5月24日

これで大丈夫な筈…

、一晩経ったら元の通りスイッチが反応しなくなっていた。

こーゆーのは精神的にかなりこたえる。

あ〜あ…って感じである。

一体何が悪いのか?

わかる位なら苦労はない。

天板を取り払ったまま。
電源すら入れたまま、
デッキを叩いたり傾けたりしてみる。

すると、またスイッチが効く様になるではありませんか。

…って喜ぶとその後また症状が再発する?

で、気が付いたのが、不調時にデッキのフロントパネルを
天井に向けた状態に90°くらい傾けると
スイッチが効く様になる傾向が強い
ということ。


結論を言おう。

どうやらカセットリッドを閉めた時に作動するスイッチがあるのだが
ここがかなりデリケートな状態になっているのだった。

カセットを入れて蓋を閉じる。
この蓋が最後の最後までキチンと閉まると
回路がONになりスイッチ類が一斉に動作出来る状態になる。
OFFのままだと当然スイッチは全ての操作を受け付けない。

デッキをフロントパネルを真上に傾けた時正常作動したのは
リッドが自重で充分に閉まった状態になったからだろう。

書けば簡単だが気が付くまで2〜3日掛かった。

これを書いている今現在、この症状は完治したとは言いがたい。

しかし、リッドのおでこをほんの軽く突いて上げれば済むことだから
取り敢えずとしている。

接点の清掃などすると良いのだろうが
迂闊にパーツを外そうとしたりすると
齢30年近い樹脂パーツがポッキリ逝ってしまう可能性だってある。

このあたり引き際が肝心。

なんて事が言える様になるまで
バイクで、車で、そしてオーディオで随分痛い目に遭ってきた
よっしーなのだ。

とにかく過不足無く動く状態なのだから万々歳だ。


さあ、音はどうか?

実はこれまた拾い物のヘッドフォンでしか聴けていないので
確かな事は言えない。

しかし、それでも良い音だと思う。

取り敢えず何本かのテープの録音の善し悪しを
ちゃんと伝えてくれる。

良いテープを掛ける限りは充分鑑賞に堪える音だ。
何しろ齢29歳。文句は言えないし
第一本当だったら晴れて引退だったはずが
拉致されて再就職させられてしまった様なものなのだから
デッキの身になれば良い迷惑以外の何ものでもない。

そうそう、それと通電の効果はやはり大きい。

少なくともここ数年は完全に窓際族だったのだろう。

当初はDolbyスイッチを動かしても音の変化がまともに
感じられなかったりEQスイッチを動かしても
まるでスイッチが壊れているのかと思う位変化が感じられなかった。

今はそんな事はない。
オーディオ装置にはやはり電気と音楽信号が
最大の滋養
なのだと痛感した次第。


5月25日

それにしてもこの頃のオーディオ製品の
モデルチェンジのサイクル
新製品追加までのサイクルは非常に短く
資料を探すのも案外難しい。

ちょうど雑誌の刊行時期にタイミングが合っていれば良いが
谷間の発売だと小さな囲み記事すら発見出来ず仕舞という事もよくあるのだ。

K75は'79年の年末発売。
どうかな?と思ったがステレオのすべて'80にも広告や記事は発見出来た。
こちらの広告の方が第二弾だろう。
なかなか挑戦的な事が書かれているが
当のオープンの方はとっくに主たる商品からは外れて
悠々自適だったろうから挑戦されても困るというもんだ?


5月26日

あらためて…だが、カセットデッキくらい進歩発展
著しかった物も、あるいは無かったのかもしれない。

コンパクトカセットは、ご存知の通り
当初は会話の記録等に用いるだけの物だった。

フィリップスが開発したのが1962年
基本特許を無償公開したのが幸いして
その後大きく発展する事が可能になった。

オープンリールが19p/secとか38p/secとかいうのに
カセットは4.8p/sec。
テープの幅も非常に狭く、ハイファイには成り得ないと、
きっと1960年代には誰もが思っていたろう。

しかし、細かいことが得意な日本人には、
どうもこのコンパクトカセットというのは
非常にマッチしていたようだ。

あれよあれよと言う間に開発が行われ
継子扱いだったカセットを一躍録音機の主役にまで
押し上げてしまったのだから凄い。


カセットを飛躍させた元年といえば1972〜1973年になろうか。

この年ナカミチがNakamichi1000をリリース。

何とコンパクトカセットに対して世界初の
独立3ヘッドを実現した。

もちろんそれだけでカセットの頂点を極めた訳ではなく
他のメカニズムからアンプに至るまでトータルで優秀だったからこそなのだが、
それにしてもカセットのあの小さな窓にヘッドをもう一つ多く
当てる事に成功しているのは凄い。

日立Lo-DD-4500をリリースしてナカミチの独走に
待ったを掛ける形。
こちらは独立、ではなくコンビネーション型の3ヘッドだ。


個人的な事を言うと、僕がカセットで
初めてカルチャーショックを受けたのがNakamichi700だった。

と言っても音を聴いた事も無ければ実物を拝んだ事も
無かったのだが、雑誌でその存在を見たときに
かなりの衝撃を受けた。

まず外観からして異端だった。
“これは一体どこからカセットを入れるのだろう?”と
真剣に悩んだものだ。

そしてとにかくその洗練された外観。

当時から、僕はNakamichiでも1000より700がご贔屓派なのである。

しかし、幾らこっちが勝手にご贔屓にしても、
相手は185.000円である。
今の感覚で50万円くらいか?

