8月21日

気を取り直して夏休みの読書感想文など書こう。

先日購入した、五味先生の「オーディオ遍歴」は繰り返し拝読している。

この本は’82年末の刊行で、「オーディオ巡礼」、
「西方の音」、「天の声−西方の音」などに収録された物から
抜粋した物をまとめた、いわばオムニバス版とでも言うべきものだろう。

全編が素晴らしく面白いし、その一部を抜き出して何かを言うのは
誤解を招く恐れもあるのだが、夏休みに読書感想文は
欠かせないものだから?許して欲しい。 


実は五味先生のご著書に接するのは初めてという
不届き者なのである、私は。

一読して思ったのは、五味先生も又貧困の体験をされた人だと言うこと。

先生は1912年(つまり大正元年)のお生まれだ。

当時の日本は高度成長どころか軍靴の響きのする時代。
もはや戦後ではない、と言って高度成長にこの国が向かった頃には
既に40代も半ばだった世代に先生は属される。

別に僕は清貧などという考え方を支持はしないが、
同じ豊かであっても、一度は貧困を(出来れば若い頃に)
体験した人の方が好きなのである。
何故かは自分でもわからないのだが。


先生は小説家であった。

小説家と限らないが、作家というのは観察力分析力がなければ
勤まらない職業である。

小説家の方が単なるライターよりも優れているなどとは言わない。

ただ、一口にオーディオ評論といっても、書き手によって
随分切り口が違ってくるのは確かである。

又しても個人的な事を言うと、僕はオーディオ評論であっても
そこに生活評論が織り交ぜられたような物が好きな人間である。

長岡先生も、オーディオという切り口を通して
実に一貫した生活評論、大衆社会評論をされていたと思う。

もっと言うと、それくらいでないと困る。
Aという機械がどのような音であるなどと言うことを書くだけなら
厳しい事を言ってしまえば誰にだって書けるのである。

(続く)


8月22日

話しを変えてしまって申し訳ないが
思い立って(と言うわけではないのだが)
オーディオラックの組み直しというか模様替えを行った。

取り敢えず形にするのに2時間くらい奮闘した。

でも、やってみると問題も出てくる。

これは“かたづけ日記”の方に書くべき事かも知れないが、
物というのは最後は結局動かしてみないと
上手く納まるかどうかわからない
ものだ。

頭の中や図面でいくら念入りに検討しても
最後には思わぬ落とし穴もある。

やれやれ。どうやらこれでは終わりそうもない

でも、続きは明日以降だ。
ほとほと疲れました。


8月23日

ますます話しはダッチロールするが、
コンコルド105用のスタンドを取り敢えず組み上げた。

我ながら超アバウト

自作が是か非かわからないが、
今回はとにかく高さを稼ぎたかったので仕方ない。

市販品で背の高い物というと
ちょっと頼りなさ気なリアスピーカー用しか見あたらない。

何で高さがそんなに必要かと言うと
教室の防音室(YAMAHAアビテックス)の中で
グランドピアノの向こう側に置く関係があるからだ。

蓋を閉めたグランドピアノの高さは約1メートル
これにスピーカーの下面が引っかからない様にだけはしたかった。

写真は取り敢えずコーナーにスタンドを設置して
105を載せてみた図。

目論み自体は成功。
ただし、スタンドは105に対しては支柱が太すぎたし
その関係で天板も大きくなりすぎた。
ルックス的には失敗だろうか。

仕方ない。良くある話しである。

とにかく、、、と言うことで音出し
可愛そうに、このスピーカー、永らくまともな扱いを受けていなかった。

駆動系はCD−10PRA−2000HMA−9500U改。

一発目の音が出てきた時は、ちょっと困ってしまった。

確かにこのスピーカーの売りの一つはサイズからは想像もつかない
鳴りっぷり。
それは良いけど、“鳴りすぎ”、である。
野放しの低音に顔が引きつる。

まあ、エージングも何も無しで文句を言われても困るだろうが、
こちらも困ったのですぐに手を出す

最初は壁に対して平行に置いてあった105を軽く中振りにする。

実はこれだけで音は随分変わってしまった。

無理もない。リアダクトのバスレフなのに、最初のセッティングでは
ポートの真後ろに壁が真っ直ぐ立っていた。
角度を付けて上げる事によって、音圧の逃げ場が出来たのだろう。
音は全体にぐっと向上する。

