7月5日

突然この様な物が出現。

初代ウオークマンTPS-L2である。

以前から機会があれば手に入れたいと発信していのだが
この度ある方のご厚意で譲渡頂ける事になった。

ウオークマンについては専用サイトをお作りの方もいらっしゃる位だから
詳しい事はWeb検索して頂くのが宜しいかと…。

何であれ、ヘッドフォンステレオというジャンルを確立したのは
ウオークマン。
その初号機だから価値がある。

発売は1979年
決して安くなかったと思うのだが爆発的に売れた。

録音機能の無いカセットは売れない、という定説を覆して
ベストセラー。
その後他社からも類似品が山ほど出たが
例えば“アイワのウオークマン下さい”
みたいな感じでウオークマンはポータブルカセットの
代名詞となった。

母体となったのは同じSONYのプレスマン
プレスマンの文字通り、記者の人が取材用に持ち歩く用途の物で
マイク内蔵。最初はモノラルだけだったが後にステレオプレスマンも登場。
この録音機能をカットしてコンパクト化、軽量化を図ったのが
ウオークマンという感じか。

今もこれを書きながらウオークマンで音楽を聴いているのだが
充分聴ける。
ワウフラが無いと言ったら嘘になるが、
それがどうした、という感じ。

(続く)


7月8日

僕にしては珍しくヘッドフォンで音楽を聴きながらこれを書いている。
自慢じゃないがヘッドフォンで何か聴きながらなんて状態では
まともな文章は書けない人だったりするのです。
何故かな?

で、再生装置はもちろん初代ウオークマン
ヘッドフォンはさすがに純正は付いていないので
シリコンプレーヤーの物で代用している。

ワウフラがきついかな?と思ったのはテープのせいもあったようで
今掛けているテープだとさして気にならない。

ウオークマンは僕の両手の間。キーボードよりも身体寄りにあって
のぞき窓からはテープが優雅に回っている様が見えている。

やっぱり年寄りなのか、ディスクマンでCDを掛けるより、
あるいはシリコンプレーヤーでデジタルソースを聴くより、
こうしてテープの回転を見ながら音楽を聴いている方が落ち着く

不思議…だが、そもそも我々世代はカセットには
ただならぬ郷愁を持っている。

音楽=レコードというより、音楽=カセットだったし
音楽=FMだったりした。

レコードを買ってきても、針を落とすのはカセットにコピーする時の
一回だけで、後は家のカセットデッキで、あるいはウオーキングステレオで、
またある時はカーステレオで聴くというのが
僕らのライフスタイル(おお!まるでポパイのコピーみたいだ!)だった。

CDが登場してLPが衰退してもカセットはへこたれなかった。
DATが出てトドメを刺されるかと思ったら却って飛躍した?

さすがのカセットに翳りが見えたのは'90年代MDが普及し始めてから
だったと思う。

それでもカセットは死んでいない
今でもMDお断りで、カセットに録音してください、という人もいるし
町内会の催しではカセットは王者の扱いだ。

ビデオはあっという間にDVDに取って変わられた。
でも同じ紐でも何故かVHSテープあたりよりカセットの方が
丈夫なのは散々経験している。
何故だろう?

