10月6日

気がついたら10月だ。
なんとも凄い勢いで時間が過ぎていく。

ちょっとロジャースから離れたくなった。
なので足はマンションに向かう。

…なんて書くと随分格好良い?(笑)

いやいや、あの場所は仕事の場所
だから行けばやるのは関連したことなのですよ。
(と言い訳しておく)

まああちらでやることというのも山積みであって
とても書ききれない。

一応ここはオーディオのページなので
極力それに関する事を書く。

で、唐突に永井真理子

先日来、教室の方もまたぞろ大かたづけをやった。
不要機材はどんどん自宅に帰ってきている。
それに併せてソフトも戻って?来ている。

要らないかな?と思ったCDはどんどん処分しているのだが
この間教室から自宅への移動に際して
久しぶりに追加処分をした。
ただ、あらかたかたづけているので対象になるものは
そんなに無かった。

それでもちょっとは捨てたのだが、よく見るとその処遇を受けたのは
かなり前に100円〜500円くらいで買った中古盤ばかり。
ポップスで有名どころなので、また必要になったら
ブックOFFとかで100円で買い直せるところがミソ。

実は永井真理子さんなんかも売れた人だし
数も出回っているから買い直しも容易。

でも捨てなかったのはやっぱり個人的に惹かれるものが
あるからなのだろう。
(…ってまるで他人事みたい…?)


写真の物は「WASHING」というタイトルで8枚目のアルバム。
ファーストが’87年でこれが’91年だから
やっぱりかなりの勢いでアルバムが出ていたとわかる。
余談だけど、この人もまたバブル期に登場して売れた人だったと
あらためて思った。

この頃というのは何かと人生励ますような姿勢の作品が
好まれていたと思うが、永井さんもなかなか元気系だ。
元々が体育会系?の人なので世相がマッチしたというべきか。

さすがによっしーも年を取って、元気一杯バリバリ全開系は
ちょっと身体が受け入れないが
それでもこのアルバムの中では
私の中の勇気」とか未だに好きだ。

“頑張れ私の中の勇気♪”なんて良いじゃあ有りませんか。

それからバラード的な物が必ず含まれるのだが
このアルバムでは「ピンクの魚よ」、なんか好きだ。

両方の手を 水槽にはりつけ水中の鼓動を聴いてる
かじかんでいた 心の中を今覗くよで息を秘める

視界くぐり抜け 体曲げて踊る 
ピンクの魚よ はるかに続くエメラルド色の並に帰る夢を見たりするの?

24時間 朝から朝になる キスしたり 背中向けたり

それぞれの針 時計が動き出し 人生が始まり終わる

淋しくはないの?愛はあるの?そこに
君をここから放してあげたい

けれども外はもっと怖い大きな水槽だから
ピンクの魚よ 君はいつでも 平和と戦争とのはざまを泳ぐ私なんだ”

…気がついたら全部引用していたが
まあ小動物になぞらえて人間を描くという、ある種のパターンの曲だ。

ちょうどこの頃、湾岸戦争だったんだな、と思い出させる。

(続く?)


10月9日

あいかわらずマンションの方に立ち寄っている。
といっても3〜4日に一度行ければ良い方で
しかも行けばゴソゴソ仕事モード。

まだ確定ではないが、教室の方も
模様替えがあるかもしれない。

それでもまあ行けば必ずコンコルド装置で音は出すわけだが
今回本当に思いきってソフトを引き上げて(自宅に)
しまったのでCDは10枚もないという感じ。

よく掛けているのは先日の永井真理子さんに続いてこれ。

佐野元春さんの「Slow Songs」
偶然だけどこれも’91年物?

もっとも僕が手に入れたのは、そのもっと後で
どうやらレンタル上がりの中古だったみたいだ。
ケースも歌詞カードもボロボロだったけど
一切気にしていない。


これはまあ一種のベスト盤というか
バラード曲集というか、タイトル通りスローな曲が並んでいる。

ただ、単なるベスト盤ではなくて、リマスターとか
リミックスとかが行われているところが佐野さんらしい。

中でもよく聴くのは「バルセロナの夜」とか「彼女」。
そして欠かせない「グッドバイからはじめよう」の三曲。
更に次点で?「真夜中に清めて」、が加わる。

何のことはない、要するにセカンドからフォースアルバムまでに
納まっていた曲を聴いている訳で、これはもう単なる郷愁
以外の何物でもないかもしれない。

元春さんが華々しく活躍し始めたのは
ょうど僕が大学に入った頃だった。

とはいえ、流行には今も昔も疎い僕の事だから
好んで聴き始めたのはサードアルバム「SOME DAY」が
出た後しばらく経ってからだったと思う。

友人に勧められて、当時はしりだった渋谷のレンタルレコード
借りてカセットに録ってヘッドフォンステレオで繰り返し聴いていた
覚えがある。

A面にセカンドアルバムの「Heart Beat」、
そしてB面にサードアルバムの「SOME DAY」という
カップリング?だった。

先輩のアパートに友人達と泊まり
翌朝そこから帰るために乗ったバスの中で
そのテープを初めて聴いたというような事はよく記憶しているのだが
そのアパートが一体全体東京のどこにあったのか
というような事は今やさっぱりわからないのだ。


それはさておいて、やっぱり当時元春さんの音楽は
斬新な物があった。
歌詞カードのコピーまでする金は無かったので
何を言っているのかわからない曲がいくつもあったのには
困ったが(笑)、そこは雰囲気で乗り越えた。

特に「バルセロナの夜」とか「彼女」とかを聴いていると
しみじみと、あの頃の自分及び時代へと
気持ちはスリップしてしまう。

夜遅くマンションで一人“う〜ん…”とか唸りながら(笑)
最後に「グッドバイからはじめよう」を聴いて終わるのが
最近のマイブームって奴?