後は漠然と鳴らし続ける。

当たり前だけど音はどんどん良くなる

さすがコンパクト2Way
何というか、空間にポッカリ音が浮かぶ。

この防音室は実質四畳半に満たないのだが
部屋に対してはジャストの大きさのスピーカーという感じ。

今は駆動系も床に直置きだし、スタンドは完成していないしで
こんなもんじゃない、の思いでいっぱいだが
詰めはこれからというところでしょうか。


8月25日

話しがまるで繋がらないが、これも暑さのせいとお許し下さい。

今日はhiroshinさんからお借りしてしまったカートリッジのお話。

それは何か?と言うと、デンオンのDL−107である。

それも、この107、業務用との但し書き付きらしい。

そもそも107自体が業務用という説もあり、
具体的にどこがどう違うか?とかはちょっとわからない。

しかし、今回はその点は大きな問題ではない。
よっしーは過去において107を自宅も含めて
何回か拝聴しているが、じっくり腰を据えて拝聴出来るのは

純粋に、この107という物を聴かせて頂く姿勢で望む。

ところで上の写真で左側に見えるDENONのロゴの入ったシェル
これがどうやら107純正?の物らしい。
そのためルックスはぴったり合う。

が、どうも今のシェルと規格が違うとかで、残念だが今回は
(シェルに関しては)観賞用にとどめる。

そこでシェルをどうしようか?となるのだが
今回は思い切って詳細不明のオールドシェル
使ってみる事にした。

IM、と書かれているが、よっしーにはこのシェルが何だかさっぱりわからない。

MU−41のプレーヤーにはアームが二本、オマケにカートリッジも
二個ちゃんと付いていた。その内の一つに使われていたのが
このシェルである。

ルックス的に何となく気に入っているのと、
DL−107自体が’68年の開発(’80年代まで売られていた
ロングセラー)と言うこともあり、当時のシェルを使ってみたかった
のもある。

プレーヤーは最近すっかりお馴染みの?
MU−41+G−540

さて、音出し。

まず気が付くのが出力の低さ
かなり控え目である。

必然的にプリのボリュームを上げる事になるが
SN比は良好。全く問題なし。

そして、出てくる音だが、あまりに美しい音で思わず絶句。

の音。風鈴の音。
、、、、思わずそんな世界を連想させてくれる。

何というか、実に日本的な“美”に満ちた音である。


ちょっと話しは脱線するかもしれないが、
聴きながら思ったのは、昨今下手をするとすっかり忘れ去られそうな
日本人の優れた部分

あうんの呼吸。皆まで言うな。水に流す。
聞いて聞かない振りをする。
八方丸く収める。
なあなあ。談合。護送船団方式。

グローバルスタンダード(とは名ばかりの某国スタンダード)
とは相容れない部分が多いが、護送船団なんてのは
他国には真似できない優れた方式、、、
という話しはどうでもよい。脱線しすぎである。

民族が様々なように、オーディオの音も様々

音は好みなので、何が良いも悪いも無いが
例えば、我も我もと音が押し寄せて自己主張し
凄い凄いのオンパレードになってしまう音が一方にあるとしたら
107の音はそれとは別世界
まるで、みんなが上手く行くにはどうしたら良いのか
カートリッジが考えて音を出しているみたいな錯覚さえ起こす?。

例えばBOB JAMESの「ONE ON ONE」。
心地よい中にも色々な楽器が色々なパートを
入れ替わり立ち替わり巧みに際だたせては進んでいくという楽曲
が収められているのだが、この“目立たせ方”が絶妙。

“ここはAさんに”、“ここはBさんに”、“はい、Cさんお待たせしました
出番です。おお、皆さん素晴らしい”、みたいな感じで
実に整然と音楽が進行して行く。

誰もがちゃんと発言の機会を与えられ、引き立て役に回る時も
躊躇無く回らされて嫌な気一つしない。

自己主張が多い町内会の月例会に
名議長が彗星の様に現れた、みたいな見事さだ?。
いや、あっぱれと、思わず拍手喝采したくなる。
そんな連想をさせるカートリッジだ。


一通り聴いて、あるいはこれはMU−41+G−540も
含めて作られた世界かも?との思いもあったので
GT−2000+DV−507にもご登場願う。

結果、以上のような世界は紛れもなく107が作っている事が
立証された。

カートリッジによっては、MU−41+G−540と
GT−2000+DV−507ではかなり違う音になってしまう物もあるが
107の場合は107のトーンの方が支配的みたいだ。


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