2月12日

さて、そろそろCD950自体のお話しに移らないと
怒られそうだ?

あらためてCD950。

まずルックスが大変良い

いや、これは正確にいうとよっしー好みということか。

色がよい
実は初めて950を拝見したときに
何となくどこかで見たような…と思ったら
同時期に(今は亡き)DCCのデッキが出ていて
それと相通じる物があったのでした。

印象的なのが、このズラッと並んだスイッチ達。

本体側はシンプルにして
細かい機能はリモコンに依存という機械も多いが
950は正反対。

実際問題リモコンが欠品になると手も足も出ない
という機械は、長い目で見ると困ってしまう事が多い
のだから
950の方向は正解と言えば正解だと思う。

この部分を見て泥臭い、と感じて購入を踏みとどまってしまった人も多いのでは?
と思うが僕みたいに超短気な人間にとっては
本体だけで物事が解決するのはありがたい。
(いちいちリモコンを取り上げなくて済む)

ただ、見事なまでにスイッチの大きさとかが共通しているので
慣れないとPLAYを押しているのかFFやRRを
押しているのか、訳がわからなくなる。

それは慣れの問題として、惜しいのはこのスイッチ達が
ディスクトレイの下に配置されていること。

要するにトレイが全部呑み込まれないと
スイッチ操作が出来ない

しかもトレイはビミョーに優雅に閉まる(笑)
超短気人間にはちょっと辛いところだ。

コンマ何秒の違いというのは
結構ストレスに繋がるものだ。

とっくに生産完了している機器について
重箱の隅をつつくような事をしても意味はない?

いや、そもそもその意味のない事を延々とやるのが
よっしーの部屋
なのでご了承ください。

リアパネルを拝見すると何の変哲もない。

ピンジャックなども価格帯相応の物。
RCAのLとRが離れて付いていると言うこともないので
例えば太めのプラグのピンケーブルなど使いたい時は
ちょっと気構えが必要。

もっとも950は普及機と言える価格帯なのだから
その様な想定がされていなくて当たり前。

余談だがこの種の普通の端子に
あまりごついピンプラグを差すと
プラグの自重がストレスとなって
機器の方をおかしく(接触不良)してしまう事もある。
何事もバランスが大事というのは嘘ではない。

さて、ACコードには何やら皮膜が被せられている。
これはきっとデンテックさんによるものと想像している。


2月13日

なかなか音の話しが始まらないから
“こりゃなかなか音が出せていないのでは?”と
思われるかもしれない。

でも、そんな事はなくて、拝聴はかなり前に始まり
一通りは終わったと言って良い。

ただ、今回はいつになく時間が掛かったのは事実。

それは無理もない話で、何故かというと
ロジャース入院スピーカーが変わり
それに伴いプリも変わってしまっているから。

これだけ変わったところに未知のCDプレーヤーを繋いで
“いや、良い音でした”、というのは
あまりにいい加減であろう。

今回のCD950拝聴はPRA-2000やネッシーの馴らしも
兼ねつつ
進行した。

そこで改めて気づかされた事も多く、
故に今回のCD950拝聴記は
長岡システムを振り返ったりしながら進める事になる。


さてさて、新規一新のシステムで
CD950単体の拝聴では難しすぎる。

だからオブザーバーとして?NECCD10に登場頂いた。

CD10を選んだ事に深い意味はない
ただそこにあったのがCD10だから、とそれだけの理由だ。

しかし、今更CD10というのも凄いか…

NEC最後のCDプレーヤーになってしまったこの機種は
'89年〜'90年の一年間だけ生産された。

当時99.800円。

だが、よく考えてみるとこのプレーヤーもまた
フィリップスのダブルクラウンDACを4個積んでいる。
完全バランス出力を持つユニークなプレーヤーだ。


2月15日

とにかくネッシーから最初はまともな音が出なくて苦労してしまった。

アンプを開けて接点クリーニングをしたり、
バイワイヤを試したり色々やった。

パライコの接続を変えてみたりとか
基本に帰ってテスター片手にACプラグを反転させたり
といった様な事ももちろんやった。


CDプレーヤーを色々繋ぎ変えたりもした。
(詳しくは後で)


で、結局何が一番大事だったかというと
エージングだった。

自宅の機器はここのところなまくらな生活をしていたし
PRA-2000やCD10なんて
休眠に近かったから
通電不足だったみたいだ。


電気が一番のご馳走?

いや、音楽信号が一番のご馳走

この方が正しい言い方だろう。


プレーヤーやアンプは信号を送り込んでおけば
まずOKだが、スピーカーそうはいかない

ある程度揺さぶって上げないといけないので
これが一番厄介

CD950、CD10、そして後で登場するけど
DV-S10。

これらを取っ替えひっ替えて悩みながら夕暮れを迎える頃
音はいつの間にかかなり良くなっていた
というから
大笑い。

いや、笑い事ではないが、この現象、
考えてみれば昔から結構あった
のだ。


僕はエージングに重きを置くタイプではないし
本来が短気な性格なので
すぐにまともな音がしない機械は迷惑に感じるくらいな
人間だ。

しかし、どうにも馴らし運転は無視が出来ない。

特に今回は顕著だったわけだが…

理由その@ 休眠状態が長かった機器が多く含まれていた。

それは仕方ないのだが
どうも特にFEのダブルコーンなんてのは
一日たりとも休ませてはならないのではないか?と思わせる節がある。

見方をちょっと変えると…

理由そのA FEユニットは些細な事にも過敏過ぎる位敏感に反応する。

…という風にも言える。

FEというユニットの原型はハイファイ用というより
アナウンス用だという説もある。

あれでまともな音を聴こうとすること自体が無理という人もいる。

なるほど。
しかし、その“あれ”でかなり良い音を出されている人も知っている。

どんな物にも長所があれば短所もある。

FEというユニットの長所を活かして短所を封じ込めるには
とにかく微少レベルまで歪み感が無い装置
これがどうしても必要なのではないかと
この3週間くらいで改めてしみじみ思ってしまった。

