11月4日

オーディオ日記を見たら全然更新されていない。

思わずムッとしてしまったが、
考えてみると自分が書かない限りは更新される筈がないではないか(爆)

いや、笑い事ではない。
何を隠そう僕こそはオーディオ日記の愛読者なのだ。

自分で読み返しては喜んでいる。
だからこそ人様の読みやすさは犠牲にして
時系列も上から下へ、のパターンを改めないでいるのだ。
(最新の記事が一番上に来る方が喜ばれるだろうに)

まあ忙しいのは昔からだが
最近はそれが加速していることは否めない。

いわゆる働き盛りの場合
オーディオをやると言ってもそれは寸暇を惜しんで
のパターンだと思う。

だから、その“寸暇”を他の事に回してしまうと
俄然オーディオに向かう時間が無くなってしまう。
なんと悲しい事だろうか。

寸暇を一体何に回しているのか?
こりゃ一口では説明不可能である。

一つだけ、ここ2週間くらい傾倒している物に
工作がある。

なんだ、日曜大工か、と申されるな。

かなり必要に追われてやっているので
道楽とは言えない部分が強い。

五味先生の「オーディオ遍歴」の中にこんな記述がある。

“自慢する気は毛頭ないし、むしろ不運のためだったと
言いたいのだが、これまで日本で入手できる
著名な欧米の製品のほとんどを、
私は聴いている。”

(中略)

“だが、身銭を切ってそれらの機種を購入し、
くり返し繰り返し同一のレコードを
かけた経験から言うのだが、再生音は
アンプや単体のスピーカーではなくて
人間の住んでいる部屋がつくる。”

(中略)

“自分の暮らしている部屋で聴いてよくない部品を
客観的に(あるいは特性の上で)いいはずだとどこほど専門家が
推称したところで、何の役にも立ちはしないのである。

つまり再生音といったものは、生活が作り出す
(中略)
音色を左右するのは、あくまでもその人の生活である。

このことに想いいたれば、家具調度も満足に揃わなくて、
再生装置だけベラ棒に高価なものを置いているのが
どんなにカタワな生活かわかるだろう


断言してもよい。そんな生活人が、ろくな音で聴けたためしはないのである。

その鳴らしている音は、やっぱり、カタワの音だ。

兼ねてあこがれていたアンプやスピーカーを入手し、
取り替えて音が良くなった時の喜びは
たしかに喩えようもない。
満ち足りたあの充足感は、いちど味を知ったら
やめられるものではないだろう。

私自身が、そういうカタワの充実感に随喜して、
質屋通いをしながらも部分品をもとめてきた。

番茶を煎茶にかえ、新鮮な水をもとめて沸かしたようなものだ

それを欠けた茶碗に淹れ、うまいと言って飲んだ。

涙が出てくる
じつはそれほど、音楽そのものがかわったわけではないのである。”


あたたた…、とよっしーには耳が痛い言葉である。

耳の痛い言葉を聞いて数年が経ったが
それでも諸々をそのままにしておいた。

だが、ちょっと限界である。

我が家は特に、ちょっと風変わりな家族構成
暮らしているので、一筋縄ではいかない部分が多い。

それやこれやで大切な事を一つ延ばしにしていたが
“こりゃいかん”と腰を上げた次第。

しかし当然何かやるとなれば夜なべ仕事となる。

家人の寝静まるのを待って…ということで
オーディオ装置のみならずPCの電源を入れない日もある。

そんなこんなで10何日間はあっという間に過ぎてしまった。

ま、かような昨今でございます。

ところで恐れ多くも抜粋引用させていただいた
五味先生の文章は「ピアノソナタ作品109」という項からです。
(元々は「西方の音」に収められている)

念のためだが、五味先生はオーディオ装置を買う前に
家具を買おう、と言っているわけではない。
(いや、ストレートに読めばその通りなのだが)

この名文はこのように締めくくられる。

“サンスイをマッキントッシュに変えたところで
それで享受できる音質向上は、
ベートーヴェンの音楽、
バックハウスの演奏そのものの感銘に較べれば
わずかなものだ。

ステレオ記事の紹介記事や広告にまぎらわされてはならない。

重ねて言うが、たとえば拙宅で鳴っているタンノイオートグラフより、
あなたの部屋の音楽がつまらないわけが、
あるはずないだろう


アンプやスピーカーが国産であろうとなかろうと、
それであなたが音楽を聴き込んでいる限り、
他人のどんな装置よりもあなたにとって
大切なはずだ。

その大切さが、じつは本当の演奏を
…つまり音楽を、あなたの内面にひびかせるのである
。”


…格好良い!


