…と言いたいが、それは間違いで、幼い頃から古い物ばかりに 興味が行っていた。 何しろ最初に欲しがった本が絶版だった。 “絶版”、という言葉を幼稚園前に知っていた。 偉いな(笑) 小学生の頃から古本屋さんに通っていた。 いや、別に安く本を買いたかった訳ではない。 絶版になった漫画を買い集めていた。 今考えるとお店の人はどんな目で見ていたのだろう? その頃から希少価値のある物は、 元の売値より高くなるのだ、とか あった時にすぐ買わないと手に入らないとかいう フィーリングを身につけていたのだ。 変わった小学生だったなぁ。 もちろんコツコツというかチビチビとしか 買えなかったのだけど 一度だけ、手塚先生の全集が20冊だったか出ていた時は 親を必死に説き伏せて、拝み倒して買って貰った。 さすがに古本屋のお姉さんが“念のため”と 自宅に確認の電話を入れていた。 勝手にお金を抜いて買いに来たのではと 怪しんだのだった。
中学生になりオーディオにも興味を持ち始めたのだが 性癖?は直らない。 なぜか古い機器に興味が行く。 と言っても新しい機器も古い機器も買えなかったのだが 例えば雑誌の記事でも、最新型がどうのこうのという話よりも 古い機器の思い出話みたいなのを読む方が 遥に楽しかったのだから仕方ない。 藤岡先生がアルテックの604を上手く鳴らそうと悪戦苦闘した お話しなんかは今でも良く覚えている。
これまたみんなで雑誌を回し読みしていても 僕一人は絶版車のところを深く深〜く読んでいるのだから どーしよーもない。 GS-400、HowkU、V、KHの時代に “う〜ん、やっぱりKO(CB750Fourの初代)が” とか “SS50(ホンダの50CC)の方が現行のCB50より速いのだろうか” とか “マッハはやはり初期型が良いのか? 250SSを買って350のエンジンとディスクブレーキを移植するには どーしたらよろしいのか?” とか日々考えているのだから始末に負えない。 挙げ句に限定解除したら陸王を買ってリストアしようか とかほざいていたので友達はみんな引いていた。 無理もない。
この感覚はどーも我が身から抜ける事がないみたいだ。 30代になってオーディオ復活した際も、 結局古き時代の物集めに邁進してしまった感がある。 ただ、僕の興味の対象となる物は 概ね’70年代以降の物であり ’60年代’50年代となるとどーでも良くなってくるから面白い。 漫画しかり、バイクしかり、そしてオーディオしかりなのである。
これは’70年代物ではないのだが 今回珍しく登場頂いた。 初代は’60年登場。その原型はというと ’50年代まで遡らなければいけない? だがP−610は’80年代も現役であり続けたし 実際には’90年代も、更に21世紀になっても現役であり続ける 超ロングセラー機でもあるので 決して’60年で止まったビンテージ製品ではないのである。 だからこそ、よっしーの琴線に引っかかるのだと思う。 僕はあからさまなビンテージになると 興味を持てない体質みたいなのだ。
憚られる。 それくらい世評が確立している名器なのだ。 繰り返しになるが登場は’60年。つまり昭和35年。 もともとはOPT付きだったというから時代を感じさせる。 (続く)
結局僕は小学生の頃は概ね5年くらい前を そして中学生の頃は5〜10年くらい前を、 これが高校生くらいになるとざっと10年くらい前を 見つめては過ごすという変わった人生を過ごしていた? 大人になってもこのパターンは変わらず、 変わったのは見つめる範囲が5〜30年くらい前までと 広がった事くらいだろうか。
自分をしてどこかいつまでも貧乏臭い性格にしてしまったのではないかと 思えてならない。 幸いにしてというべきか、親には感謝しなくてはならないが 実際にはよっしーはとりわけ貧乏な生い立ちでは無いのだが 読む物の中にやたらと日本が未だ貧しかった時代の 記述が多かったものだから その辺の刷り込みが大きく影響しているのかな? オーディオに関しても、ミカン箱にスピーカーユニットを 取り付けて鳴らして感動した話しなんか読んでは 妙に感情移入していたりする。 実際に自分がオーディオに手を染めた頃は いわゆるシスコン全盛の時代であり 酔狂にもスピーカーを作ろうなどというヤツは クラスにも学年にも一人としていなかったし、 自身も自作を実行するには 当時は至らなかった。 ユニット買う金も板買う金も無かったからだが…。
