10月3日

お客様に招かれコンサートに伺った。

日本の音、世界の音

和太鼓 小林太郎さん
世界の打楽器 池野ひとみさん

縁あって、私は池野ひとみさんを存じ上げているのでした。
世界の打楽器となっているが、例えばマリンバとかも含まれている。


さてや、このコンサート、実に素晴らしかった

多種多彩なパーカッションの競演
“国境を越えて人々の熱い心を感じさせてくれる
日本と世界の音を集めた元気の出るコンサートで
憩いの場、
斬新的な音楽でありながら、なぜか懐かしい響き…”
といううたい文句を裏切るところ無いコンサートだった。

小林さん、池野さん共に
近々よりメジャーな存在になるに違いないと思う。

あんまり素晴らしかったので会場で売られていた
CD四種の内CD-Rバージョン二種を購入。

早速拝聴したが
(最近は防音室を活用しているので時間不問で試聴出来る
装置はもちろんティファニーのSP使用の物))
想像通りこれも良い。

日本の音、世界の音」の方には演奏者名以外のクレジットが無いが
もう一枚の「X Force」にはレコーディング田中早智男のクレジットがある。

コンサートの音響も田中さんがやっていたのだから
多分二枚とも田中さん録音だろう。
上手く録られている。

デッカイ和太鼓の衝撃波はなかなかのもの。
バッチリ床壁天井を揺さぶってくれる。
マリンバの可愛らしさも聞き所。

そしてとどめがこの楽器。

コンサートでも使われていたが
ディジュリドゥ(イダキ)という非常に珍しい楽器だ。

オーストラリアの先住民アボリジニの人々が4〜5万年前から吹いていたと言われる
地球最古の楽器。
写真の様に口をぴったり付けて唇をブルブルさせて
木を振動させて音を出すという。

正確な事は実演を見ないとイメージ出来ないと思うが
その音はやっぱり独特。
よっしーはボコーダーを連想してしまった。

演奏はKNOBさん。

「X Force」の方にはこのディジュリドゥが思いっ切り
フューチャーされているが、これが凄い効果。
鼓膜を押されっぱなしになる瞬間があるからご用心。

大太鼓の衝撃波も凄いのだが、あれは持続音ではない。
ところがディジュリドゥの音は持続する
だから一回押され出すとそれが続く
こりゃ堪りません。

小林太郎さんのWebサイトはこちら↓
http://www8.ocn.ne.jp/~tarozu

KNOBさんのサイトはこちら↓
http://www.knob-knob.com/

上手く連絡取れればCD-Rも入手可能かも知れない。


10月7日

それにしてもアビテックスの中の装置では
ポピュラーが上手く鳴るのがとっても嬉しい。

考えてみたらその種のソフトはいっぱいある訳で
喜んで聞き返している。

↑はその一枚。

といっても知る人の方が少ない?

小山卓治さんの「ひまわり」というCD。

(…と書いてからネットで検索したら色々ヒットした。
ごめんなさい。「ひまわり」も手に入るみたい)


小山卓治さんは’83年に「NG!」でデビュー。

’83年という所がビミョーなところで
確か僕はこの「NG!」のアナログ盤を持っているはず。

ひまわり」は’84年のセカンドアルバムだが
この時期はLP、CD、MT並行発売なんて事も多かったから
「ひまわり」のアナログもあるのかな?

持っているのはCDでCBS SONY 32DH470

とは言ってもリアルタイムで買った訳ではなく
’89年に購入したことを覚えている。

’85年頃に知り合ったバンド野郎が小山卓治を好きだったので
感化されたことと、「シンプジャーナル」(古い!)の
記事を見たことがあってこれを買った。


“その人女房はある日絵はがきを受け取った

丘の上のひまわりが微笑むように揺れる写真

午後3時には荷造りと化粧をすませて

日曜日にしかかぶらない帽子を深くかぶる

彼女は部屋を出るときも笑顔を崩さない

足早に階段を降りて歩き出す

ガソリンが水たまりに虹をつくる道の向こう

すすけた赤い屋根が続いている

…と言われてもピンと来ないだろうが
小山卓治の描き出す世界は一種独特の世界を持っている。

「ひまわり」に収められる曲達は明るいとは言えず
時に重い。

どこかブルーススプリングスティーンの「ネブラスカ」を
思い出させてくれる。

まあそれは良いか。

16年を経てこのアルバムも良い音で鳴ってくれる事になった。

やっぱり嬉しい。

…と嬉しがっているだけではすまない気もする。

何がどうしてそうなった?