以上さておいて、どうも僕はカセットでテープを聴いている時が
一番安心して音楽に迎える様だ
という事に今回気が付いた。

LP、CD、SACD。
どれで聴いても、ついつい構えてしまう。
オーディオ馬鹿の悲しい嵯峨と言うべきだろう。

それが今回みたいに多少ワウフラ感じる状態で
カセット聴いていると無我の境地になれる。

これは要らぬ期待を全くしないで居るからだろう。

実際音楽を楽しむという行為は、(ジャンルによるだろうが)
充分達成出来ているし和むのだ。

ちょうど自宅のオーディオに、少々食傷気味だったりするものだから
尚のことかもしれない。

この夏はカセットで和むばかりの夏になるかもしれない。
そんな予感がしている。


7月15日

どうも7月というのは更新が滞り勝ちになる。

ごめんなさい。

ウオークマンを“昭和の大発明”と称する記事もある。

ちょっとオーバーな気もするがそうなのだろう。

実際問題テレコと称される物は以前にもあったと思う。
ウオークマンも突然現れたというよりプレスマンを母体として
登場したという感が強い。

ただ、再生のみ、というコンセプトが凄かったかもしれない。

それまで録音機能の無いテープレコーダーなんて売れない
されていた。

どうも本元のSONY内部でさえ、”こんな物売れる筈がない
という意見も強かったみたいだ。

ところが売れた。

どうしてだろう?と改めて考える。

音楽を外に持ち出したかった人が多かった。

それは言えると思う。

音楽を聴くには装置が必要。
しかしその装置は一般に家の中にある。

装置のある所に居ないと音楽は聴けないのだから
必然的に室内。それも限られたポジションでだけ聴くことになる。

その呪縛を解き放ったからこそ、ウオークマンは
昭和の大発明扱いされる訳だ。


ここでもう一歩踏み込んで考えてみよう。

ウオークマンの登場が'79年

さかのぼる事4〜5年前の'75年頃にシスコンブームが来ている。

FMレコパル創刊の頃、FMもトレンドであり
シスコンとFMは両輪の役割を果たし60年代終わりから続いてきた
ステレオブームに勢いをつけた立役者となった。

これにカセットを付け加えると三役揃う感じだ。

'70年代前半のオーディオブームを支えたのが20代以降だったのに
対して'70年代後半のオーディオブームでは10代の台頭が目立った?

これはそれだけ高額な耐久消費財だったステレオが
広く普及した証拠だとも言える。

'50年代'60年代にはマニアの物だったオーディオが
'70年代を通じてそれだけ広がりを見せたということだ。

正に春爛漫。今振り返ると爛熟期だったのだろう。

しかし、オーディオブームの新しい立役者達
室内でひたすら高音質を求めるだけでは無かった

あるいは音質一辺倒のオーディオのあり方に
息苦しさを覚えていたのだろう。

そう。音質優先のオーディオというのは結構疲れるものなのである。

ねばならぬ”は疲れる。

実際この僕にしてもオーディオを開始して4〜5年も経つと
“ねばならぬ”オーディオにいささか疲れてきて
もっと野放図にオーディオと付き合いたい気持ちになったものだった。

ありきたりの若者だった僕はPopeyeも熟読したが
(当時から雑誌オタクだったのだ)
ある号で提唱されていたものにこんなのがあった事を覚えている。

音楽はステレオラジカセで聴く。
その際役に立つのがFMで音を飛ばす式のプレーヤー
(要するにリクエストだ!)
そして録音したテープを、外ではウオークマンで聴く。

馬鹿みたいだけど“ねばならぬ“オーディオに食傷気味だった僕は
このスタイルに結構憧れた

今ならリクエストもそんなに高額でなく手にはいるだろうから
是非実現してみたい(


7月16日

教室の発表会も無事終わり、ひとつ行事が終わった感じ。

'79年'80年頃のオーディオ誌をひっくり返しても
ウオークマンはそう登場しない
あれはやはりゼネラルオーディオという括りで
なかなか専門誌に取り上げられる物では無かったのだろう。

それにこの頃のオーディオ誌は他にも取り上げるネタがいっぱいあったし。

画像は'82年の別冊FMfanからで、発売三年ですっかり
ウオークマンが市民権を得て、他社も負けじと追従しているのが
わかる記事だ。

片隅に面白い物が載っていて
各社のウオーキングステレオ機が紹介されている。

アイワがカセットボーイなのはご存知の通り。
東芝がステレオウオーキーというのも有名。

面白いのはサンヨーで、ステレオGALシリーズというのがある。

こりゃなんだ?
GALと言うからには女性仕様なのか?

