11月1日



ワンワンワンの日である。

しかし今月はもう一発。ワンワンワンワンの日があるから
影が薄い。

…という話しはさて置いて、スピーカーだがこんなに並べても意味は無いと言えばその通り。

写真ではサンヨーが
に引っ込んでロジャースがに出ている。

両者似ている部分もあるが、なかなか違う部分もある。

その意味で興味深いが使い手が同一である限り
一つ方向に鳴らされていくのものだ。



アナログレコードは習慣的に聴くのだがCDは意識しないと
聴かなくなってしまう。

だから、という訳ではないがSONY
CDP-101も久し振りに登場。

これがまだ動いている事自体
奇跡だが
気づくと不満
なく聴けてしまっているのだ。

それではいけないのかもしれない。

要してしまうと、僕は味がわからない人間では
ないのだが
味にうるさい人間では
ない

そんな事なのだろう。


11月2日



それにしても
真剣に聴くという行為は悪いものではないはず。

だからやってみたら
面白かった。

CDP-101単体だと分かりずらいのでCD-10に協力して貰った。

いや、そうか。
なるほど、こう違うのか。

何がどう違うのかは明日以降に書くと思う。

*比較対象が1989年のプレーヤーかよ、っていうのは
言わないでおいて頂きたい(-_-;)


11月3日

ごく普通に、自然と音楽を聴いていると
1982年発売のCDプレーヤー
一号機でも充分聴けてしまう。

嘘ではない。

では世の中はその後進化を止めたのかというと
そんな事は
い。

1982年のプレーヤーと1989年のプレーヤーでも
随分違いは
あるのだ。

その意味では2025年現在のハイレゾ音源と最新DACの世界は
拙宅の
1000倍くらい素晴らしい事になるが縁が無い物は仕方ない。



音場、音像の在り方などは違いが分かりやすい世界だ。

普通の音楽ソフトでもちゃんとわかるが
こうした
だと誰でもわかるくらい違いがる。

いわゆる
自然界の音。これは手ごわい

右に見える「森のコンサート」などだと高さ、左右、奥行きと
正に
三次元的に世界がうのがわかる。

鳥はそこに居るのだが
CDP-101だと、その鳥が何だか
っぽく感じられてしまうから不思議だ。

左に見える「バードアイランド セイシェル」は
物で
一度として満足な再生が出来た事が
い。

だから多くを語る資格がないのだが
それでもプレーヤーによる違いというのは
る。

こうした音源たち
こそハイレゾで聴いてみたい気もするのだが
いかがなものだろう?


11月4日

配置換えをして、
伸び伸びとシステムは唄っているいる。


それにしても(小型は除いて)
三組もスピーカーは要らないだろう、と言われたらその通り

ずっと続けられないだろうと思いつつ、
サンヨーを、今度は、前に出してみる。

深い意味はなくSY88+DCP-5500×2台
BTL接続の組み合わせで鳴らす。

アンプに関係なく、だと思うが
らかくしい世界だ。

元々がスピーカーから音が出ている感が
希薄なスピーカーなのだが
今回その感じが
一段強まった気がする。

気になるところを敢えて探せば、ちょっと
ダルな低音というところか。

昔だったら
意地になって自分の思う方向に向かわせようとしたのだろうが
今はそんな気持ちは
い。

それはそれで良いではないかと思ってしまう。

何かを自分の思い通りにばかりしたいと思うのは
不遜だ。


…違うかな…?



放熱を考えると重ね置きなど愚の骨頂。

しかし画としてこの方が美しい。

だから静音ファンの登場。

もっとも季節柄そんなにアッちっちにはならない。


11月5日

…なんて解脱したような事を書い舌の根も乾かぬうちに
今宵は
SY99+HMA-9500の組み合わせでサンヨーを鳴らしている。

それもまた自由行動なわけだ。

ただ、どっちが良いな、なんて気持ちは希薄だ。
あまりに求道的になると人生が
窮屈になる。

パッと音が出た瞬間にわかる、なんて世界もあるが
大切なのは目の前に提示された物を
どう味わうかだろう。

その人は何を意図してその音を出しているのか。
意図して出しているとかどうとかではなく
あるいは当の本人で
すら気づかない、その心の向こう側まで
見通す…のではなく聴き通すのが
醍醐味のはず。



ディスクはこちら。
”有名なの雨合羽”、をチョイス。


11月6日

そして
またSY88+DCP-5500でサンヨーを鳴らす。

勝手に
サンヨーと命名してしまったがスコーカーやツイーターが
どこのユニットなのか知らない。




ただ、このスピーカーで最も特長的なのは、やはりこのプッシュプルウーファーだろう。

これは
サンヨー製で間違いないから、サンヨーというネーミングは妥当だ。

前にも書いたけどこのウーファーの目指すところはパワフルな低音、ではない。
(多分。きっと)

どちからというと
正確な動作。そこから来る理屈に合った音。

不思議と
耐入力は大きくないようだ。

そうした点も含めて、やっぱりこのスピーカーは静電型
っぽい
思っている。

もちろん本物のそれらと並べて鳴らしたら違いは一聴瞭然なのだろうが
どうにも
奇妙な気持ちにさせてくれる。

なんなんだ、これは?


