5月14日

CBS SONYの「梵鐘

知る人は知っている。知らない人は知らない(当たり前)

1984年製でとっくに廃盤だろう。

長岡先生がテストに使ったことでも有名だが
これは全国各地の鐘の音。梵鐘を録音して集めたCD。

裏ジャケットを見るとわかるが、わざわざデジタル梵鐘となっているのが
時代を感じさせる。

もっとも、このCDを構成したふじたあきらさんは
これより遡る事更に10年近く前にLP三枚の梵鐘を出している
ということで、このCDの際はわざわざ“デジタル”を
謳った様だ。


このCD、再生してみるとさすがに凄い。

何しろ鐘の音。それも半鐘みたいな物ならともかく
梵鐘となるとダイナミックレンジのみならずFレンジ
素晴らしく広い。
更に余韻の長く複雑なことこの上なく、
スピーカーには大変過酷な一枚といえよう。

こんな物を久し振りに引っ張り出したのみならず
人様のお宅に持ち込んでみるという暴挙に珍しく出たのであるが
さすがダイヤの4Way(これじゃバレバレ)は物の見事に
再生仕切っていた。


しかし、たまにはこういう物をネタに
一同でワイワイ言ってみるのも楽しいものだ。

その時も言ったのだが、オーディオを道楽と見る以上
ソフトに貴賤は無いと思う。

音楽を聴くと上等で、の音、の声、
の声、飛行機の音、大砲の音を聴くのが下等だ
などという事は無かろう。

もっとも、大砲の音やら何やらに対する
アレルギーじみたものは、過去、今よりもっとオーディオが
盛んだった時期にその種の物を再生しきる事が偉い(偉くはないが)
みたいな風潮があった事への反動だろう。

栄枯盛衰はどんな世界にもあり、
“音楽を聴くな、音を聴け”という潮流が弱体化した時から
“音楽を聴け、音など聴くな(これもやや大袈裟な言い方だが)”
という流れが市民権を得たということだろう。


いやいや、別にここで鐘の音や虫の声派の擁護をしようと言うわけではない

まあオーディオも様々だということ?

本当に(きっと他の趣味の世界でもそうなのだろうが)
オーディオ好きも様々

達観しているのでも客観視しているのでもない。
自分も含めて様々だということだ。

例えば音量
大音量で聴く人と小音量で聴く人。
その差は軽く10dBはある。

これも良いも悪いも無い。その人次第だ。

差が10dBあると言ったが、実際には90%の人は
似通った音量
=平均的な音量=で聴いている。
たぶん僕もその90%の内の一人だと思う。
(ただし、ご多分に洩れず誰でもオフなどで
お客様を招いた時は通常よりも音量が上がる傾向はある)

余談だがお客様としてお招きしたとき
僕なんか一番緊張するのは小音量派の方がいらした時だ。

微細な音の違いを感じ取れる鋭敏な聴感を持った方
だと思うとドキッとする。


ただ、よっしーの場合は自分のオーディオに対して
極めていい加減なので来客にボリュームでもなんでも
預けてしまう
が、基本的に人様のお宅に伺ったら
その人のボリュームで聴かせて頂くのがベストだ。

どんなソフトをどんな音量で聴くか”は
非常に重要なファクターだと思うので
それを極端に違う設定で聴いてしまうのは
その人に対して申し訳ないことになり勝ちだ。

全てのソフト、全ての音量に対応するオーディオなんて
厳密にはあり得ない
と思っている。
例えばオフロードを走りたければオフロードバイクが良いし
真っ直ぐの道をノンストップで延々走るなら
大排気量オンロード車が良い。
町中から峠までまんべんなく楽しみたければ
250〜400位の中排気量、出来れば軽量級バイクが良い。

