5月10日

連休も終わり、俄然忙しい。
というか、GWなんかあるお陰で残りの約3週間が
酷く忙しくなる。
僕は連休とか嫌いなので、“私が衆議院議員に当選した暁には
盆暮れ正月とGWの連休を撤廃いたします
”、と
日頃よりほざいては職場で孤立しています。(汗)

…などという話しはどうでもよい。
写真に写っているウチの。今回は容易には元気にならない
困ったな…。

…などという
話しはどうでもよくないが、お題は手前に写っている
真っ黒なプレーヤーだ。

これは?。

YAMAHAのコンパチCDV-1600だ。


CDV-1600は’88年末登場。
当時119.800円。

SN比118dB(音声)、47dB(映像)
水平解像度420本。

435W×115.5H×407D。
重量8.8s。

興味深いのはADコンバーターを内蔵している点で
つかりLDのアナログ音声をデジタルに変換して光出力で引っ張り出せる。
DAコンバーターがあれば楽しめるわけだ。
ま、わざわざA→D→Aと変換するメリットがどれくらいあるかは
わからないが…。

前作CDV-1000から二年ぶりのモデルチェンジ。
パネルフェースはアルミ押し出し
ディスプレーは大型FL管採用。

チタン仕上げのモデルもあったが、
この黒も美しい。単なる黒なんだけど美しいあたりが
さすがYAMAHAとしか言いようがない。
ディスプレーのオレンジも大変大変美しく、
それを眺めているだけでも幸せな気分になれる。

ところで昨日まで影も形も無かったコンパチが
何故に突然現れた?。

何と!、またしてもゴミ置き場から拾って来たのである。
(我ながら呆れる…)

しかしまあ、捨ててあったと言うことは壊れている事は想像出来る。
だが、大抵の場合壊れているといっても大したことは無いのも
経験則(どんな経験則じゃい!。爆)から予測出来る。

まず電源はOK。だが、トレイがイジェクトしない
これはもう、“あれ”しかない。

ネジ5本を外してボンネットを剥ぐ。
トレイは手動で強制なら開閉可。

ここでCDを入れてみるとちゃんと読んで音が出る
そこで修理に入る。

と言っても大したことはない。
きっとトレイ駆動用のプーリーに掛かっているベルトがダメになっているだけだ。

ネジ2本外してトレイを抜き取る。
覗いてみると案の定ベルトが陰も形もない

更によく見ると、“その付近”に輪ゴムの切れ端が見つかる。

この頃のYAMAHA製品は、なぜかこのベルトの劣化が早い。
前オーナーも一度は“輪ゴム”で代用させて修理したのだろう。

それが切断して、今度こそお払い箱になったと、
そーゆーストーリーが見え隠れするところがジャンク修理の醍醐味だ?。

ストーリーが見えても、あるいは美しいFLディスプレーが見えて
大した意味はない。コンパチはLDを見る物なので、
その画が見えなければ存在価値は無い。

ここで“ポン”とYAMAHA純正の“輪ゴム”が出てくるあたりが
よっしーの立派なところ?である。

実は先日CDX-900Dを直す時に、余分にベルトを買って置いたのだ。
一応正式名称はBELT SQUARE CD-X2 となっている。
CD-X2自体は'85年頃のCDプレーヤーの名称なので
諸々共通部品なのがわかる。

これをちょちょいとプーリーに掛けて修理完了。

後はネジ計7本を締めて終わり。

写真の通り、コンパチならではのでっかいトレイ
豪快にせり出してくる。

最後に画のチェック。

吉田美奈子コンサート1995」。

OK!、ちゃんと映ります。

結局0円にてコンパチ確保です。


5月11日

ところで’88年の末頃というと
ちょうど私達が結婚した時(’88年10月)だと気がついた。

あれから幾年16年…。
お前にも苦労掛けたね、という話しはどうでもよいのだが
(良くないか。笑)
思わず一種の感慨にふけってしまいました。

’88年当時12万円近くしたCDV−1600も
16年後の’04年にはゴミ箱に投げられるに至った。
そこに月日の流れを感じずにはいられない。

’88年とはどんな年だったのかと振り返ってみれば
恐らくバブル絶頂期
日経平均はこの年の暮れあたりで3万円台に乗せたか乗せないかくらい。
そんな頃にCDV−1600も登場した訳だ。


高級車億ションという話しはさておいて、
オーディオ界的にはどうだったかというと、
ちょうどオーディオからAVへと、業界がやっきになっていた時だったと
言っても間違いではないだろう。

別冊FMfanは59号まででストップ。
AV FRONTとして生まれ変わったのが丁度この時。’88年末。
(AV FRONT創刊号には、別冊FMfan60号と銘打ってある)

