9月1日



とほ宿
、なんて知らないわい。

失礼。

でも、知らないよ、普通は。

たまたまクッチャロ湖畔で泊まったトシカの宿
その系列?の一つだったことから
今回の旅での宿泊先が
やたらとほ宿だらけになってしまった。

つまり何なのかというと公然と
酒の呑めるユースみたいな感じだ。

ミーティング…なんてのは無いが食事などは
基本みんなで一緒にいただく。

一人でひっそり過ごしたい人には向かないかもしれないが
別に息苦しさは無い。


9月2日

旅の思い出というのは様々だが、その中で
宿の記憶が占める割合というのは
低くない。

8月31日の日記に挙げた
浜頓別ユースホステルも記憶に残る宿だった。

何が、ってペアレントさんだったのかヘルパーさんだったのか
今となってはわからないが、その人たち(大学生風二人)の
真剣なこと。

夕食後のミーティングでは「
無断キャンセル」について語っていたし、
就寝後
突然部屋のドアがものすごい勢いで開いたかと思うと
パッと去って行った。

もちろんwith懐中電灯だったので、どこかの部屋で
不純異性交遊でも
行われていないかチェックのつもり?(笑)

もう思い出すと笑ってしまう。

そうそう、ミーティングの時に居た不思議な女の子の泊り客も
印象深い。
家族で来ていたと思うのだが、
風変わりな子だった。


とほ宿はどちらかというともっとご高齢の方たちが運営されている。
この後また傑作な宿が出てくるからお楽しみ?に。



宿でご一緒だったW800さん。お元気かしら?

僕の半分の歳…ってことはないけど
思いっきりバイクを楽しまれている様子でうらやましかった。



食事は手間がかかっている。

おばちゃん(失礼!)達ありがとうございます。



しかし旅立たなければならない。

へ。

これは道の駅
おうむ、に寄った時の一枚。

ここで自宅へお土産第一弾を送った。

海鮮。どこでも買えそうな気がするが
案外売っているところは少ない。




サロマ湖付近か?空がいなー。


9月3日



トシカの宿ですっかり
とほ宿に嵌った僕は翌日もとほ宿へ。

こちらは
網走湖畔を走った更に先にあるゲストハウス夢畑



正に畑の中の宿。
ちょっと見つけにくいのだがそれが又良い。



ここも基本は一室に二段ベッドが二つ。

今回は
個室として使用。

ちゃんが写っているが一緒に寝るわけではない。


しかしこの宿は
傑作だった。

こちらでは宿主さん(女性)もお客さんと一緒に食事をとるということで
僕の他もう一人いたおじさん(と言っても僕より若かった)を含め
三人でこたつテーブルを囲んでの夕食

それだけで楽しすぎるが
、焼酎飲み放題コース300円が
とどめを刺す。

もうサイコーである。

是非また泊まりに行きたい。

さてしかし天気だけはサイコーではない気配であって…



9月4日



小清水原生花園

ここも38年ぶりか。




こんな電車のこと、忘れていたというか
当時気にしていなかった?




ちゃんとがあって電車が走ってくる(当たり前か?)。



意外や天気は悪くなるどころか良くなっていくので
そのまま知床へ。

オシコシンの滝





知床峠が濃霧だったら引き返そうと思っていたら快晴に近い。




雲が流れれば北方四島も見られる。


9月5日

なかなか話しが進まなくてごめんなさい、なのだが
写真の処理に時間がかかる。これが大きい。

ま、ご勘弁ください。

とままいキャンプ場で孤独の一日。

過ぎに
クッチャロ湖畔のとほ宿、トシカの宿で宿泊。

その次に
網走湖付近にあるとほ宿、ゲストハウス夢畑で一泊。

そこから
雨を覚悟してスタートしたのだが予想に反して晴れて…

という感じで
知床まで来た。

この後納沙布だ霧多布だ、と岬巡りをするのもあるし、
知床に留まって先端を探訪するというのもある。

だが、いずれも過去に
経験済みだし、今回はやはりバイクだから
走る、ということに主体を置きたいということで標津方面へ。

目指すは
開陽台ということで、これもベタと言えばベタだ。









僕自身人生三回目か四回目の開陽台。

…だがしかし、世の中やってみないとわからない。
行ってみないとわからないことが沢山ある。

何度も来たはずと言っても最後から数えると
30年ぶりだ。

周辺の、いわゆる
ミルクロードも素晴らしかったし、
なにより開陽台に抜ける道を上がりきったところの展望の素晴らしさには
思わずヘルメットの中で
声を上げてしまったほどだ。



これは一つには天候の良さというのもあるし
さらには開陽台自体が随分
リニューアルされ立派になっていたとか
いくつかの要素がある。





すっかり満足して、次は
摩周湖へ。

そして今夜の宿は、今回唯一のユースホステル。
摩周湖ユースホステルとなるのであったが…


9月6日



摩周湖も三回目だか四回目だがいつも晴れている。



陽の高い内に宿につくパターンが定着。

大人になった。(老人になった?)

