10月1日

10月最初の今日は台風到来である。

それはさて置き、CDが登場したのが
’82年の10月1日のはず。

成人式だね、おめでとう!。

なのに、よっしーの部屋ではあいかわらず
古いアナログプレーヤーの話し
が続けられている。

PL−X9とPL−88Fの聴き比べをした事は
既に書いた。

さては、という事で
PL−X9とPL−X7の聴き比べ。

これこそ兄弟対決

同じレコードをあっちにこっちにと載せ換える。

余談だけど、こんな時PRA−2000は
フォノ入力が豊富なので大助かり。(うふっ)

両者の違いは?。

これはなかなか興味深かった。

やはりエレガントさではX9の方が上なのだが
音の勢いはX7の方が、やや上回るように聞こえる。

これはなのか?と言うと
ずばり41MC(X9及び88F)
31
MC(X7)の違いなのだ。

7月30日付けの日記でも31MCを
取り上げているが
計らずもあの時の印象が間違っていなかった事が
今回立証された思いだ。

どこまでもピュアな感じの41MCに対して
31MC高い所と同時に低い帯域にも
アクセントを付けた音作りになっている。

単体で使うと、気持ち良いけど
時に演出過剰な感があるのだが
PL−Xシリーズにはベストマッチ
音作りと見て間違いなさそうだ。

X9では88Fとの対比で随分音にが無くなる
感じがあったが、X7は31MCの景気の良さが
その辺を上手く補っている感がある。

17cmターンテーブルにはベストマッチの
カートリッジ?。

ただし、あくまでも見掛け上の元気の良さに過ぎないのは
仕方ない。
本格派の88Fとは、かなりの開きがある。


10月4日

う〜ん、、、、分不相応、、、。

それは9月29日未明の事だっただろうか、
とんでもない“誘惑光線”がKoyamaさんから
飛んで来た。

いや、今回は別によっしーにだけ向けられたものではなく、
Koyamaさんのサイトに「モトコー通信・番外編」
としてアップされていたのだが、
飛び切りの優良物件だ。
“ハイエナ・よっしー”が見逃すわけがない。(笑)

Koyamaさんのアップから4時間も経たない内に、
ブツはよっしーの物になっていた。

Koyamaさんには感謝!
(いつもありがとうございます)

しかし、最近“誘惑光線”浴びっぱなし?。(爆)
あたしゃ紫外線よりも誘惑光線が恐い。(笑)



さて、だがしかしよっしーは歳に似合わず古風である?。

だから分不相応な事をするのには
基本的に凄い抵抗がある

だがしかし、良縁というのはそうそうあるものではない。
身に余るとは思ったが今回はGOサインを出してみた。


写真のフォノイコヤマハHX−10000
説明の必要も無いかもしれないが
’87年登場、当時35万円。
ヤマハ創業100周年を記念してリリースされた
一連の“10000番代”モデルの一員だ。

475W×130H×432Dと
フォノイコライザーとしてはかなり巨大だ。

下手なパワーアンプより大きい。

重量20kg

個人的にはデザインはいまいち。

無骨というか何というか、、、。
もう少し洗練されないものか?。

まあ高級品が似合わない自分が悪いのかもしれない。

だがしかし、このフォノイコの内容物凄く濃い
そして使い勝手がすこぶる良い

2台のプレーヤー常時接続しておく事を前提に設計されているので
PHONO1、PHONO2双方が、MMにもMCにも対応。
しかも入力インピーダンスも独立で切り換えられる。

いちいちリアパネルに手を回して
ケーブルの差し換え等をしなくても良いのだ。

これは絶えず2台のプレーヤーを回し
しょちゅうカートリッジを差し換えているよっしーには
この上なくありがたい。

しかもHX−10000では、従来の2ヘッドアンプ構成で
この切り換え方式を行なうと
ヘッドアンプ入力の最も信号レベルの低いところで
スイッチ数を増やす
事になり音質上好ましくないと言うこと
PHONO1、PHONO2それぞれに専用のMCヘッドアンプを搭載。
合計4ヘッドアンプとする事で
音質と機能という相反するものを両立させている。

なるほどやっぱり贅沢な作りではある。

と、いつまでも能書きをほざいていると嫌われるので
についてのお話しに移ろう。

コンストラクションについてはまた後日、、、。

ところで、よっしーは新しい機材を部屋に迎え入れる時、
結構冷淡である

新参物に何が出来る?、まずはお手並み拝見!
という姿勢で扱うのである。
(註 人様からお借りした物は話しが別)

HX−10000も、当時の定価は35万円かもしれないが
2系統のフォノが入ってその値段と言うことは
半分で考えると17,5万円。(笑)
これでPRA−2000どの程度上回れるのかい
ってな具合に冷たいのである。