11月6日

仕事柄ライブ演奏に接する機会も多い。

ライブにも色々ある。
PA無しのアコースティックものというのもある。

一方で、思いっ切りPAが絡むものも多い。

今回なんかもろにPAが絡んでいる。


同じようにアンプやスピーカーを使うものにしても
家庭用におけるオーディオとPAでは随分異なる

…と言いながらも共通点もあるわけで、
両者を明確に線引きするのも難しい。

オーディオの世界では“PA用”というセリフは、
どことなく荒い音、みたいに揶揄した感じで
使われるケースが多い。

馬鹿でかい音を出すには向いているだろうが
繊細さを追求するには今ひとつという風に思われている。

確かにそうかもしれないが
実際にステージ用の機材を家庭に持ち込んで
試聴をするなんて事は僕も含めて
ほとんどの人はやっていないのだから
言い切ってしまうのも問題はある。


まあ、それは実はどうでも良い。

それよりも、前々から思っていたのだが
最近お気に入りのティファニーシステムin防音室
の音はどことなくPA的なのだ。

どーゆー意味なのか、正確に伝えるのも難しい。

例えば演出過剰とも言えるだろうし、
あるいはサービス精神旺盛とも言える。

ちょっと大袈裟で、ちょっとだけダルな感じの低音が
全体を支えている事に由来するのかどうかわからないが、
とにかくそんな事を夢想しながら現場に立ち会っていたのでした。


11月7日

世相に疎いのでいつも世間の話題に付いていけていない。

存じ上げなかったが本田美奈子さんがお亡くなりになったという。


…といっても特に彼女のファンだったわけではないのだが
シングル盤を一枚だけ持っている。

One Way Generation」だ。

'87年頃の曲だが、その頃何かで聴いて気に入って買ったのだ。
(後にTVドラマの主題歌だったと知った)

人ごみのまん中

今いる場所さえわからないように

自分の生き方が 見えない時ってあるよね

話してはみたけど 言葉が一方通行みたいで

遠くの夢なんて 大人はわかってくれない

僕等は
One WAy Generation One WAy Generation
今一人で何かを探して
One WAy Generation One WAy Generation
今知らないどこかに向かって

戻れない片道のチケットと
夢だけを信じたい”

…そうか、秋元康さんの詞だったのかと
今あらためて想った。

謹んでご冥福をお祈りします。

そして、先に逝かれてしまった人達のためにも…
僕等は…


11月10日

柄にもなくこの様な雑誌を買って読んでいる。

なぜ?というと最近LOHAS(ロハス)という言葉が
自分の中でキーワードの一つになっているから。

LIfestyles of Heaith And Sustainability

まったくよっしーの柄ではないが
ヨガの教室をやっている関係もあって興味を持ち始めているところ。

とは言ってもやっぱりオーディオが絡まないと
気が済まない?

特集が森と音楽のロハス的楽しみ方という事で手が出た。

森のロハスなオーディオ」というページもあって
マイクロファラッドの高橋清和さんという方が登場。

現在店頭にある本をこれ以上写すのもマズイと思うので
画像は極力見づらいままとするが
ソトコトの推薦品、の中にあるスピーカー
Taguchi FIN0604-Kが目を惹く。

フィンランドバーチ合板を筐体に使用しているという事以外
詳細不明なのだが見た目が大変楚々として
どこか良い意味でアマチュアライクな感じがして
嬉しくなってしまった。

音楽ネタが多く、CD、DVDも付いているので
本屋さんで手にとってみてください。


11月12日

すごい!

よっしーが新譜を買った!

…なんて、CD一枚買った事がニュースになってしまうところが
情けない。

DIANA KRALLの「ChristmasSongs」だ。

要はクリスマスアルバム。

これからの時期、教室でのBGMとして活躍して貰おうという目論みが
あってのこと。
(お客様は神様です?)

で、久々にコンコルドシステムの方で聴いたのだけど
これがとっても結構なお手前。

(続く)


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