僕は例によって“ミートポイント”という言葉を
思い浮かべている。

それは…


10月8日

オーディオでは良く組み合わせの良し悪しとか
相性とかいう言葉が使われる。

便利と言えば便利な言葉。
それ故あんまり乱発すると問題もある?

それはそれとして、僕は良くジャストミートという言葉を使う。

野球なんかでよく使われる言葉だ。

スパーン!、かカキーン!、か知らないが
ジャストミートというのがかなり気持ち良さそうな物であることは
想像して良い。

さて、そのジャストミートを産むためにはどんな要素が必要か?

例えば投げられてくる球の球威バットの重さのマッチング。

バットの重さとバッターの腕力のバランス。

数えていくときりがないが、諸々の要素が良いバランス
マッチした時、気持ちよい当たりが発生するのだと思う。


オーディオでは、ソフト駆動系
スピーカー、そして部屋及びボリューム
大まかにこれらが良くマッチしないと
あんまり気持ち良い事にならないと考える。

そして、常にこの五要素が全て大事という訳ではないみたいだ。

例えば駆動系を差し替えてもあんまり変化が起きないケースもある。

他の要素の支配力が強すぎると、スピーカーを替えても
音があんまり変わらないなんて事さえ起きる。

この辺りは正にケースバイケースではなかろーかと
ここ数年のドタバタの中で思うようになった。

で、今回の場合はたまたま上手く行きました、という
事だと思う。

たまたま、と書いたが、そもそも狙って出来る事でもないような…。

では、と試みにこんな事をやってみると…

(続く)


10月9日

P−610段ボールをアビテックスの中に持ち込んで
ティファニーのスピーカーと繋ぎ替えてみる。

他の物はそのままでスピーカーだけ交代というパターンだ。

音は?

そもそもこれだけ“今上手く鳴っています”
という装置に割り込んだのでは分が悪い。

違和感が激しくて一発でアウトになってしまった。

もちろんP−610が悪い訳ではない。

しかし、この部屋においてこれを使いこなして行ったら
現状ティファニーのスピーカーで得られている音が
いつかは出るのか?というと疑問だ。

要するに良し悪しではなく方向性の違いみたいなものと
思って間違いない。


…なんて軽く書いちゃったけど
考えてみると方向性が違うスピーカーを
チョイスして散々苦労するなんてパターンが
オーディオには多い気がする。

他人事ではなく、当の自分がそれもやってきている。

偉大なる遠回りとも言えるし、
そう言った悪戦苦闘こそ趣味の醍醐味
マニアの本懐と言うべきなのかもしれない。

(また、悪戦苦闘の途中で、
ケーブル、電源、インシュレーターと
銭を落として貰わないと業界は成り立たない?)

しかし、個人的な事を言うと
最近の自分みたいに疲れたモードだと
鳴らぬなら鳴らして見せよう…と頑張るよりも
最初からある程度上手く鳴ってくれる人を募集
みたいな考え方になってしまう。

歳を取ったと言うべきなのだろうか…


さて、P−610

これはやはりモニタースピーカーなのだというのが
ここ数ヶ月での個人的結論

名器だけど古典的…というより
なんだか永遠に通用する一本のような気がする。

この様な物の原型が45年くらい前に既に出来ていたとは…。

オーディオって一体何なんでしょう?

ティファニーのスピーカーはアビテックスの中が居心地良いみたいだけど
P−610はその外の20数畳の方が居心地良さそうだ。

立派なキャビネットを作って上げて…と思うのだが
常駐させて上げる場所が無い。

何とも勿体ないお話である。


10月13日

ポピュラーが良く鳴るというと
いわゆる優秀盤はあまり上手に鳴らないのでは?と
思う気持ちも自分の中にあった。

つまり、ある種のも隠して聴きやすくしてしまう代わりに
尚素晴らしい物の素晴らしさをどこか削ってしまうのではないか?
危惧してしまう自分が居たわけだ。

でも、どうやらそんな事はない
優秀録音盤も充分その良さを引き出してもらっている。

不思議不思議…。

取り上げたいCDはいっぱいあるが
例えば↓のTELARCの「SURROUND SOUNS
なんかも充分こなす

ほとんど虐めの固まり?の様なソフト相手の話だから
立派なものだ。

ただ、とてつもない大音量で挑戦すると
わずかに無理がある。

これは致し方ない事で、そもそも相手が悪すぎる。

それと、あくまでもAST−SC20はミニサイズのスピーカーで
あることを忘れてはならない。

いや、でも本当に充分だろう。
そもそも破綻するくらいの大音量なんて、小さいながらも防音室だから
出せる訳で、一般の家庭環境で同じことをやったら
近所から苦情が来ること間違いなしなのだから。


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