例えばパワーアンプで言うと長岡先生は晩年まで
FETアンプ。特に(言うまでもないが)
MOS-FETアンプのHMA-9500系に拘ってらしたが
それも言うなればFEというユニットを上手に鳴らすのに
最も適していた
からの様な気がする。


もっとも僕なんかは
そのような過敏さを今は歓迎していない

“ウチの装置は敏捷でね”と顔をほころばす時代は
随分前に終わってしまった。

ただ、僕がいくら歓迎しなくても、機械の本質というのは
変わるものではない。

これは仕方ない事だ。

それにやっぱりたまには過敏システムに触れるのもよろしいようだ。

拙宅にあるオーディオ機器は基本的に結構古い物揃いだ。

パワーアンプの出力リレーなんかは出来れば定期的に交換出来たら
ベストなのかな?とか
プリアンプのボリューム。本当は基盤から外して全部分解して
洗浄して上げると良いんだろうな、とか考えさせてくれた

劣化もまたどんな物にもある訳だが、
周囲がそれを気づかせてくれるかくれないかの差は大きい。

もっとも、逐一劣化を報告してくれるような仲間より
ある程度見て見ぬふりをしてくれる物達と
一緒に過ごす位の方が平和で良いという考え方もあるわけで
これもまた人それぞれの価値観に、最終判断は任せるべき
ことなのであろう。


前置きが素晴らしく長くなったが
一応納得できる状態までたどり着いた、
あるいはそこへたどり着く過程において
CD950が聴かせてくれたサウンドは、
一口に言うと、それはそれは優雅で美しい物であった。
エレガント”などという柄にもない言葉が頭を掠めた。

音場感…など僕が語らない方が良いのかも知れないが
左右のスピーカー間に遮る物が無い(正しくは少ない)
状態で初めて聴いたネッシーの音場感は大変結構で
過去にはあまり感じられなかった“奥行き表現”なんか
素敵なものだったのだ。

そして、その様な状況下で聴けたからより一層感じられたのだろうが
このCD950の描くステージは、とっても正確(な感じ)なものだった。

雰囲気たっぷりなのだが、正確。

あるいはひっくり返して言うと
正確なのだが露骨には見せない。

うん。後者の言い方の方が言い得ているかもしれない。


2月19日

ソフトは色々聴いた。
といっても
毎度お馴染みという感じで
手持ちのCDソフトにも進歩は無い。

それでもジャンルはマチマチに、という風にした。

ジャンルの偏りが激しいと、ちょっと問題だと
(機器を拝聴するには)
思う。

とにかく
当初は弦が耳に刺さったりで大変だったし
「JenniferWarnes」なんか
“どこが名盤なの?」という鳴り方で
が落ちそうだった。

そんな段階を通り過ぎると
どのディスクも
概ねまともに鳴る様になって
ホッとしたものだった。

さて、色々は色々だが興味深い結果を出すソフトってある。

森のコンサート

長岡先生がADで紹介してから既に20年余が経とうか。

その後CDも出て、もしかすると今でも手に入るかな?の一枚。

割と有名だし、オーディオ日記にも度々登場しているから
説明は要らないのかもしれない。

でも、一応すると、これは森の四季を録音した物で
いわゆる音楽では無い。

環境音楽CDの一種?

いや、ちょっと違うのがノイマンのダミーヘッドを使った
バイノーラル録音だと言うところ。
ポータブルデッキにダイレクト録音という事で
シンプルの極み。

これを再生すると部屋のあちこちで、
いや、ある時は壁や天井を突き抜けて鳥たちが飛び回り
又ある時は目の前に覆い被さるという
不気味な現象が起きる。

かれこれ10年くらい付き合ってきたソフトだけど
まあ大抵の再生環境で広大な音場が展開すること請け合い。
ただし、やはり装置やセッティングにより
異なって聞こえるから面白いものだと思う。

CD950ではどう聞こえたかというと
広がりは充分。

あっちでピーチク、こっちでバタバタ
これは大成功、思わずニヤニヤする。

で、途中でCD10にバトンタッチすると
ここに両者のキャラクターの違いがハッキリ出たから面白い

CD950単体で聴いているとそれで充分十二分なのだが
CD10で再生すると更にリアルに感じる。

鳥の実在感が増し、飛び方や位置がより“見えて”来る。
眼前に飛んでくるところでは
思わずよけて手で払いたくなる位だ。

他にもよく聴くと遙か彼方でうごめく暗騒音みたいなものも
収録されているのだが
これもより一層明確に聞こえる。

…といってCD950でそれらが再生出来ていないとか
そんな事ではない


何度も両者を切り替えて聴くと
950もちゃんと音は余さず再生してくれている。

ただ、聞こえ方が違うだけ。

CD950の方はシルクのカーテン越しに色々な物が
展開する感じ。
あくまでも、“エレガント”なのだ。

対してCD10になるとベールは剥がされてしまう。
全体にマッシブ。暗騒音も力強く聞こえる。
線は以外と太い、というか濃い。

どちらが良いとか悪いというお話しではなく、
その様に傾向が違う、ということ。

(続く)


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