これが摩周湖ユースホステル。

かなり
でかい



ポンと置かれていた文庫本。

カニ族

懐かしい言葉だ。

それにしても広いユースで、全盛期はそれも
満室満室だったのだろう。

合宿などにも使える規模だ。

風呂がでかい。トイレもいっぱい。
食堂広い。ここでミーティングなんかも行われていたのか。



それにしてもユースも全盛期に比べるとどれだけ
減ったか?

世の中豊かになったためか。
あるいは単にブームが去ったのか?

ま、オーナーさん達も
高齢化となると
後継が居なければ自然
消滅になる。

この夜は色々なことを考えてしまった。



そして朝。

何しろこちとら
目覚めは早い。

4〜5時には起きているがさすがにその時刻に走り去るのも極端?

6時くらいになると、ま、いいかな?という気になる。


9月7日

で、その
摩周湖ユース近辺は

いや、驟雨?霧雨?

よくわからないが
カッパを着た方が良いレベルだった。

で、走り出してすぐ
コンビニに寄って、朝ごはんにと
おにぎりその他を買ってカッパを着込んでいたら
車で入ってきた
女性が、「摩周湖はもう行きましたか?」と聞いてきた。

「はい、昨日行きましたが?」と答えると、「
雲海が出ているけど、もう消えちゃうかな…」と
意味深なことを呟くではないか。

これは気になる。

そこで
踵を返して再びの摩周湖へ。

すると…



9月8日





摩周湖に雲海
とはなんぞや?

全くわからないままバイクを走らせた。

まず驚くのが摩周湖展望台へと続く道の途中から
突然晴れていること。

雲を突き抜けてしまうのか、霧も雨もさようなら、だ。

そしてたどり着いた展望台にはまだ管理者も居ないし
人影だってそんなには無い。

さてしかし駆け上がって摩周湖を見てみると…







なるほど、霧ではなく雲が立ち込め、それが徐々に動いて
輝く太陽と共に大変美しい風景を見せてくれる。

これはスゴイものだった。

摩周湖は一種の盆地形状になっていて、
それゆえ霧も発生しやすくて霧の摩周湖と
呼ばれるのだが、霧でもなく快晴でもない
こうした風景もあるのだな…

コンビニで
教えてくれた女性(奥様?)には感謝しかない。



展望台は晴れているわけだが下界からバイクで上ってきた僕だけは
カッパを着ているという不思議。



コンビニで買ってあった
朝食はここで頂きました。


9月9日



摩周湖から阿寒湖へ。

あまりにもベタだが阿寒湖にも幾度か来た思い出がある。

そのくせ忘れていたが阿寒湖は摩周湖とは
打って変わって
観光地色が強い。

大きな
ホテル。観光バス
お土産屋さん。

そうなる理由もわかる。
摩周湖は盆地状で湖岸湖畔になにかを
作れる余地はない。

そこへ行くと阿寒湖はやりやすい。

しかしこうした風景はバイクのソロツーリングには
似つかわしくない

やはり大きなバスに乗って乗り付けてホテルで呑んで騒いで朝を迎える。
その方が絶対良い。



さて、そこからどこへ行くか?

ここで迷った。

北へ向かって
層雲峡

それも良い。

だが西へ向かった。

目指すは
然別湖

然別湖には苦い…というほどでもないが思い出がある。

38年前
帯広ユースホステルを出るとき既に強かった雨脚は
一向に弱まらない。

そのはずだ。
台風が来ていた。

その中を然別湖に向かい、到達できたかできなかったかで南下して
黄金道路を下って
襟裳岬へ。

台風の中走っていたらバイクの調子が
おかしくなるというおまけつきだった。



その時の写真がこちら↑だが、今回は晴天。





おそらく今回の写真を撮った地点よりも南寄りで昔は写真を撮っていると思う。

さてそれは
さておき…


9月10日

ところで北海道
三大秘湖というのをご存じだろうか?