とてもじゃないが手にしたところを想像すら出来ない。
眩しくて、遠くから見つめるだけの存在だった。


Lo-Dの45003500はそれからすると
かなり泥臭いというか、別な意味で尊敬出来る外観だった。

4500はどことなく業務器の臭いをさせていた。
3500になると、割とフツーな感じで、更に価格も99.800円
多少は庶民的な値付け。

…ということで僕の3ヘッドコンプレックス
この頃刻み込まれたと言って間違いない。

カセットの頂点は3ヘッド
勝手にそう思いこんでいたのだ。

しかし、いずれも高い

が、一台だけ中学生の僕にも
想定範囲内(購入範囲内ではない)と出来る
3ヘッドカセットが一台だけあった。


5月27日

Lo-D D-500

1976年発売。65.000円。

Lo-Dの3ヘッドデッキの三号機

D-4500の20万円。D-3500の99.800円と比較して
かなり親しみやすいお値段だ。

スタイルも4500や3500が水平型だったのに対し
こちらはコンポスタイル(死語?)

まあ何より当時の3ヘッド機としては異例のお値段。

とにかく3ヘッドを、という感じで色々な物が省かれている。

例えばドルビーは無い。
3ヘッド機でドルビー対応となるとWで必要。
当然これはコストアップとなるので搭載出来ない。
(代わりに単純なハイカットフィルターが付いていた)

オートストップはあるがオートシャットオフは無い。
ピークインジケーターも無い。

無い無い尽くしだが今思うとこれで良いという考えもある。

オートシャットオフはトラブルの元にもなる。
繊細な指先のタッチでピアノキーを操作する方が良い。
ピークインジケーターもあると便利だが
結局デッキの録音レベルなんて、そのデッキで幾度か
経験を積む事の方が肝心で、VUメーターがあれば済むのだ。

ただ、ドルビー…は辛かったかも?
自分がどうしてもこのデッキを買おうと決断出来なかったのも
ドルビー非搭載がネックだった。

ドルビーが本当に必要だったかどうか、その後の事を考えると
怪しいものだが、当時はノイズリダクション様々みたいな傾向もあり、
特に僕みたいにカタログスペックだけで
憧れを抱いたりするガキんちょマニア

“ドルビーが付いていないのかぁ〜”
と、それだけでがっくり来てしまうのでありました。


さて、コンポスタイルとはいうものの
このデッキも1976年当時のデッキのあり方を象徴するように
テープ自体は斜め水平に装着するタイプ。

もう1〜2年するとカセットはほとんどが
正立透視(パイオニアの造語?)タイプとなるが
この時点だと走行安定性では水平型が良いという事もあり
依然水平タイプも残っていたし、暫定的に斜め装着というタイプも
派生していた。

スペースファクターという点ではコンポスタイルの
前面操作が圧倒的に優れているので
結局これが主流になるが、
1970年代半ば頃はコンポスタイルだが
テープは水平、あるいは斜め装着というのが
それなりの数存在していたのだ。

日立Lo-Dはその後D-3500の内容をコンポスタイルに変換した様な
内容のデッキもリリースしている。
やはり“デッキはコンポスタイル”という流れに乗ったものと思われる。

面白いのはD-500の場合ヘッドが奥側にあるという点か。

さて、3ヘッド3ヘッドと騒いでいるが
(いや、よっしーがここ数日勝手に騒いでいるのだが)
3ヘッドが必ずしも2ヘッドより勝っているとは限らないのが
本当のところ。

まず3ヘッドのメリットだが録音、再生ヘッドを別とすることで
各ヘッドのギャップを最適値に近づける事が出来る。
録音ヘッドの理想は、再生ヘッドは1.5μ以下が
理想とされ、(この段階で)ナカミチLo-D
アカイ(GXC-760D、同740Dがあった)共にそれくらいで設定。

一般的な録再兼用ヘッドではくらいに妥協しているので
この点3ヘッドが当然優位。
更に録音した物を同時再生モニターというのは
2ヘッドでは出来ない技。

以上がメリットだが、3ヘッド、特に録再コンビネーションヘッド方式には
問題点もたくさんあり当初から指摘されていた。

そもそもカセットテープ側はカセットハーフに一つの録音再生兼用ヘッドを
想定したパッドを内蔵している
ものなので
ギャップ二つのコンビネーションヘッドは想定外。
均等にタッチしてくれないとレベル変動ドロップアウト
原因にもなる。

これを防ごうというのがダブルキャプスタンスクローズドループ
と言った走行系の工夫で、とにかく二つのキャプスタンスの
間の走行安定を確保してヘッドタッチに間違いが無い様に
と頑張った訳だ。

一つの方式のメリットを伸ばす為に他の部位が進歩する。
これぞ'70S的美談?
いやいや、多くの工業製品はこうやって進化に進化を
重ねるのである。

D-500の場合はコストの関係でダブルキャプスタンスは無理だったが
キャプスタンと対称位置に入るシャフトにパッドを埋め込み
準ずる効果を得ていた(テープタッチスタビライザーと命名)

以上、各社3ヘッドに向かっては頑張っていたというお話し。

日立Lo-Dの場合さすが巨大企業の意地というか
この録再コンビネーションヘッド方式にはこだわりを見せ
その後長きに渡り改良改善を重ねて進歩させて行った。

まあ今は昔の物語ではあるが、日本人の輝かしい想い出の
一つ
として記憶されてもよい。

1976年当時垂涎の的だった3ヘッドデッキはその後3年程度で
ポピュラーになりD-500程度の価格帯でも
ちゃんとドルビーを積んだ物が当たり前の様に用意された。

最終的には4万円台のデッキまで3ヘッドは浸透したというから
時代の流れというのは凄いものだ。

日本のカセットデッキを資料から探る旅
はもう少し続けてみたい。


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