それにしてもギャルというのも死語だ。

日立が出していたとは知らなかったがパディスコカプセル
言ったらしい。

マランツからもタイニーパルというのが出ていた。
クラリオンサウンドポシェット
ポシェットというからには、やっぱり女性狙いなのだろうか。

SONYの宿敵松下からはどうだ?と探すと
ウェイというのが出ていた。
正直言ってさっぱりわからない。

こう考えるとウオークマンの牙城は簡単に崩せる物では
無かったようだ。

他社後発機の特色は、FM対応録音機能など色々ある。
後追いということで多機能化せざるを得なかっただろう。

メタル対応なども登場しているのも面白い。

それに対抗したのかどうかわからないが
SONYはこの年ウオークマンプロフェッショナルもリリース。

デンスケとウオークマンの合体とも言えるが
これは実に格好良い。

僕もこのWM-D6を、数年前ある方のご手配で
手にいれる事が出来た。

しかし残念な事にある日突然モーターが
倍々速くらいで回転するように
なってしまった。

伝え訊くところによるとこれはIC不良で部品欠品のため
修理不能だとか?

本当だとすると悲しい。

ダメもとでSONYに相談すべきか。

ちなみにD6は一年くらいでD6Cにモデルチェンジしてしまっているため
案外希少なモデルなのである。

ヘッドが違って6Cより無印6の方が音が良いと言う方もいる。

改めて手にいれるのもどうかなとは思うが…


7月17日

またしても大きな地震があった。

よっしーの妻の親戚も住む所であり
人ごとではない。(幸い無事が確認されているが)

いつ来てもおかしくない地震。
しかしその備えはどれくらい出来ているかと我が身を振り返ると…

反省しなくてはならない。

そんな中…というか正確にはもう一昨日の事なのだが
よっしーの妻の教室の内ピアノ教室の発表会
無事終わった。

総プログラム数は85に挙がり、トータル時間も6時間近くの
長丁場となった。

規模も大きくなったが、年々皆さんが腕を上げていることも
はっきりわかり、充実した一時。

と、聴く方は手放しで喜んでいられるが
演奏者及びそのご家族。そして指導者の方々の心労は
並々ならぬものがある。

誠に“言うはやすし、現場は大変”だ。

ちなみにこのホール。音がよい
そしてピアノも新しい(ヤマハのフルコン)ので気分上々。

更にサービスが行き届いていて録音からなにから
お任せ
で出来てしまう。

こりゃ楽ちんである。

写真はホール備え付けの天吊りマイク

今時だからCD-Rに録音してくれるので
これまた楽ちん。

今もヘッドフォンで聴いているが
甘くとろけるような音である。

(続く…はず)


7月22日

それにしても面白いと思うのは
大抵の場合マイクが高くセッティングされることだ。

まずエアー収録のためのマイクが天吊りなのはわかる。

あの位置でなければ聴衆にとって邪魔だ。

では音にとってはどうなのだろう?

悪い事はないのだろうとは思う。

昔サウンドレコパルで若林先生が録音について
レクチャーされている記事があった。

暗記はしていないのだが、やはりマイクが高くセッティングされている
事に言及されていて、
“どうですか?あの様な位置で音を聴くと言うことは普通はありませんね。
でも、あの位置で音が綺麗にブレンドされるんですよ”
みたいな事を仰っていた。

この事を思い出すとき、必ず思い出す言葉がある。

それは山本さんのサイトのオーディオのページの冒頭を飾る言葉だ。

"指揮者は一生懸命音を混ぜよう混ぜようとしているのに、
何故オーディオマニアはそれを分解してきこうとするのか?"

「小沢征爾が僕にこう言うんだよ」と、
亡くなったオーディオ評論家の高島誠さんが笑いながら話してくれた。

という一文だ。

この話しを思い出すとき、ついつい微笑んでしまう。

もちろんブレンドと分解の間に、ちょうど良い落としどころ
みたいなものがあるはずなので、音楽は分解してはいけないとか
そんな事では全くない





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