オンネトー、オコタンペコ。そして
東雲湖

この三つを指す。

この内前者二つは比較的見やすい。
僕も
38年前の初北海道ツーリングの時訪れている。

だが東雲湖だけは話しが
う。

この湖はバイクや車で行ける道が
い。

位置は然別湖の


然別湖の湖上を
船等で渡って行くか、
あるいは
登山道を往復3〜4時間掛けて歩いていくしか
アクセス方法が無い。

38年前は台風もあって帯広から然別湖にたどり着くのが
精一杯で、東雲湖は
あきらめてしまった。

以来ずっと僕の中で東雲湖は
課題として残ってしまっていた。

今回然別湖まで来たのも、実は東雲湖が気になって仕方なかったからだ。

だが…


9月11日


然別湖
に着いた時、ちょうどお昼時だったので
レストランに入った。

食事をしながらも
東雲湖のことばかり考えていたのだが
食後コーヒーを飲みながらお店の女性に質問をしてみた。

すると
白雲山登山道入口という所があり、
そこから然別湖東岸よりの道を歩けば2時間ほどで着くとのこと。

失礼ながらおばさまの足だから、自分ならもう少し短縮できるかな?とは思ったが
往復となると
3〜4時間は見ないといけない。

午後を目いっぱい使ってやってみるという手もあるか…と思いつつ、
階下にあるネイチャーセンターという所で
シーカヤックで渡れる
(金額はそれなりに掛かるが)という企画があるのを見つけ質問してみたが
既に予約でいっぱい…

まあ当たり前だ。

然別湖を渡って行くという線はこれで消えたのだから
あとはやはり登山口から入って歩くしかないのか…

しかたない。
とりあえず登山道入り口まで行ってみようと思った。






さん。



想定外だったのだが結構
標高高いところに登山道入り口はあるみたいだ。



このあたりが実に
しい場所だった。

感動…



だがしかし、たどり着いた登山道入り口は
見るからに
やばい雰囲気…



ヒグマ出没注意、の看板(黄色に赤文字)…

その先に登山道入り口発見。



入山届を入れるポストもちゃんと立っている。

ちゃんとしている…

だがこれは
ちょっと無理だ。

ヒグマが心配だし、せめて詳しい人と二人連れとかじゃないと危険が危ない。

ここでハッキリ諦めがついた。

東雲湖とはどうしても
縁が無いみたいだ…



9月13日

 まだまだツーリング
日記が続くので
オーディオマニアの方にはお叱りを受けるかもしれない。

僕の日記を読んでくれる人の中にはバイク
ねたは未だか?と
いう方もいるので、その方たちにはほめて貰えるかも?

ま、それはさておき、僕は割と
極端な人間なので
このまま行くとオーディオマニア
卒業してしまう可能性無きにしも非ず。

色々考えた8月だったもので…



白雲山登山道入り口で諦めて、
それでも後ろ髪を引かれるところはあったが
振り返って下を見ると物凄い絶景



士幌高原というところだ。

ノーマークだったのだが今回の何番目かに数えられる
素晴らしさ。




日影が無くて暑かった。
それだけが難点だったが
キャンプ場もあって、
ちゃんと準備して来ればさらに良いところ。




そしてチェックイン時間よりも10分ほど早く、今夜の宿
こもれび」へ。

もちろん?
とほ宿だ。

ご家族での経営。お疲れさまです。




大草原の小さな宿、という看板に偽りなし。



エゾリスちゃんに逢いたかったな。

そして
翌日。北上して層雲峡を目指すのだったが…


9月14日



上川郡清水町から層雲峡へ。

それは良いが、この道、
273号線は僕にとってとんでもない道だった。

いや、道自体はよく整備されているし景観もよい。

いや、景観が良すぎた?