そんな姿勢が機戒にも通じたのか?
最初に出て来た音は首を傾げるくらい酷かった。

どこか使い方を間違えたのかな〜と思ったが
そうでもない。

とにかく歪っぽいのである。

しかし、ここで蒼くなる程はうぶで無い
しばらくそのまま鳴らし続ける。

すると20〜30分でまともになったので
久々にZYX登場。

聴き慣れたレコードを次々ターンテーブルに載せてみる。

結果、、、?。

2時間にも満たないお付き合いでは
何かを言い切るのは危険ではある。

だがしかし、これは実に“正確”なフォノイコだと言って良いみたいだ。

厳しいソースを選んで掛けても
全く破綻を感じさせない。

どんな難しいコースも、平気で走り抜けてしまう。
汗一つかかず、何事も無かったかの如くでだ。

あんまり憎らしいので、
これはZYXの力もあろうと、
最後はカートリッジをPC−41MCに交代。
もちろんMMで受ける。

そして出て来た音を聴いて絶句した。

“なんじゃ、こりゃ?”。

このカートリッジはここまで音が良かったのか?。

久々に椅子の上で金縛りである。

こうなると、カートリッジは何を持って来ても良いのじゃなかろうか?。

手持ちのカートリッジ全部を聴き直してみたい気持ちで
いっぱいである。

いやはやたまげてしまいました。


10月11日

おやまあ珍しい。日記が1週間も開いてしまった。
こんな事もあるんですね?。(笑)

さて、それはさて置きHX−10000である。

お付き合い1週間
(思うように時間は取れないが)
感想は?。

いやはや、これはもうとんでもないフォノイコである。

ここまで違うとは思わなかった。
もう後戻りは不可能だ。


高額機種なのだから、音が良くて
当たり前?。

確かにそうなのだが、これだけ違うと呆れかえる

HX導入以前と導入後で、
「よっしーの部屋」のアナログサウンドは
一変してしまった。

この違いを言葉で説明するのは
不可能ではないが、もどかしい

“聴いても貰えれば、誰でもわかるくらい
違いは明白です”
の一言で終わらせたいくらいだ。

でも、さすがにそれでは不親切極まりない。(汗)

何がどう違うのか?。


一口で言うと、音の出方がまるで違う。

実に軽々と、とんでもない音が出て来るのである。

ストレスレス”。

そんな言葉がぴったりと言う感じだ。

何の抵抗も無く、音が空中に現われ消えて行く。

あまりに自然なので、スピーカーから音が出ている気がしない。

大して広くも無い「よっしーの部屋」では
すぐそこに装置類があるものだから
違和感が酷い。

実際に目に見えているものと
全く別のものが同時に同じ場所に見えているような
感じだから、当初は具合が悪くなる程だった。

特に、少ないマイクをデッキに直結して
現場をまるごと録り込んだような物を聴く時は
要注意。

今は大分慣れた気もするが
あるいは条件反射的に目をつぶって聴いているのが
功を奏しているのかもしれない。

いったいこの“音の出方”の秘密
どこにあるのか?。

想像に過ぎないが、一つには
フォノイコ用とは思えないくらい強力な電源
効いているのではないだろうか?。

トランスもデカイが、電源コンデンサーが凄い。
なんと、トータル100,000μF強だそうだ。
(取り説による)

ちなみにHMA−9500Uでも
18,000μF×4の72,000μFだよ?。

誤植であることを願いたい。(?)


ちなみに右手手前
一番図太いのがHXの電源
ケーブル。
品川電線製だが
YAMAHA GT CABLE
(OFC)と併記されている。

ちなみに
右手奥はGT−2000の
外部電源YOP−1の物で
左手手前はSA3の物。


そして左手奥の、最も
か細い
のがHMA−9500
の物。(笑)


10月12日

HX−10000。
何かとお騒がせをしているが、
これは素晴らしい一品である。

永らく愛用して来た
PRA−2000を一蹴してしまった。

迫力も違うが、何しろ一音一音が
際立って美しい。

“ほぉ〜”っとため息が出るやら
目を見張るやらで、とても自分の装置から
出る音とは思えない


これだけの音の変化は、今まで味わった事が無いのである。
敢えて言えば、SA3をロジャースに宛がった時も
衝撃的だったが、今回のケースとは
やや意味が違う。

たかがフォノイコラーザーが
ここまでシステムトータルの音を
(もちろんアナログだけだが)
変えてしまうとは想像外だった。

言い方を換えると、自分の使っている
プリが、メインアンプが、そしてスピーカーが
これだけの音を出し得る物だとは
今日の今日まで気付かなかったのである。

なんだかその他の装置達に、
今まで申し訳なかったね
と言いたくなるような気持ちになる。

HX−10000が来て以来、
よっしーの部屋のオーディオ装置達は
やっと桧舞台に立てました、とばかり
大張り切りだ。

そしてよっしーも、
全てのディスク、全てのカートリッジ、
全てのアームを引っ張り出して、
改めて全部聴き直してみたい衝動に駈られている。

ハードもソフトも、人間も
長生きはするもんである。


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