ナナハンを砂利道に持ち込んで“走りが悪い”と
言っても仕方ない。

では、なぜよっしーが平気で人にボリュームを弄らせてしまうのかというと
自分だけでは出来ない体験を出来るのもまた楽しい”と
割り切っているからだ。

こーゆー聴き方があるんですね”と驚くのも貴重な体験。
また、“ここをポイントに聴いているのか”と発見するのも
同じく貴重な体験と考えている。


まあしかし、ボリュームを勝手に弄り捲るという事は
現実問題あまりない

ただ、ソフトの持ち込みというのは割とある

というかこちらはむしろ大体において推奨している
マニアの方が多い。

“何か持ってきてください”とか言われるケースの方が多い。

僕の場合は今回の様なのは例外で、
基本的にはその人のソフトをその人の音量で聴かせて頂く、
に徹している。

それが王道だと思っている。

で、お互いのツボが最初から嵌っている同志だと
一音が出た段階から、“お!”ってな事になって
これは順調に話しも進む。

しかし、時には最初“?”となって
この方は何をされたいのかな?と疑問符が浮かぶケースだってある。

そんな時は焦らない様にするに限る。

難しい事ではない。
その人のソフトをただ聴かせて頂くだけで良い。

半日、一日と掛けていく内に、段々とわかってくるものだ。

結局、お宅訪問というのは
その人がやっている事を理解しにお邪魔する
ということを意味する。


そのスタンスに立つと、どこへお邪魔しても
得る事だらけという事になる。

趣味だから一人で引きこもって自分の感性だけを
手掛かりにオーディオをやっても誰にも非難されるいわれはない。

ただ、やっぱり交流はしないよりする方が望ましい。

それによって自分の音を見つめ直す事も出来る。

…というかそれ無しでは自分の音を確立させる事は難しかろう。
人は鏡を見なければ自分がどんな顔をしているかわからない
(そう言いながら僕は自分の容姿にほぼ無関心で鏡なんか
見やしない。見ても楽しいものが写っていないとわかっているからかもしれないが)

だからやっぱり交流するに越したことはない。

ただ、行く際は無心で行くのがベターだろうと言うこと。




無心で人様の音を聴くという事の効果は大きくて、
下手にアクセサリー類を買い込むよりも遥かに有益だろう。

掛かるのは足代+お土産代+食事代(+呑み会代?)
くらいなものだ。
高価なアクセサリーを買うより遥かにC/Pが高い?

ただし無心に参りましょう。

なまじ経験を積んだら積んだで
このアンプだとこんな音がするはずだとか
このスピーカーだとこんなかな?とか
色々予断が出てくる場合がある。

人間だから予断を完全に無くす事は難しいが
これをやってしまうと勿体ない。

アンプがどうだろうがスピーカーがどうだろうが
場所が変われば音が変わる。人が変わると違う音が出る。

そう思っておいた方が無難である。

実際そうだし、だからこそオーディオは面白いはずだ。


5月16日

ところである方が言った。

「ウチの装置は音楽やオーディオを愛していない人が来ると
途端に変な音を出すんです」

またある人から訊いた。

「オフ会とかでそのお家の音を嫌っている人が一人でもいると
良い音ってしないそうですね」

…聞きようによっては超常現象だ。

しかし、そう言った事はあり得る。

音はオーディオ装置だけが出しているのではない。

また、オーディオがいかなる音を奏でていようとも
聞き手が最初から拍手を贈るつもりがなければ
受け取り方はいかようにでも変えられてしまう。

やはり予断を持たず無心で聞くのがよろしいようだ。


しかし、言うは易く、でいきなり予断を持たず無心で、の
心境になれない可能性はある。

どうしたら良いかというと絶対的な解決策はない。

もし一つ割と普遍的な方法があるとしたら
なるべく多くの人に逢い、多くの音を聴く事しかない気がする。
つまり経験値を上げるのだ。

よく、音が良いとかイマイチとかいう表現を使う事がある。


言っておくが(いや、ここはベテランマニアの方が読んでいる事が多いから
言っておく必要はないのだが、一応、だ)
そんな簡単な物言いは出来るもんじゃない。

例えばあるお宅で、ソフトの制作者もこんなレコーディングが
出来ていたとは知らないんじゃないか?と思う位
素晴らしい音で鳴ったディスクが
別のお宅では壊れたラジオみたいな音になってしまう
なんて事がある。