…僕は
高所恐怖症なのだ。

それなのにこの道は時折かなりの
高所を渡る橋の上を走らなくてはならないのであった。

そうと知っていたらこの道は選ばなかっただろう。

ただ、この道を走ったのって今回が初めてだったっけ?と考えると
ちょっと疑問。

過去に一度はこのルートを走った気もするのだが…

ひとつ言えるのは今回レンタルしたホンダ
400Xというバイクの
ライディングポジションがかなり
高目だということ。

つまり頭の位置が高く目線も高い。

これがどうにも負に働いたということか。

念のためだが400Xは
トータルで大変優れたバイクだった。



僕なんか近くにも寄れないのに
平気で
下をのぞき込んだりしている人がいる。

どーゆー神経をしているのか?と不思議に思うが
向こうから言わせたら僕が変なのだろう。





三国峠、はこの峠道の頂点。

ここまで登ってきて
あとは下るのだが
案外層雲峡まで何キロ、なんて案内は出てこない。

本当に層雲峡に向かっているのだろうか?と
非常に不安になる道だ。



やっとたどり着いた層雲峡の名物スポット、流星の滝。銀河の滝。

この辺から空が
れてきた。

大変ありがたい。





そしてさらにへ。


9月15日

昔だと
敬老の日だ。

しかし今や
75くらいにならないと町内会の
敬老会に呼んでもらえないとか…

随分
ゴールが遠くなっているのだな。



突然だが
37年前に両親が層雲峡に寄った時の一枚。

父がこの時60歳。
この頃は60歳で定年で、これは
退職記念の旅行みたいなものだ。

父は97歳の今も在銘だが、母は
今の僕より5歳若いところで時間を止めてしまった。
ちなみに写真の時50歳。

まさかこれが最後の北海道になろうとは夢にも思うまい。

亡くなった人の分まで…という言葉があるが、
やはりその人の人生はその人が在銘の内にやり尽くしておいて貰わないと…

他の
誰も替わってあげることなんて出来ないと僕は思ってしまう。

摩周湖、阿寒湖、そして層雲峡。
それはその旅行の時に父母が
廻ったコースでもある。

「この道をバスで走ったんだよな」と思いながら走る道も多かった。

バイクのソロツーリングなんて、走っている間常に
禅問答みたいなものだから
色々なことを想い、考える。

僕は今回僕なりのテーマを持ってこのツーリングに来たのだが、
思いのほかというべきか案の定というべきか、
亡くなった家族のことを思う時間が大変多かった。
ほとんど、
走るお墓参りみたいな?感覚だ。

亡くなった人は帰ってこない。

当たり前なのだが、それでも
不条理を感じることも多い。

何故この人がこんなに早く、こんな風に…と30年思い続けてきたといっても
大げさではない。

過去三回のツーリングは母の在銘中のものだった。

ツーリングとしてはその人が
居なくなってから初ということもあって
とりわけ感情的になったのかもしれない。

ひとつ言いたい。
皆さん、
生あるうちに出来る限り楽しんでいただきたい、と。





そして
旭川へと向かう。

途中から
旭川紋別自動車道なるバイパスに入る。

この日はひたすら高所で疲れていたのだが天気もどんどん回復。

そしてバイパスを降りて旭川の市街方面へ向かう
下道に降りてみたらこれがもう…





これまたあまりに素晴らしい景観に言葉を失ってしまった。

今回のツーリングは特に、だが、想定外のところに唐突に
言葉を失う風景が現れてくれる。

朝からの疲れは
一瞬にして吹っ飛んでしまったのだった。


9月16日



そして日は西に傾き…

美瑛の丘に宿が建っていたこともあって
素晴らしいシーンに遭遇する。



パノラマ。




いやもう圧巻の夕暮れ。



宿はとほ宿

遊岳荘という宿で、実に素敵なお宿なのだが
この日の宿泊客はなんと
僕一人

前日前々日と満室の宿続きだったので拍子抜けというか
びっくりしてしまった。

どうもしばらく営業をやめていて、6月くらいから
密かに再開したということで、
やっていることを知らない人が多いのかもしれない。

オーナー様は僕一人を一生懸命お相手下さるので
申し訳ないくらい。




宿に入った時、「素晴らしい夕暮れでした」と言ったら
「陽が
落ちてからが又凄いのですよ」と言われて再び外へ。

なるほど、これもスゴイ。




実は動画も撮ったのだが、この方向に立っていると
旭川空港離陸する飛行機の音が左手から。
そして
着陸する機の音が右手から聴こえてくる。

いつか旭川空港着の飛行機でここへ来て、
周辺だけを見て回るのもありだな、と思った。


9月19日



が来た。





ここに人がうのだろう。本来は。

真冬、も画になりそうだ。



がいっぱいある宿って多い。

こういう本棚を眺めるのは実に楽しい。






セブンスターの



この後高速をひた走り、一気支笏湖へ!



