下半身を気持ちよくするための努力の数々。 4355を納めたのも、これだけの部屋を作ったのも努力だろう。 でも、やっぱり感動するのは微に入り細に入りの気配りだった。 全てをお聞きした訳ではないが、壁の一面はラスクだらけ。 何気なく置いてあるだけに見える吸音パネルも、 その位置を変える事で部屋の響きを面白い様に弄れる。 壁の二面はコンクリの打ちっ放し風だが、 そこに残るボルトの穴を埋めないと音は全然気に入らなかったとのことで せっせせっせと無数に近い数の穴を埋める作業もされたらしい。 個人的に一番好きだったのが、 スピーカーの袴の後方にラスク板を立てかけて 袴の空間を塞いでいたこと。 これをやらないと低音が逃げちゃう、と仰っていたが、 これは本当だと思った。 移設可能な音響反射板をホールに設置する際、 床と反射板の間の僅かな隙間を埋めるか埋めないかで 低音の返りはガラッと変わってしまう事がある。 それと同じ事がこの部屋でも起きているのだろう。
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下半身に来る音?。 やっぱり快楽を手に入れるのも楽じゃあない。 やるだけやって、聴くときは快楽主義。 紫音さんの部屋にはソファーとか椅子とかがない。 ベストの席には作りつけのベンチがあるけれど 通常は紫のビーズクッションに寝転がる様にして聴く。 音の波に揺すられて、気持ちよく安眠するのもよい。 同時に、波動砲のつるべ打ちみたいな低音に 殺されるのも良いかも知れない。 実際この部屋と装置なら、音で人を殺す事も不可能じゃあない。 手加減を止めたら恐い部屋だ、やっぱり。 でも、それをやってしまうと「砂の器U」になってしまう。 と、常人の域を超えたオーディオと部屋であった。 N先生と紫音さんは逢うのが2回目らしい。 でも、すっかりうち解けていて羨ましかった。 「お前は馬鹿。こんな穴(地下室のこと)掘って」 と先生の賞賛を一人浴びていた。 もちろん70代のN先生だから許されるお言葉の数々なのだが 端で聞いていて、僕もShuksさんも羨ましくて仕方なかった。 だって、この世界で“馬鹿”って言われるのは 最大級の賛辞だもの…。 ああ、俺もいつかN先生に誉められたい。
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実はこの形で4355をお聞かせ頂けるのは、これが最後だった。 何故って?。 何とこの数日後、もうワンペアー4355が搬入されて 片チャンあたり4355が二台スタック!になったのです。 いわゆるバーチカル何とか状態。 計画を聞いただけで一同唖然…。 今頃紫音さんのところはどんな事になってしまっているのでしょう?。 是非また拝聴しにお邪魔したいです。
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お許しを。 ラストにちょっとだけ違うお話し。 ここに見えるロボットのフィギュアってファイア三世ですよね?。 鉄人に出て来る…。 そっちの方のお話しもしかったなぁ〜。 次回はそれも、の願いを込めて、よっしー秘蔵の一冊をアップ↓しておきますね。(!)
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とっても小さなスピーカーに親しんでいる僕。 考えてみるとこのマンションと紫音さんのリスニングルームは 広さはほとんど同じ。 (マンションは教室なので、防音室が入っていたりするので 実効容積は小さくなる) でも、僕はその片隅で小さくなって10p2Wayスピーカーに にじり寄って音を聴いている。 人生色々と言うか…。 プリメインのJA−S71は壊れるかも?の心配をよそに 元気に働いている。 音はしっかりしていて、例えばトーンのスイッチを (トーンはハイもローもフラットの位置にして) ON OFF すると音質が変わるのがちゃんとわかるくらいだ。 どちらの音が良いとは言わないが、OFFの位置がすっきり系で ONの位置が厚みが増す系みたい。 よく見るとトーンはOFFではなくてDEFEAT(ディフィート)と 書いてあるのだから、トーンアンプをジャンプするのではなく (トーンアンプを)フラット化する形で使っているのだろうか?。 正しくは回路図が無いとわからない。 何故ならDEFEATと記されていてもJUMPの働きを させていると思われるケースもあるからだ。
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ところでHMA−9500Uを試したのならM−22も出さないと 不公平というもの?。
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このアンプ、自宅で使おうとすると冬でも熱いと感じるくらい。 マンションの方は広いし、熱も気にならないので M−22には好環境?。 プリはJA−S71のプリ部を、やっぱり使う。 この組み合わせで音は?。 う〜ん、寝起きの状態でとやかく言われてもアンプも 困るだろうが、正直いってちょっと眠たい。 とても暖かくてほんのりとした感じだけど ちょっと生彩を欠くというのが感想。 そこで、と写真を取り忘れたがプリにPRA−2000登板。 PRA−2000+M−22ではどうだ?。 S71のプリ部を使っていた時とは格段に品位は上がるし 押しも強くなる。 が、やっぱり“パッ”としない?。 もっともアンプ達も一週間10日通電しないと本領発揮しないという 説もあるので、あくまでも今だけの感想。 やっぱりオーディオでは時間の短縮だけは出来ない相談かも。
案外CDが出るのが遅かったので それまで昔のレコードでしのいでいた。 何かって?。「エースをねらえ!」です。
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これだけは欠かさず観ている。 原作は’73年スタートで最初のアニメ化も ほぼ同時期だった筈だから、もう30年も前になる。 当時の僕は、今でいうなら漫画オタクで せっせと古本屋に通って、手塚先生や石森先生の絶版本も 物色するという、ちょっと変わった小学生だった。 ただ、さすがにいわゆる少女漫画は守備範囲ではなく 他のものはさっぱりわからないのだが、 これ(エースをねらえ!)だけは例外的に縁があった。 (多分高校生の従姉妹の影響だったような…)
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コミックはきっちり揃っている。 発売を待って買っていたから、ほとんど全部初版だ。 興味深いのは、この「エースをねらえ!」の第一巻から三巻までと それ以降では装丁が違う事。 三巻まではビニールの掛かった綺麗な装丁だった。 それが第四巻以降はビニールが省略され、ごく普通の (つまり今の標準の)紙のカバーの物になってしまった。 これには理由があって、それは何かというと あの石油ショックなのだった。 その影響は漫画にも当然及び ’73年暮れから’74年にはのきなみ値段が上がっている。 「エースをねらえ!」でいうと’74年1月20日発刊の第三巻までは 250円なのだが、同年4月20日発刊の第四巻以降は 320円と70円も値上がっている。 (同時に装丁もシンプルに) 当時の小学生にとって、70円〜100円の値上げは死活問題 (大袈裟!。笑)だった。 あの頃コミックがやたら薄く、そして高価になった事を 今でもしっかり覚えて、そしてちょっぴり恨みに(今でも) 思っている。
とにかく今回のTV放送に影響されて 久しぶりに10冊引っ張り出して読み返した。 そして、“ああ、やっぱりこれは凄い作品だった”との 思いを強くした。 少女漫画がどうとか少年漫画がどうとかという枠は関係ない。 山本鈴美香さんはこれを書いたとき20代だったんじゃないかと思うのだけど、 一体全体どうしてこんな物が描けたのだろう。 感心ではなくて驚嘆してしまう。 …。 なんの話しをしているんだ?。(笑) まあ良い。取り敢えずCDを聴こう。 “コートでは〜誰でも一人一人きり…”♪ (余談だが、お蝶婦人夫人ってやっぱり凄いキャラだ。 あんな高校生いないだろうって…。笑) (余談その2 「エースをねらえ!」は本当は10巻では終わっていません。 後年続きが描かれております、はい)
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