ではどちらか一方のお宅の音がとてつもなく素晴らしくて
一方のお宅の音があまりに酷いのかというと
これがまた決してそんな事はないのである。

それどころかどちらも最高!だから笑ってしまう。

要は異文化なのだとしか言いようがない。

異なる、という事をどう解釈するかでそこから先は大きく違ってしまう。

もっとも、これはオーディオだけに限った問題ではない


5月17日

柄にもなく?高尚なお話しが続いたが
よっしー自体はそんな大層な人間じゃあない。

閑話休題ということでジャンク弄りのお話し。

画像のCDプレーヤーはYAMAHA CDX-620

特に歴史に名前を残してはいないプレーヤー故か、
例によってゴミに出されていたのを拾ったのが
随分前。

持って帰って、最初は普通に動いたので
「ラッキー」と思ったが世の中そんなに甘くない。

やっぱりCDが飛ぶ

そのままお蔵入りしていたが外観はヤマハビューティーな
一台なので重い腰を上げて修理に着手。

と言ってもよっしーに出来るのはゴムベルト交換位なので
手持ちのベルトを宛ったが、どうもそれだけでは
直らない。
というかベルトは今回関係なかった様子。

仕方ないので禁断のピックアップ調整

これは過去にも同じくヤマハのプレーヤーで試した事があるので
性懲りもなくやってみる。

ピックアップ傍の半固定抵抗をちょっと回して上げる。

一台目(CDX-900D)の時は怖々やったもんだが
二台目となるといい加減

大胆にボリュームを回してしまう。

大体のところで一度はOK。

しかしCD-Rは読まない(時代からして当たり前)し
SACDハイブリッドディスクでミスをする。

しつこく再調整をして今度こそOK。

かといってこのCDPに出番があるかどうかわからない。

それより自分の大胆さに驚いた。

今回は写真がないが、これは半固定ボリュームが
とっても撮影しづらい位置にあったため。

その点はご容赦ください。

でも、捨てられていた物を立ち直らせるのって
気持ちいいっす


5月18日

ヤマハ繋がりでもう一発。

カセットデッキKX-640だ。

これ、実は勤め先の備品である。

ある日の事ドラム教室の先生が
「カセットを使えると嬉しいんですけど」とおっしゃった。

「え?出来る事ならやりますが、なぜ?」

「いや、何かカセットの方が低音に力があるというか
何というか…」

「ほうほう」

「後ですねー、ボリュームを上げて行っても
何というか喧しくならないんですよねー。
CDと違って」

「なぁ〜るほどー」

ということで危うく廃棄されかかっていた
KX-640が一名を取り留めたのであった。

「こんなんで良かったら…」と引っ張り出してきて
しげしげと眺めて驚いた

なぁ〜んと!3ヘッド3モーター、
デュアルキャプスタンス
ではないか!

おいおい、こんな物が捨てられ掛けて居たのかい!
ってなもんで慌ててクリーニング。

取り敢えずミキサー突っ込んで
PAスピーカーで聞いただけだから
詳しい事は言えないが、
そんなこと以前に仕様に驚いてノックアウトである。

3ヘッド3モーターデュアルキャプスタンスなんて
中学、高校の時だったらまぶしくて仕方ない
スーパースター
だ。

それが危うくゴミに出される寸前だったのである。

時代の流れとは恐いものだ。

ってゆーか、このデッキだって相当古い。
3ヘッド3モーターはとうの昔に庶民の友となっていたのか…

コメントのしようが無かった私でした。

しかし、価格からやむを得ないチープさは醸し出しながら
やはりどこかヤマハビューティー。
しかもブラック。

早いウチに廃棄した振りして自宅に持って帰っておくんだったと
苦笑した私でした。
(いや、そんな事勝手にしたら駄目ですよー。
ゴミ置き場にあったのならともかく…)


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