随分待たせてしまったSと。支笏湖畔で。

これが午後の早い時刻。

問題はこの後の天気で、予報では北海道全域で


Sもフル装備で出て来てくれていて、例えば
洞爺湖あたりまで行って
そこで宿泊して翌日午後、雨が上がるのを待って出発、という
ことも考えたが晴れる
保証も無し。

協議の上、支笏湖から札幌のS宅へ
ることにした。



案の定翌日は朝からずっと雨

その時二人、少しも慌てず。

Sの車で一日
温泉三昧コース開始。






札幌から車で一時間。

とても
良い温泉でした。









ちゃんとこんな所にも寄ってきた(笑)



夕方より晴れてきた。



夜の街へ。



S推薦。美唄の肉の焼き鳥。



マスターに無事帰還のご報告

いよいよ残り日数も
わずかになった。


9月20日



翌日、快晴。

いよいよツーリングも
大詰めである。



札幌をSと、二台のバイクで出発。

小樽を抜けて余市の
かきざき商店へ。



知る人ぞ知るという感じだが評判も高く
混雑もスゴイ。

僕らは早く着いたのでセーフだったが30分後には
長蛇の列ができていた。

憧れの
うに丼を、ついに食べることができた。

同行のSは、とっくに食べなれているのに付き合わされているわけで
なんとも申し訳ない。

階下は市場のようになっているので、自宅へのお土産第二回送付となる。




余市と言えばニッカウヰスキー工場。

現在見学は限定されているがフリーエリアももちろんある。




戻る道は行きと同じではつまらないと
赤井川村経由。

峠道を堪能。




とどめに旭山記念公園へ。



札幌の街を。
いや、はるか先まで
一望できる素晴らしい公園だ。



この日は
別のドフへ。

こんなスピーカーを発見。

ダイヤの
VS-100Fだ。

いわゆるAV用スピーカーだが
僕好みの一本である。



手ぶらで帰るのも失礼なので、と
保証なしの
ゼロスタット

しかしこれ、
飛行機に手荷物では持ち込まない方がよい形状だな。


9月21日



始まりのあるものには終わりがある。

いよいよ
最終日

思えばSには随分世話になってしまった。

おかげで
札幌の街を過去にないくらい堪能できたのは確かでもあり、
その美しさ、楽しさが沁みて離れがたかった。

もちろん冬になれば例外なく
のプレゼントなのだろうが…



ツーリングの総走行距離はほぼ2,000キロ

昔だったら1,5倍くらいは走ったかもしれない。

10日間の内走ったのは
7日だったのだから
一日平均で300キロに欠けている。

走るだけの旅はもういいや、と言いながら
跨ると本性が出てひたすら走りたくなる。

ライダーの性である。





ところでHONNDA 400X

最近ではこの形も少数派になったらしいが
僕の感覚では
ガンダムみたいなバイクだ。
なにしろ
鉄人28号みたいなバイクで育った世代なもので…

400の
二気筒としてはよく走る、といったら失礼だろう。

完成度いと高し。

ただ、
案外重いのには驚く。

そして重心位置が高い。

唯一絶対馴染まなかったのがハンドルバーについている左右のスイッチ。

ウインカーの位置とホーンの位置が、これは逆が正しい。

右側では
ハザードの位置とセルスタータースイッチの位置。これも逆が正しい。

これが正されない限り、僕が400Xを買うということはないだろう。




Sに送ってもらって札幌駅へ。

しかし札幌駅もその周辺も
すっかり変わった。

その昔は駅前にずらりとバイクが停まりライダーがごろ寝していた。

今そんなことをするスペースもない。




えらく早く空港に着いてしまった。

やがて
が。



帰りは
スカイマークだったのか。
と、後から気づく。



羽田はれ。

当たり前だが飛行機は早い。

愛車で走りたいなら話しは別だが
飛行機+レンタルバイク
それなりのメリットがある。




翌朝、外へ出てみると見事に秋の気配。

話しが出来すぎている気がするが本当なのだ。


9月22日

まだ続
くツーリング日記。
こりゃもうどうしようもないと諦めて頂くしかない。



ネットの
拾い画像でごめんなさい。

忘れられない場所の一つとなった、走り出してからの一泊目にあたる
とままえ夕陽ヶ丘未来港公園(キャンプ場)。

丘の上から見るとこんな感じ。

というか、車が沢山入って
賑わっている。



僕がテントを張ったのは
赤い丸で囲んだ付近なのだが
本当に危うく貸し切り独りぼっちになる寸前のところだったが
飛び切りの思い出に繋がった。

例えばこれを書いている今も、このキャンプ場は存在して
同じ夜の中にあるのだが、さて、
今宵人はいるのか?

