4月23日

もう一つソフトのお話し。
こちらは300円で買ってきたLP。

AUDIO LAB 、つまり菅野沖彦先生監修だったりする。

宮沢明子さんがドビュッシー、シューベルト、
ハイドンを弾いている物。(ALC−1034)

持って帰って盤面を見て絶句。

近年まれに見るカビだらけだ。

一応針を落としてみるが、ノイズが凄い。

こりゃ駄目かと思ったが水洗いでOKとなった。

その状態での音質は?と言えば
さすがにこれは安心して聞ける録音だ。
それでいてオーディオマニアライク

と、それは良いけどジャケットを
改めて見るとなにやら落書きが、、。

いや、これや宮沢明子さんの直筆サイン?。

貴重盤というのでしょうか??。


4月24日

ここで再び別冊FMfanの話題に戻ろう。

今回改めて思ったのだが、昔のマニア
やっぱりただ者じゃあ無かったと言うこと。

やっている事がフツーじゃあない。

これから比べると、今のマニアはただの
常識人のそしりを免れない?。

例えば長岡鉄男のオーディオクリニック

この企画は13号くらいから始まっている、同誌の
人気企画の一つ。

後に単行本化され、そこには’81年6月から’84年6月分の27例
収録されている。

もちろんそれが全てではなく、その前にも
そしてその後にもクリニックは続いているのだが
やはり単行本化以前のクリニックには強者
続々登場する。

当時はアナログ全盛というかCDなんか無い時代。
アナログプレーヤーの改造をしている人は多かった。

ターンテーブルをブチルでダンプなんて可愛い方で
真鍮でマスを付けて慣性モーメントの増大を図るは
インシュレーターは増やすは外すわで賑やかな事この上ない。

鉛のアームボードも今ならすぐにお金で解決だが
ボードやインゴットを自作している人も多かった。

ケーブル類はやたらと切りつめるのが常識?で
機器が身動き取れなくなるくらいやらないとマニアとは呼ばれなかった?。

アンプ自作、スピーカー自作も多かったが、
あまりまともな音で鳴っている物は無かった(失礼!)様子。

クリニック後のコメントも独特というか昔のマニアの方が
自尊心が高かったようだ
多弁だし、評論家に何を言われても動じないくらいの
強固なポリシーを持った人も少なくなかった。

やると決めたら一歩も引かぬ
やはり面白みという点では昔のマニアの方が
百歩くらいリードしていた。
今のマニアをマニアというなら、
昔のマニアはマッド(誉めている)だった。

あ、それからリスニングルームの広さも昔の方が広かった

リスニングルームのウサギ小屋化は年々進んだようで
やはり狭い空間では大物は育たない?。


4月26日

もちろん、凄かったのは一般のマニアだけではない。
オーディオ界そのものに気合いが入っていた。

例えば別冊FMfanで何回かに渡って連載されていた企画に
超ド級プレーヤーへの道というものがあった。

担当をされていたのは藤岡誠先生だが
最終型(とは言っても二号機)の重量は最終的に100sに達していた。
これには恐れ入る。

寸法はと言うと494W×350H(!)×474D
外枠を木で造り、中にたっぷりコンクリートが流し込まれる。
そしてフォノモーター(パイオニアEM−10)及び三本の
アーム(サエクWE−407/23、クラフトAC−3000MC、
FRのFR−64S)はラスクボードに取り付けられている。

正に高剛性超重量級
その音はさすがに市販プレーヤーとは
一線を画したものだったようだ。
(当たり前?)

凄いといえば凄い。馬鹿らしいといえば馬鹿らしい。
今でもアナログの熱は冷め切ってしまった訳ではないのだが
ここまでやろうという人も滅多に居ないだろう。
まして100sのCDプレーヤーの製作なんて記事には
お目にかかれまい。
(誰かやらない?笑)

にやにやしながら記事を読んでいたよっしーだが
心のどこかに、いつかこんな面白い物を、、、
という気持ちがあるのも隠せない。




4月27日

評論家の先生も凄かったが、マニアの方々は
輪を掛けて凄かった。

プロトタイプUと読者自作の超ド級プレーヤーとの
対決などという企画も組まれていたが
出てくるプレーヤーがただ者じゃあない。

鉄板で作り上げて総重量100キロに迫る物もあった。
モーターをバッテリードライブしたりもする。
とどめに直径80pのイナーシャが乗っかるとなると
もはや口を挟む余地はない。

ちなみに重量100sというのは結構実現されている方が
多かった様子。
プレーヤー台を大地から立ち上げて
その重量1トンという人もいた。

もう何も言えないが、あれから20余年が経ち
その頃のプレーヤー達は今どうしているのだろう?。

今でも使われていると楽しいが
移設する際は大変だったろうなぁ〜と想像する。

何しろ総重量100キロですよ。
仮に廃棄するにしてもそう簡単には
いかなかった事は想像に難く無い、、。(汗)

でも、つくづく“熱い”時代でした、、。


日記の続きはこちらです。

一つ前の日記に戻る。

日記のMENUへ。

表紙へ。