一応オーディオ的な事も書くと
録音はかなり真面目
また、コンコルドはこの種のソースも無難に鳴らしてくれる。
極めてライブな空間で極めていい加減な姿勢で聴いているので
あまり確かな事も言えないが、まあそんな事はこの際どーでもよろしい。

そうそう、AB誌のバックナンバー26号では小型スピーカー特集が
組まれていて、105の上位機種、1614も取り上げられていた。

面白いのは藤岡誠先生が、“広いイベント会場でも聴いたことがあるが
部屋の広さに負けない鳴りっぷりの良さに驚いたものだ。”
“今回の本誌試聴室では、バランスとしていささか低域過多の
傾向があり、(中略)本機の場合、デッドな部屋、特に木造の
本物の和室でも低域量感に関して不足はないだろう。”
などと書かれてる点。

やっぱりコンコルドシリーズは大空間向きなのかな?(笑)
ちなみにAB誌の試聴室って、確かアビテックスでしたよね。

あ、それからつけ加えるとSPの角度などに気を付けて
追い込んで上げると、結構ピンポイント的な定位も見せてくれて
気持ちよい。

でも、あの場所ではなるべくそーゆー事は考えないように
しているんだっけ。


10月11日

ここのところ省スペース、小型化に思いを馳せる日々が続いていた。

スピーカーはコンコルドサイズで良しとして
問題アンププレーヤー類か。
いや、パワードスピーカーにも興味は沸く。

デジタルアンプだとかハーフサイズのユニバーサルプレーヤーだとか
色々妄想をしつつ、ふとDiGiRECO(デジレコ)というフリーペーパーに
目をやると、PC内蔵型インテグレーテッドデジタルアンプ
なんて物が紹介されていた。
PCIサイズで50Wの出力。
SPも鳴らせればヘッドフォンアンプまで内蔵している。

となると、こりゃPCとスピーカーだけあればOKではありませんか。

ああ、自分は何と時代遅れな人間なのでしょう…。

もっとも、それを使って欲しい教室の方の先生方は
PC立ち上げるどころかCDプレーヤーの操作も大儀そうなので
実際にはそうはいかないのが悩みのタネですが。


10月12日

コンコルドシステムはハロウインに囲まれている?

CDX−900Dのリモコンが手に入った。

その物ずばりではないのだが同系のシリーズの物なので
過不足無く使える。

駄目かな?と思って持ち帰ったのだけど
電池を入れたらOKだった。

それだけでとても幸せな気持ちです。


10月19日

あれあれ、オーディオ日記の更新が滞っていますね。

なんて他人事みたいに入っている場合じゃあない?

しかし、まあ最近色々考えさせられる事が多くて
なかなか更新に至らないのは事実。

さて、上の画像はヨガの文庫本の表紙。

ヨガの喜び」沖正弘 著/光文社刊。


なんで急にヨガ?というと教室で開講したから。

詳細は省くがヨガはなかなか良い物ですね。
皆さん是非ヨガを。

で、このご本はヨガ教室の先生が下さった物。

まだ拝読している途中だけどP230からのところでこんな事が
書かれている。

全てを肯定する心をもつ

どんなものにも一長一短がある。
一人でいることと、集団でいることの一長一短。 
街と田舎、
寒さと暑さ、
それぞれ良いところも欠点もある。

その良いところに注目し、すべてを肯定することだ。
自分や他人の短所ばかり見て否定していては人間は伸びない
人の(註 第3者、あるいは他人)の評価というのは一方的なもので
見方を変えれば長所になる。
無口な人とは無駄口をたたかない人でもあるわけだ。


肯定心とは、事実をありのままに受け取るということで
これを「拝む」という。
雨が降ったらただ感謝すればいい。
そしてそれを活用するのだ。

子供を教育するときに、あれはいけない、これは危険だと
いいすぎてはならない。
子供には意識的に苦しい体験をさせ、嵐の日も晴れの日もあると言うことを
全部肯定するように覚えさせないと子供は強くならない。
(中略)

わたしはどこかに招待されたとき、出されたものはみんな食べる。
誰かが一生懸命作ってくれたものは食べるべきだ。
私は普段は自分に合った物を少ししか食べないが
おもてなしを受けたとき
「私は玄米、菜食ですから…」などとはいわない。

自分に合わないものを食べると、あとで苦しむこともあるが
それはそれでいいことなのだ。

広くてやわらかくて、なごやかで、全てを許してともに喜ぶことの出来る心が
ほんとうに強い心だ。

ヨガは人間を、心のせまい善人ではなく、広く深い善人にする教えである。

これが人間の心の原理である。
そして、すべての宗教や教訓の中にも、
これらのことが含まれているはずだ。

しかし、心を強くするためには、
人の言う教えではなく、自分で考えてこの原理を利用し
自分を向上させなくてはならない。

ヨガの目的は、自分の心や体のことは、自分で解決できるよう
することにある。
(後略)”


…おいおい急にどうした?と言われそうだ。

 別にヨガのPRだけをしたい訳ではない。

ただ、前記のことをオーディオに限ってだって当てはめてみると
頷けるところ一杯あるのではなかろうか?

心を固くしすぎてしまえばオーディオもその時点で止まる。

広い観点でみるためには時々落ち込んだり
立ち止まったりもするはずだ。

それで、という訳でもないがオーディオの方。
特にロジャースの方は踊り場に差し掛かっている。

いや、それより僕の人生が踊り場に来ているという説もあるが。


それはさておき、ヨガの音楽もコンコルドシステムが
担当している。

このあたりの音楽についても探求してみても良いかな?
と思っている今日この頃でありました。まる。


続きはこちらです。

一つ前の日記に戻る

日記のMENUへ

表紙へ