オーディオでは自作が当たり前だったわけだ。 何しろ製品その物が無い。あってもとんでもなく高価だったから 自作は趣味というより必然だったということ。 「StereoSound 音(オーディオ)の世紀 20-21」の中、 タンノイオートグラフの項において上杉先生がこんな事を書かれている。 “我が国においてもLPレコード初期の時代は、 メーカー製のスピーカーシステムというものが存在せず、 スピーカーユニットのみを発売し、 エンクロージュアに関してはメーカー推奨の図面を スピーカーユニットのカタログもしくは インストラクションブックに掲載するといった具合でした。 したがってユーザーは、スピーカーエンクロージュアーメーカー (昔はこのようなメーカーが存在していたのです) が販売しているエンクロジュアーにスピーカーユニットを 取り付けて完成させるか、エンクロージュアーを自作するか、 もしくは特注するかしてスピーカーシステムとしていたのです。 私の知る限りにおいて、我が国のスピーカーメーカーが 自社のスピーカーユニットのために本格的なエンクロジュアーを オプションとして発売したのはパイオニアが最初で、 昭和26年に発売した8吋(20p)パーマネントダイナミック型の PE8用として昭和29年にCT8Bを発売しています。” などと書かれている。 完成品のスピーカーシステムを誰も彼も買える時代は うんと後の事となる。
前述のPE−8なんか当時5.700円。 公務員の初任給より高かったということで ’50年代に既に幻の名器だったという。 (長岡先生の日本オーディオ史より) 今であれば初任給より高くても 分割払い、あるいは周囲を拝み倒して借金でも すれば買って買えないこともないだろうが、 当時は食うや食わずやの時代だったのだから意味合いがまるで違う。 しかし、その後’60年代に日本は高度成長を遂げる。 おかげでオーディオの音の良し悪し、あるいは嗜好の違いで 論争が出来るまでになった? お腹が空いてそれどころではなく 音が聴けたらそれだけで御の字だった時代には 想像もつかないお話しだろう。
今回は’60年代に帰って?段ボールキャビネット作製。 …いえいえ、別に昔に回帰したかったわけではない。 ましてや音質目的で段ボールを選んだ訳では、更にない。 では何故?というと ただ単にやってみたかっただけ(爆) だからやってみました。
そこで邪魔になったらさっさと畳んで仕舞える様にしたかった。 だから段ボール箱に登場。 これは規格品でサイズが…。 忘れちゃった(笑)けどP−610の指定箱よりわずかに小さい感じ。 工作…などというのが憚られるほど簡単な作業で エンクロージャー完成。 ちなみに息子は段ボールを買うとき同行していて “お父さん、何か仕舞うの?”と言っていたのが いきなりスピーカーが出来ちゃったので目を丸くしていた。 さて、音の方はどうだったか?
さて、上記のような状態で極めていい加減に音出し。 アンプはSA3とHMA−9500U。 期待半分、どーにでもなれの気持ちが半分で試聴したが 予想外(失礼!)に繊細で切れが良い高域にまずはビックリ。 これならツイーターなんか要らない。 (…というのが間違いだった事には後で気がつく) そして人の声は美しいし鮮烈。 (これは間違いでは無かったと思う) 問題はやはり下の帯域で どうにも量感不足でスカスカする? これはキャビネットの重量不足とか 取り敢えず密閉形式であるとか原因はいくつか考えられるが この段階ではそれでも由とした。 量感不足とは言ってもパルシブな低音に関しては 息吹みたいな物を感じ取る事が出来て、 それはそれで悪い気はしなかった。 だが、チェロみたいなのはこの段階ではいただけなかった。 まるで骸骨みたいな音がした。 思わずその後同じCDをロジャースで聞き返したら とってもとっても良く聞こえたのが印象的。 しかし、とにかくこのままでとやかく言われても P−610も段ボールキャビネットも困るに違いない。 そこで次のステップに進む事にする。
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