11月7日

ここまで書いて気が付いたのだが今月最初の(自分的)
お題
CDP-101だった。

…と言ってもただ音を聴くだけのつもりだったのだが
いかにも
置き方その他適当ぎる。

ちょうとSNSでCDプレーヤーの置台に気を配ってみたら…
みたいな書き込みもあった。

そうだったよな…ということで




21ミリ厚合板を四枚
重ねた上にCDP-101を設置。

いかにもやっつけ仕事的だが、これでどう



11月8日

…書くのがちょっぴり
られたがとってもい音だ。

いや、いくら何でも
48年前のCDプレーヤー一号機から出る音に
満足してしまうの問題無いか?と自問自答した。

だが、好いのだ。否定できない。

何が、と言うと
きている。

鳥の
が。波の粒子が。ピアニストの鼻息が…というと
後年のプレーヤー達に劣るのだが、引き込まれてその内そんな事は
どうでも良くなってしまう。

新しい
宗教に嵌ったような気がして怖くもあるのだが…


11月9日

まさか
CDP-101にこれだけ夢中になるとは思わなかったのだが、世の中想定外の事は起きるもんだ。

下を固めたら次は
ということで天板に鉛…は無いのでYPB-1を載せてみた。



それなりの重量増だし天板の補強にもなる。

だが思ったほど音はよくなら
ない

どうしたら良いか、仕事中に考えて?
フットやはりフットとして使うべきだと思いついて
YPB-1をCDP-101の
に。



上手く行ったらお慰み、なんて思って音を出したら随分違うのでこちらが
った。

低い方は明らかに
りがよくなり、全域に渡って品位向上。

こうなると驚く他ないが、CDP-101の元々の脚なんて
単なる樹脂の突起みたいなものだから変化が出て当たり前か。

オーディオって本当に面白いものですね♪



11月10日

万々歳…

なのだが冷静さも必要ということで
CD-10に切り替えてみる。



すると
CDP-101では苦労して出した音レベルの音はあっさり出ていることに気がつく。

おっとっと…

なのだが、やはり両者は
世界観なるのでCDP-101の存在意義は揺るがない

それにしても比較対象が1989年発売のCDプレーヤーというのもなんだよな、と思い、ここで…


11月11日


SD-9500




どうだ、凄いだろう?
なにせ2000年代の製品だ。

俺だってこれくらい持っているだぞ。ま、すでに
四半世紀くらい前の物だというのは内緒です。

しかしも半身死んだ状態でディスクは読み込まず、
DACとしての使用である。

前にも触れているし、なにより世間に知られている事だがこのSD-9500はDVDプレーヤーというジャンルに属すものの
CDの音も良い上にDVDオーディオにも対応の神機種だ。

AUREXではなく東芝ブランドなのもよい。

ルックスも良い。姉妹機のSD-9200共々美しい生出たちである。

ではDACモードで、ということでCD-10の
デジタルアウトから接続。

しばらくぶりなので使い方にも自信が無かったが
あっさり音は出る。

おお、と唸って、その音は果たして記憶にあるSD-9500の音
そのものだった。

つまり…


11月12日

東芝のMOSの音を、”
クリスタルグラスの様な…”と表現されるみたいだ。

これはおそらくその昔の長岡先生の評が今でも生きていて一人歩きしているのだろう。

…のだが、
SD-9500の音は、まさにクリスタルグラスの様な音。

実に
繊細ち密で切れが良い。

これは嵌ったら抜け出せないかもしれない。

だが、よっしーみたいな野蛮人?にするとやや雑味不足。ちょっと綺麗すぎると言ったらこれは所謂いちゃもんだ。

俗世でも低音が弱いと評されるようだが、あるいは僕が言いたい事を別の形で言ってくれているのかもしれない。
あるいは仕事が丁寧過ぎるのか。そこを突かれたら本人としてはどうにもならない。
ただ、一方の雄だし2000年ちょっと過ぎにこれだけの仕事をしていたとは
東芝畏るべしである。


11月13日

なんだかいっぱしのCD語り部みたいだ。

しかし
日頃CDの音をどうこうというのは考えた事がい。

そこで思ったのは比較的多く使っているSONY
DVP-9000ESの音はどうだったのかという事だ。

CD-10の倍の価格の20万円。SD-9500の30万円には及ばないが十分なお値段。しかも2000年代の製品。

無関心に聴いていたとは
義理であった。

で、聴いてみた、
改めて



すると、なんだか
ける結果がそこにあった。

緻密…というか細めの線。文句なしに良い音と言いたいところだが一定の線から前に出てこないお行儀の良さ。

これら音は違えどDV-S9000ESにもSD-9500に
共通する傾向だ。

真面目に仕事して文句を言われたら立つ瀬がないが、この辺が俗にいう
がある、無いの世界かと思う。

もちろんそれらのみ聴いていたら何の問題も感じない。あるいはそういうものか、で済むお話しだ。

だが、もしかすると僕の
好み1980年代〜1990年代中後半に生まれたプレーヤー達なのかもしれない。

…なんて思った…

念のために言っておくが楽器の
感表現。音場の見通しの良さなど、新しい(どこが?(;^ω^))モデルはらかに優れていますからね。


11月14日

ちょっと
一休み…


なにがよ?って思われるかもしれないが
れて色々やっているのだが
れた。

ここらで音を聴こうじゃないか。



CDP-101に戻る。

…は、良いが上に
重し

これぞ
昭和オーディオである。

ただ、これは一概にまじないとは言えない。

い、かどうかは知らないがい音である。


11月15日

それにしても、と思うのだがCDプレーヤーっていうのは
本当に
脆弱な一面を持っている…






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