここまでのところについて、一応よっしーなりの注釈を入れさせて頂く。
要は「音楽」と「オーディオ」は別個の趣味だということ。
また、「オーディオ」という広いくくりの中でも「音場」を趣味とする人は少数派だということ。
どうも古来よりこの辺りの垣根が明確でないというか
ごっちゃごっちゃであるが故に、マニア同士の話がこんがらがる事にもなる。
その整理をつけようというのが長岡氏の一文。
更に、ここで氏は一旦音場というものを「音楽」とも「オーディオ」とも分離して
語り始める。
(その方がわかりやすいからだ)
ただ、決して「音楽」「オーディオ」「音場」を完全分離しようとしている訳ではない。
そこをわかっておかないといけない。
続きに行こう。
ここでいう「音場」とは「空間の音像」の意味である。
「趣味の音場」もひとつの生き方。
…ということで次が始まる。
“音像”、“音場”、どちらも用語として不明確なので両者の関係は
一段と不明確。たえず混乱が起きているが、
音像というのは物体についていうものであり、
音場は空間の音像と思えばよい。
(中略)
趣味のオーディオがあるなら、趣味の音場があってもいいではないか。
具体例でいうと“日本の自衛隊”というLPレコード。
これは音像、音場の宝庫だ。
自動小銃の発射。銃の形、長さ、重さがわかる。
自衛隊員の姿勢がおぼろげに浮かぶ。
薬莢の落ちる音で薬莢の形状、色つやまで見えてくる。
更に目を上げると壁のように立ちはだかる富士山。
なぜそんな物が見えるのかというと
銃声のエコー、うぐいすの鳴き声などから富士山の姿が浮かび上がってくるのである。
(中略)
このように左右のスピーカーから放射される音波だけで、物体や空間が
眼前に再現される。
目に見えるような、手でさわれそうなホログラフィーな音像。
これを追求しようというのが趣味の音場だ。
例えば水が落ちている音の録音。
上から下へ水が落ちる。これは当然で、
それさえわからないような再生装置は論外である。
趣味の音場としては、その水の落ちる高さ、水量、水の広がり、太さ。
つまり一本の棒のようになって落ちているのか、薄い板、あるいは紙のようになって
落ちているのか、霧のように飛散しているのか。
水が落ちているのは水面か、水面なら広さと深さはどうか、
あるいは砂利の上か、石畳の上か、コンクリートのたたきの上か、
また水の出口は水道の蛇口か、噴水か、獅子の頭の彫刻か、
岩のすき間からあふれているのか、バックは岩場か、コンクリートの壁か、
石垣か、城壁か、とそういうことが全てわからなければいけない。
わからないとしてもおぼろげに想像がつくところまではいきたい。
それが趣味の音場なのである。
ばかばかしいと思うかもしれないが、趣味というのはすべて門外漢からみれば
どうしようもなくバカバカしいものなので、
逆にいえば門外漢から見てバカバカしく見えないのは本当の意味で趣味ではないともいえる。
また注釈となるが、この辺りで誤解も生じる。
「俺たちは別に自衛隊の音なんか聞きたくない」というわけだ。
氏はここで一旦(あくまでも一旦)音楽と音を分離して話をしているのだが。
そして次の項では音楽が登場する。
趣味の音場を音楽とドッキングさせるとどうなるか。
一番単純なのはソロボーカルだ。
特に無伴奏のソロ、伴奏がついたとしてもギターとかリュートとか
小型のシンプルな楽器一丁というのがいい。
これを再生して、じっと空間をにらみすえる。
もちろんスピーカーは無視している。
スピーカーから音が出ていることがわかるようなソースや再生装置は相手にしない。
(中略)
現実には最低条件を満たしているソースや装置は数パーセントしかない。
今日はポップアートとポップオーディオの時代であって
七面倒くさい芸術やオーディオは死んだのである。
今、筆者が取り組んでいるのはゾンビーのようなものである。
それだからこそ趣味なのである。
さて、空間をにわみすえていると、歌手の姿がホログラフィーのように
浮かび上がってくる。
身長は、体重は、骨格、肉付きは、衣装は、顔かたちは、そして歌手が立っている床は、
天井は、壁は、あるいは立っていないで椅子に腰かかけているかもしれない。
そういうことが全てわかってくる。
正確にはわかったような気がしてくる。
(中略)
ソロボーカルはむしろ入門用。
音場の泥沼に入り込むとボーカルグループ、アンサンブル、オーケストラと
エスカレートする。
また、空間の表現も重要だ。ホールの広さ、狭さ、天井の高さ、低さ、
壁や床の材質がわからなければいけない。
…と、能書きはこれくらいにして、よっしーの部屋におけるサラウンドのその後はどうだ?