家庭にやたらと大きいテレビ(29インチとか)が入り始め、
エアチェックというとFM対象ではなくビデオでTVを録画する事と
相成った。

何を隠そう、我が家に29インチが出現したのがこの時。

時流に全く乗らないよっしーが、どーしてそんな物を?
というと、結婚のお祝いにかみさんの従姉妹一同様が
S−VHSビデオデッキと一緒に贈ってくれたのだ。

29インチもチューナーを内蔵しないモニタータイプ。
S−VHSはまだ第一世代で珍しかった。

29インチテレビは約12年使って壊れたのを期に追い出したが
(勝手なものだ。散々見たくせに、今ではすっかりTV嫌いな夫婦になった)
ビデオデッキは数度のOHを経て未だに現役
HR−S5000だが当時178.000円
何とCDVより高かった!?。

いや、しかしLDソフトは大変高額だったので
やっぱりコンパチ、あるいはLDプレーヤーは高嶺の花だった
と言っても間違いあるまい。


5月12日

そう、LDソフトは当時とっても高価だった。
一枚1万円以上がざらだったと記憶する。

ちなみに我が家には’84年からコンパチはあった。
コンパチ一号機。パイオニアCLD−9000(当時249.800円)だ。
が持っていたのである。

就職した年の暮れのボーナスで
一応兄貴面してLDソフトを二枚買ってあげたのを覚えている。
「2001年宇宙の旅」とあと一枚だったと思うが
二枚で2万円は軽く飛んだはず。

自分用にLDソフトを買ったのは’89年
浜田省吾の「ON THE ROAD “FILMS”」を買ったのが最初。

これは弟にVHSへとダビングして貰って散々観た。
これが8.700円税別。
やっぱりおいそれと買える金額ではなかった。

その後数えてみたら7枚の音楽物を買っていたが
未開封新品ばかりだ?。
要するに買ったけど観ていない。(!)
やっぱりプレーヤーが手元に無いと観ないものだ。

今回コンパチを捕獲出来たのだから
それら位は観てみたいと思う。

だが、その後はどうなる?。

LDソフトは今や中古等が500円で手に入る。
とは言えすっかりDVDの時代にLDを買うのか?。

考え方は様々で、ソフトを買っても保管しようと思わなければ
良いという説もある。

使い捨てならぬ“観捨て”?。

いや〜、さすがにそれは失礼な気がする。
となると手を出さない方が無難だろう。

しかし、いつも思うのだけど人並みから10年以上遅れた生活
心がけると、大抵の物は只同然で手に入ってしまうみたい。

あの頃とても手が届かなかったコンパチもLDソフトも
今ならよっしーでも手に入る。

…しかし、生活水準が知れますね。こんなこと書いているようじゃあ…。(汗)


5月14日

コンパチLDだと(独りで)騒いでいる内に
懐かしい雑誌を引っ張り出してしまった。

AV FRONT 全48冊なり。

随分昔に個人売買で新同美品全揃いを譲って頂いた物だ。
これも貴重な資料だと悦に入っているわたし。

AV FRONTは前にも書いたが’88年暮れの創刊
休刊宣言がなされたのが’93年1月号。
つまり’92年末で終わったわけだ。

その内容の素晴らしさたるや凄い。
というか、一言でいってこれほどお金が掛かっている雑誌には
なかなかお目に掛かれないと思う。

何故こんな雑誌が生まれたのか?。

それはバブルのせいだろう。
’88年に生まれ’92年に終わったということは、バブルの絶頂期と
崩壊期を体験したわけで、
この雑誌、正にバブルと共に生き、
バブルと共に消え去った
と言えそうだ。


5月17日

それにしてもAV FRONT。その内容はあまりに濃すぎて
とてもとても紹介などしきれない。

しかし、ページをめくると、何となくだけどあの時代にトリップ出来る。

プロジェクターはさておいても、やたらと29インチ36インチ
TVが発売されている。
ビデオデッキも高価格品目白押し。

LDは低価格帯も充実しているがウン十万円の高級品が
どんどん開発されている。

やっぱりそんな“時代”だったのだ。
AV FRONTを眺めているだけで、
バブルに踊った時代というのを垣間見ることが出来るのは
興味深いことだ。

AV FRONT最終号’92年末に出ているが
日経平均はこの年8月、’90年に続き暴落している。
広告収入の低迷から休刊の決断に至ったのは当然で
賢明な判断だったろう。

’90年代が失われた10年だったかどうか、それはわからない。
本当にそんな10年だったかどうか、もう少し時間が経ったところで
本当の判断が出るのだろう。

僕個人にとっての’90年代というのは人の生死で始まって
それなりに色々な事があった10年だった。

懐かしい事もいっぱいあるが、さすがに気持ちはこれからに向かっている。
徐々に色々な事が変わって来ている事は確かだし…。

でも、趣味の世界のことであれば思いっ切り懐古しても
は無い。
CDV−1600は’88〜’04年という興味深い16年を横目で見て過ごし
今ここにある。


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