4月15日

友達の実家にお邪魔した。


30年来のつきあいの友達だ。


その実家を夜半に襲撃。

…別にお父さんがオーディオマニアとかそんなわけではない(笑)

ただ、その友達は今遠くに赴任中で、
ちょっと実家のお父さんお母さんが心配になり
旧友のアタシが特派員としての任を授かったわけ。


夜分にいきなり“ぴんぽ〜ん”と襲撃するアタシも凄いヤツだ。

こんな事は、親友の実家だからこそ出来るのだ。

“あらあらよっしー君(とは言わないよ。昔はよっしーなんて
呼ばれていなかったから)”と驚きつつも歓待して頂いた。

久しぶりにお目に掛かるご両親はとても元気溌剌としていて
一安心。

安心したら腹が減ったので晩飯を出してくれ
…と言ったわけではないのだが(爆)
“おなか空いたでしょ?”と遅い夕飯までふるまって頂いた。

さすがに恐縮しきったが、しっかり頂戴した。

と、ところがこのご飯が美味しい!

何しろアポ無しの襲撃だから、何の備えもない状態
お迎え頂いた。

だから特別に何かして頂いたご飯ではない。
つまりお二人がいつも食べている物をそのまま
ごちそうになったのだが、これが美味なのである。

さてはグルメなご両親?

いや、別にそういう方達ではない。

では、なぜにそんな普通のご飯が美味しいのか?


まずお米だがお母さんのご実家に貯蔵されている物を
(このご実家にも20数年前お邪魔した事がある)
必要な時に必要なだけ、その時点で精米して貰い
送ってもらうとのこと。

なるほど、ウチだって人並みなお米は日頃食べているつもりだが
これはもう一段二段格が上なのである。

そしてお味噌汁がまた美味しい。

“こ、これ美味いっすね!?”とさすがに口に出す。

何か特別なお味噌…と思ったら、秘密は水にあった。

なんとお家で使う飲料水は、全て月に一回
丹沢まで車で行って汲んでこられる
のだと…!

な、なるほど、ご飯が美味しいのも単にお米の違いだけでは
無かったのだ。


4月17日

そして美味しいのはご飯とお味噌汁だけではなかった。

お刺身も美味しかった。

仕入れは市場だそうだ。

適度に早起きして出掛ける。

プロが立ち去る頃合いが良いそうだ。

別に最上の品を買おうという訳ではない、と割り切れば
良い意味で売れ残った、リーズナブルな品物
ゲットできるという。(それで充分美味しい)
おお、ハイコストパフォーマンスではないか♪

生卵もただ者ではなかった。

普通の卵みたいに白味がベチャーっと広がらない。

黄身の付近を頂点に、こんもりと盛り上がって張りがある。
“美味しんぼう”あたりに登場しそうな卵だ。

味?

悪い筈がない。生み立てである。

余談だがこの種の卵はゆで卵には向かないらしい。

茹でても良いが鮮度が高すぎて皮が上手に剥けないという。

ゆで卵にするならその辺で売っている
ありきたりの卵の方が向いているそうだ。
なるほど。


とどめのお野菜だが、これは何と自作なのである。

この道に染まって早うん十年?

三つくらいの畑を借り、都合約60坪の畑をいじる。

セミプロ、と言いたいがとんでもない。

なんとプロが、“これはどうやっているんですか?”と
訊きに来るという(!)

こういうのを玄人裸足というのである。

脱帽。

趣味の菜園とは趣が違う。

やるならプロを越える物を…

美味しいトマトを作るため、となれば
10メートルの長きに渡り
延々と土を掘り(スコップの手作業だ)
腐葉土を埋めていく。

出来上がる時は一直線にトマトがドバーン、と成る。

もちろん自分たちで食べきれる訳がないので
配って回る。

収穫の80%は人に上げてしまうという。

正に趣味の世界である。

採算なんて考えたら割に合わない。

しかしそれは二の次の問題。

過程を楽しむ事を趣味という”を地で行っている。

究極の趣味人ではないか。


4月18日

さてさて、一体何が言いたいのか?
いつから「よっしーの部屋」は自然派になってしまったのか?

いやいや、一つにはこのご両親の生活ぶりが
素敵で紹介したかったというのがある。

現在70代

今が一番幸せな時」と言える素晴らしさ。

人の幸せというのはこういうところにあるのでは無かろうかと
改めて考えさせて頂いた。

別に広大な敷地に大邸宅が建っている訳ではない。

そういった物を得る事に幸せを感じる人も少なからずいるだろう。
しかし、このお二人の前にそんな物を持ってきても
心の底から“要りません”と言われそうだ。

グルメな事は間違いないが、
レストランに足を運ぶ事はきっと無いだろう。
行っても盛り上がらないに違いない。

勲章を差し上げましょう、と言われても
要りません”と言うだろう。

ご自分達なりの“幸せの尺度”がバッチリあって
揺るぎがない

土を相手にしているからこうだよ”と
爪の中や皺の中まで汚れた(本当は汚れではないのだが)
手の平を見せてニコニコ笑われている姿は
もはや世俗を超越している。

対して自分はどうなのか?

平日の夜、仕事の帰りに押しかけざるを得ない位の時間不足

それは現役世代とセカンドライフ世代が
同じになる筈はないが、どうもそういう違いばかりとは
思えない。

俗世の汚れいっぱいの人間対仙人様。

そんな違いを感じた。

もちろん歳を取られたから今こうして居られるのだろうが
“勝ち組”だ“負け組”だ、とジタバタしていたら到底この幸せには
たどり着けないだろう。

自分のスタンスをしっかり持つ事こそが
幸せへの道標になるのだと思い知らされた感がある。


続きはこちらです

ひとつ前の日記に戻る

日記のMENUへ

表紙へ

掲示板へ