1、リアスピーカーの能率が高すぎる気がするので角度を変えた。
(リスニングポイントの方を直接向かないようにした)
2、そうしたらリアスピーカーの音が極端に小さくなった?
3、おかしいおかしい、耳を付けてみるとリアスピーカーから音が出ていない。
あれ?結線でも外れたか?と慌てていたら…
4、アンプのMODEがMONOになっていた…
…差信号もなにもあったもんじゃない…(汗)
5、で、音は出る様になったが相変わらずリアが過多だ。
とにかく違和感を覚える。
無精をやめてリアスピーカーの位置をグンと前にした。
リスニングポイントよりも前に出して、いわゆるサイドスピーカー方式にした。
6、リアスピーカーは結局FE-87を一発で鳴らすことにした。
以上でなかなか良いバランスで鳴るようになった。
3月31日
前後のバランスという基本中の基本だけはやっと押さえることが出来た。
基本…と書いたが何事も基本が一番難しい。
このバランス取りだって、全くの未経験であればもっと難航すると思う。
スピーカーマトリックスは非常にシンプルな方式で
フロントに対しても悪影響が(ほとんど)出ないのが最大のメリット。
しかし難点があるとすればリアスピーカーの音量調整が出来ないというのが
真っ先に取り上げられる。
だからバランスを取るために、フロントとリアのスピーカーの能率差に、
まず注意が必要。
そしてリアスピーカーの位置というのが同時に問題になる。
能率だけで解決出来ない微細な違いの詰めをセッティングでやることになるからだ。
故にリアスピーカーのベストはスリムなトールボーイということになる。
(占有床面積が小さい方が良い。ユニットの位置はフロントスピーカーより
やや高い方が好ましい。低音はあまり必要でない)
位置や向きをコツコツ変えられる方が良いのだ。
しかし現実にはトールボーイを用意、設置するのも簡単ではない。
よっしーの場合今回は壁掛け(しかもユニットは8p)という安易な方式に
走っているが、それで何とかなったのは横2.700×4.500という縦長の部屋を
縦長方向に使っている故に出来たことだ。
(見取り図参照)
この部屋で、もし横長配置をやっていたとしたら
リアスピーカーの設置には大変苦労すると思う。
位置調整についてはもうひとつ、人間の側が前後に動くという手もある。
ただし、これはあくまでリアスピーカーの選定、90%は由という位の
セッティングが出来てからの話だ。
基本がクリアーされていないと、人の方が前後に動いた位では
どうにもならない事がある。
リスニングポイントはどの辺りがよいのか?
決まりはない。
人により好みにより違ってくる。
そしてもうひう一つ絡んでくるのがソース。
ディスクによりベストな位置は変わる。
ただ、一枚一枚に合わせて身体を前後に動かすなどというのは
正気の沙汰ではない。
(微妙に頭の位置を変えるくらいは構わないが)
だからある程度の数、種類のディスクを聞き込む事が必要。
時間を掛けて、大抵のディスクで大丈夫というところまで
来たかな?と思う。