あるいはもう閉まっているのかもしれないが
もともと公園なので公園使用に戻っている可能性大)
場所自体は無くなるわけではない。

あの場所に陽は
ぎ、海に陽はちて朝が来る。

もちろん荒天の時もあるだろうし、そんな時は怖いであろう場所だ。

冬になれば
に埋もれるだろう。

僕はたまたま一番良い時を過ごせただけだ。

とおりすがりのよそ者が、あそこは良いところだも何もないだろうが、
それを承知で言わせて貰うと、とっても良いところだ。

また行きたいところが一つ増えてしまった。

そうそう、この時
テントの中からSNSに、このツーリングの事を投稿したのだった。

SNSの方へもツーリング日記は
投稿したので
こちらにもそれをコピペして…と思っていたのだが
ご丁寧に
別バージョンを書いている。

そのせいでツーリングが終わって一か月以上経っても
まだ続き記事を書いているわけで、
我ながら仕方ないやつである。


9月25日



旅には本を…ということになる。

バイクの運転中に読むわけないが、
飛行機で、電車で。あるいは宿泊地で…というのはあるからだ。


それで、なぜかはわからないが赤川次郎先生の
マリオネットの罠」を持って出た。

この長編、赤川先生の
超初期の一作だった、というのは
今回改めて知った。
昔少なくとも一度は読んでいるのにもかかわらず、だ。


ま、その昔、というのが推定30〜40年前なので勘弁してほしい。


これから読む人もいるだろうからネタばれにならないように
大幅に省略して説明すると、これは
一種のホラー仕立てであり、
赤川先生が得意とする手法の一つである。

ホラー…だから
読むシチュエーションは考えた方が良い?

とままえの
キャンプ場で、アローンな状態で
テントの中で読むと
なかなか怖さが増す。

こんな時こんなところで読む作品ではないな、と思っても後の祭りだ。

読み終えたのがちょうど美瑛に泊まったあたりだったか?

となると
帰りの飛行機での読み物が必要になる。

フライトまで時間はたっぷりあったので、書店は随分冷やかした。

結果、買ったのが「
蟻の棲み家」で望月諒子先生著。

こちらも充分素晴らしい作品なのだが
帯が煽りすぎだ。

それはどなたかも、そう書かれていた。
新潮社さん、ちょっとご考慮を。


なんであれ、
旅に本あり。

バイクの旅、自転車の旅、電車の旅。いずれにも似合う。

案外四輪の旅だと似合わない気がするのは
偏見か?


9月26日

ところで
なんで赤川次郎さんだったのか、について一つ思い当たった。

最初に北海道に行った
1984年。もちろんその少し前からだが
赤川先生は大ヒット連発の人気作家だった。

その勢いは今も衰えることが無いのだが
とにかく
読みやすい文章。
どこか現実離れした、それでいてちゃんと足も生えている
人間とわかる登場人物たち。

ファンタジーの様でもあり現実的でもある。

昔から
女性ファンが多いというのも大いに頷ける。

で、話しを戻すと、1984年当時、赤川先生の
角川文庫の帯には、
心は少年」というキャッチコピーが書かれていた。

おそらく赤川先生の作品以外の帯にも一様に書かれていたのだろうけど、
僕は赤川先生の作品で、それに接した。

恥ずかしい話だが、僕はそのころ「社会人」なるものに成ることが
嫌で仕方なかった。

当時の言葉でいうと
ピーターパンシンドロームだ。

子供で居たい。

少年であることがいことで、大人になるのはいことだったのだ。

嫌が応にも歳は取るのだが、心は変わらないぞ、という妙な意気込み。

そんな僕には「心は少年」というのは妙に
しっくり来るキャッチコピーだった。

さて、しかし
38年前、少年ではなくても青年ではあった僕も
今や還暦を超えて
老境の入り口に来た。

1984年から38年後の今、
僕の心は果たしてどうなっているのか?

気分は少年どころか「
あなたは老人」になっていないか?

…そうなっていても不思議ではない。
何しろ20何歳だったかの青年も、約40年の時が流れて還暦越えなのだから。

大きなバイクに乗ること自体
30年ぶりみたいなものだし、
大胆にもほどがある気がしたが、一旦動き出した気持ちは抑えられない。

で、
結論はどうだった?

やっぱり人間って変わらないものだな、と思った。

言い方を変えると
僕の頭は1984年から進歩していない

いや、多分
1979年あたりで感性が固定されてしまっている。

これは喜ぶべきか哀しむべきか、ちょっと迷ってしまう。





9月27日



なんとなく音を出す。


9月28日

なんとなくだが
オーディオ装置で音を出すということから
遠ざかっていた。

深い意味はないのだが耳の
リセットみたいなのが一つ。

もう一つは
スマホでyoutube見て(聴いて)ゴロゴロというのが
なかなか快適で抜け出す気がしないというのが一つか。

ようやく、と手を伸ばしたのはサンスイ
AU-α907iMOS LTD

これにG7もロジャースも繋いだらどうなるか?みたいなノリ。

それは良いがこの907MOS、ちょっと
接触不良な個所があった。

それは
バランスボリュームであって、センターから左右にちょっとでも振ると
明らかに接点が変なのがわかる。

スイッチ類のメンテほど骨の折れることはないので腰が上がらなかったのだが
これを期にと重い907MOSをラックから出して
ひっくり返す。

裏板外すと幸いすぐにアクセスできるところに当該バランスが見えた。
これは
ラッキー



ラッキーついでにもう一つ言うと、これがまた思いっきり開放型なのも
この場合好ましい。

というのもケイグ噴霧でメンテ完了としたかったので
対象が
丸見えは素敵だ。



拡大するとこんな感じで、アンプ全体を見渡すと、この辺はチープな部品を使っている。

コストの制約というのもあるだろうが、スペースの問題が大きいだろう。

ここのちょっと気の利いた
バランスボリュームなんか仕込もうとするとアンプの奥行きから
設計を
見直さないとならなくなる。

もうひとつ。

多分907MOSの設計者としては
なるべくパワーアンプダイレクトみたいな
形で使って欲しかったと思われるので、
そうした時
バイパスされてしまうこの辺のパーツにまで
お金を回したくなかったのかもしれない。

ま、何でもよいがメンテの
成果は?

これがもう
さすがケイグ様というか、一発で接触不良は解消。

立派なものである。

立派と言えば907MOSって
本当に立派で…


9月29日



立派です。気合が入っている。



MOSは片チャン8つ。4ペアというべきか。
銅板での抑え込みも見事。



上から見る。なるほど重い(
31kg)はずだ。



ジャンボプリメインあるある、で
フォノ等がシールドケースに入れられて型ヒートシンクの
側に鎮座する。

どうしても冷却の点で右が不利になる。

もちろんそんな事ものともしない設計なのだろうが。



改めて
一番驚いたのが

いや、五つ足、ということではなく
四つの足の
作り

ズシリと
い。

それだけなら珍しくないのだが
この足、床というか棚板に接する断面と
周囲を360°グルリと囲む部位で仕上げが違うというか
色が違う。

経年で色が変わった(曇った)のかと思って
見てみたら、そうではなくて塗装でもされているかのような感じ。

要するに
素手で触れてそのまま放置しても
汚れやくすみが分かり
にくいフィニッシュになっているのだ。

これには感動した。

というのもこの足、アンプを設置してしまったら、
その後まず目に入らないような位置にあるのである。

つまり
気を配っても光は当たらない存在。

そこに気を配るというところが本物だ。

タンスは背中を見て買え。

アンプは足を見て買え。

半分はジョークではない。


9月30日



このままオーディオ止める(休止)という説もあったが
なんとなくスタート。

907i
MOS LTDはやっぱりれていてG7もロジャースも不足無く鳴らす。

フォノには限界あり、みたいな言われ方もするが
それは聴く方が
求めすぎな気がする。

そう言いながら写真に見えるカートリッジは
価格的には
ローエンドに近い物なので、やっぱりそれなりだから
そうした物を宛がっているのでは?と思われたら、それは
う。

これはこれで良いカートリッジなのだ。

さらに
REGAの針に換えてあるから…というのはだけは
ちょっと嘘で、
バッチチューンとでも思ってほしい。

まあ何でもよい。AT-3600相当+PX-2→AU-α907iMOS LTD
→G7またはLS5/9で
を迎えつつある。


続きはこちらです

一つ前の日記はこちら

日